終わった。
「……まだ。まだよ! こんな時のためにあなたを捕まえていたのよ! 恋査ちゃんが負けようが何の痛手でもない! 春暖嬉美の心に私という恐怖が刻まれさえすれば後はどうだっていい‼︎」
しかし、それでもなお彼女は足掻く。
過去の失敗も未来の絶望も関係がない。
今、一瞬でも
「命をかけても守ろうとした人が虫に食い尽くされたと知れば彼女だって恐れ慄くでしょう? ふふふふふ! 顔は残してあげる! 苦痛に塗れた
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞそっ‼︎ と。
黒い波のように食人ゴキブリが群がる。
虫に『
誰も憑依していない少女に魔術は扱えない。
ちっぽけな少女には、黒い絶望を覆す力がない。
なのに。
「何度だって言うよ。きみの理論には穴がある。きみの思い通りに世界は動かない」
少女は一歩も動かない。
逃げる素振りも、迎え撃つ様子もなく、迫る脅威を完全に無視した。
「ぼく達はひとりぼっちじゃない」
瞬間。
一瞬だった。
薬味久子が使役する無数の虫は、瞬きの間に莫大な電力によって焼き殺された。
(────いえ、違う。
薬味久子は医療に携わる統括理事。
その仕事上、高圧電流というモノを何度か見てきたし、身をもって体験した事もある。
故に、違和感があった。拭いきれない疑いがあった。雷光のような何かは、本物の雷ではない。
土煙が晴れる。
薬味久子は上空を見上げる。
そこに、答えがあった。
「………………は?」
蜂蜜色の髪。
人形のように整った顔立ち。
青く輝く、透き通った瞳。
継雲雷糸とは瓜二つで、決定的に何かが違う。
即ち────
「
(どうして⁉︎ 原因は不明だけれど、『ゴースト』は今の今まで静観していた! いえ、静観せざるを得ない状況にあった! 今更復活するだなんて都合の良い話が──ッ⁉︎)
『
声が脳に響く。
全く理屈が分からない、超常的な方法で。
『
視点は変わる。
それは魔術サイドの物語。
科学サイドにおいて、『
魔術サイドでは、無計画に召喚された『大天使』が騒動を巻き起こしていた。
大天使『
そして、惑星全土を氷河期に変える
「破壊ッ、できない……‼︎ 『
魔術師リチャード=ブレイヴは叫ぶ。
『
儀式場を破壊するための火力が、極寒の冷気に押し負ける。
『
対象に燃えやすくなるルーンを刻みつけ、本来は燃えない金属や炎そのものだって焼き尽くせる脅威の術式。
そして、肝心のルーンは袖の中に仕込んだビタミンB2をインクとして、霧吹きで標的に刻みつけていた。
だが、惑星全土を氷河期に変える冷気が噴き出した今、袖の中のビタミンB2は凍りついて機能しない。
『
「『
「貴様は馬鹿か⁉︎ 『
「そうだ。かの大天使にはもう一つ目の側面がある。即ち、堕落都市ゴモラを滅ぼした火の矢の雨。そちらを引用すれば、君の火力の足しになるだろう?」
「……いや、それでも不可能だ。貴様の助けを──『
彼らの目前にある民家は『失敗が存在しない魔法陣』。中途半端な破壊では、『
絶体絶命の窮地。
その時、とある
『氷の表面を溶かす事はできるのでございますか?』
オルソラ=アクィナス。
パルツィバルの鎧を通し、少女の声が届く。
「できる。だが、それに何の意味がある?」
『意味ならございます。氷の表面を溶かせば、儀式場を破壊する事はできずとも魔法陣の形を変える事はできます』
「だから! それに何の意味がある⁉︎ この魔法陣はどう動かしても何らかの
『
「─────なん、だと?」
魔術師の背筋に閃きが走る。
雷のような衝撃を伴い、何かに導かれるようにして口が動く。
『「
『
それは単なる天使の召喚ではなく、魂の入れ替わりだ。
つまり、二度発動すれば、二度入れ替わって天使は元の位置へ戻る。
無論、これは世界規模のシャッフルが起こった『原作』では起こり得ない。
天使と一対一で入れ替わる事ができた
「……元の配置は覚えているのかな?」
『星座から逆算する形で、儀式場は再現いたしました。「現象管理縮小再現施設」のミニチュアのようなものでございます。……あら、これは私ではなくサローニャ様のお言葉でございましたね』
「分かった。君に賭けよう、シスター・オルソラ」
『
それが、一つの戦いの決着だった。
──その戦いは本筋ではない。
彼らと薬味久子の間には何の関係もない。
ただし、蝶の羽ばたきが嵐を引き起こすように、全く関係のない誰かの奮闘が巨大な野望を突き崩す事もある。
『終わりだ、薬味久子くん』
「……そう、みたいね」
もはや薬味久子に打つ手はない。
ヒーローの誘導は失敗した。
『恋査』だって敗北した。
薬味久子の有する
そして、何よりも。
眼前の存在が、薬味久子の『計画』が初めから間違っていた事を伝える。
「誤算だったわ。私の目的はAIM拡散力場の制御人格──
眼前の存在から目を逸せない。
天使のような風貌。
青白い特徴的な光。
雷のようで雷ではない何か。
全ての特徴が、目の前の存在をこう言っている。
つまり。
つまり。
つまり。
「
風斬氷華。ヒューズ=カザキリ。
「思えば、私の誘導を超える不自然な精神の揺らぎが度々見られた。少女の方の継雲ちゃんが私を黒幕だと理解したのってその最たるモノでしょう? それってつまり、AIM拡散力場全体の流れが変わった事で、逆流によって
『…………、』
「私は一歩目を盛大に間違えたみたいね。風斬氷華なんて生まれない。この学園都市には、既に全く別の『天使』が生まれていたのだから。そうでしょう、継雲雷糸。AIM拡散力場に憑依した天使」
それこそが継雲雷糸の正体。
『
────
「………………は?」
『惜しい、と評価しようかな。僕とAIM拡散力場は非常に近似した存在ではある。完全な間違いとまでは言わない。けれど、採点は三角だ。君はまだ固定観念に縛られている』
「なん、ですって……?」
『安心して良い。僕と風斬氷華は別人だよ。彼女はまだ生まれていないけど、きっとすぐに生まれてくる。──僕が憑依したのはAIM拡散力場ではない』
仕方がない事なのだ。
それは常人には理解ができない。
だって、
しかし、継雲雷糸はそれ以降の言葉を口にしなかった。
目と目が合う。
青く輝く瞳に、吸い込まれそうな錯覚を得る。
継雲雷糸の瞳の奥に、薬味久子は何か知ってはならないモノを幻視する。
『先生……』
瞬間、脳髄の奥に幻聴が響く。
それは継雲雷糸の声ではなかった。
知らないはずの声なのに、どうしてか懐かしさを覚えてしまう。
『先生……』
ざざ、ザザガギギ‼︎ と。
薬味久子の意識に
痛みに頭を抑える彼女だが、その脳の中で、ぼんやりと知らない光景が浮かぶのを自覚した。
それは何処かの病室だった。
真っ白な部屋にはぽつんと小児用のベットが置かれており、その一点を守るように無数の機械が配置されていた。
否。それは機械によって守られているというよりも、むしろ機械の
そこに、いた。
それが誰か、思い出す事はできない。
異様な光景を生み出さなければ、生きる事さえできない誰か。
目も口も包帯や呼吸用のチューブで埋め尽くされた、顔も名前も思い出せない誰か。
記憶の中の薬味久子は、誰からも生存を諦められたその子に対して、優しく声を投げかける。
『大丈夫よ』
『人間の体っていうのは、時に現代医学でも不明の輝かしい自然治癒を発揮するものなんだから』
『あなただって、絶対に良くなる。先生が約束するわ。だから──』
「──違う! わたっ、私は、こんなお涙頂戴の分かりやすい悪党なんかじゃない!」
呑まれかけた。
一瞬、幻覚と現実の境が不明瞭になった。
違うのに。薬味久子は善人なんかではないのに!
「これはっ、AIM拡散力場を逆流させた天啓⁉︎ い、いえっ、それはあなたが否定した! となれば精神系の超能力……っ⁉︎」
『いいや、どちらも違う。これは君の知らない法則によるものだ』
「なッ、は……⁉︎」
『啓示。天啓。知恵を与える。僕はそういう力を持った存在に転生したんだ。ああ、そして君の間違いをもう一つ指摘しよう。
揺らぐ。
今立っているのが、幻覚の中か現実の世界からも分からなくなる。
『思い出せ。他人に精神を刻み込む──そのインスピレーションは君自身が湧いてきたモノではない。
「わ、わた、し……は、」
『君は罪を犯した。でも、それは君自身の意思ではなかった。
「……ある、ワケがない。そんな、都合の良い……ユメみたいな、話が──」
「──ユメ、夢か。そうだね。散々暴虐の限りを尽くしたきみが今更善人ヅラをするなんて、ムシのいい夢みたいな話だ」
二人の会話に少女が口を挟む。
食蜂操祈のクローン。少女の方の継雲雷糸。
今まさに殺されかけた彼女には、薬味久子を糾弾する権利がある。
──しかし、その上で。
「でも、良いんじゃないのかな? きみがそれを夢だと思えるような善良な人間ならば、ぼくはきみを応援したい。そのユメを実現する手伝いをしたい」
少女は、薬味久子の手を握る。
二人の声は同時に重なって告げる。
それはまるで、残酷な世界のルールに宣戦布告するかのように。
「『
次回、第三章エピローグ。
▽
初出:新約とある魔術の禁書目録4巻
既成品丸出しのリクルートスーツの上からぶかぶかの白衣を着た若い女性。
学園都市の『暗部』に君臨する木原一族の一員で、