いよいよ満月の日が来た。少々の誤算はありつつも、計画は概ね順調に進んだ。『前回』より早く風花のサポート能力が加わり、美鶴も前線に復帰した。後は影時間に現れる大型シャドウを、総力を挙げて迎え撃つのみである。勝算は十分以上にあるはずだ。そのはずだったのだが――
目覚まし時計も眠ったままの朝の早い時間、湊の枕元で携帯電話が鳴った。番号は非通知だ。何だと思って電話を取ると、鈴が鳴るような美しい声が事務的な口調で語り出した。
『おはようございます。こちら、エリザベスでございます。タルタロスに迷い人がいらっしゃいました。お早めの捜索をお願いします』
「は……?」
一瞬、何のことか分からなかった。朝に弱い体質であることもあるが、全く予想していないことを言われた為に理解が追いつかなかった。定期試験で学年トップを取る湊の頭脳も、意外性には十分な働きができないこともある。
もし日々を無計画にただ過ごしていれば、意外などそもそもあり得ない。だが計画を色々立てていれば、意外や想定外にどこかで必ず遭遇する。そして己の計画を万全と信じ、勝利を確信していた場合、虚を突かれると一瞬思考が停止することもある。
『また、迷い人は貴方のお知り合いのようです』
ここでようやく理解が及んだ。これは『前回』に何度もあったことである。影時間に適性のない人間がタルタロスに迷い込む、失踪者の発生を告げる連絡だ。交番の掲示板にも行方不明者として掲載されるが、連絡はいつもエリザベスの方が早い。
「ちょっと待て! 満月は今日だぞ!」
思わず言葉を荒げてしまった。動揺している証拠だ。もっともこれが仲間やコミュニティの人々相手では、虚を突かれても内心の波立ちを声に出すようなことはめったにない。だがエリザベスが相手だと、こういう反応もなぜか出てきてしまう。しかしそんな珍しい動揺に対しても、電話の向こうの相手は飽くまで事務的に答えた。
『ですから、お早めにと申し上げました』
「……」
言葉面だけだと、嫌味な言い方にも聞こえる。だがエリザベスに悪意があるわけではなかろう。彼女は『前回』から色々と素っ頓狂なことはしてきたが、そこに自分を困らせる意図を感じたことはなかったから。今日になって電話してきたということは、昨日の影時間に迷い込んだのだろう。
「前はこんなことはなかったぞ」
『前回』は何人もの失踪者を救助したが、救助可能な期間が満月当日しかないケースはなかった。だから満月のシャドウとの戦いと、捜索は常に別々の日に行えたのだ。この6月8日を除いて。
『運命とは決まっているようでいて、決まっていないものでございますから。それでは失礼いたします』
そして通話は切れた。無機質な電子音を発し始めた携帯を耳元から離し、湊は頭を抱えた。
(参ったな……)
普通の影人間は満月のシャドウを倒せば回復する。月日が進むと回復しない者も出てくるが、この時期ならほぼ全員が回復するはずである。だがタルタロスに迷い込んだ失踪者は勝手が異なる。彼らを助けないままでいると、満月後に影人間となって発見され、そして回復の見込みはほぼなくなってしまう。
シャドウとの戦いを優先して、失踪者を見捨てるという手も取れる。だがこのタイミングだ。しかもエリザベスによれば、自分の知り合いだと言う。誰が失踪したのか、嫌な予感がする。できれば当たっていてほしくないが――
(取り敢えず、学校に行こう)
不安を抱えたまま、湊はベッドから抜け出て身支度を整えた。
この日、湊が在籍する二年F組では普段通りに時間が過ぎていった。教師は教科書を読み上げたり板書をしたり、生徒たちはそれを真面目に聞いていたり居眠りをしたりする、普段通りの授業である。ゆかりと順平も、そうした生徒たちの例に漏れない。
満月の夜に何が起こるのかは、月光館学園の一般の生徒や教員はおろか、今の時点では特別課外活動部の面々すら知らない。今後11月まで死闘の連続となる、月に一度の忌まわしい周期を知っているのは湊だけである。
幾月は既に気付いているかもしれないが、この際それは関係ない。よって誰にとっても普段通りの授業風景がここにはある。普段と異なる様相を見せたのは、昼休み。
「有里君、順平! ちょっと来て!」
ゆかりが慌てた様子で教室に駆け込んで来た。湊と順平に向けて、急いで職員室に来いと言う。順平は何事かと怪訝な顔をしているが、問い質しはせずにゆかりに続いて廊下へと出る。湊は朝から感じていた嫌な予感が確信へと変わるのを感じながら、順平の後に続いた。
職員室では、風花がE組担任の江古田に詰め寄っていた。風花は常になく必死な面持ちで、対する江古田はいかにも迷惑そうだ。そしてそんな二人を、美鶴が宥めている。
「あれ、桐条先輩も? どうしたんすか」
順平の呼びかけに、美鶴は振り向いた。
「ああ、山岸に頼まれてな。先生に事情をお尋ねしているところだ」
「事情と言ってもねえ……。森山は休んでいるだけだよ」
(やっぱり……)
順平とゆかりの後ろで二人の影に隠れるように立っていた湊は、誰にも見えない位置で密かに頭を抱えた。今朝のエリザベスの連絡と風花が血相を変えていることから、何があったのか言われる前から察しがついた。昨日の影時間にタルタロスに迷い込んだのは森山だ。
(何でだよ……)
「山岸、順序立てて説明してくれないか。森山に何があった? いや……何があったと君は考えている? 最近噂の、倒れた三人と何か関係があるのか?」
「私、倒れた人たちとは色々あって……」
美鶴が促すと、風花はいかにも話し辛そうに、言葉を選びながら訥々と説明を始めた。森山を始めとする何人かの生徒たちとの関係、つまりはイジメの告白である。
「酷い……! 何てことを!」
話が始まるとゆかりと順平は最初は驚き、やがて怒りを露わにしだした。美鶴は傍からは分かりにくいが、奥歯を噛み締めているのか顎が僅かに動いている。これは相当に怒っている。そして江古田は苦虫を噛み潰している。ちなみに風花の事情を既に知っている湊は、表情をほとんど動かさない。
「十日前、体育館に閉じ込められて……」
話がここに及んだ時、湊は眉を動かした。風花が体育館に閉じ込められ、それを出してやったことを湊は誰にも言っていない。言う必要を感じなかったからだが、ここで風花の口からバラされると面倒なことになりかねない。だが――
「でも……鍵がちゃんとかかってなかったのか……出れたんだけど」
そんな湊の心配を知ってか知らずか、風花は適当なことを話した。イジメに遭った者は、その事実を隠したがる傾向がある。風花にすれば、そんな自分の気持ちを湊は慮って事情を知りつつ黙っていた、とでも考えているのかもしれない。
風花の告白は更に続く。そして湊も知らなかった事情が語られ始めた。
「昨日、森山さんに呼び出されたの……」
6月7日の日曜日の昼間、風花は森山に電話で呼び出され、ポートアイランド駅に一人でやって来た。ただし例の溜まり場ではもちろんなく、駅前の広場である。
「あんた、昨夜何であんなトコに来たの」
「……」
「マキが倒れたの、知ってるでしょ。マキはあの日の夜、あんたを出しに学校に行ったのよ」
「!……そう、だったの……」
「マキはそれきり帰らなくて、次の日の朝に校門前で倒れてたわ。でもあんたは普通に登校してる……。あの夜、学校で何があったの!」
今から十日前、5月29日に風花は体育館に閉じ込められたが、すぐに湊によって出された。だが閉じ込めた当人たちはそれに気付かず、既にいない人の為に夜の学校に来てしまった。そして学校で影時間を迎えた――
風花はこの時、怪談の真相に気付いたのだった。
「それで私、夜の学校に近付いちゃ駄目って……」
「そう言ったのか」
美鶴の確認に風花は頷いた。
もちろん風花は文字通りの意味でそう言ったのだろうが、森山はそうは受け取らなかった。倒れた友人を心配してか、或いは風花への意趣返しか、とにかく深夜に学校へ行った。そして学校がタルタロスに変貌するのを目の当たりにし、ちょうどシャドウの声を聞くなりした為に象徴化もせず、ふらふらと迷い込んでしまった。そんなところであろうと、湊は事情を推理した。
推理できた自分自身に対して、湊は再び頭を抱えた。一昨日の夜の溜まり場に森山が現れたことの意味を、もっと考えるべきだった。現れたこと自体は偶然だとしても、明らかに場違いな風花がいることを森山がどう受け取るか、それを考えなければいけなかったのだ。
更に言えば、5月31日にクラブで遭遇した時にも注意すべきだった。あの時、エリザベスは森山を見て何かに気付いた。今にして思えば、近いうちに失踪することをエリザベスは分かっていたのだろう。適当に流したりせず、はっきり聞き出しておくべきだったのだ。
それらをしないまま、今日という日を迎えてしまった。もっとよく考えれば、気付きそうなことであるのに。
(後の祭りって奴……)
そうやって落胆している間、職員室では既に話が次へと移っていった。
「なるほど、事情は分かった。ところで先生。山岸が受けていたのは、明らかに……いわゆるイジメです。担任として、把握しておられなかったのですか?」
「い、いや……山岸は体が弱くてねえ……」
江古田は苦しい言い訳をした。当の本人を目の前にして言うセリフではない。
「確かにそのような噂はありますが、病院に問い合わせたところ、健康には全く問題ありません」
「……」
即座に反論された江古田は言葉を失った。額には汗が浮かんでいる。
「知っていましたね……。知ってて放置していましたか。ご自分のクラスにイジメ問題などない、ということですか」
美鶴は声色を低く落とし、ペルソナ能力そのままの冷気漂う視線でもって江古田を射抜いた。もはや怒りを隠そうともしていない。ゆかりと順平も一緒になって、軽蔑の眼差しを江古田に向けている。遠巻きに見ていた教職員からも、冷たい視線が届けられてくる。中にはざまあみろ、と言わんばかりの楽しそうな視線も見受けられる。
美鶴がこの学校の母体である桐条グループの令嬢であることを、知らない者はいない。その怒りを買えばどうなるか。それはもう推して知るべし、というものである。
「この……下衆め!」
「そ、そんな風に言わなくたって……」
『前回』と同じ下衆認定で締められた。この分では、江古田は『今回』も処分を食らわされるだろう。
(何でこうなる……?)
美鶴と江古田の会話の成り行きに、湊は居たたまれない気持ちになった。とは言っても、別に江古田に同情しているのではない。
事態が『前回』と同じ状況に近付いていることが、嫌な気分を与えてくるのだ。いかなる経過を辿ろうと、必ず『前回』と同じ結果になるように事態を誘導する、運命的な強制力の存在を想起させる。それは即ち、努力が無に帰してしまうということだ。
何をやっても結果は変わらない。全ては無駄に終わる。まさにギリシャ神話のシーシュポスのように――
そうした徒労感は、湊の本来の性格を呼び起こす。どうでもいい、と全てを投げ出してしまいたくなる。だが江古田を一刀の下に切り捨てて、こちらを振り返ってきた美鶴の次の言葉で、湊は我に返った。
「皆、今日は寮に戻ったら作戦室に集合だ。今後の対策を考えるぞ」
(作戦室?)
『前回』はこの日の放課後、生徒会室に集合して皆で話し合ったはずである。そんな一見すると些細な違いを元に、湊の思考は動き出した。生徒会室で作戦会議を開いた、その意味は何であったか。
『前回』は生徒会室で夜の学校潜入が決定した。つまり下校する前に作戦の方針が決まった。だから昼間のうちに校舎の扉を一つ開けておく仕込みを、順平は入れることができたのだ。それによって、折悪く幾月が捕まらなかった今晩に首尾よく夜の学校に入れたのだった。そうでなければ、爆薬でも使う羽目に陥っていたかもしれない。では『今回』はどうか――
(運命は決まっているようで、決まっていない……か)
もし完全に決まっているのなら、十日前に風花を体育館から出すこともできなかったはずだ。強制力なるものが存在するのかしないのか、それは分からない。だが存在すると認めてしまったら、何もできない。この状況を少しでも改善する為に行動する余地は、まだ残っているはずである。
投げ遣りな方向に沈んでいこうとする自分の心を、無理矢理に引っ張り上げた。落ち込んでいても仕方がない。昼の時間に状況がどう動こうとも、今日の影時間には大型シャドウと戦わねばならないのだ。無気力症に陥っている暇はない。
(まずは確認しよう)
今から影時間までの間にできることを、湊は考え出した。
夕方の時間、湊は寮に戻って来た。ガチャガチャと金属がこすれ合う音を発する、大きな袋を肩に担ぎながら。二階の自室には戻らず、その足で四階の作戦室に向かった。昼休みに言われた通り、森山に関して皆で話し合う為である。
扉を開けると、既に寮生は全員揃っていた。ただし幾月は『前回』同様連絡がつかなかったのか、この場にいなかった。だがそれであっても、話はある程度進んでいた模様である。
「遅いぞ」
真田が苛立った声をかけてきた。実際、言われていた集合時間は過ぎている。
「済みません。ちょっとポロニアンモールに寄ってたもので」
「黒沢さんの所か?」
「ええ」
これは一応本当である。ポロニアンモールの辰巳東交番に顔を出して、黒沢巡査から剣やらナックルやらの武器をいくつか購入してきた。これ見よがしに担いできた大袋には、それらを放り込んでいたのである。だが交番に行ったのは一種のアリバイで、実はベルベットルームに行くことが主目的だった。しかしそうは言わずに席に着いた。
湊はベルベットルームの存在を『前回』は最後まで皆に話さなかったし、『今回』も話すつもりはない。話す必要を感じないからだ。『契約』をしていない皆が知ったところで、何のメリットもない。そもそも皆はあの部屋の扉すら見えないのだから、存在を証明する術がない。
(そう、だから話さないだけだ……)
決してエリザベスを皆に紹介したくないからとか、そんな理由ではない。ましてゆかりや風花や美鶴、更にはアイギスがエリザベスと修羅場を演じるのを避けたいとか、それに自分が巻き込まれるのだけは何が何でも回避したいとか、そんな理由では断じてない。多分。
思考が脱線した。気を取り直して作戦会議に意識を戻すと、ちょうど森山はタルタロスに迷い込んだと結論づいたところだった。
「単にシャドウに襲われただけなら、他の生徒と同じように意識不明で発見されるはずだ。それがないということは、今でもタルタロスにいる可能性が高い」
これは美鶴の発言だ。やはり美鶴は倒れた生徒たちはシャドウに襲われて影人間になったことを、初めから分かっていた。そしてシャドウに襲われたことで肉体的に死ぬ人間はほとんどいない。その辺りのことから、美鶴は森山が『失踪』したと結論づけた。そしてそれは正解である。
「え……それじゃあ、森山さんは一晩中……じゃなくて、丸一日タルタロスにいるってことですか!?」
「いや、丸一日とは少し違う」
ゆかりの疑問に美鶴は説明を続けた。タルタロスは影時間の間にしか現れない。ならばそれ以外の時間にタルタロスはどこにあるかと言うと、『存在しない』のだ。よってタルタロスに入った人間にとって、通常の二十四時間は存在しない。タルタロスに入ったまま影時間が過ぎると、当人は次の影時間まで時間移動してしまう。
「つまり森山にとっては、影時間一日分しか時間が経過していないことになる」
なるほどと、ゆかりは頷いた。しかし今度は順平が口を挟んだ。
「けどタルタロスって、慣れてる俺らでも苦労するじゃないですか。一般人だったら、五分も持ちゃしないんじゃ……」
「だったらこのまま見殺しにするのか!」
救出を渋るような順平の物言いに、初めから苛立っていた感のあった真田は激して作戦室のテーブルを叩いた。高級そうなテーブルに、ひびが入りそうなくらいの力が込められている。
(おや、この辺は前と同じか)
湊は意識の向ける先を会議そのものから、真田へ移した。普段は冷静な真田の激昂。これは『前回』にもあったことだ。その時は真田の常ならぬ剣幕に少々驚いただけだったが、『今回』はそれに留めるわけにはいかない。
予期せぬことだったが、先月に真田との間に星のコミュニティが発生してしまった。これを円滑に進める為には、真田の内面により近付く必要がある。
『前回』の経験から判断した真田の性格は、ストイックで目的意識が強く、良くも悪くも単純明快な男、である。だが現時点では目的が曖昧で、文字通りの単純なストイックさだけが目につく。それは即ち、戦いをトレーニングの一環として考えることであり、言い方を変えればトレーニングの為のトレーニングをする、ということである。
そんな調子だから、7月にゆかりが十年前の事故の件で美鶴を詰問した際、八つ当たり気味に真田も責められた。理由もなく戦っているのかと。対する真田は言葉を濁したが、あれは図星だったと湊は見ている。10月には荒垣の死に報いる為という目的、もしくは気持ちの拠り所を得たが、今の時点では無目的に戦っているとしか思えない。
だが湊はそんな真田を、悪く思ってはいない。そもそも真田は影時間とタルタロスの発生に何の責任もないのだから、戦う理由などなくて当然だ。それでも戦ってくれることは、勇敢と称賛されこそすれ非難される謂れはない、と湊は考える。
だが『前回』は真田と大して深い付き合いをしたわけではない。自分が未だ知らない、真田なりに心中期するものが今の時点でもあるのかもしれない。
『前回』の状況では貴重な戦力になり得る風花を惜しんで、と解釈することもできたが、適性のない森山の救出にまでこだわる今の様子を見れば、そうした功利的な考えの基に真田は激しているのではない。タルタロスに迷い込んだ人間を救いたいと、本気で考えている。それはなぜか――
(正義感……には見えない。これだけ感情的になるのは、何か個人的な事情がある……)
湊は真田の性格について、『前回』に感じたほど単純なものではないと認識を改めることにした。そしてそんなことを考えている間にも、真田は更に加熱していく。
「お前たちが行かないなら、俺は一人でも行くぞ!」
「真田先輩……」
そんな真田を、風花は感謝の思いを込めて見上げている。よく見れば、風花の目元は少々潤んでいる。こうなると、作戦会議の流れは決まったも同然である。
(結局こうなるのか……)
十日前から続けてきた陰謀が失敗に終わったことを悟り、湊は内心でため息を吐いた。だがやむを得ない。風花の気持ちを考えれば、森山を見捨てる選択肢は初めからない。自分とて森山を影人間にしては、荒垣や桐条武治の死に対して感じたような後悔をきっと抱く。
湊は気持ちを切り替え、昼休みから検討を続けてきた今夜の方針を改めて考えた。
(前に比べれば、この状況はいくらかマシだ)
作戦会議に遅刻するのを承知でベルベットルームに立ち寄ったのは、森山の居場所を確認する為だ。その結果は、ある意味で想定通りだった。
エリザベスによれば、森山はこれまで特別課外活動部が既に探索してきた階層にいるとのことだった。『前回』の風花はそれより上の階層に迷い込んでいたが、それは体育館から直接行ったからだろう。普通に迷い込めば、自分たちが行ける場所にいる。『前回』助けた何人もの失踪者は誰もがそうだった。故に想定通りなのだ。
ただよくよく考えれば、少々おかしな話である。あれだけ高いタルタロスで、どうして失踪者はいつも都合よく自分たちが辿り着ける場所に迷い込むのか。あまり考えたくないが、実のところは失踪者はもっと大勢いるのだろう。影人間の数を思えば、その方が自然だ。
そしてエリザベスが連絡してくるのは、普通に救助が可能な失踪者のみ。そしてそれは、彼女なりに気を遣っているから。『前回』の風花が失踪した際にエリザベスが何も言って来なかったのも、当時の自分たちが普通に救助できる場所にいなかったからなのだろう。
だがこの際、それはどうでもいい。とにかく森山は自分たちが普通に行ける階にいる。この偶然もしくは都合の良さを、今夜の作戦に利用させてもらうのみだ。
即ち、今夜は体育館からタルタロスに侵入する必要はない。よって捜索組がバラバラになって合流に時間を取られることもない。そして捜索組にも風花の通信が届くので、効率の良い捜索が可能になる。
(問題はメンバー編成だ)
湊が一人で別のことを考えている間にも、作戦会議は進んでいく。
「そうだな……このまま放置するわけにはいかん。今夜タルタロスに行って、森山を救出する。有里、いいな?」
最後に部長の美鶴の決定により、今夜の出撃が決まった。
「分かりました。救出に行くのは真田先輩と順平と……岳羽。三人で頼む」
「お前は行かないのか?」
順平が口を挟んだ。確かに現場リーダーの湊が捜索しないのは不自然だ。だが今日は自分がタルタロスを登るわけにはいかない。
今日出てくる大型シャドウ、エンプレスとエンペラーは耐性を変化させる特殊能力を持っている。だが変化さえ見切れれば、意外と容易い相手である。だがそれを事前に皆に教えることはできない。そして見切れないと、この上なく手強くなる。
風花がいれば耐性は分析可能だが、ある程度の時間を要する。実戦は先手必勝が基本だ。そしてエンプレスとエンペラーの耐性変化のパターンも湊は覚えている。
理想はシャドウが出現したら風花の分析を待たずに即座に弱点を突き、立ち直る暇を与えずに一方的に倒すことだ。逆に一度でも後手に回ると、戦いは非常に苦しくなる。従って、湊はエントランスでシャドウを待ち構えるのが最善だ。それを皆に納得させるには――
(本当は今日の戦いが終わった後で、さりげなく言うつもりだったんだが……。やむを得ないな)
湊はここでカードを一枚切る決断を下した。
「今日は満月だ」
「それがどうしたってんだよ」
湊は推論に過ぎないがと前置きした上で、怪訝な顔をする皆に説明した。モノレールで戦ったのは5月9日、寮が襲われたのは4月9日。いずれも満月だということを。
「そうか……月はシャドウに影響を与えるんだったな!」
皆の中で、真田が最初に得心した。『前回』も満月の周期に最初に気付いたのは真田だった。月齢が人間の心理やシャドウの能力に関係することは、これまでの桐条グループの研究で分かっている。それを知っていればこそ、些細なきっかけから思い至ったのだろう。だから『今回』も割と簡単に納得した。
「むう……言われてみれば、確かにそうだ。あの時のような大物が、今日も現れるというのか……。今の時点では可能性に過ぎないが、偶然と言い切ることもできないな。山岸はエントランスに残らざるを得ない以上、護衛にいつもより人数を割く必要があるということか」
美鶴は美鶴なりに、可能性の段階であるとしながらも思考を進めている。湊はそこへ一言添えることで、美鶴を誘導した。
「かと言って、捜索を少人数でやるわけにもいきません。むしろ迅速に見つける為には、捜索組にこそ多くの人数が必要です」
「だから捜索は三人でやり、万能型の君とシャドウの探知が可能な私がエントランスに残るか。なるほど、その編成が最善かもしれないな」
「捜索の指揮は真田先輩にお願いします。戦闘はできるだけ避けて、森山を見つけたらすぐに帰還してください」
「分かった」
かくして上級生二人を誘導するのは成功した。未来の知識は情報源を明かせないだけに信用させるのが難しいが、今日に関しては簡単なものだった。だが――
「湊……大物のシャドウって、モノレールで戦った、ああいうのだろ? 二人で大丈夫なのか? 俺も残った方がいいんじゃねえの?」
順平が意見を言ってきた。思い返してみれば、『前回』の順平は5月のモノレール戦にて一人で先走った汚名返上の為、体育館からのタルタロス侵入に志願した。それと同じように、実績を求めてのことだろうか。確かに森山の救出より、大型シャドウの討伐の方が手柄としてはずっと大きい。
「何だ、有里が信用できないか? それとも私がか?」
「いや、信用はしてますよ。ただ……心配なんですって」
(ん……心配?)
湊は順平の発言に引っ掛かるものを感じた。『前回』の順平はリーダーを務める湊に嫉妬して、一時期は色々と突っかかってきた。だが今のように心配をされたことはない。この言動の変化はなぜであろうか。
(魔術師のコミュの影響か?)
それはあり得る話である。しかし美鶴はそうした湊の推測とは、少しずれた方面へ向かっていた。
「後輩に心配されるとはな……。私も焼きが回ったか」
美鶴は微笑んでいるが、どこか含みのある笑みである。何を含んでいるのかは、今日の職員室での出来事などを考えれば誰にでも想像できる。
「順平、美鶴を怒らせると後が怖いぞ」
「あ、そんなつもりじゃ……。お見それしやした、先輩! どうかご勘弁ください!」
珍しい真田の冗談に、順平は慌てた素振りを見せて大仰に頭を下げた。その様はいつもの順平だが、湊はまだ引っ掛かった。
(本当に心配しているのなら……)
真田と美鶴は5月の満月の現場を見ていない。普段のタルタロスに出没するシャドウを大きく上回る満月の恐ろしさは、実際に経験しないと分からない。経験済みの順平ならば、上級生二人よりも満月のシャドウを深刻に考えることもあり得るだろう。
(だがまあ、仕方ない。森山の救出だって、真田とゆかりだけに任せるわけにはいかない)
二人だけでタルタロスを探索するのは非常に危険だ。無論エントランスに待機する組も相当に危険だが、『前回』を知る自分がいれば、二人でも何とかなる。粘っているだけでも、そのうち捜索組が戻ってくるのだから勝算は十分ある。そう判断しての編成なのだ。
「大物が出ると決まったわけじゃない。可能性の段階で、三人も待機させるわけにはいかん」
最後に美鶴がそう締めて、今夜の編成が決まった。結果的に、昼休み以降に湊が考えた通りのものになった。