試行回数■■回、Route:■■での記録開始より20日、概ね予測通りのタイミングでアルテラの軍勢は千年京首都部に到達。キャスター及び副官(キャスターが勝手にそう呼んでいるだけのようだ)のランサーの指揮により敵はエリア内に足止めされており、これ以上の行軍は阻まれている。
同盟軍はここでアルテラの戦力を削りつつ千年京を防衛する。奴の領地化を阻み、玉座に引き返させるのが今回の目的だ。こちらの軍の戦力であれば大英雄を阻む事も無理な話ではない。これで勝っている
私の立ち位置は主戦場よりはやや後方、今はまだ無人の物見櫓の上。柱は戦場を踏み荒らす重戦車の起こす振動で揺れているが、隣で立っている少女はそれに臆する事なく眼下の状況に目を凝らしていた。
昨日の宣言の通り、岸波白野は感情の安定に努めている。正確には、目の前の物が動いている様を目で追うことに注力することで余計な事に思考を割かないようにしているだけか。
祈るように組まれた幼い
どちらも等しく無価値だが、
「どうして」それとなく吐いた溜め息は偶然そうした声になった。
岸波白野はそれを聞き取り、きょとんとしてサーヴァントを見ようとする。馬鹿な疑問だった。私は彼女から視線を逃がす。
「何か言った、今?」
「い、いいえ」喉が痛んだ。「騒がしいので聞き間違えたのでしょう」
「そう?」
見下ろす街路では敵も味方も綯交ぜになって武器を振り回し合っている。エリアに際限なく舞う花片は刃に巻き込まれて千切れ、火花に晒されて燃え、踏み潰されて汚い地面のシミになる。
自分が作った都に煤の跡と木っ端を散らしながら狐が踊るのが視認できた。私が他の可能性で戦った時に比べると精彩を欠いているように見えるが、誤差だろう。
戦場は常に混乱と共にあり、時折誰かが喚きながら塵のようなプログラム達をばら撒いたり吹き飛ばしたりしている。あちらで高笑いと残虐な金属音が響いたかと思えばこちらでは悲鳴と爆風が巻き起こる。金切り声が高台に届く度にマスターの感情はちらちらと負に揺らいだ。
レガリアは沈黙を続けている。下で誰が傷つき倒れていたとしても、技術的問題はまだ起きていない。今日は「起こるかもしれない模倣体案件によって状況が不利にならないように備える」のが仕事なのだ。私は何もしない、マスターが傾かない限り。
「新王、お加減はいかがですか」
誰かの争いの余波で不意に燃え始めた郊外の一角の様子に釘付けになっている彼女は、どちらに意識を向ければいいのか大いに悩んでいるらしく声を掛けられても数秒固まっていた。
「へ……平気だよ! いやその突然あの辺が爆発とかしたからビックリして……」
「よくあることですよ。戦争なので」
「あっさりしすぎだよ!?」
口ではそう言いつつも、不安に思う間もなく目まぐるしく変化する視界に彼女は少なからず安堵している。終わりのない不安に怯えるよりは、その間もないほど驚き通しの方が確かにいくらかましだろう。
この灰の舞う空と木の焦げる臭いの中で改めて思う──千年京はあまり好きではない。戦火の中でもぎらつくライトが、この世界で唯一美しさを保っている空すらも汚している。
煙と飛び交う矢の軌跡で散らかる空、延々と続く暴力の道程を私たちはただ眺めることしかしなかった。戦争終結に向けた最初の大規模戦闘ではあるが、このまま私の仕事なんて起きないほうがいい。
迫り来る「歪み」──マスターが「不安」を忘れようとするように、私もそれから逃れることは出来ない。彼女がいる限り、私が契約を解かない限りはこの
「アルキメデス、ちょっと」
こんなに騒がしくも進展のない状況の中、彼女は見つめていた空の中から何事かを探し出して指差すと、私にひそひそと話し掛けた。
「あそこに何か……飛んでるよね」
「飛んでる?」その指す先を目で追うと、確かにふらふらと舞う点が見えた。「あれは……」
「サーヴァントかな」
嫌な予感がする。空を飛んで我々の元に来そうなサーヴァントの心当たりなんて
「敵かもしれませんね」
「あんな風に飛べるサーヴァントなんて──」
「様子を見てきますから待っていてください。すぐ戻ります」
あれは残念ながら放置できない。奴と私の繋がりは……一応隠しておくべきだろう。マスターは一気に不安に駆られて顔をくしゃりとさせたが、奴の接近は
「あなたに処理できない問題があるならすぐに呼んでください。今は
「い、いま居て欲しいんだけど」
「すみません──」飛翔物がよろめきながら徐々に近付く。「──すぐに済ませます」
助けを求めて伸ばされた手を一旦は見ないふりし、重力を振り切って物見台の柵を乗り越え、待って、と追い縋る泣き声も耳に残したままに空中に踏み込む。いつものように両足は空気の上に乗り、不可視の道となって目標地点に誘う。
せっかくの努力もふいになるほどマスターの動揺は高まり、数値の限りでは「不安」の僻地を超えんとしている。致し方ないと思いつつ、彼女のサーヴァントの心情としては申し訳無さが募る。仕事には変えられない程度だが。
さて、こちらの動きを視認した竜は先んじて空中で動きを止めて、側の家屋の屋根に蛾のように舞い降りた。まだ小さな影でしかないそれは遠くから見ても明らかな程に息を荒くしている。
「エリザベート!」
それを追って側に降りる。戦いの音がすぐ側にあり、武器の衝撃だとか大群の足音が建物を通して地震のように身体に響き、不快で仕方ない。
傲慢な怪物──エリザベートは私が両足を屋根瓦に付けるや否や乱暴に襟に掴みかかってきた。
「何してんのよ! マスターとイチャつきすぎて仕事も忘れたの!?」
「何──」
竜は長い爪で私の顔を指して甲高く喚いた。
仕事と言われてもSE.RA.PH全域で何のアラートも出ていない。私のやるべきことはここには無いし、余計なことは面倒なのでするつもりもない。
「大変なことになってんのよ、あそこ……運命の街、の所? 知らないの!?」
「詳しく説明しろ、ムーンセルからは何も聞かされていないぞ……」
「アンタなんで今更ムーンセルに頼るワケ!?」
そう言われてもこいつと違ってこっちは忙しいのだ。管理者画面を立ち上げ、エラーログではなくエリアカメラに切り替える。一瞬だけ写ったログにも、レガリアのメッセージ履歴にも何も異常は写っていない。
どうせ誰かが喧嘩でもしているのを大袈裟に言っているだけだ。戦場の出方を無視できない今、わざわざ呼び付けないでほしいものだが……と何の期待もなく映像に目を向けた。そうだ、私は俯瞰で万事を観察しなければならない立場でありながら、恥ずべき事にそう思っていた。
故に、その光景の把握には一瞬時間を要した。
最もパラメータ変動の激しいこの領域ですら何の異常も起きていないのに、干渉もなければ変化の切っ掛けも与えられていないそこは一目見て明らかな変化を見せていた──運命の街領域のリアルタイム映像を表示する画面に、かつて一度も起きたことがない変化が発生している。
映像の中の都市は縦横に引き裂かれ、象徴たる橋は落とされている。映る限り100では足りない程の未知のエネミーがNPCに混じって平然と跋扈し、崩れた地面は端からゆっくりと崩壊して破損データに変わっていく。
これは不具合ではない。この世界のシステムは「そうなるように動いている」故に、この破損を異常とは見なさない。
だが──私は知っている。何度も見てきたこの時間この場所この状況のすべてを考えても、これは起こり得ない。
「歪みだと言うのか、これが──」
それしか私には言えなかった。
エリザベートは焦燥に顔を赤くし、争いはまるで止まず、そして「歪み」の元凶は不安を今も募らせている。
このレベルの崩壊現象が自分の利用する領域で起きればサーヴァントもAIも反応する筈だ、自我の薄いNPCならともかく自我の強い者がこれを無視はしまい。今回の周回でのセイバー・キャスターはあまり広域での戦闘を行わず、運命の街領域の立ち入りが少なかった為に発見に遅れが生まれたと思われる。
システムに感知されない不具合となれば、
ここは危険だ。
「エリザベート、何故今この事を!?」
「い、今って……アタシも偶然気付いたっていうか、たまたまあの辺りを通ってたらこんなことになってたのよ!」
「よりにもよってこの忙しい時に!」
いっそ気付かなければ後からゆっくり解決に当たれたかもしれないが、見てしまった異常を放置はできない。何が悪いのよ、と竜が吠えるその裏で、レガリアシステムがとうとう1つ目のエラーメッセージを出した。
非常に、まずい。
少なからずの動揺が魔力パスを通じてマスターにも波及している。恐らくそれが彼女の冷静さを崩すひと押しになり、不安は今にも器から溢れんと膨れていく。
平均よりも大規模の戦闘に「歪み」が重なった──領域の処理は不安定になり、戦場には見る間にざわめきが拡散した。攻性プログラムですら足を止めて急ぎコードを整理し、誰もが次第に
最優先はマスターの安全の確保、次点で戦力の分散の阻止──いや、まず模倣体案件を防がなければもう収拾がつかない。今のアルテラの動きが分からない、戸惑いと処理落ちの中を強引に突っ切る誰かの雄叫びが聞こえてくる……。
「とにかく」喉が渇いているせいか振り絞った声は嗄れた。「お前はアルテラを追跡しろ。奴の生存……いや、レガリアの無事だけ維持していればいい」
「
「今はそれどころじゃない」
「だからって──」
エリザベートは無礼にも私を睨み付ける。自分では何も出来ない分際で声だけはいつもひどく大きい。
唾を飲み込むと喉がひりついた。ストレスとプレッシャーのせいだ。仕事は果たさねばならない……最終的にその仕事を破壊する為だけに。
「だったらお前に解決できるのか? それだけの脳がその頭には詰まっていると?」
彼女は何も言い返さずこちらを数秒睨み付けると、やけっぱちな風に羽根を広げてまたふらふらと群衆の方へ飛んでいった。
人々の戸惑いは気付けば殺意の中に薄れ始め、デフラグを終えた攻性プログラムも徐々に起動しつつある。マスターの所に戻らなければならない。足元は揺れているが、身体は問題なく空気に浮かび上がった。
エリザベートが私に押し付けた「歪み」の事実はいよいよこの
チカチカちらつく煙を振り払って櫓の上に舞い戻る。炎上していた街角の炎は勢いを増してより一層負荷を高めているようだ。
「アルキメデス! レガリアが──」
「まだ対処可能です。落ち着いて」
マスターはサーヴァントの着地を待たずにその腕に縋り付いた。前髪は冷や汗で濡れており、顔もやや紅潮している。今は多くを言うべき時ではない。
「感情の安定を意識して……あなたが平静を保つ限りはこれ以上酷い事にはなりません」
失礼を承知で震える手を握る。早いペースで脈打っていた血管も間もなく穏やかな調子を取り戻し、多すぎる瞬きも抑制された。少女は自発的にゆっくりとした深呼吸を繰り返し、私と真っ直ぐに視線を合わせようとしている。
レガリアの鳴らすアラートは彼女ではなくむしろ私の気持ちを逸らせている。「歪み」がSE.RA.PHそのものを侵し始めた今、新王の無意識の自己防衛機能が無くてもそれ以上の不具合は湧き続けることだろう。
「新王」
後方から爆発音が響き、地震のようにカタカタと周囲の建物を揺らす。
「状況は芳しくありません。私だけでデバッグし切れるか」
「レガリアがあるからわたしも手伝えるよ」
「ありがとうございます、ですが……」
システムの事は……把握は出来たとしても理解はできまい。メンテナンスは言われた事を反復するだけの単純なものではない。その裏に秘密を隠し通しながらの作業であれば尚の事だ。
まさにそう言おうとした時、岸波白野はその口を塞ぐ明確な意図を持って「ねえ」と声を上げた。
「アルキメデス、確認したいことがあるんだけど」
握り返される手に力が篭り、そこに私は穏やかな温かさを感じた。
それを私は