アルキメデスは珍しくぎこちない仕草で少しだけ水を飲み、手の置きどころを忘れてしまったのかグラスを持ったまま固まっている。グラスについた雫が多すぎて、テーブルにはまあまあの大きさの水溜りが出来ていた。
「冷たいねー」
彼からは話し出さないだろうと思って声を掛けてみたが、我ながらなんとも中身のない発言だ。言って後悔した。正直、これは無視もありうる。こういうのが一番嫌いなんじゃないのか、彼は?
「ええと……」内心冷や汗気味のわたしの予想に反し、アルキメデスはやや困惑した表情で口を開いた。「……冷たいですね」
「ねえ、冷たいよねえ」
驚いた。彼の言葉とは思えぬゆるい返事に、思わず食い気味で返事をしてしまう。もしかしてこういう会話を許してくれるくらいの間柄になれた? と錯覚したが、正面からその顔をあらためて覗くと、彼はいつもに増して無表情だった。
こちらに気を遣ってくれたという風でもない。単に会話に割く思考力が少ないだけに見える。契約して以来、彼の疲労はより強く
昨日今日の平和に浸かった頭を覚ますべく、冷えたティーの氷を噛み砕いた。わたしも今やただの子供ではなく、誇り高きマスターなのだ。しっかりしなくては。
「うーん、最悪なくても何とかなるモノだとは分かってるけど、食べたり飲んだりする時はやっぱり生きてる感じがするよね」
わたしは今の気持ちを多少整理して言葉にしてみる。サーヴァントはようやくグラスをテーブルに置き、濡れた手を振って水を払った。
「思考し、動作することではなく、ですか」
「それってほら、頑張ったら植物にでもできるでしょ? 食虫植物とかって動くじゃん」
水の中の氷が動いて音を立てる。生き物ですらないそれがこんなタイミングで鳴ってくれたので、彼は開きかけた口を閉じた。
「わたしたちは……動物は、ほら、食べて飲んでってしないと生きられないし……みたいな?」
アルキメデスは袖の中に手をしまってテーブルの下に隠す。
「SE.RA.PHのNPCは生きた人間の情報の複製ですから、少なからず人間的な本能が残っているモノもあるでしょう」
「論理的に言うと……そうなるのかな?」
「強いて表現するなら、そうなるでしょうね」
店の中にはわたしたち以外のNPCのお客さんたちが当たり障りない雑談を続けている。今も大したことを思い出せないわたしより、もしかすると人間らしいのかもしれない。
ほかのわたしは? わたしのサーヴァントであったセイバーとキャスターは? そして、わたしたちが戦ったあの白いサーヴァント……アルテラは、どうなのか?
「アルキメデスは違うの?」
学士は無害な微笑みを浮かべた。他人に意見を表明するときに彼が取りがちな仕草だ。
「まあ、サーヴァントですから。必要ないと言えば無いでしょう」
「他のサーヴァントのみんなはわりと自由そうだけど……」
「私は他の方たちよりも現界の経験が浅く、あまりここでの娯楽を持ち合わせていませんので」
確かに側にいてもモニターを見ているか、武器の整備をしているか、あとは武器を作ったりしていただけのような気がする。仕事が苦にならないタイプというか、仕事が趣味という気質なのかもしれない。でも、本当にそうなのだろうか……。
時々涼しげに音を立てて転がっていた氷は既にすっかり小さくなってしまっていた。もうあの音は鳴らない。アイスティーの後味も薄れている。
「ですが新王、私の全ては「願い」のためにあります。私の人間らしさは今、そこにだけ存在しているのです」
アルキメデスは湿ってしまった袖から、ゆるく組まれた指を出して机上に置いた。幾何学模様の刻まれた彼の左手に携えられる、水滴の切れ端に飾られたレガリアの紅いきらめきが目に焼き付く。「願い」──わたしはそれの本当の意味をまだ知らない。
「個性ですよ。
「うーん……言いくるめられそう」
サーヴァントもマスターも、何か大きな願い事の為にここにいるのだから……彼だけが特別だということはない。わたしから見て変わった性格だと思っても、そもそもわたしの中の他人の判断基準なんてそんなに無いのだし……。
ただわたしは、彼を包む表現しがたい触れがたさや抵抗感を拭える手段がその「願い」にしかないのなら、そこに至るまでの時間を共にすることになんの躊躇もない。
でもアルキメデスはそういうことを言われて喜ぶタイプじゃあないのではないか……。
「さて、まだお疲れですか? マスター」
ところで、わたしたちのお互いにちょっぴりわがままな所なんて、案外似ているんじゃないのだろうか?