寝込んだり薬を貰ったり夏祭りで決闘騒ぎがあったりと、色々な出来事があった夏休みが終わり、二学期が開始された。大半の生徒は未だ休み気分から抜けきらない始業式の日、寮に戻った湊は制服を着たアイギスに出迎えられた。
そしてやはりと言うか、次の日から月光館学園高等部に登校するとの話になった。『前回』は幾月が面白がって、或いは裏で何かを企んでいてアイギスの転入が決まったのだが、幾月がいない『今回』もそうなった。登校は彼女自身の希望で、『前回』と違って彼女は既に十分な人間性を身に付けている為、学校に行っても問題はなさそうだと判断されたのが主な理由である。
しかもそれに加えて、意外にもゆかりと風花が賛成していた為、皆の間では割とスムーズに話がまとまった。ただちょっとした一悶着があったのだが、それはまた別の話――
かくしてこの日、9月2日にアイギスは湊、ゆかり、順平が在籍する二年F組に転入となった。
「アイギスです。皆様、一つよろしくお願いいたします」
教壇横に立つアイギスは笑顔でそう言って、クラスへ向けて礼をした。ちなみに季節は未だ夏と言って差し支えないが、彼女が着ているのは冬服である。だがそんな些細なことは誰も気にしない。教室中から好奇の眼差しが彼女へ向けて大量に注がれ、感嘆のため息が噴出している。男子生徒はほぼ全員が当てられており、女子生徒も穏やかでない。
「アイギスさん? 珍しいお名前ね、生まれは外国なのかしら。他に特記事項は……語尾がおかしい場合あり、だって」
そんな急激な興奮状態に陥ったクラスの中で、担任の鳥海が手元の書類を読み上げた。それを聞いて、湊は少し考えた。
(その書類、美鶴が作ったものか?)
『前回』は幾月が用意したであろうアイギスの転入に関する書類には、なぜか人型戦術兵器と書かれていて少々焦ったものだった。だが幾月がいない現状では、用意したのは美鶴であろう。美鶴は常識が人並みにあるとは言い難いが、さすがにグループの極秘事項を学校向けの書類に書くほどネタの宝庫ではない。だが何を思って、特記事項に語尾がおかしいなどと書いたのか――
(どうでもいいか)
考察する意味はないと判断し、湊は思考を打ち切った。その間に鳥海は教室を見回して、やがて湊の周囲で視線を止めた。
「席はそこ空いてるわね。彼の隣」
鳥海が示した通り、湊の隣の席は空いている。だが本当は空いているわけではなく、たまたまサボっているだけである。しかしそれに突っ込む暇をクラスの誰にも与えることなく、アイギスはすたすたと早足で向かってきた。一瞬でも早く、席の位置を既成事実とする為に。
「この場所を与えられたのは、きっと運命なのでしょう。やはり私は貴方の傍にいるべきなのですね」
機械とは到底思えない光を放つ笑顔でもって、極めて人間的な、否、人間であれば羞恥の念を感じずにはいられないセリフを、彼女は堂々と宣言した。良く通る綺麗な声で。
「ええー!?」
声が通ると共に教室は阿鼻叫喚に包まれた。金髪碧眼の美少女の転校生と来れば、これはもう一種の古典だ。早速ターゲッティングを始めた男子生徒は数知れないだろうが、開始から僅か一分そこそこで幻想を打ち砕かれたわけだ。だが湊は教室に飛び交う全ての悲鳴を完全に無視し、彼女の発言の意味を考えてみた。
(運命じゃない。偶然ですらないな)
アイギスが自分の隣の席になったのは『前回』はともかく、『今回』は運命などではない。二学期の開始に合わせて昨日から登校することも可能であったはずなのに、敢えて一日ずらしたのは『前回』と同じこの席を狙ったからに違いあるまい。だが湊はその辺を突っ込むことはしなかった。彼女との関係は誰にどう思われようと、もはや構わないことだから。
そんな一見すると平和な日の放課後。アイギスとの関係を聞こうと群がって来たクラスメイトの集団を振り切って、湊は校門前に腕組みをして一人で立っていた。考え事をしながら、ポケットから携帯電話を取り出して待受画面を見た。そこにメールや電話の着信はない。
「……」
『前回』はこの日に真田から呼び出しを受け、荒垣を迎えに行ったのだった。だが『今回』は真田から連絡がない。その原因は分かり切っている。天田がいないからだ。
(参ったな。この時期になっても天田が見つからないとは……)
『前回』は8月28日に特別課外活動部に加入していた天田は、現在行方不明である。桐条グループに捜索を頼んではいるが、経過は芳しくない。手掛かりの一つさえ見つかっていない。桐条武治から伝えられた調査員からの報告では、一学期の終業式以降の天田の足取りは全く掴めなかったとのことだった。そうこうしているうちに、失踪から一ヶ月以上も経過してしまった。
秘密裏に行われているとはいえ、大企業の本気の捜索で小学生一人の行方さえ掴めない。これは異常な事態であると言える。武治は諦めずに捜索を継続することを約束してくれたが、この状況では桐条グループが天田を見つけてくれる可能性は低いだろう。冷静になれば、既に死んでいると考えるのが妥当だ。だが共に戦った仲間が何もできないうちに死んでしまったとは、やはり認めたくない。
(きっと……生きてる。だがそうだとすれば……)
一週間ほど前から、天田の行方については一つの心当たりがあった。ただしそれは武治にも話していない。確証がないし、可能性も高いとは考えていない。そしてそもそも武治に話したところで、あまり意味がない。ペルソナ使いでない普通の人間ができることには、どうしても限りがある。
(取り敢えず……今日ははがくれに行くか)
天田について具体的な行動を起こすにしても、それはもう少し先の話だ。湊は不安な気持ちに一旦区切りをつけ、今日は『前回』と同じ場所に行くことにした。行って成果を挙げられるかは甚だ疑問であるが、取り敢えず行ってみることにした。
巌戸台商店街のラーメン屋まで一人でやって来た。店の扉は閉められているが、暖簾からも食欲をそそる香りが漂ってくる。しかし今日は食事をしに来たのではない。だから店には入らず、商店街二階の通路でしばらく待っていた。
程なくして扉が内側から開けられて、一人の客がそこから出てきた。暦の上では秋とは言え、昼間はまだ暑いこの季節にロングコートを着ていた。何か理由があってのことかもしれないが、いずれにしても人を寄せ付けない雰囲気を服装からも放っている。
「お久しぶりです」
恐らくは意図的に作り出しているそんな雰囲気をわざと無視して、湊はまずは型通りの挨拶をした。荒垣と会うのはタカヤと運命のコミュニティを築いた6月21日以来、二ヶ月以上ぶりである。
「……何の用だ」
荒垣は一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの無愛想な仮面の裏に驚きを隠した。そして感情を抑えた声で応じてきた。
「天田に適性が見つかりました」
「……」
『前回』のこの日、天田の特別課外活動部への加入を聞いた荒垣は、どういうことだと目を剥いて怒鳴って来た。だが今の荒垣に驚いた様子はない。眉一つ動かさずに、湊の目をじっと見つめてくる。
「真田先輩から聞いてますか」
天田に関して真田と話をして、既に一週間以上が過ぎている。今日までの間に、真田が会いに来る機会はいくらでもあっただろう。
「ああ……お前も色々聞いたみてえだな」
荒垣はそう言いながらも、表情は動かさないままだ。荒垣の過去については、もちろん湊は『今回』が始まった時から知っている。だが先月に真田の口から聞いたことで、知っていること自体に違和感はなくなった。そして当の荒垣は、自分の秘密を知られた相手に対して特に思うところがありそうな様子はない。ラーメンを食いに来たのかとでも言っているかのような、ごく淡々とした口調で話している。
「今は行方不明だってことも聞いてますね」
「俺にどうしろってんだ」
「戻ってきてくれませんか」
ここでようやく荒垣の表情が動いた。視線を外して小さなため息を吐き、面倒そうな素振りを見せてきた。
「アキにもそう言われたぜ……」
既に真田から復帰を誘われながら、結局今もこうして一人でいる。つまり戻る気はない、と荒垣は暗に言っている。だがこの反応は予想の範囲内である。天田がいない現状では特別課外活動部に復帰したところで、いかなる意味においても天田の為になりはしないのだから。しかし湊は敢えて食い下がった。
「真田先輩がどんなつもりで言ったのかは知りませんが、僕は僕の都合で言ってるんです」
真田が荒垣を誘うのは、親友と肩を並べて戦いたいのが一番の動機であろう。友情に篤い真田らしいことであるが、湊はそうした情緒的なことばかりが理由ではない。
「何だ、そりゃ」
「僕たちは人手が足りないんです。猫の手も借りたいくらいなんですよ」
我ながら身勝手な言い分であると思う。荒垣の事情を顧みることなく、単にこちらに都合があるから手を貸せと言っているようなものだ。だが根が善良で世話焼きな荒垣には、こうした言い方が有効かもしれないと思って言ってみたのだ。
そして人手が足りないと言うのは、半分は本当である。現時点ではまだ大丈夫だが、近い将来に特別課外活動部は戦力不足でタルタロス探索に行き詰まる可能性が高い。ストレガを仲間にできれば問題は解消できるし、その望みはまだ捨てていない。しかし彼らを必ず引き入れられるとも言い切れなくなってきた。そうなると荒垣だけでも欠かす訳にはいかない。
しかし荒垣はつれない。小さく首を横に振って拒絶の意を返してくる。
「俺が戻ったところで、役には立たねえぜ。かえってお前らの迷惑になる。俺の力は、危なっかしい……」
「……」
一見すると、この言い分は一理ある。実際の話、荒垣のカストールは荒垣自身に見合わないほど強大である。だから暴走する危険は確かにあるわけで、事の発端である二年前の事故もそれが原因だ。だが荒垣が思っている以上に事情を深く知る湊には、別の意味に聞こえる。
(違う。これは言い訳だ)
その証拠に、『前回』の荒垣は復帰から死までの一ヶ月の間、一度もペルソナを暴走させなかった。それは薬の効用があるからだ。よって現時点で暴走する危険性は少ない。だがそれをここで指摘してやることはできない。ペルソナを抑える制御剤の存在について、今の時点で湊が知っているのは不自然だ。下手をすると、ストレガとの関係を改めて追及されるかもしれない。そうなると話が更にややこしくなる。そもそも指摘してやったところで、荒垣は腰を上げはしないだろう。暴走の危険云々は所詮は言い訳だと、荒垣自身も分かっているはずだから。
「猫の手と言やあ……お前らの仲間に犬がいるんだったな」
黙っている間に、荒垣は話題を変えてきた。コロマルについて、真田から聞いているようだ。
「ええ」
「最近、見かけねえと思ったら……」
(ああ……)
『前回』荒垣が復帰して間もない頃、アイギスの通訳で聞いたことがあった。コロマルは以前から荒垣を知っていて、ドッグフードを貰ったこともあるのだと。
「偉い奴だな……」
荒垣は遠くを見つめるような目をして、真田と同じことを言う。事実、コロマルは偉い犬だ。部の全員の中で最も男らしいとさえ言える。誰もがああした竹を割ったような性格なら、こんなに苦労させられることもなかった。
「先輩だって同じじゃないんですか。駅近くの溜まり場にいつもいるのは、そこが現場だったからでしょう」
「……」
荒垣は肯定も否定もしない。ただ視線をこちらに戻してきた。
「でもコロマルは辛い思い出のある場所を離れて、僕たちと一緒に戦ってます。犬にできることが、どうして先輩にできないんですか」
「単純馬鹿みてえなこと、言ってんじゃねえよ。コロは誰もやってねえが、俺は違う。俺と一緒にされたら、コロに悪い」
(この人は……)
自分が段々と苛立って来るのを湊は感じた。知っていることを全て話すわけにはいかないもどかしさと、ひたすら腰の重い荒垣の態度に。言葉で説得できないなら腕ずくでやってやろうかと、らしくないことを思ってしまう。
「話は終わりだな」
荒垣は踵を返し、店の前から立ち去って行った。商店街の二階の通路を踏むその足が立てる音は重たい。罪の只中に一人身を置く為に、同じ場所に向かい続ける足音だ。あらゆる気遣いや同情を拒絶し、無愛想な仮面で本心を隠して踏み潰している。だが湊はそんな荒垣の足音そのものを踏み潰すように大きな音を立てて、商店街の通路を走った。階段の手前で追いつき、荒垣の肩を掴んで強引に振り向かせた。そして胸倉を左手で掴んだ。
「……」
荒垣のコートの襟は厚手にできていて、握りにくかった。為に湊は一度手首を返して握り直した。背の高い荒垣の首を、下から締め上げるような形になった。
「殺されますよ!」
思わず大声で発してしまった不穏なセリフに、商店街を行き交う人々の視線が集中する。だが気に留める暇はない。世間体を繕うほどの余裕がない。感情に流されるなど『愚者』にあるまじきことだが、理性で抑え込むにも限度がある。
「……誰に」
「天田に!」
非論理的な話である。全ての真相を知っていれば脈絡を持って聞こえるだろうが、そうでなければ支離滅裂だ。だが荒垣は理屈を用いない。
「そんなら、それでいい……」
『前回』の荒垣は、自分が天田に命を狙われていることを分かっていたはずだ。分かった上で黙って復讐を受け入れ、最後は天田の身代わりになって死んだ。それは美しい死に方だ。人を殺した罪人ができる償いの中で、最も美しい償い方だ。だがそんな美しさを許すわけにはいかない。
体感時間で一年近くに渡って溜めこまれた後悔が苛立ちと合わさって沸騰し、とうとう『愚者』の仮面から零れ落ちた。
「この馬鹿が!」
気付いた時には、荒垣の頬を右の拳で殴っていた。コートの襟を掴んでいた左手は弾みで外れ、荒垣は一歩下がってよろけた。
「……! ってえ……」
後輩に殴られた荒垣は口元を拭いながら、怖い目をして睨んできた。だが湊は一歩も引かず、鋭く睨み返す。全くもって『愚者』らしくない振る舞いである。普段は自由に動かせる口ばかりか、己の手までも自制が効いていない。だがそんならしくなさを、反省する気にはなれない。
荒垣の行動は、否、何もせず成り行きに任せるその態度は、あらゆる計画を破綻させてしまいかねない。そしてそれは『前回』以上の大きな悲しみと、どうしようもない後悔をもたらすことになる。
遠巻きに見つめていた商店街の客がそろそろ警察を呼びそうな殺伐とした雰囲気の中で、数秒間に渡って二人は睨み合う。先に引いたのは荒垣だった。視線を脇目に落とし、血の混じった唾を吐いた。
「てめえは大切な人を守る為に戦ってんだろ」
「……」
『今回』の6月10日、月のコミュニティを築いた時に言ったことだ。何の為に戦っているのかと聞かれて、湊はこう答えた。本音ではないが。
「俺に構ってる暇があったら、そいつを守ってろ。俺のケジメは、俺がつける……」
荒垣は再び背を向け、今度こそ去って行った。追って来ても無駄だと背中に語らせ、階段を踏みしめる足音にも拒絶の意思を込めながら。湊は改めて追う気力を失ってその場で肩を落とし、内心でも落胆した。わざわざ会いに来ておいて何の成果も挙げられず、ただ先輩を殴った事実だけが残されたわけだ。コミュニティでここまで失敗するのは、『前回』を通じてもめったになかったことだ。
(全く……ペルソナ使いってのは、揃いも揃ってロマンティストなんだから)
特別課外活動部とストレガ。自分を除いてペルソナ使いは十二人もいるが、彼らの中にリアリストは一人もいない。ロマンティストでなければペルソナ使いにはなれないかのように、誰も彼も情が濃すぎる。もっとも実は自分も人のことは言えないのかもしれないが。右の拳に残っている痛みがそれを告げている。だが問題は自分の感情などではない。
(どうすればいい……僕に何ができる?)
何ができるか、すぐには思いつかない。荒垣と天田の為にしてやれることは、今の時点では絶望的に少ない。事態を一挙に解決できる妙案などない。『前回』から状況が大きく変わってしまった今、二人の行く末に未来の知識はほとんど役立たない。役に立つのは、ただ一点。
(10月4日……決着の時期だけか)
天田が生きているとしたら、そして悪い予感が正解だとしたら。荒垣と天田の因縁の決着は10月4日になる。未来の知識から確信を持って導き出せるのはそれだけだ。そのたった一つのアドバンテージをどう使えばよいか。どうすれば後悔の種を摘み取ることができるか。湊は悩む。