影時間が始まるとほぼ同時に、特別課外活動部のペルソナ使いたちがタルタロスのエントランスに集合した。その人数は十一人だ。
「へえ、何か凄い所だね」
いかにも軽そうな調子でエントランスを見回しているのは、転校生の綾時である。昨日の影時間、予告なく巌戸台分寮を訪れてペルソナを皆の前で召喚して見せた為、特別課外活動部に加入することになったのである。しかも誰もが一見して分かるほどに圧倒的な能力を持ったペルソナであった為、加入は至極簡単に決まった。
それと共にあの寮に住むことも決まった。普通なら加入初日は引っ越しの作業だけで終わるところだが、元々綾時は荷物の類をまるで持っていなかったので、作業は夕方のうちに終わった。そして夜の間に影時間、タルタロス、シャドウ、満月、そしてストレガについての説明が行われた。
それらの事前準備が一通り済んだので、早速とばかりに綾時のデビュー戦となったわけだ。既にタルタロスの第五層は開かれているので、探索すべきフロアは十分ある。しかし探索を開始する前に、湊は一つ寄り道をした。行き先は時計扉へ続く長い階段の脇にある、青い扉である。
「……」
ポケットに入れた契約者の鍵に手を触れながら、扉の前で一度だけ後ろを振り返った。するとアイギス、そして綾時と目が合った。もし見えているなら、二人の視界には扉も入っているはずだ。しかし二人ともついて来ようとはしない。それを確認してから、湊は扉を開けた。
「ようこそ」
ベルベットルームの装いはいつもと変わらない。調度品は青色で統一され、正面の透かし扉から外の景色は見えない。上へ上へと延々と昇り続ける神秘のエレベーターだ。招かれた客は竪琴に似た形の椅子に座り、何も置かれていないテーブルを挟んだ向かいのソファーにイゴールが座っている。そして向かって右側にエリザベスが立っている。
「前もこの時期に申し上げましたな。貴方には大きな変化が起こったと」
『前回』は11月5日に夢で呼び出され、日々の境遇とは別に大きな変化が起きたと言われた。その時は何のことか分からなかったが、今はもちろん分かる。ファルロスが出て行ったことを、イゴールは言っていたのだ。
十二のシャドウを倒したことで、自分はデスを復活させてしまった。もちろん『前回』は意図して行ったわけではない。しかし実際に世界の終わりを呼んだ者として、その責任を取れ。イゴールはそう言っていたわけだ。そして『今回』は十二のシャドウを倒す意味を初めから理解していた分、より責任が重い。
「責任は取るつもりだ」
たとえ前より重くなろうと、自分の意志は変わらない。『前回』のイゴールはここでわざわざ契約者のカードを見せて『契約』の履行を迫るような口振りだったが、『今回』はテーブルの上に何も置かれていない。つまりイゴールは自分がどういう気でいるのか、しっかり分かっている。
「もちろん貴方はそのつもりでおられるのでしょう。しかし前と比べて、大きく異なる点がございますな」
「ああ」
現時点で『前回』と比べて最も大きな違いは二つ。綾時の特別課外活動部への加入と、アイギスのワイルド覚醒だ。今日ここに来たのは、それに関して確認したいことがあったからだ。
「アイギスはこの部屋に来れないのか?」
ワイルドの力を持つペルソナ使いは、ベルベットルームで新たなペルソナを生み出す。言い方を変えると、イゴールの助けがなければその本領は発揮できない。しかしアイギスは事情が異なる。ペルソナ使いの中でも特殊なワイルドの中で、彼女は更にまた特殊なケースに入るのだろうと、湊は推測していた。
「たとえお越しになっても、貴方のご期待には添えないでしょう。あの方の力は貴方と同じものですから」
「同じってのは、共有って意味だな?」
「その通りです。あの方がペルソナを生み出しても、それは同じ一つの器に宿るのみです」
「やっぱりそうか……」
昨日以前からそうではないかと思っていたが、裏付けが取れた。思わずため息が出る。
アイギスの能力は彼女自身が独自のペルソナを複数持つのではなく、湊が持っているペルソナの中から、湊が使っていないものを呼び出す仕組みになっている。つまり一つのワイルドを二人で『共有』しているというだけのことだ。しかもペルソナのストックが増えたわけでもないので、完全な意味ではワイルドが二人になったわけではない。従ってベルベットルームに彼女を連れて来ても意味はない。だが彼女に関して、もう一つ確認したいことがあったので、気を取り直して聞いてみた。
「アイギスは……ユニバースを得られるのか?」
ニュクスに対抗するにはユニバースが必要になる。それで具体的に何をすればいいのか分からないが、とにかく『前回』の自分はそれで何かをした。そして卒業式の日に死んでしまった。だが二人でニュクスに立ち向かえばどうなるか。負担を分け合うことで、死なずに済むようにならないか。そんな期待はある。
「さて……どうでしょうな」
「二人でやれば、二人とも助かるのか? 二人揃って死ぬだけか?」
「実際にやってみれば、お分かりになるでしょう。逆に申しますと、やってみなければ分かりませんな」
「……」
いつものことだが、イゴールは質問に明確に答えてくれない。しかもユニバースについては、イゴールさえ完全に理解しているとは限らない。だから彼女がユニバースを得られるかどうかは、いざその時が来ないと分からないことだろう。そしてまた、得たところで力が二倍になるかは分からない。更に言うと、二倍になったところで意味があるのかも分からない。ペルソナと違って神そのものであるのかもしれないニュクスに対抗するのに、力の量などに意味があるのかどうかは微妙だ。
(考えても無駄か……。いや、考えない方がむしろいいか)
事態がここまで来てしまった以上、最後の決戦のことはあまり考え過ぎない方がいい。10月の満月の頃から思い始めたことだが、自分の予測や推測は外れることが多い。特に楽観的な予測は必ずと言ってよいほど外れる。その傾向から考えると、彼女に頼っては『前回』より悪い結果になりそうだ。現実とは常に非情なものである。
そしてそもそもの話、滅びの責任は自分にある。自分一人で負うべきものを、彼女に負わせてはならない。二人でやれば二人とも死ぬ可能性があるのなら、彼女にやらせるべきではない。ユニバースについては彼女に話していないが、今後も話す必要はない。隠し事はしないでくれと9月に頼まれたが、それでも言えないことはやはりある。そう自分の中で結論付けて、湊は椅子から立ち上がった。
「お待ちを」
しかし意外にもイゴールは引き留めてきた。外に出ようとした足を止めて、鼻の長い怪人と改めて向き合った。
「変化は貴方がたお二人だけのものではございません。他の皆様にも、大きな変化が訪れたご様子です」
「?……どういう意味だ?」
思わず問い返してしまった。他の仲間たちに変化が起きたとは、『前回』は言われていない。状況で言うならば荒垣と桐条武治の生存、チドリの早期の死などの変化がある。それらが皆に与えた影響は確実にあるが、そんなことをイゴールがわざわざ言うとは思えない。
「いずれお分かりになるでしょう」
「そうか」
問い返したことは無意味だった。イゴールの言葉は含蓄があると言うか、韜晦趣味と言うか、いずれにしても常に意味がある。しかし今の時点では理解できない。それは即ち、その時が来れば理解できるということで、逆に言うと今の時点では理解する必要がないということだ。だから重ねては問わず、今度こそ踵を返した。
「湊様」
外に続く扉に手をかけたところで、今度はエリザベスが引き留めてきた。首だけを回して振り返った。
「何だ?」
「貴方は契約を後悔することはないのですか?」
「君が聞くことじゃないな」
これは愚問というものだ。『契約』を解除する方法がない以上、後悔したところで無意味だ。ましてエリザベスはイゴールやファルロスと同様に、契約をさせた側の存在だ。彼女が何を期待して聞いたのか、その意図は分からない。だが契約者は何も答えようがない。
「そうですね……失礼いたしました。では質問を変えます。貴方はあの死神を恨むことはないのでしょうか?」
「ないさ」
即答した。『前回』を通じて綾時及びファルロスを恨んだことはない。それ以前の問題として、自分は他人にそういう感情を抱くことがそもそもない。幾月さえ恨んでいないのだから、綾時を恨むはずがない。運命ならば恨むかもしれないが。
「では……アイギス様は?」
「ない」
即答を重ねた。十年前に自分の中にデスを封じたのはアイギスだし、彼女はそれを申し訳なく思っている。しかし彼女は彼女にできる最善のことをしたに過ぎない。もし十年前の出来事を覚えていればまた違った想いを抱いたかもしれないが、自分は覚えていない。だからたとえ意識して彼女を恨もうとしても、無理なくらいなのだ。
「……」
二つの即答を受け取ったエリザベスは、それ以上の質問を重ねて来ない。ただいささか無機質な印象のある視線でもって、こちらを見つめて来る。『今回』はあまり向けられることのなかった、『前回』出会って間もない頃のような視線だった。首だけを回して振り返った姿勢のままで、正体は未だ不明のエレベーターガールを見つめ返して思う。
(やっぱりアイギスをここに連れて来るのは駄目だな……絶対に)
ペルソナを独自に持てない以上は、アイギスをベルベットルームに連れて来ても意味はない。だがそれとは別に、やはり来させてはいけないと思った。もし連れて来たら、夏祭りにあった決闘騒ぎの二回戦が始まってしまう。たとえ彼女にこの部屋の扉が見えていて、連れて行けと頼まれたとしても絶対に断ろう。そう決心した。
「さあて、行っくよー!」
タルタロスの第五層の探索を開始した。メンバーは湊、アイギス、荒垣、美鶴、順平、ゆかり、そして綾時の七人である。満月の作戦を除いては、『今回』最多の人数での探索となった。
そんな中で、初陣の綾時は皆の先頭で元気一杯に駆け出した。ちなみに持っている武器は片手剣である。本人によるとどんな武器でも使えるそうなのだが、これが一番しっくり来るとのことで剣を使うことにしていた。しかしそれを振るう機会はあまりなかった。理由は簡単である。
「はは……マジかよ。シャドウがビビッて逃げ回ってやがるぜ」
呆れたような、或いは何かを諦めたように順平が呟いた通り、綾時が近づくとシャドウたちは逃げ出すからである。ネズミやウサギが猫や狼の臭いを嗅いだように、綾時の足音がしただけでシャドウは悲鳴と共に四方へ散ってしまう。『今回』はこれまで一度もなかった事態である。
「こら、待てー!」
人の姿を取っている時の綾時は、体格だけは普通の人間と変わらない。だから手に持っている剣は、逃げ回るシャドウにはそうそう届かない。稀にパニックに陥った個体が破れかぶれで突撃してくるくらいである。大抵の場合は、シャドウは一歩でも遠くへ逃げ去ろうとする。そうなると――
「ニュクス・アバター!」
己の破片を集め終えて完成された死神が、頻繁に召喚されることになる。死神が手をかざせば、視界にいるシャドウは火の海に飲まれ、暴風に蹂躙される。大剣を一振りすれば、たとえ直接触れていなくても紙細工のように両断される。しかも普通のペルソナと違ってニュクス・アバターは持続時間が非常に長く、連続して何度も行動できる。だから綾時が通った後には何も残らない。そして後に続く者たちは何もすることがない。
「私はどうすればいいんだ……?」
「いいんじゃないすか? 何かもう、あんだけデタラメだと笑うしかないっすよ」
美鶴は錆一つない突剣を眺めて呟いた。それに答えた順平は大剣を構えることもなしに、力なく笑っている。普段は意見が一致することが多いとは言えない二人だが、この時ばかりはそれぞれの心境に近いものがあるようだ。
「馬鹿言ってんじゃねえよ」
そんな二人を荒垣が嗜めた。気合の入っていない同期と後輩へと、ニット帽の下から覗く目を鋭くする。そして最前線で大暴れしている新入りに向けて、少々苛立ちの混じった声を投げかけた。
「望月! 一人で全部持ってくんじゃねえ! 俺らの分も残しとけ!」
「あ、悪いねー! でもさ、こういうのは早い者勝ちでしょ!」
振り返った綾時は、屈託のない笑顔で答えた。悪いなどとは絶対に思っていないことが、誰の目にも一見して分かる笑顔だった。部内で最も凄味のある荒垣の苛立ちも、綾時にとってはどこ吹く風のようである。
「あの……済みません、先輩。彼って、クラスでもあんな感じで……」
「ったく……」
クラスメイトの軽さをゆかりが謝った。荒垣は舌打ちを一つして、肩に担いだ鈍器を下ろし、最前線へ走って向かって行った。リーダーの指示を待たずに。
(何なんだ、これは……)
指示を出さないリーダーは何をしているかと言うと、震えていた。ニュクス・アバターを見ると心がざわついて収まらないのだ。綾時本人を見てもそんな気はしないが、綾時のペルソナの姿は心に何かを突き刺してくる。寒気と共に心の底が波立つような、遠い昔に誰の目にも触れないように巧妙に隠した罪が暴かれようとしているような、得体の知れない感覚が止まらない。
(僕、前もこうだったか?)
あの死神とは1月31日にタルタロスの頂上で戦った。あの時、自分はどう思っていただろうか。恐怖を感じてはいなかっただろうか。あの戦いは間違いなく『前回』最大の死闘だったが、強敵としての記憶がこんな感覚を与えてくるのだろうか。
(いや、多分違う。どうしたんだ、僕は……)
単に死闘というだけなら、『今回』は数え切れないほど行っている。あの決戦と同じかそれ以上に激しい戦いを何度も経験しているはずだし、その際はこんな感覚はなかった。彼我の実力差は『愚者』の心を波立たせることはない。そうでなければ、そもそもシャドウと戦う集団のリーダーなどやっていられない。
「あの、大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」
アイギスが心配そうに声をかけて来た。彼女は至って普段通りである。かつて死闘を繰り広げた死神に対して、動揺する素振りは見せていない。彼女は『前回』と違って綾時と普通に接しているし、ニュクス・アバターに対しても同様だ。
「あ、ああ……」
大丈夫と言っては嘘になる。嘘は吐くまいと最近は心掛けているし、ましてアイギスに嘘は吐きたくない。しかしリーダーの立場にある者として、皆の前で弱音を吐くことはできない。だから曖昧に答えるしかないのだが、口で何と言おうとも少しも大丈夫でないのは一目瞭然である。剣を持つ手は落ち着きがなく小刻みに震えて、顔は血の気が引いたまま元に戻らない。恐怖を知らない『愚者』でありながら、この有様は一体何なのだろうか。普段は得意な内心を隠すことさえできていない。
綾時を恨んではいないのかと、ベルベットルームでエリザベスに問われた。あの時の答えは決して嘘ではない。だが実は――
リーダーは訳も分からず恐怖し、綾時は楽しんで、荒垣はフラストレーションを溜め、そして他のメンバーは暇な探索がしばらく続いた。そうやっていくつかのフロアを越え、百匹ほどのシャドウを狩った頃、風花から通信が入った。
『あ……皆さん注意してください! 刈り取る者が出現する予兆です!』
タルタロスでは一つのフロアに長居すると、銃を持った死神が出現する。目安は体感時間でおよそ三十分程度である。だが今いるこのフロアでは、そこまで長く時間をかけてはいない。しかし風花は予兆を感じ取ったようである。
「ええ!? 勘弁してくれよ! 満月まであと三週間もあんじゃねえか!」
皆の中で順平が真っ先に反応した。8月3日に『今回』初めて刈り取る者と遭遇した時に最初に標的にされて以来、順平はあの死神を誰よりも恐れている。順平を含む皆の認識では、次の満月である12月2日に戦わないといけないことになっているが、その日まではまだ余裕がある。
『大丈夫です! 脱出ポイントまで十分間に合います!』
やがて鎖が鳴る音が、皆の耳に届けられてきた。刈り取る者は移動しても足音を立てないが、代わりに体に巻き付けた鎖が音を鳴らす。ただ獲物に恐怖を与える為だけに鳴らしているかのようなその音を聞きながら、風花のナビゲーションで脱出ポイントまで走る。そして程なくして、目的地に辿り着いた。振り返れば直進通路のずっと先に、足のないシャドウの姿が見えたところだった。
「危ねえトコだった……。さっさと引き上げようぜ」
全員が集まったところで、順平はため息と共に肩を落とした。順平だけでなく、皆が安堵感を隠していない。荒垣さえそうだ。現時点の戦力では刈り取る者には敵わないのだ。それは誰もが分かっている。ただ一人を除いて。
「ねえ、戦ってもいい?」
もちろん綾時である。脱出装置を囲んでいる皆の一番外側で、並んで立っていた湊に向けて言う。その声色に恐怖はおろか、緊張さえない。
「僕とあいつの戦いを見ておくのもいいと思うよ。後々の為にさ……」
セリフの後半は小声で、最も近くにいた湊以外には聞き取れないほどのものだった。それを言い終えるや、綾時は駆け出した。宙に浮きながら近づいてくる怪物へと、それこそ浮き上がりそうな軽快な足取りで真っ直ぐ向かって行く。
「望月! いくら君でも、あのシャドウだけは……!」
「大丈夫ですよー! あ、そうだ! 美鶴さん、貴女のイメージにぴったりのレストランがあるんです! 勝ったらご褒美ってことで、ご一緒してくださいねー!」
さすがに心配した美鶴を、綾時は状況をダシにしてナンパした。余裕なのか、ふざけているのか。それを判断できる人間はこの場にいない。あらゆる真剣さを無意味にする異様なまでの軽さでもって、綾時は特別課外活動部を置き去りにしてしまった。
そして死神同士が激突した。
「嘘だろ……あの化け物と互角に戦ってる」
順平を始めとする皆は、結局脱出はしなかった。一人で戦う綾時を案じて、かと言って加勢もできず、ただ距離を置いて別次元の戦いを見つめていた。
「互角って言うか……綾時君の方が押してない?」
刈り取る者は二丁の拳銃を天井に向けて放ち、時によっては相手に向けて直接放つ。その度にニュクス・アバターは爆炎や氷塊、更には握り拳ほどもある巨大な銃弾に襲われる。綾時自身に向けられることもある。だが何を受けても綾時は倒れない。
「まだまだ!」
刈り取る者の攻撃が全く効いていないわけではない。綾時といえども体勢を少々崩すくらいはする。しかしすぐに立ち直る。体力も魔力も無尽蔵であるかのように、疲れを知らない。
(そりゃそうだ。あいつは僕以外には殺せないんだ)
『前回』の12月3日に聞いた話によれば、本来の綾時の性質はニュクスと同じで誰にも殺すことはできない。1月31日に戦った時も、ニュクス・アバターは特別課外活動部の総掛かりによって一度は膝をついた。しかし死にはせず、タルタロスの頂上からニュクスの懐まで戻って行った。つまり綾時は不死身なのだ。ただ人としての性質も僅かながらに持っている為、湊の手によれば殺せるらしい。だが他のシャドウやペルソナでは絶対に殺せない。
刈り取る者はそれを知らないのか、或いは知っていても戦わずにいることはできないのか、海をスプーンで掬うような無駄な行為を続ける。そして銃を天井に向けて放ち、紫色の巨大な光球を中空に出現させた。
「おおっと! 切り札を出して来たな! じゃあこれでどうだ!」
緊張感のまるでない軽薄な声に呼ばれるように、ニュクス・アバターは頭上から綾時の背後の床に舞い降りてきた。そして大剣を眼前に捧げ持ち、漆黒の翼を背中から回して綾時の体を覆った。あたかも闇夜そのものを身にまとうように、ペルソナと本体の両方が透視できない暗黒に包まれた。
一瞬の後、紫色の光が炸裂した。これはあらゆる存在を薙ぎ払う万能の光だ。たとえ本物の神であっても、これを受けては無傷では済まないだろう。しかし光は『神』を守って覆い隠す暗黒のドレスに吸い込まれた。四方へ爆散しようとする光そのものが歪められ、ただの一筋も残さず暗い穴へと落ちて行った。そして更に一瞬の後、吸い込まれた光は穴から飛び出してきた。元のそれ以上に苛烈な光と化して。
「……!」
刈り取る者は一つだけの目を覗かせている他は、頭部全体を白い仮面で覆っている。だから叫び声を上げることはできない。銃を持った両手を宙に彷徨わせるだけでしか、受けた苦痛を表現する術はない。闇から反転してきた光を浴びながら、無言でただ身悶えした。
「はい、おしまい」
跳ね返された光と共に、刈り取る者は砕け散った。普通のシャドウが消滅した時に発するのと同じ、黒い煙しか後には残らなかった。
『刈り取る者の反応……消滅しました』
「……」
「……」
風花の通信を聞いても、皆は綾時の後姿を見つめる以外に反応を示せなかった。現実感のまるでない、悪い冗談のような結果を見せられて理解が追いつかなかった。常に真剣な荒垣さえ、言葉が出て来なかった。
『た、倒しちゃいましたね。ど、どうしましょう……』
取り敢えずエントランスに戻ることになった。十三体目の満月のシャドウが存在することは、皆の認識ではほぼ確定事項となっている。そして刈り取る者こそがそれであると、多くの者が思っていた。今日は満月ではないが倒してしまった以上、影時間とタルタロスがどうなるか分からない。その為、皆は足早にタルタロスを出ることになった。
「あの、リーダー。大丈夫ですか?」
寮へと帰る道の途中で、風花が話しかけてきた。
「ん? ああ、大丈夫だ」
「大丈夫なわけねえだろ」
簡単に答えた湊に、順平が突っ込みを入れてきた。そしてそれは正しい。戦いはもう終わったので平静でいられるが、一緒に探索していた順平にはバレている。今日は平常心を全く保てていなかった。しかもそれを隠すこともできなかった。誰でも一見して分かるほど、動揺のし通しだったのだ。
「まあ、分からんでもないがよ。今まで最強のリーダーだったのに、ポッと出の新人に圧倒されるは、おいしいトコだけ持ってかれるはじゃなあ……」
(そういうことじゃないんだが……)
強大な存在であるというだけでは、『愚者』は相手を恐れはしない。もしそうなら今月4日と5日にストレガと対峙した時にも、恐怖に捕われていたはずだ。そして『前回』の順平がしていたような、仲間の実力を妬むこともない。『愚者』はそうした人間らしい感情に縁が乏しい。
しかし順平に『前回』の出来事などを教えることはできないし、そもそも今日の自分の心の動きの原因は自分でも分からない。だから順平の指摘に対して、敢えて反論はしなかった。部内で最強の座から引きずり降ろされた挙句、手柄を横取りされて気に入らないのだと思われるくらい、別に構わない。
湊は順平の相手はそれくらいにして、後ろを振り返った。
「明日か明後日でもどうですか? 五つ星ホテルの最上階で、夜景が楽しめるそうなんですよ」
「夜景……?」
振り返った先では、ちょうど綾時が美鶴を食事に誘っているところだった。綾時は刈り取る者に挑む際にも冗談のように言っていたが、どうやら本気だったようである。しかし美鶴はそれどころではないのか、そもそも口説かれていることを理解できていないのか、まともに相手をしていない。
「あの、君ねえ……」
空気を全く読んでいない綾時の軽薄さを、ゆかりが止めに入った。すると綾時は矛先を転じた。
「あ、ゆかりさんもどうですか? 白河通り辺りに、貴女のイメージに合いそうな、いい店が……アウチッ!」
ゆかりの何をイメージして、白河通りの店と結びつけたのか。それは誰にも分からない。だがとにかく綾時は最後まで言わせてもらえなかった。表情を急に怖くしたゆかりに、思い切り足を踏みつけられたのだ。
不死身の死神でも痛みは感じるらしい。片足を浮かせて飛び跳ねる綾時を無視して、ゆかりは先を急いで行った。ついでに美鶴を促して、綾時から遠ざけようとするように一緒に早足で歩かせた。すると今度はアイギスが綾時に近づいた。
「綾時さん……」
アイギスは鋭く睨んだりはしない。だが何かを諦めたような、或いはやり場のない思いを抱えているかのように、疲れた表情を見せていた。
「貴方は……駄目です」
「あれ、やっぱりそうなの?」
「はい。やはり貴方は駄目です」
言い捨てたアイギスは踵を返し、湊の下へと向かった。『今回』はこれまで全くと言ってよいほどなかった、軽薄すぎる雰囲気の中でこの日の影時間は終わろうとしていた。
余談であるが、この翌日にやはり影時間の訪れとタルタロスの現存が確認された。それにより十三体目は存在するものの、それは刈り取る者ではなく、まだ見ぬ別のシャドウであると結論付けられた。そしてその結論を聞かされても、特別課外活動部に動揺はほとんどなかった。いかなる敵であろうとも、綾時がいる限り負けはしない。そんな空気が密かに、だが公然と漂っていたから。