未だ領域内の動揺は大きく、仮初の人間生活を送るローマの民草は皇帝の悲哀を代弁するように一様に沈黙している。たとえ少女のお遊びの王政だったとしても、彼らにとっては尊ぶべき王なのだろう。
我々は傷心の皇帝へ今後のあれこれを進言すべく、センチメンタルな空気を押し退けて玉座に直進している。岸波白野の姿を目に留めた民衆が時折はっとした顔をすることがあるが、当然ながらその希望はすぐに目に見えて萎んでいく。
「セイバー!」
玉座の間に押し入るなり「
部屋にはセイバー・キャスター両陣営のサーヴァントたちと、数人の上級AIがめいめい話し合っていた──王座で今も尚
岸波白野の到来に一同はぱっと会話を止め、件の弱気な支配者から王権を預かった新王に注目する。彼女は意気軒昂に歩を進め、私はそれに
「落ち込んでる場合じゃないよ。「精神」は……死んでしまったかもしれないけれど、
視界の端で「魂」が密かに頷くのが確認できる。似たようなことを感じているのだろう。もしかすると既に言っているのかもしれない。
「だから、これ以上酷い事にならないように戦わないと」
憂鬱な皇帝は錆びたクランクのように緩慢に身体を起こし、これまたゆっくりとぎこちなく顔を上げた。泣き腫らした目がいかにも哀れだ。これを暴君と呼んでも誰も信じられないだろう。
「大丈夫だよ。わたしはもういなくなったりなんてしない」
マスターの手がネロの顔を拭う。
私は次第にびしょびしょになるマスターの左手を見ていた。指輪の収まりが急に悪く感じたのでそこに爪を掛けようとしたのだが、生憎右手は手袋の中だ。
「奏者」
「大丈夫、大丈夫。きっとうまくいくよ」
ふたりの少女は互いを抱き合って相互に励ましを交わす。
そうしたい感情を理解できない訳ではない。精神安定が理性的な判断において重要なのは言うまでもないし、時間の無駄ではあるが止めるほど不愉快ではない。
ただ、指輪のある指だけがひたすらに気持ち悪い。
空気が和やかに暖められる傍らに、私は改めて自分のやり方の
「すまぬ、確かに腐っている場合ではなかった。心配を掛けたな」
やっと岸波白野の腕から抜け出したセイバーは、一転いつものきりりとした顔を作って玉座から立ち上がる。散々
「では、こほん……ここに参じた理由を述べよ。あの遊星の尖兵のことであろう」
「うん。それとこの前の変なエネミーのことも」
マスターは当然のようにこちらに目配せした。今日の私の仕事はこれなのだ。陛下の泣き言を聞きに来たのではない。
「僭越ながら、私の方から説明を致します。他の皆様もお聞きください」
サーヴァントたちの視線が私に集中する。期待する者、未だ疑う者、話者に無関心の者。構うものか。
「レガリアC陣営──アルテラ軍が侵攻を開始しています。敵は強く、その速度は現段階で既にSE.RA.PH使用可能領域の10%以上を得る程です」
「じゅ、10!? ちょ、ちょっと早すぎではないか? 計算ミスでは?」
「この私がそんな些細なミスを見逃すとでも?」
側のマスターがそうだそうだと言わんばかりに頷いている。ネロは口を噤んだ。
「よろしい。皇帝陛下、信じ難い事ですがこれは事実です。なにせ向こうに付いているサーヴァントは揃って大英雄ばかり、木っ端の攻性プログラムでは到底太刀打ち出来ないでしょう」
「誰か向かわせるべきだと?」キャスターが口を挟む。
「いいえ、ここは慎重になるべきです。皆様の実力を疑う訳ではありませんが、万が一にも戦力を欠くことになってはいけませんので」
アルテラを勝たせる為に今からこちらの戦力を散らせてもいいのだが、蹂躙は
私が全員に潰し合ってもらいたいのは、アルテラが遊星の意思を裏切る可能性を秘めているからだ。変な気を起こす前に痛め付けるか、いっそ消えてくれた方が今や確実だ。こちらの人員が生きていて困ることもそう無い。
「現在攻撃を受けている領域は使用用途もほぼ無い。急いで取り返そうとして敵を刺激する必要もないでしょう」
「致し方ない犠牲であるな」セイバーは口を尖らせた。
「土地と権利を奪い合う戦争ですので。そして陛下、軍事指揮は私の本分ではありませんから、すみませんがそちらは提言に留めさせていただきます」
「うむ……それも仕方あるまい。こういうのは強制すると基本的にろくなことにならないからな」
まったくその通りだ。マスターだけが目をぱちくりさせていた。
「そして、もう一つ」
もう一つ──こちらの方が問題だ。戦闘は毎度やっている事だが、こちらは前例も無ければ今後の再現性もない。この周回だけの仕事だ。
私が立てた示指にセイバーは注目する。
「先日の異常なエネミー……仮に"模倣体"と呼称しますが、こちらの対処についてです」
「まだ発生する可能性があるのか?」
勿論、原因は「4人目」なので可能性は多分にある。だがそれは決して修正されることのない
「お恥ずかしながら、未だ発生源の特定には至らず。可能性については何とも言い難いですね」
場が僅かにざわつく。何も知らない連中こそよく騒ぐものだ、人生を目一杯使って学んだので知っている。
どれだけ喚こうと誰も私の足元にも及ばない。溜め息が無意識に溢れた。
「模倣体案件は発生を感知し次第、即時解決で対処することになります。サンプルが増えれば原因も割り出せる筈です、陛下」
「うむ……今はこちらでは対応できないという事か」
「適切な対処法が完成するまではSE.RA.PH全域の模倣体案件は私にお任せください。宜しいでしょうか」
セイバーはキャスター及び「魂」とアイコンタクトを交わす。合図を受けた狐は何か考えるポーズは取ったが、その表情を見れば模倣体に対して
システム面にはサーヴァントはほぼ関与していない。レガリア所有者はシステムにも部分的に干渉できるが、セイバー・キャスターのそれは今は私の元にある。
魔術もコードキャストも関係ない、完全な機械側の不具合にサーヴァントたちが対処など出来る訳もない。
「今は貴様に頼む他ない。だが、無理はするな。奏者共々な」
やや不満さが滲む顔でネロ・クラウディウスは私たちに命じる。
マスターは力強く頷き私と手を(当然のように)繋いだ。
「アルキメデスのことはわたしに任せて!」
「ええと、そういう事です。新王の手前、無茶なことはしません」
そう言えば、指輪のある部分の違和感が今は無い。サーヴァントの緑の視線が繋がれた手に注がれる。
その内側で虚無に上書きされた左の手指の血管がより熱く脈動していた。
「王権を預かった身です。我々の間にある信頼の証明は、それで充分だと感じております」
セイバーはゆっくりと首を縦に振った。
「この苦難の日々を必ずや乗り越え、我らがまたひとつに団結する為……新たな王の健やかな未来の為に、戦うぞ」
指輪の嵌められ
岸波白野の慈愛に満ちた眼差しと、誰かの不信、不安、不満の凝視が身体の周りに渦巻いている。皆、私の一手を待っているのだ。運命のすべてが私の手の上に乗るまで、もう幾許もない。
私は彼女に礼でもって返事をした。