分岐点(2009/7/20)
一学期の期末試験を終えてから二日が経った。『前回』同様、今日から三泊四日で屋久島旅行である。
ちなみに試験を終えたその日は、やはり『前回』同様に校門前で初等科の生徒、天田乾を幾月から紹介された。天田本人にはまだ知らせていないが、影時間の適性を得る見込みがあり、それを見極める為に夏休みの期間中に巌戸台分寮に仮入寮するとの話だった。
そしてゆかりと順平は既に天田と面識があり、真田は常になく動揺した様子を見せていたのも同じだった。
今にして思うと、真田は天田と何らかの因縁があるのだと、この時点で気付いておかなければいけなかったのだ。それなのに『前回』は何も気付かないまま10月の復讐の日を迎えてしまい、取り返しのつかない事態になってしまった。あれは『前回』の一年間に残していた種々の後悔のうち、最大のものの一つだった。
だが『今回』は違う。あの日の前に対処を済ませておき、荒垣の死は必ず回避するつもりでいる。そしてまた、これから屋久島で会う予定の桐条武治も同様である。武治は荒垣より事情がかなり入り組んでいるが、それでも死なせないつもりでいるのは変わらない。
湊が彼らの生存にこだわるのは、単純な善意もある。だがそれ以上に、この二度目の一年間に後悔の種を残さない為、という理由もある。悔いを残したままでは、死後にまた時間が戻ってしまうのでは、と思っているからだ。もっともその根拠は極めて薄弱なのだが。
飛行機とフェリーを乗り継いで、南の海に浮かぶ屋久島にやって来た。港には桐条家の迎えの車が待っており、特別課外活動部の面々は荷物と共にそれに乗り込んだ。ただ引率役の幾月だけは他に行く所があるとのことで、港で別れた。
そして車に揺られること数分で、桐条家の別邸に到着した。別邸はヨーロッパの古城風の重厚な佇まいで、何かのテレビ番組で紹介されそうな代物だった。慣れている美鶴を除く面々は、玄関口だけで呆気に取られていた。既に見ている湊さえ、少々驚かされる高級感である。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
玄関の向こうで一列に並んだ出迎えの使用人たちが、一斉にお辞儀をした。日頃から訓練しているのか、声も挙措も全員が完璧にシンクロしていた。
「今日から短い間だが、よろしく頼む」
当然と言うべきか、美鶴は堂々と振る舞っている。しかし他の面々は別邸そのものに続いての常識外の光景に、自失状態が延長されてしまった。
「メイドって実在してたんだな……」
再起動を果たした順平が一声漏らしたのは、大分間を空けてからのことだった。順平は『前回』フェリーで一人大騒ぎしては空回りしていたが、『今回』はなぜか大人しくしていた。しかしこれまで喫茶店でしか見たことがないであろうメイドの本物を目にしては、さすがにいつもの調子が戻ってきたようだ。
その時、奥から数名のSPを従えた紳士が現れた。ただし紳士と言っても普段の幾月のような温和なタイプではない。無言のままに周囲を圧する重量感、いわゆる威厳を放つ、黒光りした鋼鉄を連想させる人物だ。特に右目を覆う眼帯が、彼がひとかたならぬ過去を持っていることを示していた。
「お久しぶりです」
「……」
美鶴は挨拶するが、鋼鉄の紳士は一瞥しただけで無言のまま通り過ぎた。美鶴もそれ以上は言葉を重ねず、黙って見送った。
「あ、あの人ってもしかして……桐条先輩のお父さん?」
「だな」
風花の呟きに、湊は短く答えた。だが口の裏の頭では、考えを色々と巡らせていた。
(難しそうな人だよな……)
桐条家現当主で、桐条グループ総帥の桐条武治。特別課外活動部をシャドウ対策の組織上の末端とするなら、武治はピラミッドの頂点に立つ最高責任者だ。
『前回』のこの時の第一印象もそうだったが、難しい人物だと湊は感じた。桐条武治とまともに付き合おうとしたら、絆を教える『我』が間に立ってくれでもしない限り無理だと思う。だが残念ながら、タロットの大アルカナは既に過半数でコミュニティを構築済みである。『今回』は『前回』と担い手が異なるケースがいくつかあるが、残っているアルカナも既に予約が入っているに等しい状況だ。
(女三人のあれってことは、性別からしてあり得ない。正義と剛毅は多分天田とコロマルになる。審判は……前と同じだろう。あるとしたら太陽だが、神木とはもう顔を合わせてるし、多分ないな)
こうして指折り数えてみると、アルカナの数しかコミュニティを築けないというのは存外に不便なものである。トート版を含めるなら調整、欲望、技と三つも残っているが、それもないだろう。極めて特殊な永劫のケースが、他の人物でも起きるとは考えにくい。
もし武治とコミュニティを築けたら、今後の為に非常に有益だと思う。だがやはり無理であろう。同じ助けたい人でも、荒垣やストレガとは事情が異なるのだ。
「おし! 行こうぜ湊! 早速ビーチに突撃だ!」
そんなことを考えている間に、急にテンションが上がった順平が肩を組んできた。すぐには準備できないとぼやく女性陣を振り切って、メイドの案内で部屋へと向かって水着に着替えることになった。
幾月に言わせると体が灰になる夏の太陽が眩しいビーチに、男衆だけでやって来た。日本の本土とは明らかに密度が違う濃厚な緑を背後に置き、無数の細かい粒で点描された白が足元に配置されている。そして前面の手前側はエメラルドで装飾され、奥は無窮に続くマリンブルーが広がっている。同じ海でも人工的なポートアイランドのそれと違い、自然美がその本領を存分に発揮している光景だ。
「んー、このビーサンに足の指の付け根が食い込む感じ……。ようやく夏実感だぜ!」
「沖に目印になるような物はないな。泳ごうかと思ってたが」
順平と真田はそれぞれに、普段は目にしない自然に感じるものがあるようだ。しかし湊は自然と人工を差別しないようにしているので、巌戸台にある景色と比べて特別な感慨はない。
「だぜ、じゃねーっつの」
そうこうしているうちに、女性陣がやって来た。もちろん水着姿である。それを男衆は特に発言がないまま出迎えた。発言が起こったのは、三人が十分近付いて来てから。
「おい、お前ってどのタイプが一押しよ?」
順平が肘で脇腹をつつきながら、さりげなく難問を吹っかけてきた。正常な神経の男から見れば、いずれアヤメかカキツバタ。軽く一晩くらいは悩みそうである。だが湊は全く悩まない。
「どうでもいい」
この三人の中で誰が一番、などと言うことはできない。彼女たちは三人とも等価である。ついでに言うと、千尋と結子も同じように等価である。しかも博愛精神でもって彼女ら全員を平等に愛しているわけではない点が、よりたちが悪い。博愛でも酷い話だが、そうでないのは最低である。自覚はあるが、どうしようもないことである。人が己の意志で情欲を抑えきるのは至難の業だが、無理に掻き立てるのも同じくらい難しい。
「んだよ……海といえばビーチに水着にひと夏の思い出だろ? 自分で言ってたじゃんか」
ちょうど一週間前、ラウンジで放言した道化師のセリフだ。『前回』は順平が言っていたが、『今回』は訳あって湊が代行していた。
「あれはお前の真似をしただけさ」
「ひでえな! お前って俺をそんなナンパな奴だと思ってたのか?」
「お前は部で一番の男前だよ。お相手は頼む」
「そ、そうか? オッケー! 俺に任せとけ!」
『前回』の順平はこの時、セクハラ発言を連発して女性陣から煙たがられ、翌日に別行動を取られてしまっていた。しかし最近の順平は妙に大人になっている。実際、今日のフェリーでも一人で騒いだりしなかったし、未だ女性陣の水着を論じたりもしていない。だが湊としては、明日は彼女らと別れておかないと困るのでこう言ったのだ。
ただ部で一番かどうかはともかく、順平が男前であるというのは嘘ではない。それを自分で台無しにしてしまっているのが残念なだけで。
「いやあ、目の保養ですなあ。ゆかりッチのは、想像より強気なデザインですなあ!」
順平はここでようやく水着を熱く語り出した。だが褒められた(?)三人は三人ともに引き気味である。それを見届けてから、湊は一歩身を引いた。すると真田が話しかけてきた。
「有里、知ってるか? トライアスロンの選手も、プールより海で鍛えている選手の方が強いらしいぞ」
どこかで聞いたようなセリフである。順平もそうだが、真田も『前回』と微妙に言動が変化している。絆を教える『我』が真田の無意識に何かを刷り込んでいるのか、湊に熱い友情を感じているかのようだ。もっともそれ自体は構わない。コミュニティの担い手から好意を寄せられるのはいつものことだから、鬱陶しいと思うことはない。だがプロテインやトレーニングに付き合わされるのは少々迷惑である。
「いえ……そんなことより、先輩の水着。岳羽が目のやり場に困ってますよ」
言動と違って、水着の種類は『前回』から誰も変わっていない。真田のそれは目に毒なブーメランタイプである。
「ん? これはな、水の中での抵抗を少なくする為の……」
「なるほど。ではそう説明してあげてください」
そうやって真田を女性陣へと押し付けて、湊は密かにビーチを引き上げることにした。目印もない沖へと向けて、いつ終わるとも知れない遠泳に付き合わされては堪らない。ペルソナ能力はともかく、普段の体力では真田に敵わないのだから。
湊を除く皆が一通り海を楽しんだその日の夜、美鶴から集合がかけられた。場所は別邸の応接室である。屋敷全体と同じく古典的なヨーロッパ風の装いで、前世紀的な調度品が群れをなす豪勢な部屋だ。雰囲気としては寮の美鶴の部屋と似ているが、それを何倍も広くした感じである。ただそうした部屋の基調から外れた要素として、正面奥に大きなスクリーンがかけられている。
集められた皆はそれぞれソファーに腰を下ろし、何事かと訝しんでいる。ちなみに幾月は『前回』同様この場にいない。やがて奥の扉が開き、桐条武治がやって来た。そして特に前置きもなく、いきなり語り出した。
「美鶴から大体は聞いているな。全ては我々の……大人の罪だ。私の命一つで贖えるなら、とうにそうしていたところだが……今や君らを頼る他にない」
(我々の……ね。まあ誰の罪だろうと、責任は僕が取るしかないんだが)
続けて武治は、先代鴻悦がシャドウの力を利用して造り出そうとしたものとは『時を操る神器』である、と話を進めた。皆は驚いたり訝しんだりしながら耳を傾けているが、湊は契約者としての己を振り返っていたので、特に注意して聞きはしなかった。
やがて武治はリモコンを操作し、スクリーンに酷く粗い映像が流れだした。誰かが映っているようだが、顔はほとんど見えない。
『この記録が……心ある人の目に触れることを願います』
映像ほどには粗くない音声でもって始まる、十年前のビデオ記録が皆に開示された。顔の見えない語り手に曰く、忌まわしい実験によって未曽有の被害が残るであろうこと、しかし世界の破滅を回避する為にはやむを得ない。集めたシャドウは爆発によって飛散した。悪夢を終わらせる為には、それら全てを消し去るしかないと。今月11日に幾月が寮で語った、十二のシャドウを倒せば影時間とタルタロスが消えるとの話と一致する主張である。
『全て……僕の責任だ』
語り手が己の責任を口にした時、湊はスクリーンに目を向けた。
『全てを知っていたのに成功に目が眩み、結局はご当主に従う道を選んでしまった。全て……僕の責任だ』
セリフを言い終えた後の一瞬だけ、映像が鮮明になった。四十歳くらいの、少々気弱げな印象のある男性だった。そしてビデオは終わった。『前回』見たものと一言一句変わらない、全く同じ内容だった。
「お父さん……」
「お父様、これは……!?」
「彼は岳羽詠一朗……当時の主任研究員だ。実に有能な人物だった。その彼を見出して利用し、こんな事件まで追いやってしまったのは、我々グループだ。詠一朗は……桐条に取り殺されたも同然だ」
(取り殺された……まあ確かに。とても他人事とは思えないな……)
岳羽詠一朗の背景、行動、心情。今のビデオ記録と、『前回』の11月に聞いた本当の詠一朗の両方に思いを馳せながら、湊は不思議な共感を覚えた。死者に対しては仮面を付けられないが、それでも『愚者』の心に共感が湧き起こった。
そんな中、ゆかりが立ち上がった。信じていたものを一息に突き崩された、足場を失った人間の悲劇さを込めて。
「つまり……私のお父さんが、やったってこと? 影時間もタルタロスも、たくさんの人が犠牲になったのも……みんな、お父さんのせいってこと?」
湊は目を閉じて、ゆかりの苦悶を黙って耳に入れた。隠し事をしていたのもこれが理由だったのかと、自身を慮って父親の罪を隠していたのかと。いささかあらぬ方向性でもって美鶴を責める。
(美鶴は詠一朗のことを知らなかったはずだ。だが知っていても……やっぱり黙っていただろうな)
真実を明らかにすることが常に正しいとは限らない。知る必要のない、或いは知っても意味のない真実というものはある。『前回』得た知識をこれまで皆にほとんど明かしていない湊にとって、それは一つの信条と化している。その点で、心の準備をさせる間もなく『真実』をいきなり開示する武治のやり方は少々拙劣である、と湊は感じた。一切の欺瞞を許さないとでも言わんばかりの、武治なりの厳格さの表れであるのかもしれないが。
「かわいそうとか、やめてよ!」
ゆかりはそう叫んで、ドアを乱暴に開けて出て行った。
「行ってきます」
美鶴に頼まれる前に、湊は席を立った。
別邸を出てビーチまで行くと、やはり『前回』同様にゆかりはいた。三日月が中空で小さな光を放つ暗い夜の海を前にして、一人で佇んでいる。悲しいやら悔しいやらの感情が熱帯夜の気温をも下げるようで、失意の気配が目にも見える。
「岳羽」
「有里君……」
声をかけると、ゆかりは振り返ってきた。既に涙を零していたようで、目元が赤い。
「覚えてる? 前に病院で話したこと……」
4月19日に病院で語った身の上話だ。『今回』のその時は時間が戻ったことをまだ理解していなかったので、なぜ今さらこんなことを話すのだと訳が分からなかったが、話の内容そのものは覚えている。
「お父さんは主任だったから、世間から目の敵にされてさ……。でも私、ずっと信じてた。お父さんは悪くないはずだって……」
ゆかりは砂浜に目を落とし、言葉を連ねるごとに声も落ちて行った。『前回』のこの話の流れでは、信じていたことは無駄だった、と少々自暴自棄になるところである。だが湊は先手を打った。自棄を起こさせた上で慰めることも可能なのだが、敢えて流れを遮った。
「信じてやれよ」
「あんなのを見ても……まだ信じろって言うの?」
ゆかりは視線を上げた。話を遮られたのだが、その為にかえっていきなり核心に触れてきた。
「お父さんは責任感が強い人だったんじゃないか? 自分の責任じゃないことまで、背負ってしまったんじゃないかな」
十年分の重みを込めたゆかりとは対照的に、湊には重さがなかった。言葉だけは推測の形を取っているが、ある種の確信を持っていた為に無理に信じようとする重みが声に出なかった。もちろん『愚者』として重さを演じることもできるのだが、敢えてそうしなかった。ファルロスとイゴールに言われた言葉を思い出していたから。
自分の行動に、責任を取る――
ベルベットルームの客人が、等しく背負う宿命であるらしい。岳羽詠一朗はペルソナ使いではなかったはずだが、もしペルソナを得ていたら、あの部屋に招かれる資格をも得られたのではないだろうか。湊はそう思っていた。だがそんなことを知るはずのないゆかりは、目を剥いて怒鳴ってきた。
「勝手なこと、言わないでよ! 貴方、お父さんのことなんか何も知らないくせに!」
「……」
君の父親のことは、よく知っている――
そう言いたくなるのを抑えるのに、湊は意外なほどの労力を必要とした。岳羽詠一朗が背負った『責任』を思うと、身につまされるものを感じる。今見たあのビデオは幾月の手により改竄されているはずだが、全ては己の責任であるとのあのセリフは、実は詠一朗の本心を期せずして言い当てていたのではなかろうか。
彼は実験を強制的に中断することで、滅びの訪れを十年遅らせることに成功した。だが実験の主任として、彼は現在の事態に大きな責任を負っている。たとえ実験が本意でなかろうとも。もし誰かが彼に『貴方に責任はないのか』と問えば、全人生を懸けた決意を込めて、『ある』と答えたはずだから。
湊は詠一朗に会ったことはもちろんないのだが、彼の心情については契約者として確信があった。しかしそれをこの場で言うことはもちろんできない。今後に本物のビデオを発見しても、敢えて言う必要も感じないほどのごく個人的な思いだ。だから黙ってゆかりの目を見つめた。それが数秒間続いて――
「……ごめん」
ゆかりは目を逸らし、そして怒りを収めた。意外と早いものだった。
個人としてのコミュニティは、ゆかりとの間には未だない。しかし特別課外活動部の仲間たちには、4月以来の愚者のコミュニティがある。『我』が間に立つ絆は、普通の人間同士の付き合いよりずっと強い、道理に合わないほどの影響を相手に及ぼす。この場でもそれが効果を発揮したのかもしれない。
「ありがとう……なんか私、君には助けられてばっかりだね」
ゆかりは再び視線を上げてきた。その表情から怒りの色はすっかり消えている。しかし涙は未だ乾いておらず、無理をして微笑んでいる。湊もそれに応える形で微笑んだ。
「はは……私たち、何か変な感じね」
(全くだな)
ちょっと良い雰囲気が漂ってきた。それを感じた湊は指を眉間に当てる仕種を作り、微笑を隠した。このビーチでの会話は、『前回』のゆかりが自分を意識し始める決定打であったことだろう。『今回』は話の流れを少々変えたが、それがどう影響するか。ひょっとすると、より強く意識させる結果になったかもしれない。
ゆかりと特別な関係にならずにいる為には、良くない手だった。だが仕方あるまい。『前回』と全く同じことを言ったり、冷たく突き放したりするには、岳羽詠一朗には共感するところがあり過ぎる。屋久島行きが決まった際に、ひと夏の思い出がどうとか言って顰蹙を買ったことと相殺されてくれれば、ちょうど良いのだが。
「おーい!」
そうこうしているうちに、順平がやって来た。
「どうした?」
「ああ、もうすぐ影時間になるからさ。早いとこ戻って来いって」
「あ、そうか……。影時間って、場所とか関係ないんだよね」
「あのさ、ゆかりッチ。お前の気持ち分かるとか……んなこと、俺には言えねえ。でもな、桐条先輩のこと……あんまキツく言わねえでやってくんねえか。先輩も辛いんだ……。先輩の親父さんもな」
「うん……分かってる。ありがと……」
(おや……)
湊は少し驚いた。『前回』の順平は、影時間のことを失念していたゆかりをからかっていた。正確にはそうすることで元気付けようとしていた。それが『今回』はこの物言いだ。ゆかりと美鶴、それぞれの父親と自身のそれを比べて、思うところがあるのかもしれない。
『今回』は『前回』と勝手が異なる点がいくつかある。仲間同士の関係も、『前回』と全く同じようにはなっていない。順平と真田との間にコミュニティが築かれたことが主たる原因であろうが。そしてそれらは今のところ良い方向に向かっている。そんなふうに互いの間の空気が少々変わっている二人と共に、湊は別邸に向かって砂浜を歩いた。
「桐条先輩のお父さんは……十年前の当事者なんだよね。生きてる人も辛いんだよね……」
「……」
歩きながら、ゆかりはぼそりと呟いた。それと共に湊は頭を切り替えた。『父親』と言えば、岳羽詠一朗の他にもう一人重要な人物がいる。言うまでもなく、桐条武治だ。そして詠一朗と違って武治は生きている分だけ、どう向き合うかはより重要だ。
この屋久島旅行は一年間全体の流れの中で、大きな分岐点の一つだ。武治と話をする機会は、11月4日以前ではこの時だけだから。明日か明後日の時間を使って、武治に真実を話すことはできる。『前回』の武治の死には後悔を感じたし、美鶴のことを思えば死なせたくはない。当の本人に対してどのような印象を抱こうと、その点は変わらない。後悔とは理屈ではないのだ。
(だが、どこまで話すか……)
幾月に裏があることを武治に信じさせる方法は既に考えてある。だがどこまで真実を話せばいいか。それが問題だ。
十二のシャドウを倒せば、デスが復活してニュクスの来訪が宣告される。デス即ち綾時、即ちファルロスの意志とは関係なく。それを話すことはできる。だが話せば、デスを復活させずに事態を収拾することを武治は考えるだろう。残る六体のシャドウを倒さずにおくのは、4月にファルロスと話し合って確認した通り無理だ。そうなると残る方法はファルロスを殺すしかない。湊はそれを選ぶわけにはいかなかったが、武治ならどうするか。
(やるだろうな……)
己一人の命で贖えるなら、とのセリフに表れているように、武治は十年前の事故に過剰なほどの責任を感じている。なればこそ、事態の解決に手段は選ばないだろう。タルタロスを探索させる為に、百人もの孤児を集めてペルソナを植え付ける実験をしたくらいだ。ストレガを生み出したその実験を主導したのは幾月であろうが、目的と規模を考えれば武治が承知していなかったはずがない。それくらい非情になれる人物であれば、行動は自ずと読めてくる。
有里湊ごと、デスを殺す――
武治が全ての真実を知れば、十中八九その方法を選ぶだろう。もっとも湊を殺したところで、デスの復活を防げるとは限らない。いや、普通に殺しただけでは九分九厘防げない。不完全体のデスが死んだ湊から分離して現れるだけだ。綾時を殺せるのは湊だけだったように、今のデス即ちファルロスを殺すには、湊が自らのペルソナを使って自殺する以外に方法はないだろう。
だが単に湊を殺しさえすればいいと、武治が判断する可能性は高い。或いは自殺させる必要があることまで分析し、薬でも何でも使ってそうさせる可能性は、より高い。
(殺されないようにしつつ、利用する……。難しいな)
最も簡単なのは何も話さず、このまま成り行きに任せることだ。そうすると11月4日に幾月が本性を現す。『前回』はアイギスが幾月に操作された為に不覚を取ったが、あの事態を防ぐことは難しくない。何でもいいから理由をつけて、アイギスを自分の傍から離さないようにすればいいだけだ。
確実を期すなら、11月を待たずに幾月を殺してしまえばいい。何しろこの屋久島旅行が終われば、幾月を生かしておく意味はほとんどなくなるのだ。幾月に利用価値があるのは、早ければ明日まで。遅くても8月の天田の加入までだ。それ以降ならストレガに依頼の実行を指示すればいいし、自分でやることだってできないわけではない。
(よし、やっぱりそうしよう。桐条武治には何も話さないでおこう)
湊は決断した。実はここまでのことは、かなり早い時期からずっと考えていた。6月にストレガと接触したのも、11月4日より前に幾月を除く方法がないかと考えた上でのことだったのだ。ただ自分の手を汚すのもストレガにやらせるのも危険があるので、できれば桐条グループにやらせたいと思っていた。
だから決断を先延ばしにしていたが、今日に武治の人柄を確認して、ようやく踏ん切りがついた。あのように責任感が過剰な上に厳格が服を着て歩いているようなタイプは、下手に接近しては自分が危険になる。コミュニティを築けばまた別だが、築ける可能性は低い。
(これって完全に陰謀だな。僕も腹黒くなったもんだ……)
ゆかりと順平と並んで歩きながら、極めて小さな笑みを湊は浮かべた。