ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

9 / 107
処女懐胎(2009/5/9)

 二度目の満月の日が来た。『前回』のこの日は、試練が来るとあらかじめファルロスに言われていた為、湊は授業を終えるとすぐに寮に戻った。そして『今回』もそのようにして、寮に戻ってきた。

 

 『前回』のこの頃はファルロスの言動をほとんど理解できず、その正体に至っては見当もついていなかった。だがそれでも忠告には素直に従って、寮で待機することを選んでいた。忙しくなり始めたコミュニティの活動もせずに。今にして思うと、この時期から半ば無意識的に分かっていたのだろう。ファルロスは味方だと。この理不尽な戦いに巻き込んだ張本人であるのに。

 

 (思えば、あいつに署名させられたんだよな……)

 

 湊は自室のベッドに腰掛けながら、契約者のカードに署名した時のことを思い返した。あれは『今回』が始まる前の出来事だから体感的には丸一年ほど前だが、その時の様子ははっきりと覚えている。

 

 自分の行動に、責任を取る――

 

 カードを受け取ったその時は、ほとんど何も考えないまま流されて署名した。だが後悔したことはないし、ファルロスを恨むこともなかった。

 

 普通に考えれば、恨んでもおかしくない相手のはずである。この戦いに自分を巻き込んだのは、ファルロスに他ならない。『契約』をさせただけではなく、そもそもペルソナを得たのはファルロスの影響だ。更に言えば、ファルロス即ちデスの存在こそが影時間とタルタロスの発生原因であり、世界の終わりを呼んだ宣告者でもある。まさに諸悪の根源だ。

 

 そして十年前、ムーンライトブリッジで両親が死んだ事故の原因でもある。それでいながら、恨む気持ちは全く湧いてこない。

 

 (覚えてもいない事故の為に、恨んだりしないか……)

 

 湊は十年前、デスとアイギスの戦いに巻き込まれて両親を失っている。だがその時の様子は覚えていない。デスを封じられたことも覚えていない。『前回』の12月3日、綾時から事の真相を聞いてさえ、全く思い出せなかった。完全に記憶から抜け落ちている。だから自分の身に起きた出来事でありながら、実感が持てないのだ。

 

 事故後に親戚中をたらい回しになったことに対しては、恨む気持ちはあったかもしれない。だがそれは運命を恨むと言うべきことだ。ファルロスやアイギス本人に対しては、暗い感情はまるでない。意識して恨もうとしても無理なくらいだ。むしろ逆に親愛の情を感じている。自分自身と言うものを持たない『愚者』でありながら、彼らには不条理なまでに心からの気持ちを抱いている。

 

 (そう言えば……僕ってファルロスの為には、何もしてやれてなかったな)

 

 『前回』は遂にその正体に気付かないまま、11月4日に別れを迎えた。その翌週には綾時となって再会したが、それでもやはり気付かなかった。己の鈍感さが恨めしい。気付いていれば、せめて優しい言葉の一つくらいは与えられただろうに。進路相談の日、屋上でアイギスに言ったような。

 

 死神に優しくする――

 

 傍から見れば、物凄いお人好しである。柄でもないのにこんなふうに思うのは、体の中に住まわせていたことと関係しているのかもしれない。たとえて言うなら、妊娠した女が腹の中の子供に対して抱く感情のようなものだろうか――

 

 (ん……妊娠? そんな訳あるか!)

 

 無茶な連想に己で突っ込みを入れて、湊は我に返った。ファルロスが自分の体の中にいることは確かだが、だからと言って妊娠はないだろう。自分は男なのだから。

 

 (馬鹿馬鹿しい。少し寝よう)

 

 おかしな考えを振り切るように、湊はベッドに仰向けに寝転んだ。今夜の戦いに備えたペルソナは既に用意してあるし、作戦の段取りも考えてある。後はただ、本番に備えて体を休めておくだけだ。

 

 

 影時間になると、寮の緊急警報が鳴ると共に作戦室に召集がかかった。自分たちも通学に利用しているモノレールに大型のシャドウが現れ、美鶴の探知に引っ掛かったのだ。町中でシャドウが暴れたりすると、そこに矛盾が発生する。よってどうしても倒さなければならないとして、出撃が決まった。ただし4月に負った怪我が完治していない真田は、今日も留守番を言い渡された。

 

 「仕方ないな……。現場の指揮を頼む」

 

 真田はそう言って湊を見て、美鶴も認めるように頷く。ここまでは『前回』と同じ展開である。そして――

 

 「やっぱ、そう来るんすね……」

 

 順平が小声で呟くのを、湊は聞き逃さなかった。

 

 『前回』のこの時は、このまま湊がリーダーで固定になりそうだと不満を漏らしていた。今にして思うと、やがて起こる順平との仲違いは、この頃に最初の伏線があったのだと分かる。

 

 湊としては、もし順平との関係が『前回』と全く同じであれば、ここで妬まれても別に構わなかった。どうせ月日が進めば和解できるし、順平も実戦の現場にまで嫉妬心を持ち出して足並みを乱すようなことはなかった。今日この日を除いて。

 

 だが『今回』はなぜか順平との間に、魔術師のコミュニティが発生してしまった。コミュニティが今後どう展開していくのか、そしてそれが順平の内面や行動にどう影響を及ぼすかは読みきれない。だが可能な限り、円滑に進めていきたいと思っている。

 

 ここであまり順平に悪い印象を持たれては、事によってはコミュニティまで壊れてしまうかもしれない。コミュニティの破綻は湊自身の戦力の低下に繋がるし、最悪の場合はニュクス戦にまで響きかねない。だから何とかして、順平が余計な感情を抱かないように仕向けたいのだが――

 

 (取り敢えず、今日は作戦通りに行こう)

 

 今日の戦い方は既に考えてある。順平の気持ちにも多少は配慮した形で。それを頭の中でもう一度確認して、湊は作戦室を後にした。

 

 

 真田を除く特別課外活動部の四人は、巌戸台駅に一旦集合した。バックアップ用の機材をバイクに積んだ美鶴とは駅で別れ、湊、ゆかり、順平の三人で線路の上を歩いた。

 

 周囲を遮るものがない線路上から見える景色は、影時間の緑の空気の中では不気味さが際立つ。町の灯りは全て消え、普段の数倍も巨大に見える月が煌々とその存在を主張する様は、写実性を排除した抽象絵画を思わせる。

 

 絵の中心にあるのは、もちろんタルタロスだ。どこから見ても目に入ってしまうし、どこにあっても中心になる。三人が歩いている場所からはかなりの距離があるが、文字通り天を衝くその巨大さは、構図上の配置を無意味に感じさせるほどの迫力がある。

 

 程なくして、線路上に停止したモノレールに辿り着いた。三人から見て手前側、最後尾の車両のドアは、招き入れようとするように開いている。

 

 (ここで気付くべきだったな)

 

 まさしくドアは招き入れる為に開いているのである。湊は『前回』の経緯からそれを知っているが、敢えて皆に注意はしない。奥の車両に目を向ければ、注意しても無意味なことが分かる。

 

 (他のドアは開いてない。先頭車両まで線路を歩いていっても駄目だ)

 

 シャドウは基本的に自意識を持たないが、今日に限ってはこのような罠を仕掛けている。だがこちらに選択の余地はない。罠を承知で、敵の懐に飛び込む他にないのである。だから湊は何も言わず、ドアに備え付けられた短い梯子に足をかけた。三人の中で、湊が最初だった。続いて順平、最後にゆかりが車両に乗り込んだ。

 

 ちなみに『前回』はゆかりが最初に乗り込もうとして、覗くなと男二人に釘を刺していた。だが『今回』それをやっては無駄に緊張感を削ぐだけなので、敢えて湊が先頭に立った。

 

 三人がモノレールに乗り込むと同時に、開けられていたドアが勝手に閉まった。通常はあり得ない色に空気が染まる影時間は、心が安らぐような領域では元からない。だが狭い空間に閉じ込められたこの状況は、余計に嫌な感じを与えてくる。まして乗客が象徴化した棺桶が近くに並んでいるとなると、神経の弱い人間ならそれだけでパニックに陥っても不思議はない。

 

 「んな!?」

 

 「ちょっ……ハメられた!?」

 

 始めからこの事態を予期していた湊は平静を保つが、ゆかりと順平は慌てだした。

 

 『どうした! 何があった!』

 

 通信機から美鶴も切迫した声を届けてくる。二人の動揺がうつったのかもしれない。

 

 (近頃の美鶴の通信は、いつもこうだな)

 

 湊はふとそんなことを思った。『前回』はこの日はともかく、普段のタルタロス探索などでは美鶴はいつも冷静だった。だが『今回』は慌てることが多い。とは言っても、別に美鶴の性格が変わっているわけではない。『前回』も機会は少なかったが、美鶴が慌てるところは通信越しに何度か聞いている。例えば一つのフロアに長居しすぎて、死神が出現した時などだ。ただ『今回』は頻度が高い。死神に遭遇するまでもない。

 

 湊たちは4月21日の初回の探索以降も何度かタルタロスに通ったが、行くたびに死闘の連続である。誰か一人は瀕死の状態に追い込まれるし、本当に死の間際まで行くこともあった。そうした時の美鶴は、今のように慌てている。

 

 何が起ころうと常に冷静でいること。内心は別としても、少なくとも外向きには。これはリーダーに求められる資質の一つである。『前回』は真田や美鶴が前線に復帰して以降も湊が現場リーダーを務め続けたし、『今回』もそうなる可能性は高い。それは当然の人選だと、湊は考えている。

 

 湊は本当に何が起ころうと、冷静さを保っていられる自信がある。少なくとも外向きには。美鶴はその点がいささか甘い。『前回』の経験から判断した美鶴の性格は、冷静沈着なようでいて実は感情の起伏が激しい、である。

 

 美鶴は特別課外活動部の面々を、己の目的を達する為の駒として扱っている。本人にその自覚はあるだろうし、ゆかりなどは既にその辺りに気付いている。

 

 だが湊の目から見ると、実態は異なる。美鶴の非情な顔は、心理学で言うところのペルソナに過ぎない。それも所々に隙間があって、事あるごとに本心が垣間見える程度の半端な仮面である。『前回』美鶴と特別な関係になった湊には、その心理は手に取るように分かる。

 

 事情をろくに説明することもなしに他人を巻き込んでいることに、美鶴は美鶴なりに悩んでいる。それでいながら、美鶴本人はバックアップが不可欠な対シャドウ戦の条件上、現時点ではサポート役に回らざるを得ない。メンバー内で最も責任のある立場にいながら、自分自身は安全な場所にいるに等しい。そうした現状を歯がゆく思っていればこそ、今のように慌てるのだろう。

 

 だが湊はそんな美鶴を頼りないと思うことはあっても、悪くは思わない。非情に徹することができないのは、一種の人間らしさだ。言い方を変えれば、可愛げだ。

 

 (美鶴を責める筋合いは……僕にはないな)

 

 他人を己の目的の為の駒として扱っているのは、自分も同じだ。しかも自分は特別課外活動部ばかりか、コミュニティの人々さえそうだ。

 

 全ては来年の3月を越えて生き延びる為。そして再び時間が戻ることがないようにする為――

 

 そうした真意を一切表に出さないよう、表情や言動を自由に操れる『愚者』の方が、むしろ異常なのだ。そしてその分だけ、十年前の事故から世界の終わりにまで至る一連の事態に対して負うべき『責任』は、美鶴よりずっと大きい。湊は自分自身を、そう見なしている。

 

 『注意して進んでくれ』

 

 そこまで思った頃、美鶴の通信が終わった。湊は内省を打ち切り、前へと向き直った。

 

 

 三人は先の車両へ向けて、歩いて進んで行った。だがシャドウは出てこない。三人の足音だけが、影時間の静かな空気を薄く揺らしている。

 

 「何だよ、拍子抜けだぜ……」

 

 二つか三つの車両を越えた辺りで、順平が呟いた。乗り込んだ当初は緊張感が漂っていたが、意外にも静かな状況に置かれた為、緊張の反動が出始めたようだ。そんな順平の言葉を合図とするように、湊は周囲に気を配り始めた。

 

 (そろそろだな)

 

 そう思った矢先、一体のシャドウが現れた。女教皇のアルカナに属する、ティアラの形で宙に浮いているシャドウだ。だが戦う構えは見せず、先頭車両へ向けて逃げていく。

 

 「あ、待て!」

 

 シャドウを追って順平が駆け出した。それから一瞬遅れて、湊も動く。

 

 「こら、順平! って、有里君まで!」

 

 湊は順平を止めはしない。一緒になって車両を走る。ただし全力ではなく、少し余裕を持っている。

 

 『おい、二人とも待て!』

 

 背後からゆかりが、通信機から美鶴が制止してくるが、聞いている暇はない。逆に一人で残される形になったゆかりを、走りながら促した。

 

 「岳羽! 遅れるな!」

 

 「ああ、もう!」

 

 ゆかりは文句を言いながらも追いかけてきた。それを振り返らずに足音だけで確認してから、湊は足を速めた。最初に飛び出した順平に、付かず離れずの距離を保つ。前後の二人のいずれにも注意を払いながら車両を走った。

 

 湊の行動は意図したものである。『前回』も今のように挑発に乗った順平が一人で突っ走り、シャドウに取り囲まれてしまった。あの時は援護が間に合って事無きを得たが、『今回』それをやったら順平はただでは済まない。

 

 なぜかは分からないが、『今回』のシャドウは『前回』より遥かに手強い。一人で複数のシャドウに取り囲まれでもしたら、あっという間に袋叩きにされるだけだ。ここで『前回』のように悠長に美鶴の指示を待っていたら、援護が間に合わずに順平が死んでしまう危険がある。

 

 そうかと言って、順平を押し留めて慎重に進むのも得策ではない。なぜならこの5月の満月は、時間との勝負だからだ。シャドウが挑発して奥へ逃げていくのは、逆にターゲットとの距離を詰める好機なのだ。とにかく先頭車両に少しでも近付く為、湊は敢えて順平に同調したのだ。

 

 そうして車両を二つばかり越えたところで、逃げるシャドウは動きを止めて振り返った。それと同時に湊は足を少し緩める。その前を行く順平はそのままのスピードで走りながら、大剣を振りかぶった。

 

 「先手必勝!」

 

 順平の大剣がシャドウを捉えた。そして湊は後ろを振り返る。二人で背中をかばい合う形になった。

 

 (やっぱりな)

 

 案の定、順平の背面、振り返った湊から見れば正面に新たなシャドウが現れた。挟み撃ちにするつもりだったのだろうが、湊は『前回』の経験から読めていた。そして後ろのシャドウの更に後ろから、ゆかりが追い付いてきた。

 

 「撃て!」

 

 「う、うん! 当たれ!」

 

 ゆかりは急いで弓に矢をつがえ、シャドウの背後に向けて放つ。こちらを挟み撃ちにするつもりのシャドウを、湊とゆかりで逆に挟み撃ちにする形ができた。

 

 「ホームラン!」

 

 そして順平は正面のシャドウを袈裟掛けに斬り付けた後、更に上段から叩き付け、最後は野球のバッターのように大剣を横薙ぎに振り回した。先手を取ったことが功を奏したか、敵に反撃の隙を与えず三連続で斬撃を叩き込んだ。三発目は取り分け効いたようで、まともに受けたシャドウはバドミントンのシャトルのように空中で一回転し、そのまま消滅した。

 

 『今回』のシャドウは強いが、決して敵わないわけではない。理由は全く分からないが、シャドウは『前回』と比べて膂力や魔力は段違いに高いが、耐久力や敏捷性はほとんど変わらないのだ。先手さえ取れれば、完封も不可能ではない。

 

 かくして最初のシャドウの群れは、危なげなく殲滅できた。作戦勝ちだ。陣形の段階で勝負はついていた。

 

 『二人とも、無謀すぎるぞ!』

 

 戦いが終わると、通信機から美鶴の叱責が飛んできた。湊としては計算づくだが、傍から見れば無茶な戦法だろう。だがそれを説明することはできない。時間もない。床から伝わり始めた小刻みな振動が、それを告げている。

 

 「列車が動いています」

 

 『何!?』

 

 やがて誰にでも分かるくらいにはっきりと、モノレールが前に向かって進み出した。だがこれも予期していた湊は、すぐに行動を開始した。

 

 「走れ! 運転室だ!」

 

 走り出してから順平とゆかりに声をかける。二人は一瞬呆気に取られたが、やがて追いかけてきた。こうした非常時には、率先して動く人間に釣られて周りも動くものだ。湊があらかじめ考えていた作戦通りに、事態は進んでいく。

 

 三人に合わせて、これまで隠れていたシャドウも一斉に動き出した。先頭車両に向かって走る三人の行く手に、わらわらと立ち塞がってくる。だが湊は敵を見るや即座にペルソナを召喚し、的確に対応する。美鶴の分析を待つまでもない。

 

 「雑魚には構うな! とにかく走れ!」

 

 今日の戦いは、とにかく時間が問題だ。一秒を争うのだから、タイムロスを避ける戦術に徹した。その一環として、モノレールに出現するシャドウの弱点を突けるペルソナを、あらかじめ揃えておいたのだ。もちろん敵に合わせてペルソナを付け替える必要はあるが、それは『前回』から得意だったことだ。走りながらでも、付け替えの失敗はしない。

 

 湊がシャドウの弱点を突いて足止めし、順平とゆかりにはとにかく先を急いでもらう。殲滅する時間さえ惜しいので、ひっくり返ったシャドウはそのまま放置して、前へと突っ走るのみだ。小粒なシャドウは視力がほとんどないので、一定以上の距離を置けば目標を見失う。だから放置したシャドウに後ろから襲われる心配はない。

 

 

 『次の車両から、大きなシャドウの反応がある! 注意してくれ!』

 

 モノレールの先頭から二両目の車両の、一番奥まで到達したところで、美鶴から通信が入った。時間を無駄にしない作戦は成功した。『前回』と比べても、かなり早く到達できたはずである。後は倒すだけだ。

 

 「行こう」

 

 湊は車両を仕切る扉に手をかけ、迷いなく開けた。

 

 扉を開けた先では、異様に長い髪の毛が車両中に張り巡らされていた。中には後方へ向かって伸びている髪もある。髪の毛の蜘蛛の巣の中心には、体の左半分が白、右半分が黒の巨大な女の怪物が鎮座していた。十年前の事故で飛散した十二のシャドウの一つ、プリーステスだ。車両の一番奥、運転室と客室を仕切るガラス窓に頭を預けるようにして座っている。

 

 「何か……凄えことになってるな」

 

 プリーステスの姿に順平は目を見張っている。『前回』もそうだったが、この人間の女とよく似た姿のシャドウは床に座っているのである。立ち上がったら頭が天井につかえてしまうからであろうが、座っている。両足を思いきり広げて。

 

 女教皇のアルカナ――

 

 タロットカードの図柄では、頭に冠を乗せた女性の絵が描かれている。教皇と呼ばれるわけだから、キリスト教の聖職者だ。つまり描かれた女性は処女と考えられる。しかしそうであるならば、この体勢は何であろうか。

 

 ついでに言うと、女性が高位の聖職につけないカトリック的な解釈では、女教皇とはあり得ないものの象徴でもある。あり得ないものと処女性。この二つの要素を合わせると、何になるか。

 

 (……マリア?)

 

 タルタロスにはマリアという名の、女教皇に属するシャドウが出現する。あれは台座に座って瞑想する女の姿をしている。名前の由来は、もちろんキリスト教の聖母だろう。そして聖母と言えば、処女懐胎。性によらずして子供を産む。あたかもファルロスのように――

 

 (何、馬鹿なことを考えてるんだ。こんな時に……)

 

 夕方に思いついた、ファルロスは自分の子供なのではとの連想と結びつけてしまった。だがそんなはずがない。湊は馬鹿馬鹿しい考えを瞬き一つで追い払い、剣を構えた。

 

 「岳羽は回復優先、手が空いたら弓! 順平は力を出しきれ!」

 

 満月のシャドウは大半がそうだが、プリーステスには特にこれと言った弱点はない。耐性は氷結に対してあり、攻撃方法もそれである。そして幸いなことに、ゆかりと順平は氷結に弱くはなく、使えもしない。よってこのモノレール先頭車両での戦いに、細かな戦術はない。基本方針だけを決めて、後は臨機応変にやるしかない。もう少し月日が進めばまた別だが、5月上旬のこの時点ではワイルドといえども戦術の幅がそう広くはないのだ。

 

 「分かった!」

 

 「おう! 行くぜ!」

 

 順平は大剣を上段から豪快に振り下ろし、湊は片手剣を肩の高さから突き出す。ゆかりも矢を放つ。三人の同時攻撃から、この日最後の死闘が幕を開けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。