タルタロスのエントランスで二体の大型シャドウと戦った翌日の放課後、湊は一人でポロニアンモールまでやって来た。コミュニティの活動はサボった。と言っても、地の性格である無気力症に陥っているわけではない。単に昨日の疲れが抜けきらないのと、今日リニューアルオープンした骨董屋、眞宵堂への顔見せの為である。
どこからか刃物や銃器を仕入れてくる辰巳東交番の黒沢巡査も謎の人物だが、眞宵堂の女主人はそれに輪をかけて謎めいている。昔は桐条グループの研究者であったらしく、どうしてそこを辞めたのか、などの経歴には既に分かっている点もある。しかしその能力は謎のベールに包まれている。
色々と不思議な効果のある道具類の取り扱いに始まり、果てはペルソナを元に武器を作ったりする。ついでに言うと、エリザベスにも感心されるセンスの土偶を置いていたりする。
土偶はともかく、道具類は一体どこから仕入れているのか。女主人が手作りしているのだとしたら、どうやっているのか。特に武器の製造に関しては完全に理解の外にある。具体的にどんな方法で製造しているのかはもちろんだが、そもそもどうしてそんな技術が確立されているのか。複数のペルソナを操れる人間は湊以前にはいなかったのだから、過去には実験さえ不可能だったはずなのに。謎である。
だが湊はそうした謎を解明する必要は感じていない。武器や道具は役に立てばそれで良いのだ。由来や背景に興味はなくもないが、分からないなら分からないままで構わない。そもそもペルソナとは何であるのか、と言ったことに関しても湊はあまり深く考えていない。世の中には知る必要のないこともあるし、知っても意味のないこともある。
だが知る必要はなくても、眞宵堂は色々と役に立つ。『前回』作った神話で語られる武器、正確にはそれと同じ名前の武器も全て失ってしまっている為、作り直さねばならない。もちろん今すぐできることではないが、いずれ必要になる以上、顔見せは早めにしておくに越したことはない。そう思っていたので、リニューアル当日に挨拶に来たわけだ。
ちなみに眞宵堂はポロニアンモールの奥、黒沢巡査のいる交番からベルベットルームに通じる裏路地を挟んだ反対側にある。CDショップやカラオケ店など、まともな店もそれなりにあるこのモールで、謎の三つの施設は固まって配置されているところなど、何か奇妙な縁を感じてしまう。エリザベスに言わせれば、噴水同様の三位一体であろうか。
そうして店の前までやってくると、店の隣の裏路地が何やら騒がしいことに気が付いた。若い男の声が何種類か重なっており、その中には悲鳴も混じっている。裏路地を覗いてみると、その奥に意外な姿を見つけた。
(あれは……末光!?)
「エ、エマージェンシー!」
小太りの体と、英単語を口走る怪しい言動。遠目に見ただけでもそれと分かる、あからさまな特徴を備えた人物である。どうやっても間違えようがない。『前回』月のコミュニティを担ったグルメキング、末光望実だ。
裏路地の奥で、末光は柄の悪そうな二人の若い男に殴られて悲鳴を上げている。そしてその手前では、苦い顔の中年の男性が腕組みをして立っていた。見覚えのある出来事である。この男性は息子の教育費をカルトの入会金として末光に騙し取られ、度々返却を要求していたが話にならず、遂には実力行使に出たのである。
ちなみに末光が所属しているカルトは、後にストレガが立ち上げるニュクスの来訪を待ち望む集団とは全く別物である。どちらも終末思想を中心に据えているが、末光のそれは終末をダシに信者から金を巻き上げるだけの俗な団体である。
(けど何で今? 僕はまだ末光と話したこともないのに……)
取り敢えず助けに入ろうと眞宵堂の出入口前から離れると、交番の側から一人の男が現れた。夏の始めのこの時期にロングコートとニット帽を身に付けた厚着姿で、大股で裏路地へと入って行く。
「その辺にしておいたらどうだ?」
厚着の男、もちろん荒垣は、中年の男性にそう声をかけた。先日の溜まり場でもそうだったが、荒垣は揉め事や厄介事がある度に、どこからともなく現れる。そういう星の下に生まれているのかもしれない。
「チ、チミは! はがくれのフレンド!」
腫れあがった末光の顔に喜色が差した。どうやらこの二人には、ラーメン屋絡みの縁があるようだ。気が合いそうには見えないが。
「知り合いなのかね?」
「別に……それよりあんた、訳ありなんだろうが、近くに交番もあんだ。事件にならないうちに引き上げた方がいいぜ」
この言い方はなかなか上手い。裏路地の入口付近で様子を見ていた湊は、少し感心した。実際、すぐそこに交番があるこの場所は、例の溜まり場と違って暴行には相応しくない。まして未だ日の高いこの時間帯では、すぐにでも黒沢巡査が飛んできても不思議はない。
「ふん……末光君、もう金はいい。二度とうちの息子に近付くな」
そう言って男性は苦い顔を更に苦くして、踵を返して立ち去った。元々堅気の人なのだろう。そして明らかに堅気でない二人の男も、荒垣を一瞥して去って行った。裏路地の入口に立っていた湊には、三人とも目もくれなかった。
そして末光はと言えば、殴られて痛いのと助けられた感動とで、半泣きの顔をしていた。荒垣に抱き着かんばかりである。
「あ、ありがとう! チ、チミ! チミをグルメSPに任命する!」
「いらねえから、もう帰れ」
これは『前回』に湊が貰った称号なのだが、荒垣は歯牙にもかけない。いかにも面倒そうに、くしゃくしゃな顔をした末光を表通りへと促した。その姿は、じゃれつく犬や猫を追い払う様を連想させた。
そうして末光も去って行った。湊にはやはり何も言ってこないし、見ようともしない。未だ知り合ってもいないのだから当然の反応だ。そして湊も黙って見送った。声をかけたところで、荒垣に心酔してしまった今の末光の耳には届かないだろうから。
そして最後に荒垣が裏路地から出てきた。しかし表通りに出る直前でその足を止めた。
「どうも」
湊と目が合ったからだ。先の四人と違って、荒垣は無視しなかった。
「お前か……」
ごく僅かだが、荒垣は目を見開いている。裏路地に入る際には、湊がいることに気付いていなかったようである。観察力はなかなか鋭いものを持っている荒垣だが、この時ばかりは緊急事態に目が行ってしまい、その他の人間にまで注意が及ばなかったのかもしれない。
「さっきの人、うちの生徒ですよね。知り合いなんですか?」
荒垣は少しばつが悪そうに、視線を逸らした。人助けするところを見られて、恥ずかしいと思っているのかもしれない。
「知り合いってほどじゃねえ。ラーメン屋で何度か顔見たくらいだ」
「でも助けてあげたんですね」
「……あいつはおかしな奴だが、食い物に関しちゃ本物だ。裏メニューとか裏の裏とか考えて、店に作らせたりな。歯でも折られて飯が食えなくなったらって思うと、ちょっとな……」
歯切れの悪いセリフである。要約すると放っておけなかった、の一言しか残らない。人助けをするのにいちいち理由など必要としないのだろう。荒垣は強面ではあるものの、いい人であることは『前回』の付き合いから分かっている。ただし言い訳は必要とするようだが。
そんな荒垣の人柄については良いのだが、今の一件には問題が別にある。『今回』何度も襲われた事態の再現に、湊は内心で頭を抱えた。
(末光がもうリンチされたとなると、月はどうすれば……。いや、待てよ。この展開は……)
抱えた頭に急に閃くものがあった。順平と真田のパターンでは、ここで続きがあったはずである。あれに倣うのなら、このまま荒垣と別れてはいけない。少々無茶な振り方かもと思いつつ、荒垣自身のセリフを足掛かりにしてみた。
「ところで、はがくれの裏の裏メニューって何です?」
「あ? 食いたいのか?」
「はい!」
わざと元気のいい声を出してみた。不良を演じてはいるが実は世話焼きの善人には、こういう言い方が有効であろうと思って。自由に動かせる『愚者』の口は、本当に便利である。
「担担タンメンって奴だ」
「そんなのあるんですか? 見たことありませんけど」
『前回』に末光と食べたからもちろん知っているが、敢えてこう言ってみた。
「だから裏の裏ってんだ。はがくれ丼は割と有名だから誰にでも出すが、坦坦タンメンは常連にしか出さねえ。おい、何だ……」
今度は敢えて声には出さず、視線に期待を込めて見上げてみた。するとそれだけで、しっかり反応があった。
「先輩は常連なんですね?」
「……連れてけってか」
皆まで言わなくても分かってくれる辺り、荒垣は単に善良なだけでなく、物事の気配りができる人だ。特別課外活動部に在籍していた頃は、美鶴が指揮して真田が突っ走り、荒垣が後始末をするといった役割分担だったのだろう。少し想像しただけでも、バランスの良いチームの姿が目に浮かんでくる。
もし荒垣が当初からずっと在籍していれば、タルタロスの探索も自分が来る前から少しは進んでいただろう。残念なことだ、と湊は頭の片隅で思った。思いながら、口では全く別のことを喋った。
「金は出しますよ。先輩の分も」
「馬鹿言え。後輩に奢らせられるか。ついて来な」
変なのに捕まって面倒くさがるのと呆れるのと諦めと、様々な感情が混ざった表情を一瞬だけ荒垣は浮かべた。そしてそんな自分の顔を相手から隠すように、踵を返して大股で歩きだした。その荒垣の後を、湊は素直について行った。
ここに来た当初の目的である眞宵堂に顔を出すのは、また今度にすることにした。荒垣と違って、店は逃げない。
ポロニアンモールから巌戸台商店街まで二人でやって来た。その間に会話はまるで弾まなかった。湊は途中何度か話しかけてみたが、荒垣から返ってくるのはああとか別にとか、生返事ばかりだった。良く気の付く人ではあるが、話をするのは難しい相手だ。
コミュニティを築くには、これでは駄目だ。どうにかしてこちらに興味を持ってもらわなければならない。はがくれに向かう道すがら、湊は荒垣が食いつきそうな話を探した。
(真田や美鶴の話題を出しても駄目だろうな。興味ない、の一言で切られるのが落ちだ。天田の話題を出す……のはもっと駄目だ。不自然すぎる)
探してみたものの、なかなか見つからなかった。そうやって会話が盛り上がらないまま、二人はラーメン屋のはがくれに辿り着いた。珍しく空いていた店にはすぐ入ることができて、荒垣が担担タンメンを二つ注文した。
「ごちそうさまでした」
二人揃って、かなりの速さで食べ終わってしまった。この店のメニューは何でもうまいが、裏の裏は本当にうまい。塩味のスープに辛味の肉味噌の組み合わせが絶妙なのだ。末光に言わせると、『創造的破壊の概念』だそうである。どうして表メニューに出さないのか、不思議で仕方がないくらいのレベルである。うっかりすると、本来の目的を忘れて食べることだけに集中してしまいそうになる。
「もう帰れ」
湊は自他共に認める健啖家だ。だから食べている最中は目的を忘れてしまうこともある。しかし食べ終えれば思い出す。
「ええ。帰りますけど、一ついいですか?」
「何だ」
荒垣は面倒そうな視線を向けてきた。気の弱い男であれば、言いたいことがあっても飲み込んでしまいそうなくらい、荒垣が放つ雰囲気には他人を寄せ付けないものがある。だが湊にそんなものは通用しない。ごく一部の例外を除いて、『愚者』の鉄面皮は険も棘も跳ね返す。
「先月に真田先輩の病室でお会いした時、何か言いたげでしたよね?」
5月1日に真田が検査入院した時の出来事だ。『前回』も『今回』も荒垣と初めて会ったのはその時だったが、いずれも荒垣は病室を去り際に湊と目が合い、何かを言いかけてやめた。何かに気付くことがあったのか、『前回』から少々気になっていた。
「……」
沈黙が降りた。ただし先ほどまでの、単に会話がないだけの気まずい沈黙ではない。その証拠に、荒垣の視線から先ほどまでの面倒な気配が消え、代わりに探るような色が現れた。二人の間の空気そのものに重圧をかける類の沈黙である。
「忘れてましたか?」
だが湊はそんな空気には気付いていないかのように装って、重ねて聞いてみた。荒垣は他人に対するガードが固い。殻を打ち破るには、ある程度は無遠慮に踏み込んでいくのも必要だ。こういうタイプは向こうから接触してくるのを待っているだけでは、何も始まらない。そして踏み込んでみれば、意外と拒絶されないことは往々にしてある。殻の裏側で、実は他人が来るのを待っていたということもあるし、拒絶するだけの気力もないということもある。つまり話の脈絡とか段取りとかよりも、強引さが有効な場合があるのだ。
「お前、アキから聞いてるか? 俺が昔、何したか」
(何をしたか、ね……)
案の定と言うか、殻に隠れた本心を覗かせてきた。しかも解釈の仕方によっては、このセリフはかなり意味深である。表面上は特別課外活動部の一員だったことを知っているか、と聞いている。そしてその裏で、二年前の事故を知っているか、とも聞いている。
「聞いてはいません。でも昔は僕らと同じことをやってたんじゃないんですか?」
敢えて裏までは踏み込まず、表だけに留めた。月日が進めばまた別だが、今の時点では荒垣の核心にまで触れるのは時期尚早だ。
実際、『今回』の真田や美鶴の口からは二年前の事故の件はおろか、荒垣が特別課外活動部に属していたこともまだ聞いていない。聞いていると嘘を吐くことはできるが、後で真田に確認されたら面倒なことになる。特に事故の件は真田や美鶴の性格からすれば、余程のことがない限り他人に話しはしないだろうからなおさらである。
ちなみに部に属していたことをなぜ知っているのか、と聞かれたら病室で荒垣が言った、『遊びに付き合ってられるか』というセリフから察したのだと答えるつもりだった。
「……」
荒垣は再び黙り込んだ。その視線は探る色がますます強くなり、じっと湊の目を見つめる。湊も黙って受け止める。傍から見れば睨み合っているような数秒間の沈黙の後、荒垣が折れてきた。
「お前……何の為に戦ってる?」
「それは肯定の意味ですか?」
「聞いてるのは俺だ」
どうやら荒垣は自分のことを答えるつもりはないようだ。その代わりに『前回』の9月に復帰を決めた際に発した質問を、ここでしてきた。これはつまり、先月に真田の病室で言いかけてやめたことが、これだと言いたいのだろう。
湊は気持ちを一旦切り替え、質問の回答を考えた。『前回』はいきなりのことだったので、分からないと答えた。では『今回』の自分は、一体何の為に戦っているのか――
「大切な人を守る為……ですよ」
実際のところは、自分の為なのが本音だ。ニュクスと戦って生き延びる為、つまりは自分の為だ。戦いのみならず、コミュニティの活動さえそうだ。若干の例外はあるものの、基本的には利己的な理由でもって人付き合いをしている。だがそう答えては、荒垣の共感を得られまい。
「そうか。それが誰かは知らねえが、やるんならとことん守れ」
荒垣はいかにも荒垣らしい言葉と共に、目に込める力を緩めてきた。優しげな、と言ってもそれほど間違っていない、真摯な視線が身に沁みる。
そもそもペルソナの適性が高くない荒垣が、どうして特別課外活動部に参加したのか。はっきり聞いてはいないが、察するところ初めは真田の為、9月に復帰したのは天田の為だろう。つまり他人の為だ。荒垣は利己心が全くと言って良いほどない。自分とは大違いだ、と湊は大嘘吐きな己を珍しく心苦しく思った。すると――
『我は汝、汝は我……』
停止した時間の中で、既に慣れたあの声が響いた。『愚者』にしか聞こえないはずの声であるが、担い手との間に横たわる空間を揺らして、広く響き渡る感覚を与えてくる声である。そんな声が告げたコミュニティのアルカナは月だった。
(やっと来たか)
思った通り、担い手が末光から荒垣に移った。荒垣のペルソナとはアルカナが違うが、真田の例もあることだから、もはや気にしたら負けというものであろう。振り返ってみれば、『前回』もペルソナは戦車のアイギスと永劫のコミュニティを築いていた。もう何でもありだ。
(アルカナはこの際どうでもいい。重要なのは、今後の展開だ)
変わり者だが根は単純な末光よりも難しそうな相手だが、期待できるメリットも大きい。『前回』の荒垣は、死後でさえ特別課外活動部に大きな影響を与え続けていた。『今回』は生き延びさせるつもりなので、その存在感はより大きくなるはずだ。コミュニティで親しく接することができれば、一年間全体の中でも色々と有益であろう。
「それから、桐条や溜まり場に来た女どもだ。手が届くんなら、あいつらも守ってやれ。アキはその辺、頼りねえからな……」
「はい」
湊は短く答え、軽く頭を下げた。こんな誠実な人に嘘を吐いて、申し訳ないと思いながら。そしてそんな内心を決して悟られてはなるまいと、視線を外すつもりもあって頭を下げた。