「レガリアを私の手に……」
左手の表面に走る輝ける線の、その間隙を私は改めて見た。
昨日は随分と面倒な目に遭った。令呪を切ってまで私にサーヴァントらしさを与えようとした新王を曖昧にいなし、決まり文句の「前向きに検討します」で押し通ったものの、彼女のマスターとしての自覚は想像以上のものだった。
サーヴァントは殆どの場合、常にマスターと行動を共にするものだ……戦場にあれば尚の事。ただ、律儀にそれを守ったところで今のSE.RA.PHでは役に立つまい。
レガリアの能力のひとつ──マスターをサーヴァントと「ひとつにする」機能は、戦地に立つときに邪魔になる
あって困る機能ではないが、私には隠さなくてはならない秘密が沢山あるのだから、まあ適当に使っても良くはないだろう。彼女が指輪を渡したがるのは今の所この機能の為であるし、そういう意味でも触りたくない要素だった。
統一の暁には私がこの手でレガリア全権をハッキングし、ムーンセルを殺す。そのための長い布石としての
私はまだ公平な傍観者でいなくてはならない。指輪を手にすれば私の立場はどうしても変わってくる。
まだ、その時ではない。今はそう言うしかない。
「……と言っても分からんだろうな」
実際に私がマスターの援護を必要とする状況ならともかく、戦闘が多い訳でも陣地争いに参加する訳でもない自分に大した力は必要ない。仕事に赴いて多少の小競り合いをするだけの日々には。
馬鹿らしい陣取り合戦の顛末をぼんやり眺めながら、そんなことを考えた。岸波白野は我々に与えられた居住スペースの周辺を半日近くぐるぐると歩き回っており、今日はあまりこちらには絡んでこない。
1週間近くも同じ人間とばかり接していては飽きもするだろう。私も同じだ。
「そろそろB陣営侵攻のタイミングか。
「アルキメデス〜散歩飽きたよ〜」
目下対処すべき特大の問題は紛う事なく
私は玄関の扉を開いてぬるりと滑り込んできた少女にも対処しないといけないのだ。
「お疲れ様です」
「その返事は間違ってると思うよ」
新王は緩慢に部屋の中に戻り、いつものようにベッドに乗る。これまでに観測した岸波白野には(状況もあるが)だらけた印象があまりなかったのだが、彼女はある意味では年相応な元気と怠惰が共存している、と思う。
「今日も仕事?」
「いえ、これは現況のモニタリングです」
「仕事じゃないなら一緒に出掛けようよ」
そんな所だろうと思った。
「さっきまで外にいたでしょう」
「散歩の新鮮味がゼロなんだよー」
「いいじゃないですか、この辺りにいれば」
「家の周りの散歩なんか何の価値もないよ! 逆にどれだけ無欲なのアルキメデスは」
暇を持て余した彼女は大袈裟な身振りで私に叫んでいる。暇させているのは悪いと思わなくもないが、そんなに目立ちたくもないし、セイバー陣営のサーヴァントと会うのも嫌だ。一応
「ちょっと欲しいものがあって。アルキメデスも息抜きした方がいいんじゃないの〜」
退屈にも十分に慣れてしまった私に抜く息はもう無いが、10秒に1回の「行こうよ」がやや鬱陶しい。
面倒には変わりないがこのまま放置してもやかましいだけだし、構ってやれば大人しくなるだろう。彼女を懐かせて悪いこともない……。
「まあ……いいですけど。少しなら……」
「本当に! じゃあ是非とも一緒に来てほしい所があるの!」
私の返事を聞くや否や新王はベッドから飛び上がり、肝心の私を置いて玄関に走って行って扉を蹴り開けた。
「先に言っておきますが
おそらくこちらの声も聞こえなかっただろう速度で市街に向かって駆けていく背中は、見慣れたもののようで何よりも儚い。
私は曖昧なシルエットを追って屋根の外に踏み出す。
与えられた住居は最も人が集まる市街地からは少し離れた地点にある。彼女が向かう方向には大きめの集合住宅や店舗群があり、あれくらいの歳の女子が暇を潰すには最適の場所ではある。多少歩けばすぐに辿り着く距離だ。
疎らだった通行人が少しずつ増え、飛び飛びに置かれた店から客引きの声が漏れ聞こえる。SE.RA.PHの発展は私にとっては何の関係もない事ではあるが、人間たちがせいぜい数ヶ月で何もない土地にある程度の都市を築いたことは事実だ。
人類はこの量子仮想世界においても競争し、パイを奪い合い、自我を確立し人権を得ようとする──それが血の流れる感覚すら知らないNPCであるにも関わらず。
人混みが生まれ始め、時々こちらに振り返って大きく手を振るマスターの声が雑踏に紛れていく。
彼女を見失わないように足を早め、無意味な交流を続ける四方八方の人波の間を進む。辺りの典型的ローマ人は無駄に明るく大きな声で笑い、会話している。
この空間に意味のあるものは存在しない。人類のコピーが人類の歴史に沿って人類ごっこをし続けている。
「アルキメデスー! こっちだよー!」
彼女が声を上げると人々は僅かに私の前の道を開けた。衆目に晒された形になり若干戸惑ったが、どれもただ視界を判別するためのカメラがこちらに向いているに過ぎない。
「新王……何をそんなに急ぐ必要があるんですか」
「早く見てほしくて! このお店だよ、入って入って!」
この町を知ってから時間も経っていない筈の彼女がどうして店々に詳しい素振りを見せているのかは知らないが(後で知ったが、レガリアをナビにしたらしい)、とにかくまるでベテランの住民であるかのように得意気な顔で岸波白野は私の左腕を引く。
そこは小さな雑貨屋のようで、傾いた日が室内の埃を輝かす様が何よりも先に目に入った。店員が店の奥で暇そうに机を拭いている。
私の手首を掴んだままの少女は、棚のひとつの前に私を引っ張ってきてその中の商品を指差す。
「昨日、指輪は付けてくれないって言ってたから」
棚には豆粒のように小さな石飾りがついた、粗末な造りの指輪が並べられている。飾りは一見すると宝石のように見えるが、ただの色ガラスだ。殆ど玩具のようなものなのか、添えられた値札にはどれも安値が刻まれている。
「代わりと言っては何だけど、こういうのはどうかな、と」
本当に何とも言えない代替案だ。
そもそもマスターはレガリアの機能のために私に指輪を与えたかったのではないか? この玩具をサーヴァントに与えることで何か力を発揮できると思っているのなら、とんだ笑い草だ。
──何の意味が?
そう口に出そうになったが、そもそも子供の考えることだ。当人にしか分からない意思が儀式的な行動に現れても仕方がない。
「指輪を持たずとも、私は確かにあなたのサーヴァントですよ」
「だけど……他の
「あれはシステム上の措置で……」
それとなく棚を見ていると、整然と並ぶひとつに偶然目が止まった。それは偶然にもレガリアとよく似た形をしていたが、石は赤でも青でも緑でもなく、陽光のような黄色をしている。
「わたしたちがサーヴァントに指輪を渡してもいいと思ったのは、わたしたちが皆を信用してるからだと思う」
そんな筈はない。ただ岸波白野が無知なだけだ。
似合っているから? 領域を支配すべき君主だから?
「わたしの信用と、契約の証ってことで」
「令呪があるのに?」
契約の証にそれ以上のものは不要だ。私はきちんと服従の意思を彼女に示している。
マスターは私の視線に気が付いたのか、列の中から指輪をひとつ手に取って値札を見、頷いた。
「証明の材料は多いほうがいいんじゃない?」
掴まれたままだった左手の指のひとつに、許可もなく彼女はそれを嵌める。それは私の指には少し小さく、血管をほんの僅かに浮かせた。
当然これが何かの効果をもたらすことはない。魔力もなければ特別なプログラムもない、アバター装飾以外の効果を持たないただの物質だ。手を握ると紐の付いた値札が揺れる……それだけ。
「質問に質問で返すのは失礼ですよ」
マスターはにっこり笑うと私の手から指輪をさっさと抜き、軽快にレジに向かった。私の答えも聞かずに。