「幽霊ってのは確かに怖いけどさ。ものによるぜ?」
「可愛い女の子の姿とかだったら、なあ……?」
「でも取って食われちまうのは勘弁な」
月が明けた6月1日の月曜日、学校は妙な噂で持ちきりだった。噂自体は先週から始まっていたが、週末を挟んでも落ち着くことはなく、逆に広がっている。
事の発端は、金曜日の夜から行方不明になった女子生徒が、土曜日の朝に校門前で倒れていたことだった。先週の間は、その生徒は病院に運び込まれたとか言われているだけだったが、今週になると怨霊の祟りだとか言われ出した。敢えて噂を集めようとしなくても、勝手に耳に入ってくるくらいだ。この状況は『前回』と同じである。
(やっぱりこうなったか)
風花が無事な現状でもこの噂が流行り出すことは、湊はある程度は予想していた。なぜなら件の女子生徒は影人間になったのであり、そのこと自体は『今回』も変わらないのだから。
『前回』のこの時期、風花をイジメていた生徒が立て続けに影人間になった。それは風花がタルタロスに迷い込んだことと直接関係はない。『前回』彼女らが風花を探しに深夜の学校に来たことは事実だが、だからと言って影人間になるのに夜の学校にいる必要はない。来年の1月末まで発生し続ける影人間の数を考えても分かるように、学校の外にいても影人間になる時はなる。要は適性のない人間がシャドウの『声』を聞けば、影人間になってしまうのだ。
そしてイジメていた生徒たちはシャドウの声を聞いた。聞いたことそれ自体は、風花の失踪とは無関係だ。ただの偶然である。だから『前回』と同様に、『今回』も生徒が影人間になり始めた。それだけのことである。
ただ『前回』は風花が死んだものと思われた為に、昔からある怪談話と結び付けて考えられたが、『今回』はそれがない。だから怪談が流行しない可能性もあったわけだが、そうはならなかった。なぜだろうか。
(みんな噂が好きなんだな)
学校という空間では、噂話が広まるのは得てして速い。そして広まるに従って真相とは少しずつずれていき、やがて全くかけ離れたものになってしまう。ただそれだけのことであろう。別に自分の行動に関わらず『前回』と同じ状況になるように、何らかの運命的な強制力が働くわけではない――
湊はそう判断した。いささか楽観的に。
授業を終えて寮に戻ると、寮生全員が作戦室に集まった。最初の話題は新規加入した風花についてである。既に美鶴による簡単な調査によって、風花の能力の種類は分かっている。
「山岸のペルソナは敵の探知や解析に優れている。知っての通りそれらは私も一応できるが、山岸の方が上だろう」
「なるほど、サポート特化型か。確かに美鶴のペルソナは、本来は戦闘型だからな」
美鶴の説明を受けて、真田が補足した。それと共に全員の視線が風花に集中した。
「あ、はい……」
話題の中心にいる風花は緊張しているものの、声ははっきりと出ていた。一昨日に寮を初めて訪れた時は美鶴の陰に隠れるようにしていたが、今日は大分落ち着いている。風花にすれば、引っ越しの作業も既に終えたことなどから、息苦しい家庭から逃れられたことを実感し始めたのかもしれない。
「桐条先輩に代わりまして、これからは私が皆さんのお手伝いをします」
タルタロスのエントランスに残って、フロアの地図情報の組み立てや敵シャドウ解析など、捜索組のサポートを風花が担当することになるわけだ。一見すると地味だが、絶対に欠かせない役である。サポートの有無によって、探索の効率は段違いになるからである。そして風花の加入が持つ意味はもう一つある。
「そういうことだ。今まで君たちにばかり苦労をかけていたからな。今後は私も探索に出る」
美鶴の前線復帰だ。『前回』は6月13日だったのが、二週間近く早まったことになる。もっとも美鶴と違って風花は戦闘能力を全く持たない為、今後は風花の護衛としてエントランスに前線要員を最低一人は残す必要が出てくる。しかし頭数が増えたことには違いないので、特別課外活動部の戦力は確実に上昇した。
「お、おお……。頼もしいっすね!」
「ああ。タルタロスは一筋縄ではいかないが、お前なら必ずやっていけるさ」
「……」
充実感のある微笑を浮かべる美鶴に対して、順平と真田はそれぞれ賛意を表す。だが一人ゆかりだけは難しい顔をしている。それを見て、湊は考える。
(時期が変わっても、この点は変わらないな)
風花を連れてきた美鶴に対して、ゆかりは思うところがあるのだろう。風花の加入を契機として、ゆかりの不信感が増幅していくのは、『前回』もそうだった。しかも風花がペルソナに覚醒した様子を皆が目撃した『前回』と異なって、『今回』はそれがないままいきなり加入してきた。湊と美鶴以外のメンバーからすれば、何の脈絡もない青天の霹靂に見えるだろう。
実際のところは、自分に何か役に立てることがあると知った風花が、積極的に志願したのであろうが。『前回』の6月11日に改めて勧誘を受けた際に、加入を即答したように。
だがそうした背景の事情や風花の内面を知るはずのないゆかりにすれば、どんな強引な手を使って風花を巻き込んだのだ、と疑っても仕方がない。だが二人の仲を取り持つつもりのない湊は、ゆかりにフォローはしない。今後の二人の衝突は、湊の計画に既に組み込まれているからである。
ただ湊の目から見ると、それよりも気になる点がある。一見すると自ら戦えることが嬉しいかのような、今の美鶴の表情だ。
「リーダーはどうしますか?」
確認の意図を込めて、湊は話を切り出した。すると美鶴は表情から微笑を消した。
「うむ……それは今後も君にやってもらいたい」
(それならいい)
湊は頷き、了承の意を返した。
美鶴の前線復帰に関して、湊は少し心配の種があった。『今回』のタルタロス探索がどれだけ厳しいものであるか、これまでサポート越しに見ていただけの美鶴はどこまで正確な認識を持っているか、少々不透明である。無論楽観視はしていないだろうが、厳しい分だけ美鶴は責任を過剰に感じて、己の身を顧みない行動に出たりしないか、という危惧を湊は持っていた。例えば自ら現場リーダーを務めて先頭に立ち、チームに危機が迫ると真っ先に死のうとするとか。
美鶴は普段の冷徹そうな言動に反して、実は非情になりきれない。或いはそれを通り越して、自己犠牲的なところがある。父親亡き後のグループの将来を案じて、望まない結婚を受け入れようとしたことなどに、それが表れている。『前回』の付き合いからそれを知っている湊は、美鶴を少し心配していた。だがリーダー役を引き続き湊に任せるところを見れば、そこまで無鉄砲なことは考えていないと見える。
取り敢えず最初の心配は解消できた。すると次の心配は、部長の美鶴を差し置いてリーダーを務めることになった湊に対して、順平がどのような反応を示すか、ということなのだが――
「そう言や、ゆかりッチさ。学生用のネット板とか見てる?」
湊は順平へ視線を送ったが、それに対する返事は何もなかった。既に次の話題へと移行していた。
「先週、E組の子が校門で倒れてんの見つかったっしょ? あれ、怪談に出てくる怨霊の仕業じゃねえかってさ」
「怨霊とか、マジやめてよ……。嘘くさい!」
(話が早いな)
ここでもし怨霊が話題に上がらなければ、湊は自ら話を振るつもりだったのだ。それだけに、ここは手間を省いてくれた順平に感謝すべきかと思った。思ったのだが、これまでの話の流れを完全に無視した唐突な話題の転換に、少々戸惑わないでもなかった。『前回』もこの日は怪談話が行われているが、話す前の状況は異なっている。それなのに、同じ話題が同じ日に上げられる。それはなぜか――
(まあ、順平らしいと言えばらしいが……)
好意的に解釈すれば、ゆかりへの順平なりのフォローなのかもしれない。順平は色々余計なことを言うが、空気は読めるタイプである。だから今日のゆかりの様子が、少々おかしいところに気付いても不思議はない。
その点、目的意識が強すぎる余りに視野狭窄に陥りやすい美鶴や朴念仁の真田よりも、順平は高いコミュニケーション能力を持っていると言える。ただ読んだ上で取る行動が間違っている点が、非常に残念なのだが。
「その怪談というのは、どんな話だ?」
「興味ある。話してみろ」
嫌がるゆかりを余所に、美鶴と真田が興味を示してきた。上級生が食いついてきて気を良くした順平により、例の時間が始まった。
「どうも、こんばんは。伊織順平アワーのお時間です」
どこから持ってきたのか懐中電灯まで用意して、順平はもっともらしく語り出す。こうした悪ふざけが、順平の間違ったところである。
「ご存知ですか? 遅くまで学校にいると、死んだはずの生徒が現れて食われるよって怪談……」
話が進むに連れ、ゆかりは目に見えて怯えだした。額に汗が浮かび、肩が少し震えている。そんなゆかりが面白いのか、順平は更に熱を入れて語りだす。
「倒れていたE組の彼女……食われたんですよ、死んだはずの生徒に!」
順平はここで一気に話のトーンを盛り上げた。だが怖がっているのはゆかりだけで、美鶴と真田は時々腕組みをしたり足を組み替えたりして、動揺している素振りはない。そして『前回』はこの場にいなかった風花はと言うと、肩を竦めて目を伏せている。
一見すると、怖くて話を耳に入れないようにしている様子に見えるが、実は違う。『E組』という言葉のところで、肩が僅かに震えたところを見逃さなかった湊は、風花が聞き耳を立てていることを確信した。
(まあ、そうだろうな)
湊は内心で頷いた。ここまでは計画通りである。
やがて怪談は終わり、順平は懐中電灯を消した。すると美鶴と真田は互いに向き直り、感想を言い合う。ただし順平の喋りに対してではなく、怪談話そのものについてである。
「どう思う? 明彦」
「怨霊かはともかく、調べる価値はありそうだな」
「あれ? 俺が熱演した件はスルー?」
そう言って順平はようやく湊に視線を送ってきた。だが湊は気付かない振りをした。コミュニティの担い手へのフォローとして拍手の一つくらいしてやっても良いのだが、敢えて突き放した。すると順平は唯一いい反応をしてくれた相手へと標的を変えた。
「しかしゆかりッチさ。お化けが苦手とは、ちょい情けないよな」
(そう、それだ)
湊は順平から目を逸らしたまま、またも内心で頷く。ここで話をゆかりに振ることが重要なのである。今夜の集まりで最も盛り上がるポイントは、実は順平の熱演ではなくてここである。
「な、情けないって言った!?」
ゆかりの暴走が始まった。揶揄一つで恐怖は怒りへと反転し、急激な攻守交代の瞬間である。
傍から見れば、ゆかりは立派なお化け嫌いだ。見ようによっては一種の可愛げであるが、ゆかりにしてみれば過去の経験からくるトラウマに近いものである。だからゆかりの暴走は無理からぬこととも言える。少々極端ではあるが。
その点をまだ理解していなかった『前回』の一週間後、夜の職員室のガサ入れ中に軽い気持ちでからかったら、猛烈に怒られたものだった。懐かしい話である。
(それはそれとして……)
『前回』と違って客観的にこの状況を観察できる湊は、暴走が収まるのを待つついでに、別の視点からゆかりの発言を考察してみた。
怨霊なんて嘘。果たして本当にそうだろうか?
確かにこの世界は決してファンタジーやメルヘンではない。魔法使いが箒に乗って空を飛んだりしないし、その辺の洞窟に竜が住み着いて財宝を貯め込んだりもしていない。普通の人間が万物の霊長として地球上のあらゆる生物を支配している、紛うことなき現実だ。
だがそんな現実にも、シャドウやペルソナのようなファンタスティックな要素は確かに存在している。つまり怪物も超能力も現実なのである。ならば怨霊だって現実にいるかもしれない。
更に言うならば、実はシャドウとは怨霊であるのかもしれない――
何事においても、目に見えるものだけが真実とは限らない。目に見えないものを恐れているだけでは、真実を理解することはできない。もっとも世の中には理解する必要がない、もしくは理解しても意味のない真実というものも存在するのだが。
そんなことを一人静かに考えながら、湊はひたすら黙っている。そうこうしているうちに、ゆかりの徹底的な調査宣言で場が締められた。
「怪談なんて、絶対嘘に決まってるし!」
「ええ……? マジ?」
ゆかりは完全に興奮してしまい、順平は毒気を抜かれている。そんな中、それまで湊同様に黙っていた風花が口を開いた。
「うん……私も調べてみる」
「風花……ありがと」
『前回』はいなかった味方を得たことに、ゆかりは感動の面持ちだ。目がキラキラと輝いている。対する風花は幾分辛そうだ。ただし調査自体が辛いとか面倒とか言うのではなく、倒れた生徒が自分と無縁ではないからだろう。
こうして怪談の調査に風花も参加することになった。湊にとっては期待通りの展開だが、若干の不安がある。
(かえって混乱するかもな。まあ、大した問題じゃないが)
風花は人から噂話を聞いて回るような、足を使った調査は不得意であろう。そうなると、得意のパソコンを使ってネットから情報を集めるだろうと推測できる。実際、今後一週間に渡って学校関係の掲示板などに怪談話が満載されることは想像に難くない。だがそれらの噂は、デタラメばかりになるはずだ。つまりガセ情報の海の中で、ありもしない真相を探す羽目に陥ることになる。情報が増える分だけ余計に惑わされ、徒労感だけを得る結果になりかねない。
だが湊はそんな二人を手伝ってやるつもりはないし、止めるつもりもない。湊にとって最も重要なのは、次の満月である6月8日にタルタロスを探索せず、大型シャドウに集中することである。そして噂の真相は影人間である。失踪者ではなく。
タルタロスを探索しても、既に影人間になってしまった人はどうすることもできない。満月のシャドウを倒すことだけが、彼らを救う唯一の方法である。探索して救助する必要があるのは、迷い込んでしまった人である。つまりエリザベスから電話で連絡される失踪者だ。
そしてこの時期は、まだ失踪者は出ない。最初に出るのは、次の満月を過ぎた6月18日だ。考えようによっては『前回』は風花が最初の失踪者と言えるが、『今回』の風花はこの通り、ここにいる。だから8日にタルタロスを探索する羽目になって、シャドウとの二正面作戦を強いられる危険はない。
それが既に分かっているから、怪談の調査など湊にとっては無意味である。しかし調査そのものは無意味でも、その副産物には意味がある。よってゆかりと風花を止めはしない。
(溜まり場の件まで、辿り着けるかな?)
「それは助かる。気味の悪い話だからな。だがタルタロス探索も忘れるなよ」
「じゃ、よろしくな」
美鶴と真田はそう言って席を立ち、作戦室から去って行った。そんな二人にゆかりはもう目もくれず、風花の手を取って意気込んでいる。
「絶対真相を解き明かそうね!」
「うん……」
「ねえ……何なの、このノリ? ちょっとおかしくね?」
事態の急展開に一人ついていけない順平の声が、誰にも受け取られることなく中空を虚しくさまよった。湊は後でフォローしてやろうと思いながらも、敢えてこの場では何も言わずに席を立った。