Route:lost   作:花見饅頭

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22日目:泥濘

 朝は緩やかに訪れた。

 座った隣で滾々と眠る少女の寝息がゆっくりとしたリズムに変わるその間、私は指輪の縁を手でなぞって……そうしているだけだった。夜な夜な瞬きの都度に瞼の裏にちらつく死の断片も、私をその度慰めてくれる異星の輝きも、どちらも意識を向けようとすると逃げ出してしまう。

 薬指に巻き付く細い曲線に触る感覚だけが、数値化されてぽつんと脳裏に描かれている。

 

「どうすんのよ、アルキメデス」

 

 望みもしない声が折角の静寂の邪魔をした。

 

「エリザベート……勝手に入ってくるな」

「仕方ないじゃない!」

 

 意識のない間に目前の座標に転移していた竜娘は耳障りな囁き声で叫んだ。顔を上げてその体たらくを見ると、見るだに酷く身なりが乱れている。

 

「あの後アルテラを追っかけて未明領域まで行ったけど、あの金ぴかの変態に追い返されたのよ!」

「そうか……」

()()()じゃないわよ仲間がやられたんだから心配しなさいよ!」

 

 隣でマスターが身を捩り、掛け布団を手の中に握り込む。エリザベートは口ごもり、次の文句の代わりに吐き捨てるように鼻を鳴らした。

 

「なんでアルテラと戦ったの?」

 

 傷付いた肌とほつれた衣装のサーヴァントは瞳孔の拡大した眼で薄闇を凝視する。

 その青色を見て思い起こされるのは戦場の喧騒でも兵士の勇姿でもなく、アンチセルが首筋から薄っすらと血を流すあの光景だった。

 

「あのタイミングで宝具を使わせた場合、SE.RA.PHシステムの崩壊を招く可能性が高かった。我々はまだシステムの範疇に在るのだから、諸共滅ぼされては何の意味もない」

「それ、確かな事なんでしょうね」

 

 竜は舌打ちし、こちらに向かって手を伸ばした。()()輝いていない指輪の石に爪の先が突き立てられ、キンと擦れる。

 

「大体アナタ、まだ気付かない振りするつもり? しつこいんだけど」

「何の話だ」

「はあ? マスターの事よ。そんなにあッからさまに大事に大事にして、ただのマスターとサーヴァントの関係ですよー、なんてあり得ないでしょ」

 

 苛々した語気で彼女はそう言い私を睨む。浅慮だ。

 人間が集まった時に必ずそこに特別な意義を見出そうとするのは、これのように愚かな者にはよくよくあることだ。

 

「岸波白野は天秤の錘に過ぎないと、前にも伝えた筈だ」

「アンタはとっくにマスター()サーヴァントになってる。そうでもなけりゃ、アンタがレガリアを使うなんて危ない事する訳ないもの」

「全て計画の為だ……」

 

 エリザベートは側にあった椅子を軽く蹴った。床に脚が擦れて不愉快な摩擦音が立ち、マスターはまた布団を身体に巻き付ける。

 

「違うわ」声は何の為なのか、不満を隠しもしなかった。「アンタが他人の顔をあんなに()()()見たことなんてないもの」

「それがどうした? 利用できるという点で、彼女は信頼できる。それだけのことだ」

「それだけ?」

 

 疲労とヒステリーで苛立っている()()()彼女は歯軋りして乱れた髪をさらにぐしゃぐしゃに掻き回した。

 

「だったらアンタが4人目のマスターをわざわざ連れて回る理由は何? アンタにとってマスターは何になったって言うのよ? 暇潰しか、それとも当て付けか何かなの?」

 

 彼女のまくし立てる言葉の少しにも同意できない。岸波白野は確かに完全に私のマスターになったし、マスターとしての価値に収まらない()()があることにも気付いている。

 それを勝手に勘違いして誇大解釈しているのはこいつの方だ。評価が高い──好感が持てる──ことを即ち愛情か何かかと誤認しているのだ。

 

「役目だの何だの、アンタが言い出したことよ。小リスすら(アタシ)から遠ざけられて、その上望みも果たせないのなら、アンタを死ぬまで殺し尽くすしかないわ」

「八つ当たりか?」

「アルキメデス、アンタはそこらの反英雄よりよっぽど非人間だと思ってたけど……随分人間らしくなったみたいね」

 

 エリザベートは絞り出すような声で返事をして俯き、鱗が数枚欠けてしまった尻尾に爪を立てる。

 その感情値の振れ幅は激しく動揺は目に見えて明らかだったが、残念ながらその悪態は私の頭には不思議な程に留まらなかった。

 

「役目を果たしなさい。アンタのせいでこんな最悪な目に遭った可哀想な(アタシ)の為に」

 

 そういった言葉を捨て台詞にして、彼女は部屋から出ていった。岸波白野の為なのか、今日は部屋で堂々と尻尾を振り回す事もなければ大声で喚き散らすこともなかった。

 

 マスターは価値ある人間だ──多くのサーヴァントがその魅力を理解しているくらいには。私も交流を通してその理由を掴んだだけの事で、別に彼女の根幹に触れたいと思っているのではない。

 

「無意味でしょう……」

 

 すぐに壊れて無くなると解っているモノに思考を砕くことの理由が分からない。奴もこちら側であるのは違いないのに、岸波白野だけには執着を続ける意味が無い。

 彼女は単なる……ひとつの素材でしかない。無くなると困るから、かけがえの無い存在なのだと思い込むのだ。

 

「……マスター」

 

 独り言が漏れると同時に、偶然にも少女は夢から覚めた。

 

「う……ううん、アルキメデス……」殆ど開いていない口と目で彼女は私の真名(なまえ)を呼ぶ。「うーん……誰か来てた……?」

「いいえ、誰も」

「そう? なんか──ふわあ──疲れた顔してるけど……」

 

 マスターはしわになった布団の中から春の虫のようにもそもそ起き上がり、ろくにこちらが見えているかも分からないような顔で尋ねる。まあ、疲労はある。一応は嘘ではない。

 

「疲れもします。昨日の戦闘は無茶な動きでしたので」

「そう……」

「ええ」

 

 普段の彼女の起床よりも1時間ほど早い。マスターはゆらゆら船を漕ぎながら、暇を作るまいとしてもごもごと言葉を探している。

 

「何か──」

「何ですか?」

「──何か悩んでることとか……あったら聞くけど」

 

 不明瞭な心配がスロー再生で聞こえてくる。壁の向こうからの声のように、すぐ側にあるのにその真意は決して知り得ない。

 岸波白野は何も知らない筈だ。少なくとも、私を味方だと思っているこの岸波白野は。証明はできない、後ろ手にナイフを隠していたとしても私には感知することはできない。

 

 それでもいい。私はそれを解った上で利用している。私は、絶対に判っている。絶対に。

 

「寝起きの子供に聞かせるような悩みは私にはありません」

「うーん……否定できない……」

 

 やや悔しげに呟いてそれから数秒、気付けば彼女は座った体勢のままでまた浅い眠りに落ちていた。

 ああ、岸波白野には分かるまい。私にすら分からないのに。

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