Route:lost   作:花見饅頭

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15日目:帰納法

 やがて砂は落ちた。レガリアの視界の端、管理者権限で関与できるギリギリのラインに火種が灯される。注視していなければ──ここに何かがあることを知っていなければ感知できない程度の、極めて些細な切っ掛けだ。

 アルテラは動き出した。仕事の為……それと等しく私を殺す為に。1周目、自らの絶対王政に現を抜かした皇帝陛下が国の大半を持って行かれても気付かなかった前例がある以上、このまま何の進言もしなければ王はレガリア奪取のついでにあっさり死ぬだろう。まあ、それはどちらでもいいのだが。

 レガリアが私の手にある以上、彼女たちの命運とSE.RA.PHの平和は私の手に掛かっていると言えなくもない。今はまだ、平和()()を与えることは出来ない。

 

 これまでは台本を読むように進んでいた時間が、ここに来て枝分かれを始めた。アルテラが傘下のサーヴァントの提言に従い堅実に領地を拡大するか、「4人目」を目掛けて真っ直ぐにこちらに来るか。さもなくば早々に決着を提案してくるだろうか。

 どれだけ速度を上げたとしても今日や明日で奴がここまで迫れる訳はない。ここから数日であれの動向は見極めればいいだろう。結論を急いで強襲したところで勝てる相手ではない。

 

 そう、私だけではアルテラの軍に勝つことはできない。奴はまだこちらのサーヴァントにとっては恐ろしい侵略者であり、アンチセルにとってもこちらは同情の余地無く破壊すべき対象でしかない。互いに正真正銘の敵である我々は、次に相対するときには容赦無く殺し合うことになる。

 何であれ最後に私が立っていればそれでさえいいのだ。誰が脱落しようと関係ない。私と、マスターの指にあるレガリアさえ無事ならば、それこそが私にとっての勝利だ。

 準備だけならいくらでも出来る。勢いで殴るのがメインのA陣営人員はともかく、B陣営は今でも色欲の海(千年京)領域にちょくちょく結界だの呪術だのを仕掛けているようなので、こちらはそれを()()()()()調整すればいい。何より私にとっても領地に物理的な罠を仕掛けるくらいなら容易いことだ。

 

 昼光が足元に丸い影を作る頃、戦地になりうる市街の大路や広場を主にしての視察も10件を数えた。無駄に丁寧に降り注ぐ陽光のせいで髪が熱されるのが煩わしく、路地の日陰に逃げる。

 

「今日は良い天気だからちょっと暑いね」

 

 言うまでもなく、マスターも同じくに。

 手でぱたぱたと顔を仰ぎながら建物の隙間の空を見上げる彼女は、実のところ、あまりこちらの仕事についてはよく分かっていないようだった。

 

「休憩する?」

 

 マスターに顔を凝視された時、顎の先に汗が1滴滑り落ちてきていたのに気が付いた。

 

「そう……ですね」

「いやあ、わたしも歩き通しで疲れちゃって〜」

 

 液が肌から離れて間もなく次の汗が滲むのが分かる。サーヴァントとしての人生で、暑さを意識したことがこれまであっただろうか。仮想空間のリアリティの為に温度は確かに設定されているが、気にしたことなんてなかった。

 それが誰にも指摘されたことがなかったからだ、ということに、今の今まで考え至らなかった。必要がなかったからだ……。

 

 袖で汗を拭って視線を上げると、岸波白野は数歩先で立ち止まって私を振り返って「あっちにカフェがあるから入ろうよー」手招きしていた。

 追った先にはありふれたイタリア様式の(このエリアの建築様式は近代風だった)町並みが続き、彼女の指差す店舗の前にはパラソルの刺さったテーブルが淡く光る影を落としていた。NPCも数人ほど席に付いており、誰も彼も中身のない会話に花を咲かせている。

 

 風のない屋外から石造りの屋根の下に入る。むしろ肌の露出のある部分がひんやりと感じるくらいに涼しい。

 新王は一足先にレジに着き、机上のメニューの上を指でなぞっている。彼女が金銭(QP)を持っているのかを知らないのだが、サービス取引NPCは客が揃って着けている指輪を見てこちらの立ち位置を理解したらしく、代価を受け取らずに注文品を用意し始めた。

 

「アルキメデスはどうする……いらない? 本当に? お水も?」

 

 嗜好品はNPCや無名魔術師(ウィザード)の暇潰しや文化的生活感の演出に用いられるものであって、まあやはりサーヴァントには必要ないのだが……片手によく冷えているであろうアイスティーのグラスを持ったマスターはそういうような事を提案し、結局こちらの意思に反して水だけ貰ってきた。

 遠慮がちに(貰わなければよかったのに)差し出されたそれは結露でしとどに濡れており、受け取った右手の手袋に染み通って爪の先までも冷やす。

 

 薄暗い店内の隅の席に座った彼女は手が濡れるのも気にせずに両手でその冷たさを甘受している。倣って向かいに座り、私もグラスの中の水面に向き合った。

 ある程度の量がある液体をどう飲み込むのかを思い出すのに時間を要し、私はそれを口に含むのを躊躇った。グラスの縁を噛み、水を口腔に流し、喉を──どうすればいいか悩んだが──動かして内蔵の方に落とす。唇が湿り、喉が冷えた。

 

「冷たいねー」

 

 岸波白野は驚くほど無価値な感想を述べた。

 

「ええと……冷たいですね」

「ねえ、冷たいよねえ」

 

 無様なことに私も何の感想も思い浮かばなかった。このやり取りのなんと容量の無駄な事か。

 理解はしている……この無意味こそが彼女くらいの年齢の人間の人格を形成するということも、決して自らの生のうちにそういうことが無かったとは言えないことも。

 

「うーん、最悪なくても何とかなるモノだとは分かってるけど、食べたり飲んだりする時はやっぱり生きてる感じがするよね」

「思考し、動作することではなく、ですか」

「それってほら、頑張ったら植物にでもできるでしょ? 食虫植物とかって動くじゃん」

 

 水の中の氷が動いて音を立てる。生き物ですらないそれがこんなタイミングで鳴ってしまったので、次の言葉を聞かざるを得なくなってしまう。

 

「わたしたちは……動物は、ほら、食べて飲んでってしないと生きられないし……みたいな?」

 

 中身のない彼女は中身のない生存欲求を語った。サーヴァントの私はそれを一笑に付したくなったが、人間であった記憶が濃い私はそれに頷かなくてはならなかった。

 自分の処理能力が突然落ちた気がして、私は冷えた手を袖の中で温めた。

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