視界を埋め尽くした光の束はたった1点に向けて全力で照射され、通り道をたちまち真っ黒に焦がしてしまった。
指先を駆け抜けた魔力と熱意の冷めやらぬまま、太陽を背負ったサーヴァントは慣れない刃を右手に握って土煙の中に飛び込んで行く──灰と残像でちくちくする目で捉えたのは、あの恐ろしいアルテラの華奢な首筋に完全に喰いついたアルキメデスの鉤爪だった。
ふたりは灼けた地面の真ん中に立って、彫像のように固まっている。刃を急所に突き付けられてもアルテラは動かないし、勝利に王手を掛けるアルキメデスも同じく動かない。
数秒前までアルテラに攻撃を仕掛けようとしていたサーヴァントたちも手を止め、各々武器の切っ先こそ標的に向けながらも次の場の動きを待って静止している。瞬きの後には血が流れているかもしれないこの空間で、時間は凍り付いてしまったかのようだった。
誰もが気を張って武器を強く握る中、
どうにか焼け跡を凝視してサーヴァントの顔を覗えば、その間に微かな会話が交されているのを見て取れる。肝心の表情はどちらも冷え切って皆無だが、わたしにだけは……それが良い事なのかはともかく、アルキメデスの緊張した目がほんの少し見開かれたのが見えた。
彼の湖水のように動じない感情が、恐らくはアルテラの何かしらの言葉によって波立ちはじめていた。この拮抗を保ち続けられるのか、こちらが不安にな──りそうになる。
「────」
無音の攻防は数十メートルは離れたわたしの肌すら刺してくる。
あまりにも静かなせいで、白い剣姫の澄んだ声はここにまで聞こえてきた。
「──おまえは何がしたい?」
彼の右手が僅かに揺れ、塵すら切れるくらいに磨き上げられた爪はとうとう敵の細首に羽根のように触れる。それは皮膚のほんの表面だけを浅く切り開き、褐色の肌の上に赤色を滲ませた。
アルキメデスの心象は石を投げ込まれたように1度大きく波紋を立て、そしてすぐに収まった。ようやく付いた最初の傷が次の戦いの切っ掛けになるかと思ったが、両者の動きは変わらず不動だ。
見えないやり取りに誰もが今にも手を出そうかと手を握り直したり、次の一声のために唇を舐めたりする。急いて擦れる金属の音、石畳を踏み躙る靴の音。せめて傷のことにどちらか気付いていたならばこの静けさはとうに崩れていただろう。
「撤退する」
わたしの稚拙な判断の前に、はっきりとした宣言がセクターを巡った。
アルテラは攻性プログラムにそう告げながら事もなさ気に敵の刃から抜け出し、緑の光を放つ──指輪の嵌められた左の──手を天に掲げる。プログラムの群れは身体をガチャガチャと鳴らしながら他の敵対勢力に体当たりするのを辞め、その中の1割くらいが群衆から抜け出して将の側に集まっていく。
彼女はぐるりと戦場を眺め回し、その過程で当然ながらわたしを見た。赤い瞳は6秒程度こちらを見詰めた後、またくるりとアルキメデスを睨み付け、それからは表情も口の動きも無にしたままで兵士たちと一緒にさっさとどこかに去っていった。
白い少女を先頭にした群れはあっという間にエリアの外に走り去り、その背中を追い掛けて大きな鳥──のように見える何か──が飛んでいく。
今回の作戦目標であるA・B陣営による千年京の防衛及びアルテラ軍の撃退は成功した。
困惑と安堵のざわめきが静かに人々の間を流れ、それはすぐに大きな波となってサーヴァントたちの緊張を解した。
誰かが溜め息と共に「疲れたぁ」と声を上げて地面にごろんと寝転がり、別の誰かは戦場の確認の為に家々の屋根の上を跳び回る。たちまち反省と健闘を称える陽気な言葉が音の大多数を占め、わたしのサーヴァントだけが変わらず煤の上に立ち尽くしていた。
わたしはどうにか屋根から窓の軒に降り、その板を踏み抜かないようにどきどきしながら壁を這う樋を伝って地面に降りる。石畳は砕けた石と木の破片、煤と砂でまみれていて擦り傷にこれでもかと滲みた。
「アルキメデス!」
とにかく一刻も早く彼の元に行きたくて、足裏の痛みを我慢しつつ急いで前に進む。
彼はらしくもなくぼんやりと虚空を眺めていてわたしの接近にも気付かなかったが、腕の届く範囲にまで近付くと頭を振り、それからやっとこちらに振り向いた。
「新王……ご無事で何よりです」
「わたしは平気! アルキメデスは……」
「私も問題ありません。新王の支援のおかげです」
サーヴァントは武器を片付け、手に付いた煤を袖で拭き取った。いつもの穏やかな微笑も凪いだ雰囲気も変わらない。あの一瞬の焦りももう欠片も残っていない。
いつも通り、何ならいつも以上に落ち着き払っている。彼自身、さっきの動揺を隠そうとしているのは目に見えた。凄いのはそれを完全に押さえ込んでいる事で……。
「現場の後片付けは既に始まっているようです」
辺りを見渡しながらアルキメデスは言った。言葉の通り、キャスターと「魂」は壊れた建物を回って修復に割り当てるリソースを調整しているし、今しがたライダーが戦場をぐるっと一周して戻って来る所だった。
通り掛かるサーヴァントは焼けた円の中に立つわたしたちを横目で見ながら足早に行き来する。各々手に手に大きめの瓦礫や倒したプログラムの残骸を持ち、戦いには無縁そうな学者のことについて小声で意見を話し合っている。
「状況が状況だったので手を出してしまいましたが、戦果を奪う形になってしまいましたね」
「でも、結果としてみんな助かったんだから」
「まあ……新王がそう仰ってくれるなら問題はないでしょう」
アルキメデスは自分の功績には興味がなさそうだった。動けたのがわたしたちだけだったのは事実だし、他のサーヴァントなら或いはバックアップがなくても一矢報いられたのかもしれない。
でも、他の誰かがそこに立っていたのなら、わたしの方がどうなっていたかは分からないだろう。
「何であれ作戦は成功しました。我々も領域パラメータの確認だけして帰りましょうか」
予想される疲労を小さな溜め息だけに変え、アルキメデスはいつものようにメンテナンス技師の役割に戻ろうとした。
「ちょっと待って」
捲られた1枚目のベールの奥、心に被せられる鎧は少しの傷も見逃さずに即座に鋼で埋め立てられて平になる。この世界の誰も触れることは許されないが、わたしだけはその隙を見つけられる。
彼を解き明かす為に、振り返らないといけない時間がある。
「さっき、アルテラと何の話をしてたの?」
「……向こうの企みについて問いただしただけですよ。どんな意図で動いているのかと」
「でも何か驚くようなことを言われたんじゃないの」
彼の表情は変わらない。
「侵略者の戯言です。我々のようなただの人間には理解できない言葉でしたよ」
「それで……あんなに驚いたの?」
「新王は」幾何学の指先が彼の首の側面を掠める。「あの傷のこともお気付きでしたか」
頷く。
アルキメデスはわたしの返事にどう感じたのか、目を細めた。
「あなたが私を心配してそれを聞いておられるなら、それは考えすぎです。私は自らの役目を再認識しただけですから」
彼を包む拒絶はより強まったように思えた。アルテラに付けられた傷は跳ね返って彼の心に大きなセキュリティーホールを作り、それを隠そうと壁が急造されている。
今は何を言ってもその心に言葉は届きはしない。
「仕事はまだ残っています。新王こそ、お疲れなら無理はしないように」
アルキメデスはこのことについて話すつもりはまったく無いようだ。これ以上詰めても時間の無駄だろう。
「わ、わたしは全然元気だから」
「そうですか? 今更ですが、せめて靴は履いた方がいいですよ」
「その心配、半月前にはしてほしかった……」
彼の心は……確かに「願い」に向けられ続けている。
予感がするのだ。彼の「願い」が叶うまでの道程にわたしは確かに必要なのだろうけれど、共にゴールには辿り着けないだろうということが。
「あのね、アルキメデス──」
わたしは背を向けたサーヴァントをただ呼び止めたいだけで、それ以上何か言おうとした訳ではない。
呼び止めて、それから……それから、どうしたら呼び止めた先の彼の傷を慰められるのだろう?
サーヴァントは感情のない顔で振り向いた。
「──か、肩に灰がついてるよ」
「え? ああ、ありがとうございます」
徐々に火事は消し止められ、まだ夜明けには遠すぎる闇の深さは増していくばかりだ。
本当は灰の汚れも彼の表情も、はっきりとは見えていないのだ。