「マスター、私は今、これまでの人生の中で最も正常に近付いています」
左手を握り締める。私をあるべき姿に戻してくれた光が指の内側で今も淡く輝いている。私はあの星に本当に感謝しているのだ。何も恐れる必要がなかった頃に、私を呼び戻してくれたのだから。
それなのに、汎用的な人間でしかないマスターにこれを明かして何になるのだろう。マスターは私にきっと人間であることを望むだろうし、そもそも私の本質のことをちっとも理解なんてしていないだろう。
「ですが、本当に私が
岸波白野は温みを残した手を大事そうに胸に抱えている。
肺に詰まっていた濁った空気が抜けたことで、私の殻は軽くなっていた。私の「らしさ」と呼べる部分は、霊核に侵食する幾何学的軌跡によって正当化されてきた。
それを隠して生きるのは少なからず不愉快であったのに、私が人生で得られた喜びは「らしさ」の上に塗られたもののお陰で手に入ったのだ。
「アルキメデスは、その……正常、になりたいんだね」
物心付いた頃には、私は正常だった。
だが、私が父や母、或いは友の喜びを模倣しようと試した時、私の持ち合わせる「正常な感覚」ではどう計算しても数字が合わないのだ。
「だったら、そうなってほしいよ。それでアルキメデスの気持ちがちょっとでも楽になるなら、いいと思うな」
岸波白野は微笑んだ。彼女は私のことなんて何も知らない。
私を理解してくれた███すら……彼ほどの天才ですら、そうは言わなかった。私の頭のつくりではあの世界をまともに生きられないと分かって、黙っていてくれたのだ。
岸波白野が「らしく」と言った瞬間、私はむしろ自分の中の「らしさ」が息を潜めるのを感じた。
「はは──」
人間が自発的に理性を削ってまで非生産的な快楽を求める理由を、サーヴァントとして人間のつもりでエミュレーションする最中に掴みつつあった。そうして改めて思う──私がもしも多くの人間と同じようなつまらない思考をしていたら、この文明が窮地に立たされる理由も無かった訳だ。
「私はね、マスター。もう完全に正常な思考に戻る方法を覚えていないんです」
視界が大きく歪み、眼球からの分泌液が体表から離脱すると同時に解消される。ここまで繰り返しやり直しを重ねてきた私の身体に起きる不具合がこれだなんて、こんなに恥ずかしいことはない。
星を選ぶか、人を選ぶか。遊星の尖兵である私に選択の余地はない。
私の結論は決定している。何度歩いた軌跡が右往左往しようと、終点には明確な滅びと最高の歓喜が待っている。
この星は、私と同じ形式の回路を持つものを霊長の代表に選ぶべきだったのだ。
シラクサのアルキメデスは渇望する。
私を許容しないこの世界からの脱却と、私を含んだ万物の定量化を。
これこそ私が自我を抱いて以来隠し通してきた第二の秘密。心臓に固着しながらも形を見出すことの出来ない構成要素、表明すれば
そして、私が死して尚存在を保つ理由。