溜まり場でタカヤと接触した翌日の昼間、寮の二階にある真田の部屋のドアを湊はノックした。ドアは間を置かずにすぐに開けられ、部屋の主が顔を出した。
「部屋に来るとは珍しいな。まあ、入れ」
確かに珍しい。『前回』を含めて男の仲間の部屋に入るのは、これが初めてである。それってどうなんだ、と突っ込みが入りそうだが事実は事実である。
湊はドアの敷居を跨ぎながら、通された部屋を軽く見回した。監視カメラの映像で真田の部屋の様子を見たことがあるが、全くあの通りだった。机や壁にはトロフィーや表彰状が飾られ、床にはそこかしこにトレーニング器具が転がっており、サンドバックまで吊るされている。真田らしさが存分に表現された部屋である。
ただ一つ、真田らしくないものが不意に目に留まった。『今すぐ使える会話テク』とか表紙に書いてある雑誌が、机に置いてある。だがそこは敢えて気付かない振りをしてあげた。
「そうだ。順平から聞いたんだが、今日の映画祭りは面白そうなのをやっているそうだぞ。どうだ、行くか?」
今日のテーマは『秘拳・格闘奥義大全』で、『前回』も真田と一緒に見に行った。その時の真田は映画のワイヤーアクションを本当にやっているのだと勘違いして、間違った方向で熱を上げていた。
「いえ……ちょっと話したいことがありまして」
これで何事もなければ映画を見に行っても良いのだが、『今回』はそうはいかない。聞き出しておかねばならないことがある。
真田は何だと聞きながら、椅子を勧めてきた。そして本人はベッドに腰掛けた。溢れかえったトレーニング器具が手狭に感じさせる部屋に、男二人だけで向かい合う形になった。傍目にはいささか暑苦しい状況である。だが湊はそんな雰囲気を意図的に無視して、話を切り出した。
「最近、荒垣先輩とは会ってますか?」
「ん? ちょうど昨日会ってきたばかりだぞ」
(昨日か。多分復帰を誘ってたんだろうが……)
5月の真田の検査入院と6月の溜まり場の一件で、湊と荒垣は会っている。真田は少なくともそこまでは知っているはずだ。だが真田が湊と荒垣の関係をどこまで認識しているかは、はっきりしたことは分からない。『前回』の9月2日に荒垣が復帰した際のやり取りから、その前から真田は何度か荒垣と会って説得していたことは察しがついている。『今回』もそうしていれば、荒垣の口から何かしらのことを聞いている可能性はある。まずはそこから探るべきか――
(いや……真田相手には、回りくどいやり方は良くないな)
最も気になるのは、湊がストレガと接触を持っていることを聞いているかどうかだ。だがもし知っていたら、真田の性格なら真っ先に問い質しに来そうなものである。それがないということは、聞いていないと判断できる。ならば正面から攻め込んだ方が良い。
「単刀直入に聞きます。荒垣先輩は元々この部にいたんですよね?」
「む……なぜそんなことを?」
それまでの柔らかい、或いは軽いとさえ言ってよいものだった真田の視線が急に鋭くなった。荒垣の過去について、今まで真田と話をしたことはない。
「実は荒垣先輩とはラーメン屋とかで一緒になったことがありまして。少し話をしたんですよ」
これは一応本当である。『今回』の荒垣とは6月9日に一緒にはがくれに行き、月のコミュニティを築いたのだった。その時に以前は特別課外活動部に在籍していたのではないか、と聞いてみた。荒垣ははっきりとは答えなかったが、肯定の意味をもって話していた。
「無愛想なあいつがな……」
「どうして荒垣先輩は抜けたんですか?」
「悪いが……シンジのことはあまり詮索してもらいたくない。必要があれば、シンジから話すだろう」
真田はこちらを真っ直ぐ見つめたまま、拒絶の意思を返してきた。『前回』からそうだったが、特別課外活動部の三年生組は必要なこと以外は話そうとしない、秘密主義めいたところがある。特に美鶴はその傾向が顕著だが、真田もそうしたところがある。『今回』は真田との間にはコミュニティがあるが、それでも親友の秘密を他人に明かす気にはなれないようである。
「済みませんが、そうも言ってられないんですよ」
秘密を持つことそれ自体は、別に構わない。逆にあまりオープンすぎても、かえって良くないこともある。どれだけ親しい仲であっても、互いの裏も表も全て知り尽くすことが良いとは限らない。まして抱えている秘密の数なら湊の方が圧倒的に多いのだから、この点で真田たちを責める筋合いは本来ない。だから言いたくないことを無理に聞き出すのは本意ではない。だが今の状況ではそれを言ってはいられない。
ここは『愚者』の話術の見せどころだ。荒垣の秘密について、無理やりにでも真田の口から言わせる。たとえ星のコミュニティに亀裂が入ってしまおうとも、である。人間関係の後退は少々のことなら取り返しがつく。だが取り返しのつかないものも、この世にはあるのだ。
「天田乾という小学生を覚えてますよね? 一学期の期末試験が終わった時、幾月さんから紹介された子ですよ。適性の見込みがあるって話でしたが」
「……」
真田は答えない。ただ表情に苦しいものが少しずつ混じってきた。
「先輩は天田を前から知ってましたよね?」
「どうしてそう思う」
「先輩、あの時に岳羽と順平に言ってたじゃないですか。知り合いだったのかって」
7月18日の放課後、校門前で幾月から天田を紹介された時、真田は明らかに不審な反応を示していた。少々勘の鋭い者が見れば、二人の間には何かの因縁があるのだと気付くほどのものだった。その点、何も気付かなかった『前回』の自分は間抜けだったとしか言いようがないが。
「確かに……知ってはいた。だが、それがどうした。幾月さんは見込みがあると言ってたが、結局あいつはこの寮に来なかった。まだ子供だからか、そもそも見込み違いだったのかは知らないが、要するに俺たちの仲間にはならないんだ。お前には関係ない話だろう」
真田は苦虫を噛み潰しながらも、まだ粘る。真田は決して単純明快な朴念仁ではないし、直情的なだけでもない。しかし交渉事が得意なタイプではない。お前には関係ない、の一言だけで『愚者』の本気の追及から逃げられると思っているのなら、それは大きな間違いである。
「天田は今、行方不明です。初等科の寮に確認してみましたが、夏休みから来ていないそうです」
「何だと!? いや……親戚の家にでも行ってるんじゃないのか?」
真田は一度目を見開き、直後に逃げ道をまた探す。だが湊は黙って首を横に振った。
一種のアリバイとして、初等科の寮に確認したのは本当である。ちなみに天田は夏休みだけ巌戸台分寮に仮入寮するという話があったが、あの件は幾月が学校で手続きだけは済ませていたらしく、その為に初等科の寮はそのように認識していた。そして天田は学費を出している親戚の家にもいないことは、桐条グループの調査で既に分かっている。だがその辺りの事情を真田に詳しく説明する必要はない。必要なことだけを話して、必要なことを聞き出せばいい。
「話してくれませんか? 荒垣先輩が抜けたのは、天田と何かあったからじゃないんですか?」
「二年も前のことだ。もういい加減、忘れたいんだが……」
真田は目を背けた。あの件は荒垣にとっては無論のこと、真田にとっても忌まわしい記憶であろう。だがこれはどうしても聞き出しておかねばならない。と言うより、聞き出した事実が必要なのだ。今後の為に。
「他の皆には黙っていろと言うなら、そうします」
「あれは……事故だったんだ」
目を背けながら、真田は遂に口を割った。
二年前のある影時間、タルタロスの外に出現したイレギュラーのシャドウを真田、荒垣、美鶴の三人で倒しに出かけた時のことだった。シャドウは無事に倒すことができて、影時間も明けた深夜の帰り道にそれは起きた。
「元々シンジのペルソナは俺や美鶴のより強いと言われていたが……その分、制御が難しかったんだ」
ポートアイランド駅外れの空き地、今は不良がたむろする吹き溜まりと化しているその場所は、二年前までは普通の家族が住む家があった。だが突如として暴走した荒垣のペルソナにより家屋は破壊され、住人の一人が瓦礫の下敷きになって死んだ。それが天田の母親だった。『前回』の10月、美鶴や幾月から聞いた話と同じ内容だった。
「その様子を、天田は見ていたってことはありませんか?」
「それは……いや、一般人がペルソナを見ても、何なのか理解できるはずがない」
真田は言い訳めいたことを言うが、一理はある。『前回』の8月28日、天田の加入を渋々ながらも真田と美鶴が了承したのは、『事故』の真相を天田は知らないと思っていたからであろう。結果から見れば、それは極めて甘い考えだったわけだが。
「そうですけど、荒垣先輩の顔くらいなら見てませんでしたか? 事故の時、先輩たちは荒垣先輩の名前を呼んだりしませんでしたか? その時、学校の制服を着てませんでしたか?」
「……」
真田は眉根を寄せ、懊悩を始めた。思い当たる節があるのだろう。
『前回』の天田は荒垣が母親の仇であることをどうして知り得たのか、湊はその辺りの事情を詳しく聞いてはいない。暴走したカストールの姿を見ていて、荒垣の復帰後にそれと気付いたのかもしれないし、或いは何かのきっかけでそれ以前から知っていたのかもしれない。
「仮に顔を見てなかったとしても、もしペルソナに目覚めたらどうです? と言いますか、天田は適性の見込みがあると幾月さんは言ってましたが、実は既に目覚めていたとしたら、どうでしょう。ペルソナが関わっていると、それだけでも理解できたら……」
「……そうか。もし天田がペルソナに目覚めたら、あの事故の真相に気付くこともあり得るな。だとしたら、天田はシンジを探し出そうとするだろうな……」
かくして誘導尋問に成功した。必要な部分においてのみ、真田に認識を共有させることができた。残るは最後の情報の確認である。
「事故があったのは、二年前のいつです?」
「確か……10月4日だったな」
「今年は満月ですね」
「!……」
真田は腰掛けていたベッドから立ち上がり、壁に貼られたカレンダーをめくった。湊の部屋にあるものもそうだが、この寮に置いてあるカレンダーは全て月齢が書き込まれている。そして10月4日の日付は、赤ペンで丸く囲われていた。
「何か……嫌な予感がするな。お前の話は仮定ばかりだが、嫌な予感がする」
そう。今日の話は仮定ばかりである。『前回』に得た知識は根拠を示しづらい為、人に話す際にはどうしても仮定や推測の形を取らざるを得ない。しかも『今回』の天田がどこで何をしているのかについては、湊も確信を持っていないからなおさらそうなってしまう。だが無視や楽観を決め込むには、事態が重要すぎる。
昨日の溜まり場での別れ際のタカヤのセリフから、天田がストレガと行動を共にしている可能性に湊は気付いた。ただし飽くまで可能性である。だからこの段階で、自分がストレガと接触を持ったことを話すのは控えた。ただ今後に荒垣と天田に関して自分が動きやすくなる為に、そして真田を動かしやすくする為に、事故の件を聞き出しておいたのである。
「取り敢えず、今度荒垣先輩に会ったら注意するように言っておいてくれませんか?」
「分かった……そうしよう」
それで話は終わりになり、湊は真田の部屋を辞した。もちろん映画祭りに行くような気分では全くなくなったので、一人で自室に戻った。
(真田にはあれくらいでいい。問題は他の皆にも話すかどうかだが……)
自室のベッドに腰掛けながら、湊は考えた。天田の失踪を部の他の皆に話して、認識を共有させるべきかどうか。
(ゆかりと順平、風花に話す必要はない。問題は美鶴だな)
今日真田に話したことを美鶴に話せばどうなるか。失踪していることは事実だし、荒垣に危険が迫っている可能性については納得させられるだろう。だがどうして天田の失踪に湊が気付いたのか、という問題がある。その点、今日の真田は何も追及して来なかった。荒垣との縁が誰よりも深い為、そこまで気が回らなかったのであろうが。
だが美鶴ならその不自然さに気付く可能性はある。そうなると話が非常にややこしくなる。幾月の『転任』と天田の仮入寮が流れたことの真相については美鶴に話さないよう、桐条武治から釘を刺されている。そしてそれ以上に、ストレガと接触を持っていることを今の時点で知られるわけにはいかないのだ。また天田の件を教えたところで、美鶴がどこまで役に立つかは微妙だ。武治には既に話してある以上、ペルソナ使いとしてではなく人間としてできることで、美鶴に期待できるものはない。
(話すべきじゃないな。残るはアイギスか……)
ストレガと接触を持ったことは既にアイギスには伝えてあるし、天田が失踪していること自体はもちろん彼女も分かっている。だが昨日にタカヤから制御剤を貰ったことは話していない。話せば必ず反対されるから。
(……時期尚早だ)
アイギスに話す必要はいずれ出て来るかもしれない。だが天田がストレガといることに、確証があるわけではない。むしろ可能性は高くはない。よって今の時点では彼女に話しても特にメリットはない。話すにしても、それは9月の半ば頃でも構わない――
湊はそう判断した。結果的に、真田以外の誰にも話さないことにした。
この後、タカヤに最後のセリフの意味を改めて確認しようと、湊は再びインターネットで復讐依頼サイトを探した。だがそもそも違法なあのサイトは、素人には辿り着けないくらい地下深くに潜ってしまったのか、湊は見つけることができなかった。
そしてタルタロスを探索する度に、天田がいないか密かに探してみるのだが、やはり見つけることはできなかった。痕跡の一つさえ見つけられなかった。