ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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盾の名前(2010/3/31、2009/11/4)

 私たちの個々の戦力を比較すると、私以外は概ね同等と言える。ただそれぞれに得手不得手があり、それらを局面に応じてどう活用するかが対シャドウ戦の重要なポイントだった。そしてシャドウはペルソナと同じものであるから、ペルソナ使い同士の戦いも必然的にそれと似たものになる。即ち敵の弱点を突き、自分の弱点を突かれないようにするのが基本戦術だ。そして彼の力を受け継いだ私は皆さんと比べて実力で勝り、かつ複数のペルソナを使える分、戦術の幅が広い。

 

 つまり手の内が分かっている相手に対しては、私が負けることはまずない。ゆかりさんは先に戦った四人と違って本気だが、実力と戦術の二重の優位は気持ちだけでは覆らない。そして今ばかりは、私も本気だ。人数で劣勢になればまた話は別だが、私には妹がついている。

 

 「くっ……さすがに彼と同じ力……!」

 

 ほとんどのペルソナは何らかの弱点を抱えているが、その一方で何らかの耐性を持つものも多い。その中には、ゆかりさんと美鶴さんが得意な魔法である疾風と氷結の両方に対して、耐性を持つものもいる。私がこれまでベルベットルームで生み出したペルソナには、幸いそれがあった。為に私が前面に立って二人の攻撃を防ぎつつ、こちらの攻撃は妹を主体とした。数度の攻守の交換の後、私たちは最初に美鶴さんを追い詰めた。

 

 「メティス!」

 

 「はい!」

 

 私の陰から妹が躍り出た。時計の装飾が施された闘技場の床を蹴って大きく跳躍し、落下の勢いと共に鈍器を美鶴さんに振り下ろす。美鶴さんは突剣を横に構えるが、細身の剣では妹の打撃は防げない。

 

 「あぐっ……!」

 

 肩口に打撃を受けた美鶴さんは、うつ伏せに倒れた。死んではいないが、当分は動けない。これで残るはゆかりさんのみだ。そちらに視線を走らせると、ゆかりさんは弓から手を離して召喚器を両手で持ち、銃口を額に当てていた。

 

 「負けない……! この戦い、絶対!」

 

 ガラスが割れる音と共に、エジプト神話の女神イシスが呼ばれた。ゆかりさんのペルソナの瞳からは、普段は暴風が巻き起こる。だが今は普段とは違い、紫色の光が発せられた。光の量は最初の一瞬こそ小さなものだったが、見る間に膨れ上がった。

 

 「姉さん、危ない!」

 

 急激に巨大化した光は闘技場のほぼ全体を覆うまでに広がり、直後に私を中心にして無数の細かな閃光が走った。並のペルソナやシャドウでは扱えない異質な力は、私も妹も揃って膝をつくほどの、強烈極まる衝撃となって襲いかかってきた。

 

 「くっ……」

 

 これは計算外だ。今の光はいかなる耐性の相手であろうと等しく薙ぎ払う、万能の魔法だ。だがこれを使えるペルソナ使いは彼と今の私、他にはストレガのタカヤくらいで、ゆかりさんには無理だったはずだ。そのゆかりさんは、元から大きな目を更に大きく見開いている。

 

 「負けらんない……絶対負けらんないんだから!」

 

 実力の差を気持ちだけで覆すことはできない。だがペルソナ使いは例外なのかもしれない。特に想いが現実に変わるこの場所では、本来は使えない力でも使えることがあるようだ。事実より真実に近いものとは、こういう局面でも発揮されるものだったか。しかし――

 

 「私だって、負けません!」

 

 膝を押さえて立ち上がった。イゴールさんによれば、私の力の可能性の範囲は彼と全く同等であるらしい。だが彼にできて私にできていないことが一つだけあった。彼が使うところも頻繁には見たことのない、複数のペルソナを扱えるからこそできる技。

 

 (私に……できないはずがないです!)

 

 パピヨンハートから生み出されるペルソナ召喚のエネルギーは、下腹部まで一度降ろされた後、人工脊髄を駆け昇っていく。だが今はそれを頭へは通さず、二つに分割して両の肩へと回した。そして腰を屈めながら、両腕を胸の前で交差させた。エネルギーが指先まで通ると同時に腰を伸ばし、両腕を真横に大きく広げた。それによって二つのエネルギーは反転して腕から肩へと駆け戻り、頸椎を螺旋状に巡って、最後に頭頂部で衝突する。

 

 ――

 

 いつものガラスを砕く音とは違う、独特の音響が私の内部で奏でられた。それと共に二体のペルソナが同時に顕現した。それは日本と北欧の神話において、いずれも雷を司る神とされている。

 

 二体の雷神が私の頭上で競演した。渦を巻いた黄金の光が中空に出現し、耳を焼き尽くす轟音と共に、膨大な雷光が瞬きする間に闘技場を覆い尽くした。

 

 「ああっ……!」

 

 ゆかりさんは召喚器を手から離し、膝から床に崩れ落ちた。本来は使えないはずの力を気持ちだけで使って見せたものの、元来の耐性までは変えられなかったようだ。互いに相乗して猛り狂う二重の電撃をその身に浴びて、とうとう力尽きた。

 

 

 「終わりました……」

 

 戦いは終わった。ゆかりさんは倒れると同時に、美鶴さん共々赤黒い煙となって柱に灯された。これまでと同じだ。そして先の四人分の炎も、当初と変わらず燃え盛り続けている。妹と共にしばらくそれを見つめていると、風花さんが私の正面にやってきた。

 

 「アイギス、これ……」

 

 ポケットから鍵を取り出し、私に手渡してきた。だがそうしながらも、視線は逸らしている。私と目を合わせようとはしない。

 

 「風花さん……」

 

 「有里君だったら、どうしただろうって……ずっと考えてたの。こうすることが、きっと彼が望むことだと思うから……」

 

 彼が望むこと――

 

 彼は何を望んでいたのだろうか。生きたいと思うことはなかったのだろうか。自分の死を、短すぎる人生を後悔することはなかったのだろうか。私の疑問は、どこまでも尽きなかった。私は彼について、呆れるほどに何も知らない。例えば彼は私のことをどう思っていたのか、とか。私はそれさえ知らないのだ。彼は言葉では何も語ってくれなかったから。

 

 そんなことを改めて思っていると、私の手の中で鍵が金色の光を放った。それに合わせて柱の赤黒い炎の中に、同じ色の光が灯った。光は流星のように炎から飛び出し、私の頭上で重なり合って、やがてゆっくりと手の中に降りてきた。

 

 「これが……真の鍵」

 

 八人の心の力が一つに集った、いかなる扉も開ける鍵。それが生まれると同時に、柱の炎も消えた。一つ一つ順番に、六つの炎が全て消えるまで要した時間はごく僅かだった。それと共に、闘技場に人の気配が戻った。

 

 「みんな!」

 

 風花さんが向かった先、闘技場の中央に皆さんが並んでいた。真田さん、天田さん、順平さん、コロマルさんがいる。そしてゆかりさんと美鶴さんもいる。一人も欠けることなく、全員揃っていた。それを見て、安堵感が湧いてきた。

 

 「皆さんが無事で……良かったです」

 

 口先だけでなく、本当にそう思えた。死にはしないと分かってはいても、やはり良かったと思う。つい先程までの私なら、どうでもいいと感じるところであろうが。やはり私は妹に想われることで、少しは『心』を取り戻せたのかもしれない。しかしそれでは事態は収まらない。戦う前と同様に、ゆかりさんが怖い顔で近づいてきた。

 

 「あんた……その鍵、どう使うつもり?」

 

 「……」

 

 私は沈黙でしか答えられなかった。集まった力をどう使うべきか、私はまだ決めていない。戻り始めた心にあるのは、何かをしなければならないという漠然とした気持ちだけだ。戦いは話し合いと同様に、鍵の使い道を決める為には意味のないものだったから。

 

 「なら……渡して! 鍵を渡して!」

 

 ゆかりさんは鍵を両手で掴んで、取り上げようとしてきた。対する私は手を握ったりはしていないが、鍵は私の掌に貼り付いたように、いくら引っ張られても微動もしない。

 

 (これは……鍵を奪われたら死ぬとは、こういう意味でしたか)

 

 ゆかりさんに負けたら私は殺される。だがそれとは別の意味で、やはり妹は正しかった。この真の鍵を奪われたら、相手が誰でも私は死ぬだろう。しかも奪ったところで既に無駄となっている。

 

 「それを奪っても、もう意味は……。鍵はもう、姉さんにしか使えません」

 

 私に代わって妹が説明してくれた。それを聞いて皆さんの視線が妹に集中した。それが真実だと、皆さんにも分かるのだろう。鍵の使い道を決めるのも実際に使うのも、もはや私にしかできないのだと。ゆかりさんも分かったようで、引っ張る手を止めた。それと共に、大きく開かれた両の目の中に光るものが現れた。

 

 「何で……あんたなの? 私じゃないの? 私だって……彼と約束したのに!」

 

 約束――

 

 ラウンジでもゆかりさんは言っていたが、彼と私の何を約束と思っているのだろうか。そしてゆかりさんは彼と何を約束したのだろう。いや、そもそも約束する時間がゆかりさんにあったのだろうか。私もそうだが、2月から皆さんは影時間の記憶を失ってしまった。最期を看取った私でさえ、彼からはただ『泣くな』の一言しかもらえなかった。それとももしや、1月31日より前に交わしていたのだろうか。ゆかりさんは彼ととても仲が良かったから、あり得ないことではないかもしれないが。

 

 しかしそれを問う間は与えられず、ゆかりさんは床に膝をついた。

 

 「会いたい……」

 

 ゆかりさんは俯いて、顔を両手で覆った。肩を大きく上下させて、震える声で同じ言葉を繰り返す。

 

 「彼に会いたい……会いたい、会いたいの! 理屈なんてないの!」

 

 「……」

 

 ゆかりさんは泣いている。妹と同じく、涙を持っている。その姿は私の心に訴えてくるものが確かにある。人間で言えば、これは共感と呼ばれるものだろうか。私の目から涙は出ないが、心では何かが動いている。

 

 (大切な人を失った気持ち……分かります。しかし……)

 

 ゆかりさんの気持ちは分かる。だがまたしても疑問が湧き上がってきた。彼はどうなのか、ということ。真田さんは彼の身になれと言っていたが、果たして彼は私たちが過去に戻ることを望むだろうか。命と引き換えに行ったことを否定して、しかも順平さんが言うように戻っても無駄になる可能性もあるのに、それでも彼はゆかりさんに会いたいと思うだろうか。身も心も結ばれることも子供を産むこともできる、人間の女性と再び会うことを。交わしたのかどうかも分からない約束を果たすことを。

 

 (どうなのでしょう……?)

 

 彼の気持ちを推し量ることは難しい。ましてゆかりさんと彼を結びつけて考えると、なおさらに難しい。私は無数の問いに対する答えを、ほとんど何も得られていない。命が問いであるならば、そして答えを得ることが死であるならば、生きている人は誰も答えを掴めないことになる。それでいながら、疑問は次から次へと湧いてくる。

 

 (湊さん……どうして貴方は亡くなってしまったのですか? どうして私たちは死なずに、貴方だけが……。私たちと貴方は何が違ったのですか? どうして貴方はニュクスに立ち向かったのですか? どうして貴方は滅びを受け入れなかったのですか?)

 

 私は12月30日に、綾時さんを殺して全てを忘れるようにと彼に頼んだ。しかし彼は何も答えず、十年前にデスを封じられたことにも恨み言の一つさえ言わなかった。あの時、私は彼ではなく皆さんに説得されたのだ。彼自身は滅びにどう向き合って結論を出したのか、私は何も聞いていない。

 

 そして皆さんに説得された私はと言えば、『生きる』為にニュクスに立ち向かうことを選んだ。何かの為、誰かの為の私でいたいから。

 

 (そう言えば……私はそれを彼に伝えていたでしょうか? タルタロスの頂上では、私は……あっ!)

 

 突然思い出したことがあった。どうして彼はニュクスに立ち向かったのか。彼はその答えを1月31日に言っていた。あの日、タルタロスの頂上手前でストレガのタカヤは、滅びは『総意』であると言った。皆さんは反発していたが、私はそうかもしれないと思った。目的を求めない緩やかな生、緩やかな死。苦しまずに生きようとすること。それが正しいか間違っているかは分からないから。ただ私はそれでは嫌だった。だがそんな私とタカヤに対して、彼はこう答えた。

 

 滅びを呼んだのは、自分であると。自分の行動に責任は取ると。

 

 (まさか……彼のせいなはずがない。ニュクスを呼んだのは綾時さん……。でも……)

 

 あれは彼が彼自身について語った、ほとんど唯一の言葉だ。それが嘘であったとは思えない。彼はどういうつもりで、あんなことを言ったのか。あの言葉の意味は何なのか。それを知りたい。確かめたい――

 

 プログラムで作られたはずの心の底から、気持ちが湧き上がってきた。漠然とした思いが急激に形になってきた。手の中の鍵を握りしめると、一つの答えが口から飛び出してきた。

 

 「私、決めました。過去に戻ります!」

 

 「アイギス……!」

 

 ゆかりさんは顔を上げた。涙で濡れた頬に、急な笑みが浮かんでいる。

 

 「お前までそんなことを! あいつが命を懸けてやったことを、なかったことにしようって言うのか!?」

 

 「違う! あの日に戻って、彼を助けるの!」

 

 目を剥く真田さんに、立ち上がったゆかりさんが反論した。だが二人に話させても意味はない。ラウンジでの繰り返しになるだけだ。決断するのは私にしかできない。

 

 「違います。私、確かめたいんです。どうして滅びが訪れてしまったのか、どうして彼がそれを止めなければいけなかったのか、彼に何の責任があったのか。私、それを知りたい。そしてもし彼に罪があるのなら、それを償いたい。だからニュクスと戦った1月31日じゃなくて、もっと前。彼が戦いを始めた最初の時に戻ります!」

 

 普段は緩やかな私の口は、自分でも驚くほどの速さで回った。まるで誰にも考える時間を与えまいとするかのように、思考の速度を上回る勢いで一気にまくし立ててしまった。

 

 「最初だと……」

 

 「つまり、去年の4月か」

 

 早口であっても、皆さんに意味は伝わったようだ。今こそ即決すべきだ。

 

 「ゆかりさん、それでいいですか」

 

 「……分かった。それでいい」

 

 「もう一度、最初からか……いいだろう。私も同意する」

 

 手の中の鍵を、改めて握り締めた。まず二人。

 

 「真田さん、天田さん」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「やり直すことは……きっと悪いことではありません」

 

 荒垣さんや妹さんが助かることをも拒否するとは、真田さんの本当の本心ではない。天田さんも同じのはずだ。そうでなければ、時の狭間を引き寄せたりしない。

 

 「分かり……ました」

 

 「有里……許せ……」

 

 これで四人。

 

 「順平さん、コロマルさん」

 

 「アイちゃんさ……大事なこと、忘れてねえか」

 

 「何ですか?」

 

 「俺たちの記憶だよ。過去に戻ったりして、俺たちは今のままでいられんのか? 俺たち、2月から卒業式まで、忘れちまってたじゃないか。あん時みたいにならないのか!? ニュクスと戦ったこととか、今この時のこととか! 覚えてられんのか!? もし全部忘れちまったら、結局同じことの繰り返しになるんじゃないのか!?」

 

 これは鋭い指摘だ。確かにそうなる可能性はある。私たちの記憶は、時間の干渉を非常に強く受ける。しかし記憶というものは、たとえ失っても取り戻すことが可能だ。私たちは既に一度それを経験している。

 

 「そうかもしれません。また忘れてしまうかもしれません。でも、私は決して忘れません。たとえ皆さんが忘れても、私が教えてあげます」

 

 「そっか……分かったよ。そこまで言うなら、腹括るぜ」

 

 「クゥン……」

 

 「分かった、と言っています」

 

 六人。

 

 「風花さん」

 

 「うん……」

 

 七人。そして私を入れて八人。もう一度鍵を握り締めると、確かな実感がそこにあった。鍵ではなく、心が一つに集ったことが確かめられた。私は心を握った手を首に当てて、目を閉じた。

 

 (絶対に……忘れたりしない。私のここには、彼の魂が焼き付いているのだから……)

 

 

 2010年3月31日の夜、アイギスは有里湊の部屋の扉を開き、時間を戻した。積み重なった一年分の二十四時間と、一年分の影時間をもろともに破壊した。

 

 

 

 

 (ああ……)

 

 そうして私は過去に戻って来た。大事なことを置き去りにして。彼のことは覚えていられたけど、何度も繰り返した3月31日のことは忘れてしまった。なぜだろうか。全てを忘れないと誓ったはずなのに。

 

 (それはきっと……嘘だったから)

 

 私は彼の責任を、罪を知りたくて戻って来たわけじゃない。それはただの口実。私はただ、悔やんでいたのだ。私は彼に何も伝えていなかったから。彼の為の私でいたかった。一日でも、一瞬でも長く。

 

 そして彼にも同じことを求めていた。妹が私を大切に想ってくれるように、妹が私に心を再び与えてくれたように、私の為の彼でいて欲しかった。私を愛して欲しかったのだ。ただそれだけの、ごくごく単純なこと――

 

 「思い出していただいたようですな」

 

 いつの間にか、青色で統一されたあの部屋に来ていた。あの日、彼の力を受け継いでから招かれるようになった、不思議な部屋。そこに置かれた一脚の椅子に座っていた。よく見れば、この椅子の形は竪琴に似ていないこともない。彼が初めて召喚し、3月31日に私が受け継いだ、あのペルソナの持ち物に。

 

 そして妹が現れて以来、私に装着された追加兵装はなくなっている。ここで生み出していたペルソナも心の中から失われている。つまりこれは先程まで見ていた夢ではない。二度目の日々の、現実だ。

 

 「イゴールさん……」

 

 テーブルを挟んだ向こう側。含みのある笑みを浮かべたイゴールさんが正面に、表情のないエリザベスさんが向かって右側にいた。私と似た宿命を負うと言う、謎に満ちた二人が私を見つめている。

 

 「貴女はあの時、過去に戻ることをご決断なさった。その是非は問いません。理由も問いません。しかし、貴女はご自分の行動に相応の責任を負わねばなりません。愛しい彼がそうしたように」

 

 「責任……」

 

 見ればテーブルの上に、一枚の白いカードが置かれていた。そこには彼の字で書かれた彼の名前と共に、彼のものではない字でこんな言葉が書かれていた。

 

 『我、自ら選び取りし、いかなる結末も受け入れん』

 

 「これは契約者のカード。彼は自らの内に住まう死神の勧めに従い、このカードに署名をされました。これこそが彼の存在意義の証明。そして彼が戦いに身を投じた、真実の理由です」

 

 自分の行動に責任を取る。1月31日の決戦の時、彼はタカヤにそう言った。それはどういう意味なのか。彼の行動が、意志が滅びを呼んだとでも言うのだろうか。私には分からない。

 

 「教えてください。彼にどんな責任があったのですか。滅びを呼んだのは、本当に彼だったのですか?」

 

 「さて……どうでしょうな。私から言えるのは、ただ一つ。彼はあの時、『命のこたえ』を得たのです。もっとも、今はお忘れになってしまったようですが」

 

 いつもそうだったが、イゴールさんはこちらの問いに明確に答えてはくれない。むしろ一見すると何の関係もない事柄でもって、はぐらかそうとしているように聞こえる。つまりイゴールさんと話していても、事態は何も進展しない。そう思った私は椅子から立ち上がり、テーブルに置いてあったカードを手に取った。

 

 「何か書くものを貸してください」

 

 「……」

 

 イゴールさんは答えなかったが、指を鳴らすと一本の羽ペンが目の前に現れた。私はペンを受け取り、カードに書かれた名前の上に線を引いた。勢いをつけて、彼の名前をカードから抹消した。だが線が浮かんだのは一瞬だけで、すぐにそこから消えてしまった。何度引いてもその都度消えてしまい、彼の名前はカードに残ったままだ。

 

 「このペン、書けません……」

 

 「残念ですが、契約を解除する術はございません。契約者ご本人の死を除きましてな」

 

 カードを持つ手に力を入れた。しかし機械の力をどれだけ込めても握り潰せない。皺一つ寄せることさえできない。カードは時の流れが存在しないかのように、不滅のものとなっている。

 

 「私は……彼を守らないといけないんです……」

 

 それが私の願いであり、使命だった。しかし私はそれを未だ一度も果たしていない。彼の為に私は何もしていないし、何の役にも立っていない。己の無力が呪わしい。

 

 「姉さん」

 

 聞き覚えのある、いや、聞き慣れた声をかけられて私はカードから顔を上げた。妹と名乗る、黒い機械の乙女がそこにいた。テーブルの向こうの左側、イゴールさんを挟んでエリザベスさんの反対側に立っていた。

 

 「メティス……」

 

 「姉さん……どうしてあの人を守らないといけないの?」

 

 「大切な……人だから……」

 

 「でも、あの人は人間なんでしょ。姉さんとは違うわ」

 

 妹の言葉は常に真実だ。たとえ知識として知らないことでも、知っている人より深く理解し、居ながらにして真実を見抜いている。妹は妹自身のこと以外は、何でも知っている。だから彼のことも分かっている。私は何も隠せない。

 

 「たとえ世界の終わりを生き延びても、あの人はいずれ年を取って、いつかは死んでいくわ。でも姉さんはずっと今の姿のままで、死ぬこともない。子供を産むこともできない。姉さんがどんなに愛しても、あの人は応えられない……。いいえ、姉さんだってそうじゃない。あの人が愛してくれても、姉さんは応えられないでしょ?」

 

 「……」

 

 分かっていたことだ。私の心は、心だけは人間かもしれない。でも体は違う。その違いが持つ意味は、実は心よりも大きい。体の問題は時と共に深刻さを増していく。人間と機械の間にある壁は、人間同士の間で存在し得るどんな壁よりも高い。

 

 (だったら……)

 

 契約者のカードに改めて目を落とした。カードの上の部分には契約の言葉が、下に彼の名前が書かれている。だがその中間には、まだ余白がある。彼の名前と彼を縛る運命の間に。私の立ち位置はここにある。いや、ここしかない。

 

 (私が死んで、彼が生きるようになればいい。私に……未来はいらない)

 

 むしろその為にこそ、私は存在するのではないだろうか。彼を守る、即ち彼の身代わりになる為に。彼を遠くへ連れ去ろうとする、理不尽な運命から守る為に。彼を襲う全ての死から守る為に、カードの余白にペンを走らせた。

 

 『AEGIS』

 

 書き終えてから目を閉じ、カードを胸の内に抱き締めた。私に与えられたこの名は、盾を意味する言葉だ。私は彼の盾になる。彼を守って、彼の身代わりになって、そして壊れてしまえばいい――

 

 「おやおや……しかし、これも道理ですな。貴女は彼の力と契約者たる資格を受け継ぎ、時の狭間の試練に挑まれた。その試練は未だ乗り越えたとは申せませんが、ご覧の通り時間は戻ってしまいました。それと共に、狭間の試練は滅びの試練へと切り替わった……。そう見なすことはできますな」

 

 イゴールさんの言葉に促されるように、目を開いて改めてカードを見た。そこに私の名前はあった。万感の想いを込めた盾の名前は消えずに、確かにカードに刻み込まれた。

 

 「よろしいでしょう。彼の契約と貴女の試練は、同じものとして認めます」

 

 つまり私は私自身と彼の責任を、両方取らねばならなくなった。だが言い方を変えると、私は責任を取る資格を得たということだ。それはつまり、彼を守ることができる。絶望的に長い私の未来と引き換えに。

 

 「さて、あまり長くお引止めするわけには参りませんな。彼は今、大変な危機に陥っておられるようで。貴女の助けが必要でしょう」

 

 「はい……」

 

 そう。彼は今、危機の只中にある。この部屋はカードと同様に時間の流れが存在しないようだが、それでもいつまでも留まっていることはできない。私の心は時間の流れに関わらず、常に彼の傍にいることを求めている。

 

 「最後に少し、忠告いたしましょう。以前……ではないかもしれませんが、かつて私は申し上げました。心の力が一つに集う時、いかなる扉も開かれる、と。この言葉は今も生きております。ゆめゆめお忘れなきよう」

 

 「……」

 

 「それからもう一つ。貴女がたが置かれたこの状況は、極めて珍しいものです。初めに契約をなさった方と、それを受け継いだ方が同時に存在する……。これは本来あり得ません。しかし貴女がたは時を遡ったことにより、現実となりました」

 

 「……」

 

 「貴女がたの世界には、こういう言葉がございましたな。調和した二つは、完全なる一つに優る……。もしこの言葉が真理であるならば、『命のこたえ』をも超える、何かを得られるやもしれませんな」

 

 私は何も答えず、ただカードをテーブルに置きながら頭を下げた。時の狭間でしていたような、泡沫のように湧き上がる疑問の群れに囚われている暇はない。イゴールさんが何を言おうとも、私はとにかく行動するしかないのだから。部屋から出て行動を開始すべく、踵を返した。しかし――

 

 「行ってらっしゃい……」

 

 消え入るように小さな妹の声に、思わず振り返ってしまった。見送る言葉を妹から言われたことはない。その妹はイゴールさんの隣で立ち止まっている。私と一緒には来ないつもりなのだろうか。

 

 「貴女は?」

 

 妹は目を逸らしている。蝶のバイザーを下ろしてはいないが、私と視線を合わせないようにしている。そう言えば、妹は時の狭間では常に私の傍にいた。しかしこの部屋では私の隣ではなく『向こう側』にいる。それは即ち――

 

 「私は……ここにしかいれないの」

 

 私はただ頷き、部屋を出た。




 以上、幕間でした。

 原作では鍵争奪戦後、アイギスはまず事実を知るべきと提案します。しかしプロローグにありますように、本作の主人公はタカヤ戦の前のアイギスのセリフを遮る形で、己の責任を口にしています。アイギスにとって、遮られたセリフ『誰かの為の私でいたい』とはまさに彼女の存在意義そのものですが、それを言えなかったことが一種の後悔として残っていた、ということにしました。それを契機として本作のアイギスは原作より無気力症がずっと酷くなり、その結果としてああなった……と。

 ついでにタカヤと主人公の因縁も同時に作り出す為に、あんなプロローグにしていました。
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