ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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不意に来る狩人(2009/8/3)

 合宿から戻ってきたその日は、移動で少々疲れたこともあってタルタロスの探索は見合わされた。その翌朝、美鶴から夜の時間に作戦室に集合するように連絡があった。何やら話さなければならない事柄が色々あるらしい。

 

 夜になって作戦室へ向かう階段の途中で、皆は不思議そうに顔を見合わせている。集合命令がかかったということは、何かの作戦があるのかと。

 

 「あ、コロちゃん!」

 

 「ワン!」

 

 作戦室に行ってみると、コロマルが美鶴の脇に座っていた。先月の29日、イレギュラーのシャドウと戦ったコロマルと、湊は真田とアイギスと共に計算尽くで出会い、そのまま寮に連れ帰ってきた。動物がペルソナを使うことに皆一様に驚いていたが、取り敢えず調査の為に桐条グループの研究所に一時預けることになった。そして今日になって戻ってきたわけである。ちなみに『前回』のコロマルの加入は次の満月を過ぎた8月8日だったが、『今回』は怪我をさせなかった為か、この通り満月前に戻ってくることができた。

 

 「あれ、この首輪……」

 

 風花が最初に気付いた。初めて寮に来た時には着けていなかった、羽根飾りのついた首輪を巻いている。

 

 「その首輪はペルソナの制御を助けるものだ。犬用の召喚器と言ったところだな」

 

 「それ……コロマルも一緒に戦うってことですか?」

 

 「テストの結果、十分可能らしい」

 

 「え、コロちゃん……いいの?」

 

 「ワン!」

 

 コロマルは元気な鳴き声で答えたが、風花は心配そうな顔をしている。それを見て湊はアイギスに視線を送ってみた。だが彼女は首を小さく横に振った。先月に助けた時と同じのようである。

 

 『前回』のコロマルの加入時には、アイギスの通訳によって本人の意思を確認できた。曰く、『助けてくれた恩を返す』だった。だが『今回』のアイギスはなぜか意思疎通ができなくなってしまっている。だから皆を納得させる為には、何かフォローせねばならなさそうである。だが――

 

 「俺はいいと思う」

 

 湊に先んじて、真田が口を挟んできた。

 

 「美鶴、こいつの飼い主の死因について、何か分かったか?」

 

 「ああ。交通事故として処理されているが、調べてみたら不可解な点がいくつもあった。犯人はおろか、目撃証言の一つさえ見つかっていない。そもそも事故とされた根拠からして曖昧だ」

 

 「やはり……奴らの仕業か」

 

 「え、それって……シャドウにってことですか!?」

 

 影時間で起きた出来事は、別のことに置き換わって人々に認識される。実はシャドウによる被害であるのに、交通事故やら通り魔やらに、という具合だ。もちろん事実とは異なる為に詳しく調べれば矛盾が出てくるのだが、多くの場合は矛盾そのものが飲み込まれてしまう。影時間に迷い込んだ当人のみならず、周囲の人間までが正常な判断力を失ってしまうのだ。もっとも月日が進めばそうした『補正』が追いつかなくなるケースも出てくるのだが、この時期はまだ全ての事例に補正がかかる。

 

 「大した奴だ。主人の安息の場所を守ったんだからな。全く……偉い奴だ」

 

 真田はコロマルを見つめながら、感慨深げに呟いた。真田は『前回』もコロマルを助けた後でこのように言っていた。今にして思うと、妹を助けられなかった自分や溜まり場に居続けている荒垣を念頭に置いた上で、こうしたセリフを口にしていたのだと分かる。

 

 「でも、こんな小さな体なのに……」

 

 「小さいからって侮れないぞ」

 

 風花はなおも心配そうにしているが、湊はそれを遮るように一言挟み、美鶴に目を向けた。分かっているのだろう、との意図を視線に込めて。

 

 「ああ。調べたところ、コロマルのペルソナはかなり強力だ。ポテンシャルでは一番かもしれない」

 

 「マジっすか!? 最強は犬!?」

 

 「そこまでか……」

 

 順平や真田は目を剥くが、美鶴のこの評価は誇張ではない。皆のペルソナ能力を比較すると、現時点で顕在化している範囲ではコロマルより他のメンバーの方が上だ。だが潜在的にはコロマルのケルベロスが最も強力である。

 

 ペルソナ能力にも限界はある。成長の上限がペルソナごとにある程度決まっており、ケルベロスはそれが現時点の他の皆と比べて突出して高いのだ。よって皆は壁を超えない限りいずれコロマルに追いつかれ、やがては追い抜かれていく。ケルベロスと同等以上の潜在能力を持つペルソナは、湊が扱うもの以外では荒垣のカストールとストレガの三人のそれしか現時点では存在しない。湊は『前回』の経験からそれを知っている為、コロマルの加入は純粋に戦力的な面から言っても不可欠と判断しているのだ。

 

 「こりゃ負けてらんねえな。いいんじゃん? 俺も賛成! お前とは何か縁があるみたいだしな!」

 

 順平が笑顔でそう言って、話の流れが決まる気配ができた。湊の心配に反して、真田と順平のフォローで上手くいきそうだった。

 

 「他に話はありますか?」

 

 コロマルの加入は決定事項として話題を打ち切るべく、湊は再び美鶴に視線を向けた。すると美鶴は俯き、いかにも話し辛そうに始めた。

 

 「ああ……他にも二つ、良くない知らせがある。例の満月のシャドウだが……数は全部で十二体との話だったが、もう一体いる可能性が出てきたらしい」

 

 「ええ!?」

 

 最初に反応したのはゆかりだった。美鶴の説明によると、ここ最近の影時間やタルタロスに関する調査結果を洗い直したところ、もう一体の存在を伺わせるデータが出てきたとのことだった。詳しいことは専門家でないとよく分からないが、とにかくそうした連絡が美鶴の元に届いたらしい。それを聞いて、湊は少し考えた。

 

 (どうなんだろうな……)

 

 もう一体のシャドウ即ちデスの存在について、断片なりとも桐条グループの調査で判明したのか、或いは先月に湊が桐条武治に話した内容を元にして美鶴に連絡されただけか。判断はなかなか難しい。

 

 デスの存在は、幾月は当然知っている。だがその記録は隠蔽されているはずである。だが隠蔽しただけで、抹消はしていないはずだ。なぜならそうした幾月が残した記録を独自に調査することによって、『前回』のストレガはニュクスの来訪を知ったからだ。それを桐条グループが発見したなら、デスばかりかニュクスの存在をも知り得る。更にはデスが今は湊の体内にいることさえ。

 

 その記録を手に入れたのか、手に入れていないのか。『前回』の桐条グループは幾月の死後にその遺品を全て回収しておきながら、結局デスの存在に辿り着けなかった。だが『今回』はどうか。武治の命令により、『前回』以上に熱心に調査したとしたら――

 

 (どっちでも構わないか。ファルロスが僕の中にいることは、確認のしようがないからな)

 

 湊にとって最も重要なのは、ファルロスを殺せばニュクスの来訪を阻止できることを知られないことだ。その点はほとんど心配していない。たとえデスが湊の体内にいる情報を得ても、それを真実と即断はできないはずだからだ。1月31日にジンが証言した、幾月の記録に混じっていた妄想が湊の助けになる。

 

 つまり記録を発見したところで、真実か妄想かの検証が必要になる。だがファルロスは風花にさえ感知できないのだから、桐条グループが確認することは不可能だ。検証なしに可能性の段階で湊を殺すには、武治は既に湊を信頼しすぎている。従って、デスについて桐条グループがどれだけ調べようが、今となっては深刻な問題にはならない。

 

 湊がそんなことを一人で考えている間、作戦室は紛糾していた。

 

 「じゃあ残り六体じゃなくて、七体ってことですか!?」

 

 「いや、そうと決まったわけじゃない。飽くまで可能性のレベルの話だ」

 

 数が同じでも初めから言われるのと後から増やされるのでは、印象が全く異なってくる。だからゆかりは怒っているが、仕方のないことである。どうせ残りの六体を倒しても影時間とタルタロスは消えないのだから、11月4日にぬか喜びするよりは、今のうちに認識を正しく持っていた方が良い。その点から考えると、美鶴の言い訳はあまりよろしくない。ここはフォローが必要になりそうだ。だが――

 

 「可能性か。だがいると思っておいた方がいいな」

 

 またも湊が言うまでもなく、真田が代わってフォローを入れた。それで皆は不承不承ながらも頷いた。不満はありつつも、事態を受け止める気になったようだ。色々問題はありつつも上級生である真田の発言には、部内ではそれなりに重みがある。そして何より、シャドウに関して楽観視は禁物だ。それはもう誰もが理解している。文字通りの意味で身に沁みている。

 

 戦い自体が難しくなかった『前回』と違って、『今回』は皆が既に高い意識を持っている。遊び半分な気持ちはとうに払拭され、ある種のプロ意識と言うべきものがある。様々な方面に悪影響を及ぼしている『今回』の苛烈さがもたらした、唯一のメリットはそれである。だが事態を受け止めようと、文句はやはり出る。

 

 「んだよ……全部で十二匹だって理事長、自信満々だったくせに。いいのか? 大人がそんないい加減で……。つか、理事長はどうしたんすか。こんな大事な話なのに、何で来ないんすか」

 

 順平のセリフのうち、前半はともかく後半はもっともである。こうした今後の全体に関係することは、顧問の幾月の口から説明するのが筋だ。だが美鶴はますます辛そうになった。

 

 「ああ、それがもう一つの知らせなんだが……。理事長は海外に転任になった」

 

 「はあ?」

 

 美鶴によれば、最近になって巌戸台周辺以外の日本の各地で、更には世界の他の国々でもシャドウの活動が伺える事象が、数は少ないながらも確認され始めたらしい。それらの調査の為、海外にある桐条グループの研究拠点に転任になったらしい。それに伴って月光館学園の理事長職も退任となった、と美鶴は説明した。いかにも沈み込んだ表情でもって。

 

 (そういうことにしたのか)

 

 実際は失踪なのだが、美鶴は嘘のつもりで言ってはいないと湊は判断した。美鶴は元々嘘が下手だ。本心で喋っているかどうかくらい、コミュニティで磨いた観察力をもってすれば一目瞭然である。つまり美鶴は真相を教えられていない。本当に転任だと思っていて、そしてそれを沈痛なまでに残念に感じている。

 

 (美鶴はそれだけ幾月を信頼してたってことか。だったら裏切者より転任とか事故死とかの方が、ダメージが少なくて済むか)

 

 今後の桐条グループの捜索で身柄が押さえられれば、幾月は間違いなく秘密裏に始末されるだろう。表向きは事故か何かで処理して、特別課外活動部にもそのように連絡されるはずだ。だがそれらの真相を知らない湊とアイギス以外の面々は、『転任』の話から受け取る印象は異なってくる。

 

 「そりゃあ、影時間って場所とか関係ないですけど。だからってシャドウが一番いるのはこの辺りなのに……。あ、そうだ! 理事長と言えば、天田君はどうなったんですか? 確か夏休みだけ仮入寮するって、理事長言ってましたよね?」

 

 「ああ……それは取りやめになった。元々天田の件は、理事長の強い推薦だったのだが……」

 

 ゆかりの質問に美鶴は答えつつも、途中で言葉を濁した。

 

 「うわ、あのオッサンってば、飛ばされちまったわけか。シャドウの数とか天田とか、間違いだらけでとうとうクビに……。挨拶の一つもねえのも、当たり前ってトコか……」

 

 美鶴のセリフを引き取りながら、順平は天を仰いだ。『前回』の11月5日にも頼りにならない桐条グループの大人たちに呆れ返っていたが、その時と同じような表情で核心を突いた。

 

 「順平、言いすぎだ」

 

 「あ、すんませんっす……」

 

 「……」

 

 真田に窘められた順平は美鶴に向けて軽く頭を下げるが、美鶴に怒った様子はない。美鶴自身、順平の言う通りだと思っているのだろう。シャドウの数を誤認したことで左遷され、推薦していた天田の加入もなくなった。もちろんこの認識は誤りだが、湊やアイギスから真相を教えることはできない。それは桐条武治と約束したことだから。

 

 「話は以上ですね」

 

 「ああ……前言を翻すような話ばかりで申し訳ないが、シャドウやペルソナは未だ研究中で分からないことが多いんだ。どうか理解してほしい」

 

 「仕方ありませんよ。それより今日はタルタロスに行きましょう」

 

 

 タルタロスのエントランスに皆でやって来た。普段であれば、まずは湊が自分以外の探索メンバーを選定するところだが、今日はその前に話を始めた。

 

 「今日は六人で探索する」

 

 エントランスに集まったメンバーがざわついた。7月の満月は五人編成で臨んだが、これまでのタルタロス探索は基本的に四人だった。まず一人増やすならともかく、いきなり二人は皆に動揺を与えることもあろう。

 

 「できるのか?」

 

 「僕一人で全員に目を配るのは難しいです。そこでサブリーダーを決めておきます」

 

 湊は一旦話を区切り、皆を順番に見回した。そして最も端にいた一人に視線を固定した。

 

 「アイギス、君に頼む」

 

 「承知しました」

 

 実はアイギスには既にこの案を内々で話してあったので、即答である。だが聞いていなかった他の面々からは、違う反応もある。

 

 「人選の理由を聞かせてもらえるかな」

 

 そう言う美鶴は、どことなく不満そうである。リーダーは湊で良いとしても、普通に考えればサブリーダーは年季の長い美鶴か真田が務めるのが筋だ。その点、アイギスは先月下旬に加入したばかりで、いわば新人である。

 

 「簡単なことです」

 

 タルタロスに出現するシャドウは、ほとんどが何らかの弱点を抱えている。そして自分たちのペルソナも同様である。よって敵の弱点を突き、こちらの弱点を突かれないようにするのが基本戦術である。それには敵の特性を把握した上での、的確かつ迅速な判断が必要になる。その点、元々兵器であるアイギスは状況判断や戦術の選択に信頼が置ける。そして風花の分析結果を間違って覚えてしまう恐れも人間より少ない。更に言うと、通路が狭いタルタロスでは人数が多いと、必然的に前列と後列に別れることになる。剣を使う湊が前列につくなら、後列は銃を使うアイギスが適している、と説明した。

 

 「なるほど……分かった」

 

 なお、シャドウの特性については風花に分析させるまでもなく、アイギスは湊同様に『前回』の経験から全て記憶している。しかも彼女は機械なだけに、記憶の正確性は時には間違える湊に勝る。その点が彼女をサブリーダーに指名した最大の理由なのだが、もちろんそれは言えない。

 

 かくして今日の編成は、前衛が湊、真田、コロマル。後衛がアイギス、ゆかり、順平となった。接近戦が得意な順平が後衛にいるのは、背後から襲撃を受けた場合に備える為だ。数に入っていない美鶴は風花の護衛である。

 

 「……そうか」

 

 タルタロスの上層からエントランスにシャドウが降りてくることはあり得ないが、外からイレギュラーが襲ってくる可能性はゼロではない。よって風花一人をエントランスに残すのは避けた方が良いので、居残りは最低でも一人は必要となる。だが元から不満がありそうだった美鶴は、居残り役を割り当てられて更に不満顔になった。

 

 「この編成で固定するわけじゃありません。状況に応じて人数や配置はいつでも変えます」

 

 

 「ゆかりさん、下がって!」

 

 アイギスが警告した次の瞬間、電撃が放たれた。耐性のある真田以外にとっては、深刻な攻撃である。そしてこれに弱いアイギスとゆかりであれば、一発で行動不能に陥ること請け合いである。

 

 ここはタルタロス第三層の中間地点の一歩手前、階数で言うと85階である。六人は三つの顔をだるま落としのように積み上げた形状の、法王のアルカナに属する番人シャドウとの戦闘に突入していた。

 

 (間違えてたか)

 

 このシャドウは電撃を多用する。それは『前回』にも経験しているはずなのだが、どうやら他と間違えて記憶していたようだ。分かっていれば電撃に弱い二人は連れて来なかった。だが幸いアイギスは正しい認識を持っていたようで、湊より速く反応してゆかりの手を取り、後方に下がっていた。

 

 六人で来た意味がなくなってしまったが、戦闘が開始された以上はこのまま倒し切るしかない。

 

 「順平はこっちに来い! 全員、攻撃は打撃のみ!」

 

 湊は記憶をもう一度整理して、戦術を組み立て直した。確かこのシャドウは、魔法がほとんど効かなかったはずである。だから物理的な攻撃で戦うしかない。

 

 「おう! ……どわっ!」

 

 後列から駆けつけてきた順平が、走りながら大剣を振り下ろした。だがシャドウは器用に横へ滑り、するりと大剣をよけた。攻撃を外した順平は、弾みで体勢を崩してしまっている。

 

 (あ、そうだった)

 

 この番人シャドウは見た目こそいかにも鈍重そうだが、意外にも動きが素早い。それを今になって思い出した。せっかく真田がいるのだから、最初は敵の敏捷性を落とす魔法をかけさせるべきだった。一つの戦いでミスを二つも重ねるとは、情けない限りである。そこへ――

 

 ダン、と一発の銃声が遠くから響いた。ガラスが割れる破砕音を発する、召喚器のそれではない。兵器本来の地味で鈍く、本物の弾丸が発射された音だ。その直後、シャドウは三重の顔を揃って項垂れた。銃撃そのものは大して効いてはいない。だが視界の範囲外からの不意打ち攻撃は、威力の大小に関わらず敵の隙を生み出すことがある。

 

 「全員、突撃!」

 

 銃撃が誰の手によるものか。それは考えるまでもない。湊は背後を振り返ることもせず、好機を逃さず総がかりを命令した。湊、真田、コロマルが仕掛け、やがて立ち直った順平と戻ってきたアイギスとゆかりも加わった。

 

 

 「お疲れ様でした。取り敢えず、行けるところまでは行けましたね」

 

 六人がエントランスに戻ると、風花が出迎えてきた。番人シャドウを倒した後、一行はそのまま89階まで進んだが、そこで行き止まりになっていた。これはその階に限ったことではなく、タルタロスは全部で六つある層の最上階、及びその中間地点に上へ続く階段を遮る障害物が設置されている。障害物は押しても引いてもびくともしないが、満月を過ぎると自然と取り除かれる。

 

 なぜこんな仕組みになっているのかは全く不明だが、湊は『前回』からこれを攻略の目安にしている。かくして三日後の満月までに、行ける限りまでは行き着けたわけである。だから今日はこれで帰っても良いのだが――

 

 「有里、私も少し体を動かしておきたいのだが」

 

 腕組みをした美鶴が声をかけてきた。

 

 「分かりました」

 

 今日の探索では、なぜか美鶴は初めから不満そうだった。元々美鶴は戦いを楽しむタイプではないし、そもそも『今回』は誰も楽しむ余裕などない。だが無下にするわけにもいかないので、湊は了承した。

 

 今日の山場と見ていた番人シャドウとの戦いは、計画外だがアイギスの奇襲攻撃によってほとんど初手から総がかりに繋げることができて、あっという間に終わってしまった。だから体力と時間に余裕があることも理由の一つである。

 

 美鶴とゆかりを交代させて、少し下の階から再び探索を始めた。

 

 

 あるフロアに足を踏み入れた時、湊は奇妙な違和感を覚えた。ただしフロアの見た目そのものは、下のそれと変わらない。第三層に特有の装飾性の皆無な、無骨な装いである。だが何かおかしい。元々風花以外はフロアの状況を目で見える範囲以上に見通すことはできないが、それでも違和感がある。そんな中で、風花の通信が入った。

 

 『あれ、このフロア、敵がいない……』

 

 (まずい……!)

 

 この状況の危うさに即座に気付いた湊は、はっとして後列のアイギスに視線を送る。彼女も同様に理解しているらしく、大きく頷いた。

 

 「大至急、階段か脱出ポイントを探せ!」

 

 言うが早いか、湊は走り出した。

 

 「何だよ、敵いねえじゃん。何をそんなに焦って……」

 

 「いいから急げ!」

 

 順平を叱咤しながら走り続けて、逃げ道を探した。しかし相手の方が早かった。

 

 『敵反応が現れました……って、ええ!? な、何なんです、このシャドウ……!』

 

 その時、ジャランと鎖が鳴る音が皆の耳に届いた。タルタロスの冷たい空気を引き裂いて伝わる、恐怖そのものが実体化して発する音だ。罪人を業火で焼き尽くす為に地獄に繋ぎ止める、神域に入り込んだ卑小な人間の傲慢に罰を下す鎖の音だ。

 

 「まさか……あれか!?」

 

 美鶴も気付いたようだ。その存在だけは一応桐条グループの研究で判明しているし、皆に説明もされている。ただ分かっていることは余りに少なく、しかも『今回』はまだ一度も遭遇していない為、これまで皆は実感を持っていなかった。

 

 「な、何か猛烈にヤベえ感じ……」

 

 「グルル……」

 

 誰もが異様な気配を肌で感じ始めた頃、前方に十字路が見えた。直後に風花の通信が入る。

 

 『脱出ポイントが見つかりました! そこを右に行ったところです!』

 

 だが一歩遅かった。十字路の正面の通路から、恐怖の化身が現れた。湊と並んで最前列に立っていた順平は、姿を見るや震える声を漏らした。

 

 「な……何だ、ありゃ……」

 

 シャドウは種類ごとに出現する階層がある程度決まっているが、これは例外的にどの階であっても現れる極めて特殊なシャドウだ。姿は人に似ているが、身長は優に三メートル以上はある。ライフルかと見紛う長大な銃身を備えた異形の拳銃を二丁持っており、二本の鎖を十字の形で血塗れの上着に巻きつけている。そして上着の裾からは、足が生えていなかった。体を何によっても支えることなく、宙に浮いている。足がないとは幽霊、即ち死者を暗示するものか。それとも足で歩く必要がない、即ち獲物がどこにいても追い詰められる、無尽蔵の行動力を表しているのか。

 

 そして顔を覆う仮面は独自のものである。硬質感のある白の無地を基調として、一つだけ開いた目の穴の周囲だけが赤い。魔術師から刑死者に至る、十二のアルカナのそれではない。

 

 『駄目……! とても勝てる相手じゃありません!』

 

 悲鳴のような風花の通信を聞くまでもなく、その姿を一目見て誰もが理解した。何をどうやっても、絶対に敵わない。

 

 このシャドウの名は『刈り取る者』。ちなみに刈り取る、即ち穀物を収穫するとは、死の暗喩の一つである。マルセイユ版タロットでも、死神のカードは鎌で大地を薙ぎ払う人物の姿が描かれている。

 

 死神は右手の銃を構えた。だがこちらに向けてはいない。銃口が示す先は天井だ。鉄をも焼き尽くす轟音が響くと共に、順平の体を何かが包んだ。

 

 「何だ!? 力が、抜ける……!」

 

 「コロマル! 順平を庇ってくれ!」

 

 次の瞬間、死神は左手の銃をやはり天井に向けて放った。

 

 「ワン!」

 

 命令した通りにコロマルは動いた。賢い犬である。順平を庇うように正面に躍り出た直後、爆炎が白い体を覆い尽くした。だがコロマルは倒れない。傷一つ負っていない。

 

 刈り取る者はあらゆる属性の魔法を使いこなすが、なぜか相手が耐性を持つ攻撃を多用する。火に強い者には火で攻めてくるという具合だ。もちろん普通にそれをやれば効果が薄いだけだが、刈り取る者は敵の耐性を解除することもできる。順平に最初に仕掛けたのは、火炎の耐性を解除する術だ。ならば次は必ず順平を火で攻撃してくる。『前回』の経験から湊は一手先を読み、コロマルに頼んだのである。この二人はどちらも火に対して耐性があるのだが、順平は強いだけなのに対して、コロマルは完全に無効化できる。

 

 かくして敵の先制攻撃は凌げた。だが小細工が通用するのはここまでだ。つまらない戦術でどうにかなるような、甘い相手では断じてない。

 

 (どうする……)

 

 何しろ『前回』は遂に倒せなかった相手だ。エリザベスに依頼されて1月初めに一度だけ挑んでみたが、一方的に叩きのめされた挙句に逃げ出したのだ。ニュクスに備えて鍛練を徹底的に積んだ1月下旬であれば、何とかなったかもしれない。だが決戦を前に余計な傷を負うこともあるまいと思って、再戦はしなかった。それほどの理不尽な怪物である。

 

 そして現時点の特別課外活動部は、挑んだ時にさえ遠く及ばない力しかない。しかも相手は『今回』の他のシャドウと同様に、『前回』以上の実力を持っているはずだ。これで勝負になるはずがない。誰もが一撃で粉砕されるだろう。この場を切り抜けるには、どうすれば良いか――

 

 (あれしかないか……)

 

 湊は一瞬で解答に辿り着いた。もしシャドウとの戦いで完全に追い詰められたらどうするか。以前から考えていたことだけに、瞬きする間に閃いた。

 

 (やりたくはないが……仕方ない)

 

 もちろん好んでやりたいことではない。あれをやるくらいなら、逃げ出した方が良いに決まっている。だが脱出ポイントは前方の十字路を曲がった先で、この位置からではどうしても刈り取る者を突破せざるをえない。たとえ倒せなくとも、押し戻すくらいは必要だ。

 

 覚悟を決めて、すぐ後ろで身構えていたアイギスに視線を送った。

 

 「アイギス、僕が奴を足止めする。その間に皆を逃がすんだ」

 

 「どうやって……?」

 

 「いいから……頼んだぞ!」

 

 先頭に立っていた湊は集団から飛び出した。そして目を閉じて召喚器をこめかみに当てた。

 

 敵を前にして目を閉じるなど、本来は自殺行為だ。だが目の一つや二つを開けていたところで、大した意味はない。そもそもまともに戦って勝てる相手ではないのだから。ならば非常識な方法で立ち向かうことも必要だ。ただその方法は、それ自体が自殺行為に近いのだが。

 

 (今だけでいいから、僕の言うことを聞いてくれ!)

 

 心の海の最奥、死の国へと繋がる深淵へ向けて引き金を引いた。6月の満月でも引こうとしたが、あの時は直前で回避できた。だが今日という今日は、引いてしまった。

 

 「な……!?」

 

 部の皆が目を見張る中で、黒い怪物が湊の頭上に顕現した。十年前、アイギスが湊の体内に封じた死神の化身。滅びを招来する十三番目の大型シャドウ。それがペルソナとなって現れた姿だ。獣の頭蓋骨に似た仮面をかぶり、人型のレリーフが施された八つの棺桶の蓋を首からぶら下げた、黒い神。

 

 そう。これは『神』の一柱である。力で人を殺すのではなく、人を殺すことを権力として許された存在。即ち神である。ペルソナは基本的に神話で語られる存在そのものではないはずだが、これだけは本当に本物なのではと思ってしまうこともある。

 

 タナトスだ。4月の満月以来、約四ヶ月ぶりの召喚である。

 

 「オオオオ!」

 

 ギリシャ神話の死の神は、雄叫びと共に棺桶の蓋を翼のように広げて空中を飛翔した。そして腰に差した銀色の長剣を、目にも止まらぬ速度で抜き打ちにした。己の同類かコピーの一種か、とにかくよく似た存在である銃を持った死神を斬りつけた。それに留まらず、振り抜いた剣を返して袈裟掛けに斬る。更に返して逆袈裟に斬る。そして突く。その一つ一つが、並のシャドウなら十匹でもまとめて殺戮できる力が込められていた。

 

 だが相手も黙ってはいない。再び天井へ向けて銃を撃ち放ち、爆炎をタナトスへぶつける。しかしタナトスは全く怯むことなく、更に剣を叩きつける。

 

 普通のペルソナは一つ動くとすぐ消えるが、タナトスは消えない。本来はファルロスとして湊の体に深く根を下ろして存在しているからか、数秒から数十秒にも渡って顕現し続け、連続して何度も行動できる。だがそれは使用者には、より重い負担となる。

 

 (あ、あああ……!)

 

 これがペルソナの暴走――

 

 4月の時は夢うつつの状態だったのでよく分からなかったが、意図して行った今日は分かる。これはまさに自殺行為だ。身の丈に合わないペルソナは、まず誰よりも使用者にこそ甚大な危険をもたらす。寿命が縮むとか、そんなレベルの話ではない。命が直に削られていく。全身が激しく痙攣して立っていられず、視界は急激に赤く染まっていく。そして頭は凄まじく痛い。脳の只中で鉄の塊が暴れているようで、しかも麻痺してくれない。鮮やかな痛みが長時間に渡って、そのまま継続している。

 

 (死ぬ……本当に死ぬ……!)

 

 そんな使用者の意志からとうに離れているタナトスは、なおも戦っていた。連続して十手は仕掛けた斬撃に続いて、掌から紫色の光を放った。この世の終わりの舞台の名を冠した、あらゆる敵を等しく薙ぎ倒すことのできる万能の魔法だ。タナトスが得意とする術の一つである。刈り取る者は魔法の耐性も非常に優れているが、これだけは防げない。

 

 膨大な量の光が刈り取る者の胸元で圧縮され、轟音と共に炸裂した。光の爆発をまともに受けた刈り取る者は身を仰け反らせ、弾き飛ばされるように後退した。さすがに消滅はしない。だが脱出ポイントへと繋がる十字路の奥の通路まで追いやった。

 

 「……!」

 

 逃げろ――

 

 そう言おうとした湊の声は、言葉にならなかった。意識を失う最後の一瞬に感じたのは、床にうずくまった自分の体を持ち上げる硬い手の感触だった。

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