順平との間に魔術師のコミュニティが発生した日の翌日、湊は体育館へと向かった。この日から運動部の追加募集が始まるので、『前回』と同様に剣道部に入部するつもりなのである。
同じクラスの宮本一志は既にジャージに着替え、部活へと向かっていった。走って。部活のない日はモノレールと競走する健脚の持ち主だけに、その足は非常に速い。そして待てと言っても待ってくれないほど、部活には熱心に打ち込んでいる。だから湊は渡り廊下を一人で歩いて、体育館へと向かった。
だが程なくして宮本は膝を故障し、走るのはおろか歩くことにも不自由することになる。それを湊は知っている。そればかりか、自分が原因の一つになってしまう。だがそれでも剣道部に入部するつもりでいる。
故障の主な原因は長年に渡る疲労の蓄積であろうが、とどめを刺したのは湊との練習である。宮本は次期主将と目されている実力者だが、互角以上の動きができる湊に対抗して余計に無理をして、元から怪しかった膝を決定的に悪化させてしまったのだ。
そうした今後を知りながら、また故障させるのかと思うと申し訳ない気持ちにもなるが、仕方がない。そうしてもらわないと戦車のコミュニティは前に進まない。世界の平和の為に、少々苦しい思いをしてもらおう。どうせ月日が進めばリハビリを決意するようになるし、その甲斐あって3月には全快するはずなのだ。しかも『今回』は、マネージャーの結子を引き取ってもらうつもりでいる。
(いいことだよな……誰にとっても)
宮本自身はゆかりに気があるようだが、どう考えても上手くはいくまい。それよりは結子の方が絶対に馬が合うだろうし、周囲も納得するはずだ。何となれば、月高ベストカップル賞(そんなものがあればだが)を進呈してやっても良い。その辺で許してもらおう、と湊は自分自身に言い訳をして、両開きの扉を押して体育館に入った。だが――
(あれ……やけに人が少ないな。しかも何で女子がいるんだ?)
体育館の装いは『前回』の記憶の通りだった。全面フローリング張りの床に、バレーボールやバスケットボールのコートラインが引かれている。天井は十メートル以上の高さがあり、奥には朝礼などで使用される演台付の舞台がある。気温は春らしく快適だが、床や壁に何かが染み込んでいるのか、空気の匂いは外とは異なる。
放課後のこの時間帯は、体育館を使用する部の生徒たちが汗を流す。そして今日、金曜日は剣道部の活動日だから、竹刀の打突の音や掛け声が響いている。それ自体は『前回』と同じだったが、湊は違和感を抱いた。女子がいたのだ。
この学校には女子剣道部もあるが、練習は男子とは別のはずだ。だが体育館の中には、防具を着て竹刀を振り回している女子生徒が男子に交じって何人かいる。と言うより、女子の方が多かった。それでいながら、全体の人数は少ない。
『前回』は一度も見たことのなかった体育館の様子に、湊は戸惑う。何があったのかと怪訝に思っていると、横から声をかけられた。
「あら、あなた新入生? 入部するの?」
(叶?)
一人の妙齢の女性が、入り口脇の壁に背を預けて立っていた。倫理の叶だ。友近の想い人で、女子生徒にはない大人の雰囲気を醸し出している、或いは意図的にまき散らしている問題教師である。
湊は更に戸惑った。剣道部の顧問は物理の竹ノ塚のはずである。それなのに、どうして叶がここにいるのだろうか。叶に限らずこの学校の教師は駄目な教師が多いが、竹ノ塚もその例に漏れず色々といい加減だ。しかし顧問としては、なかなか優秀だった。少なくとも部の仕事をサボって他の教師に押し付けるようなことは、『前回』は一度もなかったはずなのだが。
「え、ええ……二年ですけど」
状況が理解できないながらも、湊は取り敢えず返事をした。すると叶は体育館の奥へ目をやる。あまり興味がなさげに。
「そう。岩崎さーん!」
言われて一人の女子生徒が、面を着けたままやってきた。叶はその生徒に面倒を見てやってくれと伝えると、気だるげな表情で去っていった。湊は叶にはそれ以上構わず、来た女子生徒を注視した。
(宮本じゃないのか? と言うか、誰だ?)
女子生徒は面を外し、腰まで届きそうな長い髪を揺らした。それと共に顔が露わになったが、湊には見覚えがなかった。いや、どこかで見ているかもしれないが、記憶には残っていなかった。『前回』は色々と忙しすぎて、コミュニティと関係のない生徒とは、ほとんど話したこともなかったから。同じクラスならまだしも、学校の廊下や町中ですれ違っただけの生徒の顔までは、さすがに全部は覚えていない。
「ようこそ剣道部へ。歓迎するわ」
利発そうな雰囲気のあるその女子生徒は、岩崎理緒と名乗った。湊と同じ二年生だが、部では男女を含めてリーダー役をしているとのことだった。無論、『前回』の剣道部にそんな女子はいなかった。
湊は自分も名乗ってから、改めて体育館を見回してみた。だが宮本の姿はない。自分より先に教室を出たはずなのに。そして結子も見当たらなかった。それに留まらず、ここにいる面々はほとんど全員知らなかった。そして皆、下手だった。打ち合いをしている部員、素振りをしている部員など色々いるが、どれも大して良い選手ではないと一見して分かる程度だった。
(どうなっているんだ?)
「あっちが更衣室だから、着替えてきて」
『前回』とは明らかに異なる状況に、湊の戸惑いは止まらなかった。そうやって佇んでいると、岩崎から体育館の隅にあるドアを示された。そこが更衣室で予備の防具が置いてあるから、とのことだった。
「……」
言われたことに従う形で、湊は黙って着替えに行った。もちろん更衣室の場所など体育館に来る前から知っているが、それを表には出さない。困惑はしていても、空気は読んでいる。
そうして剣道着に着替え、手拭いを頭に巻き、防具を付ける。そして竹刀を持つ。シャドウを相手にする際に使う剣より、ずっと軽い。
「じゃあ取り敢えず、打ち合ってみましょうか」
更衣室から戻ってくると、体育館の中央に立っていた岩崎がそう言って手招きしてきた。それを聞いて、湊はまた内心で戸惑う。
新入部員に対していきなり打ち合いからスタートとは、かなり無茶な練習法である。だがそれは別に構わない。時間と共にペルソナ能力も初めの状態に戻ってしまったが、それは元より普段の体力や運動神経とは別物である。『前回』のこの頃から剣道にはそれなりに自信があったから、初手から打ち合うくらいの無茶は気にならない。気になるのは、それとは別のことだ。
「君と?」
今まで女子を相手に打ち合ったことはない。どこまで本気でやって良いものなのか、いささか迷うところである。
「女だからって舐めないでね。男子にも私より強い部員はいないんだから」
面越しに岩崎は不敵な笑みを見せてきた。どうやら腕に自信があるようだ。
「……お手柔らかに」
何だか訳の分からない状況になっているが、取り敢えず今日はここで練習せざるを得ない。湊は蹲踞の姿勢を取り、竹刀を正眼に構えた。成り行きに任せて。
そうして岩崎と相懸り稽古をして、勝った。十本やって、十本とも取った。
「あ、貴方強いわね……」
互いに礼をして面を外すと、岩崎は感心したように見上げてきた。
「君こそ」
湊の目から見ると、岩崎は女子としてはまあまあ強い。強豪校でもレギュラーにはなれるレベルだろう。だが宮本には及ばないし、まして早瀬とは比べるべくもない。『前回』の剣道部のエースとして彼らと張り合ってきた湊は、岩崎程度の相手には一本も取られることはない。
だが本人が言っていたように、部内で一番使えることは確かなようだ。体育館の生徒たち全員の動きを確認してみたが、皆が岩崎に劣るレベルだった。しかもそうした他の部員からは、やる気もあまり感じられない。楽しくやれればいい、くらいのつもりでいるようだ。
部活その他の活動にどれだけの熱意を注ぐか、或いは注がないかは、人それぞれで構わないと湊は考える。だが剣道部がこの状況では、色々と困ってしまう。
「部員はこれで全員?」
ほんの僅かな期待を込めて聞いてみた。もしかしたら『今回』の剣道部は『前回』より部員が多くて、一軍と二軍に分かれているのでは。そして今日は二軍の練習日なのでは、とか。
「本当はもうちょっといるんだけど……幽霊も多いから」
だが岩崎の返答は、期待よりもずっと低いものだった。
「……」
湊は悩む。どういうことなのか分からないが、『今回』の剣道部は『前回』とは違うようだ。ありのままに言うと、『前回』はかなりの強豪校だったが『今回』は全然だ。そもそもの部員数が少なく幽霊部員もいて、顧問はやる気なし。弱小校の典型だ。見たところ、マネージャーの類もいないようだ。
「こんなんで明王杯出れるかな……」
運動部はそれ自体はもちろんだが、他のコミュニティが派生して生まれる為、かなり重要なコミュニティである。マネージャーの結子は言うに及ばず、他校の生徒である早瀬と知り合ったのも部活の延長上のことだ。だが今のままでは、明王杯に出場して早瀬と会うのは到底無理だ。
あの大会は学校としての実績がある程度必要で、個人の実力だけでは出場できない。早瀬本人は巌戸台商店街に時々現れるが、面識がないまま一方的に話しかけても、コミュニティは築けないだろう。無論それは結子も同様だ。だが――
(いや、待て。この様子だと、宮本と結子は別の部なんだろう)
どうしてそうなっているのかは、全く分からない。シャドウが『前回』より格段に強いことと同様に、理由は見当もつかない。だが分からないことをあれこれ考えても始まらない。まずは状況をありのままに受け入れて、その上で対策を取らなければならない。そうでなければ、『愚者』などやっていられない。
『前回』の宮本は授業を終えると、すぐにジャージに着替える暑苦しい習慣の持ち主だった。そして今日も着替えるや、さっさと教室を出て行っていた。ならば剣道部ではないにしろ、宮本が何かの部活をやっていることは確かだ。そして結子も同じ部に所属している可能性は高い。
ならば何も無理して剣道をやる必要はない。明日にでも宮本にどこの部に入っているのかを聞いて、改めてそちらに入り直した方がいいだろう。既に募集を締め切っている可能性もあるが、美鶴にでも頼めばねじ込んでもらうことも可能なはずだ。ひょっとすると、早瀬も剣道以外のスポーツをしているのかもしれない。時間にして僅か数秒の間に、湊はそこまで考えた。考えたところで――
「明王杯?」
岩崎が振り返ってきた。どうやら不覚にも、湊は内心を少しだけ声に出してしまったようだ。多くの高校生が目標にする大会の名を耳にして、岩崎はどこか気恥ずかしそうに俯いた。だがすぐに顔を上げて、笑顔を見せてきた。
「うん……今のままじゃ難しいけど、頑張ろう! 有里君がいればきっと出れるよ!」
何とも爽やかな、スポーツに打ち込む若い女に良くある、健康的という表現がぴったりの笑顔だった。そして――
『我は汝、汝は我……』
(!……)
昨日に引き続き、余計なタイミングで湊の頭の中で声が響いた。そして響いた時には、もう遅い。叫び声を上げることさえできない。絆と呼ばれる無形の力が、心に侵食してくるのを止められない。こちらの意志は無関係な辺り、まさに侵食と呼ぶ他にない。『愚者』の体感的には数秒の間、他人にとっては瞬き以下の刹那の一瞬の間に、絆を教える『我』は強制的に宣告する。
岩崎との間にコミュニティが発生してしまった。アルカナはもちろん戦車だ。
(ああ……やってしまった。星と剛毅はどうすればいいんだ……)
やってしまった。順平の時もそうだったが、あれよりも良くない結果だ。競技こそ同じだが実態がまるで異なる部活で、しかも担い手は『前回』全く接点がなかった人物だ。
岩崎がどんな性格なのか、今日のことだけではまだ把握できていないし、今後に何が起こるのかは予想がつかない。しかも下手をすると、星と剛毅のコミュニティは手に入らなくなってしまう。一年間の計画に相当な狂いが生じることは避けられない。
ついでに言うと、女子というのがなお良くない。
弱小剣道部に入ることになってしまった日の、翌日の放課後。湊は教室で宮本を捕まえて聞いてみた。どこの部に所属しているのかと。
「ん? 俺はテニス部だけど」
「……似合わないな」
思わず本音が漏れた。昔懐かしい根性系熱血漢の宮本がテニス。ちょっと想像がつかない。
「悪かったな! まあ……球技より陸上や水泳とかの方が似合うって、よく言われるけどよ。でもな、自分で言うのも何だが、俺は強いんだぜ! 去年は新人戦で優勝したからな!」
違うスポーツでも、やはりなかなかの実力者のようだ。宮本ほどの体力と精神力をもってすれば、何をやらせても人並み以上には行くだろうから、当然のことかもしれない。
「興味があんなら見学に来いよ……と言いたいところだが、悪いな。うちはもう募集締め切ってんだ」
「もう剣道部に入ったから」
宮本はそうか、とだけ答えて教室を走って出て行った。その後姿を見る限りでは、今のところ膝は問題ないようだ。『今回』は故障するのかしないのか分からないが、それは心配すべき事柄ではなくなった。
予想外だったが岩崎との間に戦車のコミュニティが発生してしまった。一度発生したコミュニティは取り消しが利かない。『我』の声を聞いてしまった以上、もはや部活は剣道を続ける他にない。
(しばらくは気合入れて部活やって、他の部員を鍛えないと……)
昨晩に携帯電話でネットを少し調べてみたら、早瀬は『前回』と同じく剣道をやっていて、去年の明王杯で優勝しているとの情報が見つかった。こうなると、剛毅は他の部員との間に発生することを期待して、星は明王杯に何とか出場して手に入れるしかない。
こうして今後しばらくの間、湊はかなりの頻度で剣道部に顔を出すことになる。そして数の少ない男子部員に、稽古をつけることに精を出すのである。傍から見ると、シゴキと言っても間違いではない厳しさで。
P3Pをプレイされた方はもうお分かりでしょうが、本作では女主人公のコミュが発生します。