お久しぶりです。
第一章完結まで毎日更新します。
目立たない場所で停車した救急車の中で、白衣を着た男は顔を顰めた。
尋常ではない傷跡。腰あたりから横一線に斬られた赤黒い傷の奥には、ピンク色の筋肉や黄色い脂肪、果てには白い背骨のようなものすら見える有様だった。
「私は医者でも何でもないんですよ……?」
「それでも、君は応急処置くらいは学んでいるのだろう?」
「……このレベルの重傷だと気休めにしかなりませんよ」
その男の名は山川(仮)。
民間救急車サービス『即応救急』に紛れ込んだ『暗部』の人間で、今は僕に洗脳された(と思い込んでいる)哀れな下僕である。
山川(仮)はインデックスの怪我の状態を一通り見るとただ一言、
「……お手上げです」
そう目を伏せた。
「表の病院に行くのが無理ならば、『暗部』で闇医者でも探した方が早い。病院どころか民間の救急車にしか紛れ込めない程度の私には何もできません」
「いいや、安心してくれ。主な処置は僕が行う。君は傷が塞がった後の処置をしてくれるだけでも十分さ」
「は⁉︎ おまえは医者じゃないだろ⁉︎ そんなのどうやって──」
「────出血に伴い、血液中にある
ギクン、と反射的に目を向ける。
血に濡れた純白の修道服。一秒を争う重傷。
確かにそう診断されたはずの少女は、倒れたまま、壊れた人形のように顔を横倒しにしたまま冷静に呟いていた。
「警告、第二章第六節。出血による生命力の流出が一定量を超えたため、強制的に『
一瞬、山川(仮)は目の前の少女が救急医療訓練用の機械か何かかと思った。
その言葉も、その瞳も、人間にはあり得ないほど完璧な『冷静』が保たれていたからだ。
「現状を維持すれば、ロンドン時計塔が示す国際標準時間に換算して、およそ一五分後に私の身体は必要最低限の
僕は肩で切り揃えられた蜂蜜色の髪を適当に縛り、山川(仮)へ告げる。
「彼女の知識を使って僕が治療する」
まるで世界が作り変えられるような。
そんな悪寒に山川(仮)は震えた。
「な、にを……する気ですか……?」
「この街の『科学』には頼れない。なら、人命のために邪道に手を染める事さえ僕は厭わない」
即ち。
世界に存在する、もう一つの法則。
「『
「………………」
「………………」
そんな救急車の外で、少年少女は壁にもたれかかっていた。
本来ならばそれは悪手だろう。魔術師に狙われている二人の少女を置いて、戦闘力のある護衛も無しに外に出るなど。
それでも、二人は救急車の中に残る事はできなかった。
少年はその右手が救急車内で行われる儀式を台無しにしないため。
少女は無意識のうちに垂れ流しているエネルギーが邪魔しないため。
無力感に唇を噛み締めながら、無言で項垂れる。
「……アンタら一体何者なんだ?」
少年──
彼女達からは『裏』の人間の匂いがした。それも世界の裏側にいる魔術師などではなく、上条の慣れ親しんだ学園都市の『暗部』の匂いが。
「オレは脱獄犯であいつはクローン。簡単に言えばそんな所だ」
「脱獄っ⁉︎」
「つっても、ゴタゴタした事情からは抜け出して平穏を得たはずだった。魔術師とかいう意味分かんねー連中に絡まれるまでは」
「そいつ、黒い修道服を着た赤い髪の男か?」
「ちげえな。白いスーツを着た緑色の髪の男だった。多分、オマエらを追ってるヤツとは別口だ」
「…………最悪だ」
最低でも二つの魔術組織が学園都市に入り込んでいる事が判明した。
「けど、解決の目処はある。
「……あの子もあの子で何で魔術サイド側の事情に詳しいんだ?」
「あいつもオカルト側の存在っつーか……まぁ、色々特殊な体質なんだよ。それこそ、魔術師から身柄を狙われるくらいには。ただ、戦力には数えるな。精神系能力者だから能力が当たれば一撃だが、戦闘自体に慣れているわけではねぇ」
「へぇ、精神系能力者。…………?」
ふと、上条当麻は首を傾げた。
精神系能力者。常盤台中学の服。蜂蜜色の髪。上条当麻はそんな少女に心当たりはない。
上条当麻は一年前のとある事件をきっかけとして脳に障害を負っている。彼は
記憶の破損ではなく、呼び出し経路の破損と表現すべきか。記憶がない訳じゃない。忘れている訳じゃない。記憶があるのに、思い出せない。
壊れたポストを思い浮かべたら分かりやすい。中の手紙はちゃんと残っている。しかし、そのポストに新たな手紙を投函する事はできないし、そのポストから手紙を取り出す事もできない。
では、ここで一つの疑問が浮かぶ。
いいや、もっと端的に言おう。
「あ、れ……あの子、って──」
「────ふぅ、これで一安心……」
「
瞳に柔らかい光を取り戻した少女は、本来の口調でそう告げた。
少女が歌う旋律をなぞるように声を震わせると、異様な空気に包まれていた救急車の内側も元へと戻る。
山川(仮)はその一部始終を見ていた。
『科学』とは異なる法則、『魔術』。
そのオカルトによって、少女の傷が癒える瞬間を。
「いま、のは」
今までの
吐き気を催すような理解不能の技術。
しかし、山川(仮)の瞳に宿ったのは恐怖でも嫌悪でもなく、
(ま、じゅつ。もしも、そんなものがあるのなら、もしかしたら、こんな俺だって──)
夢だった医者にはなれず。
『表』の世界からもドロップアウトして。
どん詰まりだった人生の先で見つけた抜け道。
世界の裏側にある神秘、魔術の世界。
この裏技があれば、自分も別の人生を歩めるのかもしれない。そんな希望が脳裏をよぎる。
分かっている、この考えは間違っていると。
莫大な借金を抱えた者が、更に借金をして博打で一発逆転を狙うようなものだ。どう考えてもマトモな結果になるはずがない。
学園都市の『暗部』で苦しんでいる人間が、更に深い世界の闇に耐えられる訳がない。分かっている。分かっているとも。
それでも。
手を伸ばす事を諦められない。
グロテスクな光景に宿った神秘から目を離せない。
「っ、ぁ────」
横たわった少女に手が伸びる。
他人に
彼女さえいれば、山川(仮)だってその力を手に入れられるかもしれない。
具体的にどうするかなんて頭になかった。
相手が従うかどうかなんてどうでもよかった。
まるで夢遊病の患者のように、無意識のうちに両手を伸ばし────
「──よかった」
少女の声が。
その手を止めた。
「背負わせる事がなくて、良かった」
「…………っ」
山川(仮)は、手を下ろす。
唇を噛み締め、爪の跡が食い込むほど手を強く握りしめた。
やはり自分に医者になる資格なんてない。
死に瀕している患者を前にして自分の事ばかり考えていた山川(仮)と、死に瀕しているのに他人の事だけを思いやっていた
たとえ魔術を手に入れたって意味はない。精神が医者じゃない。カエル顔の医者の行動を思い返して、山川(仮)は暗くうつむいた。
そんな男の顔を横目に見つつ、僕は息を吐いた。
「何となく、感覚は掴めてきたかな」
これで魔術を使うのは二度目。アウレオルス=イザードに無理やり使わされた時、インデックスの
血液の流れや内臓のリズムから共通項を取り出し、魔術を制御する体内制御法を確立する。本来ならば特殊な呼吸法や瞑想、食事制限が必要になるのだろうが、そこは問題ない。
「あなたは……この街の人、なんだよね。どうやって、魔術を……」
「その話は後で。今は体を休める事に集中しなさい」
「…………、でも」
「いいからいいから。
「むぅ……」
インデックスは頬を膨らませる。
それは図星を突かれたからか、それとも自分よりも少年を理解している蜂蜜色の少女に対する嫉妬か。
しかし、体力の限界はすぐそこだった。
目を瞑って黙らせれば、インデックスは即座に寝息を立て始めた。楽しい夢でも見ているのか、頬を緩ませて眠りにつく。
「……で?」
「はい?」
「暗い顔をしてどうしたんだい?」
「……いえ、何も」
「だったら、明るい顔でいなさい」
山川(仮)の頭を軽く撫でた。
多分、彼の気持ちは僕には分からない。
それでも、分からないなりに彼の心の重荷を和らげてあげたい。
「インデックスの怪我は治った。彼女の命は助かった。そんな顔で上条くんに会ったら、何か悪い事でもあったんじゃないかって心配させてしまうからね」
「そう、ですね」
「僕は本当に君に感謝してるんだよ? 君がいてくれて良かった。ありがとう、山川くんは僕の恩人だ」
「それは……はい」
納得できていなさそうな顔で彼は頷く。
今はそれでいい。たった一言で心を変えられるなんて事はそうそうない。必要なのは、継続して関わり続ける事だ。
「さぁ、凱旋だ。二人を明るく出迎えようじゃないか」
民間救急車のドアがスライドして開く。
近くの塀に背中を預けていた二人に向かって、大きく手を振る。
どうやら、それで伝わったようだ。上条当麻は安堵するように手を振り返した。
「? どうし、た────」
そこで、ようやく気づく。
上条当麻は
故に、食蜂操祈のクローンたる継雲雷糸すらも記憶できないという可能性を。
そして。
スンスン、と上条当麻は僕の頭を嗅いで首を傾げる。
「あれ?
スパーン‼︎‼︎‼︎ と。