手が痺れてくる。人間の可動域を超過しての作業は、サーヴァントになってもやはり疲れる。
足元で蹲りつつ時々思い出したかのように防衛のコードキャストを詠うマスターを横目に私は最後のコードを打ち込み終えた。
パチンとプログラムが再定義され、急速にエリアに掛かっていた負荷が軽くなっていく。間もなく静まったセクターを見るに、領域支配権の処理も正常化したらしい。
「これで……もう大丈夫なのかな」
新王はのっそりと立ち上がり、大きく息を吐いた。
「はい、エリアの不具合は解消されました。協力ありがとうございます、新王」
「ううん、こちらこそ! 手の動き凄かったね、アルキメデス」
「そこを見てたんですか……」
何故か私よりも先にマスターが手首の運動を始めたがそれはさて置く。状況は好転した。ようやく本題に入れる。
「……ここからがあなたの仕事です。私たちもセイバー殿の元に向かいましょう」
「そ、そっか。レガリアを集めるのがわたしの役目だったね」
ここまでの面倒な過程もすべて次の一瞬の為。今こそ指輪の統合を進め、ようやっと私の理想は1歩先に進むことができる。
岸波白野はしきりに開いたり閉じたりする自らの左手をじっと見つめ、大袈裟に深呼吸を繰り返している。緊張は理解できなくもないが。
「行きましょう」
「うん……」
彼女を冷静なまま保つべく、こちらも指輪の手を握ったりなどしてみる。体温が高く──こんな世界で活動していて何だが──生物と感覚器官が触れていることを実感させられる……ああ、本当に彼女は悍ましいほど
正式に開放された玉座への転移を自分の座標に適用する。データが分解、再構築され、瞬きの終わった頃には目の前の景色は傷だらけの戦場でなく、暗くも明るくもない玉座の備えられた空間に変わっていた。
隣でマスターが目をぱちぱちさせている。空間の端には「精神」が座り込んでサーヴァントを見詰めており、広間の真ん中では剣を降ろしたセイバーと、自らのマスターに寄り添われたキャスターが向かい合っていた。
「──王としての勝負は余の勝ち、だがサーヴァントとしての勝負は貴様の勝ちだ」
何やら戦闘以外のことで揉め終わった後らしく、セイバーは傷付いたキャスターに向けてやや呆れた風な口調でそう言った。
「是より後は貴様も余の臣民となれ、キャスター。良いか、臣民だからな。レガリアはきちんと回収するからなっ」
勝者の命令に狐は反射的に左手を庇った。
それを手に入れるのは、存在が虚無そのものの我がマスターだ。
「セイバー殿、キャスター殿。私の説得が足りず無意味な戦闘を強いてしまったことをお詫びします」
指輪を携えた新王と、その親愛なる友たる私は争いを終えた2騎の元に歩み寄った。
「来たな、アルキメデス」
「お約束の通りに。そして、我々のSE.RA.PHの為に──そうでしょう」
私の側からひとり、「心臓」は指輪を持つ者に近寄ってから足を止める。キャスターと「魂」は並んでもう一人の岸波白野を見た。
「セイバーさん、王権たる指輪をこうも容易く他人に預けてしまうとは」
「余はそれだけレガリアの統合に意味を見出している」
セイバーの言葉に同意するように「精神」はその隣に小走りで着き、キャスターに向かって頷く。
「貴様の反応を見て……余はむしろセファールとやらの存在を確信した。貴様のような悪女が恐れるものがあるのなら、それは間違いなく本物だ」
「誰が悪女ですか美女です美少女ですー──でも、その通り。セファールのことは……事実です」
キャスターは意を決して指に手を掛け、そっとレガリアを摘む。
細指から銀の輪がゆっくりと滑り、抵抗なくするすると外れていく。「魂」は何も言わない。今もなお「心臓」をじっと観察している。
「私は確かに支配者として負けました。だから……不本意ですけど」
小さな指輪は彼女の手の上で煌めく。
かつてはこれを奪ってはしゃぐ馬鹿のせいで何もかも台無しになったことがあったが、
つまり邪魔するものは誰もいない。誰もこの展開を疑いもせず、ふたつの指輪が収束するこの瞬間に注目している。
「私を打ち負かした薔薇の皇帝、その代理人でありこの世界への脅威に立ち向かう者の代表者である
玉藻の前はレガリアを「心臓」に差し出した。
マスターは臆することなくそれを──何の抵抗もなく──あっさりと掴む。
「ありがとう、キャスター。それと「
ふたつの王権は直ちに岸波白野の体温に馴染み、不具合もバグも拒否反応もなく玩具のように静かにそこに存在する。
さっさと統合してしまいたいが、実際にそうすると「分割された岸波白野も統合される」ので、やらない。無関係の「心臓」は統合されてもあぶれてしまって余計に違和感になるし、サーヴァントたちは岸波白野が
「わたしは
岸波白野はご高説を始め、指輪を握って軽い金属音を鳴らしていた。
──それが来るまでは。
予定通りの時間、ふたつのレガリアが一点に集まろうとするタイミング、これまでの観測上で殆どぶれることのなかったこの瞬間。ずっと
きち、と鋭い物が擦れる音を先触れに、空間に一閃、細く長いひびが刻み込まれる。
全員が一斉に上空を見た。生まれた
その向こうから真っ白な光が舞い降りる。
「分かるぞ、余には!」
セイバーが愚かにも叫んだ。
サーヴァントは各々自分のマスターを庇うように立つ。私もそれに倣い、新王の前に立ち位置を変える。
「あの者は所有している──余と同じ
それは軽快に地面に着地し、纏ったベールをはためかせながら尊大に立ち上がる。
白い剣姫、破壊の具現、言うことを聞かない同僚。
焼ける隕石のように赤い瞳と目が合う。
「何故……お前がマスターを?」
アルテラは私の背後の「4人目」を見、剣を振るのも忘れて言った。その目は見るからに狼狽え、動揺して震えている。岸波白野が「3人」に分裂したのを知っているのは私とセファールだけだ。「4人目」の異常に気付けるのもまた然り。
私にはアルテラに隠すことは何も無い。私にすら「4人目」の確実な解は得られていないのだから。
問い掛けに私が答えないことが不満だったのか、アンチセルは目を鋭くして軍神の剣を天球に掲げた。ひび割れた空から一斉に破損プログラムがなだれ込んでくる。
これは想定の通りだが、避けられるかは別だ。この戦闘は怪物との邂逅の上では確定事象。相応の痛みは覚悟の上だ──今確保しなければならないのはマスターの命だけ。
「新王! 防護障壁の影を使って後方に退避を!」
武装の歯車を召喚、緊急で防御魔術を展開。束縛……は以前の施行で失敗したので省略。アルテラは
接触まで2秒、1秒。障壁に破損プログラムの初撃がぶつかった瞬間、刺すような痛みが両手に伝わる。一瞬で肩の根にまで不快感が走った。見る間に武器のプログラムが汚染され、崩れていくのが分かる。
あらゆる感覚が苦痛に置き換えられ……体の根幹から何もかもが崩壊する。体内のストレスを廃する自らの絶叫が攻撃より先に鼓膜を突く。ただひたすらの痛み、その後の痛み。なんの意味が? なんのための痛みだ? 死してなお私は何故苦しむ?
破壊のために。
破滅のために。
私のためだけに。
「────」
ここに立ち続ける理由は──
「……呪……令呪をもって命ずる!」
理由は何だ? 得られるかも分からない完全に不確定の未来の為に、私はこの仮初の魂をどれだけの間磨り潰し続けてきた?
「
その声は脳内に直接聞こえてきたかのようだった。
崩れかかった霊基が宣言に合わせて補強され、脱落しかけていた意識が呼び戻される。もう脚は無かったような気がする……指も足りなかったような……それはもういい。思い出しても何のメリットもない。
振り返って声の方を確認することは出来ないが、とにかく一気に余裕ができた。できたと言っても私の実力で取れる手はそう無い……せいぜい一撃。攻撃が少しでも止めば、私と岸波白野を離脱させることくらいは可能だ。
宝具を簡易展開。プログラムの濁流の合間にふいに見えるアンチセルの憎々しげな目と目が合うその瞬間、私の掌中の太陽は激しく熱と光を発した。
「アルテラァ──ッ!」
「……!」
収斂。アンチウイルスのコードキャストの発動。熱線になったそれは黒い海を裂き、剣を握る手を捉える。
この程度の駆除性能では波を押しとどめることなど当然出来る筈もない。だがアルテラはその僅かな効果に反射的に反応し、咄嗟に剣を降ろした。
アンチセルの攻撃は氷のように固まり、それを見計らった「4人目」は慌てて走ってくると私の前で果敢にも威嚇行動を取って立ち塞がった。
「やめて!!」
マスターが叫ぶ。アルテラは再度得物を振り上げようと手に力を込める。
「──アルテラ」どこからともなく声がした。「3人目」の岸波白野が現れ、諌めるようにサーヴァントの手に触れる。記録上最短のタイミングより遥かに早く「肉体」は彼女の行動を制した。
約束が違う、あまり壊さないでほしい──と「肉体」は言い、見慣れないであろうもう一人の自分と私を見つめる。
アンチセルは剣を納めた。彼女は私に夢中らしく、冷静になりきれない滑稽な表情で黙ってこちらを睨むばかりだ。
本当に役目を全うする気があるのなら、私を殺してでも指輪を奪えばいい。それで望む結果が得られるのならば私はそれでも構わないのだ。だがアルテラはそうしなかった。私が
「私の質問に答えろ、アルキメデス」
いつまでも仕事を始めない怠け者の代わりに働く為に、背後で何もせずに突っ立っているセイバーやらキャスターに自らの立場をばらす訳にはいかない。
健気に私を守っている(つもりの)マスターを追い越し、アンチセルに向けて左手を差し出す。安っぽい光がまだ指先に乗っているのを、今の今まで忘れていた。
「役目を果たせ」
口の動きだけで告げる。
アルテラは自分の無責任さを忘れて私を睨み、本来語るべきであった相手と言葉を交わすことも忘れてこの場から失せた。
状況は大きく変じた。これまでの周回において、アルテラ及び「肉体」の振る舞いを見て理性的な対話の可能性を得ていたであろうセイバーは、
つまり……「私たち」は
損傷したエリアに静寂が戻る。謎の敵、謎の力、謎の行動、そういうものに圧倒されて皆言葉を失っていた。この場の全てを把握しているのは私しかいないのだから、そうもなろう。
「一体、今のは……」
誰かがぼそりと呟いたのが聞こえた気がする。それを切っ掛けにして空気がほんの少し弛んだ。
脳内物質が誤魔化していた色々なものが戻ってくる。詰まっていた息が吐き出されると同時に、何か──他にも何かが身体のどこかから一気に溢れた、気がした。
苦痛がふっと和らぐ。
どこかしらに走った痛みのきり、わたしは失せた。