月光館学園の高等部二年生は、今週は学年全員で体験学習である。やることは町のゴミ拾いやら、ファーストフード店で無償のアルバイトやらだ。一足早い社会勉強と言ったところだ。しかし当然のことながら、生徒たちには毎年不評である。そんな中にあって、湊は学校行事に基本的に興味がない。と言うか、どうでもいいと考えている。だから特に何も思うことなく、淡々と仕事をこなしている。
ただ『前回』のこの時期はチドリの死が直前にあり、そして順平は部屋に引きこもり状態になっていた。しかし『今回』は逆に生き返ってしまったので、今週の順平はルーチンワークの退屈さなどものともしない、溢れかえる幸せ臭を全身で振りまいている。だから寮内の雰囲気は比較的明るい。そんな空気の中にいる為、こんなこともする。
『次回、不死鳥戦隊フェザーマンR! 第41話、変身不可能基地爆発! 汚名挽回だ、フェザーマンR!』
「基地爆発……今週はやられましたけど、次は絶対行けますよね!」
湊は寮の自室で、天田と二人でテレビ鑑賞をしていた。番組は子供に大人気の特撮ヒーロー戦隊物である。もっともこの寮ではテレビは各々の個室だけでなく、ラウンジにも大型のものが置かれている。しかし寮生の皆がいる中で特撮番組を見るのは天田は恥ずかしいだろうと思って、湊は自室に招いていた。ちなみに基本的にテレビを見ない湊は、日曜の時価ネット以外の番組をテレビで見るのは、『前回』を通じて初めてである。ついでに言うと、アイギス以外の仲間を部屋に招くのも初めてである。
「後を引く展開だな。来週も見るか?」
「はい! あ……」
天田は急に目を白黒させた。興奮の余りに本音を口走ってしまったことを、言ってしまった後で自覚したようだ。
「ま、まあ……子供向けにしては、なかなか上手いですよね。構成とか、セリフ回しとか……」
(分かりやすい奴だ)
思わず微笑が漏れてしまった。『前回』の今月21日、湊はエリザベスに依頼されてフェザーマンのフィギュアを天田から貰っていた。その際、天田はもし良かったら今度番組を一緒に見ないか、と言っていたのだ。『前回』は結局一緒に見る機会はなかったが、『今回』は湊から誘って見ることにしたのである。ちなみに『今回』はエリザベスの依頼にそれがなかった為、フィギュアは貰っていない。
『ニュースの時間になりました。連日界隈を騒がせている無気力症。原因の解明は前進の気配をも見せず……』
番組がニュースに切り替わったところで、湊はテレビの電源を切った。そして本題を切り出した。
「このシリーズ、夏休みに映画祭りでもやってたらしいな」
映画祭りの最後の日、8月31日の特集は『特撮ヒーロー大集合』だった。『前回』は特別課外活動部に加入したての天田と見に行ったのだ。その時の天田は大人ぶりながら、楽しんでいた本心を分かりやすく覗かせていた。しかし『今回』は見ていない。
「そうみたいですね。あの頃はほとんど毎日タルタロスで、映画なんて気分じゃなかったですけど」
テレビを見ていた直前までとはうって変わって、天田は表情を沈み込ませた。『今回』の天田はその時期、ストレガといた。『前回』のストレガは天田にとって、ただ荒垣の仇でしかない憎むべき相手だった。だが『今回』は二ヶ月に渡って行動を共にし、力を鍛えてもらった相手である。
しかし天田は10月4日にタカヤに銃を向けられ、11月4日にも闇の魔法を浴びそうになった。だからストレガは恩人と言っては語弊がある。しかし憎みきれるような相手でもない。荒垣に対する気持ちと同じく非常に複雑な、小学生はおろか大人でも持て余しそうな感情を抱えている。
「今にして思うと……あの頃の僕はヒーロー気取りだったのかもしれません」
ヒーローと言えば順平がそうだが、アメコミ系の単体物が好きな順平と違って、天田の趣味は戦隊物だ。その点から考えると――
(今日と明日の間にある誰も知らない時間。そこは選ばれた力を持つ者だけの戦場。人々の悪意に報いる為に、ヒーローは今宵も牙を剥く。復讐戦隊ストレガフォー……いや、『ストレガ』はイタリア語だから、フォーじゃなくてクワトロかな)
リーダーのビアンコ、参謀役のヴェルデ、紅一点でサポート役のロッソ、そして小学生の――
(天田は……ネロかな?)
天田は黒。最初にイメージした色がこれだったのは、何も天田の腹の色がそうだと言っているのではない。嗜好、と言うか普段の天田が着用している大人びた仮面の色だ。つまり大人と言えばブラックコーヒー。それだけのことだ――
(いやいやいや、何を考えてんだ、僕は)
唐突に頭に浮かんだ、特撮番組のナレーションのような口上から始まってメンバーの色分けまで進んでしまったおかしな思考から、湊は我に返った。コミュニティとは『愚者』と担い手を、無意識の領域において同化させるものだ。普段であれば、それは担い手が不条理な好意を『愚者』に寄せる結果に繋がる。しかし今日はそれが逆に働いて、担い手の趣味が『愚者』の思考回路に移ってしまったのかもしれない。湊にすれば普段の効果も不本意だが、逆も同じくらい不本意である。
「僕、馬鹿ですよね。恨みで戦うヒーローなんて、いるわけないのに……」
湊が変な方角へ進んでいた間に、天田は更に沈み込んでいた。俯いて床を見つめている。
『今回』の10月4日に溜まり場で何があったのかは、湊はアイギスから詳細を聞いている。それによれば、荒垣は真田とアイギスを庇おうとして、それが天田の気にいたく障った様子であったらしい。ヒーローになったつもりの天田にすれば、敵が悪人でないのはアイデンティティの危機にさえなり得る深刻な問題であろう。
「ヒーローにも色々いるぞ。悪い奴とかな」
ヒーローと言えば強くて優しくて正義感に溢れてついでに外見もよい、まさに『いい人』であるのが定番だ。しかし世間で語られるヒーロー像には、その範疇に収まらないキャラクターも数多い。ちなみにペルソナでは、天田が象徴している正義のアルカナにはキリスト教の天使が多い。しかし天使、即ち神の使いが絶対の善であるとは限らない、或いは善そのものが人間の味方であるとは限らないことを表現した作品も、世の中にはある。
「あの人たちは……悪い人なんでしょうか?」
「悪いな」
顔を上げた天田に対して、湊は即答した。ストレガは本性は別にしても、行動は悪だ。
「じゃあ……やっぱり倒さないといけないんでしょうか?」
ストレガの悪は、普通の戦隊物の敵役のような単純明快な悪ではないが、やはり悪ではある。ただ悪であることそれ自体は、救いのないものではない。世の中は善と悪の二分法で分けられるほど簡単なものではない。特別課外活動部のすることも善とは言い切れない。だがここで問題になるのは、ストレガの是非ではない。誰が何の為に、彼らと戦うかだ。
「迷っているなら、人に任せたっていいんだぞ?」
これが言いたかった。ストレガとどう向き合うか、天田は未だ決断できていない。皆には教えていないが、1月31日にタルタロスの頂上手前で戦うことを、湊はタカヤと約束している。つまり特別課外活動部とストレガは『前回』同様、必ず戦わなければならない。その時、天田はどうするのか。今日はそれを話したくて部屋に招いたのだ。
「迷っては……います」
天田は再び目を伏せた。そこへ湊は畳み掛ける。反論の余地のない、事実の非情さを込めて。
「それにお前はタカヤとジンには勝てない」
これは重要な事実の一つだ。タカヤとジンは『前回』から天田が一対一では敵わないくらいに強かったし、『今回』は運命のコミュニティの影響なのか輪をかけて強い。そして天田はカーラ・ネミに目覚めていない。これでは全く勝負にならない。あの二人が本気になったら、天田は十秒も持たないだろう。
ちなみに『前回』のこの時期は、チドリの死によって順平がトリスメギストスに目覚めていた。あの時の順平は怒りの一撃でタカヤとジンをまとめて退けたが、『今回』は無理だ。もしあの状況が今再現されれば、順平はどれだけ死力を振り絞ってもあの二人には絶対に敵わない。反撃を一つ食らって、それで終わりだ。
「……分かってます」
全部で六つあるタルタロスの各層の最上階と中間地点には、行く手を遮る障害物が置かれている。しかし今月の特別課外活動部が探索中の第五層は、中間地点にそれがない。しかし同じ層内でも前半と後半でシャドウの強さは大きく異なるので、最上階まで一気に駆け抜けるようなことは『前回』もできなかった。
しかし『今回』は綾時が参加している。だから今月中に第五層の最上階まで到達できそうな勢いである。しかし綾時がいるのは次の満月である12月2日までで、そして第六層が開かれるのは来年の1月だ。だから12月は第五層の後半を中心にして、上の階を目指す探索ではなく、鍛練のみを目的としてタルタロスに出向く予定でいる。
ただしそれは全員ではやらない。やるのは湊、アイギス、ゆかり、コロマル、そして荒垣だ。順平、真田、美鶴、そして天田はペルソナに伸び代が残っていない以上、鍛練しても無駄だ。逆に足手まといになる。だから彼らには12月には戦力外を通告する予定でいる。ただしそれをいきなり言うのも良くないので、今日はその段取りを兼ねているのだ。
「僕たちに任せておけ」
「済みません……」
天田は視線を床に落としたまま、歯を食いしばった。己の因縁の決着を人任せにせねばならないことが、悔しくないはずはなかろう。だが仕方がない。無理をして天田をストレガに挑ませて、それで殺されては何の意味もない。それにストレガと深い因縁を持っていて、かつ彼らに対抗しうる力をも持っている人は、他にいる。それは湊と――
「荒垣さんは……どうする気なんでしょうか」
荒垣だ。荒垣は元来、積極性に乏しい性格をしている。『前回』の9月に復帰してからの一ヶ月間も、タルタロス探索のメンバーに自ら志願するようなことはなかった。使えると思ったら声をかけろ、使えないと思ったら無視しろとか言っていたくらいだった。しかし『今回』の荒垣は戦いに非常に積極的で、タルタロスの探索時には毎回必ず前線に出ている。この変化は何に由来するものであるのか――
「ケジメをつける気なんだろう」
荒垣はストレガを自ら倒すつもりでいる。本人がそう明言しているわけではないが、荒垣の性格と過去の因縁などを考えれば、それくらいは湊には分かるし、天田にも分かるだろう。ちなみに荒垣はペルソナに伸び代が残っているゆかりやコロマルと比べても、僅かだが勝るくらいの実力を持っている。タカヤとジンには及ばないが、作戦や気持ちの入れ方、或いは運次第で、最終的には一対一で勝つことも不可能でないだけの潜在能力がカストールにはある。
「あの……荒垣さんの体は持って二年くらいだって聞いてましたが」
天田は相変わらず視線を落としたままで、話を微妙に変えてきた。
「そうらしいな。だが最近の検査だと、四、五年は持つかもしれないって話だが」
『今回』の荒垣は10月5日に復帰して以来、制御剤を使用していることは皆に周知されている。その為、桐条グループの研究所と辰巳記念病院で定期的に検査を受けている。そして研究所は毒性の低い制御剤を開発しようとしているようだが、今のところ成果は上がっていない。しかし当初の想定と異なって、荒垣自身が実戦経験を積むごとに使用する薬の量は減少する傾向にある。それが余命を若干伸ばすことに繋がっている。
ペルソナを安定して使用する為に何が必要なのか、確かなことは未だ明らかになっていない。覚醒する要因が何であるのかが不明確であるのと同様に、ペルソナにまつわる謎の一つだ。最低限必要なのは生来の適性だが、それに加えてペルソナと使用者の力量のバランスも、やはり重要であるようだ。つまり今になって荒垣のペルソナに安定性が見えてきたのは、強大なカストールに荒垣自身が追いついてきた為であるのかもしれない。
「チドリさんはすっかり治ったそうですけど、荒垣さんもそうなることは……あり得るんでしょうか?」
ここで天田は顔を上げてきた。今月22日に蘇ったチドリの容体に関しては、既に部の全員が知っている。
「……」
湊は沈黙した。これは難しい問いかけである。まず荒垣の体が完治することがあり得るのか。そして天田はそうなってほしいと思っているのか、いないのか。二重の意味で難しい問題だ。何と答えるべきか、一瞬悩んだが――
(嘘を吐くのは駄目だ)
コミュニティの、即ち絆をもぎ取る『愚者』の本来のやり方であれば、ここは客観的な事実など度外視して、ただ天田が望んでいる回答を返してやるところだ。しかしそれは本意ではない。だから敢えて正直な考えを口にした。
「ないだろう」
「……」
「チドリのケースは例外中の例外だ。あれと同じことが先輩にも起きるのは、まずあり得ない。ペルソナの制御はできるようになるかもしれないが、薬の副作用は既に出ているからな。先輩が人並みに生きるのは……無理だろう」
たとえ荒垣がカストールを完全に支配下に置き、制御剤が必要なくなったとしても今さら遅い。制御剤は既に荒垣の内臓まで蝕んでいる。薬の服用をやめても、体はこれ以上悪化することがないだけで元に戻るわけではない。継続的な治療によって十年くらいは延命できるかもしれないが、完治は無理だ。その証拠に、今でも時々発作に襲われて胃の中身を吐いたりしていることを、湊は知っている。
「有里さんって……厳しいですよね」
本当のことを聞かされた天田は再び俯いた。この反応から見ると、どうやら天田は治ってほしいと思っているようだ。どうしてそう思っているのかは別にして、とにかく今の答え方はコミュニティの活動としては失敗だったようである。言ってからそれを理解した湊は、目を閉じて天を仰いだ。
(返す言葉がない……)
真実を語るとは、実は一種の逃避であるのかもしれない。どんなに辛い話であっても、本当のことだから仕方ないのだと、誰にも反論を許さない究極の言い訳が語る者はできる。聞く者に辛さを背負わせて、語る者は真実に逃げ込める。正論ばかり口にする人間は概して嫌われるが、真実しか語らない人間も同じのようだ。
そんな微妙な空気を、唐突に打ち破る闖入者が現れた。
「ねえ、入るよ?」
ノックされることもなく、突然部屋のドアが開けられた。その先にはいつもの黄色いマフラーが巻かれた首の上に、軽そうな笑顔が浮かんでいた。
「入ってから言いますか?」
「やあ天田君。元気そうで何より」
綾時である。今月12日にオムライスを作った時もそうだったが、綾時は狙っているのかと疑えるようなタイミングでもって、コミュニティにいきなり割り込んでくる。
「何だ?」
「ちょっとお腹空いてさ。何か作ってくれない?」
「荒垣先輩に頼んだらどうだ」
「今日はタルタロス行かないんでしょ。だから荒垣さんは真田さんとランニングに行ってるよ。影時間の前には戻って来るから、それからトレーニングに付き合えって言うんだもん……」
「またか」
そうなのである。荒垣は最近、タルタロスに行かない日は影時間に寮の屋上で鍛練を行っているのだ。ただし一人でできることには限りがあるので、寮生の誰かを巻き込んでいる。主な相手は真田だが、天田同様にペルソナが頭打ちに陥っている真田では、荒垣の相手はそろそろできなくなってきている。そこでここ何日かは、相手として綾時が狩り出されているのだ。
「またなんだよ。昼間は空き缶拾いで疲れたのにさ……。だから何か作って?」
体験学習は綾時もやっている。学校行事は何事も楽しむ転校生もこればかりは例外であるようで、げんなりとため息を吐いている。
「何と言いますか……」
「子供、でしょ? 天田君も一緒に食べようよ」
結局、綾時の頼みに折れる形で、湊は夕食を作ってやった。メニューはチャーハンやら卵スープやら、簡単に作れるものにしたが綾時は喜んで食べていた。天田もそれに付き合って、遅い夕食を一緒に食べた。
そして影時間の直前に荒垣が戻って来ると、綾時は屋上での鍛練に付き合わされた。もちろん荒垣といえども、最強のペルソナ使いである綾時に敵うはずがない。しかし荒垣は何度叩きのめされようとその度に立ち上がり、がむしゃらに励んでいる。ニヒルで無愛想な仮面はどこに行ったのか、真田が二人になったかのような熱心さで精を出している。
そんな二人に天田と湊も少し付き合うことにして、この日の影時間は屋上で過ごした。