といっても、今回のはアニメで未回収だったお話の要素をいくつか改変してつなぎ合わせて作ったお話なので、完全オリジナルとは言えないかもですが。
まぁそれもこれも、全部緒山が悪いんだ……
……え、原作に「緒山が悪いんだぞ……」ってセリフが無いってマジですか。
ep006 まひろとネトゲとお姫様
誤解を恐れずに言うならば、兄者は引きこもりのニートである。
NEET。Not in Education,Employment or Training.
つまり、就学、就労をせず、職業訓練も受けていない者。特にここでは若者を指す言葉だ。
さらに言うならば、家事、介護等をしていないという点もふくまれる。この場合、家事、介護が労働に該当するのだろう。
その上で兄者の現状を言うならば、学校や会社に通うでもなく、さらに手に職を付ける様子もなく、家から出ないのに、家のことを何もしない人間。という言葉だけ聞くとどうしようもない駄目人間のようである。良いところは沢山あるのだが。
そんな状態を2年続けてきた兄者だが、ここにきて動きがあった。
「みはりー、トイレ掃除終わったぞー」
そんな言葉が、幼さ残る声で緒山家に響きわたる。
「はーい。確認するから、次はお風呂掃除お願いねー」
「えー!? まーったく人使いの荒いこった!」
姉者がソレを当然のように受け取り、追加の仕事をふる。兄者はソレを不承不承といった様子で引き受けたようだ。
これが、学校から帰ってきた俺の目に飛び込んできた光景である。
い、意味が分からない……。何故いきなり兄者が家事をするようになったというのか……。
「あれ、帰ってきてたの? お帰りカンナ」
トイレ掃除の確認のためか、2階から降りてきた姉者が俺に気がついたようで声をかけてくるが、俺の表情がドコかおかしかったのだろう。
「どうしたの? そんな信じられない物を見たような顔して……」
「……いや、そりゃだって……兄者がトイレ掃除って……」
あーなるほど。と納得いったように姉者が洗面所の方……トイレと風呂の入り口の方へ視線を向ける。
「どーにも欲しい物が出来たみたいでねー。お小遣いをせがまれちゃって。で、お金が欲しいなら働きなさいってことで、家事をちょっと任せてみたのよ」
そんな……あの兄者が、主義を曲げてまで欲しがるもの、だと……?
何だ? 新しいエロゲ……は、ないか。兄者はまだ自慰で致せば頭が壊れると信じてるらしい。兄者の部屋のゴミを分別しても、痕跡が出てこなくなって久しい。
ほかには……この時期売り出す物ってなると……エルデンリングか? フロムの毒沼に沈んでしまったのならば分からなくもないが……ハードは問題無いだろうから、兄者の小遣いならば無理せず買えるだろう。
というか、ゲームソフトならばこれまで通りの小遣いで足りるはずだ。となれば新ハードが必要になるようなゲーム……。
「成る程、VRのフルトラッキングか……」
「途中計算式がどんなもんだったのか気になるところだけど、たった三千円だからたぶん違うわよ」
「三千円?」
何でそんな額を? それぐらいなら日々の小遣いでやりくりすれば十分捻出できそうなものだが……。
「何に使うのか気になるなら、トイレの掃除の出来を確認するついでに聞いてきたら?」
まぁそれもそうか。ここで予想を空回りさせるよりも手っ取り早い。
洗面所に入ると、入って左側、風呂場の方からは掃除しているであろう、シャワーの音がする。
真面目にやってるようだなと、右側、トイレの方へと。入れば一見綺麗な様子。まぁそりゃ、汚れがたまる前に掃除してるし、さっき兄者が掃除したばかりなのだ。
……だがしかし、と、俺は掃除道具に視線をやる。やはりというか、普通のブラシは使った形跡があるがしかし、便器のフチ裏を洗う用のブラシに使った形跡が無い。おそらく、なんのためのブラシかも分かってなかったのだろう。
で、次に壁。嗅いでみるが、薬品の臭いがしない。おそらく掃除していないか、やっても水拭きの後に乾拭きした程度なのだろう。
そしてしゃがんで便座の裏。指で触れば、うっすらとホコリが。ここは掃除してもいないようだ……。
まぁだがしかし、とフタを開いて便座の中を見る。
綺麗な物だ。白いソコを指でこすればキュッキュッと耳心地のいい音を返してくれるであろうほどに丁寧に掃除されている。便座の方も、こっちは手で撫でればすべすべした触感。こっちも洗剤は使った様子がない。
……うん、合格でいいんじゃないかな? 初回だし、説明とかも受けずにコレなら十分といっていいだろう。できてない所は後日俺がやればいいわけだし、その時もろもろ説明しよう。
さて兄者のトイレ掃除に合格印を押したことだし、此度の動機を聞くとしようか。
「兄者、ちょっといいか?」
トイレから洗面所、脱衣所と移動して、風呂場の扉を開けば、兄者がシャワーでお湯をかけながらスポンジで風呂釜をこすってる所だった。
「おぉ? 何だカンナ」
「いやなに。いつもは労働を拒否する兄者の、此度の心変わり。いったいなにがあったのかと思ってな」
俺の質問に、なんだそんな事か、と兄者は自分のポケットからスマホを取り出す。いくつかの操作の後、こちらに見せてきた画面には……
あー、なんだ? その、これは……
「兄者、コレはなんだ?」
「見ての通り、水着だよ水着!」
兄者はキラキラと輝く、曇り無き眼でそう言ってくるが……俺にはどうにも、それが兄者の言う"水着"とは思えなかった。
それはおそらく、ゲーム内のアイテムを紹介する画面なのだろう。真ん中に大きくそのアイテムのグラフィックがあり、四隅にはそれぞれ名前やレアリティ、性能とか説明文とか、そういう物が散らばっている。
問題はその見た目である。確かに、水着と言われればそうなのだろうなと思える所はある。ベースは、スクール水着に似ている形の水着……コレをなんというのかは知らないが、胸元から股をV字に覆う黒い布に、それを支える肩紐で作られたソレ。
だがなんだその柄は。何で胸と股の所に白い十字架マークが入ってるんだよ。さらに腹の所は十字架に切り抜かれてるっぽいし。とてつもなく宗教観アピールしてくるなこの水着。
それだけでもおかしいんだが、追加で装飾がある。二の腕まで覆う黒い布のグローブに、太股の中程にまで達する黒い足袋。両方とも所々に白い十字架の装飾がある辺り別の所から取ってきたんじゃなくてセット商品であろうことが読みとれる。
ま、まぁいい。ここまではいい。布の質感的に水着と同じ素材であろうことから、まー太股と肩を出してるダイバースーツみたいなものと思えば装飾の自己主張に目をつむれば分からなくもない。
……何で水着自称してるのに、シスターベールがついてんだよ。腰には前だけ布がないロングスカートがなびいてるし、両方所々金細工みたいな物がついてる。絶対水に浸かる服につけるものじゃない。
そんでもって名前であろう物が「清らかな修道女の水着」となっており嘘つけバカ野郎ってな物である。こんなヒラヒラ大量についてる水着があるか泳ぎづらいわ。後金細工はないだろう取っ払え。それとこんな体のラインを見せつけるような服装を清らかな修道女が着るわけないだろアホか。
もちろん現実の物ではない。ゲーム画面だ。ゲーム内アイテムだ。それは分かるんだが……こうもツッコミどころだらけだと困惑が先に来る。
「カワイイだろこの水着! 今やってるネトゲのガチャで出てくる限定装備なんだけど、小遣い突っ込んでも出なくってさー。でもどうしても欲しいから、家事の手伝いして追加のお小遣いもらおうと思って!」
……俺には理解できない代物だ。だがしかし、その功績は称えるべきなのかもしれない。たとえバカみたいなゲーム内装備であろうと、それを手に入れるために、家事手伝いとはいえ兄者の労働意欲を奮い立たせたのだから。
「あ、そうだ。カンナ、後でちょっと手伝って欲しい事があるんだけどいいか?」
「なんだ? 掃除のレクチャーとかなら今すぐでもいいが」
「いや、そうじゃない。まー後で説明するよ」
……気にはなるものの、まーそう悪いことにはならんだろう、と、この時の俺はスルーして、この場を後にした。
兄者の月の小遣いは五千円である。コレは高校生の頃から変わらぬ値段だ。十代後半としてはそう過不足ある金額ではなかっただろう。ゲームソフトも安い物なら月に一本。フルプライスなら二ヶ月に一本買えて、さらにお釣りが来るほどだ。
しかし兄者が引きこもりになるに当たり変わった点がある。支給方法である。
何せ家から出ない兄者に現金を渡したところで使いようがないのだ。だって部屋から出ないのだから、店頭に行って現金を渡すというプロセスを踏めない彼には無用の長物となり果てる。
故にまひろに対するお小遣いは、電子マネーのチャージという形に切り替わった。コレでネットサービスを受けたり、通販サイトで買い物したりして過ごしていたのである。
「はい、お兄ちゃん。頑張って家事してくれたお小遣いだよ」
「いよっし! 主義を曲げてまで働いて得た金……うぅ、喜びもひとしおだなぁ……」
そんな兄者だが、今彼の手には三枚のお札、三千円が手渡されていた。手に持たなくなって久しい、現金である。
「もーうっかりさんだなー、みはりはー。オレに現金渡した所で使えないじゃんかー。電子マネーで渡してーー」
「自分で買ってきなさい」
あっはっはご冗談をと言わんばかりの兄者に、かぶせるように姉者は告げる。その目はマジである。
「……え、いやだって、そんな……今までは電子マネーでくれてたじゃんか……それが何で……」
「お兄ちゃん、残酷な事を言うようだけど、たかだが家のトイレとお風呂掃除しただけで、三千円なんて手にはいるわけないでしょ?」
そ、そんな……と兄者はショックを受けているが、まぁこれは姉者が正しい。
兄者の家事労働だが、ハッキリ言えば値段に対して労働が軽すぎる。トイレ掃除、風呂掃除に目一杯時間をかけたとしても、三時間もかからないだろう。つまり、時給換算で千円以上。アルバイトとしても結構高めな時給であり、そして兄者の仕事に、そこまでの価値はない。
ならば追加の付与価値が必要になってくるわけだが、ソレがコレだ。
引きこもり気味の兄者に、強制的にお出かけさせること。
成る程、確かに兄者が一人でお出かけするためとなれば、俺だって快く懐からお札を取り出すだろう。
「外に出るって言っても、すぐそこのコンビニに行くだけよ。走ったり遠くへ外食に行くより、敷居は低いんじゃない?」
「う、うぅ……あ、そうだ、カンナ!」
「スマンが兄者、今回は俺も手を貸せないぞ」
皆まで言わさずピシャリと言い放つ。すまん兄者。だが少なくとも、兄者の社会復帰のためのリハビリとしては、ちょうどいいハードルだと俺も思うのだ。
「か、か弱い女の子放り出すって言うのか! おに! あくま!」
「日本の治安なら余程の事でもない限り大丈夫だから、安心しろ兄者」
「そうそう。私たちか弱い女の子でも平気で出歩けるんだから問題ないって、お兄ちゃん」
「いやオマエラがか弱いなんてことはない」
なんですって……みたいに姉者は頬をひきつらせているが、まぁこれは兄者が正しい。
言っちゃなんだが姉者は身体能力においてはエリートである。実際中学陸上女子の記録保持者でもあるのだ。その辺の男じゃ相手にならん。
俺も俺で、実の所運動能力は悪くない。まぁせいぜいが運動のできる男子高校生程度の物だが、一般平均よりは上であるという自覚がある。
結論、フィジカル上澄みの俺らが、か弱いなんてことはない。
「とーにーかーく! 何言われたって、私たちは一緒に行かないからね! そのお金でガチャ回したいなら、コンビニで買ってきなさい」
いいわね!? とだめ押しをする姉者に、兄者は三千円を握りしめたまま「うぅ……うぅ……」とうめき声を上げている。おそらく今兄者の中では、社会に対する不安やら恐怖やらと、あの頭のおかしいデザインの装備が押し合いの勝負をしていることだろう。
途中こっちを見てくるが目をそらして、救い? ソコに無ければ無いですね。と態度で返す。
しばらく三千円を見たり、俺や姉者の方を見たりするも進展はせず……そのまま数分が過ぎていき、結局。
兄者、出陣。
服を着替え、体を不安にふるわせながら準備すること数十分。蚊の鳴くような声で「行ってくるぅ……」と玄関扉をくぐっていったのが、今より十数分前。
ただいまぁ……。と、どこか疲労を口から吐き出したかのようなか細い声と共に兄者は玄関扉をあける。
「おう、お帰り兄者」
「どう? ちゃんと買えた?」
「いや何でお前ら玄関で待ちかまえてるんだよ!?」
そりゃ兄者を心配してってのと結果を一刻も早く知りたいからだよ。
で、どうなの? と姉者が重ねて聞けば、兄者はポケットからカードを取り出す。端の方に3000の文字が記されたそれは、間違いなくプリペイドカード。
俺と姉者は無言で拳をつきだし、ゴツッとグータッチを交わす。緒山の勝利である。
「おめでとう兄者」
「うんうん、やったねお兄ちゃん!」
「ま、まぁ、オレも本気を出せばこんなもんよ……」
どこか照れくさそうに、されど誇らしそうにドヤる兄者。
たかがお使い。コンビニに行って買い物してきただけ。一般的には当たり前に踏み出す小さな一歩なのかもしれないが、緒山家にとって、これは失われた二年を取り戻すための大きな一歩の一つと言えるだろう。
「あ、そうだ。カンナ、ガチャ回したいからちょっとオレの部屋に来てくれね?」
……ん? ガチャ回すのに俺が同伴するの?
「別にかまわないが……俺がその場に居る必要があるのか?」
なんか言い方からして、俺が居ないとガチャを回せないみたいな話に聞こえるのだが。
「あぁ、お前の助けが必要だ」
その兄者の一言は、普段の物より低い、真剣味を帯びた物だった。
兄者の部屋は、一言で言えばオタク部屋である。
壁には漫画本や薄い絵本の並ぶ本棚。色とりどりのビショウジョフィギュアが並ぶ棚。他にもニュースなんて映さず、アニメかゲーム画面しか映していないであろうテレビにゲーム機。
そして結構ゴツい外観の、小型という言葉をかなぐり捨て、処理能力等を積めるだけ積んだかのようなデスクトップパソコン。
そんなオタク部屋である兄者のパソコン周りが、今異様な雰囲気を醸し出している。
「……兄者、何でエロ本が、こんなに散乱してるんだ?」
まるでパソコンを取り囲むように散乱する薄い本の一つを手に取る。表紙には……えー、シスター服みたいなハイレグ衣装の女性が、マジでアダルト五秒前な状態の表紙の本……。
「それは触媒だ」
「触媒……」
「ガチャを引くとき、その引く対象に縁のある物を配置することで、引ける確率が上がるらしいんだ! とあるゲームの召喚で、召喚対象にゆかり有る品物を使うことで、狙った物を引き当てようとする行為から来ている由緒正しい作法なのだ」
知ってるよ。ソレ元ネタエロゲだろ。ドコが由緒正しいんだよ。
「……この、横のタブレットで流れてる……動画じゃねーな。ライブ配信か。これは?」
「コレは陸塚ジェネビック教って言って、このVTuberの配信をつけながらガチャを引くと最大レアが出やすくなるのだ。実際にSSRを引いたって報告が多数あがってる実績のある作法なんだぞ」
なんの関連性があるんだよ。見た感じ、配信でやってるの全然違うゲームっぽいんだけど。どう見たってマインクラフトだぞ。
後その実績、SSRが出てない奴は報告してないだけで、確率変わってないんじゃねーか?
「……その、この絵は?」
キーボードの所に置かれているペラ紙を手にすると、そこには黒い固まりのような物が描かれている。線や塗りの荒さから、おそらく兄者の手書きのようだが。
「それは描けば出る教のイラストだ。文字通り、出したい対象のイラストを描き、それを触媒とすることで確率をあげる物だな」
それってイラストを描くほど好きだから、出るまで回すような奴がイラスト描いてるってだけなんじゃ……。
「……それで、俺は何で呼ばれたんだ?」
「物欲センサーを回避するためだな。俺の『清らかな修道女の水着』を欲しいという気持ちをゲーム側が察知し、確率を下げられないようにするために、お前にガチャを引いてもらおうってことだな」
まさかの俺までこの変な験担ぎの一部にされようとは……。いやまぁ、物欲センサーは俺でも知ってるが……。
「あ、そうだカンナ。さらに確率上げるために水着姿になって来てくれね?」
「何を言ってるんだ兄者」
ホントに何を言っているんだこの兄者は。
「触媒の補強だよ! ちょっとでも確率上げるためだから!」
な? な? と両手を合わせてコチラを拝む兄者のおねだり攻撃。
いや、まぁ……仕方ないか。コレが兄者のラストチャンス。出なかった時、俺が水着を着てなかったからだ、なんてことになっても大変だ。
ちょっと待っててくれ。と言い残し、自分の部屋へ。クローゼットの中の季節物をあさり、去年着ていた水着を取り出す。
「……着たくねーなー、コレ」
正直、水着は苦手だ。なんというか、元男がコレを着ると、変態度がめちゃくちゃ跳ね上がる気がする。特にこの、スクール水着って奴は犯罪級だと思う。
おじさんのスクール水着姿。
とんでもねー字面だな。警察が聞けば逮捕待った無しだ。
まー家の中だし見せるのは兄者だけだと、自分を納得させ水着に足を通す。若干足が成長したせいか、ふともも辺りでちょっとキツかったがなんとか通る。うー、股の所がパッツンパッツンだぞ……。
そして胸元まで引っ張り、肩紐を……通す……。
「……言われた通り、着てきたぞ」
「おぉ、待ちわびたぞ!」
部屋に入ってきたカンナの方に視線を向けると……
(うわキッツ……)
我ながら滅茶苦茶失礼な考えが浮かぶ。
いやでも、だって、どう見たってイケナイDVDのパッケージみたいなんだもの……。
「ま、見ての通り、入りきらなかったんだが……別に問題はないだろ? ガチャ引くだけなんだし」
「う、うん……まぁ大丈夫、だけど……」
確かにガチャ引く分には支障ないけど……その、この絵は駄目だと思うんだお兄ちゃん……。
カンナは言葉通り、水着が入りきらなかったのだろうが……その結果、スクール水着の肩紐はつけられておらず、二の腕の横で所在なさげにプラプラ揺れている。そして肩紐が機能してないということはスク水はズリ落ちそうになるわけで、その対策か、胸元の布を精一杯上に引っ張っているが、乳の上部分が見えてしまってる。
結果、妹のいかがわしい絵の完成である……どうしてこうなった。
(い、いや、ここまで来たらさっさと引いてもらってすぐ着替えてもらった方がいいな)
この格好でしてもらう事はただワンクリックするだけだ。十秒もあれば終わること。早々に終わらせるが吉だ。
「よし、じゃあカンナ。早速こいつをクリックしてくれ!」
時は来た。パソコンのモニターにはオンラインゲームのガチャ画面が表示されており、上には「ピックアップ! 清らかな修道女の水着」とある。俺はとりあえずソコにある「10回ガチャ」をクリックした。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
今の私は、お姫様だ。
波打ち際、広がる砂浜。そこを歩くカニの姿。
一見すればおかしくない光景だが、しかしそこに、人間を添えると途端に異様さが浮かび上がってくる。
そのカニが、すぐそばにいる人間からすると、見上げるぐらいに大きいという異様さが。
「タゲ取ります!」
「ブレイドラッシュ!」
「回復投げます!」
そしてその巨大カニと対峙する男が三人、短い言葉を投げ合っている。
鎧の男が盾を構えながら一瞬光ると、巨大カニのハサミがその男に向かって振り下ろされる。
そこの後隙に別の男が躍り出て大剣を、その見た目の重量からは考えられない速度で振り回す。
そんな戦士二人からちょっと離れた位置から、学者風の男が薬瓶を鎧男に投げる。瓶が割れると鎧男が光り、頭上に回復を示す緑の数字が踊る。
ネットゲーム。ネット回戦越しに、同じフィールド上で、複数人が集まり遊ぶゲーム。
ジャンルとしてはRPG。一人一キャラクターを操作して、集まってパーティーを組んだりして協力し、モンスターを狩ったりして遊ぶゲーム。まぁつまり、王道をいくファンタジーRPG形のネトゲというわけだ。
「回復足りない!」
「SP枯渇したもう打てない」
「ストック後わずか!」
そしてコイツらは、姫である私の騎士であり、取り巻きであり、盛り上げ役だ。
三人とカニから少し離れたところ。そこに、ゴスロリをまとい、ピンクの髪をお団子ツインテールにした、可愛らしい私がいる。
髪をなびかせながら、杖を手に持ち、足下の魔法陣を回しながらブツブツと詠唱をする。その足下に表示されたゲージがMAXになった時、カッと目を見開き、杖の先をカニに向けた。
「ライトニングジャベリン!」
私の周囲に電撃の槍が三本現れ、それが次々と巨大カニに突き刺さる。弱点属性を突いたことを示すWEAKの文字と大きな数字が現れ、カニのHPゲージが一気に減る。
こうやって、取り巻き三人が前で壁やって場を整えている間に、私が大技をぶち込んで敵を倒す。私のために、男三人が体を張る。コレがうちのパーティーの基本スタイルで、必勝パターンだ。
だがしかし、耐えた。
巨大カニのHPは大分削れて、一割未満。だがまだ倒れない。
「大技無理!」
「倒しきれん!」
「間に合わない!」
くっそ、間に合わないか。
チャットには打ち込まず、現実の口から悪態を打つ。
多分だが、このカニは倒せる。大魔術じゃなかろうとも、後一撃私の魔法を打ち込めば、流石に耐えきれないだろう。
だが私が魔法を詠唱している間に、前の三人は大技や範囲攻撃で二人か三人沈むだろう。そして私が魔法を入れて終わりだ。
だがこのゲーム、戦闘終了時に戦闘不能状態のキャラには経験値が入らないシステムだったりする。この巨大カニは経験値的にけっこうおいしいボスだ。できれば全員生存で経験値を持って帰りたい。
しかし巨大カニはそんなコチラの思惑は知らんとばかりに、無慈悲にもハサミを振り上げる。
ターゲットは壁役の鎧男。おそらく、あの攻撃を受ければHPがなくなりダウンだ。
仕方ねぇ……経験値は惜しいが、このクエストをクリアするのを優先としよう。そう踏ん切りをつけた時。
「エリアヒール!」
画面外から吹き出しが飛んでくる。
すると前衛の三人が光につつまれ、減っていたHPが大きく回復していく。
「アーマーブレッシング!」
続いて鎧姿の男に、光る盾のようなエフェクトが現れ、HPバーの上に防御バフを受けたことを示す盾のマークが現れる。
「ありがとう!」
「ありがとう!」
「ありがとう!」
すかさず定型文の感謝のチャットが前衛三人から飛ぶ。私もそれに「ありがとう!」と続いた。
私は離れた位置に居たせいで画面内に相手はいなかったが、それでも感謝を送る。こういう所で礼儀をおこたると、後々言われて面倒くさいのだ。
「私はこれで。サラダバー!」
そんな誤字を残して、通りがかったヒーラーの人は去っていったらしい。結局私は魔法詠唱で動けなかったから、その人を見ることはかなわなかった。
「ふーはははは、辻ヒール成功だー! そーれ逃げろー」
「流石だな兄者」
その後は消化試合。HPが大回復した前衛三人を短時間で削りきる火力は巨大カニにはなかった。アッサリと耐えきり私の詠唱時間を稼いで、魔術を叩き込んでトドメとなった。
フッ、雑魚が。私の火力の前ではお前なんて秒だぞ秒。
「おつかれさま!」
「硬かったなーあのカニ」
「なにはともあれクエストクリア。報告行きましょう」
そして、戦闘終了後の雑談タイムが始まる。
「いやしかし、やっぱ姫様の火力はやっぱすごいよな。敵のHPの減りが全然違うよ」
「それな。弱点突ける、火力職、火力特化構成」
「うちの火力、半分以上は姫様だもんな」
そう、これ。この男たちが私を褒め称えるこの時間。この時間が一番空気がうまい。
「えー? でも火力以外はみんなに頼りっぱなしだし、みんなもすごいよー」
なーんて、周りの奴らもヨイショしておく。流石私だ性格もいい。
まーでも? 狩りってのは相手のHP削ってこそですし? その点火力貢献っていうのはもっとも重要な物であって、それが一番な私は実質このパーティーのエースなわけですよ。つまり私が一番偉い。
充足感を胸に、クエストの達成報告のために移動をする。といっても私は仲間に追従モードにして、チャットで皆に褒められながらだが。
と、そんな足が途中で止まった。
何かあったのかとチャットで聞こうと打ち込んでいるとーー
「あの人さっきのヒーラーの人じゃね?」
そんな一文が飛んできた。
さっきのヒーラーっていうと、カニ相手にしてた時に辻ヒールとばしてそのまま去っていった人だろうか。
さっきはポジションの関係で見れなかったが、どれ、一目拝んでお礼ぐらいはしてやろうと、カメラの調整をすればーー
な、なんだアレは……えっろ……。
チャットに打ち込むことも忘れ、呆然とそうつぶやいてしまった。
そこには痴女がいた。
黒いレオタードみたいな服装に、前を隠さないスカート。手足はロンググローブとニーソックスみたいなので隠しているが、これはむしろ体のラインを出しつつ太股と肩を露出していると表現するのが正しいだろう。そしてシスターベールと、胸部の十字架の意匠とお腹の十字架の穴で、私、神に仕えてます。とアピールしてるが、そのエロい衣装で聖職者は無理があるだろ。
そういえば見たことがある気がする。確かガチャのピックアップかなんかで、夏に合わせた水着衣装が出ていた筈。頭の悪い装備だなーとゲラゲラ笑った記憶があるが、身につけてるキャラを見るとインパクトがすごいなおい……。
「まさかこんなすぐ再会できるとは」
「ちょうどいいや。さっきのお礼言っておこうか」
「そうだな」
そんな流れに、あれよあれよと私のキャラはパーティーについて行く形でその痴女に近づいていった。
「さっきはヒールありがとうございます」
仲間からメッセージが飛ばされる。痴女……頭上のプレイヤーネーム、マヒロは、それに数秒してから気がついたのか、キャラをコチラに向けてきた。
「あっちゃー、見つかっちゃいましたか。逃走失敗」
エロい格好してるくせに、チャットは丁寧口調なんだな。
常識人ぶりやがって。と思いつつ、私もお礼のチャットは送る。
「ホントにありがとうございました。うちのパーティー、回復職が居ないので助かりました」
「いえいえ。死に戻りしてない感じ、無事倒せたようで良かったです」
うちのパーティー構成は、火力特化の魔術師の私と、タンク、剣士、錬金術師の3人。計4人の中で、回復技を持ってるのは錬金術師だけ。しかも専門職ではないので、その回復力はお察し。その結果戦闘不能者が出やすいというのは確かだ。
「あ、そうだ。マヒロさん、うちのギルド入りませんか?」
唐突に、取り巻きの一人がそんな事を言い出した。
「さっき姫様が言ったように、うちは回復が居なくって……入ってくれたら、狩りも安定すると思うんです」
おい、おいおいおいおい、何を言い出すんだコイツは。
今まで私がさんざん可愛さを振りまいてやったというのに、エロい女が現れたらそっちにすぐ尻尾振ろうってか?
私の荒ぶる内心とは裏腹に、何も入力されてない私のキャラは会話を聞きながらも澄まし顔でそのやりとりを見ていた。
やれ「入ってくれたらすごく助かる」だとか「前衛には自信があるから、守ってあげる」だとか。挙げ句の果てには「可愛い子は大歓迎」ときた。コイツら女なら誰でもいいのかクソが。
しかし、ここで機嫌を悪くしたら私が性格の悪い女みたいになってしまう。かといって、このままこの状況を静観してたら、私のギルドに別の女が入ることになる。ソレはまずい。
……と、なれば。
「こら、皆。勧誘に熱心なのはいいけど、そんな三人で詰め寄るようなやり方は関心しないよー?」
「おっと、すみません。つい……」
「ゴメンねー、マヒロさん。みんな押しが強くて。待望の回復職だし、可愛いキャラクターだから、つい勧誘に熱が入っちゃったみたい」
そう、あくまで、たしなめるにとどめる。
「確かに入ってくれれば助かりはしますけど、無理して入らなくてもいいんですよ? プレイスタイルは人それぞれですし。回復が居ないのは、あくまでコチラの都合なので」
入ってくれ入ってくれと、己の都合を騒ぎ立てる男共と対照的に、あくまで相手の都合を聞いて、それに合わせるように。こうすることで、気遣いのできる女を演出しつつ、断りやすい空気を作る。
さぁ、後はお前が「ギルドには入りません」と言えばーー
「その、お試しで入ってみても、いいですか?」
男どもの歓声がチャット欄に流れるのを見ながら、私はしばらく動けなかった……。
何で? 断れる空気作ったよね? なのに、何で……クソがぁ……。
「ソロの方が気楽だけど、火力がなくって狩りが大変なのは実際そうだったからなー。それに、求められて気分がいいのは事実だし……」
「大丈夫か兄者。あまり知らない人の輪に入っていくのは苦手な方ではなかったのか?」
「ん~、まぁネット回線越しだし、合わなかったら抜ければいいだけだし……それに、ほら、この娘がすっごい気を使ってくれるからなんとなるかなーって」
「そうか。良かったな兄者」
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
最悪だ……。
ほんの数日前まで、ここは私のギルドで、私はギルドのお姫様で、皆にチヤホヤされて、いい気分でネトゲをやれていたというのに……。
「さっきはサンキューな、マヒロ」
「状態異常を使う敵は今まで避けてきたけど、マヒロの回復のおかげでどんどん狩れるぜ」
「やっぱ回復職がいると安定しますなー」
今では皆、マヒロの方ばかりを褒めたてる。
確かに、マヒロが入ってから狩りは安定した。HPの回復があるだけで、前衛の耐久力はめっちゃ延びた。
だがしかし、今でもまだパーティーのメイン火力は私なのだ。モンスターを一番狩ってるのは私で、つまりは一番活躍してるのは私だ。
だというのに最近のコイツらときたら、チャット欄に流れるのはマヒロに対する感謝やら褒め言葉ばかりだ。お前ら私の取り巻きだろうがコラ。
「お疲れさま。皆のおかげで、攻撃に集中できたよ。ありがとうね」
だがその不満を文字にはできない。ソレをチャット欄に流した途端に、私はマヒロに嫉妬するイヤな奴にされてしまう。
故に皆に感謝の言葉と共に、攻撃という自分の貢献ポイントをさりげにアピールする。
……だというのに「姫様もお疲れさまー」や「いやーそれもマヒロの支援のおかげだよなー」だとか「やっぱ可愛い子が居るとやる気出ますよねー」なんて……何だオイ。何で誰も私を褒めない。後可愛い子が居るとって、私も可愛いだろうが。
「ヒヨリンさんもお疲れさまです。攻撃すごかったですよね。もうモンスターが一気にバンバン倒されていって、爽快でした!」
で、なんで一番私を褒めるのがこの痴女なんだよ。ちげぇだろうがコラ男共。お前らが、私を、褒めて、称えて、気持ちよくなるのがこのギルドだろうが!
あぁ面白くない……上手くいかない……こんなの私のネトゲじゃない……。
もう私の不満は限界近くにまで溜まっていた。本当ならここで罵詈雑言をまき散らし、この男に媚びる修道痴女マヒロを糾弾し、追い出した後にザマァと高笑いを決め込んでやりたかった。
だが、私は賢いのだ。そんじょそこらの、感情のまま喚き散らすアホ女共とは違う。
故に私は、一つの策を思いついた。
「はい、みんな注目。聞いてください」
狩りの後の、もろもろの自然回復を待ちながらの雑談タイム。ここで私は仕掛けることにした。
「私たちのパーティーは、マヒロさんの加入で飛躍的に戦闘力が上がりました」
「だな。マヒロのおかげで俺たちが戦闘で墜ちることはほぼなくなったし」
「レベルアップのペース上がったよな」
「モチベが上がったってのもあるよなー」
「いえいえそんな。皆さんが守ってくれてるからだし、ヒヨリンさんの火力あっての事ですよ」
……はんっ。マヒロ、お前の天下もこれまでよ。
「だから、今まで挑戦できなかった高難易度ダンジョンに、挑んでみようと思うんです」
「おぉ、いいと思います」
「新天地か。ワクワクするな」
「新しいアイテム。RPGの醍醐味ですねぇ」
「皆さんを死なせないよう、私も頑張りますね」
「で、今までより難しいとなると、チャットをする余裕も無くなってくると予想できますので、ボイスチャットを導入してはどうかと思うんです」
そう、これぞマヒロを蹴落とす我が秘策!
ネットゲームに女性なんてほとんど居ない! ましてや、この修道痴女みたいな、男に媚びた格好してる奴なんて大抵中身はオッサンなんだよ! 私は詳しいんだ!
そしてネトゲにおけるカースト制度において、キャラは女の子でも中身はオッサンな奴と、キャラも中身も女の子では、その間に越えられない壁があるのだ。無論、中身女の子の方が、圧倒的に上だ。
そしてぇ……。
あーあー、んっ、んんっ! ……コホン。
ヘッドセットの電源を付けて、チャット欄横のマイクのアイコンをクリックする。
「あー、聞こえますか?」
「おおおおお!?」
「うわっ、生の姫様そんな声してるんですか!?」
「可愛い声だ……」
「ヒヨリンさん、中身も女の子だったんだ!?」
一瞬にしてチャット欄が色めき立つ。
そう、これぞ我が計略! 美少女キャラ+中身女の子。さらに美少女声の役満コンボ! ネトゲのカースト制度の最上位よ!
「チャットの文章打ってると、その間はキー操作ができませんから。これなら、意志疎通しながらキャラ操作に集中できると思うんです」
まぁ、私は魔法を詠唱し始めたら手が空くから、実際は必要無いけど……私の可愛い声に色めき立ってる奴等は、そんな事に気づきやしない。
「あ、でも強制じゃありませんから。ヘッドセットやマイクが無いなら今まで通り文字チャットで行きましょう。ボイスチャットは、やりたい人、できる人だけでやる感じにしましょう」
さぁ、チェックメイトだマヒロ。ボイチャに来てオッサン声がブスボをさらせば、ギルドでのお姫様は私だけになる。ソレを避けてボイチャに不参加だとしても、声で女であることが確定した私の方が男共の好感度が高くなる。
お前の天下もこれまでよ!
「あーあー、テステス。聞こえますかー?」
…………は?
一瞬、それが聞こえてきた時、私の脳は理解を拒んだ。
それは、女の子の声だった。それも、教室で他の女子が出すような、かすれや詰まり、雑味を感じさせない、まるで耳にトロトロの液体を薄く丁寧に塗り込むような心地のいい声。
「あれ? 反応ないな……ヘッドセットの接続間違えたかな?」
耳に味覚があるならば、まるでハチミツを混ぜたホットミルクを耳から飲んでいるかのような心地だとでも言えばいいのだろうか……。脳味噌が甘さで幸せを感じ、体がほんのり熱を帯びていくのを感じる。
あーれー? なんか設定いじらないとダメかなー? なんて、コチラの無反応を機械トラブルと勘違いしたのか困惑した様子だが、そんな何気ない声も可愛らしい。
あまりの衝撃だが、しかしそれも何時までも続くわけもない。
「女子だ!」
「声可愛い!」
「若い子だ!」
「アニメみたいな声!」
「声優さんか配信者さん?」
「ヤッベ超好み!」
「キャラとよく合ってるね!」
「ねぇどの辺に住んでるの?」
驚きによりせき止められていた感動や欲望が、濁流のごとくチャット欄を流れていく。その文字量と速さは、ちょっと読むのが難しいレベルだ。
そんな周囲の野郎共のあまりの豹変ぶりに、当の本人は「え、いや、ちょっとぉ!?」と事態が把握できてない様子を見せる。
「ちょっと皆!? 一回落ち着いて。というか今住所聞こうとしたの誰!? シバくわよ!?」
焦りから当たり強めな声で注意するも、それでも野郎共が止まる様子がない。私の声なんて聞こえてない、聞いてないと言わんばかりにスルーされる。
「声の若さから学生さんかな?」
「高校生って感じじゃないし、中学生。いや、小学生もワンチャン」
「俺、高校生! 年近い感じだし、話合いそうだね!」
「あ、俺東京住みの大学生なんだけどさ、東京近くなら一回会わない? 飯でも食いながら話でもどう?」
「地方でも、言ってくれれば会いに行っちゃうかなぁ。有給溜まってるし」
マヒロがあわあわしている間に、男共は自分の情報を会話に混ぜ始める。会社員だの高校生だの、何処の辺りに住んでるだの、聞いてもいないのにどんどんプロフィールが積み上がっていく。
これは、あれか。自分たちが情報を開示するから、さぁ、そっちも話してくれるよね? という流れを作ってるのかコイツら。そうじゃないと不公平でしょ? とでも言うつもりか。
「オ、オレ……いや、私は、今、えっと……」
どうも、それは効果的に働いたようで、戸惑いやら何やらを含んだ声なれど、何かを話そうとマヒロが口を開く気配。
「マヒロっ、何も言わなくていいよ! ネットで個人情報なんて、出すもんじゃないんだから!」
そこにすかさず制止を入れる。そうしなければ場の空気に流されてこの娘は、自分の学校から住所まで全部話してしまいそうだった。そして、その予想は正しかったようで「あ、うん、ありがと……」と、怯えた声の中に、何処か安心したような色が混じっている。
しかし、これが面白くない奴等もいる。
「えー姫様そりゃないでしょー」
「俺ら結構色々話しちゃったよな?」
「勤め先からだいたい何処在住かまで明かしちゃったし」
「なんて言うか、ここで言わないってのは無しじゃない?」
「皆言っちゃおうぜ。そっちの方が公平だし、仲も深まるって」
「というか、姫さんなんか声低くなってね?」
意味不明な理屈の、訳の分からない道理でもって強引に己の欲望を満たそうとするコイツらに、だんだん苛立ちと嫌悪感が沸いてくる。確かにマヒロの声は可愛い物だが、それだけでこんな、オブラート一枚包んだだけで性欲丸見えな言葉が出てくるものなのか……。
チャット欄は止まらない。なんとか情報を引き出そう、あわよくば会おう。言葉にせずとも、そしてあわよくば、という生臭い文字が画面に次々と流れていく。
もう、仕掛けた私でも収拾がつけられない状態になり始めた……。こうなったらゲームがどうとか、お姫様がどうとか言ってられる状態じゃない。
覚悟しろ私。腹をくくれ。少なくない時間を費やしたこのゲームだが、こうなったら引退も視野に入れろ。とにかく、マヒロを一回ログアウトでもなんでもいいから、この直結厨から切り離さなければ。
ハッ! と胸の中の空気を全部吐き出し、深く息を吸い、声でもってこの中に切り込んでいくぞとした、その瞬間である。
「お兄ちゃーん、ご飯出来たよー」
……は?
マヒロからの通話に、マヒロ以外の声が混じる。
「あ、ちょ、ちょっと! 今はーー」
「もー、さっきから呼んでるのに全然返事しないんだからって、あーヘッドホンしてたの。もーお兄ちゃんったら。ゲームに夢中になるのもいいけど、ご飯冷めちゃうから早く切り上げて下りてきてよねー」
「あ、うん、その……」
「あ、そうそう。今日はお兄ちゃんの好きなお肉だよ。鳥の照り焼きだってさー。焼いてる臭いかぐだけで、私もお腹空いちゃったよー」
「お、おう。そりゃー、嬉しい、な……」
「でしょ。じゃ、先に下りて待ってるから、早く来てよね、お兄ちゃん」
「あ、ああ……わかったよ……」
……チャット欄を見れば、おっと、流れが変わったようだ。
「お兄ちゃん?」
「え、お兄ちゃん? 女の子のお兄ちゃん?」
「お兄ちゃんって事は男?」
「男? この可愛い声で?」
「え、裏声使ってるネカマって事?」
「何? 俺らを騙してたの?」
「うっそだろあの可愛い声が男の声か?」
「いやでもお兄ちゃんって……」
「待て待て待て頭がおかしくなる!」
どうやら今もたらされた情報が信じられないようで阿鼻叫喚の疑心まみれのようだ。
そりゃそうだろう。私も絶賛大混乱だ。まさか声をさらしただけで周囲がいきなり直結狙いの変態になったかと思えば、その推定被害者は我々を甘ロリボイスで釣り上げようとしたネカマだったというのだ。
いや、私もちょっと信じられない。だって、本当に可愛いのだ。クラスで一番可愛いと言われたあの子よりも……もっと言えば、ぶりっこしてる奴の、私可愛いでしょ? と言わんばかりの、あの声よりも。こんな可愛い声は、テレビの向こうぐらいにしか居ないであろうぐらいに。
……結論を言えば、私たちはとんだ道化だった、ということなのだろう。
「……じ、実は、そうなんです……」
私たちの頭は、断頭台にかけられる。
「私は……オレは、本当は男、なんです……」
そして無慈悲に、その刃は振り下ろされ、哀れひきつった道化の首が4つ転がることとなった。
ごめんなさいぃぃぃいいいっ! と、悲鳴じみた謝罪を残しながら、システムメッセージに「マヒロ がログアウトしました」という一文だけ残し、超絶可愛い声をした中身男の修道痴女は、私たちの前から消えたのだった。
呆然と残された私たち。多分だけど、こんな事があったのだ。マヒロはもう二度と私たちの前には現れないことだろう。
一応一ヶ月ぐらい、時々ログインしてマヒロがゲームに入ってきたかを確認するが……それが終われば、私もこのゲームを引退しようかなと思う……。なんか、目の前に居るコイツらと繋がりがあることにどうしようもない不快感を抱いてしまったからか、一気にこのゲームに魅力を感じなくなってしまった。
と、いうわけで、だ。
「うーわ、ネカマに直結を迫ったバカとかキッショ」
最後に追い打ちを決め込んで、私はログアウトのボタンをクリックした。
今回のこれは、とんだ災難だった。被害は大きい。
一つ、ゲームアカウント。もうこのキャラで楽しく遊ぶことはできないだろう。愛着もある故非常に残念だ。
あの後ギルドがどうなったのかは知らない。まぁ、マヒロのログイン記録はなかったし、中心だった私が居なくなったのだから、自然消滅でもしたんじゃないかと思う。
次に、ネット不信というか、回線の向こうの人に、ことさら警戒を抱いてしまうようになった。まぁ、これは仕方ない。見方を変えれば成長とも言えるだろうしむしろ、今までが警戒心が少なすぎたのかも。
そして最後に、だ。
「やっほー、リスナー共ー」
今私はネットのライブ配信を視聴している。
雑談配信だから画面の構成はシンプルで、チャット欄の文字の滝と、その横でヌルヌル動く、二次元美少女キャラ。
「女子高生"おじさん"のアラフィーでーす」
と、可愛い女の子のキャラが、女の子の声で、おじさんを名乗る配信者のライブ配信を、だ。
「実は今日仕事場でさー、新人の子がミスしちゃってたらしくってーー」
「あー……今日もかーわいいなー……」
そんな風に今日も推しのVチューバーの配信を視聴しつつ、顔をニヤケさせる日々をおくっている。
それまでの私は、普通でマトモで、ちょっと逆ハーレム願望を持ってる何処にでも居る夢見る少女だったのだ。
それがどうだ。あのマヒロとの出会いは、私の感性に非常に致命的な傷跡を残していったらい。
今ではこういう、見た目美少女の男性キャラ。特に声が可愛い者に心惹かれるようになってしまったのだ。
本棚には女装男子だとか、男の娘だとかを扱ったマンガが並ぶようになり、動画配信サイトのオススメ一覧にはイケメンではなく、一見美少女みたいな顔が並ぶようになった。学校の奴らを部屋に入れられないし、スマホを覗かれてもアウトだ。ちょっと周りには公言できない癖を植え付けられてしまった。
あぁ、もう。それもこれもーー
「全部マヒロって奴が悪いんだ……」
そう呟きながら、私は推しへ「カワイイ」とメッセージを打ち込むのだった。
アニメのデパートでのお買い物の時、みはりが「マヒロちゃんが水着欲しがってたよねー」というのは、その前にあった「水着ガチャ」の話から来ているのでしょう。
まぁ今回その辺のネタ使っちゃったけど、まま、平気でしょ。
何はともあれ、 オリジナルの緒山が悪いんだぞ……回でした。
アニメじゃ丸々飛ばされたネトゲ回。大幅改変と新しいオリキャラ視点からでお送りさせていただきました。
多分だけど、アニメでやるなら後々出てくるネトゲの話に合体させて、まとめてやるんじゃないかなーとか思ってます。
そして実は男三人衆を何処まで気持ち悪く書くかで大分書き直しが入ったりしたのが難産の理由でしたね。……ここまでやるだろう、という線引きを自ら引く難しさよ。
後、原作の「まひろのニューゲーム」は、二期第一話になるのではと予想したりしなかったり。二期から入った人は、あの美少女が引きこもりニートの成人男性だったと知ってさぞ驚くことになるでしょう。
何はともあれ、二期、作られることを祈ってます。