「そんなに尻尾振ると、ちぎれちゃうぜ。はしゃぎ過ぎんなよ?」
夏の暑さがようやくにして和らぐ夜の時間、湊は長鳴神社にコロマルの散歩に来ていた。ただし一人ではなく、順平が一緒だった。
散歩に来た時は大抵そうだが、コロマルは神社の遊び場スペースを存分に駆け回っている。遊びの相手が一段落したところで、湊は順平と並んでベンチに腰掛けた。舌を出しながら元気に遊び続けるコロマルの姿を眺めながら、順平が笑顔で話しかけてきた。
「今日の映画、楽しかったよな。あんなの見ちゃうと、自分がすげえ強くなった気がするよな」
今日の昼間は二人で一緒に映画祭りに行ったのである。テーマは『アメコミヒーロー・エンドレス』。肉体美を強調するスーツをまとった、アメコミヒーローたちの活躍を描いた作品の特集だった。キャラメル味のポップコーンを食べながら、自由と正義の美学(?)を二人で学んできた。そうした派手な映画を見た直後の観客の中には、妙に姿勢が真っ直ぐになったり肩で風を切って歩いたりする人もいるが、順平もその例に漏れない。湊は『前回』も見ていて内容を知っていた為、そうした反応は示さなかったが。
天田やら荒垣やらストレガやら、色々と深刻な問題を抱えている最近であるが、毎日そればかり考えて過ごしていても仕方がない。何か動くにもタイミングというものがある。だから予定が空く日は一年間のどの時期でも生まれる。そういう日は戦いと関係のない行動もする。戦士にも休息は必要だ。ただ今日の映画祭りは休息ではなく、ある種の打算があった。
「俺、アメリカに生まれるべきだったよな。そしたら今頃、こう……。美女をガーッと救ったりね! 国をズバーッと救ったりね!」
「ワー、スゴイヨー、ジュンペイマン……ってか?」
「そう、それだ! あー……惜しかったな、俺」
棒読みのセリフを外国人が喋る変な日本語と受け取ったか、順平は目を閉じて本気で残念そうにする。それに対して湊は何も突っ込まなかった。
冗談は別にして、順平の感慨はある意味では仕方のないことである。美女はともかく人々を救ってはいる特別課外活動部の戦いは、世間に知られることがない。壮大極まるボランティア活動だ。いや、救われた人に金銭はおろか感謝の一言も貰えない点を考えれば、ボランティアとさえ言えない。およそ考えられる限りの、究極の無償奉仕だ。陰徳にも程がある。
それでも戦いに何か個人的な目的があるなら、人に知られなくても良いかもしれない。例えばゆかりや美鶴はそうである。だが今の時点の順平にそうした目的はない。ならば見返りのないことを残念に思うのは当然である。誰もが聖人君子であるわけではない。と言うより、世の中全体を探したところで、そんな出来た人間はそうそう見つかるものではない。もちろん特別課外活動部にもそうした類の人はいない。
(こんな生活を続けていられる順平の精神力は大したものだが……)
順平は聖人ではないが、勇敢ではある。だがそれを良いことに順平を放置しておくと、そろそろ限界が来てしまう。見返りがないだけならまだいいが、『今回』はそれに加えて戦いそのものが非常に過酷だ。そして更に悪いことに、順平は今月初めに刈り取る者と遭遇して以来、自信を失ってしまっている。タルタロスの探索をサボったりはさすがにしないが、今一つ気乗りしていない。そこをフォローする為に今日は一緒に映画に行ったのだ。
「あの主人公、ヒロインに分かってもらえて良かったな」
映画の話である。主人公は普段は一般人として生活しているが、ヒーローとして活躍する際は変装して戦う設定だった。だから主人公の正体は世間に知られていないのだが、ラストで恋人にだけは知ってもらえる、という筋だった。
「ああ……そうだな。誰も知らないところで正義のヒーローなのって、辛そうってか……」
順平は普段の軽い仮面を音もなく外し、真剣な表情になった。しかし――
「僕らもペルソナ使いの恋人がいればいいのにな」
「お、いいなそれ! 正義のヒーローと、一緒に戦うヒロイン! 理想だな!」
真顔になったのは一瞬だけで、順平は急ににやけ顔になった。コミュニティを通じて接している時はいつもそうだが、変わり身が非常に早い。『愚者』には及ばないまでも、魔術師もなかなか仮面を使い分けるのが上手い。
「ペルソナ使いの女の子って言やあ、桐条先輩にゆかりッチ、風花、んでもってアイちゃん……。レベル高いのばっかだな。実は女の子はカワイくないと、ペルソナ使いになれないのかな?」
それは謎である。だが至極どうでもいい謎なので、考察する価値はない。
「友達以上の関係ってのは難しそうだがな」
「あー、言えてんな。桐条先輩なんか、学年トップで生徒会長。頭良くないと相手にされないっしょ。ゆかりッチだって結構人気あるし? 実際、理想とか高そうだしな。風花は……実は難易度高いかも。奥手そうだから男らしくドーンと……。アイちゃんはロボット……って、それ以前に売約済みか」
「……」
以前と以後が逆のような気がするが、敢えて突っ込まずにおいた。突っ込んでも無駄そうだし、突っ込む意味もない。
本意ではないのだが、アイギスとの仲は一種の既成事実のように皆から認識されている。事の発端は屋久島で湊がアイギスをナンパした、と順平が思った為だ。誤解を解かないうちにアイギスが色々と暴走したせいで、部の女性陣とコミュニティを築くことはほとんど無理な状態になってしまっている。
「うーん……どうしたらいいんだ、俺は?」
コミュニティが期待できない以上、彼女らとの個人的な関係には気を遣う必要がない。愚者と大晦日に発生予定の審判のコミュニティのみで十分である。従ってゆかりと風花と美鶴は今やフリーな状態にいるわけだが、だからと言って順平に望みはない。そもそも望む必要もない。
「まあでも、ペルソナ使いじゃなくてもいいじゃないか。誰か大切な人がいれば、その人を守る為の戦いになるさ」
これが言いたかった。これの為に、今日は一日順平に付き合ったようなものだ。
「大切な人……か」
「いないのか?」
「へへ……野暮なこと、聞くなよ」
順平は再びにやけた。口では言わないが、目は『いる』と言っている。実に分かりやすく。聞く前から半ば予期していたが、この反応はまず間違いなく具体的な人物を念頭に置いた上でのものだ。
順平はこの時期にはもうチドリと出会っていることは、湊には分かっている。その証拠に、一週間くらい前から寮で妙なことを喋っていた。芸術がどうとか、ゴスロリがどうとか。おかげで普段から辛辣なゆかりばかりか、真田にまで呆れられていた。もっともチドリがペルソナ使いでストレガの一員であることまでは、未だ知るまいが。
だが正体を知らなくても、順平はこの時点から無意識的にでもチドリに好意を抱いていた可能性はある。ペルソナ使いになる為の条件であるのかどうかは不明だが、特別課外活動部の女性陣と同じくチドリも魅力的な容貌の持ち主だ。ただし性格はタカヤをも上回る破滅的なものだが。
そんなチドリに『前回』順平が親身になったのは、容貌や性格以上の何かで通じるところがあったのだろう。この二人ならば、出会った瞬間から感じるものがあっても不思議ではない。『前回』自分が築いた五人分の特別な関係とは違う、本当の真実の絆で結ばれた二人ならば――
(何とかしてやらないとな。二人の為にはもちろんだが、僕自身の為にも……)
『前回』のチドリは11月22日、タルタロスのエントランス前で特別課外活動部と戦い、そしてタカヤに撃たれた順平を救う為に己の命を投げ出して死んだ。あれは荒垣や桐条武治の死と共に、『前回』の一年間に残していた大きな後悔の一つだ。だが『今回』は必ず回避する。と言うより、チドリと戦う事態そのものを起こさないつもりでいる。天田の関係で近頃難度が上がってきている気がするが、それでも何とかするつもりでいる。
ただしその場合、順平は今のヘルメスからトリスメギストスへと覚醒する機会を得られなくなって、結果的に戦線から脱落してしまう可能性はある。だがそれはやむを得ないことである。一人分の戦力の維持より、チドリの生存の方が重要だ。誰にとっても。
「映画って言えばよ、春頃にも一つ見たんだ。ジャスティス・ガンマンっての」
順平は話題を変えてきた。口には出さずともチドリを念頭に置いているうちに、照れたのかもしれない。だが言うべきことは言ったので、湊は変わった先の話題に付き合った。
「どんな映画だったんだ?」
「アクションは派手で良かったんだけどよ。何つーかな……イマイチだった。悪い奴があんま悪くなくてな。悲しい過去とか色々あってさ。悪いことしても仕方ねえのかな……って感じで。そう言うのって、やっつけんのも嫌じゃんか。悪い奴は悪くないと、すっきり片付かねえのよ」
(まるでストレガだな)
背景のある悪役は特に珍しくはない。そうしたキャラクターが映画や小説で表現されるケースは、人物像の振り幅の少ない純粋な悪役よりもむしろ多いくらいだろう。そしてフィクションではなく現実においては、もっと珍しくない。世の中に聖人がめったにいないのと同様に、何の事情もない生まれついての悪人など探してもそうは見つからない。もちろんストレガも違う。チドリだけでなく、タカヤとジンも違う。
「いい映画じゃないか」
「そうかあ? 今日のみたいなのの方が、気楽でいいじゃんか」
「リアリティがあるだろ。誰だって事情の一つや二つは必ずある……どんな腹黒い奴でもな」
ストレガのようだと当初は思ったが、言いながらまるで自分自身のように思えてきた。自分は大嘘吐きの陰謀家で、一言で言って最低な人間だ。だがそれも事情があってのことだ。全ては来年の3月を越えて生き延びる為。そして再び時間が戻ることがないようにする為だ。
(そう言えば、前のあの日の順平は……)
1月31日の決戦の日のことである。順平はストレガの素性を聞いた為か、ジンの死に痛みを感じたりタカヤにとどめを刺さずにおいたりしていた。チドリの仇に等しいあの二人を憎んでいなかったはずはないのだが、結局自ら手を下すことはなかった。つまり映画と同じで、やっつけるのを嫌がっていた。ならばもし何かの弾みで自分の真実を知られたとしても、順平は許してくれるかもしれない――
そんなことを思っているうちに、コロマルが戻ってきた。尻尾をパタパタと振りながら、長い舌を出している。
「ワフッ」
「おー、来たな。んじゃ、そろそろ帰るか?」
順平がコロマルのリードを引き、寮に戻ることになった。心なしか、その足取りは軽やかなものだった。
「映画祭り、まだあんだよな。明日も行くか?」
道路へ続く階段を下りながら、順平は歯を見せながら聞いてきた。行きたそうな感じであるが、残念ながら先約がある。
「行くつもりだが、アイギスと約束してる。三日連続でな」
明日は『風雲忍者列伝』で、『前回』同様アイギスと行く約束を既にしている。明後日は『ザ・リアルSF』、明々後日は『エターナル・ラヴ』で、『前回』は風花と美鶴とそれぞれ行ったのだが、『今回』はそれらもアイギスに先約を入れられている。夏祭りに彼女の誘いを断って、エリザベスと行ったことの償いとして。ちなみに21日のテーマは『悲恋大特集』で、その日の朝にエリザベスに電話で誘われたが断った。それもアイギスに先約を入れられていたし、三人で行くのも論外だから。
「うわ、羨ましいんだか、羨ましくないんだか……。俺も映画は好きだけど、今日入れて四連続ってのはキツいんじゃね?」
常識的に考えればその通りではあるが、『前回』もこの時期はほぼ毎日映画祭りに通っていたのだから、別に構わない。アイギスに誘われることも、一向に構わない。
「お前はそれより宿題やれよ」
「げっ! 嫌なこと思い出させんなよ。つか、お前こそやったのか?」
「これからだよ」
「お、仲間がいた! やっぱ持つべきものは友達だな。一緒に玉砕しようぜ!」
「残念でした。僕は今からやっても間に合うさ」
二期連続で学年トップを取った学力を侮ってはいけない。しかもそれに加えて、宿題の内容も『前回』の経験から当然のように記憶している。よって宿題など、ただペンを走らせればいいだけである。やろうと思えば、ものの数時間で片付けられる自信がある。
「ずりい! 裏切者!」
軽い仮面から飛ばされる野次を受け流しながら、湊は夏の終わりが近い夜を歩いて行った。見上げてみれば、満月へと向かう上弦の月が輝いていた。雨のまるで降らない今年の夜空は、概して晴れている。都会の巌戸台の街の光に混じって、月の光は毎晩地上に届けられている。
余談であるが、翌日以降の夜の時間に、湊は順平から宿題を一緒にやろうと頼まれた。コミュニティの担い手へのフォローとして承知したが、成績が残念な順平は遅々として進まない。二日目くらいから付き合うのにいい加減疲れた湊は、写していいと自分のノートを渡したが、意外にも順平はそれを断って自力で最後までやっていた。その為、夏休みが終わるギリギリまでかかっていたが。