戦いは終わった。
スキルアウトから戦意はなくなった。
春暖嬉美は真っ先に継雲雷糸のもとへ駆け寄る。
少女の意識は戻らない。それだけならば、ただの気絶と済ませる事もできる。しかし、少女の首にかかった十字架──アウレオルス=ダミーさえも動かないのはどういう理由なのか。
(充電切れ……魔力切れか?)
ひとまず、『無限動力』にて精製した生命力をアウレオルス=ダミーに突っ込む。
その瞬間、アウレオルス=ダミーは息(?)を吹き返した。
『ごぼっ、がは⁉︎』
「生きてるか?」
『と、当然! しかし、君の生命力で溺れかけた。愕然とするほどの能力だな……』
「それよりも、雷糸が目を覚さない。状況を訊いてもいいか?」
ことん、と。
首を傾げるみたいに、十字架は器用に傾いた。
『判然、気絶してもおかしくない程の衝撃を受けたが……頭だけは守った。すぐに目覚めても不思議ではないはずだが。君の生命力を突っ込んでも反応はないのか?』
「ピクリともしねーな。オマエが動かなくなってたのと関係してる可能性は?」
『私の不具合は莫大な天使の力に影響されてのものだ。当然、肉を持った彼女には影響がないはずだが』
「莫大な……何だって?」
『そちらは無視しても構わない。自然、禁書目録が連絡して、「監査機関」が対処しているはずだからな』
アウレオルス=ダミーは目覚めてすぐ、霊装を使って必要最低限の通報は行った。
そこから先の問題は科学サイドに属する者が関わるべきではない事柄である。
『救急車は?』
「呼ぼうとした。……だが、繋がらねー。山川にもな」
『唖然、電波妨害だと? スキルアウトの少年達は倒したというのにか』
「ああ。多分、この事件はまだ終わってねーぞ」
そして、意識のない少女を抱えて戦闘するというのは現実的ではない。
この事件がまだ終息していないのならば、今の間に少女を安全な場所に預けるか一人で動けるまで回復させるかしなければならない。
『……私の鍼で目を覚させるか?』
「はり?」
『東洋医学。アウレオルス=イザードの知識はその分野にまで及んでいる。加えて、私は継雲雷糸の能力から脳と精神の関係性を学んだ。当然、脳の僅かな塩分濃度の配分を変える事で簡単な精神干渉ならば行えるとも』
『偽・聖歌隊』。
かつてアウレオルス=イザードが他者を支配するために使った魔術。
あの魔術は専用の霊装──つまりは『三沢塾』がなければ発動しないが、アウレオルス=ダミーは『瞬間錬金』を応用する事で限定的だが再現を可能にした。
意のままに他者を操る……とはいかない。
一種の催眠のようなもので、自発的な思考を抑えるなどの簡単な精神干渉はできても、複雑な行動を任せるのには向いていない。
しかし、それでも、眠った少女の意識を呼び起こすには十分な力だった。
「身体に害はねーのか?」
『当然』
「……やってみるしかねーか」
『私が言うのも何だが、本当に良いのか?』
「病院に連れて行って何とかなるならそれでもいいが、もしもそこに敵が潜んでいたらお終いだ。まずは最低限の自衛ができるまで回復させておきたい」
『ならば、私は君の信頼に応えよう』
ぞぐん、と継雲雷糸の細い首筋に黄金の鍼が打ち込まれる。
背筋が凍るような光景。見ているだけで痛くなるような思いだった。
施術は一瞬だった。
黄金の鍼は数秒で引き抜かれる。
そして、十秒ほどの沈黙を挟んで、継雲雷糸の瞼がゆっくりと上がった。
「雷糸! 気分はどーだ?」
「………………」
寝起きだからか、少女はぼんやりとしていた。
焦点の合わない瞳で辺りを見まわし、何度も瞬きを繰り返すと、首を傾げて唇を開く。
「 」
しかし、何も聞こえない。
はくはくと唇を動かすだけで、少女は何も言わなかった。
いいや、何も言わないというよりも、それはまるで発声の仕方が分からないような──
「────らい、と?」
思わず、春暖嬉美の声は疑問形になった。
何か違和感があった。継雲雷糸の顔立ちは変わらないのに、その表情に違和感があった。
彼女はこんなにあどけない顔をしていただろうか。彼女の姿はこんなにも無防備だっただろうか。
そして。
そして。
そして。
「そっか。ぼくが表に出てきたってことは、彼は消えてしまったんだね」
少女はそう言った。
継雲雷糸よりもどこか舌足らずな口調で。
少女は笑みを浮かべた。
継雲雷糸よりもどこか幼ない表情で。
「……誰だ、オマエ」
「きみとは初めまして、なのかな。ある意味では、ずっと顔を合わしていたわけだけど」
「…………………………は?」
「知らなかったかい? 彼の魂はこの肉体に生まれ変わったわけじゃない。彼はすでにあった肉体に憑依したんだ」
つまり、その少女の正体とは。
「ぼくは食蜂操祈の偽物。この肉体にもとから存在した魂だよ」
「御使堕し────天使の墜落によって魂を弾き飛ばされたか」
アレイスター=クロウリーはそう呟いた。
科学の頂きにして魔術の極み、現状を最も理解しているのはその『人間』だった。
『御使堕し』。
それが世界に起こった異変の正体。
術者こそ判明していないが、何処かで『天使の魂を天界から人間界へ引きずり降ろす儀式』を行った者がいた。
継雲雷糸はその引きずり降ろされた魂と衝突し、二重に存在した魂のうち継雲雷糸のものだけが弾き飛ばされた。
(継雲雷糸の魂が二重に存在したのは始めから気付いていた。例えば、彼女が少年院のAIMジャマー影響下で能力を発動した事。あの時点で、能力の源である魂と継雲雷糸の魂は別である事が明白だった。事実、クローンの方の肉体もAIMジャマー影響下に入った時、能力は使えなくなっていた)
魔術と超能力を同時に扱う『異能交差』だって原理は同じ。
ただ魔力を精製している魂と能力の源である魂が別であるというだけ。
(一種のチャネリングのようなものだろう。空間を超えて別の魂と繋がり、その魂が持つ力を遠隔転送する中継スポット。ある意味、私が作ったA.A.A.にも似ているな。転生という特殊な経歴故に獲得した異能か、あるいはそんな異能を有していたがために転生という現象が起こったのか)
理由は何でも構わない。
『人間』にとって、魂が二重に存在する事など大したものではない。
たかが二つの魂。アレイスターという存在には一〇億八三〇九万二八六七の魂が重なっているのだから。
故に、アレイスターが着目したのは別の点。
発動した魔術について完全に理解した上で、本来引き起こされたはずの現象と現状を比較して、不自然な点を導き出した。
(──なぜ世界規模の魂の入れ替わりが起こっていない? なぜ継雲雷糸が選ばれた?)
本来ならば、天使の魂に弾き飛ばされた魂は別の魂を弾き飛ばして肉体に宿り、弾き飛ばされた魂も玉突き事故のようにまた別の魂を弾き飛ばす。椅子取りゲームのように、次々の魂が広がっていく現象が世界規模で引き起こされるはずだった。
だが、そうはならなかった。天使の魂に弾き飛ばされた継雲雷糸の魂が初手で天界に昇ったためだ。
(『御使堕し』の余波は地球全土に及んだ。つまり、天使の魂と衝突する候補は世界人口七〇億人存在したはずだ。だが、実際に魂が衝突したのは継雲雷糸。それも、ただ魂が弾き飛ばされるだけでなく、一対一で魂が入れ替わった。継雲雷糸が七〇億分の一を引き当てたのは本当に偶然か?)
否、偶然のはずがない。
継雲雷糸の魂には天使を引き寄せるだけの何かがあった。
何の抵抗もなく天界に昇れる──『神上』に至るための素質があった。
(そして、疑問点はもう一つ。そもそもの話、継雲雷糸の魂は何処に宿っていた?)
継雲雷糸の魂と天使の魂は入れ替わった。
ならば、あのクローンの肉体に天使の魂が宿っていると考えるのが普通だろう。
しかし、そうはならなかった。
表出したのは天使の魂ではなく、クローンの肉体に元から宿っていた魂だった。
(──憑依、か。騙されたな。彼女が転生したのはあのクローンではなかった。この世界にいる誰かに彼女の魂は転生し、しかし幽体離脱して彼女はあのクローンに憑依していたという訳か)
継雲雷糸は食蜂操祈のクローンに転生し、その後に幽体離脱して春暖嬉美と出会ったと思っていた。
だが、現実はもっと複雑だった。
彼女は初めにこの世界に存在する誰かに転生し、しかし一度たりとも目覚める事なく幽体離脱する。その後、魂だけの姿で目が覚めた時にたまたま目の前にいた食蜂操祈のクローンを転生後の姿だと勘違いし、彼女を救おうと彷徨いている間に春暖嬉美と出会った。
では、彼女が転生したのは一体誰なのか。
それはアレイスターすら分からない。
アレイスターは天使の魂が人間界に引きずり降ろされた事や継雲雷糸の魂が天界に昇った事は知覚できても、具体的にその魂が三次元上においてどう移動したのかは認識できない。
そして、墜落した天使から彼女が宿っていた肉体を予想しようとしても無駄だった。
学園都市に墜落した天使は空気中の水分を集め、それを基として『天使の力』によって肉体を形成した。
継雲雷糸の魂と入れ替わったはずなのに、まるで天使が単独で召喚されたかのような振る舞いを見せているのだ。
分からない、何一つして。
その上で、『人間』アレイスターは笑った。
(ただ一つ分かっている事がある。──今の継雲雷糸は脅威ではない)
そう、この男は理解不能の要因さえも計画の中に取り入れる。
かつて、アレイスターは継雲雷糸に対して言った。『君が私にとっての脅威である限り、君の要求を満たすと誓おう』、と。
つまり、この世界から彼女が消えた今、アレイスターには彼女との約束を守る必要などありはしない。
「さあ、継雲雷糸。お前という脅威がなくなった今、彼女達はどこまで耐えられるだろうな」