領域占有率は見る間に上昇し、日を跨ぐ頃にはB陣営の支配域は首都中央部を残してセイバーに奪われてしまったようだ。律儀に更ける夜は両陣営を見境なく闇の中に隠し、目を塞がれた兵士たちはあからさまに戦意を欠きだした。
ふつう戦争で割りを食う筈の
自我のない攻性プログラムとやる気のないNPCを好き好んで襲うサーヴァントはいない……
戦場になった領域では金属の擦れる音が時折微かに聞こえるだけで、すっかり静かだ。2つの指輪の接近まであと1日。私に必要なのは、その大切な指輪を仕舞っておく為の入れ物だけ。
「全軍、停止。明朝までこのまま待機し、夜明けと共に警戒態勢を整え領域防衛に努めろ」
命令コードを入力された攻性プログラムは一斉に動きを止め、何の音も立てなくなった。放っておいてももう問題はない。B陣営打倒に王手は掛けられている。首都以外の防衛は体裁上のものだ。
地面を蹴って身体を跳ね上げる。重力が私を手放す──掛けられる引力が急速に低下し、水面に浮くようにして全身が浮かぶ。絶え間なく変動する力場の上に立つことで私は擬似的な浮遊を獲得している。
眼下に広がる置物の群れの彼方には、恥も知らずに煌々と輝く千年京首都中枢が見えていた。今もあの灯りの下では楽しい殺し合いが繰り広げられていることだろう。
無知生体の海の上を飛んで超える。あまりの静寂に、この場所にまで遠くの剣戟を錯覚する。温度のない夜は穏やかで、この時間は血に汚れたSE.RA.PHで最も有意義だ。
プログラムの動きが抑制される深夜の間にシステムは自動でリフレッシュが行われ、このタイミングで発覚した修正必須項目はメンテナンス技師に通達される。無駄に拡張され続けるこの世界に不具合が起こらない日はない。人間が数人いればやがて争いを起こすのと同じように。
夜明けまでの時間、私はゆっくりと居宅に向かって進んだ。1メートル進む毎に負ってきた痛みと今後への不安が脳裏に浮かんでくる。傷のない場所ばかりが焼け付き、この世界に存在しない古傷が痒い。山積みの問題を片付けるための腕が足りないのが口惜しい。この期に及んで自らの身を守らなくてはならない弱さが憎い。
ただ……この絶え間ない苦痛を憂うことすら出来なかった周回もあったのだ。この闇夜は私が前進している証左に他ならない。それは間違いない……間違いないのだ。
明日は岸波白野を使って「魂」の指輪を確保する。私にキャスターを説得できるかは微妙な所だが、セイバーに
何より、キャスターと相対する時、ふたつのレガリアが極限まで接近する時には
セイバーもキャスターも私には従わない。全ては岸波白野ただひとりに左右される。「4人目」が私の言葉を盲信する今、ここでこれまでのようにレガリアを逃すようなことがあれば、希代のチャンスも無意味なものに成り下がる。
そして……アルテラとの遭遇は私にとっても重要になる。
アルテラは私を敵視している。その上「4人目」を見たときの反応は想像し難い……確かなのは、安全には済まないだろうということ。遊星の力を使ったとしても、私の戦闘能力ではアルテラに勝てはしない。
このタイミングでのアルテラとの戦闘は過去にも数度あったが、いずれも敵う目もなく敗北している。私に宿るヴォイドセルは借り物に過ぎず、本体そのものであるアルテラにその面で敵うはずもない──残念ながら。
破損プログラムによる霊基汚染の苦痛は筆舌に尽くしがたい。初めてそれが体に刺さった時は、まる1日は臓腑を内側から焼かれる思いにのたうつ事になった。知っているからこそ毒としてヴォイドセルを使ったりもしたのだが。
何度やっても痛みは痛みだ。死も毒も慣れていいようなものではない……。
──夜はすっかり使い切られ、仮想大地の地平線に朝日が煌めく。
既に数時間は経っていたようで、気付けばとっくに私は
新王が待っているであろう居宅までは当然まだ距離がある。どうせセイバーとキャスターの接敵は明日だし、私が指揮を執らずとも戦況に変わりがないことは知っている。
急いでも何も変わりはしない。無意識に浮かび続けていた脚を地面に下ろす。ずしりと全身に掛かる重力が煩わしくも心地良い。また惰性で前進を繰り返す両足が一定のリズムで音を刻む。
夜明けの空は翠に染まり、石畳を淡く照らす。
「アルキメデス!」
その先、小さな人影が同じく小さな手を振っているのが見えた。
「1日ぶり! こんなにすぐ帰ってくると思ってなかったよ〜」
「新王?」
少女は地面をぺたぺたと駆けてきて、そう言いながら欠伸をし、目を擦る。こんな領域の端の方をこんな時間に、何故彼女がこんな所にいるのだろうか。
「何でこんな所に」
「何でって、それは心配だったから」
「あなたが心配するようなことは……」
「そういうのいいから! とりあえず帰ろうよ」
戸惑うこちらの反応も押し切ってマスターは私の腕に張り付き、目をしょぼしょぼさせながら家の方向にじりじり動き始める。
私はその弱い力に大人しく従って歩いた。
「わたしもいよいよ、ひと仕事できるんでしょ〜」
眠そうな声がこちらに問い掛けてくる。私はもうあまり深く考えず、ただ事実の通りに頷いた。