「この度はご協力頂きありがとうございます。英断に今一度の感謝を」
一夜明け、傲慢な王の玉座は珍しく静かだった。
セイバーは思い詰めた表情で自分の手の中の指輪を見つめている。
「うむ……その、ひとつ質問があるのだが」
「質問ですか?」
指輪の譲渡を渋ってか彼女は小さな声で呟いた。
脇に立つマスターだけは、如何なる感情なのか私をじっと見つめている。何を勘違いしたのか、「4人目」は「精神」に向けて愛想笑いを浮かべた。
「あなたの心配も当然の事でしょう。疑問点は何なりとお聞きください、私の把握している範囲であればお答え致します」
私の呼び掛けは彼女にはあまり安心を与えなかったらしく、セイバーの表情は曇ったままだ。
サーヴァントたちにとって無二の絶対であったマスターの勝利とその証拠、それの商品として得た支配の権利。それと代償に喪われた数多の哀れな人間の塵と消えた欲望のことが枷となっているのだろう──ということは、私にも察しがつく。
それとは別にセイバーが引っかかりそうな事があるとすれば──
「奏者のことなのだが……」
「マスターの分割のことでしょうか?」
──セイバーとキャスターにはいくつか説明しなかったことがある。
この一連の事件の
「そうだ……マスターは指輪と共に、3人と──その残滓に分かれてしまった」
「ご指摘の通りに。あり得ざる事態ですが、確かなことです」
「奏者はどうなってしまうのだ? こうして分かれたままになってしまうのか……?」
岸波白野の分裂。
セイバー及びキャスターが重視するマスターの在り方について、「指輪の統合によりマスターもいずれ正常化する」と断言したことにより、トラブルが発生したことがあった。
当初、マスターの危機についても引き合いに出さなければサーヴァント共を動かすことが出来なかった故に伝えた事実ではあるが、何度かの施行の末
統合によって自分のマスターはどうなるのかだとか、そういう小競り合いは現にあった。3要素に分かれた指輪を改めてひとつの物体にすれば、それに紐付けされている岸波白野の3要素もまたひとつのデータとして再定義される。過去の施工において実際には叶わなかったものの、これについてはほぼ間違いないと考えている。
ひとつになる──1/3が1に纏まろうとすることで数字の個数が減るのは当然だが、その1/3を
「レガリアの分割自体があってはならなかった事ですので、マスターの状態も未知数なのです。確実にこうなる、というのはいち学者として明言することはできません」
「どうなるかの可能性だけでもよい。このままでも問題はないのかが知りたいのだ」
サーヴァントの隣でマスターも頷いた。
その眼には死への恐怖が見える。
「……可能性としては、マスターがこのままデータとして成立し残り続けることです」
限りなく嘘に近いが、セイバーがおそらく欲しがっている解答はこれだろう。
可能性として完全に0ではない。レガリアが欠損したまま事件が収束した際の周回で、「精神」は人間としては不完全ながら消滅
あるいは私(ないしムーンセル)の匙加減では、岸波白野だけは形を維持するようなこともあるだろう。
「もしくは統合と共に、マスターもひとつに再定義されるか。そんな所でしょう。いずれにせよ、最終的に岸波白野が消えるような、そのような事は起こりはしません」
真実はさらっと流しつつ、前向きな形で言葉を終わらせる。
セイバーはほっとして溜め息を吐き、玉座から元気よく立ち上がり自分のマスターに向かって微笑んだ。
「そうか……それならいいのだ。奏者さえ居てくれれば、その後のことなどどうとでも出来よう!」
そうだね、と「精神」はサーヴァントに笑い掛ける。
見飽きた光景だが、今回は何故か妙に胸がざわついた。マスターがいればどうとでもなる。
こんな脆弱な要素ひとつで、私の計画はかつてない程に簡単なやり方で進んでいく。如何に月を制したと言えど、本当に彼女がどうとでもしてくれるというのか。
私の■■周の上に、岸波白野は立つというのか?
「うむ、奏者のことを憂う必要がないのなら不安もない。指輪は一時「心臓」に預けよう。これからは世界の為、協力しようではないか!」
──セイバーは左の掌に載せた指輪を「心臓」に差し出した。
マスターは私に向き直り、力強く頷く。
彼女は私の側からセイバーに向かって歩いていき、服の裾をつまんで恭しく頭を下げた。
「信じてくれてありがとう、セイバー。それと
「4人目」が指輪を受け取り、左手の薬指に収めるのが見えた。
拒絶反応は確認できない。
こんなにもあっさりと指輪は譲渡された。「精神」はそれを受け入れるように「心臓」と固く握手をし、ネロ・クラウディウスはその様子をまるで自分の功績であるかのように得意気な顔で見ている。
私だけがこの浮かれた空間から切り離されていた。
無言のままでいるのはおかしいかもしれない。何かここに乗じるべきではないだろうか。
マスターはまるで何も考えていないような脳天気な笑顔でこちらに振り返った。赤い印の刻まれた指輪がその手に輝いている。忌々しくも決して届かなかった光だ。
「頑張ろうね、アルキメデス!」
新王は声高に宣言した。
一体彼女が何を頑張るというのだろうか。
──────
小規模な戴冠を終えた後、セイバーは私たちを領域の一角にある住居に招き入れた。本当はいつも
これまでの周回でも都度招かれてきたSE.RA.PHのデフォルト様式の個室だ。無防備にも室内を監視するようなシステムや術式は仕掛けられてはいないらしく、セイバーたちはこちらに対して警戒はしていないようだ。
岸波白野はベッドの上に上半身を預けてシーツの皺を伸ばしたり、壁に掛かった棚の中をのぞき込んだりと忙しなかったが、やがて思い出したようにこちらに向き直った。
「それにしても、うまくいって良かったね!」
そう言う彼女の指には、やはり疑いようもなく指輪が存在する。
想定の通りに上手く行っても、それはそれで納得できない自分を自分で嫌になった。
「ええ、そうですね。セイバー殿の協力もありますが……やはりあなたが正当な勝者である故にございます」
「勝者……勝者か。そういえばそうだったね」
岸波白野は自分のアイデンティティをさも他人事のように言った。
セイバー/キャスターが居ない岸波白野の勝利が(少なくともこの周回の前提では)確実にあり得ない事態である故に、曖昧な彼女の境遇は矛盾に晒されて一際に曖昧だ。
「セイバー殿ないしキャスター殿のどちらがやがて支配を成すかは分かりませんが、ひとまず現状ではあなたがSE.RA.PHの新王です。それについてご理解いただければ今は構いません」
頼りがいだけはある顔で新王はうんと返事をする。
マスターであったことだけが理由で生き残ってきた彼女は、私の言葉をまるで疑いもしない。岸波白野を王にしたかったであろう、そう少なくもない人間のことも当然知らないままだ。
「王とは言っても実際に領域を治めるのはセイバー殿とそのマスターですから、そこは心配いりませんが──」
「え、何もしなくていいの?」
「為政者としての仕事という意味でしたら、セイバー殿の領地までも引き継いだ訳ではないですから……そういう意味では我々の仕事は無いですね」
民草の支配者であることが望みの皇帝と違い、こちらにとって民は価値にならない。システム的には「4人目」が王だが、
しかし新王は何が不満なのか、自分の立ち位置について考え込み始めた。せっかくレガリアを受け継げたのにとか、こうしてお世話になっているのに何も手伝えないのかだとか。
熱心なのはいいことだが、そこにアクティブになられても困る。
「セイバー殿と敵対しているキャスタ──―玉藻の前はまだレガリアを所有しています。
やれる事と言えばその程度だろう。もしくはセイバーは既にそのつもりかもしれない。対B陣営の戦法はそれこそ慣れたものだ。支援くらいなら目を瞑っていてもできる。
「アルキメデスって戦えるの? えっと……わたしの記憶が確かなら
どうにも不思議な反応だ。私かそれ以下の性能のサーヴァントなんて珍しくもないだろうに。
ムーンセルは彼女をよほどの無学ものと想像しているのか、或いは彼女がサーヴァントだろうと文化人では頼りないという認識なのか。
「無論ですとも。戦闘は確かに得意ではないですが、
「ほんと? 持ち掛けたわたしが言うのもなんだけど、無理は駄目だよ」
「はは……そうですね」
ああ、本当にその通りだ。私だって疲れるようなことはしたくないとも。
戦わずに済むかと期待したが、そうもいかない。
「本当に大丈夫なの?」
これまでの██回の私もそう思っていることだろう。