兄者はおしまい   作:知らない半島

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 気圧痛なのか、締め付けるような頭の痛みで一日つぶれるのをなんとかしたい……。平日は平気なのになぜ休日だけ……。

 しかも投稿してない間に原作で爆弾二連投されるとは……。

 なんだあのニャーンなお兄ちゃんは!

 なんだあのダンスィー二人の疑似結婚は!

 ええい原作でコミックアンソロジーみたいなネタしおってありがとうございます!



ep009 まひろと看病と二者面談

ep009 まひろと看病と二者面談

 

 

 

 引きこもりニートの基本的生活サイクル、昼夜逆転をやめて早いもので数ヶ月。すっかり朝起きて、妹たちと一緒に朝食をとり、二度寝を決め込むという生活サイクルにオレは矯正されてしまっていた。いやはや、我ながら真人間になったものだ。

 故に寝ぼけ眼をこすりながらでも、その食卓についた時に違和感を覚えたのは何も不思議な事ではなった。

 

「ん? おいカンナ、お前等の飯はどうした?」

 

 見れば食卓にはオレ一人分の朝食しか無かった。白米に味噌汁、卵焼きと塩鮭。今日も今日とて寝起きの腹を刺激する臭いだが、家族五人分の食事を乗せられるテーブルの上にはオレ一人分の朝食しかなく、広い空きスペースに異常感がする。

 故にいそいそとキッチンで作業している制服姿のカンナにその事を問えば、末妹はこちらに視線を向けるでもなく、作業の片手間に口を開いた。

 

「あぁ、姉者が風邪を引いたらしくてな」

 

 みはりが風邪? 成る程、それでみはりの朝飯がここにはないのか。納得しながら手を合わせて、いただきますと一言。味噌汁を一すすり。

 

「じゃあお前のは?」

 

「今朝は結構やる事があってな。ちょっと忙しいから、握り飯でもう済ませたよ」

 

 カンナはそういいながら手を止めず、まだキッチンで右へ行ったり左へ行ったりを繰り返している。

 

「……忙しそうだな」

 

「まぁ二人の昼飯を今のうちに用意しておかなければならん分、今朝はちょっと余裕がない」

 

 そう言いながら完成させた皿にラップをかけ、冷蔵庫に仕舞いながらカンナがこちらに振り向く。

 

「兄者、昼飯は冷蔵庫に入れておくから、レンジで温めた後、白飯と一緒に食べておいてくれ」

 

 そう言い終わるや否や、カンナは玄関の方へと駆けていく。

 

「あ、おいーー」

 

「兄者すまん、俺はもう出るから、留守番頼んでいいか?」

 

 普段しゃべる時より早口にそう言い残していくあたり、本当に忙しくて時間に余裕がないことが窺える。

 

「お、おう! ……なんか、オレがやっておく事とかってあるか?」

 

「……あぁ、そうだな。姉者用におにぎりを作っておいたから、食欲が出たようなら持って行ってあげてくれ。残りの家事は帰ってからやるから」

 

 じゃあ行ってきます。と言葉を残して、玄関の閉まる音がする。

 

 取り残されたオレは、卵焼きを一口食べ、白米も口に放り込む。

 ……なんだろうな。この、家族が忙しそうにしてる時に、何もできない居心地の悪さって奴は。いつもは噛んでる間に次に食う物に箸を伸ばしてるものなのに、どことなく、喉の通りが悪くて机の上に手を置いたままになってしまう。

 

 いつもより時間をかけて飯を終えた後、流しに食器を持って行き、水に漬けておく。

 

(そういえば、みはりの様子はどんな物なんだろ……)

 

 風邪って言ってたけど、ひどいのだろうか。それとも大したことないのか。

 

「ちょっと、見てみるか……」

 

 

 

 二階へ上がり「みはり」と書かれたネームプレートのかかった部屋へ。

 思えば、ここに入るのはかえでちゃんと出会ったあの日以来か。同じ屋根の下ながら、オレが妹たちの自室に入ることは滅多にない。用事が無いというのもあるが……オレが基本自室に引きこもっているから、というのが大きいだろう。

 ご飯とトイレと風呂以外に、自室を出ることのない生活なんてしていれば、そりゃそうだろうよと自己完結。

 入室する時はノックすべきなのかもしれないが、寝てるなら起こすこともないだろうとそのままドアをあける。

 

「みはり、調子どうだー?」

 

 小声で問いながら視線をベッドの方へ向けると、ベッドの上で苦しそうにハー、ハーと肩で大きく呼吸をしながら寝ているみはりが居た。

 

「あぁ……お兄ちゃん」

 

「風邪だってな。カンナから聞いた」

 

 体を起こそうとするところに良いから寝てろと制止をかけ、ベッドの横までいく。ゲホッゲホッと咳が出てるし、顔が赤い。普段はパッチリ開いている目も、今日はトロンと半開きで何処かうろん気だ。

 

「まぁ……平気だよ……薬も飲んだし、後は寝てれば治るから……」

 

 みはりはそう言うが、とても平気そうには見えない。ベッドの上で息をするのが精一杯といった感じに見える。

 

「飯は食ったか?」

 

「……食欲無かったけど、カンナがゼリー飲料と、スポドリ買ってきてくれたから……」

 

 ベッドの脇、寝たまま手を伸ばせる位置に中身の入っているレジ袋。ちょっと中身を覗いたら、さっき言ってた飲み物とゼリーが入っている。カンナが買ってきた物の残りなのだろう。

 ……俺が寝てる間に、カンナがだいたい終わらせたようだ……。

 

「ゲホッ……あぁ、そうだ……お兄ちゃんのお昼……」

 

「あぁ、そっちもカンナがもう用意してくれたよ。気にしなくて良いから寝てな」

 

 オレがそう言うと「そっかぁ……じゃあ、安心かなぁ……」なんて言いながらみはりは目を閉じていく。

 本当、何から何までカンナ様々だな……オレがやる事なんて全然無い……。

 

「……じゃ、じゃあ、暖かくして安静にしてろよ? 風邪の時は寝てるのが一番なんだから」

 

「うん……そうするね、お兄ちゃん……」

 

 おやすみぃ。と弱々しく言うみはりに、あぁ、おやすみ。と返して、静かに音をたてないように、オレは部屋から出ていく。

 

 何処か居心地の悪さをかすかに感じながら自分の部屋へ帰り、じゃあ、いつもみたいにゲームでもするかとパソコンを立ち上げ、OSの起動画面をぼーっと見つめる。

 

(……思えば、オレ、ホントなにもできないんだよな……)

 

 今朝、カンナはとても忙しそうにしていた。

 風邪を引いたみはりのために、色々買いに走って、オレとみはりの昼飯を作って、そのうえオレの朝飯まで……自分の飯を適当にすませるほど、今朝のカンナは余裕が無かった。

 なのに、オレを頼るような言葉はなかった。せいぜいがオレが聞いたから出てきた、みはりの昼飯を運ぶことぐらいだ。

 そんなにオレは頼りないのだろうか。

 ……いや、答えは分かってる。そりゃ頼りないだろう。

 家事なんてほぼほぼやったことが無い、実績も経験もないニートに、頼ろうなんて奴はいない。できることがないから、何もしてこなかったから、頼ろうなんて選択肢もなく、全部一人でやろうとする。

 ……いいのか? オレ。まだ中学生の末妹が、あんなに色々している同じ屋根の下で、ぐうたら三昧の一日を過ごして……。

 

「……よし」

 

 オレはマウスカーソルをインターネットブラウザへと向けてダブルクリック。キーボードへ指を滑らせ「風邪 看病」と入力した。

 

 

 

 グーグル先生曰く、風邪の時は水分、栄養を補給しつつ安静にするのが一番。引き始めは体を温めて免疫の手助け。熱が下がってきたら体を冷やす。

 だいたいカンナがもうやってしまっていたが、一つ、まだオレにできる事が残されていた。

 

「……お兄ちゃん、なにやってるの?」

 

「ん? 加湿」

 

 なんでも、適度に加湿しておいた方がいい、とのこと。本当なら加湿器を使うべきなのだろうが、久々に使う場合、フィルターの掃除やらなにやらと、使用までに結構な手順と時間を必要とするらしいので、今回は不採用。手頃な方法として、濡れタオルを部屋の中で干す、というのがあったので、それをすることに。

 部屋の床に濡れタオルを直置きとはいかないので、折りたたみのタオルスタンドをみはりの部屋に持ち込む。

 寝てていいぞ。と言い残して、一階のバスルームへ。桶に水をためて、そこにタオルを浸して絞り、濡れタオルを作ってみはりの部屋で干す。これで部屋の加湿になるらしい。

 

「ってオイ、寝てなきゃダメだろ」

 

 一仕事終えたと思ったら、なにやらみはりがベッドから立ち上がろうとしているので注意する。

 

「いや、ちょっとトイレ行っておきたいなって……」

 

 あぁトイレか。なら仕方ないか……。

 そう思うも、どうも足取りがおぼつかない。いつものシャキッとした歩みではない。足に力が入らず上半身が重く感じているかのような、体を左右に揺らしながらのヨタヨタとした歩みは、いつ転んでもおかしくない。

 

「無理すんな、ほら」

 

 そう言ってみはりの片腕を取り、肩を貸す。身長、体格共に小さくされた体ではいささか頼りないが、一応一人で立って歩ける人間を支えるぐらいはギリギリできるらしい。

 みはりの部屋からトイレまではそう遠い物ではない。緒山家には1階と2階にそれぞれトイレがあるので、引きこもり的には大変助かっている。部屋を出てすぐのそこに連れて行けば、ありがとう、とだけ言って壁に手をついて体を支えながらみはりはトイレに入っていった。

 

(……湿ってたな……)

 

 さっきまでみはりを支えていた手をスリスリしてみると、汗のペタペタとした感触。自分の物ではない。さっきまで支えていたみはりの汗だ。

 

(体も拭かせてやるか……)

 

 必要なものは濡れタオル……水よりもお湯の方がいいか。そんで乾拭き用の乾いたタオルと、着替えか。……オレの男の頃のジャージは、カンナのタンスの中かな?

 そんな算段をたてている間に、みはりの方も終わったのか水音が聞こえてきた。

 

 

 

 と、いうわけだ。

「脱げ、みはり」

 

 そう告げた時、みはりの熱で赤らんだ顔が、信じられない物を見たような目でこちらを見てきた。

 

「お、お兄ちゃん? ちょっと、いきなりどうしたの?」

 

「いいから脱げって。スッキリさせてやるから」

 

「ちょ、ちょっと? 何をするつもりよ! その手に持ってるのは何!?」

 

 

「何って、お湯とタオルだよ。ほら、体拭いてやるからさっさと脱げ」

 

「……お、お兄ちゃんのケダモノ……」

 

「そういうのいいです」

 

 何だと思ったんだよ。オレら兄妹だぞ? エロい展開なんてあるわけないだろ。

 なーんか、こういうところ兄妹だよなー。なんて思いつつ、ちょっと熱いぐらいのお湯に浸したタオルを全力で絞る。三人そろってエロコンテンツに脳をやられてるんじゃなかろうか。そりゃギャルゲやエロゲならこの後服を脱いだ妹の体を拭くスチルが挟まるのだろうが、あいにくリアル兄妹ではイヤらしいフインキになんぞ、なろうはずがない。

 

 背中向けろー。と言うと、妹はしぶしぶといった感じに背中を向け、パジャマの上を脱いだ。

 出された背中は、やはり結構汗をかいていたようで、蛍光灯の光をうっすらと反射するテカリがちらほらと。そこにちょっと熱いぐらいのタオルを当てて、ゴシゴシとこする。

 

「あっ……結構気持ちいい……」

 

「だろ? ほら、腕上げろ。脇いくぞー」

 

 言われた通りに上げられた腕の、脇からわき腹までもゴシゴシと。さらに腕をタオルで包んで、そこの汗も取っていく。

 反対も、と言えば、同じような作業を繰り返す。

 

「ほい。そんじゃ前や下半身は自分でやってくれ」

 

「……そりゃぁ、ね」

 

 もう一回、お湯に浸して絞ったタオルをほいっと渡せば、首から徐々に体を拭いていく。それに平行して、オレは乾いたタオルで乾拭きを済ませる。

 数分もすれば、みはりの体からは汗の痕跡は消えていた。指で触ればスベスベとした感触が返ってくるであろう。

 

「ほい。寝間着も洗っておくから渡しなー」

 

「いや、私風邪引いてるのに裸で寝ろっていうの?」

 

「一応オレの用意しておいたから」

 

 ほい。と用意しておいたジャージを渡す。今はカンナが使っているとはいえ、元々は自分の物だったのだ。オレの判断で使っても問題なかろうて。少々大きいであろう点は、ご愛敬ということで。

 

「……コレ、お兄ちゃんの……」

 

「お前のパジャマはしまってる所とか分かんなかったから。まー大丈夫だろ?」

 

「……うん」

 

 汗を吸ってベタつく湿り気を帯びたパジャマを回収し、タオルと桶も一緒に手に部屋を出る。

 

「じゃ、なんか要るなら言えよ?」

 

 そう言い残して部屋を後にしたオレは、実に頼りがいのある、背中の大きい兄だったことだろう。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 ……実に頼りがいのある、背中の大きい兄、だった、だろう……。

 それは悲しい事故だったんだ。

 あの後回収したパジャマを洗濯機に放り込んで、洗剤選んでスイッチオンと決め込んだところで、よく働いたからか体が空腹を訴えてきたのだ。

 じゃあカンナが作っておいてくれた飯でも食うかとなったのは当然の流れであり、冷蔵庫から昼飯の乗った皿と握り飯を取り出し、電子レンジでチンしてあっためて食ったのは、何もおかしい事じゃないだろう。

 そう、昼飯の皿と、握り飯だ。

 

 ……どうしよう、みはりのご飯……食べちゃった……。

 

 今朝カンナは言っていたのだ。

 姉者用におにぎりを作っておいたから、食欲が出たようなら持って行ってあげてくれ、と。

 そしてオレの手元のスマホには、みはりからのメッセージが。

 

 食欲出てきたから、何か食べたいな。

 

 どうしよう……いやマジでどうしよう……お前の飯食べちゃった、は流石にアレすぎる……な、なんとかして誤魔化さねばなるまい……。

 

 何か手はないか……とか考えていると、ふと炊飯器が目に入る。

 そういえば、カンナはこうも言っていたな。昼飯は冷蔵庫に入れておくから、レンジで温めた後、白飯と一緒に食べておいてくれ、と。

 ボタンを押すと、パカリと蓋が開いて、湯気と一緒に炊いた米の匂いがただよう。

 

(よし、コレをおにぎりに……)

 

 とも思ったが、ふと思い立つ。

 

(……風邪に出すならお粥の方がいいのか?)

 

 いや、なんかこう、風邪の定番といったら、おにぎりよりもこっちかなって……。これなら、みはりにお粥を食べさせるために、白米の方を残した、と言えばなんかオレが思慮深い感じになるんじゃなかろうか。

 

(……よし)

 

 決まりだ。サクッと作ってやって、この失態を挽回せねばなるまい。

 さーってそれじゃー早速~……。

 

「……何をどうすればいいんだ?」

 

 いや、お粥がなんとなく、お湯で柔らかくしたご飯だってのは分かるんだが……米とお湯をどんぐらいで入れればいいんだ? 後、米とお湯以外は入ってないのか?

 えーっとこういう時は……。

 

(あっ、そうだ。カンナに作り方聞けばいいんだ)

 

 えっとスマホを取り出しポパピプペっと……

 

「って違ーう!」

 

 危ねぇ! カンナは一番聞いちゃダメだろうがよ!

 お粥の作り方を聞く。何でそんな事を聞くのか考える。おにぎりがなくて白米だけとバレる。オレが食ったと察せられる。兄者にはがっかりだよとなっちまう!

 

 と、なれば、他に頼れる人は……。

 

「母さん……」

 

 いや、お粥の作り方聞くために海外まで電話かけるのはどうなのよ……向こうが今何時かもわからないし……。

 と、なれば残る知り合いは……。

 

「時間は……あー、大丈夫な筈……」

 

 記憶の中のタイムスケジュール通りならば、もう学校は終わってる筈だ。放課後に暇があるかは……いいや、電話でソレから聞いてみよう。

 

 オレはつい最近、新たに加わった連絡先を呼び出した。

 

 

 

『まひろちゃーん? どしたのー?』

 

 電話の向こう側から、軽いノリの声が聞こえてくる。現役女子高生の、年下の子に対する気安い声音。それに少し、慣れない電話の緊張感をほぐされる。

 

「あ、かえでちゃん、今大丈夫? ちょっと教えてほしい事があって……」

 

『今学校帰りだから大丈夫だよー。何なにー?』

 

「その、お粥の作り方、とか聞きたくて……」

 

『お粥? 滅茶苦茶簡単だよー』

 

 良かった。これなら大丈夫そうだ。と一安心した所で、電話の向こうから重々しい声で『アレ?』と呟かれる。

 

『そもそも、みはりに聞けば教えてくれるでしょうし……カンナちゃんも料理できるのよね? それでもあたしに聞いてきたってことは……二人とも風邪で寝込んでるか、一人は風邪で今まひろちゃんしか居ないって感じかな?』

 

 わーお、お粥の作り方聞いただけで全部バレちゃった……。

 こりゃカンナに聞かなくて正解だったな……聞いたらオレがみはりのご飯食べちゃったのなんて、一発でバレただろうよ。

 

「まぁ……うん……みはっ、りお姉ちゃんが風邪で、カンナは学校行ってる……」

 

『そっか……大丈夫? 応援行こうか?』

 

 おぉ、マジか!? お粥の作り方だけで済まそうとしてたのに、思わぬ援軍ゲットだぜ!

 是非来てもらおうと口を開きかけたところで、喉に何かが引っかかる。

 

 ーー家事なんてほぼほぼやったことが無い、実績も経験もないニートに、頼ろうなんて奴はいない。できることがないから、何もしてこなかったから、頼ろうなんて選択肢もなく、全部一人でやろうとする。

 ーー……いいのか? オレ。まだ中学生の末妹が、あんなに色々している同じ屋根の下で、ぐうたら三昧の一日を過ごして……。

 

 ……いや、良くないだろ。良くないから、今"オレが"看病してるんだろう。

 

「いや、その、今日は大丈夫。ありがと……」

 

 喉の引っかかりを一度飲み込み、形の変わったソレを喉から通す。

 それに何かを察してくれたのか、

 

『……うん、そっかそっか。じゃーお粥の作り方だけ教えるねー』

 

 かえでちゃんの声音は、包み込むようで、それでいて背中を押すような、そんな暖かさを帯びていた。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 37℃3分。薬が効いてきたようで、体の重苦しさはほとんど感じないほどに回復していた。

 しかしそうなると、今度は消化器官が消耗した分を補充しようと空腹を訴えるようになり、そのせいで体を動かすのがちょっとつらい。まあ、空腹ならご飯を食べればいいわけだから、カンナが用意してくれているお昼を持ってきてもらおうと、さっきお兄ちゃんにメッセージを送ったわけだが……。

 

「……遅いなぁ、お兄ちゃん」

 

 メッセージに既読がついてから少し経っている。一度リマインドさせたほうがいいのだろうかと、スマホを手に取った時だった。

 

「へ~い、お待っとさ~ん……」

 

 扉を肩で押し開けるようにしてお兄ちゃんが入ってきて、その両手は小鍋と茶碗で塞がっている。おそらく私のお昼なのだろう。用事の無くなったスマホを脇に置きながら、ようやくお腹を満たせると一安心するのだった。

 

「それ、お粥?」

 

「おう。出来立てだぞ~」

 

 そう言いながら座卓の上に鍋を置いて、蓋を開く。言葉通り出来立てのようで、ふわりと湯気が広がる。

 しかし、お粥を用意しておくとは……レトルトだろうか。使ったことないけど、作るのに結構時間がかかるのか……はたまた、お兄ちゃんだから時間がかかったのか……。

 

 小鍋からお茶碗によそったとろとろのソレに、レンゲをそえてお兄ちゃんがベッドにまで持ってくると、そのままベッドに腰掛ける。

 そしてレンゲでお粥を一掬いすると、それにフーフーと息を吹きかけ冷ましていく。3、4回ぐらい繰り返したそれを、

 

「ほれ、あーん」

 

 といって、私の方へ突きだしてきた。

 レンゲの持ち手の方じゃない、お粥が入った掬う部分を。

 

「……え?」

 

「え? って何だよ。食わないのか?」

 

 ほれほれ、とレンゲを少し揺らして催促してくるお兄ちゃんだが、こっちとしてはちょっとためらう。

 だって、これってアレだ。俗に言うあーんってやつで、恋人のする事だろう。さらにこのお粥は、さっきお兄ちゃんがキスするように少し突きだした唇から、息を吹きかけた一口である。

 思いがけないシチュエーションにドギマギしていると、しびれを切らしたのか「食え」と言わんばかりに、私の唇に触れる所にまでレンゲを迫らせる。

 

 ……とりあえず、気恥ずかしさや緊張を一度飲み込む。そして口をあーんと開きながら、今更ながら唇は乾いてないか、開いた口に涎の糸は引いていないか、等の心配をレンゲのお粥と共に口に入れ、唇をすぼめてレンゲのお粥を口の中に落とした。

 

「どうだ? 熱くなかったかー?」

 

 どちらかというと、顔の方が熱くなってるんじゃないかってぐらいだ。大丈夫、大丈夫。

 そうして味わおうと、ゆっくり咀嚼しているのだけど……何故だろう、いくら噛んでも、口の中で転がしても、味らしい味がしない。しいて言うならば、薄くなったお米の味というか……塩気が……感じられない。

 

 いや、病人食とはいえ、いくら何でも薄味すぎるだろう。食べたことないけど、レトルトってこんな物なのだろうか……。いやいや、流石に薄すぎる。

 

(となると、塩の入れ忘れ?)

 

 とも考えたが、しかしあのしっかり者のカンナが、こんな凡ミスをするだろうか。味見した時に気付きそうな物だし、となると……。

 

(……え? まさか……)

 

 一つの推論が頭をよぎり、お兄ちゃんの方に驚きに開いた目を向ける。

「これ、もしかしてお兄ちゃんが……?」

 

 どうやら当たっていたらしい。「え? あ~……」や「いや、その~……」だとか、言いながら目をあちこちへ反らした後に、

 

「ほ、ホントはカンナがおにぎり作ってたんだけど、病人にはお粥だろうと思って、その……」

 

 何処か言いづらそうに「オレが……作った……」と、こちらの様子をうかがうように上目遣いで告白した。

 

(……そうか、これ、お兄ちゃんが……)

 

 私の覚えている限り、お兄ちゃんが料理と呼べるものを作ったことはない。せいぜいがカップラーメンにお湯を入れる程度だ。手料理はお母さんが作るか、カンナが作るか。ここ数年は私も作るようになったが、そのせいかお兄ちゃんが台所に立つことなんて無かった。

 そんなお兄ちゃんがお粥とはいえ、料理と呼べるものを作ってくれた。失敗はしていても、私のために、初めてに踏み込んでくれたのだ……。

 これは、兄に向ける感情ではないのだろう。けれども、その確かな成長に、私は……。

 

「う……うぇっ……うえええぇぇぇ~~ん……」

 

「え、あれ!? ちょっと、みはりぃ!?」

 

 突然泣き出した私に驚き、あたふたし出すお兄ちゃんに、しかし私は仕方ないじゃないかと、心の中で言い訳をする。

 だって、引きこもってからずっと無かった、私のためにしてくれた事なんだもの……。昔は私のために、物を教えてくれたり、面倒見てくれたり、慰めてくれたり……そういう事をしてくれた。けどここ数年、そういうのが無かったのだ。それどころか、引きこもってからは会話も減って、顔を合わせることもあんまり無くなって……。

 それを解消しようと、頑張って勉強して、大学に飛び級して、研究して、女の子にして……そうしてやっと得られた、お兄ちゃんが、私のためにしてくれた事なのだ……。

 報われたことの嬉しさに、涙を流してしまうのも仕方ない事だろう。

 

「え、いやあの……そ、そんなに不味かったのかぁ!?」

 

「……不味いっていうか……味がしない……」

 

 見当違いの心配だが、けれど、実際味付けに失敗はしているのでソレを口にする。

 私の指摘に思い当たる節はあるようで、口に手を当てながら「あっ」とこぼした後に目を逸らしながら「塩、入れ忘れた……」と白状した。

 

「うぅ……でも、うれしいからーー」

 

 あーん、と口を開いて追加を催促する。

 しょ、しょうがないな……なんて照れ隠しなのか、しぶしぶといった風にレンゲで掬ったお粥に、ふーふーと息を吹きかけてくれるのだった。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 まだ私が中学生だった頃だ。

 

「あれ、どうしたの? その髪留め」

 

 まだ黒髪でボブカットの、おとなしい見た目だった頃のかえでが、私の前髪についた装飾品に気付いて聞いてきた。

 あぁ、これね? なんて、言われて思い出したかのように言ってみるが、正直なところ自慢したくて仕方なかった。

 思った通り気付いてくれた親友の察しの良さを感謝しつつ、はにかみながら髪留めの表面をなでる。

 

「お兄ちゃんが買ってくれたんだ~。この間のテスト、良い点取れたご褒美にって」

 

 アクセサリーショップを眺めている時、後ろからのぞき込むようにして「これが欲しいのか?」と聞いてきたお兄ちゃん。見てるだけ、といった私に、興味なさそうに「ふーん」と言いつつ、この髪留めを手に取ってお兄ちゃんは会計へ持って行った。

 そして「ほら、この前のテストのご褒美だ」とぶっきらぼうに言いながら、小さな包みを渡してくれたのだ。

 それから今の今まで、お風呂や顔を洗うとき以外、ずっと付けっぱなしだ。

 

「優しいお兄ちゃんだね~、いいな~」

 

「かえでは兄弟居ないの?」

 

 心底羨ましいといった様子に一人っ子なのかと思ったが、予想に反して「ん~ん」と首を横に振られる。

 

「妹がいるよー。そして私がお姉ちゃん」

 

「あぁ~成る程、妹か~」

 

 そう言われて脳裏によぎるのは、当時から可愛げという物がなく、しっかり物で、何でも一人でこなす小学生の自分の妹。

 

「ありゃりゃ? 微妙な反応だね」

 

「ん~、だって思ってたより可愛げないし、あんまり話さないし……」

 

「私のところは、趣味は合わないけど結構話すかなー。お姉ちゃんお姉ちゃんって、後ろついてきたりして可愛いんだ~」

 

 えへへ~、とはにかむ様子のかえでに、良いな~と羨むのは、思い返せば、隣の芝は青く見えるってことだったのだろう。

 

「趣味が合わないなら、妹とどんな事話すの?」

 

「今小学生だから学校のこととか、後はお菓子作ってあげたりとかしてるよ。甘いものは好きみたいで、結構喜んでくれるんだー」

 

 お菓子作りと聞いて、少し考える。そう言えば、カンナはご飯を作る手伝いとか、準備をまるまるしているけれど、お菓子を作ってるところは見たこと無いな、と。

 

(お菓子なら、作ってあげればお兄ちゃんもカンナも喜ぶだろうか……)

「ねぇ、かえで。お菓子づくりって私にもできるかな?」

 

「お、妹ちゃんに食べさせてあげるの?」

 

「後お兄ちゃんにもあげようかなって」

 

「好きだねぇ、お兄さん。うん、いいよ。教えてあげる」

 

 よし、じゃあ今日かえでの家に行くね! と言うと「え、今日!?」と驚かれたっけ。

 

 目論見は成功して、お兄ちゃんは絶賛してくれた。旨い旨いって、作ったクッキーを次々口に放り込んでいった。

 カンナも言葉少なげに「うん、旨い」と、たまに口からこぼすように言うあたり、本当に喜んでくれていたのだろう。

 

 そんななつかしい記憶を夢に見たのは、多分、初めてお兄ちゃんが私のために料理をしてくれたから。私が料理した時、お兄ちゃんやカンナも、今の私と同じくらい嬉しかったのかな、なんて思ったから。

 

 

 

 お粥を食べた後にもう一眠りをして、目が覚めた時にはもうすっかり体調は回復していた。重かった体はとても軽くなり、頭もぼんやりした感じは無い。

 

 ふとベッドの脇を見れば、お兄ちゃんがベッドに上半身だけ預けた状態で、うつ伏せになって寝ていた。

 もしかして、あの後ずっと側に居てくれたのだろうか。慣れない事をしたせいで、疲れて寝ちゃった、と。

 

「お兄ちゃん……」

 

 コレは、ちょっと労ってあげなきゃだろう。

 頑張ってくれたご褒美に、何を作ってあげようかと思ってーーそういえば、さっき初めてお料理するようになった時のことを夢に見たことを思い出す。ちょうどいいしアレにしようかと、お兄ちゃんを起こさないように、そっとベッドから抜け出した。

 

 

 

 玄関から聞こえた「ただいま」に、オーブンの中を見ながら「おかえりー」と気のない返事を返す。

 帰ってきたカンナはリビングに鞄を置きながら、私の様子を確認したのか「体調は戻ったようだな」と安心したような声音で言った。

 

「まーただの風邪だしね。薬飲んで、ご飯食べて、ぐっすり眠ればこのとーり」

 

「何よりだ。ところでソレは?」

 おそらく、オーブンの中身を指して聞いてきているのだろう。

 

「お兄ちゃん、看病頑張ってくれたみたいだからね。そのお礼、かな?」

 

 オーブンの覗き窓に、私の後ろに来てのぞき込むカンナの姿が映る。

 

「クッキーか。久々だな」

「カンナの分もあるよ」

「となれば、俺はコーヒーを入れるとしよう。病み上がりだし、カフェオレにしておくぞ」

 

 よろしくー。と返して、私は焼き加減を見極める作業に戻る。

 

 久々、か。そういえば、そうだったな……と、思い返す。

 お兄ちゃんがまだ優しかった頃……勉強とか、スポーツとか、後はお料理とか……頑張れば頑張っただけ、お兄ちゃんは誉めてくれていた。

 それがいつからか、だんだんと交流が減っていって……次第に、クッキーを焼くこともなくなっていった。

 思えば私の動機って、ほぼほぼお兄ちゃんだったな、なんて……。

 

「なんか甘い匂いがするぅ……」

 

 よったよったという音を鳴らしながら階段を下りてくるお兄ちゃんが、鼻をひくつかせながら寝ぼけた声で言う。

 そのタイミングでオーブンからチーン♪ と小気味の良い音が鳴り、クッキーの完成を知らせた。

 

「ちょうどクッキーが焼けたところだよ。一緒に食べよう、お兄ちゃん」

 

「おぉ、クッキーか! 久々だな……ってお前、もう体は大丈夫なのか?」

 

 今の今まで寝ぼけていた様子が、私を見た途端に吹き飛び、心配した様子を見せる。

 その事にちょっと嬉しくなりつつ「うん、もう大丈夫」と返す。

 

「ほら、カンナがコーヒー入れてくれてるよ。何飲む?」

 

 皿にクッキーを並べながら言えば「お、じゃあ俺カフェオレー!」とカンナにオーダーが飛んだ。「了解だ、兄者」とカップを予め三つ用意していたカンナが、注ぎ口の細い薬缶でインスタントコーヒーを入れ始める。

 数分後、湯気の立つ三つのカップと、クッキーが乗った大皿を囲んでの、ちょっとしたお茶会。

 カップをゆっくり傾けながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 お兄ちゃんは食い気が先走るのか、クッキーをかじるか、たまにカフェオレをすするかが途切れることがない。時折「んま~」と堪能している様子を見せてくれてるので、私としては大満足だ。

 

「や~っぱ、みはりは料理上手いよなぁ。手が止まらんっ」

 

「……へへへ~」

 

 ……そう。昔はこんな風に、頑張ればソレを誉めてくれていたんだよね……。

 

「そういえば、姉者が家で初めて作ったのも、クッキーだったか?」

 

「あ、うん。中学生の時、かえでに教わって始めたのよ」

 

「かえでちゃんに? へ~。ってことは緒山家の家庭の味って、元を辿ればかえでちゃんになるのか」

 

「いや~、どうだろ? 私はかえでに教わったけど、カンナは違うし」

 

「俺はネットからレシピ引っ張ってきて、ソレを真似ただけだからな」

 

「両方母さんから教わってない件」

 

 なんだか、懐かしいな。この感じ。

 お兄ちゃんが引きこもる前は、兄妹三人で、こんな何気ない会話をよくしていたっけ。

 お兄ちゃんは、確実に変わってきている。

 女の子になってから、部屋から出てきて、お話する機会が大分増えた。声音は柔らかくなったし、笑顔も増えてきた。

 家から一歩も出ることが無かった2年間から、ここ最近は、連れ出せば一緒に来てくれるようにはなった。

 

「あぁ~食った食った~」

 

「もう、ほとんどお兄ちゃんが食べちゃって~」

「綺麗に平らげたな、兄者」

 

 まだ、ああなっちゃった原因は分からないけれど……でも、確実に状況は改善している。

 

「じゃ、洗い物して、夕飯の支度でもしますか」

「あ、手伝うわよ」

「回復したと言っても病み上がりだろう。任せてくれ姉者」

 

 計画は順調、かな……。

 リビングのソファに寝っ転がり、安心した猫のようにダラダラしているお兄ちゃんを見ながら、そう思う。

 ……社会復帰は、まだ先かもしれないけど、ね。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 時は数時間遡る。

 

 向かい合うソファーと、その間のローテーブル。その部屋の上座の席に、俺は中学校の制服姿で座っていた。

 

「いや~、ごめんごめ~ん。ちょーっとお待たせしちゃったかな~?」

 

 かれこれ15分ほど手持ちぶさただったところに、俺をここに呼びつけた人が現れた。

 

「いえ、今日は学校を休んだので、時間には余裕がありますから」

 

「その件もごめんね~。予定が取れなくて、平日になっちゃって」

 

「お忙しいのは、まぁ理解できますから、お気になさらず」

 

 入ってきた人は、軽薄そうな空気をまとった若い女性だった。

 しまりのない笑みを浮かべ、背筋は伸びずに猫背気味。身だしなみもあまり整えられておらず、髪はボサボサで、服にはしわが寄っている。

 しかしこの人が見た目通りの、ただのだらしない大人ではないことを、まとった白衣と、その肩書きが物語っている。

 

「本日はよろしくお願いします、吾妻(あづま)ちとせ准教授」

 

「堅苦しい呼び方じゃなくても、気軽にちとせお姉さん、とでも呼んでくれたまえ、カンナちゃん☆」

 

 風邪で寝込んでいる姉者を、兄者が看病している、その時刻。

 場所は姉者が通う大学の応接室。平日の昼間に、女子中学生と大学准教授の面談が始まった。

 

 

 

「あ、飲み物だけど、コーヒーでいいかな?」

 

「ありがとうございます。大丈夫です」

 

 持ってきていたコーヒーカップをローテーブルに置いて、俺たちは向かい合って座った。

 

「みはりちゃん、風邪引いたんだって? 大丈夫そう?」

 

「見た感じただの風邪のようでしたし、まぁ問題はないかと」

 

「そいつは良かったよ。あ、手が必要そうなら何時でも言いなよ? 後輩のためなら、今やってる実験ほっぽりだしてでもかけつけるからさ」

 

「そのときは是非に、よろしくお願いします」

 

 お任せお任せ~。なんて軽い調子で言いながら、吾妻准教授はコーヒーをすすった。

 

「ところで、そんな姉には内密で会いたい、とはどういう事ですか?」

 

 この面談の呼び出しは数週間前に来た。

 大学に呼び出されたとのことで姉者が留守にしている、その時にかかってきた一本の電話。

 出ればこの軽薄そうな声音で、俺、緒山カンナと面談がしたい、とのことだった。

 何故、姉者でなく、兄者でもなく、13才の小娘である俺なのか。何故、一番関わりがある筈の姉者には内密なのか。

 

「うん、今日はね、君にあの実験の様子を、君視点で語ってもらいたいなと思ったんだ。お姉さんである、みはりちゃんとは別視点。素人であり、それでいて当事者ではない、君の視点から、ね」

 

 あの実験とは当然、兄者へ投薬された、性別を変える薬の実験のことだろう。

 

「言ってくれれば、レポートで提出しましたが」

 

「いやいや~、中学生にその辺は難しいかなーって、思ってね? ほら、まだ君たちは長文を書く機会なんてないだろうし、だったら直接お話して聞かせてもらおうかなーって」

 

 成る程、言われてみれば中学生の書く文章なんて、せいぜいが読書感想文ぐらいの物だ。書き慣れていない者のレポートを読むぐらいなら、直接会話で聞き出した方が早い、か。

 

「姉には内緒、というのは?」

 

「お姉さんの考察とかが混じるのを避けるためかなー。ほら、せっかくの素人視点なんだしさ。欲しいのは、我々専門家にはない視点からの感想なんだよ」

 

 筋は通っている、のだろうか。

 正直、この准教授の言い分は怪しいと思う。思うがしかし、確信を持ってドコが怪しいと言える物が、俺にはない。

 

 俺には成人男性の人生経験がある。それはその辺の子供にはないアドバンテージだが、しかしそれはあくまでも"ただの"成人男性の人生経験なのだ。大学で准教授を勤めるような……それも、姉者が所属する、天才の巣窟。その一人である人間の考える事を察せられるような物ではない。

 

 それに、求められているのはただの感想だ。

 

「そう、ですね……兄への性別を変える薬の投薬への感想ですが……上手くいきすぎている、ですかね」

 

「上手くいっている、ではなく、いきすぎている、かい?」

 

 そう、すぎている、だ。

 

「健康面、医学薬学に関しては、俺は専門家ではないのでコメントは避けます。正直、身長が縮んで若返りまでしてる性別反転が、どうして体に負担がかかっていないのか、俺には想像すらできませんから」

 

 一つなら、百歩譲って理解を示すが、同時に3つは頭がおかしいと言わざるをえない。

 

「ただこの変化が、精神にもたらす負荷は大きすぎる筈なんです」

 

 そう、変化が体に対して負担がなかろうと、そんな極端な変化が、精神になんの影響もないなんてことはありえない。

 俺には分かる。

 

「身長がアレだけ変われば、見ている世界が変わる。筋肉も体重も落ちれば、兄にとって世界は重くなる。まっとうな体の成長でも精神に影響が出るというのに、急激な逆行と転換を受けた兄があんなにも精神に負荷を受けていないというのは、普通じゃありえない」

 

 故に、この実験データを扱う時には気を付けねばならない。

 

「兄の実験データは、はっきり言って外れ値になるでしょう。上手くいきすぎている、と」

 

「成る程成る程~? 確かにみはりちゃんから提出されてるデータから見ても、トラブルらしいトラブルもないまま数ヶ月。これは確かに、参照するには気を付けなきゃかもね~」

 

 サラサラと胸元から取り出したペンとメモを滑らせて、俺の発言を記録していく准教授。

 

「後はやはり、準備不足が散見されますかね」

 

「準備不足ねぇ……何か不便でも?」

 

「今朝、姉が体調を崩した時に確認したんですけど……兄の保険証、そのままらしいじゃないですか」

 

 20歳成人男性の保険証を持って来た、10代前半ぐらいの女の子。

 病院の受付は突破できないであろうことを察した瞬間ゾッとしたよ俺は。

 

「薬が切れて元に戻れば使わないから、ってことで用意しなかったのかもしれませんが……実験中に怪我や病気になった時、困ることになるでしょうね」

 

「あ~成る程、言われてみればそうか。身分証明書が使えないような変化を起こす薬の実験なんて初めてだったからねぇ。いや~ごめんね~配慮が足りなかったよ」

 

「……それと、性転換後のトイレですね。体の構造が変わる分、我慢する時の力の入れ方も変わるでしょうし、その辺の説明、対策を事前にしておかないと、尊厳に傷がつくことになる」

 

「おぉ、成る程そこもか。事前説明に入れておかないとだねぇ」

 

「……後は性別で仕切られた施設の利用でも、トラブルが起きやすいかと。男だった過去と女である現在の板挟みで、どっちを利用するかは問題になるかと」

 

「お、それはみはり君からも報告があったねぇ。銭湯を利用するとき、一悶着があったとか……まぁコレは研究室の見解としては、今の性別の方を利用すべき、として言っておかないとか」

 

 スラリスラリ、メモリメモリ、等とつぶやきながらメモ帳にペンを走らせる准教授様は、有益な情報だったのかご機嫌である。

 

「……後、何よりもーー」

 

 そろそろ、話の流れを変えに行こう

 

「本人への事前説明や、承諾を取らなかったのは、何よりもマズい不手際だと思いますよ、吾妻准教授」

 

 ペンを握る手の、動きが止まった。

 

「吾妻准教授、俺からも質問、いいですか?」

 

「うん、いいよ。何でも聞いてくれたまえ」

 

「……何故に今回の実験、緒山まひろ本人から同意を得ずに、投薬実験を決行することを許したのですか」

 

 治験には定められたルールがあり、その中に被験者に説明を十分に行い、文書によるの同意を得なければならないという物がある。

 これに違反した場合、立ち入り検査を受けた後、なんらかの処罰が下されることになるだろう。

 姉者による兄者への投薬実験は、コレに完全に抵触しており、身内であろうとも厳しい処分を受ける可能性がある。

 

「本来コレは、監督者である貴方が姉に対し、指導しなければならない事の筈だ。だが、どうにもそんな様子が見られない。コレはどういう事でしょうか」

 

 俺の追及の言葉に、吾妻ちとせは2秒、3秒と沈黙した後、ニハハ、と困ったように笑った。

 

「う~ん、そうだねぇ。カンナちゃんは、今回の実験の目的って聞いてるかなぁ?」

 

「性転換薬の人体実験ですよね」

「それだけかい?」

 

 俺の返答にかぶせる勢いで聞いてくる吾妻准教授。言葉にせずとも「他にも聞いているんだろう?」と態度で問われる。

 

 ……言っていいものか。姉者はこの人に、何処まで話しているのか。

 ハッキリとは分からないが、しかし調べれば分かる事であろう。隠したところであまり意味はないかと、俺は口を開くことにした。

 

「……兄の、自立へのきっかけになるように、ですね」

 

「うんうん、そこまで聞いてるなら、話しちゃってもよさそうだねぇ」

 

 満足そうに、頬をつり上げニカリと笑いながら、吾妻准教授は言葉を続ける。

 

「まず始めにみはり君へ治験のルール、被験者への同意を求めなければならない、の一文をあえて伏せたのは私だよ」

 

 一瞬、俺の拳に力が入る。

 無意識だった。殴りかかろうとしたのか、胸ぐらをつかもうとしたのか……はたまた、もっと残虐な事を行おうとしたのか、それは分からない。しかし、脊髄反射と言って良いレベルで怒りを暴力へと変換しようとしていたのは確かだ。それぐらい、今の言葉は俺の怒りに触れる物だった。

 だってそれは……最悪、兄と姉の間に、癒えない亀裂を生みかねない物だったのだから。

 

「みはり君の計画した、お兄ちゃん改造計画。女性化して、コミュニケーションを増やし、そこから彼が引きこもった理由を察する、という内容だったね」

 

「そう……ですね……」

 

「でも、それだけで終わるわけないよね?」

 

 准教授は、当たり前の事を語るように言う。

 

「社会復帰に至るには、身内だけでなく、外部の人間とのコミュニケーションが必要になってくるだろう」

 

 それは……分かってはいる。

 

「察するに彼が他人との接触を断った理由は、才能あふれる君たち姉妹との比較による、自信の喪失。そこから来る劣等感からの被害妄想ってところだろうかにゃ?」

 

 鼻がくっつきそうなほど近くに、吾妻准教授の顔があった。

 一瞬状況が分からなくなったが、己の右手が吾妻準教授の胸ぐらをつかみ、自分の方へ引き寄せていただけだった。

 おそらく、今の自分の顔は般若のようなのだろう。眼下の吾妻准教授は目を白黒させ、頬をひきつらせていた。

 

「ご、ごめんご~め~ん~。大丈夫だって、みはりちゃんには言ってないから~」

 

「……すみません、失礼しました」

 

 ゆっくりと、謝罪と共に手を離す。今の一瞬で心臓の音が、おかしいぐらいに速くなっていた。

 だって、それは、ダメだ。

 それだけは、姉者に悟らせるわけにはいかないのだから……。

 じゃなかったら、兄者はなんのために、子供の頃から、ずっと……。

 

「ま、天才周りではあるあるな話だから察したってだけさね。みはりちゃんは例外っぽいから、そういう話はしないようにしてたけど」

 

 正解? と小首を傾げて聞いてくる彼女。

 大正解である。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「いいっていいって。いや~、みはりちゃんったら、身内に恵まれてるな~」

 

 良きかな良きかな、と腕を組んでうんうん頷き、さて、と仕切り直す。

 

「で、お兄さんの外部との接触、コミュニケーションだけども」

 

「それが、兄に同意を取らなかったのと、どういう関係があるというんですか」

 

「うん、まぁ単刀直入に言うと、バレた時の保険だねぇ」

 

 バレた時、と、いうと……。

 女の子だと思われていた兄者が、本当は成人男性だと、バレた時だろうか……。

 

「性転換薬は、社会構造に影響しかねない新薬だからね~。まだ社会に周知されてもない今、正体がバレた時のお兄さんへの風当たりは、まぁお察しだろうさね」

 

 思い起こすのは、この前知り合った、姉者の友達。

 ノリの良い、優しい女子高生の、かえでちゃん……。

 彼女に兄者が、女の子じゃないどころか、年上であることまでバレたとしたら……。

 

 ーー私を、騙してたんですか?

 ーーそんな格好して、私の体を触ってたんだ……

 ーーさいってー……

 

「そんな事になれば、お兄さん、今度は本当に対人恐怖症をわずらっちゃうかもしれないね」

 

 それは、あるかもしれない。

 兄がもう、どうしようもないほど、社会と、人と関われなくなってしまう未来……。

 覚悟はできている。もしもそんな事になったりしたら、兄者の一生を面倒見る。それを見越した将来設計もしてある。

 だがそれは俺の覚悟だ。

 兄者の覚悟ではない。

 

「そんな時、裏で手引きしていた悪者がいたら、便利だとは思わないかい?」

 

 例えば、兄者本人に同意を得ずに女の子にした、天才科学者……。

 そして、そんな天才科学者を騙して、裏で手を引いていた准教授。

 そんな、都合のいい悪者。

 

 兄者は自分から女の子になったんじゃない。全ては姉をそそのかした、この准教授が悪いんだ、と。そう言うことができたなら……。

 そうすれば確かに……例えば、かえでちゃんに正体を知られたりしても、まだどうにか、なるかもしれない……。

 

「……だが、なんでそこまで……」

 

「ん?」

 

「言っては何ですが、背負うリスクが大きくないですか。それも、後輩の家族なんて、言ってしまえば他人のために……」

 

「いやいや、みはりちゃんにうちの研究所に居てもらうためって考えたら、むしろ安いぐらいだと思うよ? なんたって、飛び級して大学に入って、すぐに性転換薬を作り上げちゃうような子よ?」

 

 ……そうか、間接的に姉者のためと思えば、確かにそれぐらいは安いで済む、のかもしれない……。

 

「それに、私たちを舐めてもらっちゃー困るな~」

 

 ビシリと彼女は己自身を親指で指して、

 

「あの性転換薬の開発にも関わってるんだよ~? そんな天才科学者、お国が手放すわけがないのさ~。ここが解体されたところで、また新しい箱を用意してもらうだけってね~」

 

 な~っはっはっはっはっは。と、彼女は何でもない事のように笑ってみせた。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 吾妻ちとせは緒山カンナが出て行った後の面談室で、手元のメモを弄んでいた。書いているのは、スマートフォンの電話番号とメールアドレス。もちろん、緒山カンナの物だ。

 

「子供のする目じゃなかったねぇ……」

 

 何故、同意を取るように指導しなかったのか。その話が終わった後に、彼女はポケットからメモ帳を取り、一枚千切ってこの二つの羅列を記して渡してきたのだ。

 

 ーーそちらの方針は理解した。兄のもしもの時は頼ります。連絡先を渡すので、そのためならば、俺を好きに使ってください。

 

 中学生から出る台詞ではないな、と思う。

 

 さらに言うなら、出したコーヒー。

 姉のみはりちゃんから、よく飲んでいるとリサーチ済み故出したのに、一口も飲んでいないのは、なんとも警戒心のお強いことで。

 

 薬なんて入れてなかったんだけどなー。と誰に聞かせるでもなく呟き、すっかり冷めてしまったその一杯に口を付ける。

 

 そして、症例。

 

 緒山まひろは、こちらの想定を上回っている。

 あまりにも高い適合性。予測されていた違和、トラブルのほとんどが起こらないまま数ヶ月が過ぎていた。精神も安定しており、外れ値との評価は納得しかない。

 

 対して、緒山カンナ。

 比較対象としてレポートに出ているが、あまりにもコチラの想定外に想定通りだった。正確には、出る筈がない女体化で起こるであろう不和が多く出ている。

 下着の購入、銭湯でのトラブル。服装に、そもそも常日頃からの言動。

 それに対して観測者のみはりちゃんの視点では、まぁいままで通り。と流されていたが、第三者から見れば違和感のあるレポートだった。

 まるで、観測結果がカンナとまひろで入れ替わっているかのようだ。

 

 だが記録に彼女が性転換したという物はない。出生記録まで漁ったので間違いない。改変されているとして、13歳の少女の性別を、何処の誰がいったい何故いじるというのか。

 

 そういう積み重ねが吾妻ちとせの興味を引き、面談をしてみれば、最後にはこのメモだ。

 

「いやはや、会ってみて良かった」

 

 もらえた意見としては有意義。

 観察対象としても興味深い。

 そして、心配な子だ。

 

 どうにもあの子は、自分より家族を優先する気質のようだ。

 実のところみはりちゃんには、3つ目の目的も教えてもらっている。

 まひろ君を早期に社会復帰させ、カンナちゃんの青春を取り戻す。

 そんな事を心配されるぐらい、彼女は家族を重視している。事実、みはりちゃんが話す内容が全て真実ならばーー

 

 ーーカンナって小さい頃から、最初から何でもできる、本当の天才だったんですよ。

 ーー家の食事だって、カンナは小学生にあがった辺りでもう作るようになってたし、失敗してるところなんて見たことないんです。

 ーー中学生で料理を始めた私だって、初めは何回か失敗したのに。

 ーーほかにも、掃除も洗濯も、私よりずっと早く始めてて、ずっとやってるんですよ。

 

 親が不在で家の事をする子供の話なんてのはよくあるがしかし、忙しいとはいえ親が居る状態でコレは、そりゃちょっと心配になるってものだ。

 さらに言えば、先の一件。

 

 まひろ君の、みはりちゃんへの劣等感に触れた瞬間。胸ぐらを掴まれ、キスしてしまいそうなほどに顔を近づかれた時。

 あの顔は、マジだった。

 マジで私を、どうにかしてやろうという顔だった。

 方法は思いついていなくても、私を排除しなければならないと、そう考えている目だった。

 

 あんな目を、どうして平和な国に生まれて、たかだか10年ちょっと生きただけの女の子ができるのだろうか。

 

「ちょーっと覚悟決まりすぎだよねぇ」

 

 もう一口、冷めたコーヒーをすする。

 

 もしも、あの家族に何かが起きたなら……。

 例えば、あのお兄さんが、もう二度と、人の前に立てないようになってしまったら。

 あの娘は、どんな選択をしてしまうのだろうか……。

 

「ーーまぁ、何にしても」

 

 空になったコーヒーカップを置いて、ソファーに深く背を預ける。

 視線を天井に向けて、定まらない目で蛍光灯の光を目に入れる。

 

 フラッシュバックされる、眼前に迫った両目。

 視線だけで、コチラの両目を突き刺す何かを放ってるんじゃないかと錯覚させられるような、あの両目。

 

「……怖かったなぁ……」

 

 吾妻ちとせ、准教授。

 ひょうひょうとした態度の裏で、中学生にガチでビビっていたのだった。

 

 

 

 




 はい、おにまいにおけるエモ回です。
 前半は結構順調に書けたのに、後半になったら筆が進まない。やっぱりシリアルは筆がのらないようだ。

 前半は家事出来る家族がいた場合の、まひろと特別自宅警備、になります。
 原作だと二人きりだから、みはりが倒れた時の状況が際立ってましたが……今作だとカンナが居る分、いくらか切迫感はない感じですね。
 ただし、お兄ちゃんには疎外感というか、無力感というか、そういう「まるで一員じゃない感じ」を味わう事になる回となりました。

 で、後半の二者面談。
 まひろへの同意を得なかったのは何故なのか、の整合性を得ようとした結果に生まれたシリアル回です。
 まひろの正体がバレたらどうなる? というシミュレーションの答えの一部として出力されたのがコレでした。
 実際、初めの一回の投薬において、起きた問題の責任は薬を飲ませたみはり、ないしその監督役の研究室が背負う事になるだろう、という発想からこいうエピソードを作ったわけですが、正直原作にはあまりこういう側面は出てきてほしくないなーとか思ったり。
 色々とゆるゆるな感じのTS物語を、これからも楽しみにしています。


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