死神の絆を再確認した翌朝。身支度を整えた湊は一階のラウンジに下りた。すると階段の終わる辺りで、既に玄関へ向かおうとしていたゆかりと目が合った。
「あ、おはよう」
「おはよう」
湊も挨拶を返すと、ゆかりは外へ向かう足を止め、待つような素振りを見せてきた。昨日の病室では取り乱した為に、少々不審がられた。だがあれから一晩置いたゆかりは、既に気持ちの切り替えができているようだ。このままだと、二人で一緒に登校する流れになる。
(そう言えば……)
湊は『前回』の今頃を思い返した。転入してきて最初の日、4月7日はゆかりに案内してもらって登校したのだった。その為に校内で高嶺の花とされている、岳羽ゆかりと転入早々に連れ立って登校してきたけしからん男、とか何とか少々噂になった。始業式の際にも見知らぬ男子生徒から、ゆかりとの関係をかなりしつこく聞かれたりした。
『今回』の記憶は4月9日の影時間から始まっているが、今現在の時間そのものは、『前回』の4月8日以前の状況と繋がっているはずだ。つまり、『今回』も自分とゆかりは校内で噂の的になっていることが推測できる。ならば――
「岳羽」
「何?」
ゆかりは改めて視線を合わせてきた。昨日の病室で下の名前で呼んだ時のような、動揺の色はそこにはない。敢えて名字で呼ぶと、特別親しいわけではない普通の知り合いに対する、普通の反応が返ってきた。だが――
「僕が入院している間、ずっと見舞いに来てくれていたの?」
湊が尋ねた途端、ゆかりは再び動揺を見せた。
「え? う、うん……」
ゆかりは異性に対するガードが非常に固いが、一方で変に無防備なところがある。転入初日のクラスで、召喚器を持ち出した前夜の出来事をわざわざ口にして、墓穴を掘っていたように。
現時点のゆかりは、湊のことを異性として見てはいない。だが入院中に毎日見舞いに来ていたようでは、周囲はそうは受け取らないだろう。見舞いの動機は、シャドウから助けられた恩人だから、という以上の意味はないはずだ。だがクラスメイトたちに真相を教えることは、もちろんできない。そんなところへ二人揃って登校などすれば、どんなことになるか――
『前回』の自分はどうでもいいと思って放置していたが、今にして思うと後々の為によろしくない。湊はそう判断した。
「だったら、しばらく一緒に登下校するのはよそうか。また順平辺りが余計な噂を立てそうだ」
「そ、そうね……。その方がいいかも」
そう言って、ゆかりは急ぎ足で寮を出て行った。無防備ではあっても、本人も自覚はそれなりにあるようだ。素早く遠ざかる後姿を見送って、更にしばらくの時間を置いてから湊は一人で寮を出た。
(ちゃんと考えないといけないな……)
ゆかりの他にも、風花、美鶴、千尋、結子とは少し距離を置くつもりでいた。最低なことに、『前回』は彼女ら全員と特別な関係になってしまった。これにアイギスとエリザベスも加えれば、もう大変な数だ。甲斐性だとか言って許される領域ではない。
卒業式の日に死を受容できたのも、これで修羅場を巻き起こさずに済むと逃避めいた考えがあったことは否定しない。あの日以降も生きるつもりなら、女関係は普通にしておかないとまずい。せっかく世界の終わりを生き延びても、女に刺されて死んだりしたら目も当てられない。
表向きは十日ぶりの、体感時間では二日ぶり程度の授業を終えると、湊は寄り道せずにすぐに寮に戻った。そして自室に直行し、備え付けの勉強机に向かった。と言っても、勉強をするつもりなのではない。
この日は四階の作戦室に来るように言われているのだが、その時刻まではまだ余裕がある。空いた時間を使って、湊は朝から考えていたことを紙に書いてまとめることにしたのである。
<計画書(極秘)>
今回の女子のコミュの方針をまとめる。目標は誰とも特別な関係にならず、親しい友人に留まること。友人関係さえも不要なら無視するのが最も簡単だが、コミュは築かないとニュクスに勝てなくなる可能性がある。よって、これは極めて重要な課題である。
男と女に友情があるのかどうか。これは永遠の謎であるが、あると信じて進める。
ケース1:結子
結子が自分を意識するようになったのは、子供たちに『コーチとかれし』とか言われたからだろう。ならばコーチをしなければ良いのだが、結子が買って出ることは恐らく不可避。そこで宮本を使う。
膝のリハビリを早い段階で決意させ、コーチが始まったら気晴らしとでも称して宮本を巻き込み、結子ともども引き取ってもらう。子供たちには、彼氏はあっちだと軽く煽ってやれば流れに乗せやすい。
ケース2:千尋
男性恐怖症の克服は実は大した問題ではない。何度か一緒に下校すれば十分。手を繋いだりして過度に意識させないことが重要。
問題は教材費の一件。時期を見計らって竹ノ塚に注意してやれば事件を未然に防げるが、その後の展開が読めなくなる可能性がある。また、千尋を他人に引き取らせる為には敢えて起こさせ、解決させるのが最善。教師の不祥事の為、生徒会役員が適任。生徒会で有望な男といえば、小田桐しかいない。性格が合いそうもない二人であるが、そこは重要でない。とにかく自分以外の男と接点を持たせる。
ケース3:美鶴
対処が最も容易な人物。引き取り手は、言うまでもなく真田。美鶴は他人を下の名前で呼ぶことに、特別な意味を持たせていることは明白。荒垣は名字で呼んでいることから、真田に対しては単に付き合いが古い以上の好意を抱く下地が既にある。
問題は桐条武治を生存させた場合。引き取らせるきっかけを得られなくなる可能性が出てくる。だが父親が健在なら、そもそも真田さえ不要かもしれない。状況を見ながら判断すべき。
ケース4:風花
相手として有望なのは荒垣。料理ができる男は素敵との風花本人の発言もあるので、見込みは高い。料理を教えてやれと荒垣を巻き込んでやれば良い。前回は6月に始まったコミュニティを、荒垣が加入する9月に合わせて始めればなお良い。女教皇のコミュニティは外的な事件がない為、時期が異なることによる問題は少ないと推測できる。
問題は荒垣の生存。10月の天田の復讐それ自体は、知ってさえいれば未然に防ぐことは十分可能。より問題なのは荒垣自身に生きる意志が乏しいことと、制御剤の副作用で元々余命が少ないこと。前者はそれこそ風花に任せられれば最善だが、自分も何かしらの手を打つ必要がありそう。後者の対処には、桐条グループの協力が不可欠。
ケース5:ゆかり
対処が最も難しい人物。引き取り手が見当たらない。美鶴と風花も同様であるが、特別課外活動部のメンバーは生活の中で戦いの占める割合が非常に大きい為、仲間同士でないとインパクトに欠ける。
順平は見込みが低い。特にチドリを生存させた場合は、他の女には見向きもしなくなると考えられる。仲間内では天田が残っているが、相手にはならない。将来はまだしも、今の時点ではいくらなんでも早すぎる。
よってゆかりとの関係は、純粋に友人として仲を深めなければならない。幸いゆかりは母親に対する反発から、結婚せず恋人も持たず、一人で生きていくことを目標にしている。その方向性をずらさずに友情を築く。その為には、自分を異性として意識するきっかけになるポイントを、一つ一つ潰していく必要がある。長期的なスパンで考えなければならない。
(やっぱり基本は、誰か男を利用することだな)
自室の机に向かいながら、湊は書き上げた計画書を読み直した。普通に考えれば、どれも困難極まりない作業だ。ゆかりを除いて、四組もの男女を結びつけなければならない。ローマ神話のクピドじゃあるまいし、結婚相談所の職員でもないただの高校生にできることではない。しかし――
(まあ、何とかなるだろう)
湊は楽観的だった。何しろ普通の高校生と違い、未来を知っているのだから。これは大変なアドバンテージだ。今後一年間でいつ何が起こるかは、ほとんど覚えている。そして彼女たちの性格や嗜好も全員分を把握できているし、引き取り手の男たちのそれも十分に理解している。
我ながら記憶力の良さに感心する。常に先を見据えて計画的に行動すれば、事態の主導権を握り続けることは可能なはずである。関係に変化が起きるタイミングを見計らって上手に男を巻き込み、好意がそちらに向くように誘導すれば良い。もちろん容易なことではないが、決して不可能ではない。
最後にもう一度読み直して頭に叩き込んでから、紙を破いた。更にハサミを使って細かく切り刻んだ。万が一これを他人に読まれたら一大事なので、念を入れて処分した。それらの作業を終えてから、湊はふと時計を見た。
(行くか)
検討を進めている間に、言われていた集合の時刻が迫っていた。湊は気持ちを切り替え、椅子から立ち上がって部屋を出た。外は既に日が落ち、電気も消された部屋は真っ暗になった。その隅に置かれたゴミ箱に、紙屑と化した計画書が押し込まれている。
実はこの計画は、次々と起こる想定外の事態により前提の段階から崩れ去ってしまうのだが、今の湊には知る由もないことである。
湊は寮の四階の作戦室に向かった。何か事がある時はそこに集まるのが、『前回』からの慣例だった。
両開きの大きなドアを開けてみると、役者は既に全員揃っていた。促されて席に着くと、最初に三年生の真田明彦を紹介された。
「よろしくな」
「どうも」
湊にすれば真田は当然見知った顔だが、『今回』会うのはこれが初めてだ。知っていることを表に出さないように注意しつつ、簡単な挨拶を済ませた。柔らかいソファーに腰を沈めながら、湊は改めて全員を見回した。真田の他、『前回』共に戦った仲間である桐条美鶴とゆかりがいる。そしてもう一人、眼鏡をかけた四十代半ばくらいの男が上座に座っている。
「さて、いきなりでアレなんだけど……」
茶色のスーツを隙なく着こなした、如何にも紳士然とした上座の男は話を切り出した。曰く、一日は二十四時間じゃない云々と。話の内容は傍から見れば突拍子もない事柄でありながら、その語り口は立て板に水を流すように、すらすらと淀みがない。
「我々は、特別課外活動部。表向きは部活ってことになってるけど、実はシャドウを倒す為の選ばれた集団なんだ」
男、幾月修司はこう言って一旦話を区切った。人の良さそうな、いかにも善良な大人といった具合の微笑みを浮かべている。そんな笑顔の裏側を覗き込もうとするように、湊は話の間、ずっと視線を幾月に合わせ続けていた。
「……」
湊はこの日の集まりに当たって、幾月と顔を合わせたらどんな思いを抱くかと、自分自身に少し心配をしていた。もちろんこの場で幾月を叩きのめしたりとか、裏で企んでいることを暴露したりとかの、無茶をするつもりは毛頭ない。ただ内心穏やかでいられるか、少なくとも敵意を表に出さずにできるかと心配していた。
表情を消すことは得意だが、幾月相手にまでそれができるか、湊は自信がなかった。だが――
(何と言うか……不思議な感じがするな)
意外にも、怒りや憎悪で心が滾るようなことはなかった。その代わり、死を見届けた人間が生きて動いていることに、奇妙な感慨を抱いた。
『前回』の幾月は11月4日に、タルタロスの天文台で桐条武治と相撃ちになって死んだ。死んだはずの人間が、生き返っている――
(いや……生きてて当然だな)
冷静になれば、そのこと自体は今さら驚くに値しない。過ぎたはずの時間と共に蘇ったのは、何も幾月だけではない。荒垣や桐条武治も生きているだろうし、ストレガの三人も生きているはずだ。何より湊自身が生きている。
問題なのは、そうした生き返った人々とどう向き合うかだ。だから幾月の裏側を覗こうとしているのだが、何も見えなかった。『前回』多くの人々とコミュニティを築いてきた経験から、湊は観察力には自信がある。それでいながら、幾月の表情に裏を伺わせる点は、何一つ見つけられなかった。
(大した役者だよ。全く……)
湊は内心でそんなことを考えていたので、続けて美鶴が語り出したペルソナや影人間などの話は、ほとんど頭に入れなかった。どうせ既に知っている事柄ばかりなので、敢えて耳を傾ける必要はない。ただ適当に相槌を打つだけだ。為に話は誰にも遮られることなく進んでいく。主に美鶴が話し、時々幾月が補足しながら。
「君の力を貸してほしい」
話の最後に、美鶴はこう言ってきた。湊の為に用意された、部員であることを示す赤い腕章と拳銃の形をした召喚器を見せながら。美鶴は言葉だけなら頭を下げているようでもあるが、断ることはできそうもない雰囲気が作戦室には漂っている。
幾月は物腰柔らかく、美鶴は断固とした調子で、真田は楽観的に構え、ゆかりは期待と心配が入り混じった表情でいる。それぞれ種類の異なるプレッシャーを四方向から浴びせられては、よほど強靭な精神の持ち主であっても己の意志を貫くのは至難だろう。四人のうち誰かに同調して流されるか、もしくは『前回』の湊がそうだったように、どうでもいいと投げ遣りになる他あるまい。
だが『今回』の湊は、そのいずれでもない気持ちでいた。若干の申し訳なさを感じながら、視線を美鶴に向けた。
(力を貸してほしいのは、僕の方だよ)
昨日にファルロスと話し合って確認した通り、湊はどう足掻いてもシャドウから逃げられない。ならば立ち向かうしかない。だが一人でできることではないから、仲間の皆の協力は欠かせない。だから湊はこの集まりの前から、『今回』も特別課外活動部に参加することは決めている。既に結論が出ていることだから、考えるまでもない。
「分かりました」
繰り返すが、考えなければならないのは『生き返った』人々をどうするかである。幾月を含めて。
もし『前回』と全く同じように振る舞えば、荒垣や桐条武治はやはり死んでしまうだろう。だが彼らの行動や背景を知っている『今回』ならば、生存させることは不可能ではない。いや、むしろ特別難しいこととすら言えない。何しろ展開が読めているのだから。二人の死は水際で防ぐこともできるし、事態をそもそも起こさないようにすることも十分に可能である。上手くやれば、ストレガの三人さえ死なせずに済ませられるかもしれない。
(やっぱり、そうするべきだろうな。でも……)
湊は視線を美鶴から幾月に戻した。相変わらずの穏やかな大人の表情が浮かべられている。これが仮面であるとは知っていても信じられないほどに、善良な顔が板についている。
「そうか、感謝するよ。ああ、そうそう。君の寮の割り当てだけどね……」
(こいつは駄目だな)
荒垣や桐条武治は助けたいと思う。ストレガにも思うところは色々ある。だが幾月は駄目だ。優秀な研究者であった幾月が、どうして滅びの思想に取りつかれたのか。そうした背景の事情には興味がある。
だが助けたいとは思わない。説得する気にもなれない。『前回』はずっと騙され続けてきたことに絡んで、恨みを抱いているのだろうか――
(いや……そういうのじゃないな)
恨んでいるのなら、顔を見るだけでも心が騒がしくなるはずだ。だが面と向かって言葉を交わしても、そうした暗い感情は湧いてこない。なぜだろうか――
(まあ、どうでもいいか。幾月を破滅させても、僕は後悔しないだろうから……)
自分の心の動きの原因を探そうとする思考を、湊は切り捨てた。物事の切り替えは得意な方である。だからどうでもいい問題には構わないでいることができる。
湊自身はどうすれば来年の卒業式の日を越えて生き続けられるか。今のところは、この問題の解答はアイディアの一つすらない。だがそれとは別に、やはり助けられそうな人は助けるべきだと思っている。単純な善意もそこにはある。だがより切実な問題として、湊はこの二度目の一年間に後悔の種を残しておきたくない、という考えがあった。
悔いを抱いたまま死んでは、死後にまた時間が戻ってしまうのでは――
そんな危惧を拭えないでいた。荒唐無稽だが、杞憂に過ぎないと切り捨てることはできない。時間が戻った原因がユニバースであるならば、十分にあり得ることだ。そしてそれ以外の原因は思い付かない。
だから助けられる人は助けたい。そして助けなくても後悔を感じなさそうな人は、助けない。この日のうちに、湊はそこまで決断した。
余談であるが、集まりが解散となった際に、湊の頭に声が響いて愚者のコミュニティが発生したことを告げてきた。その時、湊は特別課外活動部のアルカナが自分のそれと同じであることに、今さらながら感慨を持った。
同じアルカナ――
即ち特別課外活動部は、『湊の』コミュニティである。ならば現場リーダーとして表を仕切るのみならず、裏も自らコントロールしていかねばならない。そしてその為には、裏を仕切る幾月をどこかで必ず排除しなければならない。
(だけど……それは大分先の話になるだろうな)
幾月は必ず排除する。ただし今すぐそれを実行してはならない。まずは排除する手段を準備しなければならないし、何よりこの4月の時点では幾月には利用価値が色々とあるからだ。事を起こすのは、その全てがなくなってから――
湊はそんなことを考えながら、寮の階段を下りて自室へと向かった。表情だけは何食わぬ顔で、腹の中身は完璧に隠していた。生身の顔そのものが、古典的な演劇や舞踏会で用いられる仮面と化したように、無表情を作り続けていた。もしこの場に人の心を読める存在がいれば、読めてはいても信じられないほどに、内心の考えと外面が乖離していた。
最低ですね、この人。