ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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紳士録(2009/9/17、9/19)

 「何で私がメイド服なの!? つーか、メイド服自体あり得ないでしょ!?」

 

 「きっとお似合いだと思いますよ?」

 

 「やめてよ! つか、アイギスが着てよ! 私が着るより喜ぶ男子は絶対多いだろうし!」

 

 今日は9月17日の木曜日。授業を終えて皆が戻っていた寮のラウンジで、ゆかりが猛り狂っていて、アイギスがそれを宥めていた。その模様を湊は少し遠巻きに見つめていた。

 

 どうも近頃のこの二人は距離が近い。『前回』はなかったアイギスの弓道部入部が関係しているのか、或いはそれ以前から何かきっかけがあったのか。とにかく妙に仲が良さそうである。夏休みの間、ゆかりたち三人とコミュニティを築くのは無理と思って彼女らには特に注意を払って来なかったが、その間に部内の人間関係は少々の動きがあった模様である。

 

 「何があったんだ?」

 

 手近にいた風花に聞いてみた。ただし二人の仲が接近していることではなく、当の二人の今の話題についてである。

 

 「ゆかりちゃん、くじ引きで負けちゃったんだって……」

 

 何でも明後日に予定されている文化祭の出し物として弓道部でメイド喫茶をやることになり、ゆかりがメイド役になったとのことだった。

 

 (ああ、そういえばそんな話もあったな)

 

 記憶の隅に追いやられていた出来事を、聞いてようやく思い出した。『前回』もこの頃のゆかりは人生最大の赤っ恥だと吠えていた。だが現実にはメイドは回避されていたから、『今回』は意識に全く上って来なかったのだった。

 

 「分かりました、私もご一緒します。絶対の服従を誓う者の服を、一緒に着ましょう」

 

 「アイギス……貴女ってホントいい子ね」

 

 アイギスのセリフは何か間違っている気がする。まさにその通りと頷く人も世の中にはいるだろうが、客観的にはどこか違う。だが結果的に、ゆかりは大人しくなった。

 

 「……」

 

 二人のやり取りを見て、湊は少し考えた。アイギスはゆかりへの友情でメイド服に付き合うことにしたのか。それとも明日から台風が直撃して文化祭は流れることを知っているから、単に怒りを宥めるつもりの口から出任せなのか。判断はなかなか難しい。

 

 「ねえ有里君。文化祭でさ、料理部でも何かやらない?」

 

 「ああ、いいよ」

 

 頭ではアイギスの内心を考察しながら、口では適当に返事をした。湊は普段から心と言葉が一致しないことが多いが、それは言い方を変えると考えることと喋ることを同時並行にできるということでもある。

 

 「本当? 良かった。有里君って忙しそうだから、他にやることあるかと思ってた……」

 

 やることなどない。実はファッション同好会で何か展示品を出そうとベベから誘われているのだが、それは適当に聞き流していた。文化祭は開催されないことを分かっているから。

 

 「じゃあさ、実はね……」

 

 そんな調子だから、湊は風花の話を聞いてはいてもほとんど頭に入れなかった。結果的に、完全なイエスマンと化してしまったのである。

 

 

 

 

 (どうして僕はここにいるんだ……?)

 

 今日は9月19日。年に一度の月光館学園文化祭の日である。天気は晴れ。台風一過で綺麗さっぱり、抜けるような晴天が開催を祝福している。『前回』は足が遅くて二日ほど留まっていた台風は、『今回』はなぜか妙に足が速く、昨夜のうちに通り過ぎてしまったのである。ちなみに昨日は雨に備えて傘を持って登校したので、風邪は引かずに済んでいる。

 

 文化祭が開催されること自体は構わない。と言うより、湊はこの種の学校行事には基本的に興味がないから、開催されようが中止されようがどうでもいいと考えている。だが問題が二つ発生している。最初の問題は時刻だ。普段であればまだ始業前で、朝に弱い体質の持ち主には地味に辛い。おかげで頭が今一つ働かず、黙々と手を動かしている。

 

 (何をやってるんだ、僕は……)

 

 機械的に動いている手を見てみれば、大きなボウルで卵を十個以上も溶き、そこにグラニュー糖を混ぜている。ケーキのスポンジを仕込んでいるのである。今日は早い時間から学校に来て、文化祭の準備の為に何十人分ものケーキを作っているのだ。最初は風花がやろうとしていたのだが、それをさせる危険性は起動前の頭でも本能のレベルで認識していたのか、自分がやるからと風花を押し留めた。その風花はと言うと、家庭科室にいくつも並べられた机にテーブルクロスを敷いたり、紙ナプキンを置いたりしている。

 

 普段の料理部では、緑のマジックで『料理部』と書かれた模造紙が黒板に貼られている。だが今日は黒板ではなく、家庭科室の扉に貼られていた。しかもそれだけでなく、やはり緑のマジックでこう書かれた模造紙も追加されていた。

 

 『喫茶店・FU』

 

 風花の発案により、料理部で喫茶店をやることになったのである。一昨日の夕方に寮で風花からそんな話を聞いてはいた。コミュニティの担い手の頼み事だから、断る選択肢はなかった。と言うより、どうせ台風で流れるからどうでもいいと思って、特に注意して聞くことなく風花の提案全てに了承の意を返したのだった。そのツケが今日になって来ているわけだ。

 

 (なぜ僕はこんなものを着ている……?)

 

 仕込みを一通り終えてから、湊は家庭科室の奥にある物置に置かれた姿見に映った自分の姿を改めて見た。これが今日の第二の問題。自分の服装である。

 

 黒のテールコートに白のイブニングシャツで、袖は銀のカフスで留められている。首元には当然と言うか伝統と言うか、白の蝶ネクタイが締められている。足元では黒のエナメルがつややかな光を放っている。どこから見ても完璧な執事の装いだ。

 

 「凄く似合ってるよ。良かった、サイズが合って」

 

 (そりゃあ、あれだけあればな……)

 

 何でも湊の服のサイズが分からなかったので、大小様々なものを取り揃えたらしい。おかげで物置には十着以上もの執事服が、いずれも綺麗にハンガーにかけられて並んでいる。ちなみに風花はいつもの制服姿である。おかしな格好をしているのは一人だけだ。

 

 「こんなもの、どこで?」

 

 「桐条先輩にお願いして、取り寄せてもらったの」

 

 (道理で……)

 

 本格的なわけだ。生地と言い仕立てと言い、遊び用ではないプロの作りだ。服飾に関してはファッション同好会でそれなりに学んだので、これが本物であることは分かる。

 

 「君の分は?」

 

 「え、私? やだな、私が男装したらおかしいじゃない」

 

 風花は顔を赤らめるが、そんなつもりで聞いたわけではない。

 

 「あ、メイドってこと? ゆかりちゃんたちの分は一緒に頼んだんだけど。でもこっちでもやったら、弓道部とかぶるじゃない?」

 

 別に風花のメイド服姿を見たいわけではない。一人だけ恥ずかしい格好をしていると、余計に恥ずかしく感じるから困るというだけのことだ。どうやら他にもこの種の装いをさせられている人はいるようだが、この場にはいないわけだ。

 

 (弓道部もマジでやってるのか……。いや、ゆかりなら何だかんだ言っても、結局やるだろうな)

 

 『前回』監視カメラで見た映像の一つを思い出した。そこに映っていたゆかりは、文化祭が流れて喜んでいたはずが、自室で一人例の服を試着してみると意外と満更でもない様子だった。何しろ客観的に見ても、なかなか似合っていた。その点から考えると、今頃は案外ノリノリかもしれない。初めは嫌がっていても、いざ本番となれば新しい自分を発見しても不思議はない。

 

 (ん? ちょっと待て……)

 

 「だからね、私は飲み物を入れたり、ケーキを切り分けたりとか裏方をするから。有里君は接客お願いね」

 

 「ああ、分かったけど……岳羽たちって、アイギスの分も頼んだの?」

 

 「うん」

 

 風花は何も含むところがなさそうな顔で頷くが――

 

 「……」

 

 本来は朝に弱い頭が急に冴えてきた。メイド喫茶と呼ばれる店に実際に行ったことはないが、大体のところは想像がつく。エプロンドレスにカチューシャをつけるいわゆるメイドのスタイルを、屋久島の桐条別邸で見ているから。ただそこで見たのはスカートの丈が足首まで届く長いもので、ドレスの装飾は気持ち程度の控え目なものだった。その手の愛好者向けではない本物だけに、本来の用途である仕事着としての機能性を重視しているのだろう。だから素朴な印象がそこにあった。

 

 「……」

 

 色々と思案してしまう。ファッションの一種として日本で着られるタイプのそれは、概して装飾が過剰でスカートの丈は短く作られている。だが桐条家から借りたのなら、シンプルなタイプの本物のメイド服だろう。丈の長い黒のスカートに、小さなフリルが袖についたエプロンをまとい、頭に白のカチューシャをつけた金髪の少女。元の土台が非常に高いレベルにある彼女には、派手な服装より素朴な方が似合いそうだ。そもそもメイド服は発祥がヨーロッパだけに、日本人より西洋人の容貌の方がより似合うだろう――

 

 何だか思考が止まらなくなってきた。一度浮かんだ想念は容易に頭から離れようとしない。どうしても実物を確認したくなってきた。

 

 「悪い、僕ちょっと用事が……」

 

 そんな時、ガラガラと音を立てて家庭科室の扉が開いた。

 

 「あら、いいカッコしてるわねえ」

 

 執事の姿を見るや感心したような声を出した来訪者は、F組担任の鳥海だった。『前回』の隠者のコミュニティの担い手で、休日は一日中ネットゲームに入り浸っている廃人だった。更に授業は自分の興味のあるところしかやらないとか、たなか社長にまで嫁の貰い手がなさそうと呆れられる酒乱癖の持ち主だとか、色々問題のある人物だ。それに加えて、居眠りや宿題を忘れた生徒への罰として差し入れを要求するほどのケーキ好きという一面もあった。

 

 とは言え、別に客として来たわけではなかろう。時刻はまだ文化祭の開始前で、生徒以外の外部の見学客の為の入口もまだ開けられていない。

 

 「おはようございます」

 

 教師として準備状況を見回りに来たのだと思って、湊は普通に朝の挨拶をした。しかし鳥海はなぜか眉を顰めた。

 

 「ちょっと、そんなんじゃ駄目よ。せっかく服がいいのに、台無しじゃない」

 

 鳥海はつかつかと足音を立てて近付いてきた。思わず後ずさりしたくなったが、鳥海の方が速かった。前開きタイプのテールコートの裾を掴まれ、ピッと引っ張られた。そして頼んでもいないレクチャーが開始された。鳥海の眉間には皺が一本入ったままである。

 

 「いい? まずは背筋を伸ばして直立不動。右手を鳩尾に当てて一礼。そして出迎えの挨拶は『お帰りなさいませ、お嬢様』よ」

 

 作法として正しいのか間違っているのか、サブカルチャーにはあまり詳しくない湊にはよく分からない。だが鳥海は他のやり方は認めないとばかりに、変に自信たっぷりだ。『前回』何度かチャットしたY子はハイレベルな顔文字使いだったが、こうした方面にも詳しいのだろうか。だがこの場では、ただ迷惑なだけだ。

 

 「はい、やってごらんなさい」

 

 (そう言われても……)

 

 鳥海は一歩下がりながら腰に手を当てて、教え子を見下ろすようにしてくる。だがやれと言われても困る。仮面を自在に操る『愚者』といえども限度はあるのだ。執事のペルソナなど、エリザベスのペルソナ全書にもない。だが――

 

 『仮面がないなら、本性でやればいいじゃん』

 

 困惑した心の底の方から、そんな囁きが聞こえた。影時間にもなっていないし、絆を教える『我』が時間を止めてもいないのに、なぜか子供の声が聞こえた。

 

 (いやいや、そっちはもっとないから。僕の本性は無口で人付き合いが悪くて、何事も投げ遣りな無気力症だ)

 

 『そうかな。君って無心な振りしてるけど、実は欲望の塊じゃん。それにそんな服を着てれば、そのうち新しい自分を発見するかもよ』

 

 (余計なお世話だ)

 

 「ボンヤリしないの!」

 

 心の中に住まう子供と会話をしている(そんな気がしている)間に、鳥海が焦れてきた。どうやら無視する権利は与えられていないようだ。

 

 「有里君、頑張って……」

 

 (ファルロス……責任はお前が取れよ)

 

 執事のペルソナなどいない。いや、もしかしたら違う世界のペルソナの中にはいるかもしれないが、とにかく自分が認識できる中にはいない。そこでペルソナではなく、自分の本性、でもなくて心理学的な意味での自分のシャドウになったつもりで言ってみた。

 

 「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 言うと同時に、ガラスが割れる音が心の中で響いた。音だけでなく、形のある何かが実際に心の中で壊れたような気さえした。それと共に、ひびの入った心の隙間から深淵そのものが忍び寄って、じわりと表面に浮き出てきた。

 

 「ふむ……及第点はあげるわ。次は注文の受け方ね」

 

 かくして別れの挨拶の仕方から歩き方、皿の出し方に至るまで、執事の作法を一通り指導された。壊れた心でそれらを全て聞き終えた頃、始業を告げるチャイムが鳴った。

 

 『ただ今より、月光館学園文化祭を開始いたします。皆様、どうぞごゆっくりお楽しみください』

 

 「それじゃ、楽しませてもらおうかしら?」

 

 スピーカーから流れてきたアナウンスが終わると共に、鳥海は席に着いた。どうやら居座るつもりのようだ。まるで顧問か監督である。料理部に正式な顧問がいるのかどうかは不明だが。

 

 (応援を呼ぼう)

 

 取り敢えず鳥海にショートケーキとコーヒーを出した後で、湊は携帯電話で知り合いに連絡してみた。応援の為である。何も犠牲者を増やして、個々の被害を軽減しようなどとは思っていない。まして生贄を残しておいてこっそりと抜け出し、弓道部のメイド喫茶に行こうなどとは思っていない。決して。

 

 

 「友ちー、元気出せよ」

 

 「うう……エミリと一緒に回りたかった……。何でムサイ男どもと……」

 

 「つか、順平も長いこと休んでたが、何かあったのか?」

 

 柿の木を横目に見ながら、体育館から本館に続く廊下を順平と友近と宮本は三人並んで歩いていた。肩を落として失意に沈んでいる友近を、二人が両側から支えるようにしている。

 

 「ああ、色々な……。でもまあ、後ろばっか見ててもしゃあねえからよ」

 

 「だとよ、友近」

 

 「るせえよ! そこの髭と一緒にすんな! つーか、せめてメイドさんが慰めてくれれば、まだ救いがあったのに……」

 

 このF組三馬鹿トリオは弓道部開催のメイド喫茶に行こうとしたのである。最近九州に転勤になった倫理の叶の件で大ショックを受けた、友近を慰める為に。友近の為である。きっと。何も寮の仲間の二人組を冷やかしに行こうとか、そんな意図は順平にはない。多分。そして宮本に至っては、メイドとはそもそも何かからして理解していなかった。

 

 だがメイド喫茶は文化祭の開始と同時に男子生徒が殺到し、会場の部室に収まりきらずに廊下にまで人波が溢れている状況だった。為にそこは諦めて、三人は適当に校内の催し物を見て回ることにしたのである。

 

 そんな中、順平の携帯が鳴った。

 

 「もしもし……え? 家庭科室に来い? そういや風花が何かやるっつってたな。サクラか?」

 

 

 「お前……何だ、そのカッコ?」

 

 家庭科室にやって来た順平は、湊の姿を見るや呆れた声を漏らした。

 

 「待ってたぞ。と、お前らもか。ちょうどいい。お前たち、ちょっと着替えろ」

 

 順平だけのつもりだったが、期せずして友近と宮本も一緒にやって来た。この喫茶店に客がどれくらい来るかは分からないが、一人より三人の方が良いだろう。どうせ三人とも暇だろうから、悪いことではなかろう――

 

 そんなふうに自分自身に言い訳をしながら、湊は『前回』と『今回』のコミュニティの担い手三人を巻き込む決心をした。この頃はまだ自分に言い訳をしている辺り、まだ救いがあった。そうして三馬鹿が強引に物置に放り込まれてから数分後、新たな執事が完成した。

 

 「お前ってこういう趣味だったの? まあ、フォーマルなカッコって嫌いじゃねえけどさ」

 

 「おい、何だこりゃ。こんな服、窮屈すぎるって」

 

 この三人の中では友近が一番似合っている。この学校では数少ない制服を綺麗に着ることができる生徒なだけあって、それなりに見れたものだ。宮本は肩回りがきついようだが、これも一種の個性と思えなくもない。そして順平は――

 

 「こ、この気品漂う高級感、そして洗練されたスタイル……!」

 

 なぜか用意されていたシルクハットを頭に乗せたその姿は、どこから見ても間違っている。だが本人は気に入ったようだ。

 

 「英国紳士の出来上がりだな。今日はエレガントに決めろ」

 

 「キッチリしすぎて個性が乏しいのと、体育会系と、お笑い芸人のコスプレかあ……。これがみんな自分のクラスの子と思うと、ちょっと悲しいわね」

 

 嘘八百なフォローを入れた湊を余所に、コーヒーを飲みながら悠然と腰掛ける鳥海が本質を簡潔に述べてくれた。ちょうどその時、またも家庭科室の扉が開いた。

 

 「湊殿! ふぁっしょん同好会の展示、ヤッテクレルノデスカ……ッテ、ハイ? ソ、ソノオ召シ物ハ……まじょるどむデハアリマセヌカ!?」

 

 ベベである。ウサギのあみぐるみやら、フェルトのバッグやらの小物を両手一杯に持っている。ファッション同好会で作ったこれらの物を文化祭で展示しようと、先日から言われていた。だが家庭科室は料理部に先に押さえられていたので、それは無理になっていたのである。

 

 「よく来た。さあ着替えろ。お前は絶対似合う」

 

 呆然とする哀れな留学生を、有無を言わせず物置へ放り込んだ。そして数分後、金髪の執事が完成した。だが凄まじく嫌そうな顔をしている。

 

 「ミ、湊殿! コ、コノヨウナ服ハ拙者、苦手デゴザル! 日本男児タル者、服ハキモノニ限リマス!」

 

 普段は穏やかなベベが顔を歪め、猛烈に心外とばかりにワナワナと震えている。下手をすると節制のコミュニティが壊れそうな勢いだ。だがもはや引き返す道はない。

 

 「アンドレ!」

 

 「ハ、ハイ!」

 

 担任にさえ覚えられていない本名で呼ばれ、ベベは急に背筋が伸びた。

 

 「今日のお前はベベじゃない。アンドレ・ローラン・ジャン・ジェラールだ。フランス人として、本場の着こなしを見せてやれ」

 

 「う、うぃー、むっしゅ!」

 

 「紳士服の本場はイギリスなんだけど……まあいいわね。日本人の目には区別つかないし、似合ってはいるわよね」

 

 「先生、新入りにご指導をお願いします」

 

 そうして人数が取り敢えず揃ったので、改めて鳥海にレクチャーを頼んだ。それがちょうど終わった頃に家庭科室の扉がまたも開いた。

 

 「料理部なんてこの学校にあったんだ……と、友近?」

 

 「ミヤ、何てカッコしてんの……」

 

 最初の客(鳥海は監督だから客からは除く)は岩崎と結子だった。二人ともそれぞれ親しい男子の異様な装いを見て、目を丸くしている。

 

 「り、理緒! いや、こ、これはな……」

 

 「俺が聞きてえよ……」

 

 「こら! 今教えたばっかりでしょ! ミスると次の試験で減点するわよ!」

 

 言い訳を始めようとした友近と宮本を鳥海が一喝した。普段から叱られることの多い二人組は、担任の叱責に反射的に背を伸ばした。そして作法(?)通りの言葉を、虚ろな口から発した。

 

 「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 「は、はい……」

 

 そうして二人は客をそれぞれ席に案内した。優雅とは言えないまでも、精一杯の努力でもって丁重に。人は誰しも状況によって仮面を使い分けるが、友近と宮本も執事のペルソナを心理学的な意味において自らの内に見出したようだ。

 

 「何これ……執事!? 執事喫茶!?」

 

 「お、お帰りなさいませー!」

 

 「Bonjour, mesdemoiselles」

 

 続けて扉口からやって来た複数の黄色い声に順平は明るく、ベベは綺麗なフランス語で迎え入れた。文化祭が本格的に始まり、客が段々と増えてきた。これは当初の想定より忙しくなると見た湊は、再び知り合いに電話をかけた。

 

 

 「有里君、何かあったのかい? 僕は実行委員で忙しいから、手短に……」

 

 「あれ、山岸さん? 理科室にいないと思ったら……」

 

 電話で呼んだ小田桐と、おまけで平賀が家庭科室にやって来た。この二人は学年こそ違うが幼馴染だ。平賀は6月に写真部を引退したから文化祭ですることがなく、暇なのであろう。そこで小田桐の手伝いでもしているのかもしれない。

 

 「取り敢えず着替えろ」

 

 「な、何なんだい? と言うか、君は誰だい?」

 

 「気にしないでください」

 

 『今回』は平賀とコミュニティを築いていない為、平賀は湊を知らない。だがそんな些末なことを気にする心遣いは、己のシャドウの仮面を付けた湊には残っていなかった。

 

 「厳しい執事と、笑顔を絶やさない優しい執事ね。ある意味で、二人とも典型ね」

 

 出来上がった二人への鳥海の論評は、いつもながらに的確だった。そして客は女子ばかりだが、時と共にどんどん増えて行った。

 

 

 「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 「承りましてございます。お嬢様」

 

 「S'il vous plaît attendez, mademoiselle」

 

 開始からしばらくすると執事の群れは多くが順調に仕事に壊れて、もとい慣れてきたようで、普段であれば絶対に言えないような恥ずかしいセリフでもスラスラ口に乗せることができるようになってきた。そんな哀れな人々を鳥海は満足の微笑みでもって見守り、執事長は邪悪な微笑みで見つめていた。だが――

 

 「有里君! 君は何を考えているんだね! 風紀紊乱も甚だしい!」

 

 ただ一人理性を保っている小田桐が食って掛かってきた。元々服装にうるさい小田桐だけに、放置すると皇帝のコミュニティが取り返しのつかないレベルまで崩れそうな剣幕だ。そこへ――

 

 「あ、あの、小田桐さん……って!」

 

 絶妙なタイミングでもって、生徒会会計の千尋が家庭科室にやって来た。実行委員の仕事を放りだしている小田桐を探しに来たのだろうが、当人の姿を見るや息を飲んだ。

 

 「伏見君! ちょうど良いところに来てくれた。君からも言ってやってくれたまえ……」

 

 「……」

 

 小田桐は応援が来たように思ったようだ。だが千尋から返事はない。最初の愕然とした表情から、徐々に目が据わり始めた。

 

 「伏見君……?」

 

 「お帰りなさいませ、でしょう?」

 

 「は?」

 

 「お嬢様を出迎える執事の第一声と言ったら、それに決まってるじゃないですか! やり直しですよ!」

 

 千尋は一旦家庭科室を出て、そしてまたすぐに戻ってきた。呆然とする小田桐に怖い目をじろりと向け、さあとばかりに胸を逸らした。

 

 「お、お帰りなさいませ……」

 

 千尋は少女マンガ好きだ。蔵書から知識を得ているのか、鳥海同様にそっち方面に詳しいようだ。そこはかとなく腐臭が漂ってきた後輩に気圧されたか、小田桐も何かが壊れてしまったようである。

 

 「あの子、一年の伏見さんだったっけ。なかなか見込みあるわね」

 

 鳥海はコーヒーを片手にうんうんと頷く。湊も揃って頷く。そんな中、さっきまでフランス語で応対して感動されていたベベが血相を変えて飛んできた。

 

 「まじょるどむ殿! ぽわぞん・ふぁたーるガ製造サレテイマス!」

 

 そう言って震える指を差した先、家庭科室の奥の調理場スペースでは風花が大きなボウルに何かを放り込んでいた。何か、としか言いようがない。遠目には卵の殻だったり、膨大な量の塩のようであるが。

 

 「何してるんだ」

 

 近付いて尋ねると、風花は笑顔で答えてきた。『前回』を通じても最高レベルに嬉しそうな、とてもいい笑顔で。

 

 「うん、ケーキが凄い売れ行きでなくなりそうだから。私、追加で作るね」

 

 ベベが怯えるわけである。風花に作らせたら何ができるか分かったものではない。来る客が全員保健室送りになる。いや、別に腐臭漂う女子たちが倒れようと一向に構わないが、後で責任を追及されたりしたら困る。

 

 「待て、いい奴を呼ぶから」

 

 謎の物体を作ろうとする風花を押し留めて、更に電話をかけた。そして数分後――

 

 

 「お前、いくらなんでもアレはないだろ!」

 

 シルクハットを未だかぶっている順平が調理場スペースを指差しながら、もっともなツッコミを入れてきた。

 

 「べ、ベルトが食い込んでるう……。未知なるエマージェンシー……」

 

 胴回りがはち切れんばかりの執事が、風花に代わって調理場で苦悶の表情を浮かべつつボウルに入れた卵をかき回していた。電話で呼ばれた末光である。平賀と同様に『今回』はコミュニティを築いていないから知り合いではないのだが、そんなことは関係ない。

 

 「世の中には太い男が好きな奴もいるさ」

 

 ただの大食いや早食い自慢と違って、末光は自分でも料理できるし発想も面白い。だから裏方役として呼び出したのだ。だが手が空いたら接客をやらせてもいい。末光本人は自身の体型を気にしている節もあるが、蓼食う虫も何とやらである。プロデュースの仕方によっては、末光はちょっと特殊な人気を掴めるタイプだ。

 

 「つか、アレに合う服まで何で用意されてんだ? バリエーション豊富すぎんだろ、この喫茶店……」

 

 「いや、まだまだだ。半ズボンの小学生と、やさぐれオーラ全開の不良がいれば完璧だった。惜しかったな」

 

 「誰のことだよ、そりゃ……」

 

 「いや、違う! 足りないのは癒しだ! コロマルを連れて来れば良かった! ははは! 失敗、失敗!」

 

 執事長の哄笑が家庭科室に響き渡った。シャドウの仮面は進化を続けている。この場の全ての人間を巻き込みながら。

 

 「イケメンを揃えるんじゃなくて、個性重視のオールレンジ対応型執事喫茶……。これは今までないパターンね」

 

 鳥海は既に三杯目のコーヒーを飲んでいた。この混沌模様をとことん楽しんでやるつもりのようである。そんな中、最後のピースが扉口に姿を現した。その途端、客の女子生徒はほぼ全員が一斉にそちらを向き、家庭科室は騒然とした空気に包まれた。

 

 「有里、新しい装備品が手に入ったとの話だが……」

 

 「待ってましたよ、先輩」

 

 真田である。言うまでもなく上級生だが、特別課外活動部のリーダー権限で呼び出したのだ。はっきり言って完璧な濫用だが、もう誰にも止められない。取り敢えず物置に放り込んで、そしてやはり数分後に――

 

 「この服、動きにくいんだが……。これじゃ腕を突き出しただけで、脇の縫い目が裂けてしまうんじゃないのか?」

 

 普通とは異なる方向性でもって服装に疑問を呈している、筋肉質な執事が現れた。なぜか伊達眼鏡をかけており、しかもそれが似合っている。

 

 「うん、土台がしっかりしてると様になるわね。やっぱりイケメンも必要よね」

 

 (よし、そろそろ良いだろう)

 

 これだけ人数を揃えれば、自分がいなくなっても大丈夫だろう。後は家庭科室から出ればいいだけだ。さあ彼女はどんな姿になっているか、確認しに行こう――

 

 湊は混沌をそろりと抜け出した。足音を立てずに、まさにシャドウが煙と化して消滅するかのようなさりげなさで家庭科室の扉を潜り抜け、廊下に出た。ちなみに着替えはしていない。だが廊下に出た途端、見知った女子生徒と目が合ってしまった。

 

 「あ、有里君? どうしたの? そんな格好で……」

 

 保健委員の長谷川だった。連れはおらず、一人だった。

 

 「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 ピシっと絹の皺を伸ばすような音と共に、頭の中で何かが弾け飛んだ。その瞬間、我に返った。

 

 (し、しまった!)

 

 服装のせいなのか、仮面の付け替えに失敗してしまった。鳥海に教わった通りの完璧な作法でもって、反射的に長谷川を出迎えてしまうという失態を演じてしまった。更に長谷川の反応も良くない。

 

 「は……はい。ただいま帰りました」

 

 やめてくれ。そこで顔を赤くするな。大嘘吐きの『愚者』なのに、思わずマジになってしまうではないか――

 

 「どうぞこちらへ」

 

 内心の思いを無視して口が勝手に動いた。仮面が本心を凌駕して暴走しているかのようである。しかもなぜか長谷川の手を取って席へと案内している辺り、口ばかりか全身で自制が効かなくなっている。

 

 「あ、有里! そちらのお嬢様は……?」

 

 長谷川を連れて家庭科室に戻ると、友近が駆け寄ってきた。実際に年上で雰囲気も大人びている彼女を見て、何か感じるものがあったのか。

 

 「お前の相手はあっちだ」

 

 目をキラキラと輝かせた友近を蹴り飛ばし、岩崎の方へと追いやってやった。何だかんだ言っても、友近には岩崎のようなタイプが一番いいだろう。今さらクピドを演じるつもりはないが、それが本人の為だ。

 

 (はっ! こんなことをしてる場合じゃない!)

 

 長谷川を席に座らせてから、再び我に返って抜け出し作戦を再開しようと扉の側を向いた。だが遅かった。と言うより、墓穴を掘っていた。

 

 「キャー、真田先輩!」

 

 学校という場所では、噂が広まるのは非常に早い。家庭科室で執事の真田が出迎えてくれる、とかの携帯メールでも出回ったのであろうか。真田明彦ファンクラブが大挙して押し寄せてきて、家庭科室の扉は塞がれてしまった。

 

 「あ、有里! 何とかしろ!」

 

 大勢のファンたちに取り囲まれた真田から救援要請が来るが、もちろん聞いてはやらない。そんなことより――

 

 (出してくれ!)

 

 声にならない声で扉口に溢れる女子の大群に叫ぶ。だが人波はびくともしない。アイギスのように普段から怪力を発揮できるわけではない人間のペルソナ使いは、数の暴力に対しては如何ともしがたい。

 

 「有里君、ちょっといいかな……」

 

 「こらこら、違うわよ」

 

 逃亡のチャンスを潰してくれた張本人、長谷川の声に振り返ってしまった。そしてそれに続いて、鳥海の声がかぶさってきた。見てみれば、いつの間にか自分のすぐ脇のテーブルに二人の隠者が一緒に座っていた。しかも古い方が新しい方に何かいらぬことを教えている。

 

 「有里、来なさい! と、このようにね。貴女がご主人様なんだから、頼んじゃ駄目。命令するのよ。はい、やってみて」

 

 「は、はい……。えーと……有里! ……君」

 

 「だから、君付けはいらないの! はい、もう一度!」

 

 鳥海による長谷川のマナー指導に付き合わされた。暴走を続けるシャドウの仮面は長谷川をなぜか無視してくれず、相当に長い時間を付き合ってしまった。そうこうしている間に家庭科室は女子生徒の大群で埋め尽くされ、執事たちは誰一人抜け出せないまま大忙しで働かざるを得なくなってしまった。

 

 (なぜだ……なぜこんなことに……)

 

 この内心の声は湊一人のものではなく、きっと執事服を着た全員の共通した思いであったろう。だが誰もそれを口に出しては言えなかった。突如として皆の心に貼り付けられた執事のペルソナは、普段の性格を叩き潰して圧倒するほどに強固だった。

 

 かくして料理部の喫茶店は大盛況のうちに終わった。風花と鳥海は大変なご満悦で、その一方で執事の群れは終わった後で床にへたり込んで、しばらく立ち上がれないほどに疲れてしまった。

 

 

 ちなみに弓道部のメイド喫茶は、当初思っていたほどには客数が伸びなかったらしい。理由はメイド服のデザインが、世間で思われているタイプではなかったからのようだ。特にスカートの丈が。そしてそうしたクレームを口に出して言った不埒な客を、ゆかりやアイギスが文字通りにつまみ出したりしたからだとか。

 

 ただし全く客が来ないわけではなく、むしろ暇はなかったので、ゆかりとアイギスは文化祭の間中ずっと忙しく働かねばならなかった。為にこの二人は、執事喫茶を訪れることは遂にできなかったとか。

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