「夏期講習でまでこれを取るなんて、見どころがあると言うか、突っ込みどころがあると言うか……」
今週は『前回』同様、全員揃って学校で夏期講習である。夏の暑い盛りに補習とは、勉強嫌いな順平ならずとも面倒な話である。しかも一学期の定期試験は中間、期末共に学年トップだった湊は、補習を受ける必要など本当はない。保健の江戸川が言う通り、突っ込みどころは満載である。
しかし突っ込んでも文句を言っても、受けないわけにはいかない。何しろ湊同様に学年トップの美鶴まで律儀に受けるのだから、成績を理由に断るのは難しかった。まして『前回』受けた補習の内容は全て記憶していることなど、全く理由になりはしない。
(今日は確かタロットだったな)
記憶の通り、江戸川は早速懐からカードの束を取り出した。占いの道具であると共に人生の縮図でもある神秘のカードを、怪しい語り口でもって講義していたので、『今回』もそうなる。と思いきや――
「何かこの話は、既にやり尽くしてしまったような気がしますねえ……」
(ん?)
江戸川はカードの束を教壇に置き、腕を組んで考え出した。『今回』の総合学習の授業では、タロットはまだテーマに挙げられていない。しかし湊は同感だった。一学期から度々保健室に通っては、江戸川に話を聞いていたからである。もしかすると江戸川の方も、湊への個人教授によってタロットはやり尽くした感に襲われたのかもしれない。
しばらくの時間を置いてから江戸川は腕組みを解き、改めて語り出した。
「今日はこれまでの授業とは違う方面から、魔術にアプローチしてみましょうか。今日のテーマは西洋思想の根源の一つ、キリスト教にします」
そうして『前回』とは異なる授業が開始された。
「キリスト教はそれ自体が神秘的な概念を多く含んでいます。聖書にはイエスが起こした様々な奇跡が記されていますね。水をワインに変えたとか、二匹の魚と五つのパンで五千人の腹を満たしたとか、色々やっています。彼が生前行った最大の奇跡は、ラザロの復活でしょうかねえ……。『起きよ』の一言だけで死人を蘇らせるのですから。これはとんでもないことですよ」
死者の蘇生――
(確かにとんでもないな)
もしそんなことが可能なら、『前回』死んだ荒垣や桐条武治を生き返らせてやりたかった。そうすれば時間が戻ることもなかったかもしれないのに――
「そしてご存知の通り、イエスは十字架にかけられて殺されますが……三日後に自分自身が復活してしまいます。イエスは史上最大の魔術師と言っても過言ではありませんね」
(なるほど。時間がどうという以前に、自力で復活すれば良かったんだな)
そんなことは他人を生き返らせる以上に無理な話であろうが。何しろ自分には世界を救済するとかの意識がそもそも少ない。本物の救世主が行った奇跡を再現するなど、自分には到底不可能だ。
「さて、始まりがこういう人ですから、その後のキリスト教の伝統においても魔術的要素は生き続けます。例えば、いわゆる最後の晩餐です。ダヴィンチの有名な絵がありますから、皆さんもご存じではありませんか? 処刑の前夜におけるイエスと弟子たちの夕食です。イエスはその席で、パンとワインをそれぞれ己の肉体と血であるとして、弟子たちに与えています」
「これは聖餐と呼ばれる儀式として後世に伝わり、現代も教会で日常的に行われています。信徒たちは司祭からパンをもらい、ワインに浸して食べるのです。これは救世主たるイエスの存在を、パンとワインの中に確認するという意味があります。教派によってパンだけだったりすることはありますがね。しかしいずれにしましても、聖餐とは象徴を用いた魔術的な儀式に他なりません」
「ちなみに聖餐はギリシャ語で『キノニア』、ラテン語で『コムニオ』と言います。英語だと『コミュニオン』です。つまり神と人の交わり、或いは信徒同志の交際、更には教会組織間の交流をも意味します。この点だけを取ってみても、聖餐の儀式がキリスト教会においていかに重要な位置付けをされているか、よく分かりますね」
(へえ……そう言えば、僕もコミュでは何か食べることが多いが……)
「このようにキリスト教は魔術的要素を含んでいますが、歴史的にはキリスト教は魔術を弾圧してきました。その根拠として挙げられたのが、旧約聖書の出エジプト記にある戒律の一節、『魔術を行う女を生かしておくな』です。つまりイエスが行った奇跡以外の魔術を認めないわけです。ちなみに女と言われているのは、魔術を行う者と言えば女、つまり魔女が一般的とされていたからです。しかし男の魔術師も、やはり弾圧の対象になりました。キリスト教による魔術弾圧の最高潮が、いわゆる魔女狩りであるわけですが……これには一つ注意が必要です」
ここで江戸川は一呼吸入れた。
「魔女狩りと言うと、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか? ヨーロッパの中世の時代、カトリック教会の主導で罪のない人々が過酷な拷問にかけられて自白を強要され、殺された……とかでしょうか? 確かにそうした側面はありますし、処刑された人も数万人に上ります。しかしそうした残虐なイメージは、特に15世紀のスペインで行われた異端審問に拠っています。あれは時のスペイン国王がローマ教皇を恫喝して本来は王権に属さない異端審問を行う権利を手に入れ、政敵や異教徒を迫害する手段として用いられたのが実際のところです。本当に魔術を行った為に弾圧された例は、実はごく少数です」
「更に魔女狩りの歴史においては、聖俗いずれの権力も持たない一般の民衆が加害者となった事例も非常に多いです。地域社会における一種の自警組織である民衆法廷で、魔女と告発された人が裁かれ、時に処刑されたのです。一般の人々の間でなぜそんな暴挙が行われたのかは諸説ありますが、ヨーロッパの時代が中世から近世へと移ろうとする社会的な変動が民衆に言いようのない不安を呼び起こし、その吐け口として魔女狩りが行われた……と言ったところでしょうかね」
(社会不安ねえ……。まあ、そんなものかな)
『前回』の1月頃の町の状況を思い返すと、何となく思い当たる節があった。
「つまり魔女狩りとは、異教徒や異端者への迫害という宗教的側面以上に、政争の道具であるとか、民衆のヒステリーという俗な側面の方が強い事象なのです。これは裏を返すと、魔術に対して正しい理解を持っている人はとても少ないということになりますねえ……。隠された知識に対して、人々は免疫がなさすぎるのですよ。今も昔も。嘆かわしいことです」
そう言って江戸川は小さくため息を吐き、教室を見回した。
「……みんな、聞いてますかね? 三途の川を渡っちゃ駄目ですよ、ヒヒヒ。それじゃ、きちんと聞いていたか、少し質問してみますかねえ。間違うと聖体が違うものに化けますよ。キリエ、エレイソン、クリステ、エレイソン……」
江戸川が祈りの言葉を呟いている間、湊も教室を少し見回してみた。ほとんどの生徒は聞いていない様子である。ゆかりは欠伸を噛み殺しているし、順平に至っては机に突っ伏している。もっとも総合学習の授業は往々にしてこのようであるが。
「……誰がいいかな。はい、有里。汝に問う。聖餐を英語で言うと?」
だから数少ない真面目に聞いている生徒である湊は、頻繁に江戸川から当てられる。
「コミュニティ」
「残念、惜しいけど外れー。聖体が黒パンと白ワインに変容してしまいましたー」
(あら……僕としたことが)
正解は『コミュニオン』だ。ちゃんと聞いていたにも関わらず、親しんだ言葉でもってうっかり回答してしまった。自由に動かせる口を持つ『愚者』にしては珍しい、単純な言い間違いだった。
ちなみに聖餐で用いられる聖体は、多くの場合が白パンかウェハースと赤ワインである。つまり白い肉体と赤い血だ。これが黒パンと白ワインだと、それぞれ何を象徴するようになるのか――
この点に関して江戸川は説明せず、授業を続けた。だから湊にも分からなかった。
「……まだ時間がありますね。せっかくですから、話を続けましょう。聖書には先ほど紹介した出エジプト記の戒律の他にも、魔術について言及している箇所があります。例えばヨハネ黙示録にある、『魔術を使う者に対する報いは、火と硫黄の燃える池』という一節です」
「ヨハネ黙示録と言うと、ご存知の方も多いのではないでしょうか。最近ではマンガやゲームでもよく取り上げられますからね。これは紀元1世紀後半に成立した予言書で、新約聖書の最終章に収められています。読んでみると分かりますが、イエスと使徒の言行録としての性格が強い他の福音書とは趣向が大きく異なっています」
「小羊が七つの封印を解く度に、四人の魔人、もとい死神……でもなくて、四人の騎士が現れて災いをまき散らし、天変地異が発生します。更に七つのラッパが鳴り響く度に、地上や海が汚染されます。最後には神と悪魔の大戦争が起こります。まさに一大スペクタクルです。このようなものですから、ヨハネ黙示録は古くから終末思想の典拠としてよく引き合いに出されていました」
「終末思想そのものは、キリスト教に限ったものではありません。仏教やヒンズー教にも似たようなものがあります。日本でも末法思想と呼ばれる思想が中世の時代に流行しました。洋の東西を問いませんし、古代から現代に至るまで連綿と語り継がれてきた、歴史的に普遍性のある思想です。しかしそれらの思想で語られる終末を、文字通りの意味で人類の滅亡と解釈するのは正しくありません。ヨハネ黙示録を例に取れば、ラストでは新しい天と地が築かれて神を信じた人々がそこに住まうと書かれています」
「つまり、悪い者が滅んで正しい者が生き延びる……と、要はそういうことです。話の構造から言えば、世間によくある勧善懲悪の物語と基本的には変わりません。だから終末思想は時代を超えて流行するのです。本当にこの世の終わりを希求する人なんて、めったにいやしません」
(ごもっとも……)
「更に言うと、そもそも終末が未来に訪れるという考え方からして、正しいとは言えません。もちろん新興のカルト宗教がよく言うような、現代こそがその時代という意味ではなく……おっと、時間ですか。惜しいですねえ。これからが良いところなのに……」
終了のチャイムが鳴ると共に、教室の各所から一斉に伸びをする声が上がった。いつものことである。今日は授業の内容こそ『前回』と異なったが、その辺りは変わらない。
この日の補習が全て終了してから、湊は保健室に向かった。せっかく学校に来たのだから、今後の為に江戸川の意見を聞いておきたい事柄があるのだ。そうして保健室の扉を開けてみると、意外な人物がそこにいた。
「あら、有里君。久しぶりね」
保健委員の長谷川だった。なぜ学校にいるのだと聞いてみると、彼女も夏期講習を受けていたとのことだった。だが講習期間中に委員会の仕事はないはずである。
「私、暇だから」
そう言って彼女は穏やかに笑った。彼女の成績がどの程度のものなのかは聞いていないが、補習が必要なタイプには見えない。ひょっとすると、暇だからという理由で必要もない夏期講習を受けていたのかもしれない。
そうこうしていると、奥の小部屋の扉が開いて江戸川が現れた。
「保健室に何か用かね……って、君ですか」
「ちょっとお話ししたいことが」
「何ですか? もしや聖体を拝領しに来ましたか? いけませんよ。私はクリスチャンではありませんから。コミュニオンをしたければ、教会に行きなさい。私はキリスト教を信仰はしませんが、信じている人を否定するつもりもありません。たとえ君が受洗しても、破門したりはしませんからご安心なさい」
江戸川は時々このような脱線をする。もっともそれは脱線ではなく、江戸川なりの説明の一環なのかもしれないが。
「いえ、そうじゃありません。人造人間についてお聞きしたいんです」
「ほほう……これはまた、なかなか難しいテーマを持ってきましたねえ……」
そうして『今回』は既に何度か行っている個人教授が開始された。まず江戸川によるテーマの概説から始まり、歴史的背景や哲学的な意義、更にはその後の魔術や科学に与えた影響などが説明される。説明が一段落すると湊から質問が飛ぶ。江戸川はそれに答えつつ、更に話が深まっていく。
話が進むにつれて江戸川は次々とマニアックなオカルト知識を披露し、湊は更に突っ込んだ質問をぶつける。江戸川は大抵の質問は素早く切り返してくるが、時には腕組みをして唸ったりする。そうした二人の怪しい議論を、長谷川は小さな微笑みを浮かべながらずっと黙って聞いていた。
サボりの生徒はおろか病人や怪我人さえ入って来れない、月光館学園保健室のいつもの風景がそこにあった。ただし総合学習の授業風景と違って、『前回』はあまりなかったことであるが。