ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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カサンドラの告白(2009/12/2、12/3)

 今日は12月2日。彼が、否、彼らがこの地を訪れてから、九回目の満月の夜が来た。最後の大型シャドウである十三体目と戦う為、特別課外活動部は作戦室に集合した。ただし集まった人の数は十人。現在の部員の数と比べて、一人少ない。

 

 「望月はどうした?」

 

 美鶴さんが言う通り、今日の作戦の要となるべきと皆さんが思っている、そして真の意味においても肝心の人の姿は、今ここにはない。

 

 「あれ、来てないっすね」

 

 その人の正体には、彼と私以外は誰も気付いていない。夢にも思っていない。いや、実は夢くらいには思っているかもしれないが、意識に上がって来ることはない。私もそうだが、彼は『今回』が始まって以来、真実をほとんど皆さんに明かしていないのだ。この一年間で最大の転機である今日という日を、私たちは真実を隠したまま迎えた。

 

 「ええと……はい、綾時君は屋上にいます。あ! って、え……?」

 

 既にシャドウの探査を開始していた風花さんは、その人の居場所を簡単に見つけた。しかしその直後、驚いたように声を上げ、そして疑問符を浮かべた。何事かと問われると、困惑した表情を見せてきた。

 

 「今、屋上に大きなシャドウの反応が現れたんですけど……すぐ消えてしまいました」

 

 「行きましょう」

 

 「お、おう……」

 

 作戦室の扉へと、彼が最初に向かった。順平さんを始め、皆さんもそれについて行った。もちろん私も。

 

 

 寮の屋上、聞くところによると彼が初めてシャドウと戦ったその場所に、綾時さんはいた。私たちに背を向ける形で、頭上に浮かぶ丸い巨大な月を何気なく眺めている。普通の人間は知り得ず、私たちさえ平常ではいられない影時間の闇に、人間ではあり得ないほどに適応している。それが後姿からでも分かる。

 

 「綾時! 今シャドウ出なかったか?」

 

 順平さんが声をかけると、綾時さんは振り返ってきた。その表情は非常に穏やかで、『前回』のこの日に見せていたような、自分自身に困惑したところは全くなかった。

 

 「ああ、出たよ」

 

 返答を受けた順平さんは、周囲を見回した。それに釣られるように、他の皆さんも視線を屋上のあちこちに向けるが、シャドウはここにいない。正確には、一見してシャドウと分かる異形の姿はない。

 

 「まさか……もうやっちまったのか?」

 

 満月のシャドウがどこに出現するかは分からない。もしかしたら寮の屋上に現れて、そして偶然居合わせた綾時さんによって、一瞬にして葬り去られたのか。苛烈な戦いの終わりにしては呆気なさすぎる、冗談のような結末を迎えたのか。皆さんの多くがそう思ったかもしれない。

 

 「いや……」

 

 綾時さんは俯いた。いつも首に巻いている黄色いマフラーに顎を埋めるようにして、視線を屋上の床に落とした。

 

 「僕がそのシャドウなんだ。君たちが言う十三体目……それは僕のことなんだ」

 

 『前回』を通じて二度目となる真実を、綾時さんは口にした。その言葉には綾時さん自身の存在意義の全てと、全世界の重みを背負った万感の想いが込められている。私にはそう思えた。

 

 「は……?」

 

 しかし皆さんはそうは受け取らない。拍子抜けした声に続いて、順平さんが皆さんの気持ちを代弁するように明るく言った。

 

 「おいおい、冗談よせって。シャドウってな、もっと不気味でグロいカッコしてんぜ」

 

 『前回』のこの日、私はムーンライトブリッジで綾時さんと戦い、敗れた。半壊して散乱した私の破片を満月の光が照らす中で、皆さんは綾時さんの姿を見たはずだ。だから外見は人間にしか見えない綾時さんがシャドウであることを、皆さんが受け入れるのはまだ可能だっただろう。だが『今回』はそれがない。むしろ短い間とはいえ同じ屋根の下で暮らし、タルタロスで共に戦った仲間がシャドウであるなどとは、誰も信じられるはずがない。皆さんはペルソナとシャドウが本質的に同じものであることさえも、まだ知らないのだ。

 

 「信じられないか。じゃあ証拠を見せるよ」

 

 綾時さんは胸に手を当て、そして目を閉じた。その姿は、何かに祈る様に似ている。『前回』の彼が1月の終わり頃に得た、審判のアルカナに属するペルソナを連想させる姿勢だった。死神と救世主。全く異なる使命を持つ存在でありながら、なぜか似ていた。

 

 そして光が溢れた。私の目さえ眩ませる、白い光だった。

 

 「あまり人には見せたくないんだけど……これが僕の本当の姿だよ」

 

 白い光の中から現れたのは、一切の光を持たない黒い存在だった。首から八つの棺桶の蓋を下げ、獣の頭蓋骨の仮面を付けた黒い『神』。タナトスだ。綾時さんがペルソナとして使うニュクス・アバターと似ているが、厳密には異なる存在だ。綾時さんと救世主は似てはいても、やはり異なるように。

 

 あれは仮面で、これは本性――

 

 「こ、これは……作戦室で感じたものと同じです! それにこの姿……有里君の!?」

 

 皆さんの中で、風花さんが最初に気付いたようだ。『今回』の彼は8月に皆さんの前でタナトスを召喚して見せているし、私も見ている。あれは当時の私たちはおろか、今の私たちから見ても格段に上の能力を持つペルソナであった為、皆さんには強烈な印象を残していたことだろう。

 

 風花さんを始め、皆さんの視線が綾時さんから彼へと移動する。私もそれに合わせて彼を見る。しかし彼は私たちには目もくれず、綾時さんの正体をただ黙って見つめている。その表情は少しだけ悲しそうに見えた。驚愕はもちろんないし、警戒もない。先月からタルタロスに行くたびに間近で見せられ続けた、綾時さんの仮面に対して抱いていた怯えも、今の彼からは伺えない。

 

 「分かってくれたかい? じゃあ戻るよ」

 

 私たちの視界は再び白い光に覆われた。そしてそれが収まると同時に、また元の綾時さんの姿がそこにあった。しかし姿が元に戻っても、皆さんは元に戻らない。急激なざわめきが広がる中、皆さんを代表するように美鶴さんが口を開いた。

 

 「説明してくれないか。望月……君は何者なんだ」

 

 「僕はシャドウから一歩進んだ存在……十二のアルカナが全て交わって生まれる、宣告者なんだ」

 

 

 私たちは屋上から作戦室に戻った。緑の空気に満たされた薄暗い影時間の中心に、綾時さんが座っている。思えば綾時さんが現れた先月の9日以降で、全員でここに集まるのは初めてだ。初めて訪れた特別課外活動部の中心地の、そのまた中心で綾時さんは語った。

 

 綾時さんは『宣告者』と呼ばれる存在であること。シャドウの目的は、母なるものの復活であること。宣告者の存在に引き寄せられて、母なるものの復活は始まること。十年前に無数のシャドウが集められ、そこで綾時さんは生まれたこと。しかし結合実験は中断された為に不完全なまま目を覚まし、ムーンライトブリッジで私と戦ったこと。そして偶然その場に居合わせた、一人の子供に封印されたことを話した。皆さんはそれを黙って聞いている。

 

 『前回』のこの日、十年前に戦ったのと同じ場所で、綾時さんは様々なことを皆さんに話したらしい。だが既に全機能を停止していた私は、その話を直接には聞けていない。そして『前回』の明日にここで語られたらしい話は、修理の為にラボに運び込まれた私は、もちろん直接聞いてはいない。だが話の内容自体は、綾時さんが今まさに話していることと変わりがないのだろう。変わっている点がもしあるとすれば、綾時さんの態度だけ。

 

 しかし『前回』の様子を自分の目で見ていない私には、あの時と同じなのか違うのか、判断が付かない。ただ今の綾時さんからは、あまり辛そうな素振りが伺えない。非常に落ち着いていて、口調も淡々としている。

 

 ただ事実だけを伝えようと、意識して感情を込めずにいるのか。それともニュクスへの対抗手段があることを理解しているから、落ち着いていられるのか。或いはニュクスに立ち向かうとどうなるか、彼の身に何が起こるかを知っているはずだけど、それを既に受け入れているからなのか。

 

 綾時さんの気持ちを推し量ることは難しい。彼の気持ちもそうだけど、彼と他人でないけど同一人物でもない、死の宿命そのものでもある『人』の心に近づくのは困難を極める。

 

 「その子供は僕を宿したまま成長し、運命の悪戯で再びその地へ戻ってきたんだ。君たちの学校に転入生としてね」

 

 私が思いを馳せている間にも、綾時さんの告白は続いていた。その間に、話は私が綾時さんを封じた子供は誰であるのか、私の罪の始まりに触れていた。

 

 「転入生……?」

 

 屋上の時に続いて、皆さんの視線が彼に集中した。しかし彼はやはり皆さんには目もくれない。眉一つ動かさず、黙って綾時さんを見つめている。

 

 「そう、彼だよ。僕はずっと彼の中にいたんだ。そして彼に特別なペルソナ能力が目覚め、それと同時に十二のシャドウが目覚めた。彼の中にいる僕と一つになる為に……」

 

 「まさか……私たちが十三体目を生み出したって! 幾月の奴が言ってたの、そういうことなの!?」

 

 『今回』の11月4日、タルタロスのエントランス前で幾月は確かにそう言っていた。あの場では皆さんはその意味を理解できていなかったし、その後の立て続けの急展開によって、今まで気にしたこともなかったのかもしれない。しかし綾時さんの告白で、ゆかりさんは気付いたようだ。意図せずとはいえ、私たちの行動がニュクスを呼んだことを。

 

 「つまり、君が十三体目……いや、私たちがシャドウを倒した為に君がそうなり……宣告者になったと?」

 

 美鶴さんの確認に、綾時さんは頷いた。相変わらず綾時さんは落ち着いたままだが、皆さんには動揺が少なからずある。

 

 「で、では……シャドウの目的である……母なるものという存在について教えてくれ。復活すれば、どうなる?」

 

 「大いなるものさ……君たちの言語に当てはまるものはない」

 

 「該当する言葉がない……?」

 

 「名はニュクス。太古の昔、この星に死なるものを授けた、僕らシャドウの母たる存在だよ。それが目覚めれば、全ての命は生きることをやめてしまう」

 

 直接殺すのではなく、生きることをやめさせる。それはつまり、影人間になるということだ。町に溢れかえる犠牲者たちを見続けてきた私たちには、完全な実感と共に理解できる。ニュクスの来訪は、人類の滅亡と同義だ。

 

 「け……けど、仮にそうだったとしても、防ぐ方法とかあるんでしょ?」

 

 「僕が生まれてしまった以上、ニュクスの訪れを防ぐことはもうできない。たとえ僕を殺しても駄目だ。ただ記憶を失うだけだ」

 

 声を震わせたゆかりさんの問いかけに、綾時さんは即答した。とうに理解していることであるからか、客観的には大変な事柄の告白にも苦しそうな様子がない。

 

 「記憶を……?」

 

 「僕が死ねば、影時間の記憶補正……あれと同じことが起きる。君たちは全てを忘れ、影時間も体験できなくなる。でもそれは言い方を変えると、普通の高校生としてその日までを過ごせるということでもある。滅びの訪れは一瞬のものだ。何も知らずに迎えるのなら、苦しまずに済む。それに、滅びまでの時間も少しは長くなるんだ。選択肢の一つとして、考えてくれてもいい」

 

 「記憶が消えるなんて、そんなの嫌よ。てか忘れれば楽だなんて、そんなの単なる逃げじゃない!」

 

 「逃げることが悪い……とばかりは思わないけど」

 

 「え、えと……さ。ニュクスだか何だか知んないけど、そんなん……倒しちゃえばいいんだよな?」

 

 今度は順平さんが問いかけた。表情は笑顔で、声を僅かに震わせながら。単純だが、核心に触れる質問だ。『前回』の皆さんは様々な曲折があったにせよ、最終的にこの結論に行き着いたはずだった。

 

 「倒す……か」

 

 綾時さんは一度目を閉じた。自身の思考と記憶の、とても深いところへと沈み込むように。しかしすぐに戻ってきた。ほとんど間を置かずに、綾時さんは目を開けた。

 

 「人間がニュクスを倒すのは、ほとんど不可能だけど……まあ、絶対にってわけじゃないね。奇跡みたいな出来事が必要だけど、立ち向かうことはできる」

 

 核心に対して、綾時さんは否定しなかった。『前回』はニュクスに立ち向かうのは絶対に不可能だと言って、自分を殺すことを勧めていたと聞いている。しかし『今回』は状況、と言うより綾時さん自身の認識が違う。具体的な中身は分からないながらも、ニュクスに対抗する方法が存在することを綾時さんは知っている。絶望的な真実を宣告する当の本人が、実は希望があることを初めから理解し、そしてそれを口にしている。この違いは皆さんからあらゆる葛藤を容易く遠ざけてしまうほどの、絶大な効果があるはずだ。

 

 「はん……なら要するに、今までと同じってことだろう。命懸けるくらい、いつものことだ。逃げて忘れるなんざ、冗談じゃねえ」

 

 案の定、効果はすぐに出た。荒垣さんの見解を受けて、真田さんがそちらを振り向いた。真田さんは荒垣さんに向けて一つ頷き、改めて綾時さんに向き直った。

 

 「なら問題は……時期か。それはいつ来る? 場所は?」

 

 「来年の1月31日……場所はタルタロスの頂上、263階だよ」

 

 「あと二ヶ月か。十分だろ、そんだけありゃ」

 

 荒垣さんは普段から口数が少ないが、その分だけ時折発する言葉には重みがある。部内で屈指の実力の持ち主であることも相まって、一言で場の雰囲気を決することも可能だ。人類の滅亡が近いことを告げられて動揺した作戦室は、容易く引き締まった。

 

 「そっすね……今までだって、ずっと勝ってきたっすもんね。ビビることなんか、ないっすよね」

 

 「どうやら……皆の肚は決まっているようだな」

 

 順平さんが笑顔で応じ、美鶴さんが話をまとめに入った。皆さんはこの場だけで、ごく簡単に決断しようとしている。敢えて議論する必要もない当然の帰結として、ニュクスに立ち向かうことを選ぼうとしている。

 

 「そうか……」

 

 そんな皆さんを、綾時さんは順番に見回した。私も釣られるように見回した。多少の動揺はありつつも、大きな恐怖は誰にもなかった。皆さんはただ、強敵との戦いがあるとだけ認識している。先月3日と同じ程度の、普通の緊張感を抱いているだけだ。ニュクスに立ち向かうとどうなるか、皆さんは本当に本当のことをまだ知らないから。

 

 人は知らないからこそ恐れる。タカヤはかつてそう言った。しかしそれは間違っているのかもしれない。知らないからこそ、恐れない――

 

 そして綾時さんは最後に彼と目を合わせた。

 

 「湊君、君もいいのかい?」

 

 「ああ」

 

 彼は頷いた。恐怖も気負いも何もない、飽くまで自然体で彼は首を縦に振った。しかし本当にそうなのか、私には疑問に思えた。彼は本当にニュクスを恐れていないのだろうか。先月からずっと間近で見せつけられた、ニュクス・アバターを恐れていた彼が――

 

 (湊さん……)

 

 彼自身は分かっていないようだけど、私には分かる。十年前、デスを封じたあの日のことを覚えている私には分かる。あの時、子供だった彼は怯えていた。突如として迷い落された緑の闇と、圧倒的に巨大な黒い『神』に。実体化した恐怖そのものを、私は彼の中に封じ込めたのだ。それによって彼は限りなく死に近づいた。死は彼と同一人物ではないものの、人間の誰よりも身近になった。

 

 では彼は死を知っているのだろうか。しかし彼は覚えていない。十年前の事故も、ニュクスにどうやって立ち向かえばよいのかも覚えていない。そしてその結果何が起きるか、正確にはその結果を受けた私たちがどうなるかを、彼は知らない。

 

 知らないから恐れる。知らないから恐れない。知っているから恐れる。知っているから恐れない。これらの命題は、果たしてどれが正しいのか。全て正しいのか、全て誤りなのか、一部だけが正しいのか。私には分からない。あらゆる情報が頭の中で錯綜し、急激な混乱が湧き上がった。

 

 彼は死を知っているのか、知らないのか。彼は死を恐れているのか、恐れていないのか。何も分からなくなってしまった。私は彼について、今もって何も知らないままでいる。確かなことは、このままでは彼は再び死んでしまうこと。私のせいで。私は十年前からずっと彼を傷つけ、二度目の苦しみを与え、そして今また死の淵へ追いやろうとしている――

 

 「皆さん、待ってください」

 

 私は立ち上がった。どうして立ち上がったのか、自分でも分からない。考えても何も分からない。抑えがたい衝動に流されるまま、ただ事実だけが口から溢れ出た。

 

 「確かにニュクスを倒すことは不可能じゃありません。でもそれには代償が伴います」

 

 「おい……」

 

 隣の彼が声をかけてきた。しかし私は振り返らなかった。

 

 「代償は湊さんの命です。前は湊さんがニュクスを倒しましたが、その為に湊さんは亡くなってしまいました。前と同じことはできません」

 

 「アイギス!」

 

 「何の話をしているんだ、君は? 前とは何のことだ」

 

 「私たちは一度ニュクスを乗り越えたんです。湊さんの命と引き換えに」

 

 普段は緩やかな私の口は、自分でも驚くほどの速さで回った。まるで彼にも止める機会を与えまいとするように。論理で正しい結論を導くのでもなく、力によって決断するのでもなく、ただ一時の感情に任せた口は非常に素早く動いた。

 

 

 そうして私は話した。彼は1月31日にニュクスと戦い、倒したことを。2月から私たちは記憶を失い、卒業式の日に再び取り戻したことを。そしてその日に、彼は亡くなってしまったことを。それを既に一度経験していることを、この日々が二度目であることを私は話した。

 

 しかし真実を語るのは、とても難しいことだ。そして理解してもらうのは、もっと難しい。信じてもらうだけでも難しい。

 

 「馬鹿な……今の戦いが、既に一度やったことだと? とても信じられん。いや、あり得ない」

 

 「何言ってるのよ……SF映画じゃあるまいし、タイムスリップなんて現実にあるわけないじゃない。どうしたら過去に戻ってくるのよ?」

 

 やはりと言うか、皆さんは信じてくれなかった。口に出して言った美鶴さんとゆかりさんだけでなく、彼と綾時さんを除く皆さん全員から疑いの視線を貰った。いや、これは疑いですらない。真実と見なす要素が初めからない、荒唐無稽な絵空事を聞かされたような視線を貰った。

 

 「それは……これから話します」

 

 そうして私は改めて話した。彼と綾時さんにも話していなかった、私しか覚えていない本当の真実を、話の流れに任せて口にした。最初の話より、少しだけ緩やかに。

 

 

 時の空回りにより、3月31日から時間が進まなくなったこと。私の妹と名乗る機械の乙女が現れたこと。この寮の地下に繋がった、時の狭間と呼ばれる空間を探索したこと。過去に通じる扉から、皆さんの過去を見たこと。鍵を巡って争ったこと。そして私の決断により、時間を戻したことを話した。しかしそれらを話すに連れて、皆さんから貰う視線の色は、より良くないものへと変わっていった。

 

 「最初の話以上に信じられん……。それに、君の妹? 君以降に同系機は製造されていないはずだぞ」

 

 「……」

 

 訝しさに満ちた美鶴さんの指摘に、私は答えられなかった。メティスが何者であるのか、それは今もって謎のままだ。妹はベルベットルームにいるはずだが、3月31日のことを思い出して以来、私は一度もあの部屋を訪れていない。

 

 「ああ……しかも何だ。その鍵とやらを巡って、俺たちが仲間割れしただと! 何か証拠でもあるのか!」

 

 そして真田さんは疑いを通り越して憤然としている。鍵を巡る闘技場での戦いは、真実を話すことを躊躇わせた要因の一つだが、やはり皆さんの耳に心地よい話ではなかった。絵空事ですらない、悪意のある虚言として受け取られたようだ。

 

 「では……これはどうですか。貴方は中学生の頃に初めて影時間を体験して、美鶴さんに誘われてこの部に入ったのでしょう」

 

 「それがどうした! そんなことは美鶴やシンジは知ってるし、有里にも話してある!」

 

 「……」

 

 言葉に詰まってしまった。『今回』の私は皆さんの過去を聞いていない。しかし元から知っている人もいるし、彼が聞いている話もあるようだ。それでは私が過去を知っていることは、私たちが過去に戻ってきた証拠にはならない。

 

 「皆さんも……覚えているはずなんです。思い出してください」

 

 皆さんも覚えている。それを裏付ける明確な証拠は、今まで見つかっていない。でも、そのはずだ。記憶は失っても取り戻すことができる。私たちは3月5日にそれを経験しているのだから。

 

 「ふざけるな! これは俺たちへの侮辱に等しい。撤回してもらう!」

 

 「アキ、少し落ち着け……」

 

 「これで落ち着いていられるか!」

 

 荒垣さんが宥めても、真田さんは収まらない。荒垣さんは小さなため息を一つ吐いて、私に向き直ってきた。

 

 「アイギス、思い出せってんなら、もうちょっと具体的に話してみな。例えばよ……仲間割れの時、俺はどうしてた。誰とやり合った?」

 

 「荒垣さんは……あの時いませんでした。前の貴方は、10月に亡くなっていましたから」

 

 「10月……?」

 

 「何……?」

 

 「死んだ……?」

 

 荒垣さんは眉を顰めた。しかしそれだけでなく、真田さんと天田さんも目を大きく見開いた。『今回』の10月にあったことと言えば――

 

 「天田さんではありません。やったのはストレガです」

 

 「……誰でもいいが、そんじゃ俺は思い出すも何もねえわけか」

 

 「ええ。荒垣さんには信じていただくしかありません」

 

 皆さんの中で、荒垣さんだけは事情が異なる。時の狭間に閉じ込められた人たちと違って、荒垣さんは自ら過去に戻ってきたわけではない。だから『前回』の記憶を取り戻すことはできない。しかし――

 

 (あ……でもチドリさんは……)

 

 先月22日、死から蘇った時のチドリさんの言動が不意に思い起こされた。『今回』のチドリさんは順平さんと接した期間が短かったのに、あのようなことを言っていた。そこから考えれば、一般の人はともかくペルソナ使いならば、記憶の復活は絶対に不可能なわけではないと判断できる。可能性は高いとは言えないし、どんなきっかけが必要かも分からないが、『前回』亡くなるまでの記憶なら取り戻せるかもしれない。そんな逃避めいたことを考えていたが、また別の人によって現実に引き戻された。

 

 「アイちゃんさ……悪いけど信じらんねえし、覚えてもいねえよ」

 

 順平さんだ。時の狭間では最も冷静でいて、最も理性的な判断ができた人だ。あの時互いに主張をぶつけ合った私たちの中で、最も正しかったのは順平さんだった。そして今のこの状況を予期していたのも、この人だった。

 

 「順平さん、私は貴方と約束したんです。もし過去に戻って忘れてしまったら、私が教えると……」

 

 「だからさ、そいつも覚えてねえよ……。湊、お前はどうだ。アイちゃんの話じゃ、お前は卒業式の日に死んだそうだけどよ。こんなムチャクチャな話、信じられるか?」

 

 彼はどうか――

 

 真実を明らかにする為には、必ず触れねばならない事柄だ。順平さんは常に核心を突いてくるが、ここでもそうだった。

 

 「僕は……」

 

 問われた彼は言いかけて、一度やめた。そして両肘を膝の上に下ろし、深く項垂れた。『前回』からそうだったが、彼はいつも冷静で動揺することは少ない。稀に激しい感情を抱いても、それを表情に出すことは更に稀だ。しかしこの時ばかりは、そもそも顔を人に見せないようにしている。私を含めた全員から、彼は顔を隠している。

 

 「覚えてるよ」

 

 隠したまま、彼は告白した。その口調はいかにも自然なものだった。まるで今日は雨が降っている、とでも言っているかのようだ。彼は顔だけでなく、声色からも感情を隠している。

 

 「3月31日の話は初めて聞いた。だが死んだ時のことまでは覚えている」

 

 彼は淡々と言葉を繋ぐ。しかし彼の口調とは対照的に、部屋中の視線は急な勢いをつけて彼に集中した。言葉の内容は、口調とは無関係に誰もが理解できる。私の告白よりもずっと激しい動揺が、瞬きする間に作戦室に走った。

 

 「何だって……? そんじゃお前、ハナっから……?」

 

 順平さんは言いながら、顔から急激に血の気が引いていった。そしてソファーから立ち上がり、彼の元まで歩み寄った。

 

 「お前……チドリが死んだこととか、初めから全部知ってたのか!? 知っててチドリを死なせたのか!」

 

 青ざめた怒りを込めて、順平さんは彼の胸倉を掴んだ。それに引き起こされる形で、彼の表情が露わになった。そこにあったのは、いつも冷静な彼らしくない、目の周囲を歪めた苦悶するような顔だった。

 

 「前は……状況が違った! 全部が全部、前と同じってわけじゃないんだ!」

 

 「ふざけんな! そういう問題じゃねえだろ!」

 

 順平さんの怒声と共に、作戦室の空気が急激に変わった。誰も信じようとしなかった私の告白と違って、白昼の出来事のような真実性が彼の一言だけの告白にはあった。彼は私たちの絆の要だから。

 

 しかし状況はより悪くなった。全ての絆が失われてしまいそうな、時の狭間の争いが再現されそうな予感に私は襲われた。私たちの絆は、実はとても脆いものだ。要がいなくなるだけで容易く崩れてしまう。そして要に非があれば、もっと容易く壊れてしまう。

 

 「違う……違うんです!」

 

 彼に非はない。全ての非は私のものだ。だから私は順平さんを止めに入った。しかし――

 

 「衝撃の事実ってところだね……。順平君、あまり湊君を責めないでくれないかな」

 

 綾時さんだ。再び自身に注意を向けさせることで、火のついた作戦室を瞬時に消火してみせた。彼が私たちの絆の要であるように、綾時さんは認識と記憶の急所だ。この会合の最初の告白は冷静に考えれば荒唐無稽な内容であったにも関わらず、皆さんは信じた。つまり綾時さんの言葉は、論理を超えた直感的な説得力が宿っている。機械の私と違って、この二人は人の心にいとも容易く触れられる。

 

 「綾時……まさか、お前もかよ」

 

 「ああ。僕も彼と同じだけのことを覚えている。前のチドリちゃんは11月に死んで、しかもずっと死んだままだったんだよ」

 

 「何だって……?」

 

 「前より今の方が、色々と良くなってるんだ。それはひとえに、彼の努力の賜物さ」

 

 そうなのだ。本当に、彼は何も悪くない。むしろ最初より遥かに過酷な二度目の日々にあって、できる限りのことを行い続けて、そして結果を出している。荒垣さん、桐条武治さん、そしてチドリさん。この人たちが『今回』生きているのは、彼のおかげなのだ。

 

 「……」

 

 順平さんはまだ彼から手を離さない。ただ表情には血の気が戻ってきた。

 

 「それよりもさ……僕の話も忘れないでね。ニュクスがこの世に現れることは、もう確定なんだ。何をやっても変わらないよ。立ち向かうのはいいけど、どうやって立ち向かうのか、ちゃんと考えてね。前と同じ結果じゃ困るし、前より悪い結果になったら目も当てられないよ」

 

 言いながら綾時さんもソファーから立ち上がった。そして少しだけ急いだ足取りで、廊下に通じる作戦室の大きな扉へと向かった。

 

 「ど、どこ行くんだ!?」

 

 「次の満月……大晦日の日にまた来るよ。どうするか、それまでに考えておいて」

 

 綾時さんは扉を開け、作戦室から出て行った。それと同時に、影時間が明けた。天井の照明が灯り、ありふれた電気の光が作戦室を満たした。

 

 「おい、待てよ! 綾時!」

 

 順平さんは彼から手を離して追いかけたが、もうそこに綾時さんの姿はなかった。人間とは異なる存在であることを示すように、影時間と共に姿を消してしまった。

 

 

 日付が変わって、12月3日になった。影時間のほぼ初めから終わりまで、長時間に渡って行われた会合は解散となった。何の結論も出ていないが、取り敢えず皆それぞれで落ち着いて考えろとのことで。

 

 自室に戻ると、色々な思いが込み上げてきた。言ってしまった――

 

 記憶が戻って以来、話すべきか否か、ずっと悩んでいた。彼は『前回』の存在を話さないままにしようとしていたようだが、押し切ってしまった。果たして本当に、これで正しかったのか。そもそもどうして話してしまったのか。話すことに意味があったのか。改めて考えてみると、分からなかった。

 

 やがてドアがノックされた。覗き見るように薄く開けてみると、彼がそこにいた。

 

 「……三階は男性立ち入り禁止ですよ?」

 

 「何を今さら」

 

 確かに今さらだ。彼と私は互いの部屋に入ることを全く気にしていないし、皆さんも問題視していない。彼はドアに手をかけて、開く幅を少しだけ広げた。そして壁と扉板の隙間に体を滑り込ませるようにして、私の部屋に入って来た。

 

 彼は後ろ手にドアを閉めた。巨大なメンテナンス装置が中央に置かれ、弾丸が床中に散らばった兵器の格納庫に、二人で向き合う形になった。格納庫は蝶が舞ったりするのは似合わないが、甘い時間を過ごすのも似合わない。

 

 「どうして今まで黙っていたんだ?」

 

 彼の口調に責めるような色はない。でも言葉の内容だけでも責められているように感じてしまって、私は俯いて彼から目を逸らした。

 

 「ごめんなさい……3月31日のことは、最初は覚えていませんでした。思い出したのは先月……タルタロスでストレガと戦った時です」

 

 これは本当だ。『今回』の屋久島で目を覚ました時、私に残っていた記憶は『最初の』3月31日の24時までだった。

 

 「じゃあどうして、その時に教えてくれなかったんだ?」

 

 「迷っていました。皆さんが仲間割れしたこととか、話したら気まずくなると思って……」

 

 「……」

 

 確かにそう思ってはいた。しかしこれは話さなかった本当の理由ではない。私の拙い言い訳を、彼は黙って聞いている。積極的に責めてこないその沈黙が、私をもう一歩進めさせた。

 

 「いいえ……違いますね。私はただ、もう一度貴方に会いたかっただけなんです。でもそのせいで、貴方をまた苦しめてしまって……」

 

 「そんなことは……いいんだ。今をやり直したことを、僕は辛いと思っていない」

 

 「湊さん……」

 

 私は思わず顔を上げ、彼と視線が出会った。彼の目はとても優しい。まるで心からの言葉を口にしているように、表情には迷いがない。だがそんなはずがない。命と引き換えに行ったことをなかったことにされて、しかもどうしてか『前回』よりずっと過酷な戦いを強いられて、辛くないはずがない。

 

 もしかすると『今回』の厳しさは、それ自体が一つの罰なのだろうか。時間を戻してしまった私の罪を、彼が償わなければいけないのだろうか。だとしたら、それは余りにも理不尽すぎる。そんなことがあっていいはずがない。そもそも私は――

 

 「いいえ、それも違います……!」

 

 私はかぶりを振りながら、再び彼から目を逸らした。被害者が罪を責めてくれないなら、加害者が自分で告発するしかない。自分自身でも認めたくない本当の本心を、そのままの形で吐き出した。

 

 「私は……嫉妬していたんです! ゆかりさんや風花さんや、美鶴さんに……。私は機械ですから。貴方が人間の女性と親しくなるのを、邪魔しちゃいけないんです!」

 

 これは『前回』も学校の屋上で彼に言ったことがある。私は彼を愛している。でも機械と人間の恋は許されない。彼は同じ人間の女性と結ばれなくてはならない。そうでなければ、誰もが不幸になるだけだ。

 

 「でも……駄目でした。前は貴方がゆかりさんたちと一緒にいるのを見るたびに、辛かったんです。でも今は前と違って、貴方は他の女性と親密になっていませんから……喜んでいたんです。貴方を独占できるって。でも3月31日のことを話して、もし皆さんが前のことを思い出したら……そう思ったら、言い出せませんでした」

 

 『今回』の7月24日、私は自分の改造を要望した。あの頃は3月31日のことを忘れていたけれど、結局のところ動機は同じだ。彼の願望を叶えられるのならそれでいいし、できなくても他の女性たちを彼から遠ざけられるなら、それでもいい。私は確かにそう考えていた。

 

 「……」

 

 「ごめんなさい……私、何て汚いんでしょう。作り物のくせに……」

 

 ベルベットルームでメティスに言われた言葉が胸に突き刺さる。どんなに愛しても応えてもらえない。愛されても応えられない。どうしても乗り越えられない壁が、私と彼の間にはある。分かっていたはずなのに、それでも気持ちを抑えられない。

 

 「違うよ。君が作り物だったら、人間なんて紛い物だ」

 

 彼は私の肩に手を置いて、体を寄せてきた。彼が生きていることを証明している心臓の鼓動が、触れ合った機械の体に重く響いてくる。

 

 「嫉妬も独占欲も、人間の自然な感情だ。君は自分が人間だと証明したんだ。何も恥ずかしいことじゃない」

 

 「ごめん、なさい……」

 

 この人はどこまでも優しい。残酷なくらいに。もう謝ることしかできない。

 

 「でも……僕だけに教えてくれても良かったはずだ。どうして皆に話したんだ?」

 

 「怖く……なったんです。私はもう……耐えられません」

 

 もしまた彼を失ってしまったら、私はもう耐えられない。でもそれ以前に、一人で抱える秘密にも耐えられなかった。私は本当に役立たずだ。彼を何度も苦しめて、傷つけて。そして何の助けにもなれていない。




 カサンドラとはギリシャ神話に登場する予言者です。しかしその予言は誰にも信じてもらえない呪いがかけられていて、トロイア戦争や自分の破滅を予知しつつも防げないという悲劇の人です。
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