ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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死神の目(2009/11/17、11/18)

 11月17日、数時間に渡って新幹線で揺られ続けた月光館学園の生徒たちは、京都駅に降り立った。二学年分であるから、かなりの大人数である。クラスごとにまとまって駅舎を出て、観光バスの乗り場へと向かった。その途中で、綾時は京都タワーを見上げた。青い空の中に浮かび上がる展望塔は、周辺の雰囲気と比べてそれほど違和感がない。

 

 (この辺りは巌戸台と似てるよね)

 

 京都は古い町だが、こういうものもある。それがいいのか悪いのか、少し考えてみようとした。しかし思考は中断された。

 

 「良かった。先輩、ちゃんと来てる」

 

 少し離れたところにいる、ゆかりさんの呟きが耳に届いた。彼女の声は綺麗だけど、今はとても小声だった。だから他の人には聞こえていないだろうけど、感覚の範囲が人間と違う僕には聞こえた。そして彼女の視線の先には、三年生の列の中で浮かない顔をしている美鶴さんがいた。

 

 

 日が暮れた頃、『前回』と同じ宿に到着した。そして現代的な駅とその周辺とは異なる雰囲気の宿のロビーで、赤い傘が出迎えてくれた。『前回』これを初めて見た時は、意味が分からなかった。雨漏りしているわけでもないのに、どうして傘が室内に置いてあるのだろうと。心に差す傘であるとか、そういう意味なのかと。だが彼の中にいた時からの記憶を全て保っている『今回』は分かる。あれは古い町らしい演出の一つだ。つまり『皆が思う京都』をイメージしているわけだ。

 

 誰に言われなくてもそれが理解できる辺り、僕も常識と言うものを身に付けているのかもしれない。しかし常識から少しだけ離れた知識から考えると、『前回』とは違う疑問も湧いてくる。

 

 「後醍醐かあ。もしかしたらこの旅館、秘密の部屋に髑髏の本尊とか置いてあるのかな?」

 

 この旅館の名前は『東山三条・後醍醐』だ。後醍醐と言えば、僕の知識の中ではちょっとした不吉さを持った名前だ。

 

 「髑髏……って何だ? デスメタルのライブでもやってんのか?」

 

 隣にいた順平君が聞いてきた。そう言えば『前回』の9月、順平君は文化祭でデスメタル喫茶とか変わった出し物はないのだろうか、とか言っていた。音楽の趣味はそちらの方面なのだろうか。

 

 「うーん……僕はライブには行ったことないけど、ひょっとしたら似たようなものかもね。真言宗の一派でね、色んな面白い加工をした髑髏を……」

 

 説明を始めようとしたら、どこからか彼がやって来た。

 

 「若い時代の思い出は、綺麗なものにしておけ」

 

 彼ははっきりした表情を顔に出すことは少ない。だが今は珍しく眉を顰めている。まるで子供の悪戯を叱る父親のようだ。だけど僕はちょっと笑いそうになってしまった。今のセリフは『前回』僕が京都駅で言ったのを、少し変えたものだ。それが彼の口から出てくるのは、彼は単にあの時のことを記憶しているからなのか、それとも僕と思考回路が似ているからなのか。多分後者だろうけど。

 

 「お前な、急にジジムサいこと言うなよ」

 

 「ふふ……お爺さんだって」

 

 

 

 

 初日は移動だけで終わったけど、二日目から修学旅行は本格的に開始される。今日の予定は全員で観光バスに乗って、歴史の名所巡り。行き先は金閣寺とか清水寺とか東寺とか。さすがに魔術が盛んだった古い町だけあって、霊の香りがどこでも満ちていた。人間で言えば森林浴をするような感覚で、僕も大分楽しめた。

 

 もちろん『前回』も楽しかったけど、あの頃はただ無意識で感じていただけだった。『今回』は記憶と共に知識もはっきりしているので、違う面白味があった。ただ僕は江戸川先生お薦めの晴明神社に興味があったんだけど、残念ながらコースには入っていなかった。

 

 午後になって、旅館の近くを流れる青龍の川の傍で解散となった。でも僕は少しこの川の風情を見ておきたくなって、三条大橋を一人で歩いた。

 

 (三条河原か……ああ、何か『いる』ねえ)

 

 僕は魔術の結晶だ。十年前に創造された際に、力と共に様々な隠された知識も一緒に与えられた。いや、与えられたと言うより、遠い宇宙のどこかから自然と流れ込んできた、と言った方が正確だろうか。そうした知識と死神としての感覚からすると、この場所は何だか興味深い。この河原は古い時代には処刑場として使われていたはずだ。耳を澄ませば、晒し首となった人の怨嗟くらい聞こえそうだ。そう思って、風が運ぶ音に意識を集中してみると――

 

 「もう戻らないと、夜の点呼に間に合いませんよ」

 

 (おや……)

 

 聞こえてきたのは怨霊の声ではなく、逆にそういうのが大嫌いな人の声だった。見てみれば、橋から百メートルくらい離れた位置の川べりで、美鶴さんが黙然と水の流れを見つめていた。そしてその背中に、ゆかりさんが声をかけていた。普通の人間には会話なんて聞こえない距離だけど、僕には聞こえるし二人の表情もつぶさに見える。

 

 『前回』の僕は14日に学校の屋上で美鶴さんを食事に誘ったけど、返事さえもらえなかった。今にして思うと、お父さんを失って酷く元気を失っていたからなのだろう。しかし『今回』の桐条武治さんは生きている。だからリベンジの意味も込めて『今回』は10日に食事に誘ってみたのだけど、やはり彼女は元気がなくて失敗してしまった。だから少し不思議に思っていた。そこで二人の会話を、橋から少し観察してみることにした。

 

 「先輩、ここんとこずっと元気ないですよね。旅行にも来ないんじゃないかって、ちょっと心配してたんですよ」

 

 「心配……? 無用なことだ」

 

 実際、ゆかりさんは心配そうに言っている。しかし美鶴さんはそれを受け入れない。首だけ回して振り返った後で、すぐに川に視線を戻した。

 

 「私を心配する必要など、誰にもないんだ。私がしてきたことに、意味などなかったのだから」

 

 そして告白が始まった。仮面を貼り付けたような無表情が、徐々に強張っていく。美鶴さんは怒った顔も美しいけど、今日はちょっと極端だ。

 

 「父は幾月の裏切りに前から気付いていたんだ……そうとしか思えん! 海外に転任するという話も嘘だったはずだ! 父は教えてくれなかった……私は信用されていなかったんだ!」

 

 (ああ、なるほど)

 

 『今回』の7月、武治さんは幾月の裏切りを彼から聞いていたが、美鶴さんには教えなかった。それは武治さんなりに彼女を思ってのことだったはずだ。しかしその気遣いは裏目に出てしまった。『今回』の11月4日に何があったかは、僕は現場を見ていないけど彼から聞いてはいる。結果的に、幾月の死は彼女にとって様々な意味でショッキングな事態となってしまったわけだ。

 

 「いや……私はずっと幾月に騙され続けて、何も気付けなかった。こんな有様だから、父は私を信用してくれなかったのだろうな……」

 

 美鶴さんは話しながら、どんどん負の方向へ沈み込んで行った。全幅の信頼を寄せていた幾月に裏切られ、武治さんにまで裏切られた。しかし愛していた父親を恨むよりは、自分を責めた方がまだ楽なのだろう。

 

 「私がいることに、何の意味がある!? シャドウなど、望月がいれば十分ではないか!」

 

 (あら……そんなふうに思ってたんだ)

 

 要するに、幾月の死を契機として美鶴さんは『前回』とは異なる方向性でもって、戦う意味を見失ってしまった。それに僕の加入が重なることで、より意味がなくなったと思っている。そして彼女のこの思いは、『今回』の彼に対する気持ちも少なからず影響していると見ていい。

 

 そうやってすっかり取り乱してしまった美鶴さんに、ゆかりさんは感情を抑えた声で応じた。頬を叩いたりはしないけど、放つ気迫にはなかなか怖いものがある。

 

 「じゃあどうするんですか? 綾時君に全部任せて、部を引退とかしちゃいます?」

 

 「……」

 

 美鶴さんは急に黙った。きっと半ば以上の割合でそれでいいと思っているのだろうが、ゆかりさんに対してはっきり言うのは、まだ躊躇いがあるようだ。

 

 「先輩がそうするって言うんなら、いいです。でもね……私は戦いますよ」

 

 ゆかりさんは真っ直ぐ美鶴さんを見つめている。何かの怒りがはっきり出た、人を刺して貫く鋭い視線だ。

 

 「そりゃあ、綾時君がいれば私の出番なんてないかもしれないですけど。でも私は最後まで戦います」

 

 「なぜだ……?」

 

 美鶴さんが問い返すと、ゆかりさんの表情から険が取れた。しかし続いて出てきた言葉は、素直な思いであるとは単純には言い切れない。

 

 「だって……お父さんは私の思った通りの人だったから。危ない実験を、体を張って食い止めようとしてくれたんだから。だから私、影時間をなくす為に戦いたい。お父さんの遺志を継ぎたいんです」

 

 「そうか……君は強いな」

 

 (確かにね。でも……)

 

 ゆかりさんには迷いがない。彼女のこの姿勢は、岳羽詠一朗さんの本当の思いと行動を知ったことがもちろん影響しているのだろう。だがそれに加えて、昔から着用され続けてきた仮面の性格がより強く表れている。僕にはそう思えた。

 

 「私に継ぐべき遺志はない。だが責任はある。あと二週間……私も責任を果たそう」

 

 そう言って美鶴さんは旅館へ向けて歩き出し、ゆかりさんもそれに並んで歩き出した。だがその途中で、美鶴さんは不意に足を止めた。

 

 「こんなことを言うと笑うかもしれないが、最近な……同じ夢をよく見るんだ」

 

 「夢?」

 

 「父が亡くなる夢だ。影時間にタルタロスのような場所で、父と幾月が銃で撃ち合っているんだ。私はやめてくれと必死に叫ぶんだが、どうしても身動きできないんだ。やがて二人は相撃ちになり……そこで目が覚めるんだ」

 

 ただの夢にしては随分と具体的だ。そうすると、美鶴さんの夢は実は夢ではない。そう判断できる。夢でないなら、それは何か。

 

 (僕が現れたことがきっかけになってるんだね)

 

 人間の心というものは、非常に広くて深い。忘却という行為自体が、完全な意味では不可能なほどに。時を超えて心の底に封じられた記憶が、断片なりとも表に出てくることもあるはずだ。そして僕の出現は、その為の一つの契機にはなり得るだろう。

 

 「ふっ……おかしな話だろう? 笑ってくれ」

 

 「笑いませんよ。先輩、ちょっと疲れてるんですよ」

 

 「ああ……そうかもな」

 

 実際、ゆかりさんは笑っていない。だが特に共感もしていない。なぜなら『今回』のこの二人は、それぞれの置かれた状況や境遇が違う。封じられた記憶で言えばゆかりさんにもあるはずだが、それは僕の出現を待つまでもなく既に現実に見ている。だから夢に出て来ることもない。

 

 「私は助けられてばかりだな。有里に、望月に……そして今また君に助けられている。情けない部長だ……」

 

 「いいじゃないですか。助けてもらったって。誰も笑いませんって」

 

 (まあね……)

 

 ゆかりさんが普段着用している棘のある仮面は、人に助けられることを嫌う。だが人を助けることには躊躇いがない。そして美鶴さんは人に助けられることに特別な抵抗がない。この違いは、僕や彼に対する二人の気持ちの違いにも表れている。そうした二人の仮面の性格が、ここでは上手く噛み合ったようだ。それを確認して、僕も旅館に戻ることにした。

 

 

 修学旅行の夜というものは、ほとんどの生徒にとって長いらしい。枕投げとか怪談とかで、どこの部屋も盛り上がっている。中には部屋をこっそりと抜け出して、建物の外の物陰で逢引をしている人たちもいる。そして僕に割り当てられたこの部屋、ふじの間では恋愛話が持ち上がっている。

 

 「はあ……こういうトコ、綺麗なお姉さんと一緒だったら良かったな」

 

 何の因果か、宿の部屋割りは『前回』から変わっていた。この部屋は友近君と宮本君、そして僕と彼の四人だ。

 

 「お前、叶先生のことまだ引きずってるの?」

 

 「いや、エミリのことはもういい。転勤してから時間経ったし、立ち直ってる。俺はただ、真面目に付き合ってくれる人さえいれば、それでいいんだけどな……。なかなかいねえんだ、これが」

 

 友近君は彼の質問に対して首を横に振り、そしてため息を吐いた。そこへ宮本君が呆れ混じりに指摘した。

 

 「友近って、意外に自分のことは分かってねえよな」

 

 「え、何が?」

 

 宮本君が言っているのは理緒さんのことだ。この二人は昨日から一階のロビーで、理緒さんを含めた三人で色々話していた。僕はその会話に参加していないけど、聞こえてはいた。そして理緒さんの発言の中には、明らかに友近君を意識したものがあったのだ。だが友近君はそれに気付いていない。宮本君さえ気付いていたのに。

 

 「うん、本当に」

 

 理緒さんのことは彼の目を通じて僕も見ていたけど、肝心の友近君がこれでは先が思いやられる。二人が幸せになれるのは、一体いつになることやら。宮本君と結子さんより障害が多そうだ。

 

 「お前までそんなこと言う? つか、望月はどうなのよ。あちこちに浮いた噂ばら撒いてるようだけど」

 

 「僕かい? まあ、色んな子からお誘いはあるんだけど……」

 

 「うわ、やな奴! お前って実はこの後で、旅館の裏で誰かと待ち合わせとか……」

 

 友近君は眉を顰めたが、そのセリフは最後まで言い終わらないうちに途切れた。僕にとっては慣れた、彼らにとっては未だ見知らぬ時間が訪れたのだ。

 

 「嫌な感じだな」

 

 赤い光沢を放つ棺桶に姿を変えた二人のクラスメイトを見て、彼はため息を一つ吐いた。時間は待ってくれない。どんな日でもどんな場所でも、影時間は問答無用で訪れる。話の途中であっても関係なく、0時が来れば適性のない人間は象徴化してしまう。この二人に適性を身に付けさせることも不可能ではないけれど、時期的に遅い。今さらそれをやる意味はないので、僕も彼もそっとしておいている。

 

 「合宿の時もそうだったが、知り合いが棺桶になるのを見るのは、気分のいいものじゃないな」

 

 「そうだねえ……」

 

 彼は床から立ち上がり、窓際に腰を下ろした。僕も立ち上がって彼に続く。緑色に染まった古都の景色と、地球上のどこでも変わらない影時間の月を、二人で並んで見上げた。

 

 「こうして場所を動いても、初めからここにいたようにあいつらは思うんだよな」

 

 「そうだよ。それが影時間の記憶補正さ。便利だよね」

 

 便利と言うか都合が良いと言うか、凄いものだ。そして僕に関しても同じことが言える。人間でない僕は当然、人間としての身分も過去もない。そんな僕が学校に転入できたのは、学校関係者に補正が働いたからだ。そして『今回』特別課外活動部に加入できたのも、彼とアイギスを除く部員の皆に補正が働いたからだ。そうでなければ素性が不明な僕の加入に際して、少しは面倒があったはずだ。しかしそうした不自然な点は、全てなかったことになった。

 

 つまり記憶補正は普通の人間だけでなく、ペルソナ使いにも作用する。エリザベスさんの存在は『契約』していない限り記憶できないが、それと同じでペルソナ使いも常に真実を認識できるとは限らない。

 

 「ところでさ、今日美鶴さんはちょっと元気になったみたいだよ」

 

 外の景色をしばらく眺めた後で、僕は話題を変えた。今日の夕方に三条河原で聞いた、美鶴さんとゆかりさんの会話を彼に伝えてみた。すると彼は少しだけ期待の籠った目を向けてきた。

 

 「そうか……じゃあ美鶴のペルソナはどうなった?」

 

 「ああ、前の彼女は今日目覚めたんだったね。でもそっちは駄目だったみたい」

 

 美鶴さんは底からは脱したものの、新たなペルソナであるアルテミシアには目覚めていない。彼女は『今回』の幾月の死に関連した一連の事態に、ショックを受けてはいた。しかしお父さんの死に比べれば衝撃の度合いは小さいから、ペルソナを進化させるほどの力は持たなかったようだ。そう説明したら、彼はまた一つため息を吐いて視線を床に落とした。

 

 「ねえ、僕は部に入らない方が良かった?」

 

 「ん?」

 

 彼は視線を床から上げ、少し怪訝な顔をした。

 

 「ほら、美鶴さんが落ち込んでたのって、僕のせいも少しはあるんじゃないかって思うんだけど」

 

 僕が特別課外活動部に入ったのは、彼らを助ける為だ。『今回』は元々シャドウが強い上に、覚醒の機会を得られなかった為に頭打ちに陥っている人がいる。それは彼の中にいた時から分かっていた。そこで応援のつもりで加入したのだ。僕が参加できるのは次の満月である12月2日までだけど、短い間だけでも助けになりたいと思っている。それは敢えて説明するまでもなく、彼には分かっている。

 

 だけど結果的には、ありがた迷惑だったかもしれない。自分で言うのも何だけど、僕の力は圧倒的すぎるのだ。ニュクス・アバターと皆のペルソナでは天地の開きがある。もう少し月日が進んで皆が限界まで成長しても、決して埋まらないだけの絶対的な差がある。僕も本当の本気は今まで見せていないし今後も見せるつもりはないけれど、それでも皆は無意識的に感じるものがあるだろう。それが与える影響は、決して良いことばかりじゃない。

 

 僕がいれば、自分なんかいらない。そう考える人は確実にいる。事実、美鶴さんはそうだった。

 

 「いや……構わない。むしろ助かってる」

 

 彼は僕から視線を外してそう言った。だが本当にそうなのか、僕には信じられなかった。僕の加入によって最も良くない影響を受けたのは、実は彼かもしれないのに。

 

 「全員がやる気失くしてるわけじゃない。僕の見る限り、荒垣とコロマルとゆかり……それから風花はモチベーションを保っている。アイギスは言うまでもないし、他はどうでもいい」

 

 重要なのはペルソナにまだ伸び代が残っているその四人と、ワイルドに目覚めたアイギスだけ。そして残っていない他のメンバーは、どうせ来月には戦力外にする予定でいるから構わない。彼はそう言った。

 

 「それはちょっと酷くない? 命を預けてきた仲間なのに」

 

 「仕方がない。ついて来れない奴を拾ってやれるほど、今回のタルタロスは……」

 

 彼の口調は冷たい。ただその冷たさは、いかにもわざとらしい。他人には本気で言っているように聞こえるだろうけど、僕には違って聞こえる。僕と彼は同一人物ではないけれど、他人でもない。だから彼については彼自身さえ気付いていないことが、僕の目には色々と見える。例えば――

 

 「本当に、嫌な感じだね。知り合いが棺桶になるのってさ」

 

 喋っている途中で、彼の姿は棺桶に変わった。彼は自分がこうなっていることを、いかなる感覚によっても知ることはできない。そしてそれは他のペルソナ使いも同様だ。

 

 「ねえ湊君。前はこの時間が落ち着くって思ってたけど、今は本当に落ち着かないよ。まさか君たちは影時間を一時間しか認識できないなんてねえ……。前は思いもしなかったな」

 

 棺桶に普通に話しかけても返事はない。人間を影時間に落とすシャドウの『声』を用いれば、象徴化を解除することはできる。だけどそれをやったら、彼の精神に深刻な影響を及ぼすだろう。最悪の場合、影時間を通り抜けて影人間にまで落ちてしまう。だから『今回』望月綾時となって初めて気付いたこの事実を、彼に伝えてはいない。伝えたところで、あまり意味もないだろうから。

 

 彼の死を象徴するオブジェを見るのが辛く感じて、部屋から出ることにした。僕が唐突にいなくなっても、彼の記憶には補正がかかるから不自然なことには気付かない。

 

 部屋を出て、僕は廊下を一人で歩いた。影時間前にはどこの部屋からも声が漏れ聞こえていたが、今は一切ない。階段も一階のロビーも、もちろん同じだ。特別課外活動部の人たちの気配さえ、他の人々と同様に死の形に抱かれながら完全に眠っている。

 

 究極の静寂に包まれた世界でたった一人自由に動ける僕は、旅館の建物から外に出た。風のない影時間の空気に身を浸しながら、頭上の月を見上げてみた。新月から一日目の細い月は、死神の口のように笑っている。

 

 「でもひょっとすると……実は僕も棺桶でお休みしてるのかな? 影時間って本当はどれだけの長さなんだろうね」

 

 僕は影時間やシャドウのことなら、この世の誰より詳しく知っている。でも本当に本当の真実の中には、まだ知らないことがあるのかもしれない。

 

 「貴女にしか分からないことかな? ニュクス……」

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