ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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毒のある花(2009/11/3、11/4)

 11月3日の影時間、特別課外活動部は巌戸台方面から歩いてムーンライトブリッジまでやってきた。その人数は十人。一人も欠けることなく、メンバー全員が集まっていた。

 

 「もう肉眼でも確認できますね。あれです」

 

 橋の中央辺りまで来たところで、風花は前方の上空を指差した。橋の南端、ポートアイランド側にシャドウはいた。ただし橋の上に立っているのではなく、空中に浮遊している。その様が誰の目にも見える距離まで来た。シャドウは浮いてはいるものの翼が生えているわけではないことも、既に目で見える。

 

 「一体だけか?」

 

 「はい、あれだけです」

 

 美鶴の確認に対して、風花ははっきり答えた。目に見える範囲だけでなく、ユノの探知能力の限りを尽くして認識できているのは、前方にいる一体のみだった。

 

 「ストレガは?」

 

 「彼らの反応は……ありません。罠が仕掛けられている様子もありません」

 

 湊の確認に対しては、風花は少々躊躇いがちに答えた。改めて周囲を目で見回すが、タカヤとジンの姿はない。部の誰かを拉致するようなことも、もちろんない。8月の満月から三ヶ月連続で手を出してきた彼らは、今日に限ってはその影さえ橋の上に落としてはいない。まるで無視を決め込んでいるかのように。

 

 「ふん……なら取り敢えず、見えてる奴から片付けるか」

 

 得物としている大型の鈍器を肩に担ぎ直しながら、荒垣が言った。そして皆の先頭に立って、大股で歩みを進めた。

 

 

 「あんなところにいられちゃ、攻撃が届きませんね……」

 

 橋の南端近くまで来ると、上空に浮かぶシャドウの姿形がはっきりしてきた。人の形をしているが、これまでの満月のシャドウの中でも一番の巨体だ。操り人形とその持ち手のように、シャドウの肩や背中には鋭い鉤が引っ掛けられており、浮遊する円盤から吊るされる形になっている。十二体目の大型シャドウ、ハングドマンだ。巨体なだけに力はさぞかし強かろうが、降りてくる気配はない。ただ上空に留まっているだけだ。

 

 「あれを見ろ」

 

 皆が困惑する中で、湊が指で示した。上空のハングドマンのちょうど真下に、明らかに場違いな三体の石像が立っていた。

 

 「取り敢えずあれを壊す。前衛は僕、荒垣先輩、順平、天田、コロマルだ。他のメンバーは後方で待機。その指揮はアイギスに任せる。山岸は解析の他にも、ストレガがいないか周囲の警戒を続けてくれ」

 

 「承知しました」

 

 かくして戦力を分割した上で、前衛メンバーのみで石像への攻撃を開始することになった。石像は各々魔法を放ってきたりと、なかなかに手強い相手ではある。だがその場から動かない分だけ、まだ与し易い。

 

 

 「死ね!」

 

 石像との数度の渡り合いの後、荒垣がとどめとばかりにカストールを召喚した。頭上に顕現した騎兵に似た姿のペルソナは、三体並んだ石像の中央を駆け抜けて、まとめて薙ぎ払った。こうした物理的な破壊力においては、カストールは順平のヘルメスやアイギスのパラディオンをも凌いで部の最高レベルにある。

 

 カストールの突撃によって、通常のシャドウとは異なる白い煙と共に石像は消滅した。それと同時に、頭上のハングドマンが体勢を大きく崩した。そこへ間髪入れずに、湊の命令が飛ぶ。

 

 「一旦下がれ!」

 

 橋そのものが崩れ落ちてしまうのではと心配になるほどの、猛烈な衝撃と共にシャドウの巨体が落下してきた。舞い上がった埃が晴れると、両手をついた無防備な体勢が皆の目の前に晒されている。

 

 「戦列合流! 全員、突撃!」

 

 状況をあらかじめ予期していた湊の命令により、前衛と後衛が一時的に合同しての総攻撃を仕掛けた。通路の狭いタルタロスではまず不可能な九人による同時攻撃は、広い場所と非常に大きなハングドマンの体躯によって、初めて可能となった。しかしシャドウは未だ消滅しない。

 

 「後列、後退!」

 

 ハングドマンは全てのシャドウの中でも屈指の耐久力を誇る為、大人数の総攻撃でも一回では滅びない。それも予期していた湊はアイギス以下の四人を一旦下がらせた。そして次の瞬間、ハングドマンは両手を橋に叩きつけた。

 

 「天田、回復!」

 

 「はい!」

 

 不可視の衝撃波が放たれ、暴風のような負荷を前衛組は一斉に浴びた。だが誰も倒れはしない。回復を担当する天田の魔法により、すぐに立ち直る。

 

 続いてハングドマンは再び両手を橋に叩きつけるが、衝撃波は来ない。代わりに立ち現われた黒い煙を両手で捏ねるような動作をして、一体のシャドウを呼び出した。タルタロスではよく見かける、地面にへばりつく泥のようなシャドウだが――

 

 「アイギス!」

 

 「はい! 皆さん、新手のシャドウに一斉射撃です!」

 

 アイギスの号令の下、真田、美鶴、ゆかりの四人による集中砲火が後衛から直接浴びせられた。小型のシャドウは元より耐久力は高くないタイプなだけに、あっという間に黒い煙となって消滅した。

 

 この11月の満月の最大の難所は、今のように呼ばれた小型のシャドウが持つ自爆の能力だ。『前回』はそれと気付かずに自爆させてしまい、かなりの被害を蒙ったのだ。そして『今回』あれを食らっては、かなりの被害どころでは済まない。ただ一撃でもって、一人残らず全滅させられるだろう。だから小型のシャドウは最優先で倒さなければならない。その為の戦力の分割である。

 

 そして前衛組は本体への攻撃を続行するが、ハングドマンは橋を三度叩く。それと同時に石像が文字通り地面から生えてきて、本体は再びこちらの攻撃の届かない宙に浮いた。仕切り直しである。

 

 「あれをもう一度を壊すぞ!」

 

 ハングドマン本体は、攻撃の手数は少ない。地面に落ちた際に仕掛けてくる衝撃波は強烈だが、連続して放っては来ない。一度仕掛ければ再び石像を呼んで宙に浮くか、自爆用のシャドウを呼ぶだけだ。シャドウは全般的に知性に乏しく、人間のように状況に応じた柔軟な戦術の選択ができないが、それは今日も例外ではない。結果的に互いに決め手を欠いた、長丁場な体力の削り合いになる。

 

 「ふん、チマチマ削るのなんざ、性に合わねえぜ」

 

 荒垣が不満そうにぼやく中、同じパターンがその後も繰り返された。

 

 

 「戦列合流!」

 

 何度目かの落下に合わせて、すかさず総攻撃を仕掛けた。しかしハングドマンは粘る。弱ってはいるものの、未だ滅びない。だが――

 

 「ナメんなよ、ゲテ物が!」

 

 総攻撃から皆が一旦退いた後も、荒垣はまだその場に留まった。そして鈍器を上段から振りかざし、シャドウの仮面に叩きつけた。更に一歩踏み込み、何と頭突きを叩き込んだ。しかもまだ止まらない。

 

 「消え失せろ!」

 

 腹の底から発せられた裂帛の気合と共に、荒垣は下段から鈍器を振り上げた。渾身の打撃は豪快な音を立てて、ハングドマンの顎をかち上げた。もしシャドウに骨があるなら、確実に砕けたであろう。重量感に溢れた会心の当たりにより、その巨体が僅かだが浮き上がったほどだ。そして直後に橋を揺さぶる衝撃と共に、両手をついてうつ伏せに倒れた。

 

 「手こずらせやがって……」

 

 ハングドマンは数度の痙攣の後、赤黒い煙を発し始めた。その煙を浴びながら荒垣は得物を肩に担ぎ直した。ハングドマンは巨体であるだけに、煙の量は視界を覆い尽くさんばかりに多い。だが煙が消えるまでに要する時間は長くはない。シャドウは小型も大型も、滅びる時は呆気ないものである。荒垣が踵を返して皆の側を振り返ると同時に、その背後でシャドウは跡も残さず消滅した。

 

 「作戦完了ですね」

 

 「ああ」

 

 近寄ってきたアイギスの確認に対して、湊は短く頷いた。任務ではなく、作戦完了である。今日限りの意味において、戦いは終わった。全員が一ヵ所に集まり、互いの無事を確認し合う。

 

 「この景色、今日で見納めだと良いのだがな……」

 

 そんな中で、美鶴は頭上の月を見上げて呟いた。普段の数倍の大きさと光の量を持つ影時間の月は、他では決して見ることはできない。そして誰も望んでは見たくもない光景だ。その心情を慮ったように、厳しくはない口調でもって真田が答えた。

 

 「そうだな。だが油断はするなよ」

 

 勝利宣言をするには、まだ早い。この場の誰もがそう思いながら、ムーンライトブリッジを後にした。その足取りは軽くはないが、特に重くもない。

 

 

 

 

 翌11月4日の朝、湊は自室に慣れた来訪者を迎えた。普段会う時とは時間が異なるが、それでも慣れた相手だった。

 

 「やあ、おはよう」

 

 「おはよう」

 

 囚人服を着た少年が、窓から差し込む朝日を浴びながら部屋の中にいた。もちろんファルロスである。少年は最初の挨拶こそ笑顔で口にしたが、すぐにその表情を陰らせた。光の中で見せるには、少々不釣り合いな沈み方だ。

 

 「今日はきっと、何かがあるよ。気を付けてね」

 

 「ああ」

 

 湊は短く頷いた。今日は『前回』の一年間全体の中でも、屈指の忌まわしい記憶が残る日だ。今日、幾月が本性を現した。そして桐条武治が死んだ。『今回』は状況が大きく変わっているが、きっと何事もなく終わることはない。そんな予感がしていた。

 

 「僕も一緒にいたいんだけど……行かないといけないんだ。ごめんよ」

 

 「謝ることじゃないさ」

 

 昨日、ファルロスは己の破片として創造された十二のシャドウを取り込み終え、完全に自存する存在となった。昨日までは湊とは死によってしか別たれないほど体の奥深くにいたはずだが、今朝になって遂に外に出てきた。そして出てきた以上、このまま留まることはできない。それは本人の意志ではなく、持って生まれた宿命だ。

 

 「しばらくお別れだね。まあ、またすぐに会うけど」

 

 朝の眩しい光に照らされながら、ファルロスは沈んだ底から浮き上がった。そしてにっこりと、愛嬌に満ちた微笑みを見せてきた。本人が言う通り、来週には再会するはずである。ただし今とは外見が様変わりして。まるで長い間会っていなかった子供が、成長して大人になった姿を見せに来るように。ただ体は大きくなっても、顔には子供の頃の面影を残して。

 

 「また今度な」

 

 「うん……また今度」

 

 笑顔のまま、ファルロスは光の中に消えた。最も深い闇に生きる存在でありながら、光と化した。

 

 

 学校に行き、放課後の時間を過ごし、寮に戻る。そんないつもの行動を普通に過ごした日が終わる直前、特別課外活動部は全員で四階の作戦室に集合した。その中にはアイギスもいる。しかし桐条武治はいないし、幾月もいない。昨日までと同じ十人だけが、巌戸台分寮にいる。もちろん祝勝会をやるようなこともない。

 

 「……」

 

 集まった皆の間に会話は特にない。ただソファーに座りながら黙っている。言わなくても誰もが分かっている。満月の度に現れるシャドウの数は十二なのか、十三なのか。それはこの部だけでなく桐条グループの研究者たちの間でも、未だ結論が出されていない。出るのはもう間もなくだ。果たして今夜、影時間は来るか来ないか。やや緊張した面持ちでもって、皆が壁にかけられた時計をじっと見つめている。コチコチと規則的に鳴る秒針の音に、黙って耳を傾けている。

 

 数分間の沈黙の後、0時になった。

 

 「ふう……」

 

 秒針の音が途絶え、空気が緑色に変わった作戦室の中心で、美鶴はため息を吐いた。十年前から続く一連の事態は未だ終わってはいないことを、反論の余地がないほど明確に証明されたわけだ。

 

 「どうやら決まりのようだな。やはりシャドウはもう一体いるってことか」

 

 「幾月さんの予想は外れっすか。何だかなあ……」

 

 「んなことはどうでもいい。来月の敵もやるだけだ」

 

 真田は事態をありのままに受け止め、順平はぼやきながら頭を掻き、荒垣がそれを嗜める。皆がある程度予想していただけに、落胆はありつつもそう大きなものではない。少なくとも、動揺は誰も表に出さずに済んでいる。そんな中、美鶴が立ち上がった。

 

 「みんな、見ての通りだ。私たちの戦いはまだ終わっていない。苦労をかけるが、あと一ヶ月……」

 

 あと一ヶ月、頑張ってくれ。きっと美鶴はそう言おうとしたのであろうが、それを遮る唐突な音が皆の耳に届いた。

 

 「何これ。鐘……?」

 

 ゆかりが窓を見つめながら怪訝そうに言う通り、鐘の音がする。シャドウとペルソナ使いを除いて世界の一切が動きを止める影時間にあって、寮の外から鐘の音が届けられてきている。満月から一日過ぎた巨大な月の光が差し込む窓を見つめながら、皆は少しずつ落ち着きを失っていく。

 

 「グルル……」

 

 「何か……嫌な感じがしますね。こんなの、今までなかったし……」

 

 コロマルが唸り声を上げ、それに答えるように天田が口を開いた。実際、聞く者に嫌な感じを与えてくる音だ。これは決まった時刻が来れば打ち鳴らされる、ただの時報としての鐘か。それとも吊るされた罪人が無事に刑死したことを世界に報告する、絞首台の鐘か。いずれにしても不吉だ。

 

 「この音……タルタロスからじゃないですか?」

 

 風花の呟きに、皆が互いに視線を交わし合う。鐘の音の正体はともかく、その方角は誰でも一聴すれば分かる。

 

 「みんな、出撃の準備だ。何が起きているかを、確かめに向かう」

 

 

 鳴り止まない鐘の音を追って、完全武装した特別課外活動部は影時間の緑の闇を駆けた。向かう先はタルタロスだ。巌戸台のどこにいても目に入る、天空へ聳え立つ塔を皆で目指した。その足取りは自然と速くなる。

 

 「貴様……!」

 

 程なくして月光館学園があった場所まで辿り着くと、一台の黒塗りの車がそこに止まっていた。そしてその傍らに、紳士然とした一人の男性が立っていた。いや、表情は紳士とは少々言い難い。顔を怒りで真っ赤にして、前方を忌々しげに睨んでいる。

 

 「お父様!?」

 

 「美鶴!」

 

 「どうしてこちらに……」

 

 「……」

 

 それは桐条武治だった。影時間であるからか、普段引き連れているSPはおらず、一人だけである。なぜここに、との娘の問いには父親は答えなかった。そこへ――

 

 「僕がお呼びしたんだよ」

 

 武治に代わって答えを告げてきた穏やかな声に、美鶴を始めとする全員が一斉にその側を振り返った。タルタロスのエントランスに続く階段の先、無数の光線を放つ装飾が施された大扉の前に、その男はいた。眼鏡をかけた四十代半ばくらいの男で、手を後ろに組んでいる。鳴り続ける鐘の音に聞き入るように、悠然と微笑みながら。

 

 「理事長!? な、なぜ貴方が……? その二人は!?」

 

 「タカヤさん、ジンさん……」

 

 日本以外でのシャドウの活動を研究する為に海外に転任になった、8月にそう連絡された男、幾月修司がそこにいた。ただし一人ではなく、後ろに二人の男を従えている。上半身裸でジーンズに拳銃を差した白い男と、片手で手榴弾を弄ぶ眼鏡の男。ストレガの二人、タカヤとジンだ。微笑む幾月とは対照的に、二人はどちらも無表情である。

 

 「僕がいることより、影時間とタルタロスが消えていないことには驚かないのかね? 君たちは始まりのシャドウを全て倒したのに、この通りだ。それを何とも思わないのかね?」

 

 幾月は正面を向いたまま、親指で背後を指差した。そうやって指し示す通り、タルタロスは昨日までと変わらない元の偉容を見せつけている。いかなる様式に拠っているのかまるで分からない外装も、地上から見上げても頂上が霞んでしまう異様な高さも、全てが元のままだ。

 

 「始まりのシャドウの数は、十二ではありません。もう一体いると聞いています」

 

 美鶴の答えに、幾月は腕組みをした。顔から微笑を消し、首を傾げて考え込む仕草を見せる。ただ何ともわざとらしいもので、本当に考え込んでいるのではないのかもしれない。

 

 「ふむ……全く、意外だったよ。どうやってそれに辿り着いたのかねえ? お嬢様がたに教えたのは貴方ですか、ご当主?」

 

 「……」

 

 余裕に満ちた幾月とは対照的に、武治は沈黙しながら怒気をその顔に浮かべている。普段から威圧感のある隻眼にあらん限りの力を込めて、かつての部下を睨んでいる。

 

 「いささか信じ難いのですよ。たとえ一端なりとも貴方が真実に気付くとは……。それとも、誰かに入れ知恵されましたか?」

 

 幾月はちら、と視線を動かした。武治に入れ知恵した者がいるとすれば、最も疑わしい人物へ向けて。その人物はこの場に来てからずっと無言で、表情も眉一つ動かさない。

 

 「隠し通せる秘密など、この世にはない」

 

 幾月の視線を遮るように、武治が言葉を発した。その短いセリフの中に、どれほどの意味を込めているのか――

 

 「そうですか。まあ貴方でも全くものが見えないわけではない……と。そういうことに致しましょうか」

 

 幾月は一人で納得して、ふっと小さなため息を吐いた。だがこの場にいる者たちは、納得できないのが大半である。

 

 「理事長! どういうことなのです! 十三体目が存在することを……貴方は初めから!?」

 

 「もちろん知っていたよ。ただ、ちょっとだけ違うね。十三体目は確かに存在する……だがあれは初めから『それ』として存在するわけじゃない。十二のアルカナが交わって生まれるんだ。つまり……十三体目は君たちが生み出した。そう言ってもあながち間違いじゃないね」

 

 「何ですって……?」

 

 「ちょっと……聞きたいんだけど」

 

 愕然とする美鶴を脇目に、ゆかりが口を開いた。その肩は小刻みに震えている。

 

 「何だい?」

 

 「十年前の父さんの記録……飛び散ったシャドウを倒せっていう、あれは何だったの?」

 

 「ふむ……なるほど。君は知らないわけか。隠し通せる秘密はないなどと、どの口が言うのか……」

 

 幾月は呆れ顔になった。ただし何に呆れているのかは、対峙する者たちのほとんどには理解できない。理解できるのは、あらかじめ知っていた三人だけだ。その三人も、敢えてこの場では口にしない。

 

 「何よ、それ……ちゃんと答えて!」

 

 「有里君」

 

 声を荒げるゆかりを無視して、幾月は改めて湊に視線を向けた。教え子を見守る教育者か、部下の仕事を評価する上役のような色を込めて。

 

 「君は大変役に立ってくれたよ。君がいなければ、僕の計画は果たし得なかった……多くの意味でね。君は僕とよく似ている……。もし何かしら失敗して万策尽きたら、君には全てを明かして後を継いでもらったかもしれないね」

 

 「……」

 

 湊は答えない。己と似ているとの評に対して肯定も否定もせず、後継者候補に挙げられたことにも反応を示さない。相変わらずの完全な無表情でもって幾月を見つめる。

 

 「だが計画は成就した。君に継いでもらう必要はない」

 

 飽くまで仮面を保つ湊とは異なり、幾月の表情は少しずつ歪み始めた。自在に操る無数の仮面が一つ一つ外されていき、内側に秘められたものが徐々に露わになっていく。薄皮を一枚ずつ剥いでいくように、そしてそれをこの上なく快く感じているように恍惚と。

 

 「何、残念がることはないよ。救済が訪れるんだ……全ての人間にね」

 

 遂に幾月は唇の端を大きく吊り上げた。眼鏡の奥の両の目は、瞳の焦点が合わないほどの喜悦の形を作っている。生身の顔そのものが、古典的な演劇で用いられる道化師の仮面と化した。毒を含んだ善意がそこにある。

 

 ただしその善意は、傍目には単なる悪意と変わりがない。善も悪も絶対へと近づくに従って、同じだけの毒を要求する。

 

 「時は満ちた……。予言書に曰く、滅びは皇子の手により導かれる。皇子は全てに救いを与えた後、皇となって君臨する! 十年前に試みた男は核心を知らなかった。しかし時を経て、遂に僕が皇子となる!」

 

 「イカレてやがる……。もういい、ぶっ潰す」

 

 荒垣が忌々しげに呟き、肩に担いだ鈍器を下ろして身構えた。それを合図とするように、何人かが臨戦態勢に入った。

 

 「くっくっく……! 誰が誰を潰すんだね?」

 

 善意の道化師は眼下の者たちを嘲笑う。力ある者がない者を笑うように笑う。そして芝居がかった大きな身振りで片手をかざし、後ろの二人に命令した。

 

 「さあストレガよ! 彼らを捕えよ! 予言書に示された段取りを、余さず整えるのだ!」

 

 幾月の号令に合わせるように、タカヤはジーンズに差した拳銃を抜いた。銃口は視線と共に、一直線に湊に向けられている。神話では双子とされる、二人の視線が交錯した。

 

 「……」

 

 二人の間に言葉はない。視線の交換にも意味があったかどうか、当人たちにさえ分からないことかもしれない。瞬きを一度する程度の、僅かな間のことだったから。その一瞬の後、タカヤは視線と共に銃を翻した。その動きそのものは、特に速くはない。無造作な、何気ない動きだ。

 

 ――

 

 銃声が緑の闇に響き渡った。滅びを告げるタルタロスの鐘の音を掻き消さんばかりの、重く鈍い音だった。タカヤの銃は実用性を半ば度外視した、純粋な破壊力のみを追求した大型拳銃だ。人間の頭くらい一発で跡形もなく吹き飛ばせる。そしてその性能は十分に発揮された。愚者以下の道化師へと向けて。

 

 「な……」

 

 声を漏らしたのは誰だったか。桐条武治と特別課外活動部の全員が顔色をなくした。湊さえ、一瞬呆気に取られてしまった。そんな彼らを無理やり現実に引き戻そうとするように、顔の大半がなくなった幾月の体が、タルタロスのエントランスへ続く階段の上にゆっくりと倒れ込んだ。人間の肉体がアスファルトに落ちる鈍い音を立てて。その残響が皆の耳から消えた頃、タカヤは銃をジーンズに戻した。

 

 「復讐完了です」

 

 言いながら、タカヤは目を細めた。猛毒を湛える悪意でもって、死んだ幾月を眺めやる。そしてジンは眼鏡の下の目をじろりと剥いた。

 

 「ふん……オマケや!」

 

 ジンは弄んでいた手榴弾を大きく振りかぶった。それを見て特別課外活動部の面々は反射的に身構えるが、そこへ投げはしなかった。投げた先は道化師の死体だ。

 

 銃声以上の凄まじい爆発音が、緑の空気を蹂躙した。何が起きたか分からない間に死んだ幾月の代わりに断末魔を上げる轟音と共に、人の体など軽く飲み込む巨大な火柱が立ち上がった。対峙していた者たちは、突如上がった膨大な光と音に思わず手や腕で目を覆ってしまった。

 

 「く……」

 

 火が消えて皆の視界が戻った頃、既に二人の姿はそこになかった。ただ焼け焦げた血が地面に付着している無残な跡が、残っているだけだった。鐘の音はまさに断罪が完了したことを告げるように、同じ音色を繰り返し奏でている。

 

 「追うぞ!」

 

 湊が最初に動いた。次いでアイギス、荒垣、真田、天田が続く。

 

 

 タルタロスのエントランスは、外装同様に元のままだった。ギリシャ風の神殿を思わせるその中央に、時計の形をした巨大な扉とそれに続く長い階段が置かれている。その階段を数段上った辺りに、タカヤとジンが並んで立っていた。

 

 「お前らの弱点、覗かせてもらうで」

 

 ジンは首を巡らせ、眼下の五人にざっと目を走らせた。それに要した時間は、ごく短い。

 

 「はん、工夫があらへんな」

 

 ジンの嘲笑に合わせてタカヤは僅かに頷き、瞬きを一つした。それと共に頭上にペルソナが顕現した。召喚器なしで、しかも頭を抱えることも膝をつくこともなく、名前さえ呼ばないまま、呼吸のような当然さで召喚した。ギリシャ神話の眠りの神、ヒュプノスだ。

 

 ペルソナとして顕現したそれは、翼が生えた人の形をしている。ただ使用者の白さに合わせるかのような白い体には一筋の毛髪もなく、全身の血管や神経が透けて見えている。そんな奇怪な姿の『神』は、タカヤの頭上で両手を合わせた。

 

 「ぐわっ!」

 

 「ああっ!」

 

 最初は真田だった。局所的な吹雪が突如として発生したように、密集した冷気が真田を襲った。そして間を置かずにアイギス。何もない中空から、天然の落雷のような凄まじい電撃が落ちた。

 

 二人が倒れたのは、ほぼ同時のことだった。まさに瞬き一つの瞬時の間に、タカヤは攻撃を二つ重ねてきた。そして三つ目。天田の足元に何かの文字が浮かび上がり、黒い渦が襲う――

 

 「危ねえ!」

 

 一瞬だけ早く荒垣が動き、天田をその場から突き飛ばした。黒い渦は最初の標的に代わって荒垣の体を覆い、梵鐘を鳴らすような不気味な音がエントランスに響き渡った。だが響いただけで、渦と文字は何事もなく消え去った。

 

 今の攻撃は相手の余力に関わらず一発で命を奪うという、恐るべき魔法である。だが受ければ必ずかかるというものではなく、運次第である。ただし天田はこれに弱い。そして特に強くはないが弱くもない荒垣の命は、幸いにして奪われなかった。だがヒュプノスはまだ顕現し続けている。両手を合わせた姿勢のまま、今度は紫色の光球を指先に出現させた。

 

 「タカヤ!」

 

 湊が向かって行った。タルタロスの外で幾月と対峙した際の無表情とはうって変わって、珍しい本気の形相でもって、剣を手に神話の双子へと全力で駆け出した。

 

 対するタカヤは僅かに微笑み、頭上のヒュプノスを消した。そしてジーンズに差した拳銃を抜き、階段から足を踏み出した。一見すると無造作なその動き一つで、大きく動いた。あたかもペルソナの翼が、使用者の足にまで乗り移ったように。

 

 「ぐはっ……」

 

 拳銃のグリップが湊の鳩尾にめり込んだ。走り込んだところへ一瞬で距離を詰められ、カウンターで打撃を食らったのだ。瞬間移動したのかと見紛うようなタカヤの予期せぬ身のこなしに、虚を突かれてしまった。無防備に近い状態で受けた急所への打撃は、意識を一発で刈り取った。

 

 カラン、と音を立てて剣が床に落ちた。だが落ちたのは剣だけで、湊は床に崩れはしなかった。倒れ込むその体を、タカヤがすかさず肩に担いだのだ。線が細いタカヤの体重は湊より軽いはずだが、何の重さも感じていないかのように男一人の体を抱え上げた。そして踵を返し、時計扉へ向かって階段を上り始めた。ジンもそれに続く。

 

 「待ちやがれ!」

 

 荒垣が後を追った。鈍器を片手に突撃していくが、階段に足をかけたところで――

 

 「邪魔や」

 

 ジンが振り返り様に手榴弾を放ってきた。投げると言うより放り捨てるように、無造作な下手投げで爆発物を寄越してきた。

 

 「ぐおっ……」

 

 小規模な、だが強烈な爆風が荒垣の足元で巻き起こった。荒垣は防御もできずにまともに受けてしまい、大柄な体が階段から文字通り吹き飛ばされた。そしてエントランスの床に音を立てながら、仰向けに倒れた。

 

 「あ、荒垣さん!」

 

 天田が駆け寄るが、荒垣から反応はない。昨日に戦った大型シャドウの打撃以上の衝撃に、こちらも一発で意識を刈り取られている。ジンはそんな二人を一瞥して踵を返し、改めてタカヤの後を追って階段を上って行った。

 

 「湊さん……」

 

 タカヤの手が時計扉にかかった時、アイギスが僅かに身動ぎした。帯電した鉄の体は、機能の大半が停止して動かない。手を伸ばすことさえ、まともにできない。

 

 「湊さん!」

 

 無理に動かした口でいくら叫んでも、答えは返ってこなかった。

 

 

 一方その頃、タルタロスの外では他の皆がまだその場に留まっていた。

 

 「理事……長……」

 

 美鶴は手を口元に当て、影時間のアスファルトにこびりついた、焼け焦げた跡を見つめている。熱病に罹ったように震えながら。普段は明晰な頭脳の持ち主であるのだが、唐突過ぎる局面の展開に未だ理解が追いついていない。だが事態は切迫している。狼狽えている時間はない。

 

 「美鶴! 有里を追え!」

 

 「は、はい!」

 

 父親に叱咤された美鶴は、弾かれるように走り出した。残っていた他の部員たちもそれに続く。武治は走る娘たちの背を見送ってから、かつての部下がいた場所へと視線を移した。

 

 「幾月……」

 

 

 エントランスにやって来た美鶴は、惨状を目の当たりにした。入ってすぐの場所で真田とアイギスが倒れていて、階段の前では荒垣が倒れている。天田は怪我をしている様子はないが、倒れた荒垣に必死の形相で呼びかけている。そして最も頼りになる現場リーダーは姿が見えない。ストレガの二人もいない。

 

 「何ということだ……」

 

 出遅れたのはせいぜい数十秒程度だった。たったそれだけの間に、百戦錬磨のペルソナ使いたちが打ちのめされている。まるで十三体目と目してきた、あの足のないシャドウと遭遇したかのように。

 

 「しっかりしろ!」

 

 あまりの光景に再び自失しかけた美鶴だったが、聞き慣れた人物の声に体を震わせ、その側を振り返った。娘を追ってエントランスに来ていた父親と視線が出会う。

 

 「お父様……」

 

 娘の声は、未だ鳴り止まない鐘の音に掻き消される程度の、とても小さなものだった。だがもし誰かの耳に届いていれば、助けてほしいと縋るような、教会で十字架の前に跪いて救い主に祈るような、そんな印象を与えたことだろう。

 

 「……」

 

 だが父親は言葉では答えず、無言で見つめ返す。その眼差しは単純に厳しいものではない。厳しくしようとしながら、隠しきれない優しさが裏から漏れ出てくる、そんな目で父親は娘を見ていた。

 

 「……!」

 

 父親との一瞬の視線の交換の後、美鶴は唇を噛み締めた。そして改めて正面を見据え、従う者たちに命令を出した。その声色は、普段通りに戻っていた。

 

 「岳羽、皆の手当を! 伊織とコロマルは警戒を怠るな! 山岸は有里を探してくれ!」

 

 「は、はい!」

 

 「うっす!」

 

 「ワン!」

 

 最初に言われた三人はそれぞれ動き、エントランスの各所に散って行く。そして風花はその場でペルソナを召喚し、ガラス容器に似た胎内で両手を組んで探査を開始する。特別課外活動部のメンバーは皆が通信機を持っているので、風花の能力をもってすれば位置はすぐに分かる。だからほとんど間を置かずに反応が出た。しかし――

 

 「見つけました……。え……ええ!? 反応が……遠すぎます! 200階以上の高さにいます!」

 

 探査の結果は、完全に予想の外にあった。

 

 「200……!? 馬鹿な、164階から先は昨日まで塞がれていたはずだぞ!」

 

 先月の終わりに、特別課外活動部はタルタロスの第四層の最上階まで到達した。そこはこれまでの各層の最上階や中間地点と同様に、何本もの柱が牢の格子扉のようになって階段を塞いでいた。そうした障害物は、これまでは満月を過ぎる度に自然と取り除かれていた。だから今日に第五層が開かれた可能性はあるが、それでもいきなり40階も進めるはずがない。

 

 「で、でも……有里君は私たちが今まで通ったフロアにはいません! それに、これは……ストレガです! 彼らも同じ場所にいます!」

 

 「何だと!?」




 本作の構想段階では、愚者コミュの担い手を幾月にして彼を救済する話を考えたこともあります。10月1日の幾月とタカヤの会話などは、その頃の構想の名残です。ちなみにその場合、特別課外活動部はコミュなし、または初めから審判となります。

 しかし幾月を救済すると、話を前に進める動力がなくなってしまいかねません。それよりタカヤに幾月殺害を依頼して運命コミュを発生させた方が面白い、と思ったので却下しました。

 結果はご覧の通り……。
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