ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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永劫回帰(2009/7/20)

 別邸の敷地内まであと数歩のところまで来た時、不意に湊は何かを感じた。視線というか殺気というか、とにかく力の込められた目に見えないものを感じた。

 

 何気なく振り返ると、ビーチの向こうから誰かが猛烈なスピードで突進してくるのに気付いた。みるみるうちに近付いてくる。それにつれて、姿がはっきりしてきた。それは腰を屈めて姿勢を低くし、両腕は振らずに体の後ろへ向けて固定している。人と言うより、流線型の車両を連想させる。そんな独特すぎるフォームでありながら、凄い速さで走っている。

 

 (あれは……!)

 

 まだ顔は見えないが、走る姿勢だけでもう分かった。誰か分かって最初に心に浮かんだのは、幾ばくかの懐かしさと、大きな嬉しさだった。人には言えないから自分の心の中だけに収めておいたが、実は湊は誰よりもこの屋久島旅行を楽しみにしていたのだから。だがその一方で、困惑もあった。

 

 (な、何で今!? 会うのは明日だろ!)

 

 向かってくる人物と『前回』初めて会ったのは、正確には十年前の事故以降で初めて会ったのは明日の昼間だった。それなのに、どうして――

 

 しかしそれ以上のことを考える時間はなかった。夏の夜空を彩る流れ星は、瞬きする間に天を横断する。それと同じようなもので、物事を考えたり願い事を言ったりする暇を『彼女』は与えてくれない。人間とは一線を画す彼女の足は、それほどに速い。

 

 「湊さん!」

 

 流れ星は隕石だったと言うべきか、それとも猪突猛進と言うべきか。いずれにせよ、人間の体重では絶対に支えきれない勢いでもって彼女は激突してきた。ほぼ文字通り意味で戦車の突撃をもろに食らってしまった。湊は体ごと浮き上がり、そのまま砂浜に押し倒された。

 

 「ア、アイギス……」

 

 思わず声が漏れた。戸惑いはありつつも、会えて嬉しいことには違いない。しかもこの様子だと、彼女は恐らく――

 

 しかしそれよりも、今は緊急の問題があった。

 

 「アイギス! 離れてくれ……苦しい……」

 

 全身を装甲で覆った彼女は、見た目よりもずっと重い。下が砂地だからまだ助かっているが、全体重をかけられてはやはり苦しい。力の入れ加減によっては、人間の体など容易く押し潰せる。

 

 「あ、ごめんなさい!」

 

 彼女は急いで起き上がった。それと共に、二人の視線が出会った。一年か、十年か、或いは永劫の時と言うべきか。遥かな時間によって隔てられていた二人の視線が再び出会った。

 

 彼女の顔は雪のように白く、髪は自然の月光から紡ぎあげた金髪だ。服は空色のワンピースで、西洋人風の容貌に良く似合っている。そこまでは『前回』の明日と同じだったが、明らかに違う点が二つあった。

 

 一つは瞳だ。色は鮮やかな青色で、澄んだ蒼穹のように透き通っている。その透明感自体でもって、押し倒された男の視線を真っ直ぐ捕えて離さない。もう一つは表情だ。役者が演技するのでも、コンピュータのプログラムで制御された顔の形でもない。何か楽しいことを見つけた人間が普通に喜んでいる笑顔ですらない。それは母親が産まれたばかりの赤子を見て笑うように、言葉の及ばない無意識の底から湧き出た笑顔だった。周囲を覆う夜の闇を弾き飛ばさんばかりに光り輝いている。

 

 機械でありながら人間の心を持った乙女、アイギスだ。しかし再会を懐かしむ間もなく、急に現実に引き戻された。

 

 「その子……誰?」

 

 「お、お前……いつの間にそんなカワイイ子をナンパしたんだ!? アイギスって……外人さん?」

 

 彼女の姿を目にした途端に永劫の彼方へ吹っ飛ばされるようにして忘れていたが、この場にいるのは自分たち二人だけではないのだ。ゆかりは声音を落とし、地面に転がった二人組を怖い目をして睨んでいる。順平はと言えば、男前の顔がどこかに行ってしまっている。場の雰囲気が一気にぶち壊しになった。そして――

 

 「仲良きことは美しきかな……と言いたいところだが、どうしたんだね」

 

 ビーチの方面から突然降って湧いた『愚者』の声に、湊は戦慄した。いや、これは愚者と言うより、それと同一人物とされる死神の声のように聞こえた。真っ黒な腹に溜め込んだありとあらゆる陰謀が収縮して、目から口から一斉に嘔吐が噴出せんばかりの、深刻な打撃を胃の辺りに受けた。普段は強固な仮面さえ、急激な亀裂が走って青ざめていく。

 

 (し、しまった!)

 

 タルタロスには『刈り取る者』と呼ばれる、死神のアルカナに属する強大極まるシャドウが潜んでいる。だが出現するまでには相当な時間的余裕があり、しかも出現する際は風花が感知可能な予兆がある為、大抵は出てくる前にフロアを突破するかエントランスへの脱出が可能である。しかしごく稀に、何の予兆もなく唐突に出現する時がある。そうなってしまったら一目散に逃げ出す以外にない。だがここはタルタロスではないので、逃げ道はない。

 

 さすがの陰謀家も、予想外のアイギスの登場に動揺してしまった。本人が名乗る前に、彼女の名を口にしてしまった。それをゆかりと順平に聞かれた。そして最悪のタイミングで幾月が現れた。不覚だ。一生ものの。

 

 「あ、理事長。今までどちらに?」

 

 「ああ、島にある研究所にちょっと顔出してたんだけど……。車両がいきなり走り出すトラブルがあってね。探しにここまで来ちゃった。勝手に飛び出したら駄目だろ、アイギス?」

 

 呼ばれたアイギスは立ち上がった。続けて湊も立ち上がるが、アイギスが幾月との間を遮るようにして立っている。ただ彼女は元々湊より背がやや低く、また戦いの構えのように腰を落としている為、幾月の視線から湊の顔は隠されていない。

 

 「この子を知ってるんですか?」

 

 「ああ、彼女はね……」

 

 ゆかりの問いかけに応じて説明を始めようとした幾月の視線が一瞬だけ鋭くなり、横目をアイギスの肩越しに湊に向けてきた。それは危険な目だった。隠し事を見破った取調官の目だ。コミュニティで磨いた観察力が警鐘を鳴らした。

 

 バレた――

 

 幾月は言いかけたセリフを止め、視線を横目から湊の正面へと向けた。いつもの紳士然とした男の目に戻っていたが、それがかえって警鐘をより強く鳴らす。

 

 バレた。どこまでかは分からないが、何かは確実にバレた。

 

 「有里君、彼女を知っているのかい?」

 

 ここでストレートに聞いてくるか。だが持って回った言い方よりも、より返答に困る。どうする――

 

 光の速さで頭が回転し、この場を切り抜ける方法を次々とひねり出した。知らないととぼける? 名前を呼んだことはどう言い訳する? 聞き間違いだと言い張る? つまづいた振りでもして幾月を殴って黙らせる? それともいっそ、ここで全てを暴露する?

 

 どれも論外だ。ろくな選択肢が浮かんでこない。動揺からまだ立ち直れていない。懊悩に満ちたとても長い一瞬の後、意外なところから助け舟が来た。

 

 「湊! お前、金髪の女の子をナンパしたのか!」

 

 順平が胸倉を掴んできた。目が少し血走っている。

 

 「そ、それは……」

 

 「とぼけんな! お前、昼間ビーチから一人でさっさと帰ったろ! あん時だな!? 水着なんか興味ねえって、クールなツラしてたくせに! 実はナンパしてたんだな!」

 

 「あ、ああ! そうだよ!」

 

 「ずるいぞ……自分だけひと夏の思い出作りやがって……」

 

 順平は手を離し、がっくりと肩を落とした。だが彼女を知っていることを、何とかごまかせたかもしれない。自分では絶対に思いつかない言い訳だ。順平の空気詠み人知らずに感謝すべきかと思った。その代わり、季節が逆転したかのような視線をゆかりから浴びせられているが。

 

 「ふーん……そうなんだ」

 

 「おやおや、有里君がナンパねえ……」

 

 幾月は肩をすくめて納得した様子を見せている。だがこれは芝居だ。プロの俳優以上の演技力を誇る幾月だが、芝居だと湊には分かる。順平の助け舟は、この場限りでしか通用しない。ゆかりの印象を悪くしただけだ。

 

 「彼女はね、シャドウ掃討を目的に作られた兵器なんだ」

 

 「……はい?」

 

 ようやく幾月が説明を開始したが、ゆかりと順平は意味を理解できずに目を丸くした。湊は無論のこと、アイギスもその間は何も喋らなかった。湊が彼女の手を三人には見えない位置から握って、何か言おうとするのを制していたから。

 

 

 全員揃って別邸に帰ると、幾月は応接室にまだ留まっていた美鶴、真田、風花の三人にアイギスを簡単に紹介した。三人ともやはり目を丸くしていたが、間もなく影時間が来るので詳しい説明はまた明日、として解散となった。ちなみに桐条武治は既に引き上げたか、応接室にはいなかった。

 

 あてがわれた個室に湊が入ると、ほどなくして0時を迎えた。地球上のどこでも等しく訪れる影時間は屋敷の人間の大半を象徴化させ、全ての電気の光も消失させた。緑の空気を怪しく照らす月光だけが頼りの闇の中で、ドアをノックする音があった。

 

 誰何することなくドアを開けると、彼女がいた。

 

 「ああ……」

 

 開けるや否や、アイギスは再び抱きついてきた。走る勢いはつけられていなかったので、今度は倒れずに受け止めることができた。

 

 「湊さん、会いたかったです」

 

 「前のことを覚えているんだな?」

 

 「はい、覚えています。貴方の顔も、声も、手の温もりも……全て覚えています」

 

 「そうか……」

 

 湊はアイギスの肩に手を置いて体を離させ、彼女の青い瞳を真っ直ぐ見つめた。『前回』のこの頃は、同じ色ではあるもののどこか焦点がおかしい不自然な瞳だった。だが今の彼女は人間以上に人間らしい。彼女は記憶だけでなく心の全てを保ったまま、今この時間に戻ってきている。

 

 「どうやって戻ってきたんだ? まさかあの時、君も一緒に……?」

 

 彼女の膝の上で目を閉じた、『前回』の最期の瞬間を思い返した。自分はあの時に死んだはずである。もしかすると、彼女はそれと同時に後追い自殺でもしたのではあるまいか。そんな心配をしたが、彼女は首を横に振った。

 

 「いいえ。あの時、私は確かに貴方の最期を看取りました。心臓が停止して、体温が徐々に下がっていって……皆さんが屋上に駆けつけてきた時には、もう貴方の体は冷たくなっていました」

 

 「……」

 

 「皆さん、大変な嘆きようでした」

 

 「……皆、ちゃんと思い出したのか」

 

 ニュクスを倒したら、影時間とタルタロスと共に自分たちの記憶も失われるかもしれないという危惧があった。だから決戦に挑む前に、皆で約束をしたのだった。卒業式の日、3月5日にまた会おうと。その約束を果たせないまま、自分は死んでしまった。だが他の皆は果たしたわけだ。

 

 「ええ。その後は皆さん、また普通の高校生活に戻られました。美鶴さんと真田さんは卒業なさいましたが、3月の間は寮におられました。そして3月31日、寮で最後の夜を過ごしたのですが……」

 

 「が……何だ」

 

 「4月1日は来ませんでした」

 

 「は?」

 

 「何が起こったのかは分かりません……。ですが31日の24時で、私の記憶は途切れています。気付いたのは今日……この島の研究所で目を覚ましたのです」

 

 「?……」

 

 なかなか理解しにくい話である。自分が死んでから一ヶ月近くも過ぎてから、思い出したように時間が戻ったとでも言うのだろうか。だがそれとは別に、もう一つ疑問があったのでそちらを先に確かめることにした。

 

 「他の皆は誰も前のことを覚えていないが、どうして君は覚えているんだ?」

 

 「これは私の推測ですが……パピヨンハートの影響だと思います」

 

 アイギスはワンピースから覗く白い首に手を当てた。パピヨンハートとは、彼女が自分の精神中枢であると言っていたものである。『前回』の1月、彼女の部屋に招かれた湊は、普段の武装時にはリボンを締めている彼女の首の中にある、それに手を触れたのだった。

 

 「どういうことだ?」

 

 「黄昏の羽根というものをご存知ですか?」

 

 「いや、知らないが」

 

 「私も詳しいことは知らないのですが、物質と情報の中間の存在であり、影時間にも干渉することが可能なのです。皆さんの召喚器や影時間に稼働する機械にも、全てこれが仕込まれています。パピヨンハートはそれが二枚重なった形状の特殊なもので、私に自我とペルソナを与えたのもこれの力です」

 

 「それがどう関係するんだ?」

 

 「美鶴さんの祖父である桐条鴻悦さんが、シャドウを研究させた目的をご存知ですか?」

 

 「世界の破滅だろう」

 

 「いえ……そちらではなく、時を操る神器を作ろうとしていた、と聞いたことはありませんか?」

 

 聞いたことはある。と言うか、ついさっき改めて聞いたばかりだ。桐条鴻悦の目的――

 

 桐条武治が今日語ったところによると、鴻悦の当初の目的は時間を操ることだった。しかしどうやってそんなことを実現しようとしていたのかは、さっぱり分からない。破滅の招来のカモフラージュか、もしくはただの妄想の類かと思っていたので、今まで気にしたことはなかった。だから今日の話でそれが語られた時も、適当に聞き流していた。

 

 だがもしも時間に干渉可能なものが、現実に存在するとしたらどうか。更に言えば、シャドウの能力には時間や空間に影響を与える種類のものもあるとの話もある。それら全てが真実であるとすれば、時間を操るとは絵空事ではないのかもしれない。

 

 「つまり……その黄昏の羽根は、時間に干渉することができる」

 

 「その通りです。だから時間が戻っても、私だけは記憶を保てたのだと思います」

 

 「待ってくれ。それなら僕が記憶を保っているのはなぜだ? それに、時間が戻ったことそれ自体の原因は?」

 

 「それは……どちらも分かりません」

 

 「……」

 

 湊は考え出した。4月に再開した直後は、『前回』の自分は荒垣の死などに後悔を感じていて、或いは無意識的にでも生に未練を残していて、その思いがユニバースと合わさり、過去に戻ってきてしまったのかと思った。荒唐無稽ではあるが、それくらいしか思い当たる節がなかったのだ。だがアイギスの話を総合すると、何やら時間が戻った原因は別にあるのではと思えてきた。

 

 自分が死んでから、彼女が最後に記憶している日まで一ヶ月近くも間が空いている。そんなに遅れてユニバースが発動するなどあり得るのか、という疑問が湧いてくる。もっともイゴールによれば、ユニバースとは何事も奇跡でなくす力だという。現実感の皆無な誇大妄想的な表現だが、あのイゴールがそこまで言うほどのものであれば、一ヶ月も一瞬も大差がないのかもしれない。

 

 「何にしても……良かった。君が覚えていてくれて」

 

 湊は思考を打ち切った。どうして時間が戻ったのか、考えてもすぐに分かることではなかろう。それより今は、彼女が覚えていてくれたことを喜びたい。仮面を自在に操る『愚者』といえども、打算や陰謀でない自然な感情を心に持ってはいるのだ。持っているはずである。きっと。

 

 「私も嬉しいです。もう二度と貴方に会えないと思っていたのに……こんな、こんな奇跡が……」

 

 奇跡――

 

 4月に病院のベッドで目を覚ました時は、ふざけるなと叫んでしまった。だがこうしてみると悪くない。時間が戻ったのは、実は良いことだったのかもしれない。再開以来、初めてそう思った。

 

 「結局……私は貴方を守ることはできませんでした。ただ、最期を看取っただけで」

 

 アイギスは手を取ってきた。金属でできた彼女の手は硬い。だが温かい。機械が駆動して発する熱の為ではあるが、それでも人間の手のように温かい。

 

 「こんな……役に立たない私ですが、一緒に行かせてもらっていいですか?」

 

 「前も言った言葉を、もう一度言うよ」

 

 むしろ来てほしい――

 

 湊はアイギスを抱き寄せ、耳元でそう囁いた。ワンピースの下にある機械の体の硬い感触と共に、頭の中に響く声があった。

 

 『我は汝、汝は我……。汝、遂に真実の絆を得たり。ここに永劫の力はその最奥を開かれたり……』

 

 アイギスとの間にコミュニティが築かれ、そして同時に極まった。4月の死神の時と同じである。さすがに絆を教える『我』はよく分かっている。ファルロスもそうだが、アイギスとは既にこれ以上ないほど分かり合えている。

 

 永劫のアルカナ――

 

 正統的なタロットの二十二枚の大アルカナの中にはない、極めて特殊なカードである。だが永遠に存在しうるアイギスには、最も相応しいものであろう。

 

 (けどまあ……野暮な『我』だ)

 

 とは言うものの、この辺りがいい区切り時かもしれない。心のままに喜ぶのもたまには良いが、いつまでも感傷に浸っている暇はない。考えなければならないことがある。アイギスの背に両腕を回したまま、大急ぎで頭を働かせた。

 

 (問題は幾月だ)

 

 先ほどのビーチでの鉢合わせ事件である。考えられる限りで最悪のタイミングで幾月が現れ、アイギスを知っていることが発覚してしまった。偶然と言うには、余りに酷すぎる結果である。どうしてこんなことになるのだろうか。運命の神はそんなに自分が嫌いなのだろうか。恨み言の一つも言いたくなってくるが――

 

 (いや……むしろ道理か)

 

 少し冷静になって考え直してみると、運命に文句を言うところではない。あの時に幾月がやって来たのは、偶然でも何でもない。そもそもこの屋久島旅行は、幾月の発案によるものだ。それも予定のない日に寮を突然訪れ、渋る美鶴をかなり強引に承服させた。もちろん単なる休暇のつもりではなく。

 

 この旅行は自分たち、特に父親の関係があるゆかりを桐条武治に会わせる為かと、『前回』の今頃は思った。だが本当は違う。幾月の狙いは湊だ。湊を屋久島に連れてきて、アイギスの起動を促すことが目的だったはずだ。そしてその先の本当の目的は、満月のシャドウを全て倒した後で特別課外活動部と武治を始末する道具として、彼女を利用することだ。

 

 要するに、湊とアイギスの出会いは幾月にとって自分の計画の急所に関わる重大事であったはずだ。なればこそ、その模様を己の目で確認しておこうとするのは当然だ。『前回』ビーチで出会った時に幾月はあの場にいなかったが、あれはアイギスが湊即ちデスを封印した人間を勝手に探し始めて島中を走り回り、いつしか幾月を振り切ってしまったのだろう。

 

 更に言うと、『前回』アイギスと会ったのは21日だったが、20日のうちから視線を感じることはあった。その時姿を現さなかったのは、察するに湊の認識に手間取ったのだろう。ビーチで話しかけた時もすぐにはそれと気付かず、一旦森へと走り去ったくらいなのだから。

 

 だが『今回』のアイギスは『前回』の記憶を保持している。従って桐条別邸に目的の人物がいることを初めから知っている。起動してから一直線にこちらへ向かい、幾月はそれを追ってきた。それが今日の鉢合わせの真相だ。

 

 よって運命を責める筋合いはない。起こるべくして起きたことだ。つまり予想可能な範囲内の出来事だ。アイギスが記憶を保っていることまでは無理でも、出会いの現場を幾月に監視されることくらいはあらかじめ予想して然るべきだ。それをせず、状況を悪くしたのは自己責任というものである。

 

 (今さら言っても遅い。これからどうするかだ……)

 

 有里湊がアイギスを知っている――

 

 この事実を知った幾月はどう判断するか。幾月は湊の中にデスがいることを、確実に知っている。だからこそ湊を月光館学園に転入させたのだ。それでなくとも、4月の満月でのタナトスの暴走を見れば、必ずそれと気付く。だが湊本人はデスの存在を知らない。と言うか、知らないと幾月は思っていたはずだ。昨日までは。

 

 だがアイギスを知っているならば、デスが自らの中に封印されたことも知っていると、幾月が判断することは可能だ。そして今までデスについて一切言及しなかった己の裏を、湊が察知すると判断することも可能だ。いや、裏までは察知しなくとも、湊の口からデスの存在を皆に伝えられるだけでも幾月の計画は大きく狂いかねない。そう判断したならば、どう行動するか。

 

 (僕を殺すか……?)

 

 幾月の目的はデスの復活と、自らが『皇子』なるものになることだ。後者はただの妄想だとしても、前者を達成する為には十二のシャドウを倒してデスに取り込ませる必要がある。そしてデスに取り込ませるには、湊が生きている必要はない。ファルロスが生きていさえいれば良いのだ。

 

 (だが今僕を殺せば、ファルロスが表に出るだけだ。そうなったら、幾月はファルロスに殺される。だが幾月は僕とファルロスの間にある絆を知らないし、ニュクスの来訪の意味を理解していない可能性もある。それどころか、デスは何とでも操れると妄想する可能性だってある……)

 

 七人の生贄を捧げれば皇子になれるとか新世界の王になれるとか、理解に苦しむ話を得々と喋っていたくらいだ。同じ『愚者』の宿命を持つ者として油断のならない相手だが、その野望だけはまともに取り合えない。無数の仮面の奥の本当の本性たる一点だけは、やはりただの狂人としか思えないのだ。合理性と不合理性が同居する辺り、まさしく『愚者』である。

 

 そんな幾月がデスを制御できると妄想すれば、或いは湊がデスの封印を根拠に己の裏に気付いたと判断すれば、湊を殺そうとするだろう。判断しなければ、残る満月のシャドウを倒す手駒として湊を生かすだろう。

 

 どちらもあり得るが、楽観は許されない。湊は非常に危険な状況に置かれてしまった。ペルソナ使いは超人ではないのだ。銃で撃たれても、毒を盛られても死ぬことができる。幾月がその気になれば、高校生一人を抹殺するくらい大して難しくはない。

 

 (どうする……先手を打って、すぐにでも幾月を殺すか? いや、犯罪は素人の僕が証拠を残さず殺すのは難しい。幾月が何も気付いてなければまた別だが、今の状況じゃな……。バレたら警察に捕まる……前に、桐条グループに報復される。今のままやれば、美鶴や真田だって僕を許さないだろう。ストレガに依頼するにも、あいつらと連絡を取るのは簡単じゃない。間に合うかどうか微妙だ)

 

 これはペルソナ使いの戦いではない。人間同士の、しかも大人の戦いだ。いくら悪巧みが得意でも所詮は子供の湊が、大人に一人で対抗するには限度がある。どうしても大人の味方が必要だ。

 

 (……やむを得ないな)

 

 事ここに至って、湊は自分の決断を覆す決断をした。ずっと抱き締めたままだったアイギスの体を離し、再びその瞳を真っ直ぐ見つめた。

 

 「アイギス、大事な話がある。よく聞いてくれ……」

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