ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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ピグマリオンとガラテア(2009/7/23、7/24)

 7月23日、屋久島から巌戸台へ帰る日の朝、美鶴は一人で父の書斎へと向かった。歩きながら、この小旅行で起きた様々なことに思いを巡らせた。

 

 13日に理事長から提案された時には気が進まなかったが、今となっては来て良かったと思う。これまで知らなかった真実を知ることができた。もちろん岳羽にとっては辛い真実であったが、知らないままでいるより良かったはずだと信じたい。

 

 11日の集まりで岳羽から十年前の事故の件を追及されて以来、特別課外活動部にはずっと重い雰囲気が残ったままだった。最悪の場合、部の分裂まで覚悟していたが、何とかやっていけそうだと思った。昨日にビーチで皆と遊んだ時には、もう互いの間にわだかまりを感じることはなかったから。

 

 あのビデオを見る直前、人を信じてみろ、と父から言われた。『調和した二つは、完全なる一つに優る』という桐条の家訓と共に。その意味を、よくよく噛み締めて自分は行動せねばなるまい。

 

 そしてまた、新たな戦力が手に入ったこともこの旅行の大きな意味だ。機械がペルソナを操れるとは信じがたいが、そういうものなのかもしれない。何しろ『彼女』は話しているだけだと、人間にしか見えないのだから。

 

 そんなことを思いながら、父の書斎に入った。別れの挨拶の為である。

 

 「短い間でしたが、お世話になりました。これから皆と帰ります」

 

 「うむ」

 

 いつものことだが、父は言葉数が少ない。だが今はこれでもいい。残る六体の大物を倒し、シャドウを殲滅すればこの人を救える。お前の罪ではない、とこの人はいつも言っているが、自分に言わせればこの人こそ罪がないのだから。

 

 改めて頭を下げて、書斎を辞そうとドアに手をかけた。すると――

 

 「待て」

 

 「はい、何でしょうか」

 

 「うむ……有里湊のことを聞かせてほしい」

 

 妙なことを、と思った。彼に限らず、部のメンバーについては既に全員分を報告済みである。

 

 「……彼のペルソナ能力は別格です。シャドウ討伐の為、極めて優秀な戦力です」

 

 実際、次々とペルソナを付け替える能力を初めて見た時は、驚嘆させられたものだった。だが父は意外なことを言い出した。

 

 「そんなことは既に報告を受けている。私が聞いているのは、彼が信用に値するかということだ。学園や寮での生活態度でも、普段の言動でもいい。これまで身近に接した上での、お前の判断を聞きたい。報告書の形でまとめておけ」

 

 「は、はい……」

 

 半ば反射的に了承の返答をしてしまった。だが父の意図を図りかねた。

 

 メンバーの人柄など今まで聞かれたことはない。だが確かに彼はペルソナ能力以外でも非凡な人間である。判断力や統率力にも優れ、リーダーとして不可欠な人材だ。過酷極まる実戦の現場において、彼の的確な指揮で何度危機を乗り越えたか、もはや数えることもできない。満月の周期に最初に気付いたのも彼だし、他にも定期試験で学年トップを取ったり、生徒会の活動にも協力してくれたり。なるほど考えてみれば、父が興味を持ってもおかしくないほどの驚くべき人物である。

 

 また、他のメンバーへ与える影響においても見逃せない点がある。例えば明彦や伊織は寮以外でも彼と親しく接しているようだが、そのせいなのか二人は当初と比べて随分頼もしくなってきている。二日前に父親のことを知って激しく動揺した岳羽にも、どんな言葉をかけてやったのか、上手く立ち直らせてやってくれていた。では自分は?

 

 (そう言えば、6月の満月の時……)

 

 あの日、自分は彼と二人だけで大型シャドウ二体と戦った。ある程度はいけたが、いよいよ駄目かとギリギリまで追い詰められた。あの日以前から、シャドウとの戦いで最初に死ぬのは自分であるべきと思っていた。だから彼を庇ったつもりなのだが、逆に庇われてしまった。結果的には明彦と伊織が現れて勝ちを拾えたが、もしあと僅かでも遅れていたら、彼は――

 

 「……」

 

 心の中に奇妙な感覚が湧き上がった。だがそれが何であるのかは、よく分からなかった。

 

 

 

 

 夜になって、全員揃って巌戸台分寮に帰りついた。ただし幾月は自宅に帰った為におらず、代わってアイギスが一緒である。寮に到着してから、アイギスの部屋割りについて話があった。明日以降に三階の空き部屋を用意するので、取り敢えず今晩は作戦室にいてもらうことになった。

 

 「畏まりました」

 

 寮の階段を上るアイギスを見送ってから、ラウンジのソファーに腰を下ろして一息ついた二年生組がめいめい語り出した。湊はそこから数歩離れた位置で、密かに耳を傾けた。

 

 「話してるとロボっての忘れるっつーか……実は理事長のギャグで、人間がコスプレしてるだけなんじゃねえの?」

 

 「何か私もそんな気がしてきた。もし話し方や考え方に不自然なところがあったら、やっぱり機械なんだって思うかもしれないけど……」

 

 珍しく順平とゆかりの意見が一致した。続けて風花が言う。

 

 「ちょっと変わってるところはありますけど、機械とは思えませんよね……」

 

 「変わってるとこって?」

 

 「……」

 

 「ああ、あれね。歌のセンス! 音程外しっぱなしの理事長のカラオケ! あれをベタ褒めたあ、常識のある人間の耳じゃねえな!」

 

 「あんたの歌も相当だけどね……」

 

 皆の論評を一通り耳に入れてから、湊は自分の荷物を持って二階の自室に向かっていった。

 

 やはりと言うか、初めから人間らしさを身に付けているアイギスに対する皆の印象は、『前回』の今頃と大きく変わっている。コスプレ疑惑は彼女が戦う姿を一度でも見れば払拭されるはずだが、普段の言動から与えられる印象は、今語られたような人間のそれに非常に近いものになるだろう。彼女の加入が部内の人間関係にどう影響するか、注意しておかねばなるまい、と思った。

 

 

 床についてしばらく過ぎた夜中、誰かの気配を感じて湊は目を覚ました。だが慣れた少年の気配ではない。それに空気は緑色になっていない。時刻はまだ0時前だ。これは――

 

 「アイギス?」

 

 「はい。私であります」

 

 機械の乙女――

 

 ラウンジで噂になっていた当の人物の声で、機械であることを印象付ける人工的な口調の答えが返ってきた。『前回』はチドリの遺品のスケッチブックを見た頃から、あまり聞くことのなくなった口調だ。その微妙な違和感を含んだ懐かしさが、『前回』の記憶を呼び起こした。

 

 「あのな……」

 

 ドアの鍵をピッキングして侵入。これは『前回』のちょうどこの頃にもやっていた。ただしあの時は朝に起こしに来たのであって、夜中から侵入していたわけではなかったはずだ。多分。

 

 「済みません。ですが私の侵入は、もはやお約束と言うものです」

 

 一体何の約束なのか。突っ込むのも馬鹿らしくなり、湊はベッドから身を起こした。見ればアイギスはワンピースを着ておらず、白い装甲を剥き出した普段及び戦闘時の姿だった。

 

 「あ、起きないでいただいて結構です。そのままお休みになってください」

 

 「……この状況でどうやって寝ろと言うんだ」

 

 七夕の夜を思い出してしまう。あの時見た幻と違ってアイギスの体は機械だが、連想させるには十分だ。だがあの『今回』屈指の大失敗は、当たり前だが彼女に伝えてはいない。だから彼女は意味を理解できないと言うように、首を傾げた。そんな微妙な仕種と共に、青い瞳が一瞬別の色の光を放った。比喩ではなく、文字通りの意味で光った。

 

 「体温と心拍数の上昇が認められますね。風邪でしょうか?」

 

 光ったのは何かのセンサーのようである。

 

 「違う! だから……君がそこに立っているのに、そのまま寝られるほど僕は無神経じゃないんだ」

 

 「私が立っているのがいけないのでしょうか。では失礼します」

 

 彼女は何気なくベッドの脇まで歩み寄ってきて、こちらの胸に左手を当ててきた。そして強引に寝かされた。言い方を変えると、押し倒された。しかもそれから一瞬の間も置かず、布団の中に潜り込んできた。何の迷いもない自然かつ非常に素早い動きで、止める機会を逸してしまった。

 

 「おい……!」

 

 起き上がろうとしたが、胸に置かれたままのアイギスの腕には鉄柱のような重さを感じる力が込められていた。もちろんこちらの体を圧迫するものではない。ただ胸にそっと触れる形で固定され、起き上がる動作を防ぐ形になっている。これではほとんど身動きできない。ペルソナ能力はともかく、普段の腕力ではアイギスに敵う人間などこの世にいないのだから。

 

 「お休みになってください」

 

 アイギスの声色は普段通りである。だが何かがおかしい。極めておかしい。傍から見れば、夜這いされているかのようである。彼女の手のすぐ下にある心臓が早鐘のように打ち出した。その音が自分でも聞こえるくらいである。

 

 (何だ……何なんだ、これは。おかしいぞ、僕……)

 

 何がおかしいかと言えば、色々おかしい。シチュエーションはもちろんだが、自分の反応もおかしい。なぜか動悸が収まらず、頭の中がペンキを塗ったように白くなっていく。本来自分はこの種のことに淡泊なのに。まるで日頃からずっと期待しているくせに、いざその時が来ると緊張のあまりに体が硬直する純情な少年のようだ。順平や真田じゃあるまいし、月高のカリスマ(そんなふうに呼ばれたことはない)のキャラではない。

 

 「心拍数が更に上昇しました。やはり風邪なのでしょうか。大丈夫ですか?」

 

 このセリフを生身の女が言ったとしたら、そいつは世の為人の為に生かしておけないレベルの悪党だ。もう有無を言わさず組み敷いてやるところだが、残念なことにアイギスは生身の女ではない。組み敷いたところで何もしようがない。だが体はともかく、心はどうなのだろうか。

 

 人間に近いと言っても、まだそこまでの理解がないのか。それとも理解しているくせに、わざとやっているのだろうか。普通に考えれば前者だが、後者の可能性も捨てきれない。再会後のアイギスは、そう思わせるほどに人間らしい。ある意味では人間以上に人間だ。

 

 (いっそのこと……桐条グループに頼んで体も人間らしくしてもらおうか?)

 

 常ならぬ激しい動悸で妙な方向に進み始めた頭は、不埒なことを思い付いた。美鶴たちが知ったらどんな顔をするか分かったものではないが、この際そんな些末なことはどうでもいい。自分の健康の為に、恥も外聞も捨ててしまうべきではなかろうか――

 

 などと思っていると、0時になった。

 

 「あれ、こないだの続き? 邪魔しちゃったかな?」

 

 緑色の空気と共にファルロスが現れた。アイギスを挟んで、ベッドの脇の床に立っている。その表情は、いつものように少年らしい無邪気な笑顔だった。

 

 「お前……わざとやっているな?」

 

 ファルロスは通常の二十四時間の間にも、湊の目を通じて外界の情報を得られる。だから今がどういう状況なのか、影時間の前から分かっていたはずだ。それにも関わらず、わざわざ姿を現してきた。これはもう故意にやっているとしか思えない。

 

 とは言うものの、他人が現れてくれて助かったのかもしれない。ファルロスが他人かどうかは厳密には断言できないが、少なくとも自我は別にある。いずれにせよ『他人』を目にしたことで動悸が落ち着き、理性も戻ってきた。

 

 「貴方は……綾時さんですね」

 

 アイギスは湊の胸から手を離し、上体を起こして振り返った。ベッドからは出ないが。そしてファルロスの姿をはっきりと目に留めた様子でいる。

 

 「そうだよ。でも今はファルロスって呼んでほしいな。久し振りだね、アイギス」

 

 「分かりました。しかしファルロスとは、確か男性の……」

 

 「言うな!」

 

 湊も体を起こしつつ、不穏な単語が飛び出しそうな二人の話を慌てて遮った。純情は自分の柄ではないが、今の状況では聞きたくない言葉だ。せっかく戻った理性が、再び永劫の彼方へ消え去ってしまいそうだ。

 

 「ふふ。この姿で彼以外の人と話したのは初めてだ」

 

 「……やっぱり話せるんだな」

 

 二人の会話に再び湊は口を挟んだ。あまり思い出したくないことであるが、ファルロスは自分の姿は他人には見えないと七夕の夜に言っていた。実際、『前回』を通じて風花の探知にさえ引っ掛からずにいるのだから、ペルソナ使いであってもファルロスの姿を見たり声を聞いたりすることはできないのだろう。

 

 だがアイギスの目には少年の姿が映っているし、会話もできている。そしてそのことに特別な違和感はない。アイギスのペルソナ能力は他のペルソナ使いと比べて特別優れているわけではないが、過去の因縁などからシャドウ、特にデスに対する認識能力には他人と異なるものを持っていても不思議はない。

 

 「さてと、君も分かってるよね? あと六体の満月のシャドウを倒したら、また僕は望月綾時……宣告者になる。そしてニュクスがやって来るんだ」

 

 「はい……」

 

 「彼はその後も生き延びるつもりだけど、どうすればいいのか分からないんだ。君には何かいい考えはある?」

 

 「……何とかします」

 

 「そっか……」

 

 ファルロスは目を逸らした。現在の状況と今後の見通しについては、既に湊からアイギスに一通り説明してあるし相談もしている。だがどうすれば卒業式の日を越えて生き続けられるか、この問題への明確な解答は何も出て来なかった。当然のことではあるが。

 

 ちなみにユニバースについては話していない。実態が不明な力なので、説明したくても説明できる事柄がほとんど何もない。ユニバースを生み出す元であるコミュニティについても、『我』の声は他人には聞こえないので、存在からして証明する術がない。よって話しても無意味だと思ったからである。

 

 だがファルロスはすぐに視線をアイギスに戻し、愛嬌のある微笑みを見せてきた。そこには何の邪念もない。最も深い闇に生きる存在であるのだが、悪意は欠片もない。そして気休めを口にするような無責任さも伺えない。

 

 「ねえアイギス……。僕にとって、彼と友達になれたことは奇跡みたいなものなんだ。同じように、彼にとっては君との絆が奇跡だと思うんだ。どうすれば生き延びられるのか、彼にも僕にも分からない。でも君がいれば……ひょっとしたら何とかなるんじゃないかって気がするんだ」

 

 「必ず……私が守ります」

 

 「うん。期待してるよ」

 

 二人の話を聞きながら、湊はふと思い出したことがあった。『前回』の6月12日、ファルロスと死神のコミュニティを築いた時のことだ。曰く、『終わり』は避けて通れない。だが湊を見ていると、そんなこととは逆の可能性を感じると。言われた時は何のことかまるで分からなかったが、今はもちろん分かる。そしてその予感は正しかったわけだ。

 

 (ファルロスが言うなら……本当にそうなのかもな)

 

 どうすれば生き延びられるか、4月の再開から既に三ヶ月以上が過ぎているのに、解答は未だ見つかっていない。だから解答がそもそも存在しないことも既に覚悟している。だが諦めてはなるまい。最後の最後まで足掻いてみるのもいい。どうでもいいと、己の命を投げ出してしまってはならない。『前回』のことを覚えてくれていた、彼女の為にも――

 

 などと思っていたら、二人の話は再び余計な方向へと向かっていった。

 

 「ところでファルロスさん。こないだの続きとは何でしょうか?」

 

 「ああ、それはね。彼の願望がとうとう叶う日が来たのかと……」

 

 「彼の願望とは?」

 

 聞かれた途端、ファルロスは笑顔の種類を変えた。少年らしかった先ほどまでとは全く違って、目尻を下げて唇の両端を持ち上げた強烈な笑みを浮かべた。顔そのものは少年のそれである分、余計に嫌らしい印象を与えてくる。澄みきった透明な水に黒色を一滴加えたように、ファルロスは己の周囲に満ちる影時間の闇を呼吸でもしたか、一瞬で暗黒そのものと化した。『愚者』は表情を自在に操れるが、死神も同じのようである。いや、もしかしたら『愚者』より上かもしれない。そう思わせる変わり身の早さだった。

 

 「僕の名前は何?」

 

 「黙れ!」

 

 声を荒げて邪悪な少年を遮った。だが遅かった。

 

 「ファルロスさんの名前……ああ、なるほどなー」

 

 少年の豹変を目の当たりにしてもアイギスは驚いたりしなかった。その代わり、何かに納得したように金属の両手を叩き合わせた。カツン、と響くその音が耳を通り抜けると共に、湊は大事なものを失ってしまったような気がした。体から妙な具合で力が抜けて、上体をベッドに倒した。そして壁の側に顔を向けて、二人を見まいとするように寝返りを打った。

 

 不貞寝するような仕種だが、実のところも不貞腐れるのに近い気分になっていた。珍しく前向きな気持ちになっていたのに、一瞬にして本来の性格である無気力症に取って代わられてしまった。

 

 (どうでもいい。色々と……)

 

 何がどうでもいいのか、もはやそれすら分からない。頭が働かない。と言うより、働かせたくない。今はとにかく眠って、夜が明けるのを待つだけにしたい。アイギスが同衾しているのも、単に添い寝されているだけだと思えばいい。既に顔の輪郭もぼやけるほど遠い記憶に追いやられてしまっている母親に、寝かしつけられた子供の頃のように。

 

 

 

 

 「朝です。起きてください」

 

 朝日が窓から差し込む時間、浅い眠りから起こされた。目を開けて首を回すと、アイギスは既にベッドから下りて床に立っていた。目覚まし時計の針は、コールをセットしている時間の五分前を指している。

 

 「一晩中いたのか……?」

 

 「私の一番の大切は、貴方の傍にいることですから」

 

 『前回』から何度も聞いていたセリフである。色々と突っ込むべきところかもしれないが、頭が朦朧として言葉が出て来ない。元々朝には弱い体質だが、今日は特に酷い。頭痛までしてきて、思わず片手を額に当ててしまった。

 

 一夜を共にし、朝を迎える。などと言うとロマンチックな雰囲気がありそうだが、実際はそんなことは全くない。心地よさのまるでない純粋なまでの気怠さを感じていると、部屋のドアがノックされた。

 

 「ねえ、起きてる? あの子がどこ探してもいなくて、ちょっと手伝ってほしいんだけど」

 

 ゆかりである。だが未だ起動中の湊が返答するのを待たず、行動を開始する人がいた。

 

 「お探しになる必要はありません」

 

 アイギスはドアへとさっさと歩んで行き、そして開けた。そこには何の迷いもなかった。今朝はゆかりが来ることも、それにアイギスが応じることも『前回』と同じである。だが重大な相違点として、アイギスの認識の違いというものがある。

 

 「アイギス!? 貴女、いつの間に……。夜は作戦室にいてって言ったでしょ!?」

 

 「作戦室には私の就寝に相応しい設備がありませんでしたので、こちらをお借りしていました」

 

 「そりゃ作戦室にベッドとかはないけど……って! まさか一晩中ここにいたの!?」

 

 頭痛が段々と激しくなってきた。これ以上は耐えられそうにない。

 

 「どうでもいいが……二人とも出て行ってくれないか。着替えたいんだが」

 

 「あ……う、うん……」

 

 「お手伝いします」

 

 「いらないから」

 

 二人を部屋から追い出してから、ゆっくりと着替えをした。鏡を見てみれば、寝不足なようで血色が悪い。学校を休みたいくらいだ。だが休んでは、昼の時間をずっとアイギスと二人きりで過ごすことになってしまう。それもいいと思わないでもないが、ゆかりたちに余計な誤解をされかねない。

 

 

 着替えを済ませてラウンジに下りてみると、美鶴とアイギスが対峙していた――

 

 ような錯覚を感じた。実際には二人はテーブルを挟んで、向かい合ってソファーに座っているだけなのだが。なぜか奇妙な緊張感を二人の間に感じてしまった。同じことを仲間たちも感じたのであろうか、全員が登校せずにラウンジに留まっている。二人をあからさまに見つめる者はいないが、聞き耳を立てていることは見て取れる。

 

 そんな微妙に不穏な空気の中で、美鶴は足を組みながら悠然と朝の紅茶を飲んでいる。対するアイギスは背筋を伸ばしている。

 

 「昨日の夜中に、有里の部屋に侵入したそうだな?」

 

 「はい」

 

 「消灯後に自室以外の部屋に入ることは、寮則で禁止されている」

 

 「私の一番の大切は、彼の傍にいることであります」

 

 先ほども聞いたセリフをここでも繰り返した。この言葉の本当の意味をアイギス自身が理解したのは綾時と戦った12月だが、今は当然自覚がある。それにも関わらず、こんなことを言う。機械らしさを印象付ける口調で。

 

 (なるほど。これがお約束って奴か)

 

 湊は昨晩に感じた疑問に対して、一つの納得を得た。これが例えばヒーロー戦隊ものなら、毎週毎週飽きもせず怪人や怪獣が町を襲い、それに立ち向かうヒーローは全員揃ってポーズを決めてから戦いを始めるようなものだ。自分たちで言えば、順平の何とか侍とか真田のプロテインとかだ。

 

 それはいい悪いの問題などではあり得ず、論理的整合性の問題ですらない。ただ単に、それをやらなければ話が前に進まないのだ。アイギスにとってはこの言葉。即ち意志表明であり、存在意義の発露である。もっと簡単に言うならば、決めゼリフだ。それを要するに、お約束と言うのだ。

 

 そんなふうに気楽に考えていた湊を余所に、二人の会話は突然飛躍した。

 

 「それに寮則以前に……君は女性型だ。もちろん君が機械であることは認識しているが、それでも問題はある」

 

 「何も問題はないであります。私は性交渉はできませんから」

 

 「ぶっ!」

 

 美鶴は社長令嬢にあるまじき盛大さでもって、紅茶を吹き出した。同時にドカっと何かが床に倒れ込む音が、いくつも重なってラウンジに響き渡った。

 

 見ればゆかり、風花、順平は何もない所で転んでいる。真田までもがバランスを崩して、壁に手をついている。湊はと言うと、既に血色の悪い顔から更に血の気が引いていくのを感じた。目眩がしそうだ。もっともどうして目眩がするのかは、本人も分からなかった。美鶴たちに何かの誤解をされるのを恐れているのか、それともアイギスの性的無能力が残念なのか。あまり深く考えたくない問題だ。

 

 「そ、そういうことではなくてだな……!」

 

 「では、できるようにして頂けますでしょうか。でしたら侵入は控えるであります。いえ、この際ですから正式に要望として提出するであります。ご承知でしょうが、私が人間に近い姿をしているのは、ペルソナ使いとして自己認識を人間に設定する為であります。しかし現状のように、頭部以外は機械の印象が強いこの体は、やはり人間ではないであります。中途半端であります。このままでは私の自己認識、ひいてはペルソナの運用に支障をきたす可能性があります。ですから人間の女性と同等の性的機能を、私にも与えてくださることを要望するであります。もちろん頭部と同じ人工皮膚組織を、胸部や下腹部を含めた全身に付加することも、要望に含むであります。それから今すぐとは申しませんが、将来的には生殖能力も頂きたいであります」

 

 アイギスはつらつらと論理立てて、自分の改造を堂々と要求する。ひょっとすると昨晩の侵入は、こうなる展開を予想した上での計算尽くだったのかもしれない。だとしたら、とんだ乙女だ。しかし美鶴はそんな乙女の切実(?)な願いを認めてやるほど、弾け飛んだ性格はしていない。

 

 「もういい。有里、ちょっと来い……」

 

 美鶴は口元を拭い、ゆらりと立ち上がった。その様は、まるで鬼だ。

 

 

 湊は美鶴に作戦室まで連れて行かれ、説教を食らった。だが何を言われたのかはよく覚えていない。もう右から左だ。だが説教をする側も何をどう叱ったら良いのか分かっていなかったようなので、相手が聞いていないことに気付いていたかどうか。ただひたすらに疲れただけだった。

 

 ふらつく足取りでゆっくり階段を下りると、心配そうな顔をした順平がラウンジで迎えてくれた。他の皆も、まだその場に留まっていた。

 

 「湊……大丈夫か?」

 

 「……ああ」

 

 「あの……さ。桐条先輩、何て言ってた?」

 

 「お前さ……部屋散らかしてたら警察呼ばれたことあったろ?」

 

 「お、おう。あれ? 俺その話、お前にしたっけ?」

 

 直接聞いてはいない。ただ監視カメラの映像で見ただけなのだが、そこは流した。

 

 「あれと同じようなもんさ……。何か色々誤解されたみたいだが……」

 

 「あ、ああ……そ、そうだな。桐条先輩って、ちょっと一般人とずれてるトコあるからな! 何でもないことを、マジに思われたりして……そ、そういうことってあるよな!」

 

 「分かってくれて嬉しいよ、親友」

 

 男の友情とはかくもありがたいものだったか、と湊はしみじみ実感した。『前回』を含めてあれだけ多くのコミュニティを築いてきたが、今日ほど友人がいて嬉しいと思ったことはない。

 

 湊は順平と肩を組んだ。と言うより、疲労のあまり順平に寄り掛かった。支えがないと床に倒れ伏してしまいそうだ。

 

 「えーと……それで、やるの? アイちゃんの改造って……」

 

 「やるわけないだろう……」

 

 そうだ。やるはずがない。ちょっとやってみたいとか思わないでもないとは言わないがそんなはずはないと思う。多分。

 

 「は、はは……そうだよな。ははは……」

 

 (もしも……もしも何かの改造をするとしても……)

 

 時期の問題がある。どんなに早くとも、ファルロスが出て行ってからでなければならない。あの自分自身と不可分、と言うかある意味で自分自身そのものの存在が体の中にいては、事の後で何を言われるか分からない。あの無邪気な笑顔が昨晩のような真っ黒なそれに変わって嘲笑うか、或いは敢えて無邪気なままで『何してたの』とでも白々しく聞いてくるか。どちらにしても猛烈にからかわれるだろう。いや、事の後とは限るまい。たとえ最中であっても関係なく、当たり前のように現れそうだ。

 

 (事? 事って何だ……)

 

 そこで思考を強制的に停止させた。これ以上考えると、頭が悪くなる。

 

 思考停止状態で改めて皆を見回してみた。順平は引きつった笑いをいつまでも続けており、真田はため息を吐いている。ゆかりと風花はというと、何とも微妙な目で自分を見ている。可哀想な動物を見ているかのようだった。

 

 (コミュが三つ……駄目になったかな)

 

 『前回』は明日にゆかりと恋愛のコミュニティを築いたはずだが、この様子では到底無理だろう。ただでさえ屋久島ではちょっといい雰囲気の直後にアイギスが現れて押し倒され、相当に良くない印象を与えていたのだ。そこへ来てこの有様では、何を言っても耳を貸してくれそうにない。

 

 そして風花や美鶴とも無理だろう。下手をすると、ずっと築けないまま終わるかもしれない。だがもう、どうでも良くなってきた。『前回』とはうって変わって、女を寄せ付けない硬派な男になるのも良いだろう。

 

 「改造はしてくださらないのですか?」

 

 「ああ……悪いな。学校行ってくる」

 

 「そうですか……残念です。行ってらっしゃいませ」

 

 順平に肩を借りながら、湊は振り返らないままアイギスに手を振った。

 

 

 余談であるが、美鶴はこの朝の一件を父親に言われた湊の人柄についての報告書に載せるかどうか、小一時間ほど悩んだ挙句、載せないことに決めたそうだ。その代わり精神分析や心理学に関する資料が数多く置いてある作戦室の本棚に、『ピグマリオン・コンプレックス』とか『ガラテアとアニマ』とか言う題名の本が新たに並ぶことになったそうである。




 女教皇、女帝、恋愛コミュの入手フラグは叩き折られました。

 なお、ピグマリオンとはギリシャ神話の登場人物で、自分で作った彫像ガラテアに恋をした人です。神話ではガラテアはアフロディテによって人間にしてもらい、二人はめでたく結婚するのですが……。
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