ペルソナ3 滅びの意志   作:三尺

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終末の日(2010/1/31)

 タルタロスと呼ばれる奇妙な塔――

 

 月に向かって伸びるその巨大な塔は、六つの層に分かれて構成されている。ある層では人間の顔のレリーフが壁の至る所にかけられていたり、またある層では豪奢な宮殿のような装いを見せていたりする。そして最も上に位置する第六層では、一面が純粋な白で覆われている。

 

 その第六層の最上階で、二人の男が並んで立っていた。互いに会話のない二人の目の前には、屋上へと続く階段がある。二人は昨日より前には、眼前の階段を上ったことが何度もある。しかしこの日はただ見つめるだけだった。そこではこの世で最後の出来事が起きるはずなのだが、それはもう少しだけ先の話であるから。時が訪れるまで、今日はここで待つことにしていた。正確には昨日の影時間から、ずっと待ち続けていた。

 

 「ジン」

 

 そうして体感時間で二十分ほど無言のままに過ごした頃、タカヤは突然口を開いた。

 

 「何すか」

 

 「なぜタルタロスは穴ではなく塔なのでしょう」

 

 ギリシャ神話ではタルタロスとは原初の神の一柱であり、冥界の最奥に位置する奈落そのものである。つまり大地に空いた穴だ。それなのに現実では塔として聳え立っている。これは一体どういうことなのか。

 

 「地上が奈落の底だからやないすか?」

 

 人間の世界こそが冥界の底の底。いわば地獄。よってタルタロスとは地獄と天、即ち月を繋ぐ穴。これは実は、4月に初めてタルタロスを訪れたある人物が閃き、直後に否定したことである。だが彼らはその通りだと思っていた。しかし――

 

 「ええ……私もそう思っていましたが、近頃は違うような気がするのです」

 

 「ほな、何ですか」

 

 「分かりません。ですがもしかすると……実は私たちはタルタロスを未だ制覇していないのではないか。そんな気がしてならないのです」

 

 「はい?」

 

 タカヤの物言いにジンは戸惑った。ジンは観念的な話はあまり得意ではない為、タカヤの考えを理解しきれないことは往々にしてある。しかしこれは極め付けだった。

 

 「ちょいと待ってくださいよ。わしらがここへ来て、もう三ヶ月も経っとるやないすか。シャドウかて何千匹狩ったか、分からへんですよ」

 

 二人がこの場所に到達したのは、昨年11月の初めである。それから今日までの間、二人はいささか退屈な日々を過ごしていた。この塔の番人であるシャドウは、とうに大半が二人の相手にならなくなっていたからだ。最上である第六層のシャドウであっても、二人の姿を見た途端に逃げ散ってしまう。追いかけて殺すのが面倒になるほどだ。

 

 もっとも一つの場所に長居すれば死神が現れる。それだけは逃げないし、歯応えもある。だがそれだけである。要するに、この二人にとってタルタロスはもはや遊び飽きた玩具と化していたのである。それでいながら、実は未だ制覇していないなどと言われては、一体どうすればよいのか。

 

 「シャドウの問題ではありません。もっと根本的な何かを、私たちは見落としてはいなかったでしょうか……」

 

 ジンは困惑しているが、タカヤも戸惑っているのである。最近になって、正確には今月に入ってから、更には最後の一週間になってからタカヤの脳裏に奇妙な疑問が浮かび始めたのだ。そして今日という日が近づくにつれて、疑問は収まるところを知らなくなっていったのである。そして最後の戦いを目前に控えた今になって、タカヤは初めてそれを口にしたのだ。その口調には奇妙な焦りが表れていた。

 

 「私たちはタルタロスを滅びの塔としてしか見ていませんでした。それは間違いではないはずですが、表向きの正しさに過ぎません。少々頭を使えば誰にでも理解できる程度の、当たり前のことでしかありません。しかし余人には分からない、隠された裏側にも何かあるのではと。単に下から上を目指しているだけでは見えないもの……。例えば最も上の更に上に見えるもの、或いは上から下を見れば見えるもの……」

 

 最も上、上から下――

 

 「ほんなら屋上に行きますか? あいつらとやり合うのは、ここでのうてもええですやろ。ちょいと作戦狂いますけど」

 

 タルタロスには下り階段は存在しない。だから上から下を見ることはできない。見下ろすことのできる唯一の場所は、二人の眼前にある階段を上った先の屋上だ。そして屋上からは夜空を見上げることもできる。タカヤの言葉を額面通りに受け取ったジンは、そう提案してみた。だがタカヤは声のトーンを落とした。

 

 「いえ……それはいけません。滅びを迎える祭壇に立つのは、彼との約束を果たしてからです」

 

 近頃の二人は意見が一致しないことがたびたびあった。例えば地上で通常の二十四時間を過ごしていた時など、世間に少しだけ真実を漏らして煽ってみたらどうかと、ジンは提案したこともある。もちろんそんなことをしても特に意味はないのだが、遊びとしては悪くないだろうと。しかしタカヤはそれを受け入れなかった。

 

 「へい……」

 

 そして今日もジンの提案は却下された。だがそうしたことが何度あっても、二人の間柄は変わらなかった。意見の違いなどには左右されないくらい、二人を結び付けるものは強固だった。そうして再び無言で待つこと、更に数分に及んだ頃――

 

 「来ましたね」

 

 振り返らないまま、タカヤは約束の人物が来たことを感じた。それから数秒もすると、多くの足音が背後から近づいてきた。冷たいタルタロスの空気を震わせる、凡百のシャドウなどより遥かに強大な存在となった者が来た。そしてそれに従う者たちも、ついでにやって来た。

 

 「ええ。アホ面下げて、ぞろぞろ来よりましたわ」

 

 最初にジンが振り返った。顎を持ち上げて、上から見下しながら来訪者を迎えた。そしてタカヤも振り返った。

 

 「お待ちしていました」

 

 「……」

 

 特別課外活動部の先頭に立っていた湊は、タカヤから十メートル程度の位置で立ち止まった。抜身の剣を右手に持ち、自然体でタカヤに正対した。だが黙って相手を見つめるだけで、口はきかない。最初に口を開いたのは真田だった。

 

 「その先が頂上だな。通らせてもらうぞ」

 

 「私は立ち塞がっているわけではありません」

 

 「何?」

 

 真田は訝しむが、実際のところタカヤは立ち塞がっているつもりはないのである。ただ一人の男を待っていただけであるから。

 

 「貴方がたが見ているものは、未来か過去か。いずれも幻想……いえ、妄想に過ぎないものです。時は止めることも進めることも戻すこともできません。存在するのは『今』というこの刹那しかないのです。故に人は望むのです。今を最も輝かせる祝祭を」

 

 「何グダグダ言ってんだよ……意味分かんねえ」

 

 観念的な思考に慣れておらず、しかもタカヤと個人的な因縁は特にない順平は呆れ顔だ。しかしタカヤはそれに構わない。

 

 「滅びは太古の昔から望まれてきたもの。貴方がたとて、本当は望んでいるのです。夜ごと月に吠えるシャドウと同様に、この世の全ての人々と同様にね。私と貴方を別つものは、それを自覚するかしないか……いいえ、運命に従うか抗うかだけです」

 

 「……」

 

 湊は目を閉じ、剣を持っていない左手を胸に当てた。言葉では反論せず、首を横に振りもしない。そうかと言って、頷きもしない。ただタカヤの言葉を胸に落とし、そこに手を添えただけだ。しかしそんな反応を示したのは湊だけだった。他の者たちは相手の言葉を理解できないように眉を顰めるか、表情を動かさないかだ。そんな中にあって、美鶴が口を開いた。

 

 「死を進んで求めるほど、私たちは絶望していない」

 

 美鶴の言葉に対して、タカヤは眉一つ動かさなかった。元より待ち人以外の者たちには何も期待していない。議論したところで無意味だ。もし待ち人が反論したら答えるつもりでいたが、何も言ってこない。当の本人よりも、その手に握られた抜身の剣の方が雄弁に語っている。

 

 「もはや言葉は無用でしょう。私たちに許された時間は、もう残り僅かです」

 

 タカヤはジーンズに差した拳銃を抜いた。それに合わせるように、湊は目を開けて左手を胸から離した。神話と現実の両方で深い縁を持つ、二人の視線が交錯した。

 

 「有里さん。約束の時が来ました。生きた証をこの地に立てる、真実の瞬間を与えて頂きましょう」

 

 「ああ」

 

 階段の前から動かないタカヤに向けて、湊は足を踏み出した。それに続くのはアイギス。そして荒垣、更に真田が続こうとした。しかし――

 

 「待てや」

 

 タカヤの隣に立っていたジンが歩き出した。それを受けてアイギス以下の面々は一旦足を止めた。しかし湊はジンを一瞥したものの、足は止めなかった。欠片の危険も感じていないように、氷河に似た第六層の床を自然な足取りで歩んだ。ジンはと言えば、湊を見もしない。そうして二人はすれ違った。町中を行き交う見知らぬ他人同士のように何気なく、何事もなく二人は互いに背を向けた。

 

 「タカヤの邪魔はさせへん」

 

 湊を素通りさせた後でジンは言い切った。特別課外活動部を迎えた時と同様に、傲然と。相手の人数は目に入っているはずであるのに、その不利を感じていないように。

 

 「一人でこれだけの数とやる気か?」

 

 真田が言う通り、ジンの前に立つのは大勢だ。リーダーを除く九人、サポート役を除いても前線要員が八人もいる。いかに個々の実力ではストレガは特別課外活動部に勝るとはいえ、人数がこれだけ違えばいくらなんでも無理がある。これが11月頃であれば話は別だが、この時期に八対一ではさすがに勝負にならない。

 

 「アホ、誰が一人言うた」

 

 その時、鎖が鳴る音がこの場の全員の耳に届けられた。狙ったようなタイミングでもって、タルタロスの冷たい空気に恐怖の音が生じた。それと共に集団の後方にいた者たちは、一斉に顔を強張らせた。彼らは同じ音を三日前に嫌と言うほど聞いたのだ。その時は無事に撃破できたが、それでも容易な相手では決してない。

 

 「わしらがいつからこのフロアにおると思っとんのや」

 

 「お、お前……! 正気かよ!?」

 

 「わしらは二人。お前らは十人。誰が狙われるか……わしらんトコに来る確率は六分の一や。分のいい賭けやと思わんか?」

 

 慌てる順平に向けてジンは平然と言い放った。このフロアは前後に広場が連なる形になっており、構造は一本道である。そしてシャドウが現れたのは入り口側で、ストレガがいるのは最も奥だ。この配置では確率の問題ではなく、確実に特別課外活動部の後列から襲われることになる。

 

 「アイギス、指揮を取れ」

 

 シャドウの乱入で動揺する者たちに向けて、ごく簡単な命令がリーダーから届けられた。ジンの向こう側にいる湊はタカヤに正対したままで、仲間たちの側は見もしない。命令されたアイギスは命令した人に視線を送るが、その背中は動かない。闇の中を立ち去ろうとしているのでもないし、足音を虚しく響かせているわけでもない。だがそれでも振り返らない。

 

 「こいつとは僕が決着をつける。ジンは荒垣先輩、貴方にお願いします」

 

 それだけ言って、湊は右手の剣をタカヤに向けた。視線は眼前の相手だけを捉えている。ただし視線そのものの中に怒りや殺意はない。刃物を向けながらも敵意はなく、何かを惜しむ気持ちもない。ただ純粋な集中力を相手に向けている。

 

 「了解しました。皆さん、落ち着いてください!」

 

 アイギスはジンに背を向け、後方へと向かった。そしてサブリーダーの権限でもって、近づいてくる刈り取る者を迎え撃つ陣形を指示した。アイギスの指揮下に入るのは真田、美鶴、順平、ゆかり、コロマルである。そして風花はそのサポートを務めることになった。

 

 「私たちは必ず勝てます!」

 

 かくして前線要員六人とサポート役一人が刈り取る者と戦うことになった。残るメンバーは二人である。残った一人である荒垣は一度湊の背に視線を送ったが、やがて眼前の相手へと戻した。そして肩に担いでいた鈍器を下げた。

 

 「しゃあねえ、ボスはリーダーに譲ってやるか。俺は三下で我慢してやるぜ」

 

 屋上へ続く階段の手前で対峙する二人の因縁については、荒垣は少しだけだが聞いている。聞いたその時は一発殴ってやったが、事情を鑑みれば理解できないこともないのだ。レールを外れたことのある荒垣だからこそ、理解できるところはある。

 

 殺しの業を背負うべきなのは悪党だ。荒垣はそう思っている。だから荒垣は、ストレガは二人とも自分が倒すつもりでいた。だがリーダーもなかなかの食わせ者だ。人の命を背負わねばならないだけのことは、既にやっている。事がここまで至った今、一人分くらいは背負わせるのもやむを得ない。それくらいで荒垣は自分自身を納得させた。

 

 「そいつはわしのセリフや。小悪党が」

 

 「ジンさん……」

 

 そして残ったもう一人、天田の表情は冴えない。普段の大人びた仮面はその位置をずらし、迷いがはっきり表れていた。槍を持つ手は震えてはいないが、荒垣の大きな背中の陰に体の半分ほどが隠れている。

 

 「お前はすっこんでろ」

 

 そんな天田に向けて、荒垣は振り返らないまま告げた。

 

 「こんな奴でも殺せば背負っちまうものがあるんだ」

 

 そして戦いが始まった。遊びではない、本物の殺し合いが始まった。

 

 

 「カストール!」

 

 「遅いわ、モロス!」

 

 光る馬の怪物が唸りを上げ、中空から現れた不可視の鉄槌がジンを襲った。しかしジンは機敏に動いてそれをかわす。狙いを外した衝撃波はタルタロスの床を震動させるが、ジンの足はそれに捕らわれることはない。左手にアタッシュケースを持ったまま、軽やかにステップを踏みながら召喚器をこめかみに当て、幾何学的なフォルムのペルソナを召喚しては魔法を浴びせる。その種類は火炎、氷結、電撃、疾風と多彩である。

 

 「チマチマと鬱陶しいってんだ!」

 

 だがどんな魔法を浴びても荒垣は怯まない。大半のペルソナとシャドウは何らかの弱点を抱えているが、カストールはそれがないからだ。耐性も特にないのだが、それはジンのように多くの攻撃手段を持つ相手には有利に働く。

 

 小刻みに動くジンへと向けて、荒垣は大きく踏み込んで鈍器を上段から振り下ろした。床の氷河ごと叩き割らんばかりの猛烈な一撃である。まともに当たれば、人間の頭くらい容易く粉砕できる力が込められている。

 

 「言っとれ」

 

 必殺の打撃に対して、ジンは軽業師のように後方へ宙返りした。単にかわすだけなら一歩下がればよいだけであるのに、わざわざ大きすぎるモーションでもってかわした。そして立ち上がりざまに、再びモロスを召喚して打撃の波動を浴びせる。

 

 「ぐっ……」

 

 モロスの打撃はカストールが放つそれより一回り小さいが、それでも威力は馬鹿にならない。連続して魔法を浴びた後での被弾により、さすがの荒垣も膝をついた。荒垣は膂力と耐久力に優れているが、決して無限ではない。小技ばかりでもいくつも受ければ、いずれは限界が来る。

 

 「カーラ・ネミ!」

 

 そこへ天田がペルソナを召喚した。黄道を司るペルソナは両腕を掲げて光を放ち、荒垣の足に力を戻させた。だがそれだけである。回復させるだけで、直接加勢はしない。

 

 荒垣は湊とアイギスを除けば、特別課外活動部の中で頭一つ抜けた実力を持っている。ジンと比べれば一歩及ばないものの、極端に大きな差はない。作戦や気持ちで勝れば、或いは運が良ければ一対一で勝つことは不可能ではない。しかし荒垣は押されていた。カストールの突撃も鈍器の打撃も、ほとんど当たっていない。元より荒垣の戦闘スタイルは膂力に頼って技は比較的雑で、対照的にジンは俊敏だ。だから荒垣の攻撃はそう容易く当たらないのは道理だが、それでもこれまでの経過はいささか極端である。

 

 「どうや、そろそろ吐くか?」

 

 そんな中、ジンは唐突に口を開いた。荒垣は相手の言わんとすることを理解できずに眉を顰めるが、ジンの口上は止まらない。

 

 「知っとるで。お前そこのガキにやられそうになって、ゲロしたんやろ」

 

 言いながらジンは天田を指差した。それと共に場の空気が急激に淀み始めた。氷河期の地球を思わせるタルタロス第六層の冷たい空気の中に、異臭を発する汚泥の不快感が急激に混ざり始めた。流血の惨事の方がまだ落ち着ける、頭を芯から腐らせる邪悪な臭気である。並の神経の持ち主であれば、その日に食べたものを残らず吐き出してしまうだろう。

 

 「死にたのうて、胃袋に来たんやろ」

 

 「このストーカー野郎が……」

 

 ジンは情報通である。たとえそれがどんなに個人的な話であろうとも、調べようと思えば調べられる。そして得た情報を分析する能力においても優れている。観念的な話は苦手だが、生臭い話なら誰より理解できる。その理解の下に、舐めきった視線を眼鏡越しに向けた。

 

 「半端モンが笑かすな。満足に殺しもできん、小悪党が」

 

 「……」

 

 ジンの嘲笑に荒垣は答えなかった。ただ無言で駆け出し、再び鈍器を大きく振り回した。ジンはそれに対して今度は宙返りせず、ただ一歩下がってかわした。かわしながら、こめかみに召喚器を当てた。

 

 「わしが知っとることはまだあるで。お前って一見すると弱味がないみたいやが、実はこういうのが苦手とちゃうんか?」

 

 ガラスが割れる音と共に、ある闇が荒垣の眼前に現れた。それは影時間の緑の闇ではなく、ただひたすら黒いだけの夜の闇だ。その闇の中で、鈍い光を放つ怪物が猛り狂っていた。怪物はまるで酒に酔ったように、天へ向けて咆哮を上げながらひたすら暴れ回っていた。怪物の一本しかない足の下には、既に瓦礫の山が出来上がっている。

 

 「う……」

 

 荒垣が呻くと共に、闇はその色を黒から緑へと変えた。そして瓦礫の中から一人の少年が現れた。その顔は闇に覆われて見えないが、自身の身長より長い棒のようなものを持っている。少年は瓦礫を踏みしめて、乾いた音を立てながら一歩一歩近づいてくる。そしてあと三歩程度の距離まで近づいた時、少年は棒、否、本物の刃がつけられた槍を向けてきた。それと共に少年の顔が露わになった。

 

 「……!」

 

 少年は完全な無表情だった。何の理由もなく人を殺せるほどの、一滴の潤いもない乾燥した怪物の顔だった。どれだけ胆力のある男でも、背中に走るものを感じずにはいられない。そんな子供の怪物がそこにいた。

 

 「や、やめ……」

 

 叫び声を上げそうになった瞬間、少年は槍を突き出してきた。体が石と化した荒垣はよけることも防ぐこともできない。ただ己の心臓が奪い取られるのを、奇妙にゆっくりと流れる時間の中で見つめることしかできない。

 

 ――

 

 しかし刃物が体に突き刺さる鈍い音はしなかった。代わりにより凶暴な爆発音が、荒垣の胸元で響いた。

 

 「ぐはっ……」

 

 荒垣は倒れた。何とも呆気なく、氷河の床に仰向けに倒れ込んだ。傍から見れば、ジンが無造作に投げた手榴弾をかわそうともせず、無抵抗で受けてしまった。そしてそのまま動かなくなった。

 

 「ふん、他愛のない奴や」

 

 倒れた荒垣を一瞥して、ジンはその場で背後を振り返った。そこではかつてジンに光を与えた人が、最後の戦いを行っている。本音を言えばジンはそちらに加勢したいのだが、それは止められている。だから見届けることしかできない。

 

 「全く……今日で終わりやっちゅうのに、締まらんのう」

 

 ジンは頭を掻きながら、長いため息を吐いた。ペルソナに目覚めさせられて以来の戦いは、今日で終わる。だがそれは町の掃き溜めのゴミ掃除と変わりがなかった。やり甲斐もなければ、歯応えもなかった。まして生きた実感など何もない。全くもって締まりのない、馬鹿馬鹿しいくらいの終末である。などと思っていると――

 

 「ジンさん」

 

 背後から声をかけられ、再び振り返った。するとそこには天田がいた。倒れた荒垣を背後に置いて、一人でいる。

 

 「何や」

 

 「僕が相手です」

 

 「けったいなガキやな。親の仇とツルんで、恩人に刃物を向けるんかい」

 

 8月から10月まで、天田はストレガと行動を共にしていた。そしてタルタロスの探索では、天田に付き合っていたのは主にジンである。だから天田はジンに恩があると言えばある。もっともジンにすればタカヤに命令されてやっていたに過ぎず、恩に着せるつもりなどない。つまりこのセリフは単なる皮肉である。

 

 「貴方たちに感謝はしてます。でも僕の復讐は終わったんです。たった今、終わったんです」

 

 ジンの皮肉に対して、天田は正面から答えた。冗談をめったに言わない大人びた子供らしく、至って真面目に。言い終えると共に、天田は腰を落として槍を構えた。穂先は真っ直ぐジンの胸へと向けて定められている。その瞳に炎は滾っておらず、静かな光が湛えられていた。所詮は個人的なことに過ぎない復讐が、もっと大きな目的へと昇華したように。

 

 「だから……僕は貴方と戦います」

 

 「ふん……そこのヘタレよりはマシみたいやな。ええやろ。わしの最後の相手はお前や」

 

 眼鏡の下のジンの目が鋭くなった。荒垣を見下していた時の舐めきった色は消え、本気の光がそこに浮かんでいる。ジンは特別課外活動部の者たちに対して、大嫌いなリーダーの男を除いては特に思い入れはない。だが因縁の有無だけで言えば、天田にはそれなりにある。その点からすれば、眼前の小学生は最後の相手として許容範囲だった。

 

 「だが覚悟せえよ。わしはタカヤほど優しくないで」

 

 「分かってます」

 

 言うが早いか、天田は構えた槍をジンの胸へと向けて突き出した。氷河の床を砕かんばかりだった荒垣とは対照的に、滑るように踏み込みながらの電光の一撃だった。

 

 「おっと!」

 

 天田の初撃をジンは上体を仰け反らせてかわした。だが天田は休まない。突きよりも更に速く槍を引き、立て続けに攻撃を仕掛ける。その狙いは胸に始まって次は腹、喉、更に足を払いにかかったりと、変幻自在である。

 

 特別課外活動部の中で、天田は膂力においては下から数えた方が早い程度のものしかない。だが動きの速さと技の巧みさ、そして手数の多さでは逆に上から数えた方が早いほどのものを持っている。どれだけ背伸びをしても、天田の体は小学生のそれだ。体格の差を埋める為、そのような戦法を磨いてきたのである。

 

 だが身のこなしではジンも負けていない。先手こそ取られたものの、それだけだ。槍が体に触れるのは一度も許さない。そして攻撃のバリエーションにおいては、ジンはタカヤをも凌いで湊やアイギスに匹敵する域にある。荒垣に仕掛けた精神攻撃も操れるし、天田が弱い闇の魔法も使いこなす。しかし――

 

 「ふん、弱味は消しとるか」

 

 連続して十手は仕掛けられた槍の技を凌ぎ切ったジンは、一旦間合いを外して呟いた。チドリや風花には及ばないものの、ジンも解析の能力は持っている。その能力で見た結果、天田は闇の力への耐性を得ていることが分かった。とは言っても、己の過去に最終的な決着をつけた為にペルソナが更に進化や変容をしたのではない。単に装備品の効果によるものだ。

 

 「ま、ええがな」

 

 ジンは召喚器をこめかみに当て、モロスを召喚して炎の弾丸を放った。弱点を突いた一撃で沈められなくても、ジンにとっては特に問題はない。元より地力が違うのだから。

 

 「くっ……!」

 

 襲ってきた炎に対して、天田は槍を横に構えて防ごうとした。だが格上の敵が放つ爆炎は、そう容易く防げるものではない。一発でやられはしないが、よろめくように一歩下がってしまった。しかし倒れはしない。

 

 「カーラ・ネミ!」

 

 何とか踏みとどまった天田は右手を槍から離し、ホルスターから召喚器を抜いてこめかみに当てた。本来は闇に弱い天田は、それと相反する力である光の魔法を得意としている。これは一発で相手の命を奪うという反則のような魔法だが、ジンには効かない。二ヶ月に渡ってジンと身近に接してきた天田は、それを知っている。よってこの召喚は攻撃には使わず、自身に回復の魔法をかけた。そうして痛みから立ち直ったが、それだけだった。

 

 「モロス」

 

 ジンは天田に反撃の隙を与えることなく、離れた距離から再び魔法を放った。それを受けた天田は再び自身を癒やす。ジンが攻めて、天田はその都度回復して凌ぐ。そうやって同じパターンが何度も繰り返された。結果的にジンと天田の戦いは、持久戦の様相を呈してきた。だが防御だけで勝てる戦いなどない。この構図が続けば、攻める側がいずれは押し切る。しかし――

 

 「僕にだって……!」

 

 何度目かのジンの攻撃を受けた天田は、同じ回数目の召喚を行った。しかし自身を回復はさせなかった。負った傷をそのままにして、予告なく攻撃へと転じた。種類は電撃である。天田にとっては光ほど得意ではなく、真田と違って広範囲に放てるわけでもない。本来なら俊敏なジンを捉えられるものではないのだが――

 

 「んがっ!」

 

 荒垣と戦っていた時を含めて、ジンはこれまでほとんどの攻撃を回避してきた。しかしこの時に限って、まともに受けてしまった。ジンにすれば、天田はどうせまた回復するだけだろうと、高を括っていたところがあったのだ。結果的に天田の電撃は、正面から対峙しながらの不意打ちとなった。さすがに致命傷は負っていないが、感電したか足元が覚束なくなっている。

 

 「ジンさん……!」

 

 好機を見出した天田は、槍から左手も離した。復讐の為に手にした凶器は氷河の床に落ちて、そのままカラコロと転がっていく。だが天田はそれに目もくれない。自由になった左手を、召喚器を持つ右手に添えて銃口を額に押し当てた。8月の溜まり場で召喚した時のように、身を屈めて死の淵へと飛び込んだ。

 

 「うわああ!」

 

 天田のカーラ・ネミは戦術の幅が比較的広い方である。もちろんワイルドやジンには遠く及ばないが、荒垣のカストールのように一つの方面に特化したものではない。得意なのは光と回復で、電撃も少しは使える。そしてもう一つ、隠し玉がある。それ自体が武器を持たないペルソナでありながら、武器を持っているかのような技を使えるのだ。

 

 頭上に顕現したロボットのようなペルソナは上体を旋回させ、白い光を放った。それは少年の悲鳴そのものに乗るように、一筋の閃光と化して長く尾を引いた。槍以上の貫通力を誇る、天田の切り札だ。感電して無防備な状態を晒している人間の体くらい、一発で穴を開けられる。しかし――

 

 「つっ……!」

 

 ジンの鋭い、だが小さな呻き声を聞いて、天田は召喚器を頭から離して顔を上げた。そして愕然とした。ジンは倒れておらず、体に穴は開いていない。ただ右の肩に傷があるだけだ。全てを賭けた切り札は外れてしまった。かわされた――

 

 「ふん……やってくれるやないか!」

 

 ジンは唇の端を吊り上げた。実のところは、ジンは閃光をかわしたのではない。単に天田が狙いを外したのだ。召喚の際に体を屈めて、敵から目を逸らしてしまったのがいけなかった。あんなことをしていては、余程大きな体躯のシャドウでもない限り当たるものでも当たらない。人を殺せる技を使えることと、殺す為に技を使えるかは別である。

 

 「うわっ……!」

 

 すかさずジンはモロスを召喚し、打撃の波動を放った。武器から手を離した天田に向けて、容赦のない一撃でもって転倒させた。

 

 「詰めが甘いが、まあまあ面白かったで」

 

 言いながらジンは召喚器をホルスターに戻し、相手へと一歩近づいた。天田は氷河の床に腰をつけていて、まだ立ち上がれない。その姿だけを見つめて、ジンはアタッシュケースを開けて手榴弾を取り出した。閃光で抉られた右肩の傷には痛みがあるが、片手に収まる程度の大きさの凶器を持てないほどではない。

 

 「……」

 

 天田は歯を食いしばりながら、目を大きく見開いている。その表情を覆っているのは負けた悔しさか、殺される怯えか。はたまた一人で挑んだ己の無謀さに対する怒りか。その答えを天田は口にしなかった。ただ歩み寄る相手から目を逸らさずにいた。

 

 「これで終いや」

 

 ジンは手榴弾を放った。無造作な下手投げだが、倒れたままの天田に防ぐ術はない。地力の差は簡単には埋まらない。余程の僥倖に恵まれない限り。否、僥倖はあったが、それを活かせなかった以上、その時点で天田の敗北は確定していた。勝負あった。と思いきや――

 

 「あ?」

 

 甲高い金属音と共に、とどめの手榴弾はジンの胸元に戻ってきた。反射的に左手のアタッシュケースを振り回して横へ弾くと、タルタロスの壁に当たって爆発した。何かと思って視線を上げると、乱入者がいた。普段の存在感をまるでなくして、亡霊のように悄然としてそこにいた。

 

 「何や、まだおったんか」

 

 荒垣だった。ジンの精神攻撃で混乱していた最中に、手榴弾をまともに食らって気を失っていたのだ。しかし気絶は死とは違う。時間が経てば意識を取り戻すこともある。二人の戦いの最中に目を覚ました荒垣は、天田の胸元に放り投げられた手榴弾を鈍器で打ち返したのである。荒垣はそうした器用なことは不得手だが、勝利を確信したジンは手榴弾をトスするように投げていた為、打ち返すことができた。

 

 「荒垣さん……」

 

 天田は床に倒れたまま、様々な意味で縁の深い人を見上げた。しかし荒垣の側は見上げてくる縁の深い人を、見下ろしはしなかった。

 

 「てめえの言う通りさ……」

 

 天田を見ずにジンだけを見つめるその瞳に、普段の鋭さはまるでなかった。疲れたような、諦めたような、いずれにしても覇気の全くないものだった。

 

 復讐のあの日、なぜ荒垣は発作に襲われたのか――

 

 怖くなったのだろう。制御剤がもたらす緩慢な死ではない、一瞬のうちに訪れる死に。突き付けられた槍の鋭さに、少年の色のない瞳に。何の理由もなく人を殺せる怪物によって、何の感慨もなく虫けらのように殺されることに、恐怖したのだろう――

 

 ジンはそう嘲笑った。ではそれは正しいのか、誤っているのか。本当に本当のところは、恐らく誰にも分からないことだ。だが荒垣自身は『正しい』と認めた。己の罪の光景を見せられて、認める気になった。

 

 「俺は……ビビったのさ」

 

 思えば最初の最初から、自分は死を恐れていた。罪を償いたければ事故の後すぐにでも天田の元へ行って、腹でも切ればよかったのだ。それなのに、できなかった。それどころか忘れたいと思っていた。自分で自分を始末することもできなかった、その理由ならばいくらでもつけられる。たとえ自分で言わなくても、お人好しな連中が勝手にひねり出してくれる。だが本当は違う。人を殺しておきながら、自分が死ぬのは恐ろしかったのだ。それでいながら、忘れることもできなかった。どこまでも中途半端なだけだった――

 

 「だがな……だからってガキの陰で震えてるほど、落ちぶれちゃいねえんだ!」

 

 荒垣の目が据わった。それは意地か怒りか責任感か。とにかく目に覇気を取り戻した。人を殺せる力を、殺す為に使うだけの猛々しさに乗せて、召喚器をこめかみに当てた。

 

 「ペルソナ!」

 

 あらゆる恐怖と葛藤を焼き尽くして、荒垣は忌まわしい力を顕現させた。光る馬の怪物は戦場を駆ける騎兵の如く伸び上がり、高らかに雄叫びを上げる。そして不可視の鉄槌を中空から放った。

 

 「馬鹿の一つ覚えが!」

 

 だがジンは一歩下がって難なくかわす。荒垣の攻撃は破壊力こそ甚大だが、工夫も何もない。ジンにすれば、天田の方がまだ歯応えがあるくらいである。だが――

 

 「!?」

 

 ジンの顔面に向けて、巨大な鉄の塊が唸りを上げて飛んできた。手榴弾よりも遥かに重いそれは、アタッシュケースでは弾けない。瞬時に判断したジンは上体を左に倒して、投げ付けられたと思しき鈍器をかわした。そして反撃の為にホルスターに差した召喚器を抜いたその瞬間、右肩に小さくない痛みが走った。

 

 鈍器に気を取られていた間に、荒垣は間合いを詰めていた。そしてその左手がジンの右の手首に当たっていた。普段であれば軽くいなせたであろうが、肩の傷の痛みの為に反応が一瞬遅れた。その一瞬の間に、荒垣の左手はジンの右手首を掴んだ。

 

 不覚――

 

 荒垣の戦い方は、正面から力でねじ伏せようとするばかりで、とにかく単調で読みやすい。だが得物を投げ付け、そのまま素手で向かってくるとはさすがに予想外だった。己の身を顧みない無謀な突撃に、結果的にジンは虚を突かれた形になった。

 

 「でりゃあ!」

 

 ついに荒垣がジンを捕まえた。そして掛け声と共に、ジンの顔面へ頭突きを叩き込んだ。拳で殴るよりも慣れていて、かつ威力も大きい荒垣の得意技だ。例の溜まり場では不良相手に何度も見舞ったことがある。

 

 「がっ……!」

 

 召喚器の音よりも現実感のある破砕音と共に、ジンの眼鏡が割れた。細かなガラス片が目の周囲にいくつも刺さり、フレームが歪んだ眼鏡は顔からずり落ちた。経験のない種類の痛みに、ジンは足を一瞬だけ揺るがせた。その瞬間を見逃さず、荒垣は更に押した。ジンの右手は左手で掴んだままで、首に右手をかけて床に押し倒し、その上に跨った。

 

 ジンは実力においては荒垣に勝る。戦術の幅、冷酷さ、そして実戦経験の量においてもジンが上だが、唯一荒垣が勝っているものがある。それは実戦ではない、素手のケンカの場数だ。そしてケンカにおいては、馬乗りの体勢は絶対的な優位を持つ。殴るのも首を絞めるのも、上を取った者が自由にできる。

 

 「この……! 半端モンの、臆病モンがあ!」

 

 首に手をかけられながらジンは叫んだ。喉はまだ動く状態にある。そして左手も動く。倒れたままの体勢で、床に転がったアタッシュケースを器用に開けて、そこから手榴弾を取り出した。

 

 ――

 

 この日三度目の爆発が起こった。ジンは己の首を絞めてくる腕越しに、手榴弾を荒垣の顔面にぶつけたのだ。だが荒垣は耐える。爆風も炎も、それがもたらす痛みも意に介さない。

 

 「ああ! そうさ!」

 

 眼鏡を失ったジンの目では、荒垣の顔ははっきり見えない。鬼の形相を誰にも見られることがないまま、荒垣は右手に力を入れた。これまでとこれからの人生の、その全てを懸けた決意を込めて。或いはただ一時の激しい感情だけを込めて。

 

 大きくて分厚い手の中で、音が響いた。それは爆弾とも槍の突きとも違っていた。より酷く、より嫌な音だった。

 

 

 「荒垣さん……」

 

 音がしてから数秒が過ぎた後、天田は声をかけた。かけられた相手は馬乗りの体勢のまま、獣のように荒い息をついていた。

 

 「天田……」

 

 荒垣は立ち上がらず、眼下のジンへ視線を向けたまま答えた。呟くように、己に言い聞かせるように。

 

 「お前は何も悪くねえ。悪いのは全部俺だ……」

 

 「……済みません」

 

 天田が謝ると、荒垣はようやくそちらへ視線を向けた。そして顎を引いて俯いた。火傷を負った顔を隠すように。

 

 「済まねえ……」

 

 深い因縁のある二人は、この時初めて互いに謝った。

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