連休が終わり、授業が再開された。湊は文化祭で大勢の友人たちを巻き込んでしまい、連休の間はそれを悔やんだ。だがこの日の午前中は、犠牲者たちから恨み言を言われることはなかった。そして午後の時間になると、担任の鳥海が教室にやって来た。
「えー、今日の午後は授業なし。と言っても遊べません。文化祭の展示とか飾りの片付けをしてちょうだい。今年の文化祭、面白かったわよねえ。先生も楽しませてもらったわ。でも、楽しんだ後はお仕事。世の中の法則よね、これ」
もはや一種のお約束と言うべきか、『前回』と同じ出来事が今日も発生した。鳥海のセリフには『前回』にはないものもあったが、生徒たちのやることは同じである。そして三つの班に分かれる中で、湊を含む班の担当が理科室になったのも『前回』と同じだった。
「んじゃ、ちゃっちゃと終わらせようぜ」
かくして後片付けが始まった。理科室の展示物は写真部のものである。順平とアイギスは資材置き場に向かい、他の皆は部屋の方々に散って行った。その一角で友近と宮本は話し込んでいる。
「文化祭、割と面白かったよな」
「俺は服がきつくてしんどかったが、ありゃ何だったんだ?」
「女の……つか、鳥海先生辺りのロマンだな」
近場で聞き耳を立てていた湊は少し安堵した。友近はそれなりに楽しんだようで、宮本はそもそも何をしたのか理解していない。『今回』はこの二人との間にコミュニティがない為、たとえ恨まれてもそれほど大きな問題はない。だが恨まれないなら、それに越したことはない。借りはできたかもしれないが。
「ああ、言えてんな。あの先生ノリノリだったもんな」
そこへ釘抜きやら梱包材やらを持って戻ってきた順平が、二人の話に加わった。
「今度の試験、ちょっと期待してもいいんじゃね? 点数に色つけてくれたりさ」
「こら、口動かしてる人は手も動かしてください!」
F組三馬鹿トリオは怠けて、ゆかりは怒声を響き渡らせる。この雰囲気は『前回』と同じで、平和な午後である。そんな中、理科室の扉がガラガラと音を立てて開いた。
今日の片付けは全校的に行われており、他の教室や実習室でも他のクラスの生徒が作業している。そして道具をこの部屋に取りに訪れる人もいる。『前回』のこの時は、結子と千尋がやって来たのだった。そして彼女らは色々といらぬことを言い、ゆかりを含めた三人でちょっとした修羅場の雰囲気を醸し出したのだった。だが『今回』はその三人の誰とも特別な関係を築いていないので、何の問題もない。と思いきや――
「あの……済みません。ガムテープありますか?」
(!?……)
聞き覚えのある、だが意外な声に思わず扉の方を見てしまった。そして入って来た人と目が合った。
「あ、有里君。良かった、知り合いの人がいて……」
来たのは長谷川だった。隣の教室を担当しているらしく、資材が足りないので取りに来た。そう言いながら、彼女は滑るような足取りでこちらに近づいてきた。
「文化祭、ありがとうね。ちょっと驚いたけど……面白かったわ。あんなふうに楽しめたの、久しぶりだったから……」
(う……)
柔らかく微笑んでいる、だが心なしか頬の赤い長谷川の顔を見て、忌まわしい記憶が蘇ってきた。四日前の文化祭では、確かに彼女は執事喫茶を訪れていた。と言うかシャドウの仮面が暴走して、廊下で鉢合わせた彼女を訳も分からず招待してしまったのだ。しかもかなりの長時間に渡って相手をしてしまっていた。あの一件が隠者のコミュニティにどんな影響を与えたか、今まで考えたことはなかった。正確には考えることを避けていた。だがこちらが思考を停止している間にも、彼女は感じるものが確実にあったようである。
これは色々とまずい。何とかせねば――
「どういたしまして」
何とかしなければいけないはずが、シャドウの仮面が唐突に復活したかのように、こんな言葉が笑顔の形を作った口から出てきた。どうも長谷川が相手だと、いつも自由に動いてくれる便利な口がその本領を発揮できない気がする。何かの衝動に負けるように、意図しない言動をしてしまう。だが今日はこれまでのコミュニティとは状況が違う。
「湊さん……何をなさっていたのですか?」
背後からアイギスが声をかけてきた。いつも優しい彼女らしくない、ぞっとするような冷たい声だった。振り返って彼女の顔を見るのが怖いくらいだ。
「え、貴女は……」
「……」
アイギスの姿を目にするや、長谷川は困惑した表情を見せた。アイギスが登校を始めてから、まだ三週間ほどしか経っていない。だが彼女は良くも悪くも目立つので、校内では色々噂されていることだろう。しかし友人の少ない長谷川は噂話に詳しくはないだろう。もしかすると彼女の存在や湊との関係(噂に真実があるかは別として)も、今まで知らなかったのかもしれない。
溢れる勇気を無駄に振り絞って首を僅かに回してみれば、長谷川を見つめるアイギスの視線は非常に鋭いものだった。これを受けては、タルタロスのシャドウさえ逃げ出しそうだ。ましてやただの人間では、竦み上がるか黙って立ち去る以外に何もしようがないだろう。
「……」
だが意外にも、長谷川はどちらもしなかった。唇を引き結んで、真っ直ぐアイギスの視線を受け止めている。何事につけ遠慮がちな彼女にしては珍しいことだ。もしかすると、これが普段の微笑みの仮面の下にある、彼女の本当の顔だろうか。
重圧感のある沈黙と共に、冷たい火花が二人の間に飛び散った。部屋の気温さえ下がるようだ。似たような出来事が夏祭りの時にもあったが、ある意味では危険の度合いは今日の方が高そうだ。エリザベスと違って、この二人のことは誰でも記憶できる。
(ま、まずいな……)
これは本当にまずい。どうでもいいと投げ遣りにすることはできない。だがどうすればよいのか、まるで分からない。自分一人ではどうしようもない。ここは応援が必要だ。確か『前回』のこの日は――
「ね、ねえアイギス! 今日の部活だけど……タオル禁止」
どこかで聞いたようなセリフを発したのは、額に汗を浮かべたゆかりだった。予期せぬセリフで毒気を抜かれたか、アイギスは緩めた視線をゆかりに送る。
「タオル禁止? 私は構いませんが、皆さんもですか?」
「そ、そうなの! だから部のみんなに伝えないと。行きましょ!」
「は、はい……」
ゆかりに押し出されるようにして、アイギスは理科室から去って行った。続いて友近が頭を掻きながら近づいてきて、口を開いた。
「えと、ガムテープだっけ? 悪いけど、切らしちまってさ……」
「……そうですか」
友近の声色はいかにも芝居じみたものだ。だが長谷川は踵を返して、大人しく去って行った。かくして理科室に飛び散った冷たい火花は、火災に発展する前に無事に消火された。理科室に残った誰もが安堵のため息を漏らす中、修羅場は去って日常が帰って来た。だが事はそれだけでは終わらない。
「湊、友達だから言うぞ? 浮気は駄目だぞ」
珍しく真面目な顔をした順平が、肩に手をポンと置いてきた。どうやら少々誤解されたようである。友近も呆れ顔で腰に手を当てている。
「有里、今日はがくれ行こうぜ。特製の味玉追加。文化祭の打ち上げっつーことで、お前の奢りな」
浮気云々は誤解である。きっと。だがこの場でそう言ったところで、説得力はなさそうだ。
「大盛り頼むぜ」
「もちろん俺もだからな! 後で小田桐と留学生のアンドレ……だっけ? あいつらにも声かけとくからな!」
宮本まで便乗してきて、そして当然のように順平も乗ってきた。二人とも、とてもいい笑顔である。その笑顔の中に、断る選択肢は用意されてない。
「分かったよ」
五人分も奢らされる羽目になったわけだ。だが奢ること自体は構わない。皆を執事喫茶に巻き込んだ埋め合わせが、どこかで必要だと思っていたから。ラーメン程度で済むなら安いものだ。
(それより……やってしまったな)
内心で密かに頭を抱えた。まさか『今回』も『前回』のような修羅場が立ち現われるとは思わなかった。これではラーメン屋で皆にどんな追及を食らうことやら。打ち上げの名を借りた、女関係の尋問大会が始まりそうだ。いや、それ以前にアイギスにどう言い訳したら良いのだろうか。そんな嫌な類の悩みを感じ始めた頃――
『お知らせいたします。二年C組の長谷川沙織さん、二年F組の有里湊さん。至急、職員室までお越しください。繰り返しお知らせします……』
黒板の上に設置されたスピーカーから、校内放送が流れてきた。事務的な口調でもって、二人の生徒を呼び出してきた。
「ん? 何だ?」
「長谷川さんって、さっきの人だよな。二人揃って呼び出しって、一体……」
「湊、お前やっぱり……」
「何もしていないぞ」
心当たりはないが、呼び出された以上は行かねばならない。順平の珍しい冷たい視線を振り切って、早足で理科室を出た。
取り敢えず職員室まで行ってみると、既に長谷川は来ていて江古田の机の所にいた。そして鳥海と、長谷川の担任であるC組の大西もいる。そして江古田の机には一冊の週刊誌が置かれていた。
「私……こんなこと……」
長谷川は困惑した顔でいる。そっと近づいて机に置かれた週刊誌を見てみれば、開いているページには大きな白黒の写真が掲載されていた。写っている人物の目には線が引かれているが、知り合いが見れば誰かは分かる程度のものだった。写っているのは長谷川だ。
江古田はやって来た湊を一瞥すると、再び長谷川を見下ろすようにする。どうやら説教は既に始まっていたようだが、まだ続く様子である。
「これを持ってきたのはここの生徒だ。自分の学校が傷つけられたと言ってね。彼女はこうも言っていた。長谷川さんはクラスメイトの男子を誘惑したり、陰では汚い言葉遣いをしているし……年下の私たちを見下してて交流しようとしない人だとね」
「……」
長谷川は無言のまま、ぴくりと震えた。何かに怯えるように震えた。
「取り敢えず停学処分とする方針だ。いいな?」
週刊誌を改めて見てみれば、そこの名前は『長谷詩織』とある。記事の見出しには『堕ちたブランド・G学園の乱れた性春』と書かれていた。斜め読みした記事には女子高生の夜の事情が色々と書かれているようだが、長谷川が喋るような内容ではない。委員会以外では彼女と付き合いはほとんどないが、それでも記事の内容は彼女の言葉でないことくらいは分かる。
(悪い記者に騙されたか)
大体の事情は分かった。記事の内容を知らされずに、写真だけ撮らせたのだろう。客観的に見れば、長谷川に大した責任はない。軽率ではあるものの、注意程度で済むべき話だ。
(だがそもそもなぜ、江古田が出てくる?)
「君の夜の事情は知らんがね……学校に迷惑をかけてはいかんだろう。保護者とかも色々ね……。あんな良い親御さんに、心配かけんじゃないぞ」
(学校に迷惑……なるほど、趣味か)
江古田の考えは読めた。これが風花の一件のように自分のクラスの生徒であれば揉み消そうとするだろうが、別のクラスの生徒ならば容赦なく責めることができる。ついでに同僚の教師も責められる。それでC組の大西だけでなく鳥海までいるわけだ。長谷川だけでなく自分も呼んだのは、週刊誌に書かれている長谷川の相手と自分を見做した、或いは仕立て上げようとしている。そう言いがかりをつけて自分にも何かの処分を与え、鳥海をも攻撃する。そんなところであろうと、湊は事情を推理した。
「……違う。違います……!」
(む……?)
推理を展開している間に、長谷川は再び声を漏らした。その表情を覆っているのは怯え。或いは悲しみか。それとも実は怒り、憎悪、はたまた嫉妬。とにかくそうした類の、とても暗い感情だ。いつも何かを隠している微笑みの仮面はその位置を大きくずらし、青白い気配が冷たく上ってきた。音さえ聞こえそうな予感と共に、彼女の内側にある何かが表に現れようとしている。
それはアイギスの殺気にさえ立ち向かえる、長谷川の本性だろうか。記事に書かれた『事情』などより遥かに恐ろしい何か。無意識の深層に封じられた精神の暗部。即ちシャドウ。言い方を変えれば、ペルソナ――
「ところで先生。僕が呼ばれたのは、この一件を生徒会で処理する為ですか?」
本能的に危険を察知した湊は先手を打った。突如として職員室に立ち込めた冷気は脈絡のない発言によって急激に薄れ、江古田は怪訝な視線を向けてきた。鳥海と大西の視線も一緒になって向けられてくる。
「ああん? 何を言っているのだね……」
「気が進みませんねえ。うちの会長、ああ見えて気が短いですから。こんな根も葉もない記事で生徒が侮辱されたと知ったら、怒髪天を衝くでしょう。出版社に乗り込んで記者と編集者を締め上げるか……いや、出版社ごと潰しにいくでしょうか。さてさて、どこまで事態が発展するか、想像もつきませんね」
どんな嘘でも詭弁でも自由に言える『愚者』の口は便利なものである。先ほどの理科室ではなぜか失敗したが、今は非常に滑らかに動いた。
「ま、待ちなさい! そんな大事には……」
江古田は慌てだした。風花の件で処分を食らったことは、まだ記憶に新しかろう。『会長』と聞いただけで震え上がった。狙い通りの反応である。
「そうですね。僕も世間を巻き込んだ大事にはしたくありません。分かりました。校内だけに収める方向で処理するように、会長には僕から説明します」
「そ、そうだね。そうしよう」
「この雑誌に信憑性がないことは、他の記事を見れば一目瞭然です。ただの面白半分なゴシップに過ぎません。すると処分の対象となるのは……証拠もないのに記事を鵜呑みした生徒と教員……」
考え込む振りをしながら横目で見てやれば、江古田はちょうど息を飲んだところだった。内心が簡単に表に出てくる、実に分かりやすい顔である。弱点に赤ペンで丸をつけられているようなものだ。
「処分の内容は……生徒は注意、教員は減給が妥当でしょうか? いや、待てよ。過去に処分歴があると、もっと重くなるのかな。先生、どう思います?」
これは詭弁だ。実際のところは、長谷川の担任でもない江古田には何の処分も下されないだろう。だがもう江古田は顔面蒼白になっている。こちらの詭弁には気付きもしまい。
「あ、有里君……」
一歩近づいて、小声で囁いた。
「先生。この一件、担任に任せてはいかがでしょうか。江古田先生はこの雑誌を見ていない。初めから無関係。それでどうです?」
「う……うむ。それで頼むよ。わ、私はこれで失礼しよう。大西先生、後はよろしく」
言うが早いか、江古田はカバンを取ってさっさと職員室から出て行った。本当に分かりやすい人物である。あれくらい単純だと、かえって気分が良くなるくらいだ。そんな江古田の後姿を見送りながら、鳥海は笑い出した。
「ふふ……あっはっは! 教師を脅すなんて、やるじゃないの」
「いや、面白いものを見せてもらったよ。長谷川は……そうだな。反省文でも書いてくれ。適当でいいから」
大西も声は立てないが、にやにやと笑っている。かくして停学は回避できたわけだ。
「貴方、やっぱり王子様じゃなくて執事が似合うわね。お嬢様を腹黒く守るキャラね」
「執事って何だい?」
「あら、大西先生は来てませんでしたっけ。文化祭でね、この子たちが……」
「それじゃ、僕たちは失礼します」
不良教師たちの会話に巻き込まれる前に、職員室から退散することにした。もちろん長谷川も連れて。執事喫茶に案内した時のように手こそ取らなかったが、彼女は黙ってついてきた。
時間的に言って、片付けはそろそろ終わっている頃であろう。荷物を取りに自分たちの教室に向かう途中で、長谷川が話しかけてきた。
「記事は、嘘よ……」
濡れた布から水を滴り落とすように、自分に言い聞かせるように彼女は呟いた。それによれば、彼女は記者に何も言っていないらしい。だが写真は本物とのことだった。高校生の素顔をテーマにした爽やかな特集だと聞いて、制服でのスナップを一枚撮らせたとのことだった。そう語る彼女の表情からは、先ほどの青白い気配は消えていた。だがいつもの微笑みの仮面ではなく、ただ悲しそうな表情でいた。
「なぜそんなことを?」
「クラスの子に頼まれたの。バイトしないかって……。気は乗らなかったけど、どうでもよかったし……」
「……」
どこかで聞いたようなセリフである。思わず彼女の目をじっと見つめてしまう。すると送られる視線を恥ずかしく思ったか、またいつもの仮面に戻って微笑んだ。
「庇ってくれて、ありがとう……。停学になったら私、きっと家にもいられなくなっていたわ」
コミュニティの担い手から感謝されることはよくある。大抵の場合は、客観的には自分の手柄ではないので心苦しく感じるが、今日ばかりは本当に良いことをした気がする。だから礼の言葉は素直に聞ける。だがその一方で、さりげなく口にされた彼女の個人的な事情に気を取られた。
(家にも……?)
家族と上手くいっていないのだろうか。その種の家庭事情は風花やゆかり、順平などを連想させるが――
「なら寮にでも入ったらどうだ?」
彼女はえ、と声を漏らし、驚いた表情を見せてきた。だがそれは一瞬のことで、再び微笑んだ。
「ふふ、ありがとう。そう言えば、有里君って寮暮らしなのよね。楽しそうでいいわね。羨ましいわ……」
すっかり板についた仮面のまま、長谷川は廊下を一人で歩いた。湊はその場に立ち止まって、彼女の背中を見つめ続けた。C組の教室の中に隠れるまで。
「……」
長谷川の姿が見えなくなってから、湊はF組の教室へと向かった。歩きながら、少し考えてみた。特別課外活動部の仲間たちも、その多くが家庭に問題を抱えている。家庭環境がペルソナに覚醒する為の条件であるのかどうか、実際のところは分からない。状況証拠でしかない。だがもしそうならば、彼女は条件を満たしているのではないかと。
(剣や槍を振り回すのは似合いそうもないが……)
もし彼女がペルソナに目覚めたら、どんなタイプになるだろうか。仮面の性格からして、風花のようなサポート系の能力だろうか。もしくは保健委員だけに、ゆかり以上の回復特化型だろうか。それとも隠者のペルソナによくあるような、魅了や恐怖などの精神攻撃が得意だったりするだろうか。或いはペルソナ使いではないが眞宵堂の店主のように、道具や武器の製造ができるかもしれない。江戸川から貰える劇薬や毒薬を調合して、呪物を作ったりするような――
(いやいや、ちょっと待て。家の問題だったら、別に彼女に限った話じゃないだろ)
勝手に進んで行こうとする思考を抑え込んだ。コミュニティの担い手には、その種の問題を抱えている人が多い。彼らは皆、家族との向き合い方がコミュニティそのものだったとさえ言ってよい。父親が服役している小田桐、息子に先立たれた文吉爺さんと光子婆さん、両親が離婚する舞子、叔母を失って叔父と不和のベベ、妻子と別れている無達。『前回』を含めれば父親を失っている早瀬に、弟を失っている末光。広くは父親と進路で揉めていた平賀や、甥が怪我をしている宮本も含まれるかもしれない。
こうして数えてみると、家庭に問題があるというだけでは相当な人数になる。もし彼らの誰もがペルソナに目覚めでもしたら、巌戸台分寮はあっという間に満員になってしまう。いくら何でもそれはないだろう。宮本が象徴化する姿も合宿で見ているのだし。
(だが……隠者か。それだと……)
再び思考が進んで行こうとした時、期せずして自分の手がF組の教室の扉にかかった。そのまま開けてみると、順平が待っていた。友近と宮本もいて、小田桐とベベもそこにいた。
「お、戻って来たな!」
「帰ってなかったのか」
「当たり前だろ。奢りのチャンスを逃すかよ!」
友近は満面の笑みでそう言うが、小田桐は難しい顔をして腕組みをしている。その状態のまま口を開いた。
「有里君。僕は買収される気はない。だから今日はただ友人としてご馳走になろう。先日は友人として君に協力したんだからな」
小田桐は執事喫茶に巻き込まれた当初は憤慨していたが、千尋の剣幕に当てられて結局は流されてしまった。上昇志向の強い小田桐からすれば、後輩の女子に圧倒されたなどとは認めたくなかろう。それよりは同輩に友人として、とした方が自分自身に言い訳がしやすいようだ。
「湊殿ー! 武士ノらーめん屋ニごーごーデス!」
そしてベベは張り切っている。そう言えば『前回』も『今回』もベベとはがくれに行ったことはなかった。執事服を着せられたのは相当に不本意だったであろうが、ラーメンで買収される気になったようだ。
心配していたコミュニティの破綻は、どうやら無事に回避できそうである。彼らとは今後も友人でいられるだろう。ただし飽くまで友人である。戦いの仲間ではない。
(それでいい。こいつらがペルソナ使いになったら、さすがに面倒見きれない)
たとえ本当に彼らにペルソナの素質があるとしても、限度がある。友近はうるさそうだし、宮本は根性を出しすぎて膝の怪我を悪化させそうだし、小田桐やベベは想像さえしづらい。彼らが刃物や召喚器を手にタルタロスを走り抜ける姿は、いくらなんでも絵にならなさすぎる。
(しかし……『我』は相手を見て選んでいるのか?)
コミュニティの担い手は自分では選べない。タカヤのケースのように狙うことはあるが、選ぶのは飽くまでも絆を教える『我』だ。もしも家庭事情が担い手になる為の条件にあるのなら、『我』はいつそれを知るのだろうか。多くの場合、コミュニティは初対面で発生するのに。心理学で言うところの集合的無意識に属する存在であるから、そんなことが可能なのか。それとも何か別の理由があるのか。
(いや……それとも実は、相手も『我』の声を聞いてるのか? 自覚はもちろんないだろうが、無意識で聞いてるのか? だとしたら……)
『我』は一体何者であるのか。そして『我は汝、汝は我』。停止した時間の中で必ず言われるその言葉の、ペルソナも言う言葉の意味するところは何だろうか。はがくれに向かう道すがら、考えても答えの見つからなさそうな問題に思考を捉われた。
なお案の定と言うか、はがくれで湊は友人たちから色々と追及された。アイギスとの関係とか長谷川との関係とか、職員室で何があったのかとか。初めのうちは適当に流していたが、どっちが本命なんだとしつこく聞かれるものだから、アイギスだと最後に答えてやった。
そして夜の時間に寮に戻ると、やはりと言うかアイギスから問い質された。文化祭で何をしたのかとか、長谷川との関係とか。普段は優しい彼女が怒ると、とても怖い。だがはがくれでの湊の答えにいたく満足したらしき順平がフォローしてくれたおかげで、彼女は許してくれた。
家庭環境がペルソナに覚醒する為の条件であるのかどうか。原作で明言はされていませんが、あり得そうな話ではありますね。しかし家庭の問題なら、コミュの担い手にも多いのですよね。この辺り、何か原作者の意図を感じませんか?