「願い?」
岸波白野は反復した。
サーヴァントとの契約を望むマスターにとっては、これ以上なく真っ当な提案だ。この世で最もありふれた理由であり、同時に最も禍根を残す取引。
「それは前に言ってた、技師の仕事の話とは違う事?」
さしもの新王もぼやっとした表情を潜めてサーヴァントに視線を集中させる。
SE.RA.PHの聖杯戦争はムーンセルが見繕ったサーヴァントがマスターに適宜あてがわれるシステムだった。なにか運命的な(実に難儀だがこう言う他にない)要素を除けば、ある程度の相性を考慮した者が選ばれる。
そういう意味では、無限の可能性を演算し得るムーンセルですらこの私の判断を予測することはできなかっただろう。
「それとは別件です……しかし、我が願いはSE.RA.PH平定のその先にあります。当然、事態の解決は急務であり何よりも優先されますが、個人的な事情がそこに一切無かった訳ではありません」
「えっと……要するに、レガリアとかの話が解決しないと「願い」は叶わないってこと?」
「そう思っていただければ概ね間違いありません」
何か言いたげに彼女は口を開いたが、そこからの二の句がうまく喉から出ないらしく、余った呼気は霧散した。
「具体的な「願い」の内容については今はお話できません。その上であなたが私を信用できるのならば、こちらも契約を飲みましょう」
これで怪しまれて彼女がマスターとなることを否定するのならばそれでも構わない。仮に信用を欠いたとしても、岸波白野も自らが
尤も、そんな事は端から心配していない。彼女の答えなど解りきっている。
「大丈夫。わたしはアルキメデスを信じているし、アルキメデスもきっとわたしを信じてくれると思ってる」
岸波白野は期待通りにこちらに左手を差し伸べた。
その身に余る
この永く無価値な人類史において、私が許す最初で最後のマスターだ。この戦いは私たちにとって、とても喜ばしいものになるだろう。
「岸波白野。あなたは確かに信頼に値する人間です──業務外の活動とは言っても、こうも真摯に応じて下さった方を裏切るなど、
先程は反射で避けようとしてしまった手を今度はこちらから取った。なんてことはない、ただの子供の手だ。力を込めれば容易く壊せてしまう。
刷り込みを受けた小鳥のように愚直な意思ひとつで立つそれは、哀れな程に正義に忠実だ。
私の前には敵が多すぎる。言うことを聞かないサーヴァントも、手綱が千切れっぱなしの駄竜も、人間ごっこに夢中の巨人も。無名の弓兵、愚かな少女騎士、死んでいった人間たち。
その全てが、どうだ。皆一様に岸波白野の為に破滅に抗っている──岸波白野を知らない者はことごとく死んだのだから、それは当然だが。
皆、岸波白野の手が透明な血で塗れていることを忘れたまま。
「これは特例です。円滑な業務遂行……そして「願い」の為、一時この身をあなたに預けましょう、マスター」
彼女は頷いた。
そのやり方を知ってか知らずか、こちらには特に確認などを取るでもなくマスターはパスを繋いでくる。身体に染み付いた情報なのか、仮にも聖杯戦争をする為に発生したデータである故の本能なのか。
間もなく身体の芯に自分のものでない魔力が混ざり始めた。
マスターを持ったことか、ただ無意識に動揺しているだけなのか、形容し難い微妙な
──マスターの意識の表層が見える。
少女はただ「生きたい」という原始的な理由の為に生きている。
それはまるで、あの懐かしい屈辱のようで──
「……これで、いいのかな? 契約できてる? そもそも契約ってそういうモノなのかな」
ふいに左手から温度がするりと抜け落ちた。
「でも何となく繋がり? みたいなのが分かるような……そうでもないような……」
「あ、ああ……まあ、そういうものですよ。ええ、きちんと魔力パスの接続が出来ているようですね」
「そう? まあ当のサーヴァントがそう言うなら間違いないか」
彼女はいかにも嬉しそうににやにや笑いながら左手を天井にかざしている。
あまりに幼稚なリアクションに、本当に岸波白野を信じるべきかと不安になったほどだ。今更引き下がりはしないが。
「とにかく、ありがとう! マスターとしてアルキメデスの
「まあ特にやって欲しいことは無いのですが……その心意気はありがたく頂戴します」
長らく色んな人間の上機嫌な様子を見せつけられて段々何を見ても苛々してきた頃合いだが、彼女は存在といい状況といい前提が夢か幻かのような
岸波白野は交渉の対象ではあったが、実際に行動するのは彼女のサーヴァントたちだった為、いい顔こそしてきたが深い(ように見える)関係を築いたことはなかった。3人に分かれたことで個性──彼女らしさ──が薄まっていることも相まって、彼女のパーソナリティにはそこまで理解が及んでいないことにふと気付いた。
聖杯戦争の俯瞰と記録されたデータを見るに、一貫性
役割を求めたり、特別な何かを欲しがるのは子供にはよくあることだ。当人の語った不安の裏にあるヒトの本能的な欲求が表れているのではないか──とひとまずは思っておく。
私も随分苦労してきたのだ。たまには遊びに付き合ってゆっくりしてもいいだろう……元々、かなり駆け足で計画は進んでいるのだ。
周回の顛末まではうんざりするくらいに時間がある。
これから起こるであろう山積みの困難の対処を考えながら、今は皇帝の凱旋パレードでも待っていよう。
「ところでなんだけど」
再びベッドに陣取っていたマスターが相変わらずの間抜け面でこちらを指した。
「アルキメデスって……」
「何ですか? 業務に差し支えのないことであればお答えしますが」
「いや、なんか変わった腕だなと思って」
思えばどうしてここをつつく人物があまりいなかったのか、甚だ疑問だ。
そんな些細な設定まで考えてやってはいないのだ。
「あー……これは何と言いますか。私もサーヴァントとしての歴はあまり長くないので把握していないのですが、初めからこうでして」
「そうなの?格好いい模様だけど何でかなぁ」
「……幾何学は私の本分にも関わってきますし、そのあたりがサーヴァントとしてのデザインに関わっているのではないでしょうかね」
聞いておいて興味なさげに「ふうん」と生返事しつつ、新王は私の手だの首だのをまじまじと観察している。まさかこれがそのまま裏切りの証拠だとは思いもしないだろう……それと、単純に視線が不愉快だ。
「そもそも手が綺麗だよね、学者さんなのに……って言うと失礼なのかな」
「い、いや。それはまあ、ありがとうございます」
「絶対綺麗だよ、指輪とか付けたら似合うんじゃない?レガリアつけてみる?」
「新王」
「す……すみませんでした」
新王が指輪をつまみ上げたりなどしようとしたので危うく驚愕のあまりひっくり返る所だったが、行動に移されなかったので気にしないことにする。
考え過ぎではあるのだが、どうにもこの指輪がよく壊れたり無くしたり食べられたりするものだから過保護にもなる。うっかり準備無く私の手に収まったりなどしたら、私か指輪かどちらかは無事では済まない。
こんな馬鹿らしいやり取りでもし死んだりしたのなら、人類史を何度滅ぼしたって足りないじゃないか!