兄者はおしまい   作:知らない半島

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お待たせしました。
ご存じの方はお察しの通りメインコンテンツ回です。

世はまさにGW真っ只中。モンハンやら親フラやら体調不良やらで伸びに伸びてこんな時期にまでなっちゃいましたよ。書いてる時はすっごい筆が乗ったんですけどね。

あ、後誤字修正とか感想、ありがとうございます。
手癖の修正をしてくださって助けになったり、
読んでくださってるんだと励みになっています。

ただ、描写不足で勘違いさせてしまった時とか以外では返信はしない方針にしています。
お答えすると先の展開のネタバレになっちゃう物とかもあり、答えない感想からそれを推測できてしまいそうだかです。

何卒ご理解の程、よろしくお願いします。


ep008 まひろと映画とショッピング

 

ep008 まひろと映画とショッピング

 

 

 

 妻が先だってから10年が経った。

 まぁ、最近は便利になったからな。上手くやっているよ。

 洗濯は服と洗剤を入れてボタン一つ。

 飯は金さえ払えば何処でも食える。

 掃除は、物が減ったからね。簡単になった。

 なのに……。

「アナタ……ただいま……」

「……あぁ、おかえり……」

 何で、今更こんな幻覚を見るのかね……。

 

 

 一夏だけの夫婦の再会。

 

 

「もーっ、食べるものには気をつけるようにって言ったのに、外食ばっかり……」

「いや、すまんな……」

 

 妻が見えるのは、自分だけ……。

 

「この川辺。よく二人で歩いたよな……」

「アナタがサラッと告白したのも、この道でだったわねー」

 

 そして、迫る期限……

 

「アナタ……」

「あぁ……」

「私は、アナタを……」

「……あぁ……」

「愛して……いました……」

 

 この夏、死で分かたれた二人の、二度目の夫婦生活が始まる。

 

 

 うらぼん ~置いて行ってしまったアナタへ~

 

 

 静かな涙が、頬を伝う……

 

 

 

「おぉ、ようやく公開かぁ」

 

 朝も早くから、網戸の向こうから蝉の大合唱が聞こえてくるようになった夏真っ盛り。

 飲み込んだ焼きウインナーの片割れを箸に挟んだまま食い入るように見ていたCMへの、兄者の第一声がこれだった。

 

「知っているのか、兄者」

 

 オムレツを一口大に切りながら聞くと、おうよ! と兄者は自慢げに胸を張り、焼きウインナーと白米を口に入れた。

 

「モボネタは単品のムェットムァンガーー」

「口の中の物飲み込んでから喋りなさい」

 

 咀嚼と講釈を同時に行おうとしたところに、すかさず姉者の注意が飛ぶ。ウグッと怯んだ兄者を横目に、姉者は味噌汁に口を付ける。

 返す言葉もないのか、兄者は黙って数回モグモグと噛んだ後にゴクリと飯と文句を飲み込んだ。

 

「元ネタは単品のネットマンガだったんだけど、評判が良くって書籍になって、今度は映画になったって作品なんだよ」

 

「へー、何回も別媒体になるほど面白いんだ」

 

「おう! SNSで公開されてた時に読んだけど、滅茶苦茶いい作品だったぞ」

 

 色々な作品を嗜んでいる兄者がここまで言うのだ。このうらぼんってアニメ映画、確かに面白い話なのだろう。

 だがしかし、恋愛映画なのがな……あんまり食指が動かんな……。

 

「まぁでも、オレはネット配信を待つしかないのがなんとも歯がゆい……」

 

「見に行きたいのか? 兄者」

 

「おうよ。でもそこはほら、オレには自宅警備という責務があるから」

 

「なんのこだわりなのよ……」

 

 別に放り投げてもいいだろう、そんな義務も役割も。

 しかしネットで原作を読んだのだから、話の内容もすでに知っているだろうに……それでも映画版を見たくなるほど面白いのか。

 むぅ、ちょっと興味がわいてきたぞ。

 

「私的には、CMでちょくちょく流れてくるし興味あったんだけど……カンナ、アンタはどう?」

 

 話をふられて姉者の方を見れば……焼きウインナーを口にしながら、なにやらアイコンタクトを送ってきている。

 ……ふむ、映画、外出……成る程。

 

「俺か? 恋愛映画らしいし、あんまりって感じだったが……兄者の絶賛具合から、ちょっと見てみたくなったな」

「じゃあ一緒に見に行く?」

「OKだ」

「よし。お兄ちゃんはどうする?」

 

 トントン拍子でお出かけ計画を立ち上げた後、二人で兄者の方へ視線を向ける。

 味噌汁のナスを口に入れたところで問われた兄者は「んう?」というくぐもった疑問符で返してきた。

 

「私たち、二人でこの映画見に行くけど、お兄ちゃんも一緒に行っちゃわない?」

 

「ん……むぐ。お、オレも?」

 

「そうそう。お兄ちゃんもできるなら見たいんでしょ? 一人じゃ無理でも一緒になら行けるんじゃない?」

 

「む……で、でも、オレには自宅警備の仕事が~……」

 

 ふむ、どうやら映画には興味があるが、まだ外出には抵抗があるようだ。しかしおそらく、後一押し、何か言い訳でもあれば陥落するだろう。

 

「お兄ちゃん」

 

 何処か、小悪魔的な笑みを浮かべながら姉者が猫なで声を出す。

 

「映画館のポップコーン、食べたくない?」

 

 映画館のポップコーン。

 あの、謎に美味しく感じる、映画館のポップコーンか。

 薄暗い自室で映画を見ながらじゃ、何処か後一歩、何かが足りなく感じてしまう、あの映画館のポップコーンか。

 兄者の方を見ると、口と小さく開きながら「ぽっぷこーん……」と呟きながら、まだ朝食の途中だというのに口の中の涎を飲み込んでいた。

 

「しょ、しょうがないな……コーラもつけろよ?」

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 ココ最近のオレは自宅警備員として、いささかだらしないのではないだろうか。

 家族につれられランニングしたり、下着を買いに行ったり、ラーメンを食べに出たり、銭湯に行ったり。持ち場を離れることのなんと多いことだろうか。これが普通の会社だったらクビを言い渡されるんじゃないか。

 どーにも妹二人に連れ出され気味なことに己の情けなさを痛感しつつ、妹二人に手を引かれながらたどり着いたのはーー

 

「オイ、ココってショッピングモールじゃ……」

 

 目の前の巨大建造物の上の立方体。その側面に遠くからでも読めるほど大きなNEONの文字。

 おかしい。オレは今日映画を見に来たはずなのに……。

 

「最上階が映画館なのよ」

「まぁ、映画一本でやってる建物って最近見ないしな」

 

 行こうか、兄者。と手を引かれて建物に引っ張られていく。

 自動扉をくぐれば、肌をジワリジワリと焼いてくる日光から人工灯の落ち着く光に代わり、冷房が汗ばんだ体を優しく包み込んでくれる。

 ようやっと一息つけると、胸元をひっぱり冷えた空気を体に流し込む。みはりに「こら、はしたない」とたしなめられるも、手で制してはこないあたり理解はしてくれているようだ。

 

「そんで、最上階だっけ?」

 

「兄者、エスカレーターは向こうのようだ」

 

「あ、ちょっと待って二人とも」

 

 映画館へ行こうとするオレとカンナに待ったがかかる。

「何だよみはり、トイレか?」

 

「違うわよ。ていうかデリカシーない事言わないでよ」

 

「デリカシーって、家族のお出かけで何言ってんだよ」

 トイレ確認ぐらいは普通だろうよ。というかオレとしては、こんな人が多くいるところ早く移動したいんだけど……。

 

「もー、引きこもり気質め……今日はもう一人来るから、移動は合流してからよ」

 

『え、もう一人?』

 

 みはりの言葉に、オレとカンナの返しが重なる。目で問えば、カンナは俺も知らないと、首を横に振った。

 コイツ、またオレら二人に黙って……。

 

「ヤッホー! みんな来たねー」

 

 まーた何か企んでるのか。みたいな目でみはりを見ていたそこに、本日合流するもう一人であろう人が声をかけながら駆け寄ってきた。

 ウェーブのかかったピンク髪と豊かな双丘を揺らしながら来たその人は、数日前に知り合ったみはりの同い年の友達、かえでちゃんその人だった。

 

「かえでちゃん!」

 

「まひろちゃーん、この前ぶりー♪」

 

 今日はこの前みたいな高校の制服姿ではなく、ひらひらと踊る薄くて白い上着の下に、おへそが見えるほど丈の短い黒いシャツ。そして生足が眩しいショートジーンズという出で立ちで、なんとも挑発的なファッションである。

 目の前に来たところでオレの目線の高さにまでかがんで手の平を見せてきたので、オレは流れで軽くその手にタッチする。自然と二人で「イエーイ」なんて声が出て……なんかすっごい陽キャなコミュニケーションを取ってしまった。

 

「ゴメンかえで。待たせちゃった?」

 

「ぜーんぜん。私もさっき来たところだよ」

 

 それよりもー。と呟きながら、かえでちゃんはみはりに視線を向ける。つま先から頭の先へ、じっくり全身を観察するようにゆっくり目を上に動かしていく。

 

「な、何?」

 

「うんうん、みはりもマトモな服装をするようになったねっ♪」

 

「どういうことよ!?」

 

 憤るみはりの格好は、いつも家で羽織っている白衣は本日はお留守番。水色の肩にフリルをあしらったブラウス、濃紺のスカート。ベルトの茶色と金色がいい具合にアクセントになってて、男のオレ目線でもなかなかおしゃれさんなんじゃないかと思う。

 いい感じのこれがマトモになった服装になったのだとして、じゃあその前はいったいどんな……

 

「おやぁ、言って良いのかな? 昔買い物に誘ってくれた時にーー」

 

「私が悪ぅございましたのでそれ以上は……」

 

「えっへへー、この前のおかえしー」

 

 この前の、というと、かえでちゃんの昔の姿のことだろうか。カンナの言うボブカットの素朴な見た目だった時の姿。

 正直、見たい。かえでちゃんの昔の姿も、みはりのマトモじゃなかった服装の姿も。

 ま、言いませんけどね? 昔の姿を一番知られちゃいけないのはオレだし、藪蛇になるような事はいわないよ。こっちはイメチェンどころかセクシャルがトランスですからね。

 

「そして……」

 

「どうも、この前以来ですね」

 

 なんとも言えない顔でカンナのことを見るかえでちゃん。

 まぁ相も変わらずオレのお下がりを着ているもんだから、本日も男物である。黒いシャツにジーンズ。さらにライトグレーの中折れ帽なんてかぶってるもんだから、長い髪を下ろした姿でも、全体的な印象が男よりにまとまってる感じがする。

 ……と、いうか。

 

「なぁ、今思ったんだけど、そんな帽子あったっけ?」

 

 言っちゃ何だが、男の頃のオレは服に無頓着だった。そんなオレがお洒落な帽子なんて買うわけがない。

 

「あぁこれ? いい感じのがあって買っちゃったんだ」

 

 似合うか? と聞いてくるが、まぁ、似合うよ? うん、かっこいいよ。でもさぁーー

 

「……その金あるなら、女物の服買った方が良かったんじゃ……」

 

 そうすりゃオレのお下がりなんて着なくてすんだのに……。

 

「いいんだよ。服は成長したら着れなくなるけど、頭のサイズなんて早々変わらないから、この帽子はずっと被れるし……」

 

「サイズ的には被れるかもだけど、デザイン的に女物の服とは合わせづらそうだから、結局男物のお下がりが着れなくなったらその帽子も被れなくなると思うぞ……」

 

 どーにも、この末っ子はファッション音痴というか。普段家事やら何やらをやらせてる時は頼もしいのに、服装のことになると何故迷走するのだろう。

 オレらのやりとりを聞いていたかえでちゃんも苦笑を漏らしている。

 

 

「ん~、それじゃーまずは、カンナちゃんの服でも見に行く?」

 

 

 …………。

『……えっ!?』

 

 え、服を見に行く? それに、まずは?

 

「お、オイみはりっ、今日は映画見に来たんじゃなかったのか!?」

 

「いやー、実は上映までまだかなり時間があるのよねー」

 

 そう言ってスマホの画面を見せてくる。映画の予約ページであり、その上映時刻は16時30分とある。そして画面左上にある現在時刻は13時30分。途中昼飯を食べて来たのでこんな時間になったのだ。

 つまり、みはりは初めからデパートでショッピングをする予定で、オレらをこんな時間に外に引っ張り出したということか……。

 

「は、謀ったなシャア……」

 

「シャアって誰よ……」

 

 アホな事言ってないで、ほら行くわよー。とみはりはカンナの腕を取りすたすたと歩いていく。それに慌てたように引っ張られていく男装したカンナの姿は、姉妹だと知らなければ彼女に振り回される彼氏のようだ。

 

「じゃ、私たちも行こっか」

 

「え、あ、う、うん……」

 

 オレはオレで、かえでちゃんに後ろから肩を押されて「行こ行こー置いて行かれちゃう」と二人の後についていく。見知らぬ誰かに見られたら、おそらく姉妹のように見えたのではなかろうか。

 

 ……いや、オレは成人男性なんだけどね?

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 女の買い物というものを舐めていたとしか言いようがない。

 みはりとかえでちゃんの着せかえ波状攻撃にカンナの表情はみるみる曇っていき、疲労困憊でグロッキーへとなっていく。

 

 

 

「長めの黒髪に白いサマーワンピースは定番よねー」

「見て見てかえで! 水色と深緑のチェック柄のスカート! 涼しげでいいよねぇ!」

「オフショルダーで肩のライン出すのもありだよねぇ。スタイルいいしラインがきれいだから、何処露出させてもいいのは楽しいわねー」

「あえて赤と黒のゴシック調で地雷系はどうかな! 腕と足出しておけば夏服として通用するよね!」

「黒シャツに緑の蝶のワンポイントかぁ。白いショートパンツと合わせればいい感じに仕上がるかな」

「このセーラーワンピースどう!? 赤いリボンの差し色とか、白いベレー帽で仕上がり抜群でしょ!」

「黒いチューブトップとー、シースルーシャツ。で、ショートジーンズ。あ、肩に鞄かけて……あ、斜めがけじゃなくて、そうそう肩にかけて、そのまま下ろす感じ。いいじゃーんできる女っぽーい!」

「白ベースに青、赤、黄緑のカラー盛りまくりの服あった! ブカッとした感じで、めっちゃラフな服ー!」

 

 

 

 こんな暴虐にさらされたカンナは、フラフラとオレの横にドカリと倒れ込むように尻を落とした。その横にはデカい買い物袋があり、中身はまぁお察しである。

「お、お疲れ……」

 とコーヒーを差し出せば、疲労をにじませた声でありがとう……と返してそれを口にした。

「あぁ……染みる……」

「ブラックで良かったか」

「今は苦みが心の癒し……」

 

 女の子ってこういう時甘いものを求めるものだが、相変わらずカンナは一貫してコーヒーは砂糖抜きが好きらしい。

 

「ずいぶん買ったんだな」

 

「やめてくれ……値段を考えると肝が冷えてくる……」

 

「女物の服って高いイメージあるけど、やっぱ?」

 

「女物っていうか……おしゃれ着というか、デザイン重視の服ってのは高くつく物なんだよ……女でも男でも」

 

「そうか……何で男物のおしゃれ着の値段も知ってるんだ?」

 

 こらカンナ、こっちを見なさい。お前まさか、今日の帽子みたいにシレッと男物の服追加購入してるんじゃないだろうな。

 

「……男物の楽さを知っちゃったら、どうしても……ね?」

「……一応確認しておくけど、オレのパンツ履いてないだろうな?」

 

 ねぇカンナ。オレと目を合わせてお話しよう? ちょっとそれお兄ちゃんとして見過ごせないかな。

 

「……トランクスって、いいよね」

「良くねぇよお兄ちゃん下着のシェアはちょっと許せないかな」

「いや、兄者なら分かるだろ……女物の窮屈感というか、あのぴっちり感というか……な?」

「むしろ女の体だとあのフィット感は無いとだろ?」

 

 男から女になったからこそ分かる。男と女の下着の構造や役割の違い。

 男はなんというか、モノを外に出さないかつ、ズボンの荒い布に当てないようにするための布なのだ。それでいて息子を締め付けないようにするために、股下がゆるめで、腰から吊るような形だったりする。後、モノを保護するためか、前の穴を自然とふさぐためか、前部分が二重構造でしっかりと相棒を守ってくれる。

 対して女性は腰から股にかけてぴったり張り付くような感じというか、足の付け根にも締め付け感がある。後、布が厚いのが股下部分なのは、成る程そこを守るための物なんだなと納得できる。

 結論として、オレは性別にあった下着をつけるべきだと思う。身体的な理由でね。

 

「とにかく、ちゃんと自分の下着をつけなさい。お兄ちゃん、下着をシェアする趣味はないからな……」

 

「あ、うん……はい……」

 

 まったくこの妹は……服装に対して頓着がなさ過ぎるというか、すぐ楽な男物に逃げる癖はどうにかならんのだろうか。引きこもりニートのオレが言えたものではないが、もうちょっと服に気を使いなさい。素材はいいんだから。

 

 

「みはり~、この髪飾りとかどう?」

「う~ん……髪留めとかぶっちゃうからいいかな」

「そういえば、ずっとその髪留めしてるよね?」

「うん! お気に入りだし、トレードマークだからねー」

 

 

 まぁ、向こうの二人みたいに、服装に夢中になりすぎるのもどうかとは思うけどねぇ。

 あんだけカンナで着せかえ遊びをした後だというのに、17歳ズは未だ疲れ知らずに、服やアクセサリーをあーでもないこーでもないと見て回っている。遠目に見る分には何が違うのかさっぱり分からない小さいあれやこれやを比べる様子に、何がそんなに楽しいのやらといった感じだ。

 

「ところで、そんなのんびりしてていいのか? 兄者」

 

「あぁ? 何がだよ」

 

 オレのカフェオレが無くなったのか、ストローからズズズと濁った音を鳴らしながら何かあったかなと思いを巡らすも、思い当たる節はない。今日は映画を見る以外にオレには予定は無いはずだ。

 

「確かにオレが男物の服を着ていたから着せかえ人形にされたわけだが、それは別にまひろが目標から外されたってわけではないんだぞ?」

 

 肩に手を置かれた。

 隣のカンナを見ていた視線を正面に戻すと、ギラッギラと欲望に輝くみはりの目と、ニッコニコと楽しそうなかえでちゃんの目があった。

 

「じゃー次はまひろちゃんねぇ」

「お人形さんみたいに可愛いタイプの子とか周りにいなかったから、実は楽しみにしてたんだよね~」

 

 ヒッ、と喉から空気が漏れた。

 ほーら行こう行こう。とみはりがオレの腕を取り立ち上がらせ引っ張り出す。抵抗しようとしても上手く踏ん張れずにされるがまま衣類の森へと引きずり込まれる。

 かえでちゃんも嬉しそうに後ろからオレの両肩に手を置いて行こう行こうと押していく。

 オレは助けを求めようとカンナに視線を向ければ、アイツは静かに敬礼してオレを見捨てていた。

 

 あ、ちょっと、やめーー

 

 

 

「肩フリルの白いワンピース! いいよねぇ夏の砂浜のお嬢様」

「黒いダボシャツに赤スカートでパンク風もありだよねぇ。肌白いから色差が映えるぅ」

「まひろちゃんならピンクも外せないわよねぇ。白いブラウスに、薄手のピンクスカート! 定番だよねぇこういうの!」

「薄いオレンジのパーカーと、デニムのショートパンツで、ラフな感じもいけるよねぇ」

「肩だしフリルトップと~、ミニスカートで~、全体的にフリフリ増し増しかつ涼しげに~」

「落ち着いたのも欲しいよねぇ。えっとベージュのトップスと、ブラウンのスカートで、うん。ほかの服とも合わせやすいし、こういうのも入れておこうか」

「幼い、可愛い、パステルカラーも! えっとトップスは白ベースに薄いピンク差し色で~、淡い緑のロングスカートで~、あ、水色の薄いの羽織らせちゃおう!」

「オーバーオールで一つ作っちゃおうか。定番で白シャツと組み合わせて、ちょっとヤンチャ感出すのもありあり」

「あ、エプロンワンピースあった! ねぇちょっと、このリボンと合わせてみて! 絶対似合う!」

「ラフに決めるのもいいかも。オーバーサイズのシャツと、ボーダーのトップスと、ショートパンツ。あ、指先だけ出てるの可愛いねぇ」

 

 

 

 死体が二つに増えました。

 

「お、女の子の買い物、ハードすぎんか……」

「疲労感ヤバイよな……」

 

 デパートの通路にあるソファに深く腰掛け、背もたれに後頭部を乗せて天井を仰ぎ見るオレと、真っ白に燃え尽きたボクサーみたいにうなだれているカンナの並びは、傍目に見ればどんな感想を抱くのだろう。

 対して大学生とJKの同い年組はまだまだ元気なようで、服を手に取りあーでもないこーでもないと話に花を咲かせている。

 

「オレ、もう帰って一眠りしたいぐらいなんだが……」

「同感だが頑張れ兄者。まだ今日の目的の映画が控えてるんだ」

 

 最後まで起きて観られるかな。ちょっと自信なくなってきたぞ。

 

「お待たせー」

「いやー、絞りはしたけど買っちゃった~」

 

 そして買い物をしていた二人がオレたちの下に駆け寄ってきたのは、その十数分後の事であった。グロッキーになっていた被害者組もそれだけの時間じっとしていれば、若さ故の回復力か、ある程度気力も戻ってきていた。

 

「で、どうする? まだ映画までは時間があるようだが」

 

 二人から紙袋を受け取りながらカンナが聞く。時刻はまだ16時にもなっておらず、確かにこのまま映画館に行くのは時間を持て余しそうだ。オレとしてはできるなら、どこかの喫茶店にでも入って映画に向けて英気を養いたい。

 

「そうだね~。じゃあ下のーー」

 

 その時ふと何かを見つけたのか、かえでちゃんが上の方をみながら言葉が止まる。

 イヤな予感がして、オレらは背後の上の方へと振り返る。そこには看板があり、大きな文字で「新作水着」の文字が常夏の背景の上に鎮座していた。

 

「忘れてた! 水着も見ないと!」

 

 ……まだ、見るのぉ……。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 オレの気力ゲージが有頂天である。

 

「じゃーん! どうどう?」

 

 水着コーナー試着室。そのカーテンの向こうから、砂浜の女神が降臨した。

 クロスホルスターネックの水着はその二つを支えるために力が加わっており、その布の身を少し肉の海へと沈めていた。だがガチガチに固定できているわけではなく、歩く度に目に見えて、ユサッユサッと揺れているのがわかる。

 さらに自信満々の自慢げに後頭部で手を組み、脇を見せるかのようなポーズまで取り、おぉこれぞエロース神が作りたもうた神造の作品であろうことは疑いようもない事実である。

 

「え? あの、まひろちゃん、何で拝んでるの?」

「お気になさらず」

 

 仕方のない事なのです。これは男を幸せにするものなのだから。

 先ほどまでこの身にのし掛かっていた疲労感は今はもうない。心は天に召されるがごとく軽く、高揚感が全身を駆けめぐる。全力でイィィィイヤッホォォオオオオと叫びたい衝動を抑えなければならないほどに、今のオレは元気いっぱいだ。ありがとうおっぱい。

 

「カンナちゃーん、こっち見て感想言ってほしいかなー」

「すまない、目を焼かれたようだ」

 

 カンナはカンナで、帽子を目深くかぶり視線をそらし、かえでちゃんを見ないようにしていた。見た目とせりふ回しがキザな優男みたいだが、今年十三歳の女の子である。

 

「もー、二人とも男子みたいな反応してー」

 

 そりゃー男子は反応しちゃうでしょうよ。しないわけがない。しかしそうか、かえでちゃんの同級生は授業の時に水着姿のかえでちゃんを見ているのか。オノレ羨まけしからん。

 まぁ何にしても眼福だ。これだけで引きこもりの矜持を捨て、外出した甲斐があるというものだ。

 

「ほーらみはりも。出てきなよー」

 

 かえでちゃんが入っていた試着室の隣のカーテンが開かれる。

 水着姿のみはりがそこに居た。フリルのあしらわれたビキニ型のトップスと、役目を投げ捨て装飾に甘んじているフリルスカートがついたボトムスの上下セット。十代半ばの大人と子供の中間期にピッタリな、挑戦的な露出度と可愛らしさの入り交じった水着だ。

 

「うぅ……水着なんて、中学の授業以来だよぉ……」

 

 あまり自信が無いのか、両腕で胸元と腹周りを隠しているが、そこは元運動部のトップ。現役を退いてなおそのスタイルは引き締まっていると言って良い。

 うんまぁ、実にいいと思う。

 家族の贔屓目なしにしても、みはりは容姿に恵まれている。スタイルもいいし、海辺に居れば多くの男の目を引きつけることだろう。

 だがしかしーー

 

「まぁ、あれだ。相手が悪かった」

 

 隣に居るのが規格外なせいか、出てくる感想は「可愛らしい」がほとんどを占める。

 まぁそれを抜きにしても世の兄達の例に漏れず、オレも家族である故かみはりをエロい目では見れない。大人っぽい水着であろうと、成長したなーって思いの方が強くなるだけだろう。

 

 だがどうもオレは言葉選びを間違えたらしい。感想に対して不満げに眉根を寄せるみはりは、攻撃的に口角をつり上げ笑みを浮かべた。

 

「そういえばまひろちゃんも、この前水着ほしいって騒いでたよねぇ?」

 

 いきなり何を言い出すのだこの妹は。

 夏の日差しをこよなく嫌う引きこもりニートであるオレが、外着以外の何物でもない水着をわざわざ欲しがるなんてあろうはずがない。そんな事を口にするなんて……

 

(あ、いやあったな……そんな事)

 

 そうだ。この前ゲームの装備ガチャの水着がほしくって掃除したり外出したりと波瀾万丈な事があったよ。

 いやでもあれはゲーム内の話でーー

 

「ほほーん?」

 

 かえでちゃんが、獲物(玩具)を見る目でこちらを見ている。

 

「え? あの、いやちょっとーー」

 

 

 

 

 

 正気の沙汰じゃないーーっ!

 

 オレは今戦慄していた。女物の水着という存在にっ!

 チューブトップという肩紐の無いトップスが、自身がズリ落ちないようにするために胸を締め付けるように食い込んでくる。存在感を増すように盛られたフリルのフワフワ感とは対照的に、着ている身としてはビッチリ感が強い!

 さらにビキニ状のボトムスは、マジで食い込んでくる! なんというか構造的に前布と、それを股に押しつけ固定するための紐で出来ているような構造だから、股に食い込んでくるし腰に紐が食い込むし、さらに尻の割れ目に容赦なく食い込んでくる! 女物下着だって密着感はあれど布面積はあったから包み込まれる感じが強かったけど、布が減った水着は小さい型に押し込まれてる感じだ。

 

「こんな格好で人前に出られるかー!」

 

「えー、似合ってるよー?」

 

「うん、すっごくかわいいよー?」

 

「そういう話じゃない! 食い込むし、ピッチリしてるし、なんか下着より恥ずかしいんだよこの格好!」

 

 オレは試着室のカーテンを体に巻き付け見せないようにして猛抗議する。よく水着を下着と変わらない、みたいに言う台詞がマンガやアニメに出てくるがとんでもない。着てみた感じ全然違う!

 

「じゃあ、こんなのはどう?」

 

 

 

 ……女物の水着の種類というのをなめていた。

 女物の水着っていうと、ブラジャーみたいなのばかりが目につくが、それ以外も結構あるらしい。

 

「ハイネックとボーイレッグの組み合わせ。競技水着っぽいし、抵抗感は薄くなるんじゃない?」

 

 スポブラに首まで覆う布を足したようなハイネックは、フィット感があれど恥ずかしいという感じはない。なんというか、タンクトップっぽい。

 さらにボーイレッグ、という水着もオレにとっては、気分的に着やすい感じだ。名前の通り男物の水着に近しいというか、なんならブーメランみたいな挑発的な物よりおとなしい感じがする。女物だと言われなければ、男の時でも着てしまいそうなほどだ。

 

 というかあれだ。

 

「これ、なんかみはりの陸上のユニフォームみたい」

 

「実際、おしゃれというかスポーツウェアって感じの水着だしね。これなら恥ずかしさもないんじゃない?」

 

 確かに、これなら人前に出ても羞恥心は刺激されない。

 ……というか、あれだな。これを着た後に男の頃の水着姿を思い出すと、上半身丸出しな分向こうの方が恥ずかしい気さえしてくる。

 

「ん~、でももうちょっと、可愛らしいのにしてもいいんじゃない?」

 

 

 

 布面積としては、一番多い。

 

「ワンピース型でリボンや小さいフリルをあしらった感じで、どう?」

 

「うんうん! 一番かわいいかも!」

 

 形としてはスクール水着に近いんだけど、パステルな黄色がマニアックな印象を打ち消してる気がする。胸元にあるリボンとか、まるで胸元の布と、それより下の布との境界線みたいにあしらわれたフリルとか、いろいろつけられた飾りが水着っていうより、水にも入れる洋服って感じ。

 一つ前のスポーティーなのが一番抵抗感がないけど、でもなんか……可愛さで言えば、これが一番だと思う。

 うん、なんだ。

 

「これなら、まぁ……」

 

 アリ、だと思う。かわいいし……。

 

「いよっし! じゃあ買っちゃおうね、まひろちゃん!」

「いやー、我ながらいい仕事したよー」

 

 そうと決まれば、レジを通すためにも一回脱がないとなー、なんて私服に着替えて、試着室を出たところを二人に出迎えられて気がつく。

 

「……あれ? そういえばカンナは?」

 

「え? あれ、そういえば」

 

「居ないわね……いつの間に……」

 

 一瞬「迷子」という単語が思い浮かんだが、あのしっかり者に限ってそれはないだろう。

 ということは、着せかえ人形がイヤで逃げたか、あいつ。

 

 ……元成人男性だったオレを置いて?

 

 ……このまま逃がしておくものかよ。

 

 ケッケッケと悪い笑みを浮かべながら店先から覗くと、やはりというかそこにカンナは居た。通路のイスに座りながら、優雅に缶コーヒーをちびちび飲んでいるようだ。

 その姿はかなりリラックスしており、元成人男性であるオレを女性用水着売場に置いて逃げ出した罪悪感などみじんも感じていない様子だ。

 

 

 

「カンナ~。荷物出来ちゃった~」

 

 店の中から声をかけると、声に気がついてすぐ、飲んでいた缶を潰してゴミ箱に放り込んだ後、こっちにノコノコ駆け寄ってきた。

 

「いい買い物ができたようだな、まひろ」

 

「うん、三人分の荷物出来ちゃってさー」

 

 こっちこっち。と手を引いて水着売場の奥へと連れ込む。哀れな獲物は荷物持ちに呼ばれたと勘違いしたのか疑う様子もなく付いてくる。そのまま試着室の前まで呼び寄せると、

 そこには布切れを持った姉とその友達が待ちかまえていた。

 

「カンナ、はいこれ」

 

 そう言って布切れを渡すみはり。訳も分からず受け取ったカンナは、何か判らず、とりあえず広げてみる。

 それは、黒く小さい布と紐で出来た物。

 黒ビキニである。

 

「姉者、なかなかに冒険した物を選んだのだな」

 

「いやー似合うと思って」

 

「流石にちょっと背伸びしすぎではないか?」

 

「大丈夫。きっと似合うよ!」

 

「きっと? 試着もせずに買おうというのか?」

 

「そのためにアンタを呼んだんじゃない」

 

 途端、状況を把握したらしいカンナが一歩引こうとしたところに、オレは後ろからガシリと腰をつかむ。

 

「あっ、ま、まひろ? どうしたいきなり……」

 

「よくも"オレ"を置き去りにしてくれたな」

 

 あえて"オレ"の部分を強調して言う。そう、オレが成人男性であることを強調して……。

 そんなオレを着せ替えの身代わり人形にしたのだ。

 許される事ではない。

 

「まぁ、いい水着を選べはしたんだけどさ」

 

「なら良いではないか。俺を恨む理由もあるまいよ……っ」

 

「でも一人で逃げ出したのは、ちょーっと許せないかなー?」

 

 うん、結果的に、いい買い物にはなったけどさ? それとこれとは話が別だよなぁー!

 

 みはりがムンズとカンナの手を握る。俺が後ろからカンナを押す。そしてかえでちゃんがシャーッと試着室のカーテンを開いた。

 

「待て、話し合いをすべきだとは思わないか?」

 

『いいからいいからー』

 

「そもそも俺は学校指定の水着を新調したばかりでーー」

 

『いいからいいからー』

 

「う、海にも川にも行く予定がないんだぞ? こんなの買ったところで使い道がーー」

 

『いいからいいからー』

 

 もう、理屈ではないのだ。

 オレら三人の思いは一つだった。

 カンナの黒ビキニ姿を見たい。それだけだった。

 それに、ほら。

 男のオレが恥ずかしさに耐えながら着せかえ人形になったのだ。おまえも同種の恥ずかしさを覚えるべきだよな?

 

 

 

 結構時間がかかったのは、着替えに手間取ったのではなく、単に恥ずかしさからなのだろう。

 カーテンの向こうから現れたのは、なんというか、雑誌の表紙に出てきそうなセクシーだった。

 

『おぉ……』

 

 思わず、三人で感嘆の声が漏れる。

 みはりやかえでちゃんより高い身長。スラリと伸びた手足。細い腰からしっかりした下半身へのサイズ差が生み出すくびれ。

 胸はかえでちゃんより……いや、みはりよりもおそらく小さいが、それでも醸し出すコレはエロの無い色気とでも言えばいいのか。

 言うなれば、大人の色気……っ!

 似合うとは思っていたが、ここまでとは。

 

「すっごい体してるね、カンナちゃん」

「うんうん、恥ずかしがることないわよ!」

「マジでモデルやれるよお前」

 

「……十三歳に着せる水着ではなかろうよ」

 

 頬をひきつらせながら重々しい声で言ってくる。まー確かに、中学一年生が着るにはいささか以上に大人な水着ではある。

 だがなぁ……。

 

「年齢的にはそうだけど、見た目的にその体で子供用水着の方が問題あるでしょうよ」

 

 みはりの指摘にうんうんとオレとかえでちゃんは同意する。

 仮に子供用を着せたとしよう。見た目は二十代半ばの女性の、例えば白地に青の水玉模様ワンピースタイプを着せるのだ。

 キッツいだろ。

 

「カンナちゃんが着るってなると、ほかにはコレとか?」

 

 そう言ってかえでちゃんが取り出したのは……おおなんということか。

 水着用のハンガーみたいなそれにまとわりついているのは、Vの字型の赤い布。

 胸の谷間どころか、ヘソまで入った大きな切れ込み! ちょっと、そんなの実在したのか!? エロゲや過激なソシャゲでしか見たことないぞこんな水着!

 

「プランジング……自分ではちょっと着れる自信ないけど、カンナちゃんなら……っ!」

 

「自分が着れないような物こっちに押しつけようとするんじゃない!」

 

「大丈夫! 私の見立てならいけるよ、そのスタイルなら!」

 

「無責任な事を言うんじゃないよ姉者ぁ!」

 

 さぁ。さぁさぁと詰めていく二人に、追いつめられるカンナ。その姿を眺めているのは、こう、胸がすく思いである。ふははははやってしまえ!

 

 と、楽しんでいるところに異音が入る。更衣室の中、衣服の固まりから断続的なバイブ音。

 それに全員気が付いたのか動きが止まる。おそらくスマホから出ている音だ。着信か? 誰から。

 そう思考を巡らせていると、カンナはそそくさとスマホを手に取り、数回の操作の後「お開きだな」と言って、オレらにその画面を見せてきた。

 時間だ。という言葉と共に、現在時刻を突きつけてくる。

 映画の上映までもうあまり時間がなかった。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 カンナの着替えから、映画館への移動。チケットの購入はスムーズに行えたが、コーラやポップコーンの購入には結構な時間を取られ、オレらが席に座れたのは、本編が始まる前の、他映画の予告が終わる頃だった。カンナがアラーム仕込んでくれてて助かった。あれが無ければ時間を忘れて今日は着せ替えで終わるところだった。

 

「なんとか間に合ったな」

「ちょっと冷房強いね……おにっ……まひろちゃん、大丈夫?」

「ん。大丈夫大丈夫」

「席こっちだってさ~」

 

 周りの迷惑にならないように、小声で話しながら座席に移動していく。席に座って肘掛けの所にコーラをおいたところで、上映が始まるブザー音が劇場内に響きわたった。どうやらホントにギリギリだったようだ。

 

 

 

 

 ~置いて行ってしまったアナタへ~

 

 ジャンルとしては恋愛映画となるのだろう。普段ならさして気にもしないのだが、しかしアニメ映画で、監督が夏映画で有名なあの人、となれば流石に見たくなるというものだ。

 

 話の流れとしてはあまりひねった感じではない。

 死別してしまった夫婦。残された夫は、破綻しないながらもどこか投げやりに生きていた。

 そんな夫の下に、死んだ妻の幽霊が現れる。

 愛し合った二人の再会。ずさんな生活を注意され、物をさわれぬ幽霊の妻の指導の下、掃除に料理にと奮闘する夫。

 周りからは見えない妻と一緒に、かつての思い出の地を巡るデート。

 そして、そんな二人の間に、刻一刻とタイムリミットが迫ってきてーー

 

 

 そして、オレにも迫ってきまして……。

 何がだって?

 ここに来るまでにカフェオレを飲んだり、映画見ている間もコーラをすすったりして、トドメにこの体を冷やす冷房だ。

 

(お、おしっこ行きたい……)

 

 し、しかし安くない金を払って映画を見ているのに、それを途中で抜け出すなんて……しかも、今結構終盤の良いところだ。ここを見逃すのはできる事なら避けたい。

 だがしかし、尿意はとどまるところを知らない。映画館の冷たい空気に中てられた体は、こちらの都合など知らぬとばかりにどんどん尿意を膀胱に積み上げていく。

 

(もう……限界が、近い……っ!)

 

「み、みはりぃ……ちょっとトイレ行ってくる……」

「ん? あぁ、はーい」

 

 周りの邪魔にならないような声量で断りを入れ、身を屈めて他人の視界に入らないようにしながら部屋を出る。

 

 通路は劇場の中よりは暖かい。とはいえ迫り来る尿意が引っ込むわけでもない。オレは記憶を頼りに急いでトイレへと駆けていく。

 

「気が引けるなぁ……女子トイレ……」

 

 銭湯の時に納得はした。体が男なら男の施設。女ならば女の施設を使うべきという理屈。

 だがそれでも、心の中の隅っこらへんでひっかかるものはどうしても取れないもので……正直、女子トイレに入っていっていいものか。そんな躊躇いが抜けきらない。

 今は女とはいえ、オレは元は男である。そんな奴が女子トイレという、同性しか入ってこない筈の所に入ってくるというのは、周囲の女性からすれば、嫌な事なんじゃないだろうか。

 そんな考えが、何処か足を引っ張るような感じがして……

 オレの足が、止まる……。

 

 ……あぁいや、その、罪悪感とか、そういうのじゃなくって……。

 

「何……この、大行列……」

 

 目の前で、トイレの外にまで伸びた女性の列が、オレの足を強制的に止めたのだった……。

 いやもうホントにトイレの入り口から、テレビで「今人気の飲食店!」って紹介された店の前みたいに、ズラーッと人が伸びているのだ。

 

「泣けたよねー」

「マジで泣けた」

「いや最高だったわ」

「だねー」

 

 なんて声が聞こえてくるあたり、ああ成る程、他の映画の上映が終わって人が一気に並んだからこうなったのかと納得すると同時に絶望感がおそってくる。つまりこの大行列、ちゃんと人が多いから出来た物であるわけで、この人数がはけるまでは時間がかかることを意味する。

 

 ……つまり、トイレに入るまでに、かなり時間がかかるというわけだ……。

 

「うそ……だろ……」

 

 ……い、いやしかし、こうなったら耐えねばなるまい!

 頑張れ緒山真尋! 成人男性! もう大人なお前は、出先で漏らしたりなんてできないのだから!

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 オレは、頑張った。

 遅々として進まぬトイレ前の列を、必死に耐えようと、手を尽くした。必死に股間に力を入れて押さえ込んだ。他の筋肉も総動員して、股の力を補助した。

 背中を丸め、内股にして、さらにモモの内側も全力で酷使した。運動してるわけでもないのに息は荒くなり、しかし腹の筋肉の動きで膀胱を刺激しないように呼吸法に気を使った。

 そんな全力で力を入れた状態で、長い長い時間を耐えた。目の前の女性達はだんだん減っていき、トイレの中にまで入った。その臭いというか空気感に中てられた途端、さらに尿意を刺激されたような気がしたが、股間を外から手で握るようにしてなんとか、なんとか耐えたのだ……。

 オレは、頑張ったのだ……。

 

「その結果が、この様か……」

 

 オレは、便器を前に立ち尽くしていた。

 トイレの個室の中、洋式便器に後は腰掛けるだけというところまでは、いけたのだ。だがそこまでだった。下着を脱ごうと股から手を離した途端、押さえ込む力が弱まり、決壊が始まったのだ。

 最初は裂け目から細い一筋が流れる程度だった。しかし、細いといってもそれは間違いなく決壊であり、一度空いた穴は高まった内圧の逃げ場となった。

 パニック映画でもうすぐ死ぬと絶望していた群衆が、唯一の逃げ道を見つけたように。一斉に中身がそこに殺到を始め、オレの総動員した筋力は、便座に腰掛けるために体勢を変えようと弱まっていたこともあり、いとも簡単に敗北した……。

 止まれ、止まってくれと、再度力を入れようとも、勢いづいたその流れにはあまりにも非力だった。それは下着の吸水性などすぐに使い尽くし、内ももをその生暖かさと共に這い回り、絶望からついた膝から、床へと広がっていった……。

 

 うつむいた視界の先には、スカートを震えながら握るオレの手と、床に広がった水たまり。

 鼻の奥から、目の裏を押しあげるような感覚と共に、そんな景色がぼやけ、にじむ。胸とお腹が上手く動いてくれなくて、息が痙攣したように細切れになっていく。

 

 なんて、情けない……こんなの、小さい子供のする事だろうに……。それを、大の大人が……普通だったら、こんな事……オレは、やっぱ、ダメだ……出来の悪い……コレ、どうしよう……パンツが、もう、吸っちゃって、グチョグチョ……気持ち悪い……床も、広がっちゃって……ダメなのに……迷惑……それより、皆に知られたら……。

 

 何もかもが、自分の手を離れていく……。

 涙は止まらず、嗚咽も漏れる。胸は押さえつけられているかのように苦しい。頭の中もしっちゃかめっちゃかに思いや考えが出ては、他の思考に流される。

 目の前の惨事に動くこともできず、ただすすり泣くばかりで、これのどこが成人男性だ。

 情けない……本当に、情けない……。

 

 

 

「まひろちゃん、いるー?」

 

 立ち尽くすどころか、トイレの床に膝をついた状態のところに、今聞きたくない声が聞こえてきた。

 こんなところを見られたら、どう思われるか……。オレが成人男性だと知ってる妹たちではない。ただの十代前半ぐらいに見ているであろうかえでちゃんだ。しかし、それでも十代前半だ。お漏らしなんてもう卒業しているであろう年齢であるオレに対して、どんな感想を抱くのか。

 

 バレたくない。そんな思いが、両手で口を塞いで嗚咽を止めようとする。とにかく息を潜めて、音を漏らさないように……。

 

「う~ん……居ないのかな……すれ違っちゃった?」

 

 やりすごした……。そう思った時だった。

 ヴー、ヴー。という振動音がポケットから鳴った。

 スマホに通知? なんの? と思ったが、そうか、ドコに居るか分からないなら、メッセージアプリで聞いてくるか。

 

「そこに居るの?」

 

 今のでどうやらバレたらしい。コツコツと足音が近づいてきて、背後の扉の前で止まる、と……。

 

「……あ~、成る程。失敗しちゃったか……」

 

 失敗。何を? と、自分にしらばっくれようとするも無理だ。

 バレた……かえでちゃんに、お漏らしを、知られた……。

 もうダメだ……皆に知られる……こんな年にもなって、漏らした奴だって……口にはしなくても、思われる……知られちゃう……。

 

「……うぅ……あぁ……」

 

 押さえた手の下から、嗚咽が漏れ出てくる。

 もう、自分の手ではどうしようもない状態に、無力感に、感情と体の制御が、離れていく……。

 もう、息も、上手くできないぐらい、胸が、締め付けられ……。

 

「うん、大丈夫。なんとかするよ」

 

 何が、大丈夫なものか……こんなの、もう、手遅れで……。

 

「とりあえず、タオルと……パンツも要るかな? スカートは濡れちゃってる?」

 

 …………。

 ……確かに……だ。

 もう、かえでちゃんには、バレちゃったみたい、だし……。

 このままじゃ……どうしようも、ないし……。

 

 オレは、トイレの個室の扉の鍵を開いた。

 

 少しの間が空き、ゆっくり、扉が開かれる。

 背後にかえでちゃんが入ってきたのが、なんとなく気配で分かる。

 

「なーるほど。スカートも靴も無事、か。うん、これならなんとかできるね」

 

 ……本当、だろうか。

 本当に、なんとか、なるのだろう、か……こんな状況。

 

「とりあえず、タオルと下着買ってくるね。ここで待ってて」

 

「……うん」

 

 我ながら、本当、羽虫の羽ばたきよりも小さい声だったのではなかろうか……。

 自分のやらかしを、他人に世話してもらって……情けないし……恥ずかしい……。

 

「あぁ、そうだ」

 

 かえでちゃんが出ていこうとしているのだろう。トイレの鍵を開く音がした後、思い出したかのように言う。

 

「二人にはナイショ。お姉さんと二人っきりの秘密ね☆」

 

 鍵閉めておいてね。と、言った台詞の後に悪戯っぽく付け足して、かえでちゃんはトイレから出ていった。

 

 ……二人には、ナイショ。

 なんとなく、胸の苦しさが、和らいだような気がした……。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 正直、思い出したくない出来事だ。

 出先で、お漏らしなんてやらかし。

 しかも、それの後始末を、よその人にしてもらった、なんて。

 

「お帰り……トイレ長くない?」

 

 劇場に戻ってきたオレたち二人に、みはりがそんな事を聞いてきた。

 ただ思ったことを口にしただけなのだろうが、しかし後ろめたさからか体が強ばる。

 

「いやー、どこかの終わりとかぶったみたいで、めっちゃ混んでてさー」

 だが、そんなみはりの追及もサラリと流して、かえでちゃんは席に着く。オレもそれにならうように座って、映画のスクリーンの方に目をやるが……。

 なんとなく、かえでちゃんの方を見る。

 やらかしたオレを、責めるでもなく、からかうでもなく、騒ぐでもなく。しゅくしゅくと解決して、その後話題にあげることもない。

 頼りがいがあって、優しくて、いろんな意味で、大きな存在……。

 

(たぶん……理想の上の兄姉って、こんな存在なんだろうな……)

 

 この前、理想のお姉ちゃんだ。なんてかえでちゃんを評したものだけれど……。

 元妹のみはりと比べて、姉らしい、なんて思ったものだが……。

 

(……こんな姉(兄)が、欲しかったな……)

 

 いろいろな憧れや好意から、胸に暖かい何かが広がっていった。

 胸に刺さる、小さな何かを感じさせないぐらいの、大きな何かが。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 

「良かったね~」

 

「うんうん、最後泣いちゃったよね~」

 

「正直、死んだ人間が生きてる人間に干渉するのは、どうかと思うがな」

 

「オイ、そういう事言い出したらお話が始まんないだろうが」

 

 あの後は特に何事もなく映画鑑賞は終わった。

 エンドロールもそこそこに席を立ち、劇場の過剰な冷房で冷え切った体を、劇場の外の気温で戻してるところ。

 

「なんか、映画終わった後って、同じロビーに出た筈なのに、別世界に来たような不思議な感覚がするんだよね」

 

「あーなんか分かる。映画の世界から現実に戻ってきた筈なのに、って感じ」

 

「喪失感と余韻か」

「同じ空間に、映画の中の世界観を経由して、数時間経過した同じ場所に戻る。その事から生じる記憶との違和感とか、そういうのも関係してるのかもね」

 

「……う~んこの理系感」

「そういう感じの話じゃーなかったんだけどなー」

 

 こう、理屈付けて理解してー、みたいな話をしようって感じじゃなくって、もっとこう、自分はこんな感じがする、みたいな話にもっていきたかったのだが……。

 

「あ、俺帰る前にちょっとトイレに」

 

「おー。行っトイレー」

 

 俺の物言いに「コラ」とみはりから軽くお叱りを受けながら、かえでちゃんの「じゃー私たちデパートの出口付近で待ってるねー」との提案に従い、オレら三人は並んで歩くこととなったのだが、そこでふとオレは思い至る。

 

 映画の終わった後に、トイレ。

 長蛇の列と、迫る尿意。

 …………。

 

「……ごめん、オ……わたしも、ちょっとトイレ行っておくね」

 

「あれ、また? 体調悪いの?」

 

「へーきへーき。心配要らないから」

 

 そうとだけ言い残して、来た道を戻る。

 

 さっき、トイレの前に長蛇の列が出来たのは、映画が終わった後に人が集中したからだ。

 そしてオレらは、映画が見終わった後、しっかりエンドロールまで見てから出てきた。

 つまりこの流れでトイレへ行くと、ほぼ間違いなく先程の惨劇を繰り返すことになる。

 

 カンナに同じ思いはさせられん。

 

 そうして映画館のトイレの前へと行くと、案の定、トイレには長蛇の列が出来ていた。それも、オレの時より長い列が。

 

 カンナはドコだと探すも、列の中には居ないようだ。

 ……おかしい。時間的にまだトイレの中にまでは行っていない筈だし、女の人の列に男装姿が紛れていれば目立つはずだから、見逃しているということはないと思うが……。

 

「あれ、まひろもトイレか?」

 

 見つからないなと首をひねっていると、聞き慣れた低めの女声。

 振り向けば、カンナがその手をハンカチで拭いていた。

 

「え、あれ? もう終わったのか?」

 

 いくら何でも早すぎるような。そう思ったオレに、列を見てオレの考えを察したようなカンナが納得したように答える。

 

「この格好で女性用トイレに行くのも勘違いを生みやすいしな。多目的トイレの方でサッと済ませた」

 

 そう言って親指で指さすカンナの後ろには、緑色の車イスマークの標識があった。

 

「……あれって、車イスの人しか使っちゃダメなんじゃ……」

 

「いや、高齢者とか妊婦とかの、他にも身体的な理由で普通のトイレが使いづらい人とかでも使えるぞ。なんなら健常者だって使っちゃいけないわけじゃない。まぁ、本当に必要な人を優先しなきゃいけないってのは前提だけど」

 

 専用、じゃなくて優先、だからな。とカンナは締めくくる。

 

「そ、そう、か……」

 

「それより、まひろはいいのか? トイレに行きたいんじゃ」

 

「あ、いやぁ、大丈夫ですぅ……」

 

 ほら、二人と合流しようぜ。と、オレはカンナを先導して歩き出す。

 それにしても、そうか。多目的トイレか。

 専用じゃなくて、優先で、誰でも使える……男女分かれてないトイレ、かぁ……。

 

 ……………………あぁぁぁぁあああああああああああああ!

 オレのバカァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!

 

 今すぐ絶叫しながらのたうち回りたい思いを押し殺し、乾いた笑い声をあげるにとどめたオレの精神力は、すごいんじゃないかと思う。

 

 

 

 

 




まぁ中身成人男性がお漏らしとか、ショックがデカイですよね。
けど作中の描写を見る限り、なんか慣れてくみたいなんですよね。

後、作中に描写はしませんでしたが、多目的トイレは男女で区分けされたトイレを精神的に使いづらい、性的マイノリティも使用していいそうです。
つまり後天的TSをしたお兄ちゃんや、先天的TSをしたカンナも優先対象だったりするみたいです。まぁそれでも、身体的な方を優先すべきだとは思いますが、あくあで優先ですね。

それと水着回も兼ねていたわけですが……正直アニメの描写の仕方がえっぐい。
かえでちゃんの胸揺れに注目する人が多いっぽいんですけど、正直お兄ちゃんの尻の方が描き方ヤバいと思うんですよ。
というか、かえでちゃんの描画はお色気で済むけど、お兄ちゃんの描画はアウトじゃないだけでダメだと思うんです。何がダメとは言いませんが。
いやーけしからん。まったくもってけしからんですよ。
二期制作待ってます。
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