ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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欲望の塊(2009/11/19)

 「抹茶クレープって言うの? 凄い色だね。あ、でも美味しい」

 

 楽しい修学旅行ももう三日目。僕と彼、そしてアイギスにとっては二度目だけど、やはり楽しいものは楽しい。辛いことの多い一年間だけど、小さな光を放つ楽しい思い出もたくさんある。そして楽しいものは、探せば探した分だけ必ず見つかるものだ。だから同じ日々を繰り返すのは、そんなに悪いことではないと僕は思う。

 

 今日の旅程は京都市内の散策だ。『前回』の僕は彼や順平君と回ったけど、『今回』は何人かの女の子と一緒に回った。ただしペルソナ使いの女の子ではなく、特別課外活動部と何の関わりもない普通の子たちだ。生まれてから一度も戦いを経験したことのない、平和な時代の子供たちと一緒に過ごした。そうした子たちから、京都の名物だという緑色のお菓子を紹介されて食べてみた。すると意外に美味しかった。

 

 「これは巌戸台にはないよね。ふふっ、何だか嬉しいな」

 

 僕だけでなく、みんなが嬉しそうにしている。色づいた木の葉と同じ色に頬を染めて、何とも可愛らしい。寄せられる複数の好意が心を満たして、顔には自然と微笑みが浮かんでしまう。

 

 僕は死神だ。即ち人生を象徴する神秘のカードの結晶だ。つまり死神だけでなく、愚者から刑死者に至る十二と一つのアルカナも僕に内在している。そして節制から永劫に至る七つと一つのアルカナも、心の裏側に宿っている。そして人と接すると、相手に対応するアルカナが表に出てくる。と言うより、相手は自分と同じアルカナを僕の中に見る。僕は意識して演技するまでもない。

 

 簡単に言うと、絆をもぎ取る彼と同じことが僕もできるということだ。つまり人の心をいとも容易く奪い取れる。言い方を変えると、人気者になる。これはこれで面白いものだけど、彼はそういう絆の略奪にも心苦しさを感じている。初心な人だ、と僕は思う。

 

 

 女の子たちと一緒に旅館に戻ると、一階の隅の売店コーナーに彼がいた。連れの人はいなくて、一人で土産物を物色していた。

 

 「じゃあここでね。今日はありがとう。楽しかったよ」

 

 片目を瞑りながらそう言うと、ちょっとした不満の声が上がった。もう終わりなのとか、時間が経つのは早くて嫌だとか。中にはこっそり近づいてきて、消灯後にどこそこで逢いましょうと耳打ちしてくる子までいた。そうした子たち全てと笑顔で別れて、僕は売店に向かった。

 

 「やあ」

 

 未だ物色中の彼に声をかけてみたが、彼は商品棚から視線を動かさなかった。

 

 「女癖が悪いのは変わらないな」

 

 そして振り返らないまま、こんなことを言った。どうやら先ほどの女の子たちとのやり取りを、密かに観察していたようだ。その口調は呆れていると言うか、怒っていると言うか。まるで僕の保護者のようだ。

 

 「昨夜もどこに行ってたんだか……」

 

 昨夜の彼は話の途中で象徴化してしまい、僕は彼の棺桶を見続けるのを辛く感じて部屋を出た。そうしている間に影時間が明けたので、彼の記憶には補正がかかった。その結果、僕は外で女の子と逢引でもしていたと彼は認識しているようだ。

 

 「何を言ってるんだい。これは君から学んだことだよ?」

 

 昨晩の真実を彼に教えても意味はない。そんなことより、彼はもう少し彼自身に対する認識を改めるべきだと思う。だからこう言ってみた。

 

 「僕のせいかよ」

 

 彼はやっと振り返ってきた。眉間には少しだけ皺が寄っている。

 

 「もちろん。前の君はそれはもう素晴らしい、数々の武勇伝を作ってたじゃない」

 

 これは本音だ。実際、『前回』の彼はとにかく凄まじかった。人間を五人、いや、担任の先生と小学生の女の子を入れれば七人。そして人間以外を二人。たった一年でこれだけの成果を挙げたのだから、もはや伝説の域だ。これでよく刺されなかったものだと、不思議になるくらいだ。

 

 ただし『前回』の九人のうち人間の相手に対しては、彼は自分の気持ちが本物だったとは見なしていない。単に絆の力を得る為だけに接していて、成り行きに任せていたら不条理に好かれただけだと思っている。

 

 「忘れろ。昔の話だ」

 

 だからこんなセリフも出てくる。彼は女の子に対して無心に振る舞っているし、自分自身をそういう人間だと思っている。だが僕の目から見ると、真実は全く逆だ。

 

 「そうだったね。今の君は一途だもんね」

 

 これは一応事実だ。彼の真実はともかく、『今回』の彼は様々な事情があって人間の恋人を一人も作れていない。ただ沙織さんとは近いところまで行ったし、彼女に対してはある程度本気だったと彼自身も認めている。だけど沙織さんは転校してしまったので、浮気の範疇からは敢えて外してあげよう。

 

 「部屋に戻るぞ」

 

 彼はお菓子の箱を手に取って、レジに持って行った。抹茶クレープと違って、本当の京都の定番である餡子入りのお菓子だ。荒垣さんと天田君へのお土産だろう。そして僕の背中を押し出すようにして、売店から出た。

 

 

 旅館の二階の一番奥にある、割り当てられた部屋に戻った。彼の他にも友近君と宮本君が同室なのだけど、二人はいなかった。

 

 「理緒さんや結子さんと一緒なのかな?」

 

 床に敷かれた座布団に腰を下ろしながら聞いてみた。すると彼は肩を竦めた。

 

 「どうかな」

 

 もしあの二組が逢引でもしていれば面白いのだけど、多分そんな展開にはなっていない。あの四人の関係が進展するには、まだまだ時間がかかるだろう。卒業までに間に合うかどうかも微妙なところだ。ただ逆に言うと、あの四人は時間さえあれば自然と良い仲になっていくはずだと思う。それに比べて、眼前の彼はそうはいかない。

 

 彼は絆をもぎ取る達人だが、彼自身は非常に難しい人だ。彼の本命の相手もある意味で難しい人だが、彼は更にその上を行っている。彼と絆で結ばれた人々には個性的な人物が多いけど、その誰よりも彼は面倒が多い。そこを少しフォローしてあげるつもりで、一つの作戦を実行に移すことにした。

 

 「ところで、今夜はアレだね」

 

 「まだ懲りないのか」

 

 売店の時に続いて彼は再び眉を顰めた。僕が何を言っているのか、説明しなくても分かったようだ。僕たちは『前回』のこの日、夜遅い時間に旅館の温泉に入ったのだ。そしてちょっとした危機に見舞われたのだが、彼が猫や幽霊の声真似をして、何とか事無きを得たのだった。

 

 「もちろん。修学旅行と言ったらアレだよ。もはやお約束ってものだよ。いい悪いの問題じゃない。やらないと話が前に進まないのさ」

 

 「勝手にやってろ。僕は行かないからな」

 

 彼はそっぽを向いた。処置なし、と言わんばかりだ。

 

 「あれ、いいの? 僕が見ちゃっても」

 

 「誰でも好きにしろよ」

 

 「あれ、ひょっとして君、気付いてないの?」

 

 彼は振り返って、何にだと聞いてきた。半ば以上の割合で予期していたけど、やはり大事なことに気付いていないようだ。

 

 「だから、君の愛しい彼女。気配が前と全然違うじゃない。あの変化の大きさは精神的なものじゃないね。体の変容が起きてるはずだよ?」

 

 「何だと!?」

 

 彼は急に目を剥いて、ついでに声も荒くしてきた。隠された本性を覗かせた、『今回』の七夕の夜を思い起こさせる豹変ぶりだ。

 

 「おやおや、鈍いねえ。君ってば長いことご無沙汰してる間に、すっかり勘が働かなくなっちゃったんだね。それともあれかい? 嫁が髪を切っても気付かない、駄目な旦那になっちゃった?」

 

 「余計なお世話だ。いつの間に……」

 

 「僕が君の中にいる時は普通だったね。転入した時にはもう違和感があったから、その間に何かあったんじゃないの?」

 

 僕が彼の中から出て行ったのは今月4日で、転入したのは9日だ。その間にあったことと言えば――

 

 「……嘘だろ」

 

 彼は疑いの目を向けてくる。だが疑いながら、宿命的に信じている。彼は僕の言葉を否定することはできない。彼は僕を誰より信用してくれている。彼が集めた二十二の絆の中で、死神は最も強固なものだ。

 

 「本当だよ。普段の装甲の下に、人間の体があるはずだよ」

 

 「そんなはずは……いや……」

 

 「疑うなら、自分の目で確かめてみればいいじゃない」

 

 冷静になって考えれば、確かめるのは今晩でなくてもいいはずだ。僕たちは明日には寮に帰るのだから、夜中にでも彼女を部屋に連れ込めばいいだけだ。もちろん寮則には違反するけど、そんなことは彼も彼女も全く気にしていない。だが彼は悩んでいる。真剣に悩んでいる。この悩みを明日まで伸ばすことはできないだろう。なぜなら彼はそういう人だから。

 

 彼は欲望の塊だ。ただ彼の欲望は彼自身が気付いていないくらい、心の奥底に封じられている。そうなってしまった主な原因は僕なんだろうけど。しかしそれなら尚のこと、彼はもう少し素直になればいい。

 

 最近の彼は精神衛生の為に、時間が再び戻ってしまう可能性を意図的に考えないようにしている。時間が戻った原因は相変わらず不明なままだけど、このままでは彼の心はちょっと危ない。もし運命が彼に安息を許さず『三回目』が発生してしまったら、彼は最初の瞬間だけで絶望してしまいかねない。それを避ける為には、普通の男の人なら誰でも求める楽しみや喜びに、価値を見出しておくべきだと僕は思う。

 

 

 夜のかなり遅い時間、僕たちは湯煙の中に身を置いた。順平君と真田さん、そして彼が一緒だ。

 

 満々と湛えられた熱いお湯の上を、秋の夜の冷たい風が通り抜けて、視界を覆うほどの深い煙が立ち上っている。中央に置かれた大きな自然の岩と漂う硫黄の香りが、湯治の雰囲気を存分に醸し出している。夏休みに行った稲羽市の天城屋旅館の温泉も彼の目を通じて見たけれど、あれとはまた違う風情がある。

 

 「ああ、何かいいっすねえ! 肩とか腰とか、何か効きそう!」

 

 気持ちよさそうな順平君が言う通り、温泉は様々な効能があるとされている。入り口の壁にかけられた成分表によると、ここは肩こりや腰痛に効くらしい。もちろん僕には必要のないものばかりだが。ただそうした科学的な話から離れて考えてみても、ここはなかなか面白いものだ。温泉は、実は魔術と縁が深い。

 

 例えばその水に漬けると枯葉も生気を取り戻すとか、その水を飲むと老人も若返るとかの、魔法の泉の伝承は世界のあちこちにある。つまり温泉、と言うより泉は生命や不老不死と関連付けられることが多い。そうした神秘的な泉には、精霊が住んでいるのがお決まりだ。そして泉の精とは、美しい女性であるのがお約束だ。それは人間と違って魂を持たない魔的な存在だが、人間の男性と結婚することで魂を得られる。それはまさに、彼と彼女を連想させる物語ではないか――

 

 「ところで順平、どうして帽子を脱がない?」

 

 スイスの錬金術師が語った美しい存在に思いを馳せていると、真田さんは至極現実的なことを口にした。

 

 「え? ああ、これは俺のセオリーっすから」

 

 『前回』もそうだったが、順平君はお風呂でも野球帽をかぶっている。普通に考えればとてもおかしなその姿を改めて見ると、僕の頭に急に閃くものがあった。

 

 「もしかして、大正時代のあの人に倣ってるの?」

 

 「大正……? 誰のこと?」

 

 (あ……)

 

 順平君は目を丸くしているが、僕も困ってしまった。今の僕のセリフは意図して発したものではない。直前に考えていた異種族結婚の話から連想してしまったか、狐の子とされる平安時代の陰陽師と、その系譜に連なるある人物のことが唐突に頭に浮かんできて、そのまま口に出してしまったのだ。

 

 僕は世間から隠された秘密の知識を、生まれた時から持っている。しかし秘密は秘密であるが故に、いつしか由来や典拠が不明になってしまうこともある。そうした謎のベールに包まれた知識の中に、帽子をかぶってお風呂に入る人というものがあったのだ。ただその人は実在の人物なのか、実在していたとしてもこの世界でのことなのか、そこはよく分からなかった。

 

 「と、ところでさ、知ってる? ここの露天、男湯と女湯、時間交代制なんだよ」

 

 誰かに言わされたような奇妙な話を打ち切るべく、僕は『前回』と同じセリフを口にした。眼前のものを楽しむのも連想を自由に広げるのもよいが、今日の本来の目的を忘れてはならない。

 

 「おおー、マジか。じゃあ途中で変わってしまうかもね」

 

 さすがと言うべきか、順平君は素晴らしく見事な棒読みで応じてくれた。愚者と魔術師は掛け合いの相性がいいが、死神と魔術師も同じくらい相性がいい。

 

 「でも、もしそうなってもそれは事故だよね」

 

 「それは、そうでしょ。もしそうなっても、僕らに責任はないよね」

 

 「まあ、飽くまでもしもの話。万が一の事故の話だよね」

 

 「いやー、ホントそうだね。いやー、なんか、熱くね?」

 

 「で、その男女が交代する時間というのはいつなんだ、順平」

 

 「……」

 

 掛け合いが一段落したところで、真田さんが少し早口に聞いてきた。その表情には焦りが浮かんでいる。ちなみにもう一人の彼はずっと無表情で、一言も喋らない。ただ入口の方角をじっと見つめている。

 

 「ええと、それは確認してないっすけど……ねえ、綾時君?」

 

 「うーん。もしかすると、結構ギリギリかもねえ、順平君?」

 

 「お前ら、馬鹿だろ? 道理でこんな妙な時間に……」

 

 真田さんはいかにも嫌そうな顔をして、頭を抱えてしまった。ここまでの流れは『前回』と同じだ。この後の成り行きを本気で心配し始めた真田さんに対して、順平君は棒読みをやめて普通の口調で答えてきた。

 

 「ははは、冗談っすよ。確かにギリギリで来たっすけど。もう夜中だし、こんな際どいタイミングでわざわざ入ってくる女子なんて……」

 

 いるんだよ、と僕は口に出しては言わなかった。終始無言を貫いている彼も、やはり言わなかった。絶妙なタイミングでもって開いた入口の扉の音が、僕たちに代わって教えてくれたから。

 

 「え? マジかよ、誰か来たぞ!」

 

 「……男子だろ」

 

 遅い時間の客の訪れを告げられて、順平君と真田さんは慌てだした。

 

 「まあ、そう焦らないで。これは事故なんだから、知らんぷりしてればいいんだよ」

 

 もちろんそれで済むはずがない。もしこれが一般の女子生徒ならば、絆を奪い取る死神の話術で乗り切ることも可能だけど、今やって来た人たちに対しては駄目だ。

 

 「わあー! やっぱここの露天、ひっろーい!」

 

 「わ、本当!」

 

 聞き慣れた声が二つ重なった。予想通りだ。

 

 「げげげ、あいつらだ。何で、こんな時間に……」

 

 「ほう、なかなか風情があるな」

 

 「そうですね」

 

 動揺した順平君の小声に、更に二つの声が重なってきた。完璧に予想通りだ。僕は内心で頷きながら、隣の彼を見やった。彼の表情は一見すると普段通りだが、これは取り繕いだ。平静な顔の裏で、彼の心臓は早鐘のように打っている。その音が僕の耳には聞こえるくらいだ。

 

 「み、美鶴もいるのか!? おい、これは間違えたじゃ済まんぞ! もし見つかれば……」

 

 「……見つかれば?」

 

 「処刑、だな」

 

 真田さんは既に死刑宣告を受けたように、表情に絶望感が満ちていた。対する順平君も顔を引きつらせた。しかし僕にとってはどうということはない。見つかっても大きな問題はないし、むしろ見つかって構わない。

 

 もちろん見つかれば女子の皆は烈火の如く怒るだろうし、場合によってはペルソナを向けて来るかもしれない。でも本当に危なければ、僕が男子諸君の盾になってやればいい。僕を殺すことは彼女たちには絶対に不可能だから、深刻な問題にはなり得ない。せいぜい明日一日くらい冷たくされる程度で済む話だ。むしろ彼と本命の彼女以外の人との間に適度な距離を置かせる為には、これくらいのハプニングはかえって有益だろう。

 

 ここまで考えて、僕は少し自分自身におかしくなった。こういう策略は『前回』の僕には縁のなかった考え方だ。『今回』の彼は陰謀癖があるが、彼の思考習慣が僕にも移ってしまったのかもしれない。

 

 「大丈夫だよ。大人しくしてればやり過ごせるって」

 

 「そ、そうか……?」

 

 「そうだな」

 

 ここに至って、彼はようやく声を発した。発しながら、顔は僕たちには向けて来ない。濛々と立ち込める湯煙を、視線だけで貫こうとしている。

 

 

 露天風呂の中央に置かれた岩の陰に四人で身を潜めて、数分が経過した。僕たちはその間、もちろん一言も喋らない。対して岩の向こう側からは、女性陣の楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 「ここってさ、流れるプールみたいだよね?」

 

 「うん。何か子供の頃を思い出すな」

 

 ゆかりさんと風花さんの声色には、何の警戒感もない。『前回』の僕は自分から彼女たちに声をかけようとして、順平君に沈められた。だがそれは一瞬遅くて、誰かがいることを彼女たちに気付かれてしまったのだ。しかし『今回』は僕を含めて誰も大声を立てていない。よって彼女たちは他に人がいることに、未だ気付いていない。しかしそうかと言って、彼女たちの姿が見える位置まで移動することもできない。

 

 「ちょっと泳いでみようか」

 

 「うん」

 

 パシャン、と岩の向こう側で音がした。それと同時に、順平君と真田さんは目を合わせた。無言のままに視線で会話して頷き合う。そして水を叩く音がする方の反対側、岩を時計回りに音を立てずに移動した。僕と彼もそれに続く。

 

 だがこの逃走は無意味だ。ゆかりさんと風花さんは岩を中心に泳いでいるが、残りの二人はその場から動いていないのだから。

 

 「あっ……!」

 

 時間にして僅か数秒後、順平君は声を漏らした。そのすぐ目の前に美鶴さんがいた。残念ながら体にはバスタオルを巻いているが、お湯につかって上気した顔は綺麗な限りだった。

 

 「えっ!?」

 

 やがて後ろから、ゆかりさんと風花さんも現れた。こちらの二人もバスタオルを巻いている。

 

 「あ、あわわ……」

 

 「ご、誤解だ! こ、これは、事故だ!」

 

 挟み撃ちの状況を自ら作り出してしまった順平君は、前後の麗しい人たちの間でただ狼狽えた。真田さんは言い訳を口にするが、もちろん聞いてはもらえない。

 

 「だ、黙れ! しょ、処刑する!」

 

 お湯以外の原因でもって顔を真っ赤にした美鶴さんの頭上に、ペンテシレアが顕現した。彼女の手元に召喚器はないが、本来的にはペルソナ召喚は小道具なしでも可能だ。僕も普段はやらないけど、やろうと思えばできる。美鶴さんは普段はやろうと思ってもできないだろうけど、今日この場に限っては成功した。度を越した怒りや羞恥の為せる業か。ただアルテミシアに目覚めるまでには、さすがに至っていない。

 

 だが美鶴さんは今日の目的ではない。彼女の隣に立っていた、目的の人物の姿を僕は注視した。僕の隣にいた彼も、処刑が来る前の一瞬の間に確認を済ませようと、僕と同じ方向へ必死な視線を向けている。その人物と目を合わせながら、僕たちは二人揃って固まってしまった。

 

 (あれ?)

 

 この中でただ一人、彼女はバスタオルを巻いていなかった。その体はとても白かった。ただし雪のようとか透き通るようとか、そうした美しい言葉は残念ながら相応しくない。人を危険から守ってくれる鎧のように、頼もしい白だ。そんな白い体の上にある綺麗な顔は、普段は白い。体と違って、それこそ雪のように白い。でも今は美鶴さんに負けず劣らず赤くなっている。

 

 「貴方は……本当に駄目であります!」

 

 語尾のおかしい怒声と共に、ザクロの実を抱いた妙齢の美女が彼女の頭上に顕現した。それは泉の精とは全く異なる伝承の存在で、安産と育児の守り神だ。しかしその一方で、人間の子供をさらって食う恐ろしい鬼女でもある。この旅行中にも東寺で見かけた。しかしそんなペルソナの神話上の謂れなどより、この状況には深刻な問題があったことに今になって気が付いた。

 

 (あ……死ぬかも)

 

 僕は不死身だ。どれだけ強大なペルソナやシャドウであっても、僕を殺すことはできない。唯一の例外は彼だ。彼以外のいかなる存在によっても、致命傷を負わされることはない。しかし理由は不明瞭ながら、『今回』の彼女は彼と同じ力に目覚めている。しかもペルソナは彼と共有している。それは即ち、『今回』は彼女も僕を殺せるということだ。

 

 大切なことに気付いた直後、二人の女帝による二重の吹雪に襲われた。泉の精と人間の男性の恋物語には悲劇的な結末も多い。男性が泉に引きずり込まれて殺されるとか。しかしこの吹雪は溺死なんて生易しい代物じゃない。北欧神話で語られる、世界樹の根を齧る邪龍が住まう氷の国へ誘われたようなものだ。或いはイタリアの詩人が詠った、魔王が封じられた地獄の第九層へ突き落とされたと言うべきか。

 

 僕は普通のペルソナの攻撃に対して痛みは感じても、死にはしない。でも今のこれなら死ねるかもしれない。そして僕が死んだらどうなるか。それは『今回』も『前回』と変わらない。

 

 (ああ……みんな、ごめんね……)

 

 これで皆の記憶が失われて、世界の誰にも知られること無くニュクスはこの世に舞い降りてしまうのかと思うと、さすがに心苦しい。『前回』はそうしろと彼に勧めたけれど、こんな形で記憶を手放すことになったのでは、いくらなんでも間が抜けすぎている。

 

 そんな愚かしすぎる後悔を最後の記憶として、僕の意識は凍りついた。

 

 

 「知らない天井……じゃないね」

 

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。冷たい世界から現世へと、僕の意識は唐突に戻った。視線の先には、太い木の梁が風情を演出している天井があった。こうして真っ直ぐ見上げるのは初めてだけど、見覚えはある。ここは露天風呂の脱衣所だ。首を引いて自分の体を見てみれば、大きなバスタオルが布団のようにかけられていた。どうやら長椅子に寝かされているようだ。

 

 人の気配を感じて、寝転がったまま首を回してみると、すぐそこの床に服を着た彼が座っていた。ちょっと強い視線でもって、僕を睨んでいる。そんな彼の奥には、真田さんと順平君がいた。二人とも服は着ているが、床にへたり込んでいた。何をする気力も残っていないようで、完全に放心している。

 

 「僕は……生きてるの?」

 

 いつだったか、彼はこのセリフを人に言っていた。しかし言われた彼は、聞かれたことには答えなかった。

 

 「お前、やっぱり嘘吐いたな。機械だったじゃないか」

 

 彼は基本的に僕に対しては優しい。不自然なくらいに、或いは自然すぎるくらいに優しい。しかし今日ばかりは甘い顔はしてくれない。子供の悪戯を見咎めた親のようで、ちょっと怖い。

 

 「あれえ? おかしいなあ……」

 

 謝るべきところかもしれないが、軽い口調で答えてしまった。彼は怒っているが、僕は嘘を言った訳ではないのだ。今月9日に彼女と教室で目が合った時から、僕は感じていた。精神的な成長なんかじゃない、身体的なレベルでの根源的な変化が彼女にはあったはずだ。今でもそれは感じている。それなのに、機械の体のままであるとは一体どういうことなのだろう。

 

 (装甲を着たまま入ってたの? いや、お風呂に帽子の元ネタのあの人だって、服はさすがに脱いでたはずなのに……)

 

 色々考えてみたけど、分からなかった。不思議だ。この世には僕にも分からない謎が、一体いくつあるのだろうか。




 多分本文中で語る機会はないでしょうから、ここでネタばらしをします。綾時が感じた違和感の正体は、ワイルド覚醒に伴う回路の焼き切れです。
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