ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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深層モナドのメギドの丘(2010/1/28、1/29)

 決戦を三日後に控えた1月28日の影時間、特別課外活動部は恐るべき強敵と戦っていた。全長は三メートル以上あり、二丁の拳銃を持って宙に浮かんでいるシャドウだ。血塗れの上着に巻き付けた二本の鎖は、身動ぎする度に金属質な音を発している。それは実った穀物に収穫の季節が訪れたことを告げる、或いは肥えた家畜に屠殺の日が来たことを告げる、いずれにしても死を宣告する恐怖の時報としての意味がある。そんな恐怖の化身を六人のペルソナ使いが取り囲んでいた。

 

 「真田先輩!」

 

 「おう!」

 

 湊の指示を受けた真田はカエサルを召喚した。古代の軍人のような姿をしたペルソナが左手に持った球体を掲げるや、激しい轟音と共に光の速さで電撃が走った。タルタロスの冷たい空気が焦げ、煙が立ち上る。敵はまだ健在だが、確かに効いている。

 

 「美鶴さん!」

 

 「分かってる!」

 

 アイギスの指示の下、美鶴はアルテミシアを召喚した。黒いドレスを身にまとい、いかにも女王然としたペルソナは手に持った鞭を眼前で広げ、巨大な氷塊を敵に叩き付けた。その破壊力は前月までとは懸絶の差があった。

 

 今月に入ってから、特別課外活動部は頻繁にタルタロスに通っていた。12月はほとんど探索をせず、しかも10月から11月にかけて能力が頭打ちに陥ってたメンバーがいた為、今月初めの頃の部の戦力は『前回』よりも落ちるくらいだった。だが皆がそれぞれの気持ちに区切りをつけ、戦うモチベーションは回復した。そして頭打ちに陥っていた者たちが、先月下旬から一斉に新たなペルソナに目覚めたのである。なぜそうなったのかは、リーダーやサブリーダーも正確なところは把握しておらず、本人たちさえ聞かれてもはっきり答えられないことだった。だがいずれにせよ、戦力は大幅に向上したわけである。

 

 最後の戦いに向けての部の準備は、整いつつあると言ってよい。そしてそれに比例して、皆の団結も深まってきている。タルタロスの第六層を歩むごとに進む、審判のコミュニティに合わせるように。そして今日は刈り取る者に挑んでいるのだ。『前回』は遂に倒せなかった相手だが、『今回』は準備の総仕上げとして挑戦している。

 

 だが相手は死神の端くれである。いかに特別課外活動部が強化されても、そうそう一方的にやられはしない。皇帝と女帝の全力の一撃を受けても、未だ倒れない。そして死神は右手に持った銃を、天井へ向けて撃ち放った。

 

 「気合入れろ!」

 

 湊が叫ぶと共に、視界の全面が紫色の光に覆われた。

 

 「く……」

 

 これはあらゆる存在を等しく薙ぎ払う万能の魔法である。衝撃の凄まじさに皆が膝をつくが、倒れはしない。目から光は失われず、表情には闘志が漲っている。そんな皆の様子を確認してから、湊は改めて敵を見据えた。その表情には闘志ではなく、余裕のある笑みが浮かんでいた。

 

 (ふん……僕のあれに比べれば、どうってことはない)

 

 今放たれたのと同じ魔法を、湊は既に使えるようになっている。そしてそれをも超える、究極の切り札までも手に入れている。使えば刈り取る者を一撃で倒せるほどの。だが今日はそれを使うつもりはなかった。31日に向けての湊の準備は既に万全である。他の皆の準備はどうなのかを確かめる為、この戦いは基本的には仲間たちに任せているのだ。

 

 「しっかり!」

 

 ゆかりがイシスを召喚した。女神の胸像に翼が生えた姿のペルソナの瞳から光が放たれ、仲間たち全員へとまとわせた。広範囲に及ぶ回復魔法である。光は皆の体に吸い込まれると共に、立ち上がる力を足に戻らせた。

 

 「行くぜ!」

 

 続けて順平がトリスメギストスを召喚した。『今回』初めて刈り取る者と遭遇した8月とはうって変わって、自信をもって強大な敵に立ち向かっている。口に球体を咥えた赤いペルソナはジグザグに飛行し、周囲の空間に無数の光線を放つ。順平のペルソナはそれ自身が刃物を持っているわけではないのだが、生み出された光の筋は剣のように鋭い。敵を連続して何度も斬り付ける光は会心の当たりとなって、シャドウの巨躯を床に打ち落とした。

 

 「今だ! やっちまおうぜ!」

 

 刈り取る者は足を持たない為、膝をつくのでなく上着の裾を床に広げるようにしている。だが何にしても、体勢を崩している。全員で一斉に攻撃できるだけの、大きな隙を見せている。

 

 「全員、突撃!」

 

 

 「やったぞ!」

 

 六人がかりの総攻撃で、刈り取る者は消滅した。他の全てのシャドウと同様に、黒い煙と化して姿は見えなくなった。真田が快哉を上げ、順平は満面の笑みを浮かべた。

 

 「へへっ! これで綾時とも互角だな!」

 

 11月に特別課外活動部に参加した綾時は、デビュー戦でいきなり刈り取る者を倒して見せたのだ。その綾時とはタルタロスの頂上で戦う予定にあることは、既に湊から皆に説明してある。よって綾時に対抗するには、刈り取る者を倒せるだけの力を得ることが最低条件となる。そして今日、遂にそれを達成したわけである。

 

 皆が勝利を喜ぶ中、湊は刈り取る者が消えた辺りの床を注視した。そしてそこに落ちていた小さなものに目を留めると、さりげなく拾い上げた。それは粘性のある液体で表面がぬめっていて、不快な感触を手に与えてきた。

 

 

 「依頼を達成しておいでになるご様子。確認させていただきます」

 

 エントランスに戻った後、湊は寮に帰る前にベルベットルームに立ち寄った。そして血塗れたボタンをエリザベスに手渡した。

 

 刈り取る者へ挑戦することを特別課外活動部に提案したのは湊である。その表向きの理由は、決戦へ向けた部の準備の総仕上げだ。だが湊にとっては、エリザベスの依頼を果たす為という意味もあった。と言うより、実はそちらの方が主だった。目当ては依頼の報酬である。

 

 「こちらが報酬になります。お受け取りください」

 

 そう言ってエリザベスが手渡してきたのは、分厚い札束だった。武器や道具の類ではなく、現金そのものである。金で買えるものならば既に十分な備えがあるのだが、それでも湊はこの報酬を求めていた。なぜなら――

 

 (これで卒業後もしばらくは何とかなるな)

 

 湊は高校卒業後は進学せず、就職するつもりでいる。だが最初の何年かは、十分な稼ぎを得るのは難しいだろうと予測できた。自分一人だけならまだしも、家族を養うには足りないこともあろうと。そこで生活が軌道に乗るまでの資金がほしくて、この依頼を受けたのだ。

 

 ちなみにこの依頼は『前回』からあったが、1月初めに一度だけ挑んで失敗し、そのまま未達に終わっていた。今くらいの時期であれば恐らく達成できたであろうが、再度の挑戦はしなかった。決戦を前に余計な傷を負うこともあるまいとの考えもあったし、『前回』は報酬に魅力を感じなかったということもあった。

 

 タルタロスの探索は30日までに登れる最高の階層である、254階まで既に到達している。そしてエリザベスの依頼も、部屋に入れてくれとのものを除いて全て達成した。これにて準備は本当に万端である。後は本番に備えて体を休めるだけだ。と思いきや――

 

 「では次が最後の依頼になります」

 

 予期せぬエリザベスのセリフに、湊は戸惑った。彼女の依頼は何かを達成すると、その続きのような形で新たな依頼が追加されることはたびたびあった。だが最高難度の依頼である、刈り取る者の討伐に続くものがあるとは思わなかった。

 

 「タルタロスのエントランスに扉を用意いたしました。その先におります、最強の者を倒してください。ただし貴方お一人で」

 

 最強の者――

 

 最強と言えば、綾時をおいて他にいない。だがそんなはずがない。綾時と戦うのは、三日後のタルタロスの頂上である。

 

 「一人で?」

 

 綾時の次に思い浮かぶのは刈り取る者だが、それはつい先ほどに倒した。だがあれは仲間の皆を指揮してのことで、自分はあまり活躍していない。もっともそれは意図してそうしたのだが。今度は一人でやれ、という意味だろうか。湊はそんなふうに思った。

 

 「ええ、お一人で。サポート役の方にも、ご遠慮していただきますようお願いします」

 

 「……分かった」

 

 エリザベスは普段から表情がない。そうとばかりは言えない顔も時には見せるが、今は表情を完全に消している。まるで『前回』の4月、出会って間もない頃のような無表情だった。だから彼女が何を望んでいるのかは分からなかった。だが分からないなりにも、承諾の返事をした。『前回』を通じてずっとそうだったように、彼女の意図が分からないまま依頼を受けた。

 

 

 

 

 刈り取る者を倒したその日は、多少の疲れがあったのでそのまま寮に帰った。そして翌日の夜は、皆でコロマルの散歩に出かけることになった。これまでの散歩は寮生の誰かが一人で行くか、多くても二人で行くのが普通だったが、この時に限って全員で行くことになった。

 

 「こないだ買ったあの服、どうですか?」

 

 「お、上りきったな!」

 

 「おいアキ、何脱ぎだしてやがる……」

 

 寒空の下の長鳴神社で、皆は童心に返ったように喋り、遊んでいた。ジャングルジムや滑り台、ベンチで何人かが固まっている。最後の戦いが目前にまで迫ったこの時期、何か全員一緒での思い出を作りたいとの気持ちが、皆の間にあったのかもしれない。そんな中で、アイギスとコロマルは砂場にいた。

 

 「お手」

 

 「ワフッ」

 

 アイギスの差し出した右手の上に、コロマルは右の前足を乗せた。何の迷いもなく、至って自然に。

 

 「ちゃんとお手ができたな」

 

 『前回』もこの日は全員でコロマルの散歩にでかけ、アイギスがお手をさせていたのだ。ただしその時は頭にお手をされていたが、『今回』は正しくできた。それは即ち、同じ日々の繰り返しの中にあっても、コロマルも『前回』より成長しているということかもしれない。そんな二人のもとへ、湊が近づいた。

 

 「はい」

 

 湊はアイギスの隣にしゃがみ込み、コロマルの頭を撫でた。そして犬の赤い瞳を見つめながら、おもむろに語り出した。

 

 「卒業したらコロマルを引き取ろうと思っているんだ。ペットが飼えるアパートでも借りてな」

 

 「卒業したら……」

 

 少し驚いた感のある声をアイギスは発した。だが湊はそちらを振り返らなかった。『愚者』らしくないことであるが、照れくさく思っていたから。

 

 「家族がいて、犬がいる……そんな暮らしをしたい」

 

 「家族……」

 

 「ああ」

 

 この夜、特別課外活動部は全員で楽しい時間を過ごした。今という時間を惜しむかのように。そして夜が更ける前に、皆で寮に戻ることになった。万が一にも本番前に風邪などひいてはなるまいと、寒空の下で遊んだ寮生たちは比較的早く床に就いた。そうしなかったのは一人だけだった。

 

 

 湊は皆が寝静まった寮を抜け出し、一人でタルタロスにやって来た。『前回』を通じても初めての、完全な単独行動だ。ただし向かう先は、エントランスの中央に置かれた長い階段の先にある時計扉ではなく、その右側の床に置かれた扉だった。階段の左側にあるベルベットルームに続く青い扉と同様に、何もない場所にただ扉だけが置かれていた。そこを湊は一人で通り抜けた。最後の依頼を果たす為に。

 

 「ここは……?」

 

 そこは無数の壁で仕切られていて、曲がり角がいくつもある迷宮のような空間だった。床や壁には茶色を基調とした幾何学的な紋様が描かれ、見た目の雰囲気はタルタロスと似ている。だがそれ以外の要素は微妙に異なる。具体的に言うと、空気が全般的に冷たいタルタロスと比べて、ここの気温はやや高く感じる。立ち込める瘴気と言うか殺気と言うか、とにかく目に見えない何かの密度がタルタロスとは違っていた。

 

 (参ったな……)

 

 だがそうした雰囲気的な違和感よりも、この状況には別の問題がある。風花さえ連れて来るなとの依頼の条件から、扉の先は闘技場のような場所になっているのかと思っていた。それが実はこれである。迷路のようなこの場所を、一人で突破するのは難しい。戦力的な問題ではなく、探索の効率の問題において難しい。影時間は有限なのである。体感時間で一時間程度の僅かな間に、サポートなしで迷宮を攻略するのは至難の業だ。

 

 『ここは深層モナドと呼ばれる場所でございます』

 

 どうしたものかと戸惑っていると、タルタロスの探索時にいつも持ち歩いている通信機から、エリザベスの声が聞こえてきた。失踪者が発生したことを告げる際に電話で連絡してくる時のような、事務的な口調だった。

 

 『サポートは私が行いますので、ご安心を』

 

 今日は風花もいない為、通信機を付けていても意味はなかったはずである。しかしもはや身に染み付いた習慣となっていた為、湊は持って来ていた。そしてそれが幸いしたわけだ。

 

 「分かった」

 

 

 『敵三体。物理攻撃は全て無効。電撃が有効でございます』

 

 「ああ」

 

 見た目は近代兵器の戦車そのもののシャドウの群れに対して、湊は言われた通りに電撃を放った。それでシャドウは怯むか動きを止める為、更に立て続けに電撃を放つ。それを繰り返すだけで敵は消滅した。

 

 『では次の十字路を左に曲がり……突き当りを右へ行ってください。そこに下り階段がございます』

 

 「分かった」

 

 ここに出現する敵は、タルタロスの第六層のそれよりも更に手強かった。だが湊はさほどの苦労を感じなかった。今月は皆が熱心に鍛練を積んでいたが、湊は誰よりも厳しく徹底的に己を鍛え抜いたから。そうした理由は『前回』よりも強いストレガと綾時に立ち向かう為、卒業式の日を越えて生き延びる為、そしてその後に普通の人間として生きる為だ。それそのものは大晦日から決意していたが、今週初めに進路相談を受けた頃から、より強固になっていた。

 

 進みたい進路があるから、生きようとする。『前回』に天田からそう言われたことがあった。その時は特に肯定も否定もしなかったが、『今回』はまさにそのつもりでいる。つまり単に生き延びる為や契約者としての責任感以外の、明確な戦う目的を手に入れたのである。そしてそれは、思いがけない副産物をもたらした。

 

 ペルソナは心の力であり、精神面が大きくものを言う。自分自身の為以外の目的を持ったら、それ以前から変わるものがあったのだ。もちろん仲間たちのように新たなペルソナに目覚めるようなことはないが、内面的な部分で変化があった。物事に強いリアリティを感じるようになり、集中力も増した。しかも戦いに限らず、普段の生活でもそうなった。たとえて言うなら、心に一本芯が通ったような感じだ。それは客観的には些細な違いなのだが、一ヶ月の鍛練を積み重ねた結果には大きな違いが出た。簡単に言うと、『前回』以上の実力を身に付けたのである。

 

 だからいくら強いとはいえ、知性を持たず戦術も単調なシャドウの群れに負ける要素はもはやなかった。湊は『今回』のシャドウを圧倒する力を得るのは不可能だと思って、色々と陰謀を巡らせてきたが、最後になってそれが可能になったわけである。そんな余裕のある状況だったから、湊は戦いながらも眼前のシャドウとは別のことを考えていた。

 

 深層モナド――

 

 エリザベスがそう呼ぶこの空間は、一体何であるのか。天へと向かうタルタロスとは対照的に、地下へと潜っていく構造になっている。一体誰がこんな空間を作ったのか。そしてここの存在意義は何であるのか。

 

 モナドとは『単子』と訳される哲学用語だ。万物を構成するものであり、それ以上分割することができない、存在の最小単位のことだ。それでありながら、それぞれがある種の状態を持つ。そしてモナドの状態は、他の全てのモナドの状態を反映する。それが意味するところは、最小の存在は最大の存在、即ち世界によって状態を約束されているということ。予定された調和。宿命、或いは運命。極論すると自由意志の否定。そんな名前を与えられたこの空間は、イゴールやエリザベスが作ったものなのか。だとしたら、彼らベルベットルームの住人とは――

 

 そんなことを思いながら、湊はひたすら前へと進んで行った。迷宮はやたらと広かったが、エリザベスのナビゲーションは風花以上に的確であった為、迷うことは全くなかった。

 

 

 「お待ちしておりました」

 

 下へ下へと降りて行った先は、一面に赤い絨毯が敷かれた十メートル四方程度の部屋だった。仕切りの類は何もなく、タルタロスの各層の最上階を連想させる作りである。部屋の隅に脱出用の転送装置があることも、それと同じだった。ただ先へと続く階段はなく、代わりに一人の人物が待ち構えていた。それはここまでナビゲーションをしてきた、当のその人だった。いつも通りの青い服装でペルソナ全書を小脇に抱え、密度の高い瘴気の中に佇んでいる。

 

 「討伐していただくターゲットは、私、エリザベスでございます」

 

 「は?」

 

 昨日に依頼の追加を告げられた時以上に、湊は戸惑った。『愚者』らしくもなく、顔と声に困惑を出してしまった。だがエリザベスはこれまで外に出かけた時と同様に、相手の困惑に構いはしない。だからただ一方的に、相手よりも自分自身に向けて話すように言葉を連ねた。

 

 「私……自分が何者なのかを、ずっと探しておりました」

 

 「自分が何者か?」

 

 「はい。私だけではございません。我が主も、そして貴方も。ベルベットルームに集う者は、皆自らを探求し続ける定めなのです。貴方なら、私に答えをくださるかもしれない……」

 

 自分は何者か。この問いそのものは、決して珍しいものではない。人間とは何かや時間とは何かという問いと同様に、古代から現代に至るまで無数の人間たちの間で問われ続けてきた、古典的なテーマだ。そしてベルベットルームに集う者がそれを探求する定めにあるとは、分からないこともない。それは自分の行動に責任を取ることと通じるものがあるから。しかしこの依頼と通じるものがあるとは思えなかった。

 

 「そんなもの、どうして僕が与えられるんだ。まして戦うことがどうして答えに繋がる?」

 

 「私は力を管理する者。故に力で自らを上回る者に出会った時、私は答えを得られる……自分が何者かを知ることができるのです」

 

 そんなはずがあるか――

 

 湊はそう言おうとしたが、言葉を飲み込んでしまった。エリザベスから突如として異様な雰囲気が放たれたのだ。彼女の姿勢は棒立ちのままで構えを取らず、ペルソナ全書も脇に抱えたままだ。だがこの気配はただ事ではない。この空間に入った時から抱いていた違和感そのものが、形となって眼前に立ち現われている。そんな気がしてしまった。

 

 「では、参ります」

 

 もはや問答無用と言ったところだ。これでは何を言っても耳を貸してもらえそうにない。湊は反論したくなる気持ちを諦めと共に切り捨て、剣を構えた。口を動かしながらの片手間で戦える相手でないことは、もう分かったから。

 

 『今回』の夏祭りの時と学校に案内した時、エリザベスはそれぞれアイギスと綾時と向かい合った。その時はあまり深く考えなかったが、どうやら彼女はエレベーターガールでありつつも、荒事の心得もあるようだ。ただそれがどの程度のものなのかは、分析の能力を持たない湊には正確なところは分からない。だからまずは油断せず、相手の動きを注視することにした。言い方を変えると、後手に回った。

 

 「てい」

 

 何とも気合の入ってない掛け声と共に、エリザベスは動いた。全書からカードを一枚取り出し、指に挟んで投げ付けてきた。

 

 「ぐっ……!?」

 

 飛来してきたカードを湊は剣で弾いた。だが腕に伝わってくる衝撃は、今までに受けたどんな攻撃よりも強烈だった。見た目は普通のタロットカードと変わらないのだが、刈り取る者が放つ銃弾以上の重さが感じられた。

 

 「デッキオープン」

 

 そして間を置かずにペルソナ全書を開き、また別のカードを取り出した。そこには湊が使える、全てのペルソナが網羅されているはずである。だからであろうか、エリザベスの力は見覚えのあるものだった。最初に呼び出されたのは、北欧神話で語られる炎の巨人だった。

 

 湊は咄嗟に剣の腹を相手に向けた防御の型を取り、襲いくる爆炎を凌いだ。そして一歩下がった。

 

 (強い……!)

 

 最強の者と言えば、今までは綾時以外にあり得なかった。だが11月に間近で見続けていた、得体の知れない恐怖と共に視界に映し続けた『今回』のニュクス・アバターの実力と比較しても、どちらが上か分からない。たった二度の攻撃を受けただけで、そう判断できた。

 

 「ドロー、ペルソナカード」

 

 判断した直後、エリザベスは再びペルソナを召喚した。今度はイギリスに伝わる雪の妖精だ。やはり湊も使えるものである。本来は決して強力なペルソナではないのだが、今呼び出されたものは違っていた。姿形は同じだが、力は桁が違っていた。ただ使う魔法の種類は変わらなかった。

 

 エリザベスは更に続けて全書を開き、連続してペルソナを召喚した。それは北欧神話の雷神であり、ケルト神話の英雄だった。湊は反撃の隙を見出せず、ひたすら後手に回り続けた。だが体は防御の型を取りながらも、頭だけは働かせた。そうしているうちに、一つの疑問が浮かんできた。

 

 (こいつ、なぜこんな戦い方をする?)

 

 湊とアイギスがワイルド使いであるならば、エリザベスは言わば全書使いだ。両者は似て非なるものだが、とにかく彼女は複数のペルソナを操る。だから攻撃は多彩だ。しかしそれならば、即座に相手の弱点を突くのが最善の戦術である。湊が今使っているのは救世主のペルソナだ。それは火炎、氷結、電撃、疾風に強く、光は無効で闇に弱い。彼女はサポートにおいても優れた力を持っているので、今の湊の耐性はとうに分かっているはずである。それでいながら、効果の薄い攻撃を続けている。

 

 これは彼女なりに手加減しているつもりなのか、簡単に終わっては面白くないと思っているのか。それとも人間のような工夫ができないように、宿命付けられているのか――

 

 (……三番目だな)

 

 シャドウは基本的には決まった行動を繰り返すが、それはなぜか。普通に考えれば、知性に乏しいからだ。だが実は持って生まれた宿命として、そうせざるを得ないのかもしれない。エリザベスはシャドウと違って自我も知性もあるが、それでも人間とは違う。

 

 「ドロー、ペルソナカード。メタトロン」

 

 そんなことを思っている間に、エリザベスは五つ目のペルソナを召喚した。機械でできたその姿を目にした途端、湊は唇を引き結んだ。このペルソナは自分と最も縁の深い二つの絆、或いは三つの絆のうちの一つを証明するものだ。全書に記されている以上、エリザベスが使えることに不思議はない。ないのだが、それでも他人が使うのを見るのは気分が良くなかった。

 

 呼び出された天使のペルソナは両手を掲げ、床に白い紋様を浮かび上がらせた。これは相手の余力に関わらず一発で命を奪う、恐るべき破魔の術だ。しかし湊は襲ってくる光に構うことなく、攻撃の動作に入った。救世主のペルソナに光の魔法は効かないからだ。つまり防御する必要がない。それは即ち、反撃の隙があるということだ。

 

 破魔の光が弾かれた直後、湊は瞬きを一つして、ペルソナを救世主から魔界の王へと付け替えた。だが召喚器は用いずに両腕を広げ、腰を屈めながら交差させた。

 

 たとえ隙があろうと、エリザベスは桁外れの強敵であることに違いはない。ならば最初の一手で最大の秘技を用いて、そのただ一撃でもって終わらせるのが理想だ。そしてこの技は、それが可能であるほどの絶対的な破壊力を持っている。だがそれだけに、一度使えば力はほぼ枯渇してしまう。そして効果の及ぶ範囲は非常に広い為、周囲の仲間を巻き込んでしまう危険が大きいので、そう容易くは使えない。しかし今の状況ではそれらの難点を気にする必要はない。だから迷うことなく上体を起こし、交差した両腕を再び広げた。

 

 (終わらせる!)

 

 湊の頭上に二体のペルソナが顕現し、それと共に床に巨大な亀裂が走った。ただし床そのものが割れているのではなく、足元の空間そのものが裂けて光が溢れ出ているのだ。それは世界の終わりを意味する、地の底から呼び出された滅びの光だ。

 

 「あっ……」

 

 天へと駆け上る光を浴びたエリザベスは、その身を宙に浮かせた。ペルソナ全書は手から離れ、何枚ものカードが風に吹かれた木の葉のように舞った。勝負あった。と思いきや――

 

 (何!?)

 

 エリザベスは倒れなかった。体は浮き上がったが、その足で床に降り立った。舞い上がったペルソナ全書とカードも全て受け止めた。

 

 「惜しかったですわね」

 

 言うが早いか、再びエリザベスは全書を開いた。呼び出されたのは、掌に乗るサイズの小さな妖精だった。特別課外活動部に参加したての4月に少々使った覚えのある、オルフェウスと同じ程度の極めて非力なペルソナだ。だがエリザベスが使うものは、それとは違う。妖精が両手を掲げると、何もない中空から紫色の光球が現れ、螺旋状に回転しながら床に落ちた。それはやはり世界の終わりを意味する、天から下された裁きの光だった。

 

 光が地を覆った。そして、終わった――

 

 (ああ……)

 

 最後の戦いを目前にして、まさかこのような死に方を迎えるとは。だが仕方ないかもしれない。『今回』は始まった時から、誰とも特別な関係にならないように気をつけてきた。だがエリザベスに対しては限度があった。何しろ彼女は『前回』を覚えているのだから。女に刺されて死ぬとは、自分に相応しい末路であろう。

 

 だが、悔しい。負けたことではなく、こんなところで死ぬのが悔しい。やりたいことも伝えたいこともいくつもあった。それなのに、何も果たせずに死ぬのが悔しい。

 

 

 「お目覚めでございますね」

 

 以前に別の人から聞いたことのあるセリフと共に、目が自然と開いた。その視界に映ったものは見覚えのある病院の天井、ではなくて、窓のない存在を意味する名で呼ばれる空間の天井だった。横に視線を動かすと、表情のないエリザベスがすぐ傍にしゃがみ込んでいた。

 

 「僕は……生きてるのか」

 

 「ええ」

 

 「はあ……」

 

 思わず安堵のため息が漏れた。疑問に思うより先に、生きていることそれ自体を喜ばしく思った。

 

 「だが、なぜ……?」

 

 体を起こしながら尋ねてみた。生きていることはいいのだが、その一方でやはり疑問も禁じ得なかった。彼女の放った光によって、自分は死んだはずである。『前回』の卒業式の日にアイギスの膝の上で目を閉じた時に匹敵する、完全な死の実感があった。

 

 「これでございます」

 

 彼女の手には一枚の羽根があった。だが羽根とは言っても、鳥のそれではなかった。形が羽根に似ているだけで、質感は鉱物的で色は銀だった。

 

 「これは黄昏の羽根と呼ばれるものでございまして、時間に干渉することができるのです。これを使って、貴方の時間を戦う前に戻しました」

 

 「話には聞いていたが……そんなことが本当にできるのか」

 

 『今回』の7月に話だけは聞いていた。アイギスの精神中枢であるパピヨンハートを始め、自分たちが使う召喚器や影時間に稼働する機械には、全てそれが仕込まれているのだと。そもそも桐条鴻悦がシャドウを研究したのも、当初は『時を操る神器』なるものを作ることが目的であったらしい。そのような発想が生まれたのは、時間に干渉することのできる何かが現実に存在したからであるのかもしれない。

 

 「今日はここまでと致しましょう。またの挑戦をお待ちしております」

 

 エリザベスは羽根を懐にしまって立ち上がった。どうやらこの依頼は命を懸けた実戦ではなく、力や技を比べあう試合に過ぎなかったようだ。だから一度の失敗で終わりになるわけでもない。それを理解して、湊は立ち上がった。すると彼女は話を切り出した。

 

 「湊様……もう間もなくニュクスが貴方がたの世界を訪れます。どうされるおつもりですか?」

 

 「……」

 

 「決まっておられないのですね。いえ……いざとなれば、前と同じことをすればよいとお考えですね? 前は何をなさったのか覚えておられないご様子ですが、その時が来れば思い出すはず……。そうお考えなのでございましょう?」

 

 「……」

 

 「そうでございましょう。貴方が真に案じておられたのは、ご自分の死ではございませんもの。シーシュポスの神話……同じ業を無限に繰り返すこと。それこそを、貴方は最も忌避しておられたのでしょう」

 

 「……」

 

 「ですが、貴方が時を遡って来られたのは、貴方ではなく貴方を愛する方の意志……。もう二度とするなと言い含めてある為、同じ時を繰り返すことはもはやない。故に遠からぬ戦いに、貴方は大きな不安を感じておられない……」

 

 「……」

 

 湊は何も答えなかった。現実とは常に非情なものである。頑張って死力を尽くして、その果てに結局どうしようもなければ、その時は諦めるしかない。シーシュポスになるのなら諦めるも何もなくなってしまうが、その心配はない。だから彼女の言っていることは決して間違いではないのだが、それでも湊は肯定しなかった。生き延びる成算はなくとも、意志はあるから。

 

 「湊様……お願いがございます。私と契約してくださいませ」

 

 「は?」

 

 ここで湊はようやく声を発した。だが彼女が言わんとすることは理解できなかった。『契約』ならば、とうにしている。その上に一体何を契約しろと言うのか。

 

 「助けてほしいと、そう仰ってくださいませ」

 

 「助ける……?」

 

 「前の貴方は何をなさったのか、私は存じております。間近で見ておりましたから。そして……貴方を助けることも、私ならできるはずなのです」

 

 彼女は表情を変えた。これまで外へ連れて行った際のどこか間違った好奇心ではなく、子供のように拗ねるものでもなく、もちろん普段の無表情でもなかった。『前回』寮の自室に連れ込んだ時でさえ、今のような顔はしていなかった。

 

 「僕と一緒にニュクスと戦うと?」

 

 「私は貴方を苦しめる理不尽な運命から、お助けしたいのです。どうかご契約ください」

 

 受け答えが微妙にずれていることを湊は感じた。明後日に肩を並べて戦うつもりなのかと聞いたのだが、彼女はそういうことを言っているのではない気がする。

 

 「ただ一言でよいのです。傍にいてほしいと、そう仰ってくださいませ」

 

 「代償は何を?」

 

 契約とは約束を取り交わすことだ。依頼と似ているが、厳密には異なる。それは依頼と違って、契約は未達のままにするのが許されないということだ。そして依頼と同じ点は、報酬なり代償なりを支払う必要があるということだ。

 

 「私が何者なのか……教えてください」

 

 言いながら彼女の表情は更に動いた。『前回』を通じて今まで一度も見たことがない、泣きそうな顔だった。彼女は明らかに人間ではないが、実は涙を持っているのかもしれない。思わず心にざわめきが生まれそうになるが――

 

 「それは無理だ」

 

 答えると共に、己の心の一部を切り捨てた。綾時やアイギスを恨むことはないのかと『今回』の11月に聞かれたが、その時と同じように、何か考える前に即答した。考えるまでもないことだから。彼女は己が何者か知る為に戦いを申し込んできたが、それは無意味だ。戦う前から感じていたし、戦いの最中に確信していた。

 

 「なぜでしょうか。貴方は私が望むだけの力がある……はずなのです」

 

 「力は関係ない」

 

 彼女と戦って勝つことは、決して不可能ではない。実戦は一度負ければ次はないが、命に関わらない試合であれば話は別だ。最初は勝てなくても、何度も挑んで相手を研究して効果的な戦術を構築すれば、そのうち勝てるようになる。まして彼女は攻略法を確立しやすい相手だ。だから次は勝てるかもしれないし、その次やそのまた次になれば、勝てる見込みはより出てくる。だがそうして勝ったところで、彼女が求めているものを与えることはできない。

 

 戦うことで生の意味を見出すタイプの人間ならば、確かにこの世にいる。例えばタカヤだ。だが彼女はタカヤとは違う。何が違うかと言えば、時間だ。残り僅かな生を燃やし尽くすこと、即ち祝祭を求めるタカヤとは対照的に、彼女は永劫の時を許されている。だから今日の結果がどう転ぼうと、彼女は何も得られなかったはずだ。モナドと呼ばれるこの場所がその証拠だ。

 

 「タルタロスは人間の心を映す場所だと、知り合いが言っていた」

 

 「……」

 

 「君にとっては、この場所がそうなんじゃないのか」

 

 モナドとは単子。神によって予定された調和の中にある存在のことだ。そしてベルベットルームには時の流れが存在しない。それは即ち彼女は何も変化せず、成長もしないということだ。シャドウのように決まった戦い方しかできないことが、全ての行動が『予定』されていることがそれを証明している。だから彼女の存在はシャドウと同様に、常人には記憶できない。否、シャドウ以上に現実の世界から遠いところに存在している。だからペルソナ使いでさえも、『契約』していない限り誰も彼女を記憶できない。そんな彼女が『答え』を得る方法は、一つしかない。

 

 「自分が何者か知りたければ、ここを出ればいい。あの部屋からも出ればいい」

 

 「それは……」

 

 彼女は戸惑いの表情を見せた。今日はこれまでにない表情を何度も見せてくる。

 

 「それは私にとって己の職務を……いいえ、存在意義を捨てるのと同じこと……」

 

 「君の存在意義って何だ?」

 

 「……力を管理することです」

 

 「力って何だ?」

 

 「……ペルソナです」

 

 「演劇の道具だろ」

 

 「……」

 

 彼女は俯き、顔を隠した。

 

 「舞台から降りれば、演技をする必要もなくなる。仮面でない本当の顔も見つかる。僕以外の人の記憶にも……きっと残るようになる」

 

 ペルソナ全書を左手で抱えた彼女は、右手を目元に持ち上げた。俯いているから見えないが、泣いているのかもしれない。だが湊はそれを確認することなく、踵を返して脱出装置へと向かった。別れの言葉も言わないまま、エリザベスから目を背けた。

 

 (済まないな……)

 

 口では言えない謝罪の言葉を、心の中で言った。後ろ髪を引かれる思いはないとは言えない。一方的に言うだけ言って、それでよいとも思えない。だがそれでも、彼女には何も与えられない。

 

 これがもっと早い時期であれば、違う回答を返せたかもしれなかった。例えば『前回』であれば。『今回』でも屋久島に行く前であれば、クリスマスの前であれば、大晦日の前であれば、進路相談の日の前であれば。しかしその全てを経てしまった今、自分はもうそれ以前には戻れない。演劇の道具ではない本当の顔を、戦う目的を見出した今は、彼女が傍にいることを己に許すことはできない。

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