ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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悪人(2009/10/4)

 満月の夜は影時間が始まると同時に、特別課外活動部は寮の四階にある作戦室に集合する。これはもはや毎月の恒例となっているのだが、今日はいつもと様子が違う。集まった人数が少ないのである。

 

 「明彦はどこに行ったんだ! しかもアイギスもいない! 作戦日だと言うのに、どこで油を売っているんだ!」

 

 真田とアイギスがいないのだ。部長の美鶴の下には、用があって遅れるとかの事前の連絡も何もないまま、二人揃って姿を消している。もちろん無線にかけても捕まらない。

 

 「いないものは仕方ありません。まずは今日のシャドウを何とかしましょう」

 

 「全く……戻ってきたら処刑だな」

 

 湊が宥めても、美鶴の憤懣は完全には収まらない。作戦日を無断で放り出したとあっては、仕方のないことではあるが。だが美鶴も、いつまでもメンバーの不在に憤っているわけにはいかない。時間は待ってくれない以上、集まった面々だけで戦わねばならない。

 

 「しかし、ちょっと意外な組み合わせだよな。真田さんとアイちゃんかあ……。いいのか湊? あの二人に夜のデートとかさせて」

 

 「馬鹿じゃないの? 真田先輩がそんなことするわけないでしょ」

 

 「帰ってきたら、ゆっくり聞かせてもらうさ。それより山岸、シャドウの居場所は?」

 

 あらぬ方向でもって誤解しているらしい順平にはそれくらいで済ませ、湊は自分の仕事に取り掛かった。あの二人抜きで満月を戦うのは相当な困難があるが、やるしかないのだ。

 

 既に賽は投げられた。どの目が出るかは、もはや運命に委ねるしかない。

 

 

 その頃、荒垣はポートアイランド駅近くの溜まり場に一人でやって来た。季節に関わらずいつも着ているロングコートのポケットに両手を突っ込んで、やや猫背の姿勢で歩いている。荒垣は大柄な体格に応じて歩幅も大きい為、普段は歩くのは速い方である。だが今日ばかりは、足の進みがやや遅くなっている。ニット帽の下から覗く目は疲れたような、諦めたような、いずれにしても覇気の全くないものだった。そして自分でもそれを自覚していた。

 

 この場所に来るのはもはや身に染みついた習慣となっているが、今日は意図せず来たのではない。昼間のうちに、携帯メールで呼び出しを受けたのだ。

 

 普通の人間がここに呼び出されるとしたら、どこぞの不良から恨みを買ってその落とし前をつけに、と言ったところだろう。自分自身、この二年間でそうした経験がないわけではなかった。だからもし普段であれば、ただのケンカに行くつもりの、面倒ではあっても楽な気分でいられたことだろう。それが今のようなとてつもなく重苦しい気分になっているのは、呼び出した相手の名前が原因だった。

 

 だが足や気分がどれだけ重かろうと、歩けばやがて目的地に到着する。呼び出してきた相手は、気が乗らないからと言って逃げてよいような相手ではないのだ。だから程なくして、その姿を緑の空気の中に発見した。

 

 「……」

 

 棺桶が並ぶ溜まり場の隅の一角に、月光館学園の制服を着た一人の少年が壁を背にして立っている。小学校高学年くらいの年頃で、自分の身長より長い棒のようなものを持っている。よく見れば、それは棒ではなかった。先端に刃渡り三十センチくらいの、本物の刃がついている。槍だ。しかも腰にはホルスターを巻いており、拳銃を差している。普通の時間であったら、たとえ小学生でも警察に捕まる装備だ。だが今は普通の時間ではない。そして普通でないこの時間に、人の姿で平然と立っている。

 

 「荒垣さんですね」

 

 少年が声をかけてきた。物騒な持ち物とは裏腹に、酷く冷静な声だった。十歳かそこらの子供が発するものではない。最初の一声だけで、この少年が只者ではないことが嫌と言うほど分かってしまうくらいだ。

 

 「ああ……」

 

 「僕が誰なのか、分かってますね?」

 

 「ああ……」

 

 どこの誰なのかは、名前を伝えられた時から分かっている。そして実際に会ってみると、それ以外のことも色々分かる。普通の時間にこの界隈をうろついている不良どもなど、この少年に比べれば小魚の群れだ。静かな声音で隠しているが、桁の外れた危険さを内に秘めている。

 

 「じゃあ呼び出された理由も分かってますね? 今日が何の日か」

 

 「分かってるさ……忘れたくても忘れられねえんだ」

 

 忘れたいと思っていた。だが無理だった。頭よりも体が忘れてくれないのだから。

 

 「そうです。二年前の今日、僕の母さんはここで亡くなりました。死因は交通事故となっていますが、あれは事故じゃありません。僕は見ていました」

 

 少年はゆっくりと足を進めて、溜まり場の隅から出てきた。そしてこちらから三メートルくらいの距離で立ち止まり、槍を構えた。その姿は奇妙なくらいに様になっている。

 

 「貴方が殺したんです」

 

 (……せめて、大声で叫ぶくらいしろよ)

 

 最初からずっと静かなままの少年の声色は、居たたまれない気持ちにさえさせる。罪を糾弾するのに、こんな言い方があって良いのか。警察や裁判官が罪状を読み上げるわけじゃあるまいし、被害者が加害者に叩きつける言葉にどうして何の感情も込められていないのだ。

 

 少年、天田乾は親の仇を前にして、完全な冷静さを保っている。腰がしっかりと座った槍の穂先は微動もせず、こちらの心臓へ真っ直ぐ向けられている。ほとんど日焼けしていない色白の顔には汗一つ浮かんでおらず、目には殺意はおろか怒りすら滲んでいない。こんな芸当ができるのは筋金入りの悪党か、相当な数の修羅場をくぐって来た人間くらいなものだ。何をどうすれば、こんな年頃の子供がこうなるのだろうか。

 

 だが今さらそれを考えても意味はない。来るべきものが来てしまったのだ。業というものは巡り巡って、最後は自分の所に帰ってくる。ただそれだけのことだ。

 

 「分かった……やれよ」

 

 「抵抗しないんですか」

 

 「したって無駄だろう。俺は武器も召喚器も持ってねえ」

 

 今日は初めから殺されてやるつもりでここに来た。どうせ残り少ない命なのだ。罪の償いに投げ出すのも悪くない。ただ一つ、忠告だけはしようと思っていた。こんな自分でも、殺せば背負ってしまうものがある。それだけは覚悟しろと。だが少年の様子を見て、忠告する気は失せてしまった。言ったところで無意味だ。

 

 この少年は、怪物になる。自分は一人殺しただけで召喚器を置いた。だが世の中には、どれだけ殺しても平気な人間もいる。天田乾は、そういう類の人間になる。名前の通りに一滴の潤いもない、乾燥した心を持った怪物に。

 

 (しょうがねえ……俺のせいなんだからよ)

 

 もはや天田にかけるべき言葉はない。ただ影時間に殺されれば、真相は世間に知られなくなる。それだけが唯一してやれることだ。だが――

 

 「シンジ!」

 

 聞き慣れた声が駅の方角から割り込んできた。唐突に。

 

 「アキ!?」

 

 腐れ縁の男がアタッシュケースを持ちながら、こちらへ向けて全速力で駆けて来た。しかも一人ではなく、白い金属製の装甲めいた代物を身に付けるという、奇天烈な格好の金髪の女を連れていた。初めて見る顔だが、あの部の新入りだろうか。

 

 「間に合ったか! ビンゴだったな」

 

 アキはアタッシュケースを押し付けてきて、自分と天田の間に割って入った。連れの女もそれに続く。こちらが問い質す間も止める間もなく、アキは天田と向かい合った。

 

 「久しぶりだな、天田……」

 

 「真田先輩……」

 

 ずっと表情のなかった天田の瞳が僅かに揺らいだ。だが瞬きを一つしただけで、元の色のない瞳に戻った。少年は年に不相応にも、自分の感情をいとも容易く制御できている。

 

 「邪魔しないでください。貴方に恨みはありません」

 

 「悪いが……シンジをやらせはしない。どうしてもやるなら、俺を殺してからにしろ」

 

 「では殺して差し上げましょうか」

 

 (!?)

 

 天田の背後から突然湧き上がった酷く丁重な声に、思わず目を見開いてしまった。いつからそこにいたのか、影時間の緑の闇に白い肌の異形が浮かび上がった。上半身裸で両腕にタトゥーを入れ、ダメージジーンズに拳銃を差した、異様なまでに白い男。自分の知る限りで最悪の怪人物。ストレガのタカヤだ。

 

 タカヤは天田に近づき、小学生の小さな肩に手を置いた。それと共に天田はタカヤを見上げ、一旦槍を下げた。一見すると親しげな、しかも見せつけるようなその仕種が、嫌な感じの距離感を二人の間に感じさせる。一分の隙もない完全な怪物と、それになりかけの少年。白い怪物の兄弟――

 

 「貴様は……! そうか、天田を唆したのは貴様か!」

 

 「いいえ、これは天田さん自身が望んだ復讐です。私はほんの少し、手を貸したに過ぎません」

 

 激するアキに向けて、タカヤは皮肉な笑みを浮かべた。にやりと音を発しそうなくらいに、強烈な悪意が込められている。全ての事態は己の掌にあるとでも言いたげな笑い方だ。そして天田の肩から手を外し、一歩前に出た。

 

 「貴方のお相手は、私がしましょう」

 

 アキは唇を引き結び、ナックルを装着した拳を顎の高さに持ち上げた。同時にその場で軽く飛び跳ね、フットワークを確認する。対照的にタカヤは武器を持たず、両腕をぶらりと下げたままだ。構えだけ見れば玄人と素人のようだが、実際は逆だ。その証拠に、緊張感の漂うアキに対して、タカヤは皮肉な笑みを絶やさない。

 

 (駄目だ……!)

 

 自分は桐条のように相手の力量を正確に測る能力はないが、荒れた生活で培った勘で分かる。二人の実力差は大人と子供ほどにある。一対一ではアキに勝ち目はない。女も加勢すれば逃げるくらいなら何とか、と言ったところだろう。その女も腰を落とし、何をするつもりか右手の指先をタカヤに向けた。

 

 「こっちはいい! シンジを頼む!」

 

 そう叫んだアキはタカヤの懐に飛び込み、ジャブ、ストレート、アッパーと三連打を叩き込んだ。だがタカヤはいずれも余裕を持ってかわした。続けて召喚器を抜き、ポリデュークスを召喚する。久しぶりに見る肉感に満ちたペルソナが唸りを上げ、頭上の何もない空間から電撃が走る。だがそれさえも、タカヤは半歩動いただけでかわす。

 

 アキはまだ止まらない。自分が特別課外活動部にいた頃よりもずっと速く、鋭いパンチを休まずに打ち込む。だが当たらない。約束組手でもしているかのように、初めから笑いっぱなしのタカヤの体にはかすりもしない。アキは昔から単純馬鹿だ。相手の実力にくらいもう気付いているだろうが、それでも退こうとしない。

 

 最悪だ。このままでは全員殺される――

 

 だがタカヤはアキの攻撃をよけるばかりで、仕掛けようとはしない。為に二人の位置は自分たちから段々と遠ざかって行く。何のつもりかと不審に思っていたら、槍を下げたままの天田がすっとタカヤに目を向けた。二人の視線が一瞬交じり、それと共にタカヤは笑みを深めた。

 

 (あの野郎……天田が俺を殺すまで、アキはやらねえ気か!)

 

 天田はこちらに向き直って槍を構え直し、音もなく足を進めた。あと僅かで槍の間合いに入る距離だ。目には相変わらず色がない。完全にやる気だ。子供の顔でこんな目をされては、背中に走るものを感じずにはいられない。

 

 「天田……やめろ!」

 

 アキが押し付けてきたアタッシュケースを放り捨てた。これの中身は自分の召喚器だろうが、使うことはできない。

 

 「命乞いですか」

 

 そんなつもりはない。だがアキがしゃしゃり出てきた以上、殺されるわけにはいかなくなった。アキと女だけでも逃がさなければならない。そうかと言って、天田にペルソナを向けることもできない。自分の柄ではないが、言葉で何とかするしかない。

 

 「違う! 殺すのは構わねえ。だがやるなら、復讐だけにしろ! 親の仇は俺だ! 他の奴らを殺すのは、ただの人殺しだ!」

 

 天田はぴくりと眉を動かした。少しは効果があったようだ。理由もなく人を殺せるほどには、少年はまだ怪物として完成されていない。

 

 「天田さん、やめてください」

 

 そんな中で、女が再び自分と天田の間に割って入り、両手を広げた。

 

 「誰ですか、貴女」

 

 「そうでしたね……今の貴方は私をご存じない。でも私は貴方を知っています」

 

 「……」

 

 「私以上に貴方を知っている人も、私は知っています。荒垣さんや真田さんが亡くなれば、その人は悲しみます。それをしたのが貴方だったら、その人はより悲しむでしょう」

 

 「悪いですけど、話が見えません。関係ない人を殺したくはないんですけど……邪魔するなら容赦しませんよ」

 

 この女は何を言っているのだろうか。天田を個人的に知っているような口振りだが、それにしたところで話に脈絡がない。せっかく天田が聞く耳を持ち始めたのに、余計なことを言われては困る。

 

 「おい、お前には関係ねえ。アキを連れて逃げ……うっ!」

 

 言いかけた途中で、突然猛烈な吐き気に襲われた。捻じれるような不快感が胃の辺りから発生し、せり上がってきた何かが喉の奥にぶつかる感触があった。思わず手を口に当ててしまった。

 

 (く……こんな時に!)

 

 それと共に酷い酸味が口の中に広がった。この感触は二年の間に何度も経験したことがある。気持ちの良いものではないが、慣れているから普段であれば無理に飲み込むこともできる。だがどういう訳か、今日の腹に出現した不快感はこれまでとは違った。胃袋が破裂して背骨ごと粉砕するような激烈な痛みが伴っていた。

 

 「何してるんです」

 

 堪らず地面に膝をつき、胃の中のものを吐き出してしまった。天田が見ているのに、抑えることができなかった。

 

 「シンジ! どうした!」

 

 吐く音を耳にしたか、アキが駆けつけてきた。タカヤは足を止め、その場から動かないでいる。目の端でそれを確認すると、このタイミングの発作はかえって幸運かもしれないと思えた。アキとタカヤの距離が空いた為、二人が逃げられる見込みが少しは出た。だが――

 

 「これは……制御剤の副作用ですね」

 

 うずくまった自分の背中に手を当てながら、女が余計なことを言ってくれた。コート越しに感じる手は何だかやたらと硬いが、そんなことはどうでもいい。

 

 (黙ってろ!)

 

 そう叫んでやりたいが、むせ返る喉からは声が出ない。そのうちに、女の反対側からアキが自分の顔を覗き込んできた。

 

 「何!? お前、あれを使っているのか!?」

 

 「制御剤……? 何ですか、それ?」

 

 「ペルソナの暴走を抑える為の薬です。常用すると体の内分泌液のバランスが崩れ、余命が削られるのです」

 

 「え……!? タカヤさん!」

 

 女は余計なことを更に重ねて言ってくれた。天田は初めて大声を発し、タカヤの側を振り返る。

 

 「ええ、彼女の言う通りです。荒垣さんの命は持って二年程度でしょうね」

 

 「そんな……! 僕が何もしなくても、勝手に死ぬっていうんですか!?」

 

 「それがどうしたのです。余命が少ないことは、復讐の障害にはなりません」

 

 (どいつも、こいつも……!)

 

 発作が起きると体が震えるが、そんなことを言っている場合ではない。これ以上、外野に出しゃばられては堪らない。一刻も早く決着を付けさせてやるべく、膝を押さえて何とか立ち上がった。そして両腕を広げてアキと女を後ろへ追いやり、天田の側へ一歩近づいた。

 

 これで槍の間合いに入ったはずだ。天田はただ腕を伸ばして突き出すだけで、自分の心臓を奪い取れる。

 

 「天田……やれ。だがアキと女は見逃せ。タカヤ! てめえもそれでいいな!」

 

 タカヤは自分たちから十メートル近く離れた位置にいる。だが何にしても、とにかくあの大悪党が一番の問題だ。奴が納得しない限り、誰一人助からない。悪党はその場で腕組みをして、芝居がかった仕種で考える様を見せてきた。

 

 「ふむ……お二人を見逃すのは構いませんよ。どうせ大した力もない方々ですからね」

 

 「貴様……!」

 

 「やめろ! 分かってんだろうが! てめえじゃ敵いやしねえ!」

 

 再び向かって行こうとするアキの肩を掴んで押し留めた。震えが収まりきらない自分の手に、大した力は入らない。アキは振り切ろうと思えば振り切れるだろうが、それでも火の中に飛び込ませるわけにはいかない。

 

 「くっ……!」

 

 アキは顔を歪めた。無念さが歯噛みする音となって、口から漏れ出ている。だが仕方がない。孤児院の火事で妹を失ったのは、アキのせいではないのだ。泣いても叫んでもどうしようもないことも、この世にはある。自分の罪の為にこいつまで死なせては、死んでも死にきれない。これでやっと話がまとまる。と思いきや――

 

 「ふざけるなよ……そんなのアリかよ!」

 

 天田は槍を構えたまま、肩を震わせていた。さっきまでの乾燥した怪物らしさは嘘のように消え、激しい感情を全身で表している。槍の穂先は体以上に細かく震え、狙いがまるで定まっていない。今の姿だけを見れば、凶器を一度も手にしたことのない素人のようだ。

 

 「抵抗しろよ! 友達なんか庇うなよ! お前は……そういう奴じゃないといけないんだ!」

 

 (全くだぜ……)

 

 我が事ながら、天田の言い分の方が正しいと思えてくる。自分がそういう人間だったら、もっと色々と吹っ切れた男だったら、本当に過去を忘れることもできたかもしれないのに。それができずにいたせいで、しかも何一つ行動することなく、ただこの場所に居続けていたせいでこの有様だ。

 

 いっそのこと、今からでも見苦しく逃げる振りでもしてやろうか。それで天田の気持ちが少しでも晴れるのなら、どんなにみっともない最期になってもいい――

 

 「いいえ、荒垣さんは優しい方です。余命がどれだけあっても、貴方が望めばいつでもご自分の命を差し出すでしょう」

 

 女がまた変なことを言い出した。本当に、こいつは一体何なのだろうか。初対面の自分のことを遠慮もなしに語り、話を混ぜっ返してややこしくする。

 

 「そんな……そんなの! まるで僕が悪いみたいじゃないか!」

 

 天田は槍を振り上げた。あれを頭に向けて振り下ろしてもいいし、胸に向けて投げつけてもいい。どちらにしても、自分を殺せるはずだ。だが槍は地面に叩きつけられた。血溜まりめいたものが浮かんだ影時間のアスファルトに跳ね上がって、カラコロと音を立てて転がっていった。

 

 「んな訳ねえだろ……。槍、拾え……」

 

 天田は何も悪くない。悪いのは全て自分だ。母親を奪い、人間性も奪った。今度は自分が奪われる番だ。だが天田は肩で息をしながら俯くだけで、転がっていった槍を見ようともしない。凶器は少年の手を離れ、遠くへ行ってしまった。

 

 だが凶器を持った人間は、この場にもう一人いる。

 

 「天田さん、言ったはずですよ。復讐は必ずやり遂げてもらうと」

 

 そう言うタカヤの表情からは、皮肉な色が消えていた。この悪党は芝居がかっている上に気分屋なところもあるが、今は本気だ。このままでは終わらない。皮膚を針で刺されるような実体感のある冷たい殺気が、緑の空気を通じて伝わってくる。

 

 「分かってます。でも……もういいです。やってください」

 

 「仕方のない方ですね……」

 

 悪党はジーンズに差した凶器を抜いた。細身のタカヤが持つのは不似合いなくらいの、大型のリボルバー拳銃だ。タカヤはそれが己の体の一部であるかのように、完全に手に馴染んだ仕種でもって、右手一本で無造作に凶器を構えた。銃口は真っ直ぐ天田に向けられている。

 

 「む……?」

 

 アキは怪訝な顔をしている。ペルソナ使いが銃を向ける先は自分の頭であって、他人に向けても意味はない。普通のペルソナ使いならば。だがタカヤは普通ではない。どういう理屈か分からないが、タカヤは召喚器なしで召喚できる。

 

 つまり、あの銃は召喚器ではない。本物だ!

 

 「天田!」

 

 天田の前に飛び出し、体を射線に割り込ませた。次の瞬間、影時間の緑の空気が激しく振動した。それから先は、時間が酷くゆっくりと流れた。重い銃声は歓喜の叫びのように長く続いて耳にこびりつき、飛来する弾丸が回転しながら空気を引き裂く様までも目で捉えられる。普通なら恐怖を感じるところだが、心には安堵感しか生まれてこない。

 

 これでいい。天田は死なずに済むし、殺さずにも済む。自分も罪を償える。何も悪いことはない。これでいいんだ――

 

 そう思って、目を閉じた。

 

 ――

 

 金属が衝突する甲高い音が、鈍い銃声を打ち消すように鋭く響いた。その瞬間、時間の流れ方が元通りになった。

 

 (!?)

 

 反射的に目を開き、自分の胸に手を当てた。そこに穴は開いていなかった。銃弾は当たっていない。タカヤが狙いを外したのだろうか。では今の金属音は、一体何だ。

 

 「アイギス!」

 

 アキの声で我に返った。いつの間に動いたのか、金髪の女が自分の更に前に立っていた。両腕を真っ直ぐ横に伸ばし、両足はしっかりと地面を踏みしめて身動ぎもしない。本物の弾丸を受け止めながら、血の一滴も流していない。

 

 「大丈夫です! 私の体はこれくらいでは破れません!」

 

 「さすがに鉄でできた方ですね。銃は効きませんか。全く……興が醒めます」

 

 タカヤは呆れ顔だ。銃を指で一回しして、慣れた手付きでジーンズに戻した。

 

 女は腰を落として身構え、アキもナックルを構え直した。だがタカヤはもうこちらを見もしない。興味を失ったと言わんばかりに、影時間の緑の空気を何とはなしに見回した。まるで自分たちなどいないかのように、暢気なまでの緩やかな動きで視線を巡らせ、やがて頭上に持って行く。淀み切った夜空に浮かぶ忌々しいほど巨大化した丸い月を眺めて、独り言のように呟いた。

 

 「間もなく影時間が明けますね。貴方がたを皆殺しにするのは容易いですが、明けては面倒です」

 

 完成された怪物の無感情でもってそう言って、タカヤは踵を返した。何事もなかったかのように、急ぎもしない足取りで溜まり場の奥へと向かう。

 

 タカヤが背を向けても、アキと女は依然として自分を庇うように構えを解かなかった。そして自分も二人に倣うように、銃弾を受け入れようと突っ立った体勢のまま前方だけを見つめてしまった。タカヤの白い背中が闇に溶けて見えなくなるまで、それは続いた。戻って俺を殺せと叫ぶこともなく、ただ無言で悪党を見送ってしまった。そして見送る間、体感時間で数十秒に渡って影時間はずっと続いていた。悪党がその気になれば、五秒もあれば自分たちを殺せたはずであるのに――

 

 (何でこうなった……?)

 

 この状況は何なのだろう。自分は助かったようだが、なぜこんなことになったのだろうか。生きたいなどとは思わなかったのに、どうして生きているのだろう。日頃の行いさえ良いはずがないのに、どうして報いが下されないのだろう。途中の経過を無視して無理やりに喜劇で終わった不条理な芝居のように、自分の心臓が相も変わらず動いていることに納得できない。

 

 ――

 

 その時、自分たちの背後でガラスが割れる音が響いた。唐突に、脈絡なく。

 

 (!?)

 

 振り返ると、天田が自分の額に召喚器を当てていた。そしてその頭上に、全身紫色の異様なペルソナが立ち現われていた。ペルソナは胴体を縦に一周する巨大な歯車を回転させ、機械仕掛けのような角のある動きで、腰を直角に折り曲げた。それは頭突きと言うべきか、それとも歯車を刃物に見立てた斬撃と言うべきか。とにかく致命の一撃だ。

 

 その一撃が向けられている先は、死すべき人殺しではない。召喚器を両手で持って、銃口を内に向けた子供。傍から見れば自殺するような体勢でいる、そして実際にそれをやろうとしている子供に向けられている。

 

 「天田!」

 

 地面に頭から飛び込みながら、右手を思い切り伸ばした。

 

 「ぐっ……!」

 

 間一髪、伸ばした右手は天田を突き飛ばした。狙いを外したペルソナの歯車は、代わりにコートの袖を引き裂いた。鋭い痛みが腕に走り、地面にそのまま倒れ込んでしまった。だが自分のことなどはどうでもいい。すぐに立ち上がって天田の下へ駆け寄り、左手で胸倉を掴んで引き起こした。軽かった。

 

 「馬鹿野郎!」

 

 右手を振り上げて、天田の頬を引っ叩いた。それと共にコートの袖の裂け口から、血が少しだけ噴き出た。

 

 「荒、垣……」

 

 それほど強く叩いたつもりはない。だが天田は目を閉じて項垂れた。張り詰めていた糸が切れたか、気を失ったようだ。軽いはずの子供の小さな体が、痛む腕の中でやけに重く感じる。

 

 「何、やってんだか……」

 

 何をやっているのだろう。いや、何をしてきたのだろうか?

 

 制御剤を使い出したのは、ペルソナを抑える為だけではない。罰のつもりで、緩慢に死に向かうようにすればいいと思っていた。だが、それが何であろう? 償いたければ、事故の後すぐにでも天田に全てを明かしてしまえば良かったのだ。たとえ理解されなくてもいいから。そして腹でも切れば良かったのだ。それができなければ、一人でどこかで首を括っても良かった。ダラダラと二年も生きずに。

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