マスターは一晩寝て起きてもまだ鬱々としていた。岸波白野がそうして消沈する記録に覚えが無かったが、思えば「4人目」は聖杯戦争の記憶を欠いているのだった。その折に獲得していたであろう内面的成長も同じく欠落しているのだろう、あの理解し難い行動力が陰るのも道理と言える。
察して然るべきだった。エネミーの異常発生の時といい、どうにも少し考えれば分かることを見落としがちだ。これについては彼女のことを無意識に強く見ているせいかもしれないが……あの一種異様な豪胆さのせいで
「わたし怖いよ……死ぬのは」
ベッドに陣取り私に背を向けているマスターは溜め息混じりに弱々しく呟いた。
「アルキメデスは怖くないの?」
「死を恐れるのは生物であれば当然の事です。比較せずともあなたの反応は正常ですよ」
「そういう事じゃなくて」
彼女は大儀そうに起き上がり、困惑も露わな顔をこちらに向ける。
「何回も死ぬ瞬間が来るのは、怖い事じゃないの?」
その疑問は常々私が抱いていたものと同じだった。
2度目
「さぞ恐ろしい事でしょう。私の最初の死は既に遥か遠くにありますが、その感覚を忘れたことは一度もありません」
岸波白野は眉尻を下げて頷く。私とて出来れば思い出したくはない記憶だ。我々が
「召喚されたサーヴァントは遅かれ早かれ死にます。聖杯戦争なりなんなりで喚び出される都度、多様な英霊によって、埒外の魔性によって、自害を命じられて苦痛の内に死ぬことになる訳です」
「うん……そ、そうだよね。わたしも……殺してきたから、分かるよ」
「戦争というのはそういうものです。殺さなければあなたは最初の死を迎えていた」
サーヴァントの言葉にマスターは萎縮した。彼女は死を恐れているが、その恐れは既にあまりに多くの生を奪っている。
やはり人類は何千年経ってもその根本を変えることはできないのだ、ろう。
「ただ、私は……」
私はここから先を言葉にして新王に伝える事を躊躇した。これは私が心穏やかな隣人としてこの世界と接するにあたって、秘しておくべき要素だからだ。
これを確実に知っているのはシステム的異端の赤外套だけ。あれで察しのいい狐や、図らずも新SE.RA.PH以降交流のあるケルトの槍兵あたりはもしかすると私の性根に気付いているかもしれないが。
「な、なに?」
言ってしまったとしても、今となっては大した問題ではない。私の戦歴なんて岸波白野には関係のない事じゃないか。
それに──私の根底にある何事かが、これを誰かに話してしまいたいと密かに囁くのだ──。
「いえ何でも。ええと……私は未だに
「2度目の死……」
「サーヴァントの大半にとって、死は単にゲームに負けた程度のモノに成り下がっている。死を通過してでも自分の願いを果たさんとする者がそれだけ存在するのです」
全ての英霊が死を恐れないという事ではないが、後に「英雄」などと呼ばれるような連中は総じて死を誇ることすらある。旧SE.RA.PHのサーヴァントなんて、半分くらいは殺し合いの後に霊基が崩壊しても馬鹿面を保っていた。
どんな英傑も死に瀕するときの冷え切った感覚は同じの筈なのに、それを忘れてまで欲する望みなどあるものか。
「私はまだ死以上の肉体的苦痛を知りません。私は戦場で死にたくはなかった──いや、あなたに話す事ではありませんでしたね」
「えっ、うん……それはそうかも」
マスターは私の戯言をまったく否定しなかった。死の瞬間を恐れるか、その回答としては確かに無駄な修飾が多かった……らしくもなく。
「アルキメデスはやっぱり、あんまりサーヴァントっぽくないね」
私はもうマスターの話を聞く装置に回るつもりでいたのだが、その矢先に聞こえてきた彼女の言には反応せざるを得なかった。
「あっ、悪い意味でじゃないよ? そういう考え方とか、雰囲気がっていう話でね」
「……そ、うでしょうか。よろしければどの辺りがなのかお聞きしても」
「具体的にどうとはちょっと言えないんだけど」
「無いんですか根拠は」
適当な事をぬかしながら彼女ははにかんだ。決して愉快な会話ではないが、この温い空気はすっかり日常になった。そうなって欲しくはなかった……なかったのではないか?
「でもとにかく、わたしと同じだね、死ぬのが怖いっていう気持ちは」
なんてネガティブな──生物としては正しい感覚か──共通点だろうか。
だが死者となってからの私が一度も共有できなかったものでもある。
「あんなに沢山の人が、わたしが生きる為に死なないといけなかったのに……当のわたしはこんなにも死にたくないなんて、わがままなのかな」
あんなに沢山の人間を殺してきた私が、死を味わって以来それから逃げ隠れて来たのは我儘なのだろうか。
岸波白野も、また
「さっきも言ったでしょう、新王」
私はただより良い人生の為に努力してきた。それをどうして責められなくてはならない? 間違いだったかもしれないと悩まなくてはならない?
「殺さなければ死んでいたのだと。あらゆる生物は結局、そうしなくてはならないのです」
「そうかなぁ……」
あの美しい春に私が殺されさえしなければ、或いは岸波白野──彼女のように、他者を疑う必要のない愚直ないち学者として汚れのない手で死ぬことが出来たのだろうか。
その時には死を恐れない勇敢な人理の守護者にでもなっていたかもしれない。そう思うとどんなに不快な気分の時でも
「私が言うのだから、間違いはありません。殺戮が
死はまだ冷たく、私とマスターを狙っている。
それの悍ましさを喩える言葉がいくらあることだろう。