9月の満月の翌日の日曜日、この日は朝から寮に順平の姿はなかった。だが行き先は分かり切っている。辰巳記念病院だろう。昨日にポロニアンモールで捕縛されたチドリは、『前回』同様にあの病院に入院させられた。桐条系列のあの病院では、色々と無理も効く。
今頃は美鶴と真田がチドリを尋問しているのであろうが、そこへ順平も割り込んで少々揉めているのだろう。今日は自分も病院へ行くべきかと湊は思ったが、敢えてやめておいた。行ったところでチドリから何かを聞き出せるとは思えない。逆に6月や8月に溜まり場でタカヤと接触したことをチドリの口からバラされたりしたら、かえって面倒なことになる。だから昼間は神社に出かけて神木と会ったりして過ごした。
夜になって寮に戻ってきた順平は、二階の休憩スペースに一人で黙然と佇んでいた。視線は壁に備え付けられた自販機に向けられているが、何かを買おうとしている様子ではない。湊はそんな順平の脇を通り抜け、自販機に小銭を入れた。
「何か飲むか?」
声をかけると、ようやく順平は視線を合わせてきた。
「ああ……コーヒー」
湊はブラックの缶コーヒーを二つ買い、一つを手渡した。順平は財布をポケットから取り出そうとしたが、湊はそれを制した。
「いいから座れよ」
「おう、悪い……」
夜とは言え残暑の厳しいこの季節、缶から伝わる冷たい感触は手に心地よい。それを感じながら二人並んでソファーに座り、缶コーヒーの蓋を開けた。二つ重なったその音は奇妙に冴えていた。そしてやはり二人揃って飲んだ。二人とも口には苦味を感じ、手には冷たさを感じ、互いの間の空気には重さを感じた。そうやって缶の中身が半分くらいなくなった頃、順平は話を切り出した。
「お前ってさ、どんな時に生きてるって感じる?」
前置きも何もない唐突な質問だった。声を出した為に沈黙の重さはなくなったが、それとは別の重さが生まれてしまう類の質問である。そんな質問を普段の軽い仮面ではなく、珍しい真顔でもって順平は聞いてきた。
友人同士であっても、いきなりこんなことを聞けばまともな答えは返ってこないのが普通である。余程観念的な性格の持ち主ならばともかく、普段の順平ならばまず間違いなくこんなセリフは出て来ない。それにも関わらず聞いて来るとは、コミュニティによってもたらされた事態に違いない。湊はそう判断し、真面目に答えてやることにした。
「そうだな。心と言葉が一致してる時かな? そう頻繁にあることじゃないが」
「難しいこと言うな、お前」
いささか抽象的な答えに対して、順平は真顔を崩さなかった。理解もしていないが、湊は自分の発言を詳しく説明する気はなかった。そもそも順平は聞いたことの答えを期待しているのではなく、自分についてのそういう話をしたいと思って聞いてきたはずである。湊はそう睨んでいた。だから自分のことはどうでもいい。
「あのチドリって子に聞かれたのか?」
「え? ま、まあ……そうなんだけどよ。何で分かんだよ」
「顔に書いてあるじゃないか」
「おお!? この顔か!? この顔が俺の全てをお前に悟らせたのか!?」
湊は観察力には自信がある。だが顔を見ただけで相手の心の全てを見通すなど、さすがにできない。もしできたらそれは観察力ではなく超能力だ。ペルソナ能力も超能力みたいなものだが、文字通りの意味での読心術を操るような便利なペルソナはない。あったら『前回』も『今回』もこんなに苦労させられることはなかった。
湊は単に今の状況と『前回』の経緯から、事情を察したに過ぎない。だが順平は両手を頬に当てて、ムンクの有名な絵のような顔をしている。照れ隠しのつもりであろうが、ここはボケるところではない。さっさと本題に戻ることにした。
「あの子と何を話してたのさ」
「ああ……色々とな」
顔を元に戻した順平によると、先月の20日頃にポートアイランドの駅前で初めてチドリと会ったらしい。チドリはベンチに座って絵を描いていたのだが、駅前には特に何もなく、しかも猛暑の中で白いフリル付きのドレスを着ていて、思い切り周囲から浮いていたので少々気になったらしい。スケッチブックをちょっと覗いてみると、一面に赤と黒が踊った抽象的な絵が描かれていた、とのことだった。
「何つーか……よく分かんねえ子って感じだったな。しかも一度なんか、手を怪我して血がダラダラ出てんのに、平気な顔して描いてんだ。痛みを感じねえくらい絵に集中してんのかよって、あん時は焦ったぜ……」
「怪我? 大丈夫だったのか?」
「ああ、ハンカチで応急処置したんだけど……後でまた見た時には、傷痕もなくてよ。ありゃあ、何だったんかな……」
(そう言えば……)
『前回』の11月22日のことを思い出した。タカヤに撃たれて致命傷を負った順平をチドリは助け、そして死んだ。言わば身代わりになったわけだが、そんなことができたのは治癒に関する能力を持っていたからであろう。それはペルソナの力なのか、それともまた別の特殊能力であるのか――
不意に思いついたことを考えていると、順平は話を戻してきた。
「そんな感じで、同じ場所でちょくちょく見かけてな。いっつも絵描いててさ。そういう熱中できるものがあるのっていいなって……ちょっと話をな。そうやって何度か話してるうちに、どういう時に生きてるって感じるかって……んなことを聞かれたんだ」
「あの子はやっぱり絵を描いている時か?」
「うーん……俺もそう思ったんだけどさ。どうせ落書きだとか言っちゃってさ……」
ここで順平は歯を見せた。
「生きてる感じなんて言うと大袈裟だけどよ。熱中とか充実とか……ちょっといいなって思った。俺さ、そういうの何かあったかな?」
真顔に疲れたのか、それとも恥ずかしくなったのか。順平は仮面の顔で軽そうに言う。だが実はかなり重要な問題を口にしている。
順平に熱中するものはあるか、とは『前回』も8月の終わり頃に聞かれたことがある。その時は順平の事情を理解していなかったし、そもそも人に聞くようなことではないから突き放した。だが『今回』はもう少し親身に答えてやらねばなるまい。魔術師のコミュニティの為もあるし、順平とチドリの仲は湊も認めてやりたいと思っている。
「戦いは?」
「あんなもん熱中したかねえよ。ゲームやマンガじゃあるまいし、リアルにバトルジャンキーなんかやってられっか」
順平は顔を顰めるが、この言い分は正常だ。『前回』はまだしも『今回』の戦いに熱中できるような人間がいたら、そいつは病気だ。トレーニングマニアの真田さえ、歯を食い縛って耐えているような状況だ。
「お前はどうだ。何かに熱中してるか?」
「……」
聞き返してきた順平に、湊は沈黙でもって答えた。
「お前って、すげえ忙しそうにしてるじゃん? 部活とか生徒会とか、他にも何かやってんだよな。そういうのって、充実してるって言わねえ?」
「そんなものじゃないさ。どれも半端だ」
岩崎や小田桐、ベベなどはそれぞれの活動に熱意を持っている。だが自分は絆の力を得る為に彼らと接しているだけで、活動そのものには特に思い入れはない。だからもしコミュニティを得られなければ、剣道部も生徒会もファッション同好会も『今回』の写真部同様に入らなかっただろう。熱中するものなど、一度に一つあれば十分だ。行動力が旺盛な人間でも、せいぜい二つ。三つも四つも掛け持ちできるのは、実はどれにも熱意を持っていないから――
湊は自分のコミュニティに関する行動を、そう見なしている。酷い話だが、事実だ。
「でもお前は半端な気持ちじゃないんだろう」
「……」
今度は順平が沈黙で答えてきた。だがこの沈黙は湊のそれと違い、肯定の意味だ。チドリと出会ってからまだ日が浅いが、それでも順平の気持ちは確かなものになっていたはずだと湊は考えている。そうでなければ満月を楽しみにしたりしない。そうすると問題になるのは、チドリの側はどうなのかということだが――
「なあ……チドリって実はハナっから俺のこと知ってて……そのうちハメるつもりでってことだったんかな?」
順平は身を乗り出してきて、内緒話でもするかのように小声で言う。これはなかなか難しい問題だ。二人が出会った当初から、チドリは確実に順平を知っていたはずだ。だが罠にかけようとの意図が、果たしてチドリにあったのかどうか。これが普通の人間ならばそうだと判断すべきだが、そんな合理性を期待できる相手であろうか。
「きっと違うさ」
『前回』の順平はチドリに捕まった。だがあれは罠と言うより、思い付きに過ぎないと湊は見ている。本気で罠にかけるつもりだったのなら、タカヤやジンと相談してもっと狡猾にやっていただろう。つまり計画性がない分、チドリは『前回』から悪意の程度が低い。そして行動に移さなかった『今回』はより低い。
では二人の出会いそのものは、一体何であったのか――
「じゃあただの偶然だったんかな……」
「運命だったんだろ」
そう言った途端、順平は内緒話をする体勢から上体を起こして仰け反らせた。下顎を引いて、変なものを見るような顔をしている。
「お前……んな恥ずかしいセリフ、真顔でよく言えるな」
確かに恥ずかしいセリフではあるが、これは嘘や出任せではない。『愚者』は嘘ならもっと上手に吐く。湊はふっと息を漏らすような笑いを作って、話題を少し変えた。
「今日は見舞いに行ったんだろ。どうしてた?」
「ああ……先輩方に色々聞かれてたよ。でも何も喋んなくてよ」
「明日も行ってやれよ」
「そうしたいけど、来んなって言われてんだよ。先輩方にさ……」
「気にするな。どうせあのお二人さんじゃ、何も聞き出せやしないさ」
美鶴は普段の非情な仮面はともかく、本来の性格は交渉事が得意なものではない。特に幾月の不在による不安感から地が出てきやすい最近はなおのことだ。そうかと言って、強引に口を割らせるような手段が取れるわけでもない。真田に至っては言うまでもない。そして風花に調べさせても、チドリの内面は何一つ感知できない。そんな状態だったから、『前回』もチドリの尋問、と言うか話し相手は途中から順平が務めることになった。だから『今回』もチドリは順平に任せた方が良いに決まっている。すぐには無理でも、一ヶ月程度も時間が経てばやがて心を開いてくるはずだ。
チドリを捕えてしまった以上、ストレガとの対立はもはや覚悟しておかねばならない。だがそれとチドリの処遇は別の問題だ。特別課外活動部とストレガの関係がどうなろうと、順平とチドリには互いが必要だ。
「先輩方には僕から言っといてやるよ」
「……ありがとよ」
順平は帽子のつばを下げた。
「……気にするな」
湊は顔を隠した順平から視線を外し、ぬるくなり始めた缶コーヒーを一口飲んだ。コミュニティの担い手から礼を言われることは多いが、背中を預ける仲間にまで言われると少々心苦しくなる。順平とチドリに対して善意はあるが、打算の方が多い。不純を気にするような感傷は『愚者』には不要だが、それでも苦しいものはどうしても感じる。
二人並んで座るソファーの周囲の空気に、重いものが再び混じってきた。そうした方面に敏感な順平は、軽い仮面を付け直した。
「見舞いだもんな。手ぶらってわけにはいかねえかな。何かお土産持ってくとしたら、どんなんが良いと思う?」
「果物や花が定番だな」
「高級フルーツのバスケットとか、両手一杯の花束とか、そういうの? 俺、そんな金ねえよ」
引きつった順平の顔を見て、湊は『前回』のちょっとした出来事を連想的に思い出した。二人の仲がおかしくなり始めた11月に似たような相談をされていて、その時は少し距離を置くのも良いと答えたのだった。今にして思うと、あの時は順平を励まして行かせるべきだった。
「リンゴ一個や花一輪でもいいだろ。足りない分は、土産話でも持って行けよ」
「話か……面白いネタならいっぱいあるけど。あー、でもチドリって笑いのツボとか一般人と違いそうだしな。何か凄えスベりそう……」
何だか『前回』の友近とのコミュニティのようになってきた。魔術師とは恋する男のことなのだろうか。
「学校や寮のことでもいいし、将来の夢とかでもいいじゃないか」
「夢か……夢っつたらアレか! アメコミヒーロー!」
順平は再びボケた。だがこれは狙ったのでも照れ隠しでもなく、将来の夢など持っていないからだろう。もっともそれは普通の高校生ならば当たり前のことだ。湊も将来の具体的な夢は特に持っていない。卒業したら進学するのか就職するのか、それさえ決めていない。敢えて言うならアイギスと約束した、来年の夏祭りに一緒に行くことは夢と言えば夢だが。
だがヒーローになることは夢ではない。痛々しいとか、そういうことではなく――
「それは夢じゃなくて現実だ」
「あ……そっか。マジで現実だ。映画のまんまじゃんか」
先月27日に一緒に見に行った映画のことだ。世間に正体の知られないヒーローが、ラストで恋人にだけは知ってもらえるという筋だった。誰にも知られず感謝されることもない戦いにあって、恋人でこそ未だないものの正体を知ってくれる大切な人が現れたことを、順平は初めて自覚したようだ。自覚すると共に、再び口調を変えてきた。
「なあ……俺らの戦いってよ、もうすぐ終わんだよな。満月のデカいのがあと何匹いんのかはっきりしねえけど、遅くても冬には終わるよな。一般人的にはノーメモリーのまま……」
十二のシャドウは残すところ三体である。だが湊とアイギスを除く皆の認識では、十三体目が存在するのではとの不確定情報がある。それに加えて、昨日にストレガが何体のシャドウを倒したのか分からない為、残数が不明確になっている。だがいずれにしても、次の春が来る前には全ての決着がついているはずである。
「近いうちにヒーロー廃業だな」
「廃業か……」
「その後も残るものはあるさ」
「……愛か?」
一瞬の間を置いて呟かれたセリフを聞いた途端、湊の顔に微笑みが表れた。鋼鉄以上の強度を誇る『愚者』の仮面から、意図せず笑みが零れてしまった。
「お前も真顔で恥ずかしいことを言うようになったな」
「あ……やっべ、言っちゃった! ハズカシー!」
順平はソファーから転げ落ちて、頭を抱えながら床をゴロゴロとのた打ち回った。順平は普段は軽薄だが、意外に照れ屋だ。しかし復活も早い。壁とソファーの間を一往復すると、がばっと音を立てて起き上がった。座ったままの湊の目の前に、歯を見せた満面の笑みが置かれてきた。
「よし! 決めたぜ! 俺はチドリの為に戦うぜ! どこの誰とも分かんねえとか、んなこと関係ねえな!」
知り合ってから日が浅いことも関係ないようである。すっかりその気になってしまった。
(気の早い奴だな。だが、もしかすると……)
元々順平は世話焼きで人懐っこい。この感情の急激な発展は、そうした性格に由来するところもあるだろう。だがそれ以上に、『前回』の出来事が順平の無意識に作用しているのかもしれない、と湊は思った。
自分とファルロス、そしてアイギス以外は誰も『前回』のことを覚えていない。だが覚えていなくても、心の深層にまで何も残っていないとは言い切れない。ゆかりと風花と美鶴には『前回』の特別な関係は何の影響も及ぼしていないが、順平とチドリならあり得るだろう。死にさえ別たれなかった二人なら。『前回』の二人は悲劇に襲われたが、『今回』はそうさせない。時間が戻ったことは基本的には大迷惑だが、この二人の為には悪いことではないだろう――
そんなことを思った時、時間が止まった。ビデオの再生を一時停止したように、視界が順平の喜色満面で埋められた状態で停止した。
『我は汝、汝は我……』
謎の存在である、絆を教える『我』の宣告である。心の果てから舞い降りたカードが光を放って、充実感かそれに類するもので心を満たしてくる。魔術師のコミュニティが真実のものとして認められた。
(ここで来たか。まあ……いいだろう)
コミュニティとは何であるのか。それは一種の不条理であることは間違いない。自分の為にやっていることでしかないのに、ほぼ例外なく誰からも好意や感謝を寄せられるのだから、不条理には違いない。だが『今回』の魔術師のコミュニティは、順平の為にもきっとなっていたはずだ。そう信じたい。
「お前もアイちゃんと仲良くやれよ! ジャンル新しすぎっけど、俺は応援するぜ!」
立ち上がった順平はこちらの肩を叩いてきた。バンバンと大きな音が立つほど強く。そうかと思うと急に踵を返し、スキップでも踏みそうな軽い足取りで自室へと向かって行った。叶へのアタックが上手くいった(と思っていた)友近の姿を連想させる、天にも昇らんばかりの軽やかさだ。その背中を見ながら、湊は思う。
(別に新しくはないけどな)
機械と人間の恋愛は決して新ジャンルではない。前世紀から小説や映画などで何度も取り上げられてきている。そして機械に限定せず異種族恋愛という枠組みで捉えれば、全くもって新しくなどない。ギリシャ神話ではプシュケイとエロス、レダと白鳥の物語などがあるし、日本でも鶴の恩返しなどの昔話の時代から語られてきた古典的なテーマだ。ただし現実にそれをやるとなると、やはり新しいだろうが。
だがそもそもの話、アイギスへの気持ちを恋愛感情と言ってよいのかは少々微妙なところである。もちろん親愛の情は抱いているが、果たして男女の愛と呼べるものなのかどうか。その点は、これまで深く考えることは意図的にしなかった。
(まあ……他人がどう思っても構わないことだ)
すっかりぬるくなった缶コーヒーの残りを喉に流し込んで、湊もソファーから腰を上げた。
余談であるが、この翌日にポートアイランド駅前の花屋で値切り交渉をしている順平の姿が何人かの月高生に目撃された。更に次の日以降には、校庭で野の花を摘む姿も目撃された。そうした生徒たちの間では、明日は雪でも降るんじゃないかと噂になったとか。
以上、魔術師コミュでした。
原作の順平は主人公に嫉妬するキャラとしてのイメージが強いですが、それは戦い自体が容易であったことが原因の一つだと思うのです。もちろん危険はあるのですが、それを始終意識しなければならないほどには難しくなかったのではと。つまり仲間に嫉妬などできるのは、それだけ余裕があったからと解釈しています。実際、原作ゲームはノーマル以下の難易度では簡単なものです。
しかし本作は設定上、バトルに余裕は全くと言ってよいほどないことにしています。それに加えてコミュがある為、順平と主人公の関係は一貫して良好なものにしました。
ただしコミュは極まっても本編は続きます。この後の二人の関係がずっと今のままでいられるかは……どうでしょうね。