ほんの数分日を避けただけで、昼間の直射日光はより眩しく目に刺さる。振り向くと岸波白野はカフェの店員ににこやかに礼をしている所だった。当たり障りない応対を心がけた……筈ではあるが、先程したであろうやりとりはあまり覚えていなかった。
自分の処理能力の低下は最早否定しがたいものとなっている。具体的にはアルテラとの戦闘で負傷した後に目覚めた時──より厳密にはレガリアが
何が私の手を引き止め、喉を詰まらせるのか、この身の汚れを否とするのか。マスターは呑気な様子で顔を扇いでいるばかりだ。彼女は何も知らないだろう。
街路に出て少し首を回せば、すぐにぷっつりと途切れた石畳とその向こうの広大な荒原が見える。発展の手が及んでいない、まだ文明が手付かずの領域だ。まず間違いなく戦地になる。
乾いた空気と舞う鋭い砂が肌を切る都市外縁に立ち、今後を憂いつつ午後の仕事場を見回す。
無人の荒野に進入し、エリアデータの詳細を読み込む。前方1キロメートル付近に見えるような気がする小さな点がサーヴァントであることには、管理者端末からの通知があるまでは気付けなかった。
「トップサーヴァントのエリア入場……」
それを読み上げた時には既に、サーヴァントは見ないふりができない程度には我々の方に迫っていた。
誰が見るでもないのに規律正しく背筋を伸ばした少女剣士は脇目もふらずに真っ直ぐこちらに歩いてくる。可能ならこの周では会いたくはなかった──いいや、どの周でも直接相対したことはないのだ。
「誰かあそこにいる?」
言うまでもなく何も知らないマスターは私越しに人影に目を凝らした。
トップサーヴァントは……この世界ではまだ私を知らない。聖剣使いはあくまでセファールへの対抗策であり、私は
「彼女はサーヴァントです……少し特別な立場なのですが」
「そうなの? どこの陣営の人なのかな」
それは、と私が説明の言葉を組み立てるより先に、側にまで迫っていた剣士は清廉な態度で胸に手をして挨拶をした。
「初めまして。貴方が当代のムーンセル管理技師ですね?」
トップサーヴァント──アルトリア・ペンドラゴンは神妙な声で私を示す。いつ見てもただ大人びた子供にしか見えないが、その手に握らされた人理の意思はしっかりと、私の身体を這う遊星の気配を捉えている。
その凛々しさに岸波白野は目を奪われている。悪いがこちらは死に瀕する寒さを思い出してしまっていい気はしない。当のセイバーですら知らないことだが。
「ご存知の通りに。私はキャスター、真名をアルキメデスと申します。お気遣いなく真名で呼んでいただければ、騎士王」
「ありがとうございます、アルキメデス。そちらの方は……」
「彼女は聖杯戦争勝者にして新SE.RA.PHの新王です。私の仮のマスターでもあります」
セイバーは言われて岸波白野をまじまじと見、その手の指輪まで目ざとく見つけ出したらしく、ゆっくりと頷いた。
「き、岸波白野です。マスターです」
「貴女が聖杯を得たマスターだったのですね。お会い出来て良かった」
「こちらこそありがとう、えっと……」
「私のことはセイバーとお呼びください。貴女のサーヴァントと同じく私もムーンセルによりこの地に喚ばれた存在ですから、立場などは気にしないでくださいね」
にこやかなセイバーの言葉にマスターは安心感を得たらしく、彼女は抵抗なくうんと返事をする。
警戒心のないことだ。今に始まったことではないが、どうもサーヴァントに絆されやすい
そもそもアルトリアが「取り返しのつかない段階」になる前に動いたケースが初めてだ。最終的に戦わざるを得なかったことは何度かあるが、アルテラはまだ領地を奪い返してすらいない。セファールはまだ引きこもりきりなのに、何故我々の前に現れたのか。
聖剣使いは世界の辻褄を合わせるために来る……そういう意味ではこの世界はとっくに
「そうだ。貴方がたを訪ねたのは他でもありません。トップサーヴァントに選ばれた身として、私はSE.RA.PHの運営者に伝えなくてはならないことがあります」
彼女はまた表情を冷たく引き締める。呼吸を整える無言の間に砂まじりの風が吹き抜ける。
「SE.RA.PHは未曾有の脅威に晒されています。皆さんがどこまで知っているのかは分かりませんが、
「それは知ってる。ほんの少し前に、わたしたちはセファール……アルテラと戦ったから」
「彼女が支配領域を一度失ったことは私も把握しています。まだしばらくは彼女自身による侵略はあり得ないでしょう。そうですね、アルキメデス」
ふいに騎士王はこちらに話題を振った。
「その通りです。数値の上では少なくとも、今すぐにアルテラがSE.RA.PH全土を自由に走り回れることはありません」
「そう、その筈なのです。ですがムーンセルは5日ほど前、私に指示を発令しました」
5日前と言うと私がアンチセルにやられて気絶していた頃だ。ムーンセルが私より先にセイバーに指示を出した理由なんてそれ以外には無い。
トップサーヴァントの次の言葉に耳を澄ませる。ここまでこんなに上手く行ったのだ、エラーなんぞでこの精密な円の軌道を乱される訳にはいかないのだ!
「その日を境として、SE.RA.PHシステムに巨大な自己矛盾が発生した、と言うのです。システムの内部に大きすぎる事実の歪みがあり、演算される世界のあり方に異常をきたす可能性がある」
「歪み──?」
──私は澄ませた耳を疑った。何度数秒前の記憶を読み返しても結果は変わらない。
「この自己矛盾はシステムを利用する我々にも影響する。放っておけばセファールを待たずしてSE.RA.PHは滅びます」
尤もSE.RA.PHがそうして滅べば遊星もムーンセルを探す術を失う訳ですが──どういう心境で言ったのかは理解しかねるが、間違ってはいないことをセイバーは言った。
それは私としては困る。ムーンセルは刈り取られねばならないが、その為にSE.RA.PH(正確にはそこにあるレガリア)は維持されねばならない。
「……技師として、確かにそれは私が解決せねばならない問題でしょう。それで、歪みというのは」
「それは私には分かりませんでした……とにかく何か大きな
頑なな「間違い」という表現の徹底に私は胸騒ぎを抑えられなかった。
不安そうな顔でこちらを見上げていたマスターと目が合う。矛盾だ。私たちは今この瞬間、SE.RA.PHで最も重篤な矛盾を抱えている。
「お願いします。新たな人類の新天地、そしてその未来の為に、エラーは根絶されなくてはなりません」
アルトリア・ペンドラゴンは真摯に私たちを見た。正義を信じて疑わないような目だ。視線の先にいる者がどれだけの悪意と共にここに居るのかもまだ知らない。
管理者端末が通知音を短く鳴らした。
私はただ通知画面を開いて通達された内容を確認するだけでいい。
「
「ええ、そうですね……新王」
指先に並ぶ文字列が、この不可解な周回にのさばるブラックボックスの存在を告げる。明日、何かが起こることが