アルコール臭い夜が過ぎ去り、その間に破壊の軍勢は順当に駒を進めた。振り返る必要のない行進はさぞ気持ちいいだろう。所詮、奴にはその衝動を振り払うことは出来ないのだ。
領域には潮の匂いが微かに漂っている。今日は宣言通り、模倣体案件への対応の為にここに来た。
模倣体は「
当然そんなことは出来ない。何かあったところでどうでもいい連中の為に大事なマスターを殺すなんて本末転倒だし、そもそも
本当にこの案件を解決したいのであれば「4人目」に堆積された私のループの記録をどうにかする他にないだろう。
「どう? 何か分かりそう?」
マスターはエリア全面に広がる水盤にいかに大きな波紋を作るかの自己ベストを更新しながら、遅れ気味に私を追い掛けている。
模倣体はあくまでも強引な
「流石にまだ何とも。傾向で見ればこのエリアには発生の可能性があるのですが」
「もうそんな所まで!? 全然気付かなかった、わたしもレガリア持ってるのに……」
傾向と言っても私にしか判別し得ない要素なのだが、面倒だし必要もないので説明はしない。足元の水面と同じくらい目を輝かせる彼女の気持ちに水を差すのも私の趣味ではない。
「新王は何か気付かれたことなどありませんか」
「わたし? うーん」
彼女は爪先で浅い水を混ぜながら考え込んだ。模倣体の発生源は「4人目」……の
「アルキメデスの仕事に着いていった時と、キャスターと戦う前の時、それと……この前のセイバーの時……」
共通点は私が周回の度に毎回必ず通過する地点、ということくらいだ。時系列も関係ない。実際に戦闘があったタイミングとは無関係に模倣体との接触は発生している。
私の目線では切っ掛けを得られないが、原因であるマスターには何か見つかるものもあるかもしれない。
「ううん……これと言って変な事は無かったかな」
「ふむ、そうですか。なら仕方ありませんね」
「ご、ごめん。力になれなくて」
マスターは不安そうに視線を落とした。切っ掛けを得られないかと期待はしていたが、どうやら成果は得られなさそうだ。
「気にすることはありません。模倣体案件の時はいつも冷静でいられる状況ではなかったですし、無理もないでしょう」
「でも役に立てなかったから……」
水のちゃぷちゃぷと渦巻かれる音が次第にゆっくりとしたものに変わる。彼女の下がった眉を見て、ちらりと違和感が過った。慰めの言葉を考え始めた矢先、手元の管理者端末が通知画面に切り替わり視界の端でちかちか光ったからだ。
次の瞬間、端末は警報を鳴らした。マスターは困り顔をより深くして私を見る。模倣体が近辺で発生した際に通知するよう設定してあったものだ。
「では今、私の代わりに条件を見出してくれますか?」
ここは
警報とともにマップに敵影が浮かび上がる。戦わなくてはならないことより、思考を考察に割けないことが不快なのだ。
「状況を開始します。後方支援は任せますよ!」
敵は雑兵ばかりだ。千年京侵攻と比べれば大したことはない、戦いながらデータの根源の捜索も対処プログラムの構築も出来る、筈だ。
歯車を展開、天球儀の熱量を拡大。鏡が群れる有象無象を捉え、射殺さんとして熱線を束ね始める。
私の背後でマスターがレガリアの提供する情報と戦場を見比べている。感情の値が激しく変動しグラフの中で浮き沈みを繰り返していた──脈拍、発汗、脳波の揺らぎが言語でないヒントを伝えようと訴えている。
槍のような腕を突き出して迫る攻性プログラムの頭を歯車の歯が押し潰し、矢を引き絞ろうとする関節を光線が溶かす。モニターの文字列の中から改変箇所を探す右手の分まで、左手が繰る兵器たちが戦場を踏み荒らしていく。
「
召喚された天秤は求めに応じて天地を掻き回し、混乱して立ち止まる塵芥を圧縮、破壊する。バラバラに千切れた鉄片があたり一面に散らばった。
「アルキメデス……」
脳の容量以上の情報を強引に高速演算していた新王は冷や汗を浮かべながら小声でこちらに問い掛ける。
「わ、わたし……分かったかもしれない」
「分かった?」
「えっと、模倣体の発生条件……でも、これは……」
大型の攻撃を受け止め、弾き返す。散った火花が閃き髪の先を焦がした。
「理由はなんでも構いません。ヒントを得たのであればこんな戦いを長々と続ける理由もない」
プログラムの不具合の位置は──本来ユーザーやAIが干渉できない箇所だ。そもそも目にも留めないような部分……この世界を違法に改造しようと企む時にはまず触ろうとは思えない部分。
ここに現在触れるのは公式なシステム管理技師である私と、ここに
模倣体の発生の原因はコードの書き換えではない。そもそものエリア構築の段階で、プログラムの特定の箇所だけが
天秤の重力場がスクラップを天高く放り投げ、そして高速で水盤に叩き付けた。鉄錆臭い水飛沫が昼の光を反射して光り、それと同時に右手が最後のキーを押し終わった。
攻性プログラムの群れは存在していなかったかのように──実際に本来は存在していなかったのだ──塵すらも消え失せ、後にはやや顔色の悪い少女と無駄に魔力を使わされた私が残った。
疲労した身体に酸素を送る。乾いた喉にぶつかる風が冷たい。
「状況終了。原因を経った故ではありますが……温いですね」
マスターに振り向く。数日前までは怯えて立つのも覚束なかった彼女だが、今はしっかりと起立している。
「それで、新王……分かった事とは」
第三者の確認を求めて私が尋ねると、彼女は震える声で発表を口にした。
「原因はわたしなんだ」
それは分かりきった事実であると同時に、すっかり注目の外にあった見落としでもあった。