今回は本編にはないエピソードという事で。コミックアンソロジーなノリで書いてみました。本編しか見たことないという人は是非手に取ってみてください。個人的にはすごく気に入ってる話なんかもあったりします。
ep003 まひろと北風とチャーシュー麺
北風と太陽というお話をご存知だろうか。
通りすがりの旅人の外套を脱がせた方が勝ちという力比べを、北風と太陽がする事になる。北風は強風で外套を吹き飛ばそうとするも、旅人は必死に外套をつかみ、脱がせることは出来なかった。次に太陽は燦々と照りつけ、旅人は暑さで外套を脱いだ。太陽が勝ったという話だ。
まぁつまり何が言いたいかと言えば……。
「ねぇーお兄ちゃん、運動はー?」
「むーりぃ……筋肉痛と五月病と厨二病の合併症で、オデの体はボドボドだぁ……」
「筋肉痛はともかく、五月病と厨二病は本当の病気じゃないし、年中患ってて今更でしょうが」
運動は続けてこそだよー! と布団を引っ張るも、まるで旅人の外套が如く、必死に掴まれたソレはそうそうはぎ取る事は出来ぬだろう。
まぁ、つまり、無理強いだと人は動かぬ、という事だ。
さて、そろそろ太陽の出番と行きますか。
「ここは俺に任せてくれないか、姉者」
「え、大丈夫なの?」
「運動は無理だが、外出はさせてみせよう」
長い引きこもり生活は目に見える程に兄者から筋力を奪っていった。手足からは筋肉がそげ落ち細くなり、胴体からも腹筋胸筋は消え、うっすらとだが脂肪がつき始めていた。まだ見られる状態だったが、あのまま行けばちょっと目をそらしたくなる身体になっていただろう。
そんな状態だった人間に、はじめから激しい運動させよう、というのが間違いなのだ。まずは軽い運動から始め、最低限運動に必要な筋肉を取り戻してから行うべきだ。
……まぁ、その辺の知識は内面の年齢が上なだけの俺より、専門知識を持ってる姉者の方が詳しいのだろうが、いかんせん元陸上選手だったのが悪く働いたのだろう。自分の得意かつ好きなランニングに連れ出せるという希望が目を曇らせたようだ。
故に、俺はまず外出に対するハードルを下げる事から始める。
2年越しの外出のきっかけを、姉者は作った。これは大きな一歩だ。俺には兄者に、その一歩を踏み出させる力は無かった。
ならばここで第二の矢を放てなければ、内面オッサンとしての立つ瀬がない。
俺は一歩、兄者に歩み寄る。
「鶏ガラ醤油」
「……え、いきなり何?」
男の子には、抗う事の出来ぬ欲がある。
「チャーシュー麺」
女の子の姉者には理解できぬ欲求かもしれない。俺も、兄者も、今は女の子だ。肉体は渇望という程求めてはいないのかもしれない。
「焼きネギ塩」
「ねぇ、そのクネっとした立ち方で歩くのは何なの?」
だがしかし、心が、魂が、欲しい欲しいと求めている。忘れ去り、小さくなったその声に薪をくべ、大きく燃え上がらせる。
「チャーハン」
「後その芝居がかった言い方はどうしたの?」
想起せよ、過去の己を。啜り、噛みつき、歯を突き立てた、その記憶を。
「チャーシュー麺」
「いやさっき出たわよチャーシュー麺」
いいの仕様なの。
「味噌コーン」
「あ、言い直した」
違うの仕様なの。
「チャーシュー麺」
「だから被ってるって、チャーシュー麺」
仕様なの!
「焼き餃子」
「今度はかぶってないわね」
気を取り直して言葉を重ねる。
「回鍋肉」
簡易品なら、口にしていただろう。
「青椒肉絲」
単品だったら、白米と共に食卓に上がっていただろう。
「天津飯」
焼き飯系なら、単体で一食として出すこともあった。
「チャーシュー麺」
「いや4回目! チャーシュー麺4回目よ!?」
仕様!
「麻婆豆腐」
だがしかし、男の子には心の底から沸き上がる欲望がある!
これらの中華をいくつかまとめて腹に収めたいという欲求が!
「油淋鶏」
その言葉が届いたのか、兄者が布団の中からのそりと顔を出してきた。
すっかりと小さく、愛らしく、女の子になった兄者の顔。だがコチラを見つめる双眸の奥底には、煮えたぎる男の欲望が光となって漏れ出ていた。
「兄者よ、おぉ兄者よ。どうかこの妹のおねだりを聞いてはくれぬだろうか……」
「お、おねだり……?」
不安と欲望に、濡れて揺れて漏れ出た言葉。それにコクリと肯き返す。
「兄者が家から出なくなって、2年が経った」
家から出なくなって、の所で兄者から「ヴッ」という呻き声が出た。
「あぁ、別にソレを責めようというのではない。ただその間、緒山家は外食はご無沙汰だった」
一人暮らしなら、中身は中年男性だ。子供でも誰かにはばかる事も無く、一人で暖簾をくぐれただろう。しかし家族が居て、その内の一人が家から出られない状態だと思うと、どうにも足が向かなかった。
「だがつい先日、兄者は外出が出来た……ならば、ここにいる家族全員で、外食に行けるのではなかろうか」
「べ、別に外食じゃなくても、出前でも頼んで家で食べれば……」
やはりまだ外出には抵抗があるようだ。
だがしかしーー
「嫌だ」
すかさず言葉をかぶせれば、兄者は「え?」と困惑の声を返す。
「想像するんだ兄者。インスタントラーメンとは、言語化出来ない決定的な差がある、あの味を。アレを2年も口にしない事など、人生で見ても早々起こらない。ならばここで中途半端は駄目だ。この欲を満たすなら、出来る限り理想的な形でなければ」
ゆっくりと、兄者の両頬に手を添えて、顔をコチラにまっすぐ向けさせる。決して目をそらしては駄目だと言うように。
「出来てから時間の経つ出前では駄目だ。出来立てを、熱々のソレをわざわざフーフーして啜る。一口目はそうでなければならない。それが理想というものだ」
「で、出来立て……」
「そう、2年ぶりのラーメン、2年ぶりの餃子。2年ぶりのチャーハン! 麺を啜り、スープに喉を鳴らし、餃子にかぶりつき、チャーハンをほおばる! 欲望のままに出鱈目に口、舌、腹を満たす! そこに妥協があっていいのか? 出前のちょっと伸びた麺、少し冷めた餃子、ちょっと乾いたチャーハン! ソレで、2年ぶりの欲望を満たしていいのか!?」
自然と、言葉に熱がこもる。
「ちゃーはん……ぎょうざ……」
兄者の目は虚ろで正面の俺に焦点を合わせられていない。舌の回りが悪く、言葉は涎で湿っぽい。
さて、トドメといこう。
「兄者ぁ、2年ぶりに、ラーメン屋で欲望のままに食いたいなぁ。妹からのお願いだぁ。付き合ってくれないかぁ?」
ねっとりと、耳からベトベトとした言葉を流し込み、脳をドロドロに汚すかのようにささやき声。
「……しょ、しょうがないな……一緒に行ってやるよ……」
まるで妹のお願いを、渋々聞いてあげていると言わんばかりの了承の返事を返すその口は、口角がつり上がり笑みを浮かべていた。
ククク、やはり兄者、女にされても心はまだまだ男の子。男の欲望(エッチに非ず)を刺激し、兄心に妹のお願いだと言い訳をリボンを巻いて叩きつければ、釣り上げられると思っていたよ。
旅人の外套をはぎ取れたことを、サムズアップで背後の姉者に報告すると、何やら呆れたと言わんばかりのため息をはかれた。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
あの後、俺たち兄妹は激論を交わした。
何せこの度の外食は失敗が許されない。枯れて久しいこの口に、初めて注ぐラーメンは、最大限満足出来る物でなくてはならない。
最近出来たラーメン屋はどうだろう? 濃厚豚骨醤油味が看板メニューらしい。どうだこの見ただけで味が濃くドロドロしてそうなスープは!
いやいや、濃い味も悪くないが、こっちのちょっと遠いところにあるラーメン屋も捨てがたい。さっぱり醤油に、この焼き色がつけられたきざみネギの山。スープの絡まったちぢれ麺と一緒にコレを啜る。たまらないと思わないか?
ラーメンも良いけど、チャーハンにこだわるのも有りだよな。この鉄人チャーハンなんてどうだ? 何がどうとは説明出来ないが、なんかほかのチャーハンとは違う! オレは美味いんだ! って写真からも感じられるこの見た目!
お、チャレンジメニュー、ドンブリならぬ鍋ラーメン! すげぇなこれ普通のラーメン4杯分以上はある。知らない間にこんなの出すようになったのかここ。
等々。
俺と兄者はグーグル先生の並べられるままに次々ラーメン屋のページを開いていってはメモを取りを繰り返し、候補を次々上げていき、候補を並べて頭を付き合わせ、コッチはどうだ。いやいやコイツの方がと意見を出し合い、一つの結論に至った。
それはーー
「結局は、いつも行ってた店になったのね」
姉者が言うように俺たちの目の前には、外見からもそこそこの年期がうかがえる、家族でよく行っていた町の中華屋が建っていた。
「目新しいのものに冒険するのも悪くはないが、堅実と思い出を取ることにしてね」
仮にここで店選びに失敗すれば、がっかり感が大きすぎる。ただでさえ悪い兄者の外出に対するイメージがさらに悪化する。その結果、引きこもりが深刻化するのは避けたい。
……と、いうのもあるが、ホームページでここの店の名前を見かけてから、ここのスープの味に舌がなってしまったからというのが実際の理由だ。
「な、なぁ……いいから中に入ろうぜ……」
と、本日の主役、兄者の催促。現在時刻は18時半、ちょっと早めの夕食時。空腹感に促されて、というのもあるが、外に居たくない、という動機の方が強そうだ。
本日の兄者の服装は、胸元をフリルでフワッフワにしたタンクトップ……ではなく、キャミソールというらしい服の上に、デニムのジャケットを重ね着し、黒いロングスカートという、バリッバリに女の子の格好をしている。
「こんな格好、人にあんまり見られたくないし……」
なーだから早く早く、と言わんばかりに姉者の服を指先でつかみながらクイクイと引っ張る姿は、限りなく周囲におびえた小動物的で……こう、あれだ……すごく女の子だ……。
兄者の気持ちも分からなくもない。身体は女になれども心は男のままならば、女の格好をしていると、見た目はともかく主観的には女装してる感じで落ち着かないんだよな。
「えー? 大丈夫よ、ちゃんと可愛い女の子だから。ぜんぜんおかしな所なんてないわよ」
そういう姉者は紺色のワンピースの上に、胸元から肩まで布がない、オフショルダーっていう白い上着だ。
「そうだな。変にオドオドするより、胸を張った方が怪しまれないだろうよ。女が女の格好してるだけなんだからな」
『おいソレはツッコミ待ちか?』
二人同時にジト目で睨んでくる。な、何だよ。俺は別におかしな事は言ってないだろ?
「女なのに男の服着てるお前が言ってもなー」
「どの口で言ってるのって話よねー」
いやだって、仕方ないだろ。
今の俺の服装は、深緑のポロシャツにベージュのチノパン。元々は兄者が着ていた私服だが、お下がりで俺が使うことになった物だ。
身体の成長が早いもんだから、すーぐ服が小さくなるんだ。だから節約のために、タンスの肥やしになるであろう兄者の服を使うのは何処もおかしい所がない、極々自然な事だ。
それに、ほら。
「似合ってないか?」
「いや、それはまぁ、似合ってるけど……」
「なんか、すっごい着慣れてる感じ出てるけど……」
実際ポロシャツにチノパンなんて、男の私服の組み合わせとしてはメジャーな物だしな。前世のオッサン時代も休日はこんなもんだったし、慣れもするさ。
……なんて理由言えるわけもないのでーー
「ズボンと半袖なんて全部同じようなもんだからな。男物も女物もそう違いはないよ」
それより、早く入りたいんじゃなかったのか? と話を戻せば、そうだそうだ、早く行こうぜ。と兄者はクイクイ裾を店の方に引っ張り出した。
それに促されるまま、ガラガラと引き戸を開き店に入ると、あの中華屋独特の異世界感が広がってた。白い壁に黒い床。それだけならば普通なれども、壁に並ぶ渦巻きを繋げたような雷紋マークに、店内にならぶ真っ赤なテーブルが、ココが異文化の場所なのだと色彩で訴えてくる。
ラッシャーセー! お好きなお席にどうぞー! との歓迎の言葉に従い適当なテーブル席に座る。すぐ横にある、亜の文字を適当につなげたようなついたてを懐かしく思いながら、そのすぐ手前にあるメニューを取り、二人にも見えるように広げた。
「で、注文何にする?」
「オレはもう決めてきたぞー!」
「まぁ待て兄者、ネットには載ってない期間限定や新メニューもあるかもしれん。一度メニューを眺めてからでも遅くはないだろう」
それもそうかと、兄者もメニューの一覧に目を落とす。最近よくある写真付きのメニュー表ではなく、ひたすら名前と値段が並ぶだけ。年期が紙からも伺えるソレに視線を這わせるも、特にメニューに追加はないようだ。季節はずれに冷やし中華の文字はあれども、6月~9月と注釈付き。そういえば、こういう店だったなと思い直し、ほか二人の顔を見れば、どうも注文は決まったようだ。
「すみませーん」
呼べばすぐに「はい今うかがいまーす」と店員がメモを手にしながら来てくれる。
「ご注文お願いしまーす」
「たっぷりチャーシュー麺を大盛り!」
よほどラーメンが楽しみなのか、店員とはいえ余所の人にウッキウキで注文を告げる兄者。その顔からして、俺のチョイスは間違いではなかったようだ。
さて、俺はーー
「後、餃子一人前とチャーハンも!」
ーーッスー……ーー
「私は、味噌ラーメンとチャーハンで」
……なるほど成る程?
「俺はネギラーメンで」
俺の注文をメモし終えると、ご注文を確認します。たっぷりチャーシュー麺大盛り一つ、味噌ラーメン一つ、ネギラーメン一つ、餃子一人前、チャーハン二皿。以上でよろしいでしょうか。との復唱。それに俺たちが大丈夫ですと告げると、少々お待ちくださいと店員は奥に引っ込んでいった。
……で、待つこと10分少々。
店員がお待たせしましたとお盆に乗せていたラーメンをテーブルに並べる。兄者は待ちきれないと言わんばかりに、もう割り箸を割る構えまでしている。
卓上に並ぶラーメンは、ラーメンという名に反して、麺の姿を俺たちに見せない姿勢を取っていた。
兄者の目の前のたっぷりチャーシュー麺はドンブリの天井をチャーシューで完全に覆い隠してしまっており、一見するとただの山盛りの肉ドンブリだ。たっぷりの名に偽りはない。
姉者の味噌ラーメンはスープの色の濃さで中の麺が見えづらいだけではなく、たっぷり乗せられているモヤシがさらに麺を見せないようにしている。
で、最後の俺のネギラーメンは言わずもがな。ドンブリの上にこんもり盛られた焼きネギは醤油ベースのスープの透明感なんて知らぬと言わんばかりにそれ以外を見えなくしている。
さらに追加で運ばれてくるチャーハン二皿と餃子一皿。本日の緒山家の夕飯がココに出そろった。
「よし、食おう! いただきまーす!」
我慢の限界だと言わんばかりに兄者が箸を割り先陣を切る。それに続くように姉者と俺が箸を割る頃には、チャーシューをかき分けてその下から引っ張り出した麺を、レンゲも使いながらフーフー息を吹きかけ冷ましていた。
まず、一口。ズズズと音を鳴らしながらすすり、口の中に麺を送り込む。噛めばほんのわずかな抵抗の後、プチプチと切れる麺の触感と、麺に絡まり一緒に口に入ったスープの旨味。わずかに混じった、ネギのシャキシャキ感と風味もよい。
これだ。カップ麺や袋麺とは明確に違うこの心地のいい触感と味。保存性や調理の単純さ等を捨て、味だけを探求した店の味。口を動かす度に確かな幸せをかみしめる。
見れば姉者も目を細めながら二口目をすすろうとし、兄者は目をキラキラさせながら大きなチャーシューを食べようと口を大きく開けていた。
俺も続くかと、レンゲでスープをすくう。醤油ベースの透明感のある茶色いスープに、ネギが少量入っている。ソレを一緒に流し込む。しょっぱさと旨味と、ネギのほのかな苦みの爽やかさ。口の中で少しの間楽しんだ後に飲み込めば、吐息と共に口と鼻から抜ける、幸福感の残滓。
少し、気が急いてくる。もっとこれを味わいたいと脳からの指示を待たずに舌が騒ぎ出すような感覚に突き動かされるように、俺は麺をスープから引っ張り出す。
ソレは俺以外の二人も同じようだ。兄者は餃子の肉汁にやられたのかハフハフと必死に口に空気を入れて冷ましつつも咀嚼を止めず、姉者はチャーハンを口いっぱいに入れ、頬を少し膨らましながら堪能している。
これ美味しいね。来てよかったね。等の家族の会話だとか、そういうものが介在する隙は無さそうだ。俺もふくめて皆目の前の食事に夢中だ。
こうなってくると、後はひたすらに食う、食う、食う。言葉はなく、麺やスープをすする音や、レンゲが皿に当たる音ばかりがテーブルに響きわたる。そうなれば見る見る内にラーメン、チャーハン、餃子は消えていき、十数分後には
「ふあぁ~……ごちそうさま~」
大変満足した。言葉にせずとも顔を見れば分かる程の満面の笑みで、スープもほぼ消えたドンブリを姉者は机に下ろした。隣の皿のチャーハンは米粒一つ、具一つとして残っておらず、ラーメンも底の方に汁がちょっと残っているだけ。気持ちのいい程の完食である。
「って、アンタはとっくに食べ終えてたみたいねぇ」
空になったドンブリの横に肘をつきながら水をチビチビ飲んでる俺の姿を見て姉者は言う。完璧な食後のくつろぎフォームから、食後数分は経ってるのが見て取れるのだろう。
「アンタ結構食べるのに、やっぱラーメン一杯じゃ足りなかったんじゃない?」
「まぁ確かにまだまだ腹に入る余地はあるけども」
ん、と俺は横をアゴで指す。
「ん……んぐ……んん……」
兄者はまだ食事中だった。
頬はリスのように膨れ上がり、だが咀嚼の様子は弱々しく遅い。食べ始めの頃の勢いの良さは完全に死んでいた。
ラーメンからチャーシューは無くなっているが、スープを吸い始めた麺が膨れて自己主張を強めている。チャーハンは半分程残っており、餃子にいたっては3分の2が手つかずだ。
まぁつまる所、兄者はもう限界だった。
「お、おかしい……これぐらい、昔は腹がパンパンになっても、食べきる事は出来たのに……」
口の中を飲み込めないまま弱々しく言うが、そりゃ当然だろう。
「そりゃ男子高校生が欲望のまま考えなしに注文したかのような量を、その小さい身体で食い切るのは無理だろうよ」
「い、言われてみれば、女の子でその量は無理よねぇ……」
姉者も今更気が付いたらしい。
現在の兄者はだいたい12歳から14歳ぐらいの女子の身体。元の成人男性とは腹の容量が同じなんて事が有るはずも無い。
フー、フーと口を満タンにしたまま荒い息を吐きながらも、食事の進まない兄者。となれば仕方なし、ココは助けを出すべきだろう。
そのために俺は、明らかに足りない量の注文しかしなかったのだから。
「ほら兄者、残りは任せろ」
そう言って兄者の前にある残ったラーメンとチャーハンと餃子を皿ごと自分の方に寄せる。
「アンタ、これを予測して自分の注文を少なくしたの……?」
「まーねー」
再度手を合わせていただきます。
まずは汁を吸い始めているラーメンから。こうなってくると味の劣化が早いコイツを優先的に食べきる。
スープを吸って味の濃くなった麺をすする。若干噛み応えが悪くなっているが、まだ大丈夫。十分美味しく食べられる範囲だ。
他の具やスープには目もくれない。とにかく麺だと、すすり、口の中で咀嚼している間に次の麺を箸で取る。もう必要もないのに空中で上下させてスープを切りつつ空気にふれさせることで麺を冷ます動作をし、飲み込んで空になった口にすかさず麺を入れる。
元々兄者も半分ほどは食べていたのか、5回ほどそれを繰り返せば麺はなくなった。
次だ。
箸からレンゲに持ち替え、チャーハンに挑む。もう冷ます必要はない。麺が消えた口の中にすかさずレンゲの中身を放り込む。
美味い。やはりチャーハン、多少冷めた所で味はほとんど落ちてはいない。そのまま中華味に彩られた米を咀嚼し、飲み込み、また放り込むを繰り返し……間で餃子を挟む。
うん、やはり良いな、この組み合わせ。男の欲望詰め合わせセットというか、自制心をかなぐり捨てた献立というかさ。兄者のお残しとはいえ、心が満たされていくのを感じる。
最後の餃子を放り込み、そして最後に残ったラーメンの汁を、ドンブリごと持ち上げて飲み干していく。
ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らし……流石に全部は飲まない。醤油ベースのスープでも、底が透けて見えるぐらいでフィニッシュ。
「……ふぅー」
大、満、足。
背もたれに身体を預け、余韻を楽しむように深呼吸しながら、欲望を詰め込み膨れ上がった腹をさする。
「おおぉ……食いきった……」
「いい食べっぷりだったわよ」
小さく控えめな拍手が二つ。兄者と姉者が感心した目で俺を見てくる。それに「どーもどーも」とでも言うかのように手を上げて応える。
「いや、ホント助かったよカンナ……注文しておいて半分も残すのはちょっと心苦しかったからさ……」
「まぁ注文聞いた時に、こうなるだろうなって思ったからさ」
どう見ても今の兄者の体積に収まる量じゃなかったからね。
「じゃあ食べ終わったし、お会計済ませるわね」
すみません、お会計ー! と、姉者は財布を取り出しながら店員を呼んだ。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
「あー、苦しーっ!」
店を出た後、膨らんだ腹をさすりながら苦しそうに、しかし幸せそうに兄者が言う。
「美味いを腹に詰め込むってのはやっぱ良いよなー」
「お兄ちゃんが満足いったようで良かったよ」
いやしかし、確かに美味かった。記憶通りの味だったが、久々に食べたせいか味以上の満足感を感じられた。
「兄者、他に食べたい物とかはあるか? 今ならたいがいの物は久しぶりな味の補正込みで食べられると思うが」
「ん~、今は食べ物は良いかなー。というか満腹になったから、とっとと帰って横になりたいよオレは」
まぁそりゃそうか。物を食った後は眠くなるものな。胃に血液が行くからかね?
「あ、寝ちゃう前にお風呂に入ってね? お兄ちゃん一回寝るとなかなか起きないんだから」
「へーへー、分かりましたー」
……しかし、安心した。
意外にも、兄者の外への忌避感というか、恐怖心はそれほど大きい物ではなかったようだ。まあ原因が、姉者と俺とのスペック差から来るコンプレックスであろう事から、元々知り合いに出くわす事が無い場所だったらそれほど問題無かったのかもしれないが。
「……しかし、こう膨らんだ腹を見ると……フフ、下品かもしれんが、なんかボテ腹みたいだな」
「一応言っておくと、ボテ腹ってのは膨らんだ腹を表す言葉でそのものにエロい意味は無いからな」
「二人とも往来でなんて会話してんのよ」
締まりのない顔で腹をさする兄。澄まし顔でエロゲ脳を指摘する末妹。そんな二人にあきれる姉。
ちょっと形は違えど、何時かはと夢見た兄妹の姿が、ココにあった。
だから、ちょっと願ってしまう。
このまま兄妹、三人で、なんて事を。
という事でラーメン回。
外出できるようになり、かつそれほど日にちが経ってない時じゃないと成り立たない話という事で作り始めたこの話。一から作るのは結構な難産でしたね。なんか毎回難産してるな私。
原作改変だけじゃなくて、ちょくちょくこういう話も入れていきたいですね。