ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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運命の日(2010/1/31)

 神聖時間――

 

 それは神や精霊などの超常の存在が、現世に顕現することによって発生する時間のことであり、通俗時間の間に存在する。これを社会的に表現したものが『祝祭』である。それは世界の創造や終末などの神話的な出来事を、地上に再現する宗教的行事である。そして『再現』であるから、祝祭とは一種の儀式であり、また演劇であると言える。

 

 ただし祝祭そのものに何の価値があるのかと言えば、通俗的な意味においては無価値と言わざるを得ない。祝祭は何らの生産性を伴うものではなく、むしろ富をひたすら消費するだけか、或いは消費以前にただ破壊するだけであるから。しかし人間は富や生産だけでは生きていけない。人間は満たし尽くされると、虚無感に囚われた真っ平らな存在へと変貌してしまう。生命力は定期的に沸騰させなければ、閉塞感だけが残る結果になる。それは良い悪いの問題ではなく、生成消滅を繰り返す自然界のルールである。

 

 だから祝祭は古代から現代に至るまで連綿と続けられてきたし、人間がいる限り今後も続けられていくはずである。自他に関わらず生命を蕩尽することの必要性は、誰もが無意識では理解しているから。よって究極の祝祭と言うべき『世界の終わり』もまた、太古の昔から望まれてきたと言える。意識的にも、無意識的にも。

 

 

 大地を蹴って飛び立った彼を、私は黙って見送った。私の体はニュクスの波動で動けずにいたが、口は動かせる。それでも黙って見送った。しかし黙っているのは私だけだった。

 

 「待ってくれ! 君はまた一人で死ぬつもりなのか!?」

 

 「有里さん! 死なないって約束したじゃないですか! なのに……また僕を残して行っちゃうんですか!」

 

 「ワオーン!」

 

 「私、また……! どうしてもっと早く気付かなかったの……!」

 

 「馬鹿野郎が! 前は俺だっててめえと戦ったじゃねえか! 少しは仲間を頼りやがれ!」

 

 私の周りでは、遠ざかる彼に向けて皆さんが必死な声を送っている。行かないでと叫び、己の無力を嘆いている。『前回』の卒業式後に見続けた夢の中の、私のように。そのこと自体に、私は引っ掛かりを覚えていた。だから私は彼を止めようと叫ぶことがなかった。

 

 『今回』の大晦日の日、ニュクスに対抗するにはユニバースと呼ばれる力が必要なのだと綾時さんは言っていた。そしてそれは絆によって生まれるのだと。しかし彼が亡くなったことを思い出した皆さんは、ただ彼を止めようとしている。それはつまり、皆さんの絆は彼の力となってはいないということだ。皆さんの心の力を束ねることなく、彼は彼自身でニュクスの懐へと向かった。そう判断できた。ならば――

 

 「姉さん」

 

 判断したその時、よく知っている声をかけられた。『今回』の11月4日にもここからすぐ下の場所で聞いたが、今のこれは心の影から蘇った声ではない。現実に届けられている。

 

 声の側に目を向けると、一人の機械の乙女がそこにいた。私とは対照的な黒い装甲を身にまとい、手に武器は持っていなかった。頭には蝶のバイザーがかけられているが、下ろされてはいない。若い女性の顔が露わになっていて、人間ではあり得ない赤い瞳が私を見つめていた。

 

 「メティス……」

 

 ベルベットルームにいたはずの、私の妹だ。ニュクスから降り注ぐ力の波動を意に介さず、ごく自然体で地に足をつけて立っている。

 

 「い、妹ちゃんか!?」

 

 皆さんも妹の出現に気付いたようだが、妹はそれに構わない。時の狭間でずっとそうだったように、妹は私のことしか考えない。

 

 「覚えてる? 心の力が一つに集う時、どんな扉も開かれるのよ」

 

 これはイゴールさんの言葉だ。私は時の狭間で集めた心の力を使って、彼の部屋の扉を開いた。では今集めるべき心の力とは何か。そして何の扉を開くべきなのか。妹の言いたいことは、私には分かる。そして妹の言葉は全て真実だ。時間を戻してしまった責任を、今こそ取るべきだ。妹はそう言っている。

 

 「さあ、立って……」

 

 妹が右手を差し伸べてきた。人間と違って硬い、だが温かい手だ。私の体はニュクスの重力によって押さえつけられているが、手を伸ばすくらいなら何とかできる。そうして妹の手を取ると、その途端に重力が外れて容易く立ち上がれた。

 

 ニュクスの力には人間では対抗できない。しかし妹は人間ではない。機械の体であるという意味ではなく、『こちら側』の存在ではないという意味において。だから力の波動の中でも妹は立っていられるし、私を立たせることもできる。それを理解すると共に、私は左手を妹に預けて右手を伸ばした。遠ざかる彼にではなく、彼と絆で結ばれた同朋たちに向けて。

 

 「皆さん、鍵を!」

 

 「鍵……?」

 

 「時の狭間で争った、あの鍵です! あれと同じものを、今の皆さんは持っているはずです!」

 

 鍵はそれぞれの心の力。そして心とは絆によって満ちるもの。この二度目の日々にあって、皆さんは彼との絆を結び直した。全てを思い出した皆さんなら、鍵の存在を認識できるはずだ。そして私はそれを一つに集めることができる。なぜなら私は彼とペルソナを『共有』しており、そしてペルソナと絆は同じものなのだから。

 

 「お……おう! あ、あった! アイちゃん、頼む!」

 

 最初に順平さんの手の中に光を放つ鍵が現れた。膝をついたまま掌を私に向けて広げると、鍵は一筋の光と化して私の手の中に収まった。

 

 「もう反対はしない……。情けないが、お前が頼りだ!」

 

 次いで真田さんの手の中に光が現れた。時の狭間で私と戦った時と違って、真田さんはすぐに私に預けてきた。

 

 「お願いします!」

 

 天田さんも手を開いた。光は一瞬の迷いもなく、私の元へ飛んできた。

 

 「ワン!」

 

 コロマルさんが吠えると、咥えられていた光が飛んできた。それと共に、私は鳴き声の意味を理解できた。『頼む』と。言葉に訳すとただ一言だけの意思だったが、それでも理解できた。これはどうやら、彼とコロマルさんとの間にある絆の為せる業のようだ。

 

 「お前に任せるぜ」

 

 荒垣さんの光も私は受け取った。この人だけは私たちと違って、自ら過去に戻ってきたわけではない。しかし今集めているのは『今回』の絆だ。『今回』は荒垣さんも彼と深い絆を結んでいるから、鍵を持っている。そしてどうやら荒垣さんも、『前回』の記憶を取り戻したようだ。それも亡くなった10月までの記憶だけではなく、今日の記憶も取り戻している。思い返せば『前回』の最後の戦いでは、この人も私たちと一緒にいたような気がするから。

 

 これで男性陣の分は全て集まった。残るは三人の女性たち。『前回』は彼と『特別』な絆で結ばれていたけれど、『今回』はそうならなかった人たちの想いを集めねばならない。視線を巡らせると、ゆかりさんと最初に目が合った。

 

 「結局……私じゃなくて貴女なんだ。彼の力を受け継いだのも、助けるのも、みんな貴女……」

 

 『前回』は最も長く彼の近くにいた人。多くの点で彼と似た立場に置かれ、彼を愛していた人。時の狭間では誰よりも彼のことを想っていた人。それでいながら、『今回』は彼を異性として見る機会がなかった人だ。光が現れた手を握り、胸元に当てている。

 

 「ごめんなさい」

 

 私は卑怯だ。『前回』の彼との関係を、私は彼女に詳しく教えることはなかった。教えていれば、彼を助けるのは私ではなかったかもしれないのに。しかしもう元には戻れない。彼女は『前回』の記憶と共に彼に対する気持ちも思い出したようだが、彼女はもはや『前回』と全く同じではいられないはずだ。同じ日々を繰り返す中にあっても、全てが同じになるわけではない。『今回』の彼、そして私との関係に、彼女の心は確実に影響を受けている。それを拭い去ることはできない。

 

 「必ず……連れて帰ってきてね。一発くらい引っ叩いてやらないと、気が済まないから」

 

 「そうだな……私も一度処刑しておきたい」

 

 続いて『前回』は最後に彼と『特別』な絆を結んだ人。地につけられた手は握られている。

 

 「……はい」

 

 彼女は時の狭間でゆかりさんの味方をしていたが、なぜそうしたのか、当時の私には分からなかった。しかし今なら分かる。支えてくれる人がいないと立っていられないと、『今回』の彼女は私に告白していたから。そして『前回』父親を失った彼女を支えたのは、ゆかりさんだったのだ。だからゆかりさんの味方をしたのだろう。

 

 そしてもう一つ。彼女には親が決めた婚約者がいたらしく、彼はそれを知っていた。察するに『前回』の彼女は、彼の為に婚約を解消したのだろう。だから時の狭間では過去に戻りたいと、彼女は本気で思っていた。ゆかりさんほどあからさまではないにせよ、彼女なりに過去に未練があったのだ。

 

 「私だって……」

 

 最後は『前回』は彼への想いは他の二人と同じくらい、いい加減ではなかった人。その手はやはり握られている。

 

 「そうでしたね……」

 

 時の狭間で、彼に特別な想いはあったかと私は尋ねた。その時の彼女は肯定しつつも、最後までは答えなかった。きっと彼女は知っていたのだろう。彼は彼女以外にも多くの女性と同じ関係を結んでいたことを。その上で、彼女は彼の気持ちを慮っていた。だから彼が望むだろうと思って、時の狭間で彼女は黙って私に鍵を渡した。彼が本当に望んでいたことを、『前回』から彼女は分かっていたのだ。

 

 『前回』の彼は彼女たち三人を愛してはいなかった。当たり前だ。特別な関係とは一つしかないから特別なのであって、三つもあってはどれも特別ではなくなる。本当の意味で彼にとって特別なのは綾時さんと私だ。異性に限定するなら私しかいない。だから『前回』の彼女たちの愛は、結局報われることはなかった。そして『今回』は彼女たちも彼を異性としては愛さなかったし、彼の方は言うまでもない。

 

 彼は私が独占してしまった。私は元よりそれを望んでいたのだが、こうして実現してみると何とも申し訳ない気持ちになる。しかしそれを悔やむのも償うのも、今やるべきことではない。今はとにかく彼を守らねばならない。

 

 「鍵を……渡してください」

 

 三人は頷き、手を開いた。そして絆を表す光を宙に放った。それらはいずれも迷うことなく、真っ直ぐ私の手に収まった。触れてみると、彼女たちの光は男性陣のものと比べて少しだけ温かい気がした。それはもしかすると、この光は彼女たちと彼ではなく、彼女たちと私の間にある絆であるからなのかもしれない。しかしそれは何の問題もない。彼の力は私の力であり、私の力は彼の力なのだから。

 

 「おいアキ。あの野郎まさか、うちの女ども全員と……?」

 

 「ああ、前はそんな節があったな……」

 

 「最低……って奴ですね」

 

 「ワフッ……」

 

 「あ、あの馬鹿……。前は死んだからうやむやになったけど、生き残ったらヤベえぞ……」

 

 男性陣の呟きが聞こえたが、敢えて構わずにおいた。彼は自分のしたことに責任を取らねばならないが、それは今やるべきことではない。私は彼と私自身の為だけではなく、女性陣の三人の為にも必ず彼を連れて戻らなければならない。

 

 決意を新たにして、改めて彼が向かった先にある月を見据えた。しかしそんな私の手を、妹は少しだけ強く握ってきた。

 

 「あと一つ……ついさっき、あの部屋に来た人の分を貰いに行きましょう」

 

 そうだ。集めるべき鍵はもう一つある。皆さんと同じか、もしかしたらそれ以上に深い絆で彼と結ばれた人が『今回』はいる。その人の力がなければ、きっと真の鍵は完成しない。さすがに妹はよく分かっている。私としても、あの人とは正面から向き合わねばならない。そう思って、一度目を閉じた。

 

 

 「姉さん」

 

 妹に促されて目を開けると、例の青い部屋にいる自分を発見した。やはり例の竪琴の椅子に私は座っていて、隣に妹が立っていた。『今回』の11月4日にここに来た時には、妹はテーブルを挟んだ『向こう側』にいた。しかし今は『こちら側』にいる。手はもう握っていないが、私の隣にいる。そしてかつて妹が立っていた位置、テーブルの向こうの左側、イゴールさんを挟んでエリザベスさんの反対側に目的の人がいた。

 

 「……」

 

 タカヤだ。仮面のような無表情で、腕組みをしてこちらを見つめている。いつもの拳銃はジーンズに差されていなかった。

 

 「鍵を渡してください」

 

 私は椅子から立ち上がり、右手をタカヤに向けて差し伸べた。タカヤの背後では、いつもは閉ざされていた透かし扉が開けられており、その向こうには宇宙が広がっている。背景の闇と対照的なタカヤの白い体は、救世主然とした容貌と相まって、一種の希望のように浮かび上がっている。

 

 「……」

 

 「世界の為とは言いません。彼の為に……お願いします」

 

 重ねて頼むと、タカヤは無表情を崩した。『前回』も『今回』も何度か見た皮肉な笑みではなく、苦笑いを浮かべた。猛毒を含んだ人でありながら、何だか恥ずかしそうにしているように見えた。

 

 「全く……自分の物分かりの良さが嫌になります」

 

 そう言ってタカヤは腕組みを解き、右手を開いて差し出してきた。テーブルを挟んだ距離があるから、タカヤの手は私の手に直接触れはしない。しかし白い手から放たれた光は、まるで握手をするように私の手の中に収まった。

 

 「この無意味な世界で……もう少しだけ生きたくなりましたよ」

 

 タカヤは差し出した右手を戻し、自分のこめかみに軽く当てた。それと共に白い体全体が光を放ち、そして姿は見えなくなった。タルタロスの頂上一歩手前で、私が最後に尋ねたことに答えながら、姿を消した。ファルロスさんが影時間の闇に溶け込むように、彼がいる宇宙の闇へと立ち去った。

 

 「……」

 

 タカヤの姿が消えてから、私は理解できた。彼はどうしてストレガを仲間に引き入れようとしていたのか、そしてタカヤはどうして彼をストレガに引き入れようとしていたのか。その全てが分かったような気がした。悪意に満ちた仮面の下にあったタカヤの本当の顔は、本人も呆れるほどに物分かりの良い、お人好しだったのだ。

 

 「お仲間の鍵は集いましたな」

 

 向こう側からイゴールさんが声をかけてきた。この不思議な人は、声色にいつも何かを含ませている。しかしこの時ばかりは、何やらとても愉快そうな声だった。見てみれば、鼻の長い顔にもとても楽しそうな笑みが浮かべられていた。

 

 「しかし心の力はまだございます。貴女はそれも受け取らねばなりません。しばしお待ちなさい」

 

 イゴールさんはソファーに座ったまま、中空に両手をかざした。すると不思議な光がそこに集まってきた。無数の光の粒はイゴールさんの手の上で球形にまとまり、機械の目にさえ眩いばかりだ。ベルベットルームの青い闇のみならず、透かし扉の外の宇宙の闇をも照らしている。

 

 「聞こえますかな? 彼と絆によって結ばれた人々の声が。一つ一つは小さな声。しかし確かに彼へと向けられています」

 

 聞こえる。生徒会の役員、古本屋の老夫婦、神社にいる少女、同好会の留学生、通販会社の社長、型破りな僧侶、病気で亡くなった青年。そして剣道部の部長と、彼の初恋の人――

 

 私も知っている人もいるし、知らない人もいる。彼はこんなにも多くの人から慕われ、頼りにされてきた。私は『前回』を通じて、彼のことをほとんど何も知らないままに過ごしてきた。しかし今なら分かる。彼がどういう人で、何を思っていたのか。自分のことのように分かる。

 

 「彼の力は貴女の力……即ち彼の絆は貴女の絆。そしてまた、彼と貴女の絆もあります。彼にとって、貴女との絆は奇跡そのもの。なぜなら貴女がいなければ、彼はとうに生きてはいない。貴女はずっと彼を守ってきた……」

 

 『今回』の7月にファルロスさんが同じことを言っていた。ファルロスさんにとって、彼との絆は奇跡なのだと。そして彼にとっては、私との絆が奇跡なのだと。聞いたその時はただ嬉しく思っただけだったが、今は本当にそうなのだと分かる。十年前の事故以来、ファルロスさんはずっと彼を傷つけ、そして守ってきた。それは私も同じだ。

 

 「彼をデスから守ったことが運命なら、心を得たのもまた運命……。貴女に本来与えられた運命は、彼亡き後の世界を守ることだったのです。しかし運命とは決まっているようでいて、決まっていないもの。貴女は一つの後悔を契機として、運命に隙間を空けられた。そんな貴女ならば、できるかもしれない……。受け入れる以外に道のない運命を、根底から覆すことを」

 

 「……はい」

 

 答えると共に、私の手からも光の球が現れた。それは虹色に光り、凝集し、鍵の形を再び取った。時の狭間でも手にした、いかなる扉も開く真の鍵だ。鍵は一度私の手から離れ、イゴールさんが掲げる光へと向かって行った。重なり合った二つの光は互いに相乗し、無数の色彩を放ち、やがて一枚のカードへと結晶した。

 

 「ほっほっほ……まさかこのカードが二枚同時に現れるとは。前は思いもしませんでしたなあ……」

 

 人生を表すタロットの終着点に位置する、宇宙のカード。審判から永劫を経た後の、本当に最後のカードだ。それは蝶のようにひらひらと舞い、私の胸元まで飛んできた。私はカードを両手で受け止め、首に当てて抱き締めた。

 

 「全ての始まりの力であり、かつ全てを終える力……これを持つ者にとって、もはや何事の実現も奇跡ではありません。そして一度時を破壊した貴女なら、彼以上のことができる。いえ、彼が未だ知らないことにも気付くことができる……」

 

 イゴールさんの言うことは、私には分かる。私は時間を戻したが、あれは正しく言えば『戻した』のとは少し違う。私は時間を破壊したのだ。そして時間は破壊できるように、創造することもできる。では時間の創造とは何か?

 

 ユニバースの力は宇宙と等価のもの。そして彼にはない、時の狭間での経験が私にはある。それを自覚すると共に、ある真実が見えた。この真実をもってすれば、彼を守ることができるはずだ。

 

 「さあ、お行きなさい。彼は貴女を待っている……。他ならぬ、貴女だけを」

 

 「ありがとうございます……」

 

 私はイゴールさんに深く頭を下げ、透かし扉の先の宇宙へ向けて歩き出した。妹もすぐ後についてきた。しかしテーブルの脇をすり抜け、イゴールさんの隣にまで至った時、反対側から声をかけられた。

 

 「行かれるのですね、アイギス様」

 

 「エリザベスさん……」

 

 私は一旦足を止めた。彼と深い縁のある、でも鍵を持たない『人』と目を合わせた。

 

 「本当は私が彼をお助けするはずだったのですよ。貴女以上の永劫の時を許された私の命は、人柱となった彼を救う為にあるのだと。そう思いました。それを貴女は時を戻す機能を利用して、私の立ち位置を奪っておしまいになった……。不覚でございました」

 

 「……」

 

 彼女が言うことも、私には分かる。彼女の定めは、私のそれととてもよく似たものだ。だから彼女は私と同じことができるはずだ。しかし私たちの道は別たれた。私は彼と出会うのも心を得るのも、彼女より少しだけ早かったから。本来あるべき運命を変えたのは、ただそれだけのことだと思う。

 

 「彼に近しい女性たちの中で、貴女は最も見込みが低いと思っておりましたのよ。作られた存在であることを過剰に意識しておられる貴女は、真の意味で彼の傍にいることを己に許しはしない……。そう見ていたのですがね」

 

 彼女はまるで彼女自身に言っているように思えた。作られた存在であることを、彼女はきっと私以上に意識している。もしも彼女がもう少し早く行動していれば、結果は違ったものになっていたはずだ。例えば『前回』であれば。『今回』でも屋久島で私が起動する前であれば、クリスマスの前であれば、大晦日の前であれば、進路相談の日の前であれば。助けるのは彼女で、見送るのは私になっていただろう。しかしその全てを経てしまった今、もはや彼の傍に彼女の立ち位置はない。だから彼女は鍵を持っていない。そのことが、急に申し訳なく思えた。

 

 「ごめんなさい」

 

 今日の私は謝ってばかりだ。子供の悪戯を近所の人に詫びる母親のように、或いは夫の浮気を世間に詫びる妻のように。

 

 「謝る必要はございません。いつか私が崖へと向けて踏み出す時……その道が再び彼と交わる日が来るかもしれないのですから」

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